「自由・平等・博愛」を今いちばん、何かにすがるように繰り返しているのはバンリュウの多少なりとも目覚めた若者たち。
カテゴリー: idea
摂津堂テクスト/日記のような、何か 12/17
2006-12-17 議論話の続き/メッセージ&web拍手コメント等
■[休眠モード][雑記]議論話の続き/まとめ+noharra氏への問いかけ
どうもです。ここのところ、色々とあった例の議論話なのですが、折角ですのでとりあえず関連の話題になったURLとかでもまとめておきましょうか。適当なので記載していないものとかがあったら済みません。
・摂津堂テクスト(当ブログ)
イラク問題のこの頃/マブダチということ
http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1
noharra氏の最初の突撃地であり、当ブログにおける論争?発生地。コメント欄にて。
コメント欄の議論のこととか。
http://d.hatena.ne.jp/settu/20061210/p1
この件に関する12/10更新時での私的まとめ。
・Kojii.net ココログ別館
ちょっとぶちまけてみたくなった
http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html
井上@Kojii.netさんの所に於ける、noharra氏の突撃地。
私が対案提示を求めた理由
http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc41.html
なぜ、井上@Kojii.netさんが対話を試みたのかの述懐。
・Kojii.net
Opinion : “正しいこと” と論理飛躍の怪しい関係
http://kojii.net/opinion/col061211.html
井上@Kojii.netさんのブログの、noharra氏突撃コメント欄のやりとりを題材にした記事。「アジリテーター」について。
Opinion : 弱者は強者 ?
http://kojii.net/opinion/col061127.html
アメリカ政府に対する陰謀論その他の事例に関する考察。正確には今回の論争とは直接リンクしていないが、タイムリーに関連する話題。
・孤高
noharra氏の反米突撃
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061210/p11
ID:myhoney0079さんの、今回の論争に関するまとめ。分かりやすいです。(ちなみに、この件に関してhttp://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061210/p10にnoharra氏突撃。)
週刊オブイェクトからリンクもろた
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061213/p3
watchネタとして取り上げた理由。
・週刊オブィエクト
焦土作戦~白燐弾で焼け野原!?~
http://obiekt.seesaa.net/article/29501363.html
まとめ+noharra氏の主張するリアリズムについての考察。おそらく、JSFさんのこの記事からまたぶわっと話題が広まった模様。姿勢制御あれ。オブイェークト。
・軍事板常見問題
【質問】軍事分野における「リアリズム」について教えてください.
http://mltr.e-city.tv/faq99a03.html#realism
ついに、軍板FAQに……。
って、<応用例>って、ちょwwwwwwww
なんというか、ウチに突撃する程度で止めときゃ良かったのに……。
ここまで派手に燃え上がる(あるいは、ネタになる)ともう処置無し、ですかねぇ……。
しかも複数箇所で突撃なさってるようですし。
二正面作戦は歴史の戒める所なのかも知れませんが、なんというか、こう、「二正面作戦ってレベルじゃねーぞ!」というか。
それはそうと、ID:noharra氏より件のコメント欄に書き込みがありました。
……あったのですがー。(以下、しばらくコメント欄の話題なのでご興味の無い方はカッ飛ばしても構いません。というか、本題は下のほうにあります。「本題」とでも検索して下さい。)
http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1#c1166048051
>>○(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けているのです。
現状ではイラク駐留は最善の選択と思われます。
これではご不満なのでしょうか。<<
(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けている。しかし
(1A)アメリカ軍の駐留なしのイラクはより多くの不正と災厄にみまわれることになろう。
settuさんの意見は、(1N)+(1A)ということでなのですね。
わたしは(1A)を否定するので、(1N)だけが際だつことになります。ところがsettuさんの場合、(1A)と切り離された(1N)をうまく思考できないようですね。
……何で余計な一言を付け加えるのかなー(苦笑
