悲しみは北の果てに

 慰安婦とはなにか、定義をめぐってもたぶん異見があるのだろう。下記は慰安婦ではなくただの辺境の下級娼婦(予備軍)だろうか。とにかく(おそらく満州国ができる前)そのエリアの田舎道を歩いている若い女の群、である。

 くずれかかった島田髷をグラングランとゆすりながら、赤いおこしをまくり、ゴム長靴をはいて、しめじめした田舎道を歩く十五、六人の若い女の群がいる。

 ここ密山あたりへ来る女は、ひ子窟(ヒシカ)の女市場から売られて来たのである。あまりきれいなのがいないのは、下物だからだろう。きれいであってもゴム長じや興がさめるが--

 女共のうしろには、面構えのよろしからん男が鞭を持って、羊か豚を追うように尾いている。女共は大ぶん歩かされたとみえヒョロヒョロしている。これからもっと奥の、ソ連境へまででも連れて行って売り込むものとみえる。今夜にも売れたらその日からでも、何ともわからん男--どこの国の人間やらわからぬ男を抱かねばならぬ。「女販売人」からみれば、女というよりは女に似たけだものと思っているだろう。男を抱かせさえすればそれてお金になるのだから、女みたようなものでありさえすればいいのである。どこのだれの子か、どこの村から拾って来たのか知らぬが--

 どうせこのあたりに稼いでいる男は、女のいいも悪いもない、徳利の穴から出すものを出せばすむ

のだから--

 しかし、このあわれな女たち、これからどこへ行ってどうなるものやら。どうせ、このあたりの土となるものだろうが--それもしらずに--

 櫻井忠温の『哀しきものの記録』文芸春秋新社(昭和32年発行) p251 より。

 この女たち、わたしは日本人じゃあないと思っていた。でも良く読むとおそらく日本人だ。p203にこう書いている。

大連の北にひ子窟(ヒシカ)という海岸がある。(略)ここが内地で浚った女共を陸揚げするのである。そして女の市が立って、上物と下物とを選り分け、それぞれ相場を極めて送り出すのである。下物は大てい北満送り、あの方さえ役に立てば目っかちでもいいという程度--そんな片輪は拾っては来ないが--大連や奉天向きは特種、遼陽、四平街だのはまず上玉の方である。下物の下物は競売にかける。

「内地で浚った女共」というのは日本人ということになりますね。わたしが日本人と思わなかったのは、この七〇年以上女性であっても日本人であれば満州あたりでそんな扱いは受けないと思っていたからです。でも八〇年以上前にはこういうこともあったのでしょう。

 というかわたしがいいたかったことは、女が何国人であってもそんなことはどうでも良い。ただじめじめした田舎道を歩き続ける女たちはあわれだ、とそう思うことが大事だということです。*1

 従軍慰安婦問題は、語り得ない言葉を語り初めた彼女たちの実存によりそうように見ることはもちろん必要だが、上記のような哀れさの底、あるいは彼女たちと交わった男たちのことも直ちに断罪しない、すべてを呑みこむ歴史の巨大なはらわたの一つのエピソードとしても理解すべきだと思う。

*1:「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に餓(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ」聖徳太子以来の、日本人が大事にすべき伝統的感受性です。

一読者 『>ノーモア(敬称略)

>コメント欄は以前からありました。

>調べれば簡単に分かることを下種の勘繰りをしておいて、「急遽コメント欄を姑息にもお作りになられたのか」とは恥を知りなさい。

誠にごもっともです。

野原様、下衆の勘繰り、ご容赦ください。

ただし、初対面の人間に対しいきなり罵倒から入る失礼な方には、敬称略とさせていただきます。

私が下衆の勘繰りをした原因は、もちろん私のうっかりミスでありましょう。

ただ、そのうっかりミスを引き起こした補助的原因は、以前コメ欄なしメアドありの左翼系ブログ主に対して、捨てアドを作ってメールしたところウイルスメールのお礼参りをされたためであることは、ここに言い添えておきたいと思います。

それによって私が免罪されるとは思いませんが、左翼系の方とコメントを交わす際には常に疑心暗鬼になる私の心情は、慰安婦に同情を寄せるあなた方にはお分かりでは?

