正義は遂行的に

N・Bさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

「「正義」は論理的根拠としてではなく遂行的に現れるとすると、これは案外おおやさんの立場と近いのではないでしょうか?」

なるほどそうかもしれませんね。(従軍慰安婦問題とか言うと議論がすぐに感情的に過剰に対立的になる危険性があり注意しなければいけませんね。)

北田さんの「責任と正義」ですか。前から気になっていたのでこの際買ってみよう。わたしは勉強不足で、N・Bさんが前提にされているのであろう多くの本を全然読んでいません。(2,3冊読んだのは立岩氏くらい)

「「責任のインフレーション」(北田暁大)という事態が思わぬ反動的効果を現す」ということも分かったようで分からない。

梶さんやおおやさんと「共有してしまっている」何かがある、というのは、そうだと思います。ただ、「歴史からの反省」、というのがよく分からない。

孫歌と結託した溝口一派がいつまでものさばっているのが気にいらんというようなのはどこにでもある関係性なのかもしれないけど、学界外部にはほとんどないのでは?

わたしは全くの素人です*1。ただ、いまや戦争のことは誰も実体験としては知らないわけで、そこで声の大きい方が勝つ(大衆のイメージ操作に成功する)ということは事実起こってきていることだと思います。

緻密な議論は必要ですが、慰安婦あるいは兵士の声に耳をかたむけるという行為がまずは必要だということになるのではないでしょうか。傾けたからと言ってヒステリックな慰安婦主義者にはならないでしょう、だいたいそういう者がどこで実害を及ぼしているのかが、よく分からない。(わたしもあまりできていないが)

ぜひ、もう少し説明してください。

*1:デリダや岡野氏の文章の一部をむりやり引用して書いているだけで、それらの文章がふつうどう読まれているのか分かっていません。ですからコメントはとてもありがたいです。

北朝鮮難民受け入れ

日本は北朝鮮から難民を大量に受け入れる用意があると宣言せよ!

日本国民はその覚悟をせよ。

百万人程度ならさほど混乱も起こるまい。

そうすれば金正日体制は崩壊し、めぐみさんも帰ってくる(だろう)。

排外主義者たちこそがつねに隣の独裁政権を維持し続けることを洞察せよ!

トラフィッキングとは

 最近トラフィッキングという言葉があるみたいです。

トラフィッキングとは

「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約 (以下「国際組織犯罪条約」という )の「人の密輸に関する議定書 (以下「人の密輸議定書」という )において」

「trafficking in persons (人の密輸)とは 「搾取を目的として、暴行・脅迫その他の態様の威迫、略取、欺もう、権限または弱い地位の濫用、又は他人に支配力を有する者の同意を得るために支払い若しくは利益を提供し、若しくは、受領するという手段によって、人を募集、移送、蔵匿又は収受することをいう。搾取は、少なくとも、売春その他の性的搾取、強制労働、奴隷又はこれに類する行為、隷属又は臓器摘出を含む 」。と定義されている。

http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/boryoku/siryo/bo14-1.pdf 

平 成 1 4 年 7 月 1 7 日 内閣府男女共同参画局 のbo14-1.pdf(application/pdf オブジェクト)によれば。

役所の文章にはめずらしく分かりやすい流れ図がついている。

【送り出し国(タイ、フィリピン、コロンビア等)】

勧誘者 :メイドやウエイトレスなど、虚偽の仕事内容を説明し、言葉巧みに日本へ行く女性を集め、運び屋に1人約50万円で売り渡す。

運び屋 :旅券(パスポート)や査証(ビザ)を用意(偽造、変造を含む )し、女性を日本へ入国させ、日本の受入者に1人約150万円で売り渡す。

【日本】  

受入者(暴力団関係):マンションの一室等の拠点に一旦女性を監禁し、様々な手段で脅しをかけた上、風俗店経営者等に約250万円で売り渡す。

風俗店経営者等:買取り代金に約100万円を上乗せし、女性に約350万円の借金を課し、その返済のため強制的に売春をさせる。一定期間後、女性を転売することもある。

日本は条約は承認したが議定書の方はまだなのかな。

 こうしたことは少なくとも1980年代からあることで、1986年には日本キリスト教婦人矯風会の人たちがはじめての民間シェルター「HELP」を作って活動を開始した。支援者が「正規の在留資格がないために日本に来て搾取される女性たちの救援活動をしている」と法務省で自己紹介すると、「日本にはそういう人たちはいないことになっています。」と言われたとのことである。

http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/pdf/2003tr_hayashi.pdf  2003tr_hayashi.pdf(application/pdf オブジェクト)