いや、逃げ……もとい、撤退するんだったら、黙って逃げ……じゃなくて、撤退すれば良いと思うんですヨ。
さもなくば、「意見の相違を見ることでしか無くて残念です、では失礼します」程度の、双方の顔を立てるような無難な、波風を立てないコメントで止めておくとか。
別に、無理に「敗北宣言汁!」とは申しません。反論出来ませんすみませんでした対案も出さず皆様の質問にも答えずにひたすら余所様のコメント欄荒らして済みませんでした、と土下座せよとも申しません。先方にも意地がおありでしょうから。心の底では「自分の勝ち!」*1だとか「結局こいつ等はアメリカと自衛隊の不正義が理解できない愚民か」とか、そんなことをお考えになっていらっしゃるのかも知れませんが、別にその幸せな幻想を崩せとも申しません。しかし、だからこそ、撤退にも礼儀ってものがあると思うんですヨ。それが互いに顔を立てておく、ということですから。
それではなく、こちらに対する非難コメントだけ残して撤退、しかも、「うまく思考できないようですね。」と相手を中傷するような捨て台詞を残して撤退ってのは、あまりカッコ良いことではないですな。というか、どう見ても最後まで議論から逃げまくった上での勝利宣言です、本当に有難う御座いました、と。
ちなみに、何か最後にいちゃもんをつけられたまま、というのも微妙かも知れませんので、一応反論しておきますと、私はそもそも、noharra氏が強硬に主張する
>(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けている。
に根拠が無い、と指摘しているのですね。ええ、何度も。
ところが、noharra氏はそれには答えず、あるいは見ないふりをしたまま、同じ文言を繰り返している。
>settuさんの意見は、(1N)+(1A)ということでなのですね。
ですから、違うと何度も言ってるんですけどね。貴方の意見には同意できません、貴方の主張にはそもそも論拠が無い、と。
前回の記事でも引用しましたが、井上@Kojii.netさんの、
http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/__6b76.html
わざわざ、意見を異にする人の日記に乗り込んできて対立意見のコメントを書き込むのなら、相手を説得できるような材料を持ってくるのが筋ってものなんじゃないのかなあ、と。
ただ単に「アメリカのイラク政策は間違ってる」「だから日本は関与するな」と連呼するだけでは、「じゃあ、どうすればいいと思ってるのさ」といわれればアウト。noharra 氏にはそういう自覚がなくて、「壊れたレコードみたいに自説を連呼すれば、それだけで相手が納得する」とでも思ってるのかしらん。
逆に、自説を連呼することに対して無条件に賛同のコメントが欲しいのなら、わざわざ “敵地” に乗り込むようなマネをしなくても、オルタナとか AML とか、もっと都合のいい場所はあるだろうに。
にある通りなのであります。*2
私にしてみれば、言わば、noharra氏が「アポロが月に行っていない!!!!!」*3といきなり当ブログのコメント欄で主張したのと大して変わらないのですね。アレは捏造だ! アメリカと世界人類の偉業なんてことはありえない! と。
いや、別に「アポロが月に行っていない!!!!!」と主張する……もしくは、信仰するのは構わないんですよ。(まぁ、単に「同じアメリカの話題だから」ということで別の話を持ってこられてもそもそも困ることは困る訳ですが。今回の「同じイラクの話題だから」というのと同様に。)
ただ、だったらちゃんと論拠とか説得材料とかを持ってこないと。
まぁ、持って来られても当方は「アポロは月に行っていない!!!!!」という主張に真面目に付き合う気はあまり無い訳ですが、いずれにせよ、その段階にすら辿り付いていない訳です。
「イラク駐留は不正と災厄を生産し続けている!!!!!」と主張したいなら、きちんとそれを示す客観的データ、しかも、「不正と災厄(つまり、駐留の無い状態よりも悪い状態)」を、現在「生産し続けている」データを示さないと。まぁ、そもそも「不正と災厄」が何を指しているのかすら不明なのですが*4。結局、そこの辺りから話を始めなければならない筈なんですな。本来は。
ちなみに、言うまでも無く、特定の事例のURLでも適当にコピペされても困ります。つまり、
http://kojii.net/opinion/col061127.html
アメリカのように所帯が大きい相手になれば、叩けば埃の一つや二つは常に出てくる
訳ですから。無論イラクは色々と大変な状況だから、イチャモンをつける材料には事欠かないことでしょう。というか、自分も5分10分漁ればすぐに見つけられると思います。でも、それは、「不正と災厄(つまり、全体として駐留の無い状態よりも悪い状態)」を、現在も「生産し続けている」という論拠にはならないのであります。いや、先方はそれで十分なのかも知れませんけど。
という訳で、ひたすら「アポロは月に行っていない!!!!!」と材料も持ち込まずに主張されても私は困ってしまうだけなのであります。「俺に言われてもなぁ」(CV:ちよ父*5)という感じな訳です。
つまるところ、noharra氏が「アポロは月に行っていない」といきなりこちらのブログのコメント欄で主張し出したから、いや、自分は行ったんじゃないかと思うんですヨ、と答えてあげた。ただ、それだけのやりとりなのであります。まぁ、当方としてはそもそもそこを突き詰めて議論する気も無い訳ですが。つまり、そこには論争するまでの「興味が無い」のであります。