>軍が主体的に関与したことについては

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html

を読めば分かるでしょう。

以下、上記サイトの筆者の最も言いたいところだと私が感じた箇所を引用いたします。

>国家と性の関係は現実に大きく転換したが、売春=性的労働を「公序良俗」に反する

>行為、道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識、さらに慰安婦を「醜業婦」と見

>なす意識はそのまま保持され続け、そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み

>出すにいたった。慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関

>係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であった。このこと自体が、すで

>に象徴的な意味においてレイプといってよいだろう。従軍慰安婦が、同様に軍の兵站

>で将兵にサービスをおこなう職務に従事しながら、従軍看護婦とは異なる位置づけを

>与えられ、見えてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれた

>のは、このような論理と政策の結果とも言えよう。慰安所の現実がそこで働かされた

>多くの女性、なかんずく植民地・占領地の女性にとって性奴隷制度にほかならなかっ

>たのは、このような位置づけと、それをもたらした軍・警察の方針によるところが大

>きいのである。

それまでの、自称した以上は実証主義的資料研究の枠内にとどまろうと努力する言説(それでも強引な資料解釈は多いですけどね)が台無しになるこのイデオロギー満載の言説。

現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態を、いきなり奴隷制度にワープですか。

それなら日本の公安委員会や、世界各国で同様の業務をしている国家機関は皆売春業の主体ですか?そんなバカなことはありません。

>それから国連人権委員会は日韓条約時には従軍慰安婦問題は考慮されていなかったという見方をとっているという事実は押さえて置いてください。

押さえていますが、それって国際法上は極端少数説に依拠してますよね。

反日かつ自国内人権弾圧緒国家が主流派だった頃の国連人権委員会ですら最下級の評価のTake Noteの委員会報告を持ち出されても・・・

私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

>また日韓両政府は個人による請求権自体は消滅させてはいません(もちろんそれが認められるかどうかは別問題として)。

個人請求権の消滅を否定したのは、韓国政府だけだと思っていたのですが、日本政府も否定していたとは・・・

ぜひ、そのソースを教えてください。

また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

これも違うのなら、やはりソースを教えてください。

>いずれにせよ今回(アメリカでの決議を発端とした議論)は「個人に対する補償をすべき」という法的な賠償責任が問題になっているわけではないので的を外した議論だとは思いますが。

決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

これも違うのなら、そのソースを教えてください。

>ちなみにあなたは軍が主体的に関与しておきながら河野洋平という一官房長官が述べた談話だけで十分だとかそれすらも見直そうという人たちについてどうお考えでしょうか。

私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし、河野談話に批判的な人たちの多くも同じ考えでは?

前提とする理解があなた方と違うので、違う結論になるのがむしろ当然では?

理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。

それは、おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

私は、日本の戦争犯罪といわれるものだけが蒸し返されるのは、日本の対処が不十分だからではなく、単に日本は責め立てれば金を出すと思われているだけだと思います。

敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった事件は、当時の戦勝国や旧海外領土の民族の法意識では犯罪では無かったからだと思います。

ありますよね?昔は犯罪じゃないけど、今では犯罪とか人権侵害とか批判されうる行為って。非犯罪化とかその逆もありますけど。

日本の戦争犯罪はおそらく9割以上処罰されたり賠償したり謝罪しているが、連合国や戦後の中国・ロシアの戦争犯罪はほとんど処罰されていない状況で、原爆投下や民族浄化や捕虜虐待など後者の戦争犯罪の追及をするなら分かりますが、日本の戦争犯罪を追及するのは本末転倒だと思いますよ。』

ノーモア ノーモア 『>それでも強引な資料解釈は多いですけどね

ずいぶんと「上から見た物言い」ですね。そういうあなたは歴史学者か何かなのでしょうか。ではぜひどの史料の解釈がどのように間違っているのか、具体的にお答えください。でなければあなたの発言は単なる誹謗中傷です。

>また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

そもそもあなたはなぜ国家が個人が賠償請求する権利を勝手の放棄できると思えるのでしょう?まあソースを出せというなら出しますが。

平成3年8月27日参議院予算委員会での外務省の答弁です。

「いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」

>私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

「考慮されなかった」ことはお認めになりますね?で、その原因についてですが「慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。」などと勝手な解釈を付け加えるならそれこそソースをお願いします。

>決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

私が記事を見た限りでは「謝罪」を勧告するというものしか見当たりませんし、日本政府も「決議されても謝罪はしない」としか言っていないので個人補償について法的責任があるといった決議ではないと思いますが。

>私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし

だから私は軍が主体的に関与したことのソースを示しましたよね。ちなみにこのページはここのブログの管理人である野原さんが見つけたものですけれども。しかしあなたは強引な解釈だのなんだのと具体性の無い誹謗するばかりで議論から逃げるだけじゃないですか。「関与していないと思う」ことと「事実として関与していない」ことは全く違うんですよ。もう少しまともな議論が出来ませんか?

