甘耀明(カンヤオミン)『鬼殺し』上・下を推す

甘耀明(カンヤオミン)の『鬼殺し』上・下、図書館で何気なく手に取った本。大傑作だ。莫言に絶賛されたが、将来のノーベル賞級の才能だと思う。白水紀子訳 白水社 2016年翻訳刊行。

甘耀明は1972年(戦後27年)生の客家系台湾人だ。苗栗県出身。地図で見ると、台北と台中の間は北から桃園市、新竹市、苗栗県となる。苗栗県には雪覇国家公園という広大な国立公園があり、東側の太魯閣国家公園とほぼ隣り合っている。甘は苗栗(ミャオリ)県獅潭(シータン)郷の、先住民族(タイヤル族など)の部落に近接する縦谷の客家の山村で6歳まで過ごした。タイヤル族や彼らの神話・伝説は作中でおおきな比重を占める。

「人殺しの鉄の怪物が蕃界(原住民が住む場所)の関牛窩(グアンニュボー)にやってきた。」という文章からこの小説は始まる。小学生だが荒唐無稽なまでに強い客家の少年帕(Pa)はその前に立ちはだかろうとする。「汽車は実に壮観で、先頭には黒檀に描かれた花輪がかかり、花輪の中に「八紘一宇」の四文字が書かれていた」
帕(Pa)は車体に貼ってあった「皇軍は米国を奇襲、真珠湾を轟沈した」という新聞記事を見て、おもわず雄叫びをあげてしまう。
日本軍鬼中佐は、汽車から降り立ち、「銀色に光る軍刀を抜き、集まった村人に向かって言う。「新しい時代が、本日からはじまる。お前たちは手足を動かして天皇陛下にお仕えせねばならぬ。どんな犠牲も惜しまず、あの山を平らにせよ。」
鬼中佐は公学校の校舎を練兵場に変える。公学校は恩主公廟に移される。今までの村人の精神的中心恩主公(関帝、つまり関羽)の神像は燃やされることになる。
柴を加え油をまいて火をつけても、恩主公像は真っ黒になりながらも生きのこる。神像に宿る魂を汽車に轢きつぶさせようとするが、「恩主公はオウと声を上げ、歯をぐっと食いしばって、踏みつけられても死なない、おさえつけられてもぺしゃんこにならない、何度踏まれてもつぶれない」不滅さを見せる。

日本軍の帝国主義的暴虐を、民衆の神話・伝説にまみれた精神世界にズラシて物語っていくのが、甘耀明のマジック・リアリズムである。

鬼中佐は帕に目を付ける。
「鬼中佐は汽車を停車させ、恩主公の前まで歩いて行くと、大声で怒鳴った。「帕、出てこい」。帕は背が高いので、頭が人の群れから浮き出てきて、間もなく全身をあらわした。鬼中佐は彼に名前を名乗らせた。
「帕であります」。帕は両手を腰にあて、目を大きく見開いていたが険しくはなかった。
「それは『蕃名』だ、漢名は?」
「劉興帕です」。帕はまた付け足して言った、「名前の中には『蕃』の字が入っております」
「お前は両親から捨てられた子だ、俺がお前を養子にしてやる。今後は、お前の名は鹿野千抜だ」。
鬼中佐は言い終わると、帕に何度も「鹿野千抜」と、早くも遅くもないちょうどよい速さで復唱させた。帕はまず拳を握りしめて反抗し、それから耳をふさいだが、もう手遅れだった。その名前は頭の中でずんずん大きくなり、雷のように流れこみ、海のように浸食してきて、追い払うよりも受け入れるほうがましだった。そこで帕は口を開けて心の声を追い払い、言った。「鹿野千抜」
「鹿野千抜、来い。刀を枚いて、支那の神を斬れ」。鬼中佐は腰に帯びた刀をたたいた。帕は数歩前に進み出て、刀の柄をつかみ、鞘から枚いた。刀をさっとひと振りした瞬間、空気が裂けて傷口が見えたかと思うと、大声をあげて神像を真っ二つにたたき斬った。」