あんまし巧い喩えじゃない気もしますが、個人的な感想としては、つまりはそういう感じなのです。ええ、個人的な感想ですね。
ついでに言えば、私は別にnoharra氏に「アポロは月に行ったんですよ?」と説得しようとも思ってもおりませぬ。noharra氏が、別にどのような信仰を持たれようと構いません。信仰の自由も思想の自由も日本国民に与えられた大事な自由なのであります。勿論、noharra氏が「そっちが間違っているんだ!」とお考えになっても構いません。noharra氏をオカルティストとして罵倒する意図は全く御座いません。おや、意見が異なりますね、と、それだけです。ただ、その信仰を(材料も無しに)こっちに持ち込まれても困るよね、と。
そういうことな訳です。
でもって。
(1A)アメリカ軍の駐留なしのイラクはより多くの不正と災厄にみまわれることになろう。
(中略)
わたしは(1A)を否定する
だから、皆さんが、その論拠は? それを、否定できる、即ち米軍駐留に取って変わることの出来るような対案は? とnoharra氏に、繰り返し、繰り返し、聞いてる訳ですけれどもねぇ……。
で、結局noharra氏はこちらの問いかけには答えることなく、
ところで、
>> いずれにせよ、私は、貴方がご自分の世界にお帰りになられる分には、一向に引き止める気は御座いません。いや本気で。
とのことなので、メインの議論はkojiiさんが拒否されなければkojiiさんのところでやらせていただくことにします。
http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.htmlのコメント欄
ということで、こちらでの議論を切り上げ、井上@Kojii.netさんの所に向かわれるようです。
こちらからの問いかけの一切には、ついに答えることなく。
つまり、ここでは初めから議論は存在しなかった、という結論になってしまいそうです。
何しろ、対話が初めから成立しなかったのですから。
noharra氏は
今回もはなはだ不十分な発言になります。
と仰っておりますが、不十分というか、殆ど無回答と同じようなものかと。
結局noharra氏がウチのコメント欄でやったことは、ひたすら無意味な文字記号列長文を書き込むことだけだった、ということであり、私や井上 @Kojii.netさん、名無しさん、通行人さんはその無意味長文に対して、そもそも意味の無い応答していた、ということになってしまうのであります。私自身は前回書いたようにお帰りになって一向に構わないのですが、私はともかく、何度も誠実に回答し、問いかけていた井上@Kojii.netさんや他の方々に対して酷い話ではあります。*6
最初の方で挙げたリンクと重複しますが、井上@Kojii.netさんはこう述べておられます。
http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc41.html
どうして私が野原氏に「あなたはどう考えているのか」としつこく問い続けたのか。
それは、アメリカの対イラク政策について「やーいやーい失敗しやがって馬鹿野郎」となじって、あげつらって、罵倒しているだけなのか。それとも、「自分はこうして解決するのがよいと考えるわけだが、それに照らして現状はこうだから、かくかくしかじか」と、なにがしかの識見を持った上で物事を見ているのか。その違いにこだわったからです。別に、「あなたの考えを持って行って関係者を説得してこい」だなんて無茶はいいません。
失敗をあげつらうだけでは、「おまえの母ちゃん出ベソ」と囃すのと、大して変わらないじゃないですか。そして、「俺は正義の味方だぞ~」という自己満足で終わっちゃうんじゃないですか ? それでいいのでしょうか。ガキの喧嘩じゃないんですから。
で、結局noharra氏は、この問いかけに答えることは無かった。
井上@Kojii.netさんのところにへ向かうと仰ってますが、もしもまだはた迷惑な論争を続けようというのなら、出来れば、せめて、そこで井上 @Kojii.netさんや他の皆様の誠実な問いかけ、ここで問い掛けられたものを含めての誠実な問いかけにちゃんと答えて頂ければ、と思っております。自説の主張ではなくて。
何にせよ、このままでは結局井上@Kojii.netさんやその他の皆様に対する応答の道義的義務をnoharra氏が放擲した、という動かし難い事実には変わりは無い、と。
まぁ、私個人はこの件でこれ以上の追撃をかける気は無いのですが。
……さて、まぁ先方もコメント欄で言いたいことは言い切ったようなので、こちらの本題に入りますか。
そんなこんなで、私はnoharra氏とこれ以上イラクネタ・反米ネタに関する無駄な論戦、というか無意味な文字記号列に対する応答をしたいとはカケラも思っていないのですが、先方に一点だけ「弁明」を求めたい部分はあるのですね。
という訳で、前回http://d.hatena.ne.jp/settu/20061210/p1に書いたことですが、改めてお伺いします。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#1165619206(noharra氏)
悪への荷担を自覚できないばか?
