沖縄戦の名誉毀損裁判は、やたら大勢の弁護士がついて、つくる会(自由主義史観研究会)と日本会議の組織あげての取り組みのようです。
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/1/
自由主義史観研究会が取り組む当面の三つのテーマ
★全国大会★沖縄集団自決★教科書採択
代表 藤岡信勝
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html
自由主義史観研究会
歴史論争最前線
大江、デリダ、幽霊
大江の「あまりにも巨きい罪の巨塊」というフレーズはなんといってもデリダの「幽霊・亡霊」を思わせる。
えーと、id:noharra:20050122#p1 で次のようなデリダ論の一節を引用した。
また、亡霊は現れるだけではなく、つねに何かを語り出すものでもある。
(略)あるいは、ナチの強制収容所というおよそ証言不可能な場所から生き残った人が、長くまもっていた沈黙を破って語り出す言葉のことを考えてもよいだろう。だがこうした言葉は客観的な出来事の証言であるばかりではなく、さまざまに矛盾し、時間的に混乱したものとしても現れてくる。彼らの経験した出来事が、およそ単純に現前するようなものではなかったからである。デリダに言わせれば、こうした発言を受け止めることが亡霊の声に応えることである。亡霊の命令や約束は、つねに自己分裂・自己矛盾しながら容赦なくつきつけられる命令や約束なのである。(廣瀬)
p119『デリダ』林好雄・廣瀬浩司 講談社選書メチエ isbn:4062582597
「ナチの強制収容所というおよそ証言不可能な場所から生き残った人が、(略)語り出す言葉」というものと、「渡嘉敷島、座間味島、サイパン島その他=およそ証言不可能な場所から生き残った人が、(略)語り出す言葉」の両者。それぞれにおける体験の語り難さとそれでも語り出される言葉たちという<ねじれ>を孕む矛盾の空間に、共通性があると考えてもよいだろう。彼らの体験は決して事実をありのままに報告する(再現前する)ことができるようなものではなかった。言葉と人間が成立しているエピステーメーからの逸脱としてその<体験>はあったのだ。
「創造」を支えているもうひとりの中心人物たる高校教師は、なおも直戴に、それを聞く本土の人間の胸のうちに血と泥にまみれた手をつっこんでくるような事実をすなわち一九三五年生れのかれが身をよせていた慶良間列島の渡嘉敷島でおこなわれた集団自殺を語った。本土からの軍人によって強制された、この集団自殺の現場で、祖父と共にひそんでいたひとりの幼児が、隣あった防空壕で、子供の胸を踏みつけ、凶器を、すぐにもかれ自身の自殺のためのそれとなる兇器をふるうひとりの父親を見てしまい、祖父とともに山に逃げこむ。 大江健三郎(「沖縄ノート」168頁)」
大江は本土から来た観察者であるが、彼の文章もわざとのように解読しにくい。「ひとりの幼児が、ひとりの父親を見た」と彼は書いている。この「ひとりの父親」というフレーズは、日本語としてもフランス語としても*1おかしい。父親は「彼の父親」であるならそのようにあるいは形容詞抜きの「父親」と書かれるべきである。「ひとりの父親」と書かれるのは「彼の父親」ではない場合、とふつうは考えられる。だがこの「父親」は「すぐにもかれ自身の自殺のためのそれとなる兇器をふるう」というフレーズにも限定されている。彼自身の父親である可能性も高い。この修辞的混乱の根拠は、「最も愛する者を」「早く楽にしてやる」という条理が持つ、「早く楽にしてやる」=「最も残酷な方法で殺す」という不条理である。ここで大江は悪文家であることで文学者である。
この記事を意見書の中に抜粋している金城証人は18歳の兄と二人で、母と小学校4年生の妹と6歳の弟に手を掛け(途中ではぐれた父も絶命)た体験者として、こう記している。《死の異常性と混乱の中にも、愛する者弱い者の命から先に断っていくといった、一つの筋道みたいなものがあったように思う。従って我先に死に赴く非人情な男性は一人もいなかったのである。非人間性の中のヒューマンなもの、とでも言えるのだろうか。しかし凡ては狂気の沙汰でしかなかったのである。
絶対的な犠牲者、それは抗議することさえできない犠牲者です。人はそれを犠牲者として同定することすらできません。それは、自己をそれとして提示=現前化することさえできないのです。(略)
全歴史が諸力の抗争の場であり、そこで問題なのは、読みとれなくすること、排除すること、排除しつつ措定すること、排除しつつ支配的な力を押しつけること、つまりただ単に犠牲者たちを周縁に追いやり、のけ者にするだけでなく、犠牲者たちのいかなる痕跡も残らないようにし、彼(女)らが犠牲者であるという事実を人が証言することさえできなくし、あるいは犠牲者たちがそのことをみずから証言することさえできなくすることなのです。
