http://www5e.biglobe.ne.jp/~tokutake/kyokasho.htm
教科書は間違っている1
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/daitoasensou/okinawa.html
沖縄戦 集団自決事件をめぐる 『反日神話』の背景
を読もうと思ったが、長い! 続きはまた遅れます。
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沖縄戦 集団自決事件をめぐる 『反日神話』の背景
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731部隊長名のノート発見 元側近宅から2冊
2005年08月04日07時08分
細菌兵器開発のため人体実験を繰り返したとされる旧関東軍防疫給水部(731部隊)の部隊長・石井四郎軍医中将の署名が表紙に記された未公開ノート2冊が、側近だった夫妻の自宅から見つかった。石井氏は戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に資料を提供し、戦犯の訴追を免れたが、これまで本人の手記は見つかっていない。直筆ノートならば、GHQにも明かさなかった終戦後の足跡や内面を記した貴重な一次史料ということになる。
A5判の大学ノート。表紙に鉛筆で「1945―8―16終戦当時メモ」「終戦メモ1946―1―11 石井四郎」と記され、終戦直後に書き留めた備忘録とみられる。在米ジャーナリストの青木冨貴子さん(57)が東京都内の元側近宅でノートのことを知った。
元側近の妻によると、石井氏は戦後まもなくこの元側近宅を訪れ「アメリカ人が来て没収すると困るから」とノートを預け、59年の死去まで返還を求めなかったという。
青木さんは米国立公文書館の文書をもとにノートを分析し、「ごく少数の関係者しか知らない部隊幹部の住所など、本人でないと知り得ない事実が書いてある」ことから直筆ノートと判断。石井氏が部隊を創設し、戦後に訴追を免れるまでの経緯を5日発売の著書「731」(新潮社)にまとめた。
ノートは略語や隠語を多用した断片的なメモの羅列のため、青木さんは当時の史料とつき合わせて解読を試みた。
■「1945」メモ
記述は敗戦翌日から始まる。ソ連が対日参戦し、8月9日に旧満州に侵攻すると、石井氏は東京から駆けつけた司令官に、一切の証拠物件を雲散霧消させるよう命令を受けた。ノートには〈新京(現長春)に軍司令官当地訪問/徹底的爆破焼却、且、徹底防諜を決定す〉と記されている。
しかし石井氏らは大量の病理標本や浄水機などの機械類、ワクチンなどを持ち帰った。ノートには〈抽出持込〉〈搬出積込〉と記され、命令を受けた直後から資料を持ち出す作業に取りかかったことになる。
石井氏の帰国経路をうかがわせる記述もある。8月16日、〈新京 停車場貴賓室に徹夜〉。そこから釜山に到着し、貨物船を手配。〈26/8 医務局〉とあり、8月下旬に東京に戻り、26日に陸軍省医務局を訪れたようだ。
■「1946」メモ
石井氏が自宅蟄居(ちっきょ)中に書いたとみられる。
〈連合国20/11招待時の買出し一覧表〉と記され、GHQ詰めの米国人将校の名前がある。青木さんは「石井が45年11月20日に将校6人を自宅に招き会食したと考えればつじつまが合う」と語る。
会食時の米軍将校らの会話の内容とみられる個所もある。〈ミスター・イシイを知っているか まだ満州にいて帰らぬ〉などとある。「GHQの一握りの幹部は45年秋から石井の所在を知っており、会食にまで応じながら、尋問のため石井を探し回っていたGHQの調査担当者には隠していたのではないか」と青木さんは推測する。
http://www.asahi.com/national/update/0804/TKY200508030366.html?ref=toolbar2
asahi.com: 731部隊長名のノート発見 元側近宅から2冊 – 社会
関連資料なのでここにコピペしておきます。
金貨を40,00,01,02,03、10,11,12,13,20,21,22,23 とする。
(a-1)10位4つと20位4つを比べ、前者が軽いとする。
(b)00位他5つと、10,11,20,21,22を比べる。
後者が重かったら、20と21を比べ重い方が偽。イコールなら22が偽。
後者が軽かったら、10と11を比べ軽い方が偽。
イコールなら、12+23と例えば00+01を比べる。
前者が軽かったら、12が偽。
前者が重かったら、23が偽。
イコールなら、13が偽。(軽い)
(a-2)10位4つと20位4つを比べ、イコールの場合。(8つは正)
b)00+01と02+10(例えば)を比べる。
イコールなら03と10を比べる。
イコールなら40が偽。そうでないなら03が偽。
前者が軽いとき、00+02と例えば10+11を比べる。
前者が軽ければ、00が偽、軽。
前者が重ければ、02が偽、重。
イコールなら、01が偽、軽。
(以上)あっているかな?