この一文は、どういう意味なのでしょうか?
恐らく、コメントのつけ方から判断するに、私のコメントに対しての、ご意見だと思われますが。
そもそも、こちらの文章を「詐欺師の文章」呼ばわりしたり、「チャチなレトリック」呼ばわりしたり、「やれやれ。settuさんは自分の思考方法に自信をもっておられるようだ。うーん。」と仰ったり、「あなたはブログで議論する意思も能力もない! で良いのですね。」と仰ったり、その他色々と見下しモード、煽りモードの書き方をなさったり、他にもこちらでの議論に関して、「なんでも「対案を出せ」といっておけ!」「対案を出せ攻撃」「大笑い」などと品評なさったり(井上@Kojii.netさんの表現をお借りするなら、くだを巻いたり)と、色々とお忙しい方だ(今回の「うまく思考できないようですね。」も相当なものですなw)とは思っておりましたが、上記引用の一文だけは、流石に、ちょっと看過することは出来ませんw
いわゆる、「侮辱罪」にも相当する可能性があったりするのかなぁ、とも。あれはあれで犯罪なんでしたっけか。いや、自分は法律に関して全くの素人ですので、そういう面はよく分かりませんが。
という訳で、これはhttp://d.hatena.ne.jp/noharra/20061128#p1でnoharra氏がなさっている、井上@Kojii.netさんや名無しさん、通行人さんのコメント削除等の意図的編集を加えた上でのコメント転載等の話*7よりも遥かに気になるところです。いや、こっちはこっちで何とも微妙な印象、というか弁明を求めたい所ではありますけれどもねw
まぁ、井上@Kojii.netさんに、
http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1#c1165388909
# 井上@Kojii.net 『noharra 氏が自分の日記に、ここでのやりとりをコピペしているのだけれど、私の前回の発言×2 だけスルーしているのにワロタ。』 (2006/12/06 16:08)
とか、
http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html
もうひとつ。
あなたが、私の主張に対して説得力がある反論をしていると考えておられるのであれば、御自身の日記にせっつさんのところのやりとりをコピペした際に私の発言をオミットしているのは、どういうわけです ?
とか、突っ込まれたりしてから、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#p9
以上はnoharra11/28の続きですが、論争の原本はsettuさん及び井上さんのコメント欄にあり、こちらは(百%ではない)コピーです。
とか後から言い訳を書き加えたりする辺りもいかにも微妙な訳ですが。
……他にも、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061128#c1166338231
# anatanomakedesune 『野原様
>はいはい、遅れておりまして申し訳ありません。
休日を挟んでもアップされないと言うのは、実は遅れているのではなく、都合が悪いのでアップする気が無いのではありませんか?
とか向こうでも突っ込みが入っていたりしておりますね。「http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#p8に載せてるから良いんだ!!!」と主張なさるのかも知れませんが、妙なところで転載テキストを切り離して、また分けて転載ってのも微妙な話ですね。
……閑話休題。
とかく、世間ではスルー力云々とかいう議論があるようですが*8、残念ながら上に挙げたこれはスルーテーマ全開でスルーするにはいささか厳しい。
前回書いたように、これでも、これまではそれなりに丁寧な論議を心がけていたつもりでしたので。
という訳で、少なくとも、最低でもこの件に関してのみは、是非とも弁明をお願いたい所ですね。ええ、是非に。
これは、如何なる意味なのか。
これはイラク云々、思想云々以前の、一文明人たる資格、あるいは一文明人として他者に認定されるに足りうる資格を備えた者か否か、としての最低限の礼儀(言い換えれば最低限の知性と教養)のお話なのであります。
そこが問われているのであります。
関連:この辺りの件に関して頂いたメッセージやweb拍手コメント等
http://d.hatena.ne.jp/settu/20061217/p2
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ここは、ごみばこ というか、訂正前文書の保管庫です。
noharra 『中道右派さん
>>>アメリカ軍人もハワイで第二次大戦中に軍用慰安所を設置したそうですね。相手によっては、未来永劫無知カードを突きつけてくるでしょう。私はしませんが。
--無関係な例が2行目に出てくるのが議論に負けている証拠。
>>>>中道右派さんは現在の米兵レイプを批判し、グアンタナモ基地での人権侵害、イラク占領軍の暴虐などを糾弾する立場に立つということですね。大変結構!