デリダ「パサージュ」*2
「小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。」このような文は確かにありコピー可能だった。でもそれはおよそ信じべからざるものであり、「自己をそれとして提示=現前化すること」に成功することなく消えてゆく。
わたしたちは忘れている。あるいは少し(かなり)ズレた形のイメージを与えられて犠牲者たちから遠ざけられている。わたしたちの国家は「彼(女)らが犠牲者であるという事実を自身で証言することをできなく」する。他でもない彼らに金を与えることにより。この点で従軍慰安婦問題と強制「自決」問題は同じ形を描いている。犠牲者たちは自らが“ないもの”とされていることに抗議しているのに、それを補償金の問題にすり替え、そして金が欲しかったらやる、その代わり黙れ!といった金の出し方をしようとする。補償金という責任を認めての金の出し方ではなく、責任を認めない形での金の出し方をなんとかして考案する。そしてそれに成功すると次に、犠牲の情景を大きく歪めるために「A=加害者」であるという認定は名誉毀損だという裁判を起こしてくる。デリダが言うように証言の言葉とは「だがこうした言葉は客観的な出来事の証言であるばかりではなく、さまざまに矛盾し、時間的に混乱したものとしても現れてくる。彼らの経験した出来事が、およそ単純に現前するようなものではなかったからである。」というものなので、「A=加害者である」という文章を法的に成立させることに幾分かの困難があることは事実なのだ。60年後の私たちにとって、Aという固有名には意味がない。したがって「犠牲者たちのいかなる痕跡も残らないように」という「死を知らず、死について語られることを欲しない」「絶対悪」が裁判を起こしているといっても言い過ぎではないだろう。
幽霊について、いやそれどころか、幽霊に対して、幽霊とともに、語らなければならないのだ。あらゆる生ける現在を超えて、(デリダ)*3
沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生
「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきりと形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。
生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかってなぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、
かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。 大江健三郎(「沖縄ノート」69、70頁)」
60年後の今日も沖縄は圧倒的な米軍基地と共に存在しており、本土はそうではない。沖縄の民衆/本土の民衆(日本人)という対比は存在する。
しかしながら、「血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきりと形をと」ったものが、そうした対比が尖鋭化したものだという大江の理解はデリダの思想とはかなり違う。
デリダはあからさまな権力関係を難解でアクロバティクなレトリックで誤魔化しているだけなのだろうか。わたしはそうは思わないのだが、さてどう説明したらよいだろう。
たぶん現在のhatenaでは大江よりデリダの方が人気があると思うが、まあそれはどちらでも良い。『沖縄ノート』とかって「クサイ」みたいな高括りというのはその当時(1970年)ころからあり、わたしなどはそうした風潮のなかにいた。しかし大江のというか沖縄の「罪の巨塊」を無視してデリダの「幽霊」についてだけ語っても無意味だと思う。どなたかコメントくだされば、それを梃子に考え続けて見たいと思う。
(無責任だな。)
2006.8.28追記
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/16661/
イザ!:「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん-話題!ニュース
新しい論点は別にない。
責任
「責任」という言葉を使いたくない、よく分からないみたいなことをこの数週間考えています。
http://kujronekob.exblog.jp/i7 評論誌「カルチャー・レヴュー」Blog版
で、黒猫氏が、仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』などを読みながら書いおられる。
ちょっとコメントしてみたのだが、(わたしの番で)応答が途切れていた。
(戦争)責任とは何か?