サイパンで神と人とが入れ替わる
吉田茂松
朝日川柳 6/30より。
天皇の人間宣言のことを言っている。なぜ人間宣言が出てくるかというと、日本はただの戦争をしていたわけではない。日本は神国であるという絶対にゆるがせに出来ぬイデオロギーがあり、従って降伏や投降はありえないという強固な建前があった。民間人がなぜ大量に死ななければならなかったのかといえば、神=天皇に背くことである投降はあってはならないことだとされたからである。死者の時間は動かない。したがって、彼らは、神の前で崖から飛び降りた、その少し後の姿で凍り付いたまま戦後60年間を過ごしたのだ、と考えられる。いま天皇が彼らの前に立つことにより彼らの凍り付いた時間はようやく少しづつ動き出すことができよう。だがいま彼らは天皇に何を言いたいだろう・・・
要するに、上で言いたかったことは、敗戦前と後において、主体(日本)は連続と不連続二つの面がある。しかるに、最近はその切断の体験を持つ人が極少数になったのをいいことに、日本=日本という同一性にのみ立脚して発想する人が殆どになった(ようでもある)。日本は悠久の昔からここにあった国ではなく、敗戦によって新たな国として生まれ変わった(そうせざるをえなかった)国である。それを無視するのはただのふやけたナルシズムである。とわたしはいいたい。
ところで誰に対して「恥を知れ」と言っているのか。「ヒロヒト無罪」and「東条無罪」を支持している人々に対して、である。
(マッコイさんあてに書き始めた文章ですが、途中からそうではなくなっています。すみません。)
ライス国務長官
「我々の責務は明確だ。我々は、自由の格差の中で正しい側に生きる者として、不幸にも誤った側に生まれた人々を救う義務を負う。」
この発言はむかつきますね。
自由な国と自由を欠いた国の格差に対し、幸せな余力のある国とそうでない国というのならまだわかるけど、正しい/誤ったというのはどうなんだ。自由を欠いた国を支えている国民の責任という発想か。イラク国民はフセインの時以上に不幸になっているというのが事実だと私は思うが。アメリカや日本の国民も十年前より経済的格差拡大し、自由を失っているというのが事実だと私は思う。
例えばですが、かつてひとびとは軍国主義イデオロギーに突き動かされていた、とかいったことです。そしてそのアイロニーは実質的正義によって動機付けられるとします。
その場合、戦意高揚を煽る新聞を毎日みながら、頭に日の丸のハチマキをして工場動員されたひとたち、日の丸をふって兵隊を送り出したひとたち、あるいは戦争の早期終結と被害の最小化という経済的合理性を信じて日本に空襲を行った兵士の価値観についてどう考えるべきでしょうか。これは野原さんの問題意識ともつながると思います。
この問題に答えていなかった(ですね?)