そのとおり。<<<
--大変結構!
>>>なぜこのような分かりにくい説明がはびこったかを、時系列に従って説明していくと、吉見氏の研究者としての不誠実さが浮き彫りになっていきますから。
--根拠を提示しない中傷。
>>>過去の日本の不道徳を犯罪と主張するのは結構ですが、ご自分の手法の不道徳さとも真摯に向き合うべきでしょうね。
--ですから「ご自分の手法の不道徳さ」って何ですか?根拠を提示しない中傷。
>>>八紘一宇の主張に瑕疵があったのは、誠に残念なことです。
私は、亜細亜女性基金には、道徳的責任を感じて、村山元首相の10倍以上の金額を寄付させていただきました。
---八紘一宇の主張に瑕疵があったかどうかは今問題にしていません。
太平洋戦争の初期に日本は広大な版図を手に入れた。「日本の成功は軍事的なものというより政治的なものであってことに注目しよう」とミヤーズという人は言っているそうです。「この日本の成功を支えたものは、アジアと南洋の人々の受動的なもしくは能動的な協力だった」と。p349『神聖国家日本とアジア』こういう話が好きなんでしょう。好きなのは良いのです。問題は膨大な被占領アジア人との日本人の関係、それを支えた思想です。アジア人に武器を与え彼らが独立の主体として強くなることを心から希望した人も少数ながらいました。1942年からマニラで活動した望月重信中尉がその例です。しかし彼は少数派として死んでいったに過ぎません。日本軍はフィリピンに独立を与える気など毛頭なくその行動はアジア人蔑視に貫かれていたからです。その顕著な例がフィリピン人「慰安婦」たちですね。フィリピンの場合は「もはや慰安婦ともいえないような」拉致~監禁~継続強姦の例が非常に多いのです。
---あなたは「レイシスト」という言葉に反応しているようだが、問題は「中道右派さん」にはない。大東亜共栄という思想が、アジア連帯なのは表面だけでその実体は「日本は欧米並みに偉い」「日本は神国だから偉い」というアジア人蔑視そのものであったという事実。しかもそれだけならまだしも“なかった派”は21世紀にもなってその〈恥ずかしさ〉を拡大再上演しているのですからもう存在自体が恥ずかしい!
>>>Q3-2:印象操作やレッテル張りをするなら、もっと正確に、売春婦派と呼んではいかがか?性奴隷派の野原さん。という提案です。
---売春婦と呼ぶための条件は、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070321#p10 の第三項にも明示しています。その条件をクリアーしていることを立証してください。
>>>Q4-2:外国人の妻と家事労働を分担している事実・・・レイシストという名誉毀損に対する反証。
あなたは日常生活において外国人差別ではなくその反対を実施されているかどうかは論点ではありません。
多くの元慰安婦たちの証言に向き合ったとき、あまりためらいもなくその真実性を否定できるあなたの根性は一体何なんでしょう。それがレイシズムでないとすれば。』(2007/03/22 07:11)
* noharra 『(追記)--フィリピンの場合は「もはや慰安婦ともいえないような」拉致~監禁~継続強姦の例が非常に多いのです。--だいぶ前に図書館で借りて読んだ「ある日本軍「慰安婦」の回想 ―― フィリピンの現代史を生きて ――」
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0000690.html
からもそうした印象を受けました。アジア連帯に興味があるなら一度読んでみてください。』(2007/03/22 07:17)
真実や静止状態それ自体が解放的である訳ではない。
アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』5600円がベストセラーに、
なりつつあるらしい。うちの近くの三つの大きな本屋では売り切れのようで、より大きな都市に行ったらあったので思わず買ってしまった。
やっと200頁ほど読んだが、もちろん資本論に比肩するほどの本ではない。
だけど、20年前のベストセラー『構造と力』に比べると5倍ぐらい役に立つ、
かどうかは分からないが、思わずそう言いたくなるような図太い力がある。
『構造と力』は結局のところオタクのための本でしかなく、『存在論的、郵便的』なんか
恥ずかしいほどそうなのに比べて。
分かりやすい。例えば、貧者、貧乏人といったことばは誰にでも分かる。
「横断的で遍在的でさまざまな差異をもった移動する主体」なのである、貧者は。
とこの本は語る。p205
つまり、「横断的で遍在的でさまざまな差異をもった移動する主体」というフレーズは
