「大東亜戦争の責任者」

(15)

「大東亜戦争」は一部の支配者が(国民の意志を抑圧して)行ったのか? それとも国民の大多数が自ら主体としてそれを支えたのか?

そういった論点を取り上げようとはしていない。それがバンザイクリフとどういう関係があるのか分からない。あえていえば、わたしはむしろ後者に近い。したがって東条の責任を言うときは、(国民の代表としての)東条として考えている。東条に責任なし、と主張する人は(みずからの)国民の責任を回避しようとしているのだ、と理解する。

ところで、「東条に(ある場合にはヒロヒト)に責任あり」とする主張も、「国民に責任なし」を言わんがためのものがある。左翼が人民(プロレタリアート)を主体として立てようとする立場はそうなるわけだが。国民というカテゴリーは絶対ではなく、別のものでも良いわけだ。

「大東亜戦争」は、レイプ・虐殺と、(兵士、国民に対する)自決圧力という特徴を持つ。バンザイクリフが後者の象徴であることは、マッコイさんほかの反論にも関わらず、揺るがない。

命令の有無が問題なのではなかろう。

林 博史氏のインタビューより。

■「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。

「直接だれが命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper55.htm

 「ある将校が命令を行った」という命題の是非を問う裁判を提起することは、問題を矮小化しようとする意図があるのではないか。

経過

直(なお)さ、健やかさ

よりよき社会を求めるためには一切の中世的なものを否定して、古代日本の民族性に見るような直(なお)さ、健やかさに今一度立ち返りたいと願う全国幾千の平田門人らの夢

『夜明け前』島崎藤村第二部第四章四

平田派には精緻な正義論などない。しかし、直(なお)さ、健やかさを絶対的に希求する自らの夢を貫こうとするものだ。既存の国家への忠誠をその思想の核心にするものではもちろんない。敗戦後、裕仁が退位しなかったことは、彼らの美学的正義感に適うはずがない。

(9/23追加)

非其鬼而祭之。諂也。

02-24 子曰。非其鬼而祭之。諂也。見義不爲。無勇也。

子曰く、その鬼(き)にあらずしてこれを祭るは諂(へつら)いなり。義を見てなさざるは勇(ゆう)なきなり。

http://kanbun.info/keibu/rongo02.html 論語・爲政第二(Web漢文大系)

金谷治訳では、「わが家の精霊(しょうりょう)(死者の霊)でもないのに祭るのはへつらいである。【本来、祭るべきものではないのだから】」、となっている。岩波文庫p49

『礼記』では「その祭る所に非ずしてこれを祭るを、名づけて淫祠と曰ふ」とまで言われてしまいます。

どこでこの文を読んだかというと篤胤の『新鬼神論』です。*1庶民が家に宮を設けて天照大御神を祭るのが上記に該当するのでは?という意地悪な質問があったとして架空問答している。

天照大御神は人々仰ぎ奉る日神の御神霊であり、王どもの死霊(しにたま)なんかじゃないんだから、矛盾は発生しないという答。まあそれはどちらでもよい。この文を引いたのは以下が言いたかったから。

靖国神社の場合、それが神になっているにしろいないにしろ、祭ってあるのは死者(即ち、中国語では鬼)である。小泉とかは、その精霊の家族ではない。したがって小泉の靖国参拝は「へつらい」であることになります。

ところで、

諂う、を『字統』で引くと、「貧にして諂ふ無き【論語、学而】は、容易ならぬことである。」とある。短い文だが、貧しい中からひたすら己の道を貫いてこられた、白川静氏の容易ならぬ生をかいま見ることができるように思う。