>理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

まず各国の慰安婦制度の実態がいかなるものかをきちんと述べてそれで比較検討してもらわないと。理論的可能性に固執するのは結構ですが、現段階では妄想の域をでていません。机上の空論です。裏付けをどうぞ。

あなたの反論ですが、こちらにソースをソースをと要求する割には、御自分はほとんどソースをお示しにならないという見事なまでのダブスタです。お気楽なことで。』

ノーモア ノーモア 『もう一点。

>現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態

なるほど現在の公安委員会は業者に風俗営業を請け負わせているんですね。業者を通じて売春婦を募集したりしているわけですか。「公安慰安所」なんて聞いたこともありませんが。』

14歳 楳図かずお

野原が最も尊敬し好きなマンガ家は大島弓子である。自分のモチーフ追求を軸にマンガを強引に作り上げる観念的なマンガ家であるという点で、楳図は大島と共通点を持つかもしれない。ただわたしは楳図のよい読者ではない。機会があって(自腹を切らず)『わたしは真吾』と『漂流教室』を読んだくらい、だ。楳図は有名な割にあまり読まれていない(たぶん)。小学校4年の息子が楳図に興味を示したので、(悪趣味だから子供に買ってやるのはどうかと人並みなことも思わないではなかったが)近くのリサイクル古本屋に一冊350円で1~4が並んでいたので買って、息子に与えた。先に息子に与えるのはけっこう危険である。とまあそんなことはどうでも良い。

テキスト主義者ならテキスト(マンガ)に即して語らんかい!はい。(1と2を読んだだけで、これは20冊もあるのでそろえるかどうかも未定だが)(ところでチキンジョージを“ぐぐって”みたらライブハウスばかりだった)えーこの作品はチキン・ジョージというモンスターの誕生から始まる。チキンジョージとは鶏肉自動作成工場の偶然のミスから生まれた生物が(ご都合主義で)高度の知能を持ったモンスター。彼は孤独感を理屈で根拠を捏造することで埋めようとし、現代文明(未来文明)が数千数万種の動物たちを滅亡させたことへの復讐を自分の使命と考える。息子には粗筋ではなく感想を書けと高圧的に命令したくせに自分でも粗筋しか書けない。反省。言うまでもなくわたしたちは牛や豚を食べているが、彼らは近くでゆっくり見ると大きいだけあって威厳と存在感に溢れている、ここには大きな矛盾があるが皆が知らん振りをしている。こうした誰でも知っているタブーを主題にする蛮勇こそが、名作を産みだす条件だ。(続きを読まないと分からない。)

浅田農産の卵って

10個230円もするブランド品なんだと聞いて、へー。

墓は不可避のものだ。裸体にすることも、劣らず不可避のことだ。(バタイユ)

(註:意味不明な引用)

連続シンポジウム

 松下昇の『概念集・2』(~1989・9~)に「連続シンポジウム」という項目があります。連続シンポジウムは、坂本氏が1975年から中心的に取り組んでいた企画です。上記にある学友会嘱託職員としての立場も利用しながら。彼は岡山大学教官として懲戒免職を受けてから20年以上学友会の嘱託として大学に残り続けた。このような坂本氏の存在などを一切無視して全共闘論(68~69年論)なんか書いても、どーかな~~?ということになるのではないかしらね。