、一部のインテリ、ポストモダン業界のジャルゴンにすぎない。だけど、
貧者、貧乏人という言葉はそうじゃない。もう一つ「プロレタリアート」という言葉がある。
これは庶民の言葉と特殊インテリの言葉のあいだ、普通の(イデオロギー)用語
である。このように、この本は言葉の生きるいくつかの地層を勇敢に横断し、
言葉と思想を開いていこうとしている。
次の例。 ポストモダニズムって「支配的な語りへの攻撃と、真実に対する批判」
でないこともないらしい。でもそれってどういうことだろう。
「たとえば、エルサルバドル内戦の終結時に結成された真実究明委員会の使命や、
あるいはラテンアメリカや南アフリカで一独裁以後や全体主義体制以後に確立された
同様の制度の使命を考えてみよう。国家によるテロルや瞞着の文脈においては、
真実という概念を第一に考えしっかりと手離さないことは、強力かつ必然的な抵抗
の形式でありうるのだ。近い過去の真実を確定し公にすることーー特定の行為
について国家の公務員たちに責任を帰し、場合によっては懲罰を課すことーーは、
ここではどんな民主的な未来にとっても不可避の前提となる。〈啓蒙〉の支配的な
語りはここではとくに抑圧的なものとは思えないしー真実の概念は変わりやすく
不安定なものでもないーーその逆なのだ! 真実は、この将軍があの組合指導者
の拷問と暗殺を命じ、この大佐があの村の虐殺を指揮した、ということである。
これらの真実を公にすることは、近代主義の政治の模範的な〈啓蒙〉のプロジェクト
であるが、こうした文脈でそれを批判することは攻撃されている体制の欺瞞的かつ
抑圧的な権力を助けることにしかならないだろう。」p204
日本でも従軍慰安婦を巡って、上野千鶴子と鈴木祐子が論争した。上野が
ポストモダン派で鈴木が真実派。だがこの本は上野の側を一方的に否定してる訳ではない。
「本当はあれかこれかの問題ではないのだ。差異、異種混交性、移動性それ自体
では解放的ではないが、真実、純粋性、静止状態もまた同じことである。
真に革命的な実践は、生産のレヴェルに差し向けられるものである。真実が
私たちを自由にするのではなく、真実の生産のコントロールがそうするのだ。
移動性や異種混交性が解放的なものなのではなく、移動性と静止状態、純粋性と
混合性の生産のコントロールが解放的なものなのである。」p205
「生産」という言葉がまだ分からないので、結局レトリックで誤魔化してる
だけちゃうん?という疑問は残る。でもとにかく、クリアーな対立を取り上げ、
具体的な分かりやすい例を短い文章で説明し、「本当はあれかこれかの問題ではない」
と明確な結論を出している。分かりやすい文章、と言うことはできるだろう。
野原燐
他者
他者といっても自己と全然別のものではなく、本質的には自己と同じものなのです。*1
『精神現象学』は面白くないこともないのだが、読むのに時間がひどく掛かるのが困りもの。長谷川宏訳作品社(isbn4-87893-294-5)で、読んでます。なんとか読了したい!すこしずつメモをつけてみようと思う。
他者が自己と同じ、だなんてそんなことを言われても日常感覚としては納得できない。だがまあ儒学では、世界は<理>であり自己の根拠も<理>であるのだから同一性が支配している。それに比べると、ヘーゲルでは他者~否定性が最後には消滅する(のだろう)が、この分厚い本を通じてずっと大活躍し続ける。というか儒学では二千年経っても、仁、理、気、性など十いくつかの言葉があるばかりで、カテゴリーのダイナミズムやドラマがほとんどない。この本は同じく同一性の勝利に終わるはずなのに、まったくそう思わせない、むしろハラハラドキドキこれでもかいわんばかりに葛藤が出てくる。これは、なまなましい他者との葛藤をあつかった戯曲、小説たちが(ある変容を施しただけで)そのまま哲学として、取り上げられていること、からくるのだろう。アンティゴネ、ヴィルヘルム・マイスター、ファウスト、群盗、ドン・キホーテ、ラモーの甥、あるいは革命、ナポレオン、イエス・・・
*1:金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』p128 isbn:4480082905
代理母の場合
わたしたちの世界は所有権を不可侵のものとしているがこれはおかしい。例えば、世界的な美術品などを私有して破壊してしまうといった行為が許されないのは当然だ。同様に人間を私有することも許されない。しかし、現在日本でも過労死などはよく起こっている。これは実質的にその人間が私有された結果だと捉えられるのではないか。それに対し、基本的に分配可能なものは分配すれば良い、と立岩氏は言う。