1895年日本軍が台湾を領有するために上陸した時、台湾民主国の義勇軍総統領として戦ったのが、客家人呉湯興だった。呉湯興は1895年八卦山の戦いで敗北死去するが、作中では鬼の世界の鬼王として死にきれずに存在している。かってその部下だった劉金福は、日本支配に抵抗し山奥で隠遁生活をしている。帕はその劉に育てられた孫だった。だから帕はその抵抗の意思を直系で受け継がなければならない存在だったのだが、残念ながら、皇軍の鬼中佐に、「名前を付けられる」ことで、彼の養子になってしまう。彼は「八紘一宇」の子どもになり、「一生神に呪われて生きることになった。」

少なくない数の、台湾、中国、朝鮮、その他の国の少年、青年たちを皇軍は「八紘一宇」の子どもに育て上げようとした。驚くべきことに、そして痛ましいことにそれは、半ばは成功したのだ。彼らは苦しみながらも戦い、死んでいった。戦後(光復)まで生き延びた者たちも居る。しかし、魂を昭和天皇に譲り渡した彼らには、「光復」は決してやってこない。「一生神に呪われて生きる」ことしかできないのだ。
戦後新しい国家建設のための思想を確立しなければならなかった台湾、中国人にとって、「天皇の子」を日本鬼子(にほんじん)として疎外するしかないのは、しかたないことであった。

「帕は地面にひざまずいて、心の中で自分は日本鬼子(にほんじん)ではない、自分は日本鬼子ではないと繰り返したが、しかし日本鬼子以外に、自分が何者になれるのか思いつかなかった。日本の天皇は自分の赤子をさっさと見捨て、国民政府もまた急いで日帝の遺児を門外に締め出し、彼らには荒野以外に、何一つなかった。」下p251

天皇と皇軍軍人たち、そしてその周辺の人々の変わり身の素早かったこと。一夜にして「大日本」の「大」の字は消し去られ、満州、台湾、朝鮮は日本とは無関係の土地となった。占領していただけだ。日本軍に協力した奴らは、民族の魂を売り渡した、売国奴だ。国民党、共産党の側からそう言われるのは分かるが、天皇の側はどうだったか。台湾50年の歴史は一切なかったものになり、日本は太古の昔からせいぜい沖縄あたりまで、その沖縄さえ米軍様のまえに差し出しましょうということになった。
「日本鬼子以外に、自分が何者になれるのか思いつかなかった」子どもたちのことは、誰からも忘れられた。

それは必ずしも一部の台湾人だけの運命ではない。帕は台湾東部にやってくる敵と戦う為に、中央山脈を越えようとする。しかしそこで聖なる山の「引力」にとらわれ、ぐるぐる回るばかりで山から抜け出せないという呪いに掛かる。ここの描写には、ニューギニア島の山地を数年間さまよった日本兵たちへの哀悼が込められていると読める。「大東亜戦争」の巨大な〈夢〉に囚われ、「戦後」に帰還できなかった日本兵も沢山いた。彼らの魂の底をさらえようとした文学が、日本にあっただろうか。(レイテ戦記は巨大な達成だがクールすぎる。)

戦後左翼の偏向・浅薄さを声高に叫ぶ人たちは、時に「八紘一宇」を口にする。しかし彼らは「八紘一宇」の真実をかけらもしらないのに、安手の愛国言説と戯れているだけだ。わたしたちが乗り越えることができなかった「大東亜戦争」を知るためにも、この小説は日本人に読まれるべきだ。

偽装である世界を破壊する

 ハイデガー『存在と時間』にはたくさんの翻訳があり、どれを読めばよいのか迷う人も多いだろう。参考のために、第1篇第4章27節 日常的な自己存在と〈世人(ひと)〉 のごく一部を掲げて、対照してみよう。(傍点およびふりがなは基本的に無視した。)

中山元訳(光文社古典新訳文庫・3 2017年7月刊)。

360 世界の隠蔽と露呈 (この小見出しは中山訳だけにある) の一部
 日常的な現存在の自己は、世人自己(マン・ゼルプスト)であり、わたしたちはこれを本来的な自己、すなわち固有につかみとられた自己と区別しておこう。
世人自己として存在しているそれぞれの現存在は、世人のうちで放心しているので、ことさらにみずからをみつける必要がある。
この〈放心〉は、すでにわたしたちが身近に出会う世界のうちに、配慮的な気遣いをしながら没頭することとして捉えた存在様式のうちにある「主体」の特徴である。