まさに窮極のサバルタンである。わたしたち市民も彼らにあまり関心を持たず、日本は「東南アジア、南米、東欧からの女性の人身取引の目的地国」になっていったわけである。

 入国の段階で、もしかしたら自分は日本で性的搾取に合うかもしれないという未必の故意を持ち、ブローカーにお金を払って不正入国したとしても、そのことによって、その人の人権が全て奪われていいということではありません。

http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/pdf/2003tr_hayashi.pdf  

被害者の人権回復を中心にすえて行政は動いて行くべきだと、

上記の文章で、林陽子弁護士は論じているが、同感である。

弁護士滝本太郎さんのブログ

うし 『弁護士滝本太郎さんのブログの記事を紹介します。

私達が愛するおまわりさんのイメージとはかなり違う感じです。

ビラをまく側と批判される側のイザコザはよくあることなのに、

警察も、もうちょっと違う対応が取れないものなのでしょうか。

「罪刑法定主義・警察とは」

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/3/trackback

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/2/trackback

メタファーとしての公益

# swan_slab 『>N・Bさん

さしずめ私の着想は、「メタファーとしての公益」なのかもしれません。

でも、hikaruさんのエントリをみながら、これをそのまま使い続けると公共という言葉の意味が固定化され、公共性を再定義する障害になりかねないので、断念しようと思います。私は言語学者ではないですし、周到に考えられたメタファーを使うことはできそうにありません。

しかし、レイコフの議論は大変興味が惹かれました。

>幕末明治や「大東亜戦争期」のような危機の時代はともかく、現在「愛国心を語る」事自体には、もう、うさんくささしか感じとれない!のは確かなのですが。>野原さん

そうですね。ただ、hal44さんのところにも書いたのですが、語ることが問題なのか、それとも、それを手ごろなメディアを通じて押し付けてくることが問題なのかという問いを立ててみれば、恐らく、前者の表現の自由はたとえうさんくさかろうが誰もが享受するはずです。したがって、問題は、「君が代・日の丸」というフォーマットが前時代とあまりに連続性を持ちすぎていること。例えば歌詞が変更されていない、など。そのことによって、過去の歴史との断絶(反省)を強くモラルとして持つ人々にとっては、君が代・日の丸の意味が先鋭化してしまうのでしょう。そして先鋭化してもやむを得ない歴史を日本国は負ってきた。

私はこうした心理状態をうまく説明できないのですが。』 (2005/03/24 23:18)

粛々と式典を行いたい

# fantomeye 『呼ばれたので出てきました。日の丸が正面だろうが歌うのが君が代であろうが、私達生徒はそれを粛々とやるだけの話です。日の丸が正面だったからなんだというんですか? 難癖つけて式典をぶち壊す大人のほうがよほど迷惑です。日の丸が正面にあったからって卒業式の思い出は清いままですが、そこで思想ふりかざしてゴネる大人が居るほうが、思い出にとってはよほどマイナスなのです。部外者が勝手に思想を持ち込んで騒がないでください。』 (2005/04/04 08:53)

# 1 『井の中の蛙 未だ大海を知らず

2ちゃんねるってしってるんだからそこへおいでよ 自分の家のトイレで落書きしても、恥ずかしいのも知識や意見を聞くことは出来ないよ

便所の落書き 結構じゃないですか、一度便所と言われる其処を見た方が

貴兄の為だよ』 (2005/04/04 11:23)

# snusmumrik 『全くひどい話です。以下、本宮ひろ志先生を支援する勝手連(通常時・ネット右翼問題を考える国民会議)の投稿ガイドラインから引用させていただきました。

http://sinrigakukenkyu.ameblo.jp/entry-2b60315ab5ef442bdb67193199b7f2c4.html

この辺が参考になるのではないでしょうか。

「当ブログで初めてコメント欄を利用される際、(中略)ハンドルネームとお持ちのウェブログのURLを明記してください(お持ちでない方はハンドルネームのみで)。私は当ブログを家の一部のようなものと考えておりますが、他人の家を訪問する際に名を告げて挨拶をするのは当然の振る舞いでしょう。挨拶というのは人倫の根本です。挨拶もできないくせに偉そうに国民の義務を語る方は早々にこの場を立ち去って義務教育をやり直してください。」』 (2005/04/04 13:21)

# mikogami 『初カキコさせて貰います

東京都の命令であると判っているなら

東京都に対して政治活動を行えばいいのです

これ以上生徒や教師を苦しめないでください』 (2005/04/04 14:15)