分配不可能なものはどうか。例えば、代理母が産む赤ちゃん。当初は子宮を貸すビジネスとして割り切れると思っていたがそうはならず、“そのもの”(赤ちゃん)とわかれられない。これが、「分けること、どちらかに帰属先を決めることが必要な場合もある。世界が既にあり、その中のあるものを私も欲しいしあなたも欲しい。」*1一つを半分に分けることはできない。そうした場合である。
どちらに与えるか?実母(子宮提供者)に優先を与えると、ドゥルシラ・コーネルは言い立岩も賛成する。ただその理由は違う。実母に子供を手放せということは、「自らの性に関わる存在を表現する権利」を奪われることだ、とコーネルは言う。それに対し、立岩は「自らが作っていくその子との関係において、関係に対して自ら表現するものが権利性を規定するのだとすれば、親であろうとしている二人に区別はないのではないか。」
「その理由は、その人に対して、人との関係において、その人が接してしまった、既に会ってしまったことにある」だろうと立岩は言う。「そのこと自体においては自由なあり方ではない。」関わり自体は全くの偶然だったかもしれない、としてもその出会いをやり過ごすことが出来ず、出会ってしまった。「その存在に接する人、接してしまう人がそれについての権利を付与される」と考えるべきだろう。権利といっても、「それは決定できる権利ではなく、むろん処分できる権利ではなく、そのもとにいること、留まることについての優先を与えられるという権利である」が。
「ここで起こるのは、私の期待や願望が途絶し挫折すること、あるいはそんなたいそうなことは起こらないまでも、期待や願望と別のところに別の存在がいてしまうことを感じてしまうこと、そのことに伴って、そのものが存在し続けることに関わることを引き受けざるをえないと思う、そのような出来事である。*2」
ハイデガーはなぜ死についてなんか思索したのだろう、死ではなく誕生の方が微細に観察可能であり思索も深まるはずだと思った人は多いはずだ。21世紀になり立岩はついにその課題を達成しつつある、と言っても決しておおげさではないと思う。*3
*1:p267 isbn:4000233874 金銭を介した代理母契約は無効、とコーネルも立岩も言う。民法でもそうですね。ただ金銭を介さない場合、コーネルは認める。
*2:同書p270
*3:『私的所有論』の時から書いてたような気もするが。
『新潟』メモ1
金時鐘氏の長編詩集『新潟』*1の一部を読んでみよう。
この長い長い詩に作者は様々なモチーフをぶち込んでいるが、そのなかでも最も重く深い(表現不能性の方へ沈んでいく)モチーフの一つは、「1948年4月3日*2に火の手を挙げた済州島人民蜂起事件」*3だろう。その事件の無惨な敗北は、作者によって“やみくもにふくれあがった風船の中で自己の祖国は爆発を遂げた。”と言葉少なく語られるだけだ。だが祖国とは何か。祖国とは金時鐘にとって、済州島73,000人の死をその背後に張り付かせたものだ。
なぜ祖国は終戦とともにだけあったのか?!自己の少しもかかわりあわないところで生き返ったという祖国をみんなはどうしてそうもたやすく信じたというのだ?!少なくとも祖国は与えられるべきものではない。*4
確かに大日本帝国は滅んだ。しかしたちまち、アメリカとソ連という二つの新たな勢力が朝鮮半島(この作品では形の類似から食用兎(ベルジアン)と呼ばれている)を分断するに至った。われわれのものである祖国は、終戦という瞬間において、確かに存在した。存在したとわれわれは信じた。だが失われた今となっては自らの闘いによって勝ち取ったものでもない祖国が本当にそこにあったのかも少し不安になる・・・そのような意味を読みとることもできるだろう。祖国への思いは今も金時鐘を呪縛している。
*1:isbn4-651-60048-4『集成詩集・原野の詩』 p299-478
*2:1953年と誤記していたので下記の指摘を受けた
*3:「済州島 人民蜂起 事件」をグーグルすると例えば下記が出てくる。http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/introduction.htm というかよくみると野原のも3つ目に出てくるのだ。間違ってはいけない(自戒)。
*4:p404同書。これらの詩行は本当は、16行に行わけされているのだが、むりやりくっつけてみました。http://noharra.at.infoseek.co.jp/2004/niiga04.htm に縦書きで行分けした元のかたちを(前後をちょとだけ追加して)UPしてみた。
ブッシュ大統領の入植地容認発言を糾弾する!