では、概念集から引用

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        連続シンポジウム

 一般的に了解されている概念を媒介しつつ、次第に独自の意味を内包して用いられ、ある段階以降、始めの水準から跳躍した〈同じ〉言葉で表記~発語される概念があり、六九年以降の〈自主講座〉や、七四年以降の〈自主ゼミ〉と共に、七五年以降の〈連続シンポジウム〉もそうである。それぞれの差異と連関を私の位相から素描すると、〈自主講座〉は、バリケード空間を解除しようとする全社会的な力に抗して、〈自主ゼミ〉は、バリケード以後の制度を内在的に破壊する仮装組織論として、〈連続シンポジウム〉は、バリケードが言葉としてさえ流通しない段階の祭として、それぞれの使命を自覚した瞬間に、既成の概念の水準から飛び立ち、同時に、既成の概念の水準を押し上げたのである。前記のニつは、別の活動様式を示すのではなく、むしろ、統一的~連続的に把握する方がよい。私自身の参加の仕方もそうである。

 前二者については前二項で記したから、ここでは連続シンポジウムの生成過程と特性について記す。一九六九年の岡山大学闘争の過程で教官としての業務を拒否したという理由で七○年に荻原 勝氏と共に五ヵ月の停職処分を受け、七二~七三年の一○三教室を拠点とする単位自主管理闘争などにより、懲戒免職処分と刑事起訴を受けた坂本守信氏は、七五年から、サークル連合体(学友会)の公募した嘱託事務員となり、同時に岡山大学祭実行委員としても活動しはじめた。この大学祭に~一○三被告団~(刑事起訴の現場の教室の名称に由来する。)が公開的に、従って主体に学外者を含みつつ殆ど毎年おこなってきた企画が〈連続シンポジウム〉である。テーマとしては、基本軸に六九年以降の大学闘争の持続的課題(とりわけ、単位制、天皇制、家族制の批判的検討)を置き、大学祭の期間を通じて連続(1)的に討論してきた。そして公認された大学祭が終了しても、追求し続けるべきテーマについて来年度の大学祭までの全期間へ討論を連続(2)させ、同時に、討論の場を大学内に限定せず、生活~労働の場や法廷(前記の刑事起訴の他に、処分による公務員宿舎RB302の明け渡しを要求する国側と、処分取消請求を対置してたたかうものを含む多くの裁判過程がある。)や全国的な参加者の拠点~テーマへと連続(3)させてきている。

 このように連続シンポジウムの〈連続〉性には、少なくとも三段階が連続している。シンポジウムであるから、酒宴を媒介する討論形態になることも多い。以上の特性は、大学闘争の具体的なテーマを討論する場のない現在の情況において、連続シンポジウムが毎年新しく入ってきて大学に失望する世代に対して持つ意味は大きい。活動のスタイルとしても、かりにストレートに授業に介入すれば大学当局より先に学生大衆から一瞬の内に拒絶~排除されかねない現段階において、サークル活動~大学祭という学生大衆が一定の関心を持ち、大学当局も予算を出している制度のすぐれた応用方法であり、一企画に過ぎない〈連続シンポジウム〉は大学祭、大学を逆包囲する成果を示してきた。

 しかし、この数年の間、活動の根拠の再検討が迫られているのではないか。任意の活動ないし討論の場面に、予備知識のない人が参加したとして、この人は目前の場面が〈祭〉に関わるものとは思わないであろうという事実に危機が象徴されている。連続シンポジウムの位置を全く視ないままの批判はナンセンスであるとしても、関心を持ち、好意的に参加しようとする人でさえそうである、という危機は事実である。ついでにのべると、かっては岡山大学闘争の本質に深い洞察を示したにもかかわらず、七五年に辞職してからは別人のように保守化した荻原氏の固定した発想パターンによる坂本氏や共闘者(私を含めてもよい。)への批判的言辞は、連続シンポジウム的なものに連続する〈 〉過程への異和として把握すると構造がはっきりしてくるのであるが、内在的な弾カ性も情況性も失っていて、かれの頽廃ぶりをささやかに開示するに過ぎない。このことを踏まえて、連続シンポジウムに十年以上にわたって参加してきた広範画の人々を代表して私の見解を示そう。

 日常的に連続シンポジウムに関わっている人々には厳しい表現になるけれども、方法としての、また取り上げるテーマの一定の〈正しさ〉にもかかわらず、活動の形態が衰退化し、既成のテーマや成果への閉鎖的な埋没を意識しえないか、意識しても脱出不可能なほど生活~生理の水準に拘束されているのではないか、と懸念する。