*1:p158 日本思想体系50

コミュニティを憎みかつ愛すること

パリーモン師がそれに気づいて、優しく尋ねた。「何になりたい、セヴェリアン?拷問者か?それとも、もし組合を去りたければ、そうしてもよいのだぞ」

 わたしは彼にきっぱりといった--それも、この示唆にちょっと驚いたという表情で--夢にもそんなことは考えていなかったと。これは嘘だった。成人して、組織との結びつきに同意するまでは、最終的に組合の一員と決まったわけではないと、すぺての徒弟が知っていた。もちろんわたしも知っていた。そして、組合を愛していたが、また憎んでもいた--なぜなら、客人の中には無実の人も混じっているにちがいないし、罪によって正当化される以上の処罰を受ける人がしばしばいるにちがいないのに、そういう客人に苦痛を与えなければならないからであり、また、非能率であるばかりでなく疎遠でもある権力に仕えて、そのような仕事をするのは非能率的で効果がないように思われたからである。つまり、それはわたしを飢えさせ恥をかかせるがゆえに、わたしは憎む。そして、それはわたしの家であるがゆえに愛する。そして、それが古い物事の典型であるがゆえに、弱いがゆえに、破壊不可能に見えるがゆえに、憎みまた愛するのだ、とでもいう以外にはこの感情をうまく表現する手段が見つからない。

p137 ジーン・ウルフ『拷問者の影』isbn:4150106894

 『拷問者の影』はまだ読み始めたばかりなのですが、少年成長小説的な骨格がはっきりしていて予想したいたよりずっと読みやすい。一人の少年の視点からだけ架空世界を描き、その世界のあり方が読者にも少しづつ分かっていく。SFらしいが少年の実存を通して世界が徐々に現れるという普遍的な小説になっている。

 さて、この断片をコピペしたのは、この間考えているナショナリズムとかとの関連において、です。

告文

 告文(こうもん=天子が臣下に告げる文。こうぶん)

皇朕(わ)レ謹(つつし)ミ畏(かしこ)ミ

皇祖(こうそ)

皇宗(こうそう)ノ神霊(しんれい)ニ誥(つ)ケ白(まう)サク皇朕(わ)レ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ宏謨(こうぼ)ニ循(したが)ヒ惟神(ただかみ)ノ宝祚(ほうそ)ヲ継承(けいしょう)シ旧図(きょうと)ヲ保持(ほじ)シテ敢(あへ)テ失墜(しっつい)スルコト無(な)シ顧(かへり)ミルニ世局(せいきょく)ノ進運(しんうん)ニ膺(あた)リ人文(じんもん)ノ発達ニ随(したが)ヒ宜(よろし)ク

 皇祖

皇宗ノ遺訓(いくん)ヲ明徴(めいちょう)ニシ典憲(てんけん)ヲ成立シ条章(じょうしょう)ヲ昭示(しょうじ)シ内(うち)ハ以(もち)テ子孫(しそん)ノ率由(そつゆう)スル所(ところ)ト為(な)シ外(そと)ハ以(もち)テ臣民(しんみん)翼賛(よくさん)ノ道(みち)ヲ広(ひろ)メ永遠(えいえん)ニ遵行(じゅうんこう)セシメ益々(ますます)国家ノ丕基(ひき=国家統治の基礎)ヲ鞏固(きょうこ)ニシ八洲民生(やしま〈日本の美称〉みんせい=日本臣民の生活)ノ慶福(けいふく)ヲ増進(ぞうしん)スヘシ茲(ここ)ニ皇室典範(こうしつてんぱん)及憲法ヲ制定ス惟(おも)フニ此(こ)レ皆(みな)

 皇祖

皇宗ノ後裔(こうえい)ニ貽(のこ)シタマヘル統治(とうち)ノ洪範(こうはん)ヲ紹述(しょうじゅつ)スルニ外(ほか)ナラス而(しか)シテ朕(ちん)カ躬(み)ニ逮(および)テ時(とき)ト倶(とも)ニ挙行(きょこう)スルコトヲ得(う)ルハ洵(まことに)ニ

皇祖

皇宗及我カ

皇考ノ威霊(いれい)ニ倚藉(いしゃ)スルニ由(よ)ラサルハ無(な)シ皇朕レ仰(あおぎて)テ

皇祖

皇宗及

皇考(こうこう)ノ神祐(しんゆう)ヲ祷(いの)リ併(あわ)セテ朕カ現在及将来ニ臣民(しんみん)ニ率先(そっせん)シ此ノ憲章(けんしょう)ヲ履行(りこう)シテ愆(あやま)ラサラムコトヲ誓(ちか)フ庶幾(ねがわ)クハ