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20040415k0000e030062000c.html
毎日新聞によれば、「 米国はイスラエルがガザ地区からの撤退を約束する代わりに、ヨルダン川西岸について、イスラエルが必ずしも1949年の休戦ライン(第3次中東戦争の占領地外)まで撤退する必要はない、との言質を与えた。」とのことである。
入植地は今まで一貫して国際社会から違法とされてきたものだ。イスラエルはイラク国内を無茶苦茶にした責任の一部を負っているのにかかわらず、なぜこの時期にご褒美を貰えるのか?中東の平和に永続的な危機を与える、今回の容認発言を直ちに撤回せよ!
闘争
「詩というものが無数の表現方法をとるように、闘争にも無数の方法があると思いますから、*1」わたしたちは「闘争」という言葉につまずく。わたしは闘争主体に成ることができるのか?闘争主体として生きていくとはどういうことだろうか?闘争主体であることと「まともな就職」は背反する。闘争主体であることはこの社会がその上で成立しているルールに敵対することではないのか?わたしたちは資本主義なしに生きられない。わたしたちは国家無しに生きられない。であれば少なくとも、資本主義を否定する論理、国家を否定する論理を口にすることは思想的に潔い態度とは言えない。まず仙人になってから言うべきだ。このような気分は20年ほど前から社会を覆っている。そしてついに、自民党の柏村武昭・参院議員(広島選挙区)が、4/26日「そんな反政府、反日的分子のために血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」と、反体制的発言をする人自体を非国民としてバッシングする事態に至っています。闘争主体であることは可能なのか?
まあ落ち着いて考えてみよう。最後の柏村発言について言うと、これは間違っている。現在「自衛隊撤退」の方が国益にかなう可能性は充分ある。その可能性に対し、「撤退」派を非国民と呼ぶことで日本は戦争から引き返せなくなって悲惨な目にあった。柏村氏は国会議員として日本の歴史に責任を持つ態度から逸脱している。次ぎに、国家や資本主義を否定する言説はどうか。国益を土台にする言説とは土俵が違う。土俵が違うだけのことで、前者が禁じられなければならないということではない。それに、国家や資本主義への否定といっても、わたしたちは「否定」を提起しえたことは一度もない。わたしたちは大学を占拠した。占拠の根拠に「否定」即ち革命があったわけではない。それは錯誤であり、そう信じた者たちの一部は連合赤軍事件で自滅した。占拠は不法、不当なものとされたが、それは情況の推移に応じてそうなっただけのことで最初からそうきまっていたわけではない。学生は大学に存在する。存在することはSEXすることや出産することでもあるが、通常それは授業の場としての大学の範疇からはずれるものとして指弾される。しかし存在することはつねに逸脱であるのだ。わたしたちはロボットではない。したがって忙しく仕事しながらも仕事以外のことをしょっちゅう考えていたりする。そうであることを禁圧することは、とりあえず雇用者の利益になると考えられる。しかしそれを完全に禁圧することなどできないし、そう考えられるだけのことでそうと決まった訳のものでもない。
つまり、難しく考えなければ「わたしは闘争主体になれるのか?」というのは、「わたしはいつの日かSEXパートナーを獲得できるのか?」というもてない君の嘆きとほとんど同じ物にすぎない。後者の問いだって「わたしは話も上手くないし、収入も少ないし、根性もない」云々と列挙していけば、答えは限りなくゼロに近づく。うーん、ところで「闘争」って何だ?
*1:松下昇「わたしの自主講座運動」より http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040222#p2