 現存在が世人自己としての自分自身に親しんでいるならば、それは世人によって世界と世界内存在のごく身近な解釈がすでに素描されていることを意味する。
世人自己は、現存在が日常的に〈そのための目的〉として存在しているものであり、有意義性の指示連関の構造を定めているものである。
現存在の世界は、そこで出会う存在者を、世人が親しんでいる適材適所性の全体に向けて、しかも世人の平均性によって確定された限度のうちで、〈開けわたす〉のである。

 さしあたりは、事実的な現存在は平均的に露呈された共同世界のうちに存在している。
さしあたりは、固有の自己(ゼルプスト)としての「わたし」が「存在している」のではなく、世人というありかたをした他者たちが存在しているのである。
この世人のほうから、この世人として、わたしはわたし「自身」にさしあたり「与えられて」いるのである。
さしあたり現存在は世人であり、そしてたいていはそのまま世人でありつづける。

 現存在が世界を固有なかたちで露呈させ、自分に近づけようとするならば、そして自分の本来の存在をみずからに開示しようとするならば、こうした「世界」の露呈と現存在の開示は、つねに現存在が自分を自分自身から遮断するために行っていた隠蔽や暗がりをとりのぞくことによって行われるのであり、偽装を破壊することによって行われるのである。
(中山訳・終わり)

熊野純彦訳。(岩波文庫 2 2013年6月刊)
日常的な現存在の自己は〈ひとである自己〉であり、これを私たちは本来的な自己から、つまり固有につかみとられた自己から区別する。
〈ひとである自己〉として、そのときどきの現存在は、〈ひと〉へと分散しており、じぶんをまず見出さなければならない。
この分散によって特微づけられるのは、或る存在のしかたをそなえた「主体」なのであって、その存在のしかたは、もっとも身近に出会われる世界のうちで配慮的に気づかいながら没入しているものとして知られている。

現存在が〈ひとである自己〉としてじぶん自身に親しいものだとすれば、その件が同時に意味しているのは、〈ひと〉によって、世界と世界内存在についてのもっとも身近な解釈があらかじめ素描されていることである。
〈ひとである自己〉は、現存在が日常的に存在している〈なにのゆえに〉であり、その〈ひとである自己〉によって有意義性の指示連関が分節化されているのである。
現存在の世界は、〈ひと〉が親しんでいる或る適所全体性へと向け、しかも〈ひと〉の平均的なありかたによって確定されている限界のうちで、出会われる存在者を開けわたす。

さしあたり、事実的な現存在は平均的に覆いをとって発見されている共同世界の内で存在している。さしあたり、固有の自己という意味での「私」が「存在している」のではない。
〈ひと〉という様式における他者たちが存在しているのだ。
〈ひと〉の側から、また〈ひと〉として、私は私「自身」にさしあたり「与えられて」いる。
さしあたり現存在は〈ひと〉であって、たいていは〈ひと〉でありつづける。

現存在が世界を固有なしかたで覆いをとって発見し、じぶんに近づけるとき、つまり現存在がじぶん自身にみずからの本来的な存在を開示する場合には、「世界」をそのように覆いをとって発見することと、現存在を開示することが遂行されるのは、つねに、覆いかくし、暗くするさまざまなものを取りさることとしてであり、さまざまな偽装するものを粉々に砕くこととしてである。
現存在は、そうした覆いかくすもの、暗くするもの、偽装するものによって、現存在自身に対してじぶんを遮断しているからである。

原佑訳(中央公論社・世界の名著版 昭和54年)
日常的現存在の自己は世人自己なのであって、この世人自己をわれわれは、本来的自己から、言いかえれば、ことさらつかみとられた自己から区別する。
世人自己としてはそのときどきの現存在は、世人のうちへと分散して気散じしており、おのれをまず見いださなければならない。
こうした気散じが性格づけているのは、最も身近に出会われる世界のうちに配慮的に気遣いつつ没入することとしてわれわれが識別しているような、そうした存在様式の「主体」なのである。