 神霊(しんれい)此(こ)レヲ鑒(かんがみ)ミタマヘ

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/dainihonnkokukennpou.htm

1889(明治22)年 2月11日公布

皇室典範及憲法制定の告文

門松の力

古典の魅力が、私どもの思想を単純化し、よなげて清新にすると同様、私どもの生活は、功利の目的のついて廻らぬ、謂はばむだとも思われる様式の、由来不明なる「為来(しきた)り」によって純粋にせられる事が多い。其の多くは、家庭生活を優雅にし、しなやかなる力を与える。門松を樹(た)てた後の心持ちのやすらいを考えて見ればよい。日の丸の国旗を軒に出した時とは、心の底の「歓び」--下笑(したえ)ましさとでも言ふか--の度が違う。

(p16「古代生活の研究」『折口信夫全集・2』)

 「家庭生活を優雅にししなやかなる力を与える」という目的に対し、国旗よりも門松は著しい効果を持つと、折口は言う。家庭生活は楽で合理的健康的であればよく、優雅などといった精神的価値は必要ないと考えるのが戦後の常識であろう。それは優雅などといった精神的価値が結局の所、戦争への総動員体制へわたしたちの意識を収束させていくシステムの下位部品にすぎなかった、という批判からもくる。しかしあまりにコンビニエントを追求した現在の生活はわが身体の資本主義化(短く言えば自己喪失)に行きついており、そこからの渇きから、逆に国旗=国家主義への渇仰といったアナクロなものが急速な勢いで復活しようとしている。

家庭生活 のための 精神的価値 といった論理だったのが、

国家=精神的価値 のための (孤立し衰弱しきった)個人 といった論理へと、転倒している。日本列島を焦土化に至った窮極のマゾヒズムを再び選択するとは大笑いですが、ドイツ人もやったことだし歴史とはそういうものなのかもしれない?

 さて話がそれました。合理的な生活を目指しても限度があり、庭をあの醜悪なディズニーの置物で飾ったりするに至るのが関の山。またもっと最悪な「日の丸」なんぞが心の隙間をうめにきたりしてしまう。とすれば、わたしたちは21世紀に新たに立てるべき「門松」を作り出さないといけない。

門松を立てることは日本人としてのアイデンティティを求める行為だ。だから、門松を立てる必要などない。という意見のひともおりましょう。

わたしの家では子供の頃から門松を立てるという風習はなかった。だから門松について実は私は分からない。

ただ、門松とか、日常の習俗とされることがかならず、国家主義に収束していくべきものだと決めつけて批判するのはかならずしも正しくないと思う。

反日

     反日

自己が依拠してきた発想や存在の様式を変換する契機を、日本の戦後過程における社会構造の責任との関連において、極限的に迫求する方向に見えてくるヴィジョン。

 日本国家に抑圧~侵略されてきている人々の反日の感情には十分な歴史的~現実的な根拠があり、私たちが、この根拠を全く不十分にしか止揚しえないままでいる事実をふまえつつ、いま問題にしたいのは、前記の反日の感情がとどきえない領域の反日である。

 別の例から同じ問題に入ってみよう。70年代に日本赤軍がアラブに根拠地をもち、いくつかの大きい成果を上げた時に、なぜ、イスラエルに根拠地をもち、同じような闘争を展開するのが困難であるのか・・・また、イスラエルに生まれ、育った人が同じような闘争への意志をもつまでの困難が最大ではないのか、と考えるのが、この問題への、もう一つの重要な入口である。さらに別の入口は後でいくつか示唆する。