愛国心という扇動に踊らされていた個人であっても、違法性が高ければ当然責任は追及されることになる。米軍でいえば、原爆だけでなく、大空襲も戦争犯罪だという国際的常識をうち立てる方向で考えるべきだと思います。そういう価値観が成立すれば、下っ端の一兵卒であって命令に従っただけでも、少なくとも倫理的責任は発生することになる。国際的常識(それをどう確認するかは今は問わない)の確立の前と後では、個人に対して問われる倫理の質が変わってくるという理解。もちろん倫理の基準は極めて個人的なものである場合もある。しかし、戦争責任論や今回の人権擁護法案では、国民的規模での「倫理の基準」をうち立てようとしているのだ。と一旦考えて見よう。
愛国心は否定しても、「倫理の基準」はどうだろうか? 「右からの」倫理の基準は拒否するが、「左からの」それを前提とし暗黙のうちに推し進めようとしているのではないか。
現行の憲法的秩序に深い信頼と確信を寄せ、それを不断の努力によって守っていこうとする態度はひとつの愛国心といえないでしょうか。国制(Constitution)に対する信頼。
この問題にあえて愛国心という言葉を使う必要はないのではないか。戦後憲法に普遍性を見出しそれを発展させる立場ですね。
「愛国心はそもそも悪いものにならざるをえない」としても、
「不当な差別的取扱い」や「人種等の属性を理由としてする侮辱、嫌がらせその他の不当な差別的言動」を法で禁止する事は肯定してもよいのではないか。愛国心というテーマでの議論を拡散させるつもりはないので見当違いと思われたら無視してください。(人権擁護法案読んでないし。)
(ビラをまく自由の続き)
swan_slab 『これに関連して表現の自由を制約する立法として、都道府県公安条例、破防法39条なんかが憲法問題としてしばしば論じられますね。』
# noharra 『「ビラをまく自由」を制限している都道府県公安条例があるのですか?知らないので教えてください。破防法の方は「XXを殺せ」とか書かなければ大丈夫ですよね?』
swan_slab 『道交法もそうなんですが、「ビラまき」など明確に限定してせず、例えば「交通秩序を維持すること」といった漠然とした構成要件が自治体の公安条例にはしばしば見られます。これが憲法違反(31条)ではないのかが争われることがあります。
まさに戦前の治安維持法は「安寧秩序の維持」を構成要件にして、なんでもかんでもくさいものはとっ捕まえていたわけですから、構成要件の明確性というのは重要です。』
なるほど。
漠然とした構成要件といっても、「ビラ撒き」が交通秩序を乱すことになるとは思えないのですけれどもね。
心的外傷に関する(もしくは歴史に関する)学究的立場から、冒険的なコミットをするというのなら、論説される通りの意味ある行為であるといえると思うのですが、例えばバウネットのような組織は学究の徒ではないですよね。もっと言えば、特定の政治的目的のために、救済の皮を被った奴らが、彼女達被害者を利用しているのではないか、という疑念が拭い去れないのです。そうだとすれば、被害者達は二重に被害にあっていることになる。
(botaro さん発言 id:mojimoji:20050210のコメント欄の文章の一部)
なんでそういう話になるのだろうか?
慰安婦制度は犯罪であった。東京裁判以降でそれが裁かれなかったなぜか。アメリカなどの法意識が、アジア人差別と女性差別に侵されていたから、かもしれないし、そうでないかもしれない。どちらにしても犯罪であったことを公に認めて欲しいという被害者の訴えがある。犯罪被害者からのこうした訴えは認められるべきである。慰安婦制度が犯罪であった、ことを日本の裁判所が認めなかったわけではない。(時効、除斥期間、個人補償請求権の日韓基本条約等による消滅)などを適用したまでである。
「被害者達は二重に被害にあっていることになる。」このbataroさんの問題意識は、素顔の慰安婦たちの本音に近づくことが善であるという立場に立っている。bataroさんは慰安婦の発言を聞いたのだろうか。NHKも民法も放送しないから、そして自ら図書館まで足を運ぶ労を惜しむから、おそらくbataroさんは慰安婦の発言を聞かないままでこの文章を書いているのではないのか? 1/25と2/3のnoharra日記にちょっと引用していますが。
bataroさんは自らの聞きたくない権利を行使しているだけではないのか。
従軍慰安婦とは二重の加害の被害者である。一つ目はもちろん日本軍からのものだ。二つ目は戦後現地の女性差別社会において、性奴隷にされたことは汚らわしい体験であり、その汚れの責任は彼女自身が負うべきものとみなされるという抑圧である。
彼女が体験を話すと、親戚は彼女と縁を切り、夫も受け入れたがりませんでした。彼女は夫に嘆願して同居することになりましたが、妻としてでなく女中としてでした。(ヘルテルデスさんのこと)
