上のアーティクルのタイトルは「モヒカン族的には」だったけれども、必ずしも適当ではないので、訂正する。
(7/25 朝7時)
上のアーティクルのタイトルは「モヒカン族的には」だったけれども、必ずしも適当ではないので、訂正する。
(7/25 朝7時)
http://mohican.g.hatena.ne.jp/essa/20050711/p2
との要約。なるほど。
蝉が鳴いている。窓から見ているとさきほどからあるおじいちゃんが一人で虫取り網をかかげて蝉を狙っている。慣れないせいか上手くいかないようだ。日本は平和である。
イラクには派兵しているのだから、国内が平和なだけかもしれない。戦争中だって子どもは虫取りくらいしただろう。60年前の8.15に終わったとされる「戦争」。陛下の大御心のままに戦争は終わった。そこで悪とされたものは「戦争」である。
皇軍が行った大虐殺も、日本への原爆、大空襲もその犯罪性を個別に明らかにしていく努力は弱かった。「戦争だったからしかたなかった」という諦めと自己への(あいまいな)許し。それを支えたのが憲法9条だった。
ところが憲法9条を廃棄するという。普通の国に成るための努力を何一つしてこなかったのに、笑止である。
わたしは下記の文章を引用したいと思ったのだ。わたしはほんの少しの活字を通して「大トア戦争(アジア太平洋戦争)」の体験談を読んだりした。ネット右翼の人たちはそうした体験談を読まないかそれとも読んでも無視して、自分の観念のなかの薄っぺらな戦争観だけで語り続けるのだろう。無惨である。
http://www.geocities.jp/sato1922jp/tyugoku.htm#rappu
拉 夫(らっぷ)
須賀川市 S
野戦で兵隊が毎日持ち運ぶものは、兵器の外に食料品、調味料、医薬品、アゴを出した兵の装具などで各人が持つ量は莫大なものだ。
行軍中、小休止の時に腰を下ろすと出発の時には誰かに起こして貰はなくては立てない程の重さである。
そこで現地人を強制徴発して物を運ばせることになる。彼等には賃金は勿論生命の保証も与えられていない。これが拉夫(らっぷ)と言われる苦力である。
綺麗な小川があって故郷を思わせる谷底に一つの町が有った。この町を占領するには大分苦戦をしたそうだ。この小川をしばらく遡って行くと小高い所に部落があって我々はここに宿営した。この辺は既に警備地区になっていて戦場ではないから無茶な真似をすると憲兵に捕まるが、通過部隊はその場かぎりなので兎角出鱈目をやる。
途中からひっぱって来た牛を殺して皆でたらふく食べて一夜を明かしたが、いざ出発になるとどうも荷物が多過ぎる。牛は食ってしまったので積むわけには行かない。
兵は毎日の行軍でアゴを出しているから余計なものは紙一枚だって持てない。ぎりぎりのところまで持っているのだからどうしょうもない。あの頃は10日分位の食料を持っていたと思う。
野戦馴れしているヒゲ軍曹が何処かに出かけて、天秤に野菜を一杯担いだニーコ(中国人)を二人連れて来た。野菜を買ってやるからと騙して町から連れて来たのだそうだ。彼等が喜んでついて来たのが運のつきで、野菜も籠もおまけに自分迄徴発されてしまった。泣きわめく彼等に有無を言わせず、いろんな荷物を天秤に担がせて出発した。
実直な農夫で今日一日仕事をするから明日は帰してくれとヒゲ軍曹に哀願する。軍曹は馴れたもので、「好好、明天回去(よしよし明日帰す)」とか何とか誤魔化してしまう。
なんとこれが道県の町に着く迄、十何日も重い荷を運ばされてしまったのだ。
(略)
彼等の名前なんか誰も呼ばず、一様にクリー(苦力)と呼ぶ。夜は逃げられないように部屋に閉じ込め、便所に行くにも銃剣を突きつけて監視する。
行軍中は天秤と首を細引で繋いでおく。強行軍について歩けないと殴られる。
歳をとっている私ら補充兵は割合苦力をいたわった。それで私らはすぐ苦力と仲良しになってしまった。
古参兵は随分と残虐な真似をする。これについては書かないことにする。
兵は夜寝るのに毛布や天幕、雨外套などがあって服装もちゃんとしているので良いが、苦力は野菜売りに出たままの姿だから、寒くてたまらないようだ。不寝番に立って彼等の寝ている所に行ったら、海老のように曲がって、ふたり身体を寄せ合ってガタガタ震えていた。
(後略)
日本軍は8年間も中国大陸で何をしていたのか。糧秣の現地補給というが、たった一匹の牛を失うことが農民にとってどういうことか、わたしよりも当時の皇軍兵士の大部分にはよく分かっただろう。ネット右翼の皆さんも「自衛戦争」なんて無惨なことを言わずによく考えてもらいたい。
先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/24iti002.htm
Sankei Web 産経朝刊 沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損(07/24 05:00)
米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
沖縄戦の集団自決をめぐっては、
昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。
疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。
座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。
その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。
やれやれというしかない。裁判の論点はどうあれ、わたしたち市民~国民にとっての論点は、「国軍が市民(国民)を守る」という建前が崩れたかどうか?である。「国軍が村の上層部などと一体になって働きかけることにより、たくさんの市民の自決が行われた」ことはどうあがいても動かせないはずだ。
参考:林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」
http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper11.htm
それより彼らの目的は何なのかね。ふやけたナルシズムを蔓延させても亡国につながるだけでしょうが。
牛島中将は立派な方だったそうだ。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050724/1122165671
国家の味方をする者は、民衆に敵対する。
でもそれってわたしのようなアナキストの国家観なんですけどねえ~。
崖
石垣りん
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火やら男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
(「表札など」『石垣りん詩集』ハルキ文庫p89)
7/24コメント欄より
(削除)
noharra 『突然のTB失礼しました。
野原は「戦争を美化するな。」、という主張はしていません。
(1)「しかし自虐一色に染まる」とはどういうことでしょうか?わたしが参照先として示した、林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm の記述は「自虐的なもの」なのでしょうか?