現存在が世人自己としてのおのれ自身にとって親しいものだとすれば、このことが同時に意味しているのは、世人が世界および世界内存在の最も身近な解釈の下図を描いているということ、このことにほかならない。
世人自身は現存在が日常的に存在しているための目的である当のものであるのだが、そうした世人自身が有意義性の指示連関を分節するのである。
現存在の世界は、世人にとって親しいものであるなんらかの適所全体性をめがけて、また、世人の平均性でもって固定されている限界のうちで、出会われる存在者を解放する。

差しあたって現事実的現存在は、平均的に暴露されている共世界の内で存在しているのである。
差しあたって「私」は、おのれに固有の自己という意味で「存在している」のではなく、世人という在り方における他者なのである。
この世人のほうから、またこの世人として、私は私「自身」に差しあたって「与えられて」いる。
差しあたって現存在は世人であり、たいてい世人であるにとどまる。

現存在が世界をことさらに暴露しておのれに近づけるときには、現存在がおのれ自身におのれの本来的な存在を開示するときには、「世界」のこうした暴露と、現存在のこうした開示とは、現存在がおのれをおのれ自身に対して遮断している隠蔽や不明確化の撤去として、偽装の破砕として、つねに遂行されるのである。

一番特徴的なのは、有名な用語である「世人(ダス・マン)」というのを、熊野が使用していないところ。〈ひと〉とさりげなく、〈 〉だけ付けて翻訳している。「世人」というのはいかにもこなれの悪い言葉なので、避けたのはよく分かるが、〈ひと〉では、意味が弱すぎるような気がする。
詳細な比較は、みなさんにお任せする。

少し前から、読み返してみると、348で言われているのはひとは、他者に対して過剰に気遣いしてしまう。そのせいで、共に生きることはかえって〈隔たり〉を生み出す。
〈隔たり〉が当たり前になるということはつまり、日常的相互存在において、他者たちの支配のもとにある、ことになる。いいかえると、「世人」の支配である。
したがって、日常的な生活のなかでの自己は、世人自己、世人という常識にひたされていわば〈放心している〉状態である。そうではなくて、ことさらにみずからをみつける必要があるのだ。ひとをなんらかの目的のために適材適所に割り当てる、そのような形での存在様式が支配的になっている。それは固有の自己としてのわたしの存在のあり方ではない。つまり世界は、奇妙な形での隠蔽と暗がりによって構成されている。こうした欺瞞を破壊することにより自分の本来の存在をみずからに開示することができる。

わたしなりにパラフレーズしてみた。自分の本来の存在、本来性、そんなものはないのだよ、と賢しらに言いつのるひとが今では圧倒的だ。でもわたしの考えではそれは決定的なことではない。わたしたちの社会は、根本的に、つまらない倒錯によって支配されていると言いうる。だからそれを破壊する、破壊しようとすることは大事だ、とそう思う。

(なお、わたしは中山元訳が一番読みやすくて良いと思う。ただし、これは2017年11月現在「3」までしか、上記で取り上げたあたりまで、全体の三分の一くらいしか、刊行されていない。終わるのは数年後なので、読み終わるためには他の人の訳も必要だ。)

ウモジャ

 南アフリカのダンスと音楽の歴史をショーアップして再現する「ウモジャ」。NHK教育で今までやっていたがすばらしかった!わりと粗野なエロティシズムもいっぱい。ウモジャは、「TOGETHERNESS」(結束とか、みんな一緒に)という意味。共同体精神の現実のすがた??