 自主講座の場合は、闘争総体との緊張開係やテーマの衝撃力ないし普遍的展開カの有無から絶えず検証され、自主ゼミの場合は、直接に単位認定,卒業資格に利害関係を持つ参加者多数派や制度の重力から絶えず検証されるのに比べて、(現在の)連続シンポジウムの場合は、形態として持続し易い度合だけ、前記の場合に対応する検証のフィード・バック性を内包していなければならない。いや、それ位のことは充分に自覚しつつも、なす術もなく立ちつくしているのかも知れないが…。私は、あえて次のように提起したい。

 拠点とか成果(人間関係を含む。)を持つことは、前記の水準のフィード・バック性を欠損させている場合には桎梏に転化しうるし、困難な問題に直面している時ほど転化しやすい。異時・空間に自らの方法(本質的な〈祭〉)を、まず自分だけのカで具体化してみよう、もはや帰るところはどこにもない、という情念を生きてほしい。これまで見慣れた拠点や人間を〈初めてすれ違う〉感覚で把握し、自己や他者の軌跡を六九年から現在に至る〈 〉過程の全テーマとの関連において、大衆団交位相で(いいかえると、関わりのある全ての人に公開され、声をとどけようとする深さで)共同検証するプランが必要ではないか。討論の展開によっては活動や生活の拠点を〈 〉へ委託しつつ。

 このように提起するのは勿論、対象に自分を含めてであるし、他にだれも提起しない状態で私が提起するのは苦痛でもあるのだが、それを引き受けるのは、自主講座~自主ゼミ~連続シンポジウムの総体に関わってきた私の責任であり、また、これらの本質を名称がどうであれ未踏の領域で深化させていこうとする解放感に満ちた試みの一つでもある。この項目が連続シンポジウムに関わる人々の再出発の契機になることを願う。(松下昇)*1

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(4/21に前半だけ「紹介」した。4/27に後半を追加。)

*1:p11~12『概念集・2』~1989・9~

ラファでの学童保育(中学生)

 学校では勉強しか教えない、と彼女は言う。(小柄だが内発するもののつよさに溢れた女性) 例えばお絵かきにしても、わたしはどうせ上手く書けないから止めておくとその子供たちは言う。遠慮しているのではない。日本人ならたぶん誰でも下手だとか上手だとかそんなことはどうでもいいのよ、とにかく書いてみましょうよ、と強く誘われた少年時代があるはずだ。でもこの国にはそうした文化がない。絵を描くことを楽しみ、演劇のまねごとをすることを楽しみ、スポーツを楽しむこと。彼らだって楽しむ時間を持つことが許されて良いはずだし、日々恐怖に怯えているかれらこそそうした時間を強く必要としているはずだ。そんなふうに思い、彼女寺畑由美さんはそこに出かけていった。世界でもっとも危険な町、ラファへ。

http://www4.dewa.or.jp/stageone/MP0521daiarytop.html

このサイトを見ると彼女のラファでの1年間の活動の概要が少し分かる。彼女に何が出来たのか。何もできなかったわけではない。彼女と二人のパレスチナ人スタッフは、子供たちと友だちになり彼らに楽しむ時間を与えることができた。

 彼女の講演会に行くことができた。普通の大なり小なり政治的な集会とはかなり違いがあったと感じた。微妙な差なのだが。つまり政治的集会はある方向性に聴衆を導こうとするベクトルにおいて成立している。そのベクトルに賛成するから行くわけだが、仮に同意できない点があってもそれについては反対すればいいだけで、困惑させられることはない。寺畑さんの場合、ラファで子供たちを相手にするときと同じようにできるだけ聴衆を巻き込んで快調に語りを進めていく。語らないと理解して貰えないことは膨大にあり話は溢れるように進む。だがこどもたちはどう生きて行けばよいのか。確かに(日本でいえば東大なみに)ガリ勉すれば彼だけは海外脱出できるかもしれない。でもそれ以外のこどもたちはどう生きていけばよい。大人になっても失業率は6割だ。住んでいる家は明日にでも壊されるかもしれない。*1一つの選択肢は、シャヒード、自爆攻撃者になることだ。その選択支はもちろん不可避ではないが、日本で考えるほど簡単に非難できるわけではないのだ。子供たちには夢が必要だ。彼女たちはわざわざ出かけていってもそれを与えることができない。どうしたらいいのか。わたしたちは困惑に放り出されたままだ。

