大名持神 大洗磯前社
少彦名神 酒列磯前社 以上 常陸両社*1
大洗礒前薬師菩薩(明)神社[オホアライソザキノヤクシホサツノ](名神大)
大洗磯前神社[おおあらいいそざき]「大己貴命、少彦名命」創建は由緒書きよりもっと古く、荒吐神の姿が見える神社である。茨城県東茨城郡大洗町磯浜町字大洗下6890
酒烈礒前薬師菩薩神社[サカツライソザキノ・・](名神大。) リンク 酒列磯前神社
酒列磯前神社[さかつらいそさき]「少彦名命、大己貴命」斉衡三年。
茨城県那珂湊市磯崎町4607
http://kamnavi.jp/en/hitati.htm 延喜式神名帳 東海道 常陸国hitati
ところで、平田篤胤と平行して笙野頼子『S倉迷妄通信』を読んでいるのだが、彼女の場合は神が直接夢に出てきたりするらしい。
前の担当 ○ルタヒコ
今の担当 ○クナヒコナ 同書p96より*2
ちなみにガイドブックみたいなもので調べた限りでは、この神は各県の一の宮などの主要神社の、どこにも「単品」では祀られていない。*3
というのは少彦名のことだが、笙野は酒列磯前社を主要神社に数えていない。しかし、延喜式神名帳の名神大社だし、篤胤も重視しているということから主要神社と言えると思う。
私は神社訪問などもほとんどしたことはないのだが、能登半島の羽咋、気多大社に先日行って気付いたことは、岬ほど尖ってないが陸が海に向かって大きく張りだした丘があり、海が180度以上大きく見渡せる場所だ、ということだ。地図で見る限り、酒列磯前社も同じような地形の所であるようだ。ましてひたち、日立ちの国、日の出を拝むには最良の場所の一つであっただろう。神が海から来たというよりも、ひとが海を見ることの感動が神を生んだのではないかと思った。
ちなみにいまの神社から海は見えないのかもしれないが、数百年前まではそうではなかったらしい。「この古社地は、現社地の西方の海に望んだ場所(鳥居の辺り)であり、」と下記にあった。
http://www.genbu.net/cgi-bin/mapindex.cgi?index=8&target=place