それは愛ではなく

 去年のノーベル賞受賞者J・M・クッツェーの土岐恒二訳『夷狄を待ちながら』が集英社文庫になったのでさっそく買ってみました。『夷狄を待ちながら』は大傑作です。*1みなさん本屋さんで手にとってみてください。異文明との接触を描くSFのようでもありストーリー的にも起承転結がはっきりしていて面白く読みやすい。*2

 クッツェーは1940年南アフリカ生まれの白人。この小説の舞台は架空だが、18世紀末の東ケープ地方をモデルにしているらしい。先日書いた南アフリカの歌劇「ウモジャ」と共通点はないこともない(強弁だが)。ウモジャは愛と性のドラマなのだが、恋愛ではない。黒人の部族においては愛と性は一対の男女において始まるものではない。それは、女の同年齢集団と男の同年齢集団とのコミュニケーションとして存在する。そうした時代はすぐに過ぎ去り若者たちは都会へ出てくるのだがそこにも恋愛はない。即ち女は娼婦になり、商品として媚びを売ることはあっても、一人の黒人に愛を捧げることなどできないのだ。即ちそういう風に古代以前から、急に21世紀のルンペンプロレタリアートに飛躍するそれが真実だというシビアな現実があのエロティックなエンターテイメントの骨格にはあった。一方、この本は白人男性と夷狄の女との性交あるいは疑似性交シーンがずっと出てくるのだが、最後まで男と女は愛(二人の対等性を基盤にする)の入り口にも達することができない。不可能性は客観的に存在する、そんなことはあの歌劇を見ても分かることだ。まあそうなんだがそう言ってしまえばお終いでしょう。不可能に近くてもひとはそれを追求しなければならない。(以下ネタバレ注意!)

 というか、主人公の「私」は不可能だからこそその女を抱こうとしたのかもしれない。物乞いしている夷狄の女。女は煙っぽく、不潔な衣服が異臭を放ち、魚くさい。女は被拷問者だ。

 主人公は静かな城壁に囲まれた辺境の町の民政官、帝国から唯一人派遣されている権力者だが、二十数年その職にありすっかり穏和になっている。がある日、同格の権力を持つ軍人が現れる。彼はサングラスを掛けている。彼は現実を自分の歪んだ視角からしか見ない。彼は拷問者だ。「わたしが真実を発見しなければならないような状況」においては、と彼は述べる。「最初にわたしが得るのは嘘の供述だ-じっさい、こんどのこともそうだ-まず最初に嘘がある、そこで圧力をかける、するとさらに嘘が重なられる、そこでさらに圧力を加える、と潰れる、そこでもっと圧力をかけ、それでやっと真実が得られるというわけだ。こうやってはじめて真実は得られるものなのだ。」

 主人公は女を自室に連れ込み、足を洗ってやる。色香に迷って、ではない。むしろ“罪責感をうち消す”ための方が近い。だが、彼は毎夜彼女を愛撫し続けるのだ。倫理的行為とは言い難い。彼は彼女のなかに入らない。彼は彼女をどうしたいのか、自分でも分からない。「わたしが好んで考える以上に正常な彼女は、わたしをも正常と見なす道を心得ているのかもしれぬ。*3

「厚ぼったい口、額の下縁でカットされた髪、ずんぐりした背丈の少女。(略)「さよなら」とわたしは言う。「さよなら」と女は言う。*4

この対等性を獲得するために、主人公は多くを予想もしなかったほど多くを失うことになる。だが、最初に書いたように「愛」が得られた訳ではない。

(この小説はイラク侵攻の失敗のことも思わせる。上の記事と合わせて読んでください。)

*1:isbn4-08-760452-7 12月刊行。 でこの邦題にある夷狄ですが、イテキと読む。東夷北狄の略で中国から見て未開民族をいう言葉だが死語ですよね。原題はWaiting for Barbarians で、アレクサンドリアのギリシャ詩人カヴァフィスの詩のタイトルから借りたものだ。この詩については、サイードのお葬式の時に娘さんがコンスタンティノス・カヴァフィス(1863-1933)の詩 “Waiting for the Barbarians”を朗読したと、中野真紀子さんのサイトにあり、中井久夫さんによる訳も載っています。 http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/home.html

*2:実際、この Waiting for Barbariansは1983年度のフィリップ・K・ディック記念賞候補になっていたらしい。惜しくも受賞はラッカーの『ソフトウェア』にさらわれた。ちなみに野原は『ソフトウェア』のファンでもある。

*3:同書p130

*4:同書p167