*1:5月18日現在もそこでは家屋破壊が進んでいるらしい。

刑事被告人となった後に

松下昇 『概念集・5 ~1991・7~』から、p25「裁判提訴への提起」の前半部分を掲載する。これは過渡的な掲載です。

裁判提訴への提起

 解雇処分を受けた場合に地位確認の仮処分申請や解雇取消の請求を裁判所の民事部へ書面でおこない、法廷で処分の不当性を明らかにする方法をさすことが多い。もちろん裁判提訴の一般的な概念としては、警察ないし検察へ何かの事件の被害者として告訴したり、何かの不正を知った公務員として告発することを通じて刑事裁判を成立させることも広い意味で(かつ、身にしみて影響を受けてきた私としては特に)裁判提訴の範疇に入るし、民事においても、弁護士会などの無科法律相談に持ち込まれるテーマは離婚や交通事故が多数を占めており、これらのテーマが大衆にとっての裁判提訴のイメージに密接に関わっていることは確認しておいた方がよい。

 このような確認の範囲からすると、冒頭でのべた解雇処分などにおける裁判提訴は先進的かつ自明の対応と視えかねないけれども、六○年代末以降の闘争過程においては必ずしもそのように把握されてきていない。共産党は別として、闘争参加者の基本的な姿勢は、活動の全領域において裁判所を含む国家権力の介入や、それへの依拠を拒否することであり、この姿勢は処分に対しても、流血を伴う党派闘争においても維持されてきた。私自身も七○年の懲戒免職処分に対して取消請求の裁判提訴をこれまでおこなってはいず、それは前述の姿勢の根拠への共闘からであるが、しかし、だからといって他の人の処分に対する裁判提訴を否定的には判断していない。判断の基準は次のようである。

①裁判提訴が闘争の問題点を闘争現場を越える広い場へ拡大し、その波動を闘争現場へ還流させうる時には意味がある。(ただし、現在の裁判制度や裁判官の良心を無批判的に信頼して勝訴を期待するのは論外であり、結果的に勝つためにもこれは鉄則である。)

②〈民事〉への裁判提訴は、できれば自分が〈刑事〉事件の被告人となった後で(A)、法律の専門家である弁護士に依拠せずに(B)おこなうのがよい。(A)は時間的な前後というよりは、存在の仕方の前後でいっている。なぜなら、現場ないし法廷でいつでも国家の秩序や法と闘う準備のあるレベルでこそ、裁判提訴によって(さえ)闘争の意味を深化~拡大させうるからであり、(B)は、大学闘争の世界史性は専門のジャンルの解体を前提としつつ法の体系と秩序に立ち向かうことを不可避とするからである。(ただし、この意味を部分的にせよ共有する弁護士との共闘の可能性は残しておく。)

③大学闘争とよぱれるものの特性の中でこの項目と関連するものを指摘すると、問題点をとらえる方法自体の情況性や自らの関わり方を問題点に繰り込まざるをえない構造に出会ってしまうことと、発端の問題点を追求する過程が新たな問題点を作り出していくことである。従って、発端のレベルで裁判提訴に意味があるかどうかを固定的に判断するのでなく、裁判提訴を媒介~逆用して何を作りだしていくかということを常に構想している必要がある。この場合、波及効果の範囲を事件の幅だけでなく、可能な限り広く深い領域との関連で構想し、成果を開示していくことが望ましい。(なお、環境破壊、原発、選挙権などに関する共同訴訟の可能性と限界については直接討論したい。)

漢字の数

当用漢字というものは、1946年内閣から告示された1850字をいう(らしい)。今小学校では約千字習う、残りは中学で覚えなさいということか。ところで外国ではどうかというと、と中国と台湾はほぼ同じで、小学校約2500字、中学校約1000字である。台湾の方が漢字重視というイメージがあるが数は同じくらい。韓国は小学校ではなし、中学で約900とのこと。*1

漢字(あるいは漢字とコンピュータ)については下記参照。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/japan.html

日中台で、元は同じ字だったはずなのに今は違ってしまった場合にユニコードでどうなるのか疑問でした。下記で少し分かった。ユニコードは「元同じ字だったかどうか」は考えていない。似たような字体がある場合に同じコードをふる場合と違うコードをふる場合がある、ということか。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/unicode.html

*1:9/9朝日新聞夕刊「漢字めぐり国際シンポ」より