p183 マリア・ロサ・L・ヘンソン『ある日本軍「慰安婦」の回想』isbn:4000000691
マリアさん自身は、25歳で未亡人になってから一人で子どもを育てた。ずっと秘密にしてきた。「けれども誰にも語れない秘密はいつも心にのしかかる重荷でした。(p163)」1992年のある日、ラジオで性奴隷体験者の証言を求めているのを聞いた。
全身に衝撃を覚え、血が白くなったかのように感じました。その言葉を忘れることができません。「……恥ずかしがらないで。性的奴隷だったことは貴方の責任ではないのです。責任は日本軍にあるのです。貴方自身の権利のために立ち上がり、闘ってください……」
いくらひどい被害だったといっても、50年近く前の話である。全身に衝撃を覚えるなんて言うのは大袈裟ではないか、と傍観者的には思ってしまう。だがそうではないのだ。「誰にも語れない秘密」は誰に語られなくとも50年間彼女の心の中に生き治癒されずに傷であり続けたのだ。わたしにそれが分かるわけではないがそういうことなのだろう。何十人もの元慰安婦たちが、老いさらばえ健康に不安があるのにわざわざ海を越え東京に集まったのは、「死んでも訴えたいこと」があったからだ。
bataroさんには聞きたくない権利があるのか。他者がそこにやってきた以上、声を聞いてやるのがひとの道なのではないのか。
「特定の政治的目的のために、救済の皮を被った奴らが、彼女達被害者を利用しているのではないか、」支援者には少しずつ違ったそれぞれの思惑がある。この場合各国の支援者はナショナルな枠組みから規制を受ける。だが、
支援者は被害者の救済を目的としている大枠で一致できた。
「特定の政治的目的」とは一体なんだろう。bataroさんは「天皇有罪」という判決が気に入らないのか。「天皇有罪」とは1945年までの天皇に関わり、わたしたちが親愛しなければならないのは1945年以降の天皇なのだから、わたしは別に有罪でも構わないと割り切れる。だがそうは思えない人もいるだろう。だがそれはそう感じる人が「特定の政治的目的」に立っているということなのだ。
聞きたくない権利を主張することは、サバルタンが関わる問題については、サバルタンはサバルタンのままでおれ!と既成の権力構造の側に立って、問題はないと言うことである。あるいは発言しないことによっても同じ効果を得られる。
バウネットが彼女たち自身の真実のために慰安婦に加担したことを、私は支持したい。
http://www.geocities.jp/riverbendblog/index.html
リバーベンドさんのブログについては、id:noharra:20040409 id:noharra:20040504でも引用した。2003年8月から始まり、11/29分まで翻訳されている。7月には400頁以上もある本が東京で出版されている。isbn:4901006754 C0031 図書館にあったので借りてみた。
などなどはイラク人にとっていまさら確認するまでもない当たり前のことである。イラク人の生活に関わる情勢は、ブログが始まった去年8月から考えても悪化するばかりである。それを是正できない原因の一つは、「イラクは遅れた国であり、それを是正するためには悪を摘出し排除しなければならない」というアメリカが持つオリエンタリズムにある。リバーベンドが1年半努力してもその簡単なことが日本の大衆にはなかなか伝わらない。日本人は名誉白人だと思いたいのだろう。その地位がおびやかされているからこそ中国人差別が必要になる。
で、同じ問題がどう表れるかだが、強調したいことがもう一つある。
2003年8月28日の記事による。
バグダード東南端の新ディアール橋の再建費用の見積もりの要求があるイラク人技術者(リバーベンドのいとこ)にきた。「いとこは、部下を集め、その橋の破壊状況を調査し、被害はそれほど大規模ではないものの費用がかかると結論を出した。いとこたちは、必要なテストと分析を行い(土壌構造と水深、伸縮継ぎ目と桁といったことがら)、金額を算出して、概算見積として提出した___30万ドルだった。これには、企画設計費用、原材料(イラクでは実に安い)、人件費、下請け費用、旅費などが含まれていた。」彼の会社は優秀で、17年以上も橋建設に関わっており、第一次湾岸戦争で破壊された133の橋のうち20を再建した。
「1週間後、新ディアール橋の契約は、あるアメリカの会社にいった。よく聞いて!この当の会社は、橋再建費用を約5千万ドル(!!)と見積もったのである。」
イラクの復興を目的に掲げながら、イラク人に仕事を与えようとしない。Halliburton(勝手に変換されたがこれであっているのか)に類する企業に過大な利益を与えることには寛容である。このような経済運営もイラクの復興にマイナスの影響を与え続けているだろう。1年半も前のことを取り上げるのは、同質の問題が現在も継続しているだろうと思えるからだ。
(タイトルを、あるおとなり日記よりお借りしました。ありがとう。)