 ところで、70年代に出現した東アジア反日武装戦線の提起したのは、前記の問題の具体化~身体化である。そして、日本赤軍も、東アジア反日武装戦線も、60年代末の大学闘争以降のさまざまな模索過程が生み出した形態の中の二つの極限であるといえる。したがって、この二つ、とりわけ国内における闘争によって、より概念の密度を高めている後者における反日性を把握するためには、60年代末の大学闘争以降のさまざまな模索過程の総体を視野におくことか不可欠であろう。この作業は殆ど開始されていない。(註一)

 大学闘争とよばれる激動の本質は、機構の変革のみならず、変革しようとする主体の変革を同時に展開することを不可避とする世界史的情況にあり、この情況係数を前提として視る者の眼には、人間や社会が存続する条件よりも、存続のために他を犠牲にしてきた条件の追求に比重をおかねばならないのは自明であった。

 この自明さは、反日の概念を把握するための原点であるが、同時に、反日の概念とは無関係にみえる多くの概念(例えば〈甲山〉ー註二)を把握するための原点であることも強調しておく。反日の具体的展開には大きい振幅があり、対立する場合も少なくない。天皇制を含む日本の存在様式の解体を共通の前提としていても、その根拠や射程が、前記の原点の把握の度合に対応して異なる(特に、アイヌ、科学、武装、自然、言語をめぐってー註三)からである。筆者としては、社会的底辺、国際的周辺、時間的辺境という三つの〈辺〉に根拠をおきつつ、それらが形成する三角形を、楔としての三角錐へ変換するための幻想的な点ないし軸を想像~創造して生きたい。

註一ー この作業のためには、あえていえば、

 αーある声の誘いに応じて、長年にわたって手にしてきた〈網〉を拾てて、直ちに歩き出すことのできる魂の飢餓

 βー今後、何一つ〈日本〉語では表現しないで生きようとする意織

 γー〈天皇〉あるいは自分を爆破しうる武器を作りうる技術の総体を、イメージとして統一しつつ、そのイメージに敵対しうる全ての思想、文明の様式と、暗黙のうちに断固として訣別し、同時に、それらの水準を内在的に追い越し、解体しうる実力を形成していなければならない。

註二ー 74年3月に、十二才の少女と少年が、障害児収容施設である甲山学園から連続して行方不明になり、その後、二人が園内の地下浄化槽から死体として発見されたことを契機とする事件。容疑者~被告人とされた保母の冤罪を主張し、支援する人々の善意は疑わないが、この人々は、死者や死刑の意味を、〈内ゲバ〉事件や、連合赤軍事件や、いくつかの反日闘争(とりわけ、アイヌモシリのために実行された、北海道庁爆破事件)における場合と統一的に把握し、〈同じ〉論理で支援しようとする時に初めて〈甲山〉事件の本質に触れうるであろう。

註三ー この五項目は、ワープロ作成中に浮かんだもので、無数の項目からの断片に過ぎないが、共通していえることは、それぞれの項目が喚起するイメージが現在の人類史の具体性から発している度合を無化して把握しなおすべき、ということであろう。それぞれの項目への認識ベクトルを、概念の発生する初期条件と最終条件の包囲する座標系でとらえていく、といいかえてもよい。五項目に限らず、関連する概念は、あらためて独立の項目で論じていくが、それにしても、このような発想を導く〈反日〉とは不思議な概念である。

(松下昇『概念集』1 p14~15 ~1989・1~より)

(15年前は、「反日」という言葉は、東アジア反日武装戦線に言及する場合以外まったく使われない言葉だったように思えます。)

私の単純ミス

なんと去年のブログ記事を今年と間違えてブログに貼ってしまった! 

(訂正前)

2.18時より チャクラ(北浜)にて 祈りの集い ◇

追悼・平和 法要 ◇ ダライ・ラマ法王からのメッセージ朗読

林 孝瑞 師(四方僧伽・スーパーサンガ幹事)

◆登山家 大西 保 氏

◆チベット音楽 川辺 ゆか 氏

◆大樹玄承師(スーパーサンガ 関西地区代表)

となり、川辺ゆか氏、大樹玄承氏は、天鷲寺とだぶる。大丈夫か?

出かけようという方は、よくご確認の上お願いします。(2/10日 11時記)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120309#p1