★しかし、所与の事実性(先験的選択)とその関係をすでに生きてしまっていることは、相続放棄するように原理的には解消できません。それは言い換えれば、所与の歴史性に如何に応答するか、如何に他者の声に耳を傾けるか、という課題(応答責任)でもあると思います。先の高橋哲哉の「恥じ入り続ける」という言い方の真意も、またその課題の表明でしょう。(黒猫)
応答責任にどう応えるか?というのは、わたしの倫理の起源であるかもしれない。がどうもよく分からない。
神はいないとする無神論を自覚的に選択した私にとって、「他者の声に耳を傾けるか、という課題」とは、神をそこに措定しようとする未練な思想的態度に見える。
★斎藤純一は次のように言います。「どのような自発的行動によっても解消しえない」のは、国家への帰属(citizenship)そのものではなく、被害者との間にあるこうした歴史的関係にほかならない。私たちを「日本人」と呼ぶとき他者が名指しているのは、私たちの生のこうした歴史的位相であり、いかに自らを「非-国民」として定義しようとも、そうした生の歴史的位相を消し去ることはできない。(同上)
「被害者との間にあるこうした歴史的関係」をいわば形而上化しようとするのは、倫理の原資を他から借りてくる態度であり良くないのではないか。
日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。わたしたちは無自覚であったとしてそこに関わっていただろう。多様な力の交錯のなかにわたしがあったのだとしても、「侵略」という大きな磁場からわたしは自由ではなかった。
それを認めるとしても、「「どのような自発的行動によっても解消しえない」のは、、被害者との間にあるこうした歴史的関係にほかならない。」という発言には問題がある。20世紀前半は帝国主義の時代であり、すべてはその中で起こった。したがって“なんらかの責任”を負うことは当然であるとして、それがどのような“責任”であるのか、誰が誰に問うているのかといった点を細かく問うていかなければならない。
日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。歴史的に成立していた磁場の中で抑圧関係に棹さしてわたしが生きていたとしても、ひとりのわたしが被害者との間にすでに歴史的関係を成立させていたと言えるのか。日本人が加害者であり中国人が被害者なのか。大ざっぱに言えばそう言っても良いだろうが、厳密にはなるべく言わない方がよいと思う。
磁場がある以上、存在の受けていた内圧の違い“なんらかの責任”は認めても良いが、そのとき「日本人の責任」というフレーズを成立させることは強力過ぎるのでなるべくやめた方が良い。
この意味で、「「国民」という抽象的な集合体がまとまって罪を負っているかのような語り方をすれば、国民を構成する各個人がそれぞれ異なった仕方で、異なった重さで負っているはずの罪の具体的な中身がかえって曖昧なものになってしまう。各個人が、自分の罪について主体的に考えるべきだ[1]」というヤスパースの意見に賛成です。
「仲正昌樹は先の新書で、戦後世代に戦争責任があるのは親の遺産を相続する際に、負の遺産も一緒に相続しなければならないのと同じ理屈だと書いていますが、不適切な比喩だと思います。」そうでしょうか、財産と同時に債務も放棄することは認めても良いような。国籍と(国語を)捨て、日本人でなく生きていくのなら、その人に責任があると立論する必要はないと思う。(野原)
「つまり相続放棄なら簡単に出来るが」という前提がおかしいと思う。わたしは日本語を捨てて生きることはできない。日本語を捨てて生きるとまで決意した人間に対して、なおかつ何を何語で語りかけるのか? そしてその効果は何か。
例えば不作為によって生じる「不正義」は、それによって損害や不利益を被った者によってはじめてそこに「不正義」があることが能動的に問れ、その問いかけに応じることが「応答責任」です。
あらかじめの「正義=法」によって、「責任がある/ない」」ことを限定する正義感(観)よりも、不正義感のほうがより根源的に<正義>を問いただしていると思います。(黒猫)
と言われるのであれば、この不正義感は斎藤より仲正に近いのではないか?