(2)「同じ轍を踏むと思ってます。」
同じ轍はすでに踏んでいるのでは。イラクに復興支援のために自衛隊を出したが、現在のイラクは内戦状態で復興支援ができる状態ではない。ある条件のもとに出兵したが、事態がその条件に反すようになったのに兵を返せない。これは「支那事変」の泥沼化において見られたのと同じ事態です。
(3)
戦争をもう一度したいのだったら、今度は「南京大虐殺」と「沖縄における住民虐殺(あるいは虐殺への示唆)」みたいなことは一切しません、との強い信頼感を国民に与えることが必要でしょう。
「歴史は繋がってます。そこには戦争をせざるを得ない考えに至った理由があります。そこの部分をないがしろにして「悪行だから反対」と切り捨てていては」
「戦争をせざるを得ない」という主張をあなたがしているという前提で聞いているのです。「大虐殺」及び「住民虐殺(あるいは虐殺への示唆)」も「せざるを得なかった」ものだとあなたは主張しているのですね? と。』 (2005/07/26 07:31)
***基本は戦争反対なんです***
、なるほどあなたは善意な方なのでしょう。
で、皇軍兵士が住民に手榴弾を渡し、自決を強要、もしくは示唆した多くの事例について、それは個々の兵士のやったこと。皇軍に責任はなかったと主張するのですか?
(gkmondさん 突然の引用失礼します。gkmondさんはネット右翼とは思っていません。)
つまりは「鬼畜米英」に対するイメージが固まっていた沖縄住人たちが、自棄を起こして集団自殺に及び、
そういうものの言い方はないんじゃないかな。当時の日本軍は「生きて俘虜の辱めを受けず」という命令を住民に強制しようとしていた。自決した住民たち(女性子ども老人が多い)は被害者であり、皇軍は加害者である。
軍人は「命令を出さなかった」と主張しているようだが、仮にそうであるとして彼らの存在が被害者を作ったという因果関係は明らかにある。
参考:林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm
語り継がれなければならなかったのは、戦争の悲惨さだけじゃなくて、間違った情報の生む悲劇までも含まれたはずだろう。戦意高揚のための情報操作が助かる道を考えられなくした結果が、集団自殺なのだとしたら、それを隠せばまた同じ事が繰り返されるかもしれない。
(略)
戦後、日本は一貫して平和教育というものを行ってきた。戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫んできた。だが間違ったデータで築かれた主義は結局破綻する。
「戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫ぶこと」によって、ヒロヒトや東条以下沢山の人々の具体的戦争責任を追及せず免罪することをわたしたちは行ってきたのではないですか。
「間違ったデータ」とは結局のところ何でしょうか。ぶっちゃけたところ、「軍隊は国民を守るためにあるというがそれは嘘だ」、と多くの人が感じたことが、戦後平和主義の基礎だった。「戦後という呪縛からの解放めいたあれこれ」のどこに解放感を感じるのでしょうか。
gkmondさんの「言論統制」という本の感想は偏見のない良い文章だと思いました。
大東亜共栄圏という理想と、大陸へ進出していった日本人の横暴の両方が記録されているところは、実は読み落としてはいけない部分だろう。難しいことにウソの反対は本当ではない。
言説というものはどうしても目の前にあるウソを否定しようとする傾向から、完全に自由になることはできない。だからといって、右の反対は左、左の反対は右と裏返ってばかりではしかたない。
「沖縄戦の悲惨」という事実をできるだけ過小評価したいという勢力に少しでも大義があるのかね。
日本は独立国として自衛の気概と国軍建設への自覚を持つべきだ、という意見は良いだろう(わたしは賛成じゃないが)。そのために必要なことは沖縄戦の事実を歪めることではないはずだ。再び同じようなシチュエーションに置かれたとしても数万人の住民を死に追いやることのないようにするにはどうしたらよいかという痛切な反省が必要だろう。「生きて俘虜の辱めを受けず!」という戦陣訓をまず否定しない人は、どうかしているとしか思えない。