以上、私的メモであり応答になっていないが、とりあえずUPしておく。
すみませんが
9/4に、なんと古事記について小さな発表をしなければいけないのに、準備が全くできてない。
というわけで、、
黒猫さん 及び amoさん 応答 しばらく休止することになると思います。
集合体の罪という発想 のメリット
集合体の、多数個人各々が、
みんながやっていることを、自分もやって何が悪い、という
集団心理、責任を擦り付け合えると思うことによって、
個人一人であればできなかったようなひどい事をやってしまった場合には、
その責任は、集合体が背負う事によって
集団心理の責任の擦り付け合いをしても、
やはり、結局は代償は払わなければならないものになるという
罪をなす事のリスクが、確定するのだと思う。
自分が、腹を切って自決してお詫びして、居なくなって(逃げて)しまっても
自分達の子孫に罪が受け継がれると思ったら
そういうひどい事は、あらかじめ、しないようにしようと思う理由のひとつになると思う。
∵◇◆blog d’amo◆◇∵
******mi sento come fossi 線香花火*****
=集合体に、その時点と、それ以降に加わる個人は全てその罪を背負っている
かもしれないしそうじゃないかもしれないし、責任の所在も、特定しようとすれば
もにゃもにゃしているが、確実に重たい。
=だから、せめて、この重たいものをそれ以上増やすのはやめないか、と。
罪が集合体というひとつの存在によって
繰り返されているものと考えて、
痛い思いをしながらなお繰り返しているという
その愚かさを認識する (同上)
太初に日神があって、
イザナキ、イザナミが国生みをしたのは天神の命を受けてであるという要素は、古事記と日本書紀の一書一に出てくる。
これは新しい追加要素だと思う人もいるかも知れない。けれども、このような要素は沖縄の創造型神話にもあるのだ。
p75 大林太良『日本神話の起源』徳間文庫 1990年
オモロ「昔始めからのふし」に、次のような話があるという。
太初に日神があって、伏して下界を見ると、島のようなものがあったので、アマミキヨ、シネリキヨの二神に詔して、これを治めしめることにした。二神は天降って数々の島をつくり、日神はさらに詔して、そこに天つ民をつくらずに国つ民をつくらせた。(同上)
次に、新井白石は次のようなアイヌ神話を記録している、ということのようだ。
蝦夷島の世のはじめに、老夫婦が来たり住み、食物が乏しいので苦しんでいた。夢に神が現れ、二人に、これをもって海をかきさぐって食物を獲よと教えた。目が覚めて、かたわらをみると、舟のかいがあった。教えに従って、それで海をさぐると、白く泡立つ下から魚がかずかず浮かび出たので、捕らえて食物としたのが始まりで、今の世までその魚が主な食料となった。ニシンがそれである。老夫婦の子孫がふえて、今日のエゾが島の人々になり、二人はその住んでいた江刺の地に神としてまつられ、老夫を恵比須といい、老婦を姥の神という。
(p76 同上)
アイヌ神話とはいっても、これは日本から入ったものだろう。「日本のオノゴロジマ神話の異伝あるいは派生物とみられる。というのが大林さんの見解。生活苦のリアルさみたいな話になっているのは作られた時代が新しいからだろうか、興味深い。
於是天神諸命以(天神の命を以て)
二神が 立天浮橋而 指下其沼矛以畫者 鹽許袁呂許袁呂迩畫鳴而 引上時、 自其矛末垂落之鹽累積 成嶋。是淤能碁呂嶋。
つまり、この三つの話においてはいずれも、「天神」とそれに命じられる神との関係は存在する。だが「海をかき回して」「島を作る」の、前半だけはアイヌにあるが、後半は古事記にしかない、ということになります。
クラミツハとかクラオカミ(9/4追加)
に興味を持っている人がいた!(別のおとなり日記)
78.於尿成神名 彌都波能賣神(みつはのめ) 水の霊 罔象女(罔象は中国の水の精)
「水(み)つ早(は)」の意か?
90.闇淤加美神 クラオカミ 「オカミは蛇身で、下級の水の神、主に沼や淵や泉などに棲む。 クラは幽谷。(西郷)」
91.闇御津羽神 クラミツハ 男神クラオカミと対の女神
参考:http://www.h4.dion.ne.jp/~sa-ya/html/mukashi/shinnmei/shinnmei-3.html 記憶の森~昔が原~神名釈義3
もっとも、ワタツミ、オカミ、ミツハ、それにミツチ等、水の霊たちの性格、分掌の連関がどうなっているかは、よく分からない。というよりそれは一種雑然たる併存えあったように見える。(略)
ここに*1水の神が出てくるのは唐突のように見えて、そうではない。蛇体もまた剣や雷電などと同じ範疇の神話的映像であったからだ。
p223 西郷信綱『古事記註釈・1』isbn4-480-08911-X
*1:カグツチ神を斬った血からタケミカズチ(雷電の神)などが成るシーン
わが岡のオカミ
103 わが里に大雪降れり 大原の古りにし里に落らまくは後
天武天皇
104 わが岡のおかみに言ひて落らしめし 雪の摧(クダ)けし 其処に散りけむ
藤原五百重娘
万葉集です。
天武が 大雪が降ったぞ!と自慢すると、藤原の夫人はまたうちの岡の雨龍に降らせた雪がそこまで散っていったのでしょう、と子どものように言い返すという歌、折口によれば。