# 転載 『文句があるなら、こんな他人のブログでコピペ思想を振り回してないで、

自分の嫌いな教師なり日教組なりに直接言えばいいのですw

これ以上ブログ主を苦しめないでください。笑いすぎの腹痛でw

だいたい何が「私達生徒は」だ。

今日びの生徒が「粛々と」なんて物言いを、いったいどこで覚えるかってのw

さあ、これでもくらって帰れ帰れ。

▼【テンプレ】日の丸・君が代の強制を無効化するアクション!(処分不可能)

http://ch.kitaguni.tv/u/8016/%a1%da%a5%c6%a5%f3%a5%d7%a5%ec%a1%db/0000187681.html

▼アムネスティ・インターナショナル日本

「君が代」斉唱の強制に人権上の強い懸念を表明

http://www.incl.ne.jp/ktrs/aijapan/2004/0406090.htm

▼天皇陛下が「日の丸・君が代強制」に懸念を示されました

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann/20041028/20041028-00000038-ann-soci.html

宮内庁、このご発言を「日の丸・君が代を強制しない」という国旗国家法制定時の首相発言や政府方針にそうものだと言明。

http://www.asahi.com/politics/update/1028/003.html

南野知恵子法相も「自主性に任せるべき」と発言。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041029-00000052-kyodo-pol

天皇・宮内庁・法相がダメだというものを、

なにゆえ校長が強制できるのか。

愛国者を自称するならば、大御心の深さを思い、いますぐ教育現場への強制をやめましょう。

強制するものがあれば、それはもはや朝敵・国賊ですw

石原都知事と東京都教育委員会、およびその子飼いの校長たちは

海よりも深く反省しなさい。

他人のブログに、事実や根拠の示せない感情論をまきちらすステハン・捨てはて名どもは

日本人として恥を知りなさいw』 (2005/04/04 16:42)

# ぶらふぁ~ 『>今日びの生徒が「粛々と」なんて物言いを、いったいどこで覚えるかってのw

オマエみたいな頭の悪い大人等及びもつかない程、今の若者は国語に通じてるよ。

ハイティーンが昨今の文学賞を総なめにしている現状をなんと見る?』 (2005/04/04 19:11)

# mikogami 『うわ…痛々しいな…

この長文書いてる人は管理人さんじゃないよね?

管理人さんならもう来ませんけど』 (2005/04/04 19:42)

# fantomeye 『いやですねー、所詮生徒ごときが、子供ごときが、みたいな感じが見え見えで。ご自分の学生時代を基準にして考えないでいただきたいものです。生徒がこーいう物言いするのは信じられませんか?それこそ偏見ですよ。私の物言いが不自然と感じるなら、小学生が日の丸君が代に反対するのも不自然極まりないと思われてますよね?』 (2005/04/04 20:16)

# fantomeye 『転載さんの学生時代がいつごろか知りませんが、今はネットがこれだけ発達した時代です。その気になりさえすれば私のような学生でも活発な議論の場に参加できますし、そこでの物言いに影響を受けることも出来ます。転載氏はよほどボキャブラリーの貧しい子供時代を送られていたのかもしれませんが、それをもって現在の標準だと思い込まないで欲しいですね。』 (2005/04/04 20:19)

司法と政治とイデオロギーがごっちゃになって

# hizzz 『ども。「女性戦犯法廷」もnoharraさんの論説も、司法(=法)と政治(=反国家)とイデオロギー(=国家的性奴隷制)がごっちゃになって一体化してます。そして東京裁判の最大の欠点はそゆ「権力」が一方的に裁いて死刑にしてしまったことです。>「やられたらやりかえせ」

一番のプライオリティは何ですか?「慰安婦」をどう保障すべきかという具体的提言なのではないでしょうか。

最後の「国民に強制した国家を支持するのだな?」という文言にみられる、国家vs反国家という二分(による絶対正義権の発動=イデオロギー)矯正と、「女性戦犯法廷」が本当に求めたはずの国際法での(考えられるかぎりの公平な)ジャッジは離反しますよ。そういう民主主義的「多様性」を排除した中で、いくら声高に「正統正義」をいいたてても、国家vs反国家ということにしかならないではないですか。そしてそれでいい、というのなら、まさに「慰安婦」は反国家パフォーマンスもしくはPC(ポリティカル・コレクトネス)のネタでしかないでしょう。』 (2005/04/18 20:51)

(野原)

乱暴な批判に応答ありがとうございます。

ですから、

こないだの大戦で「生きて俘虜の辱めを受けず」を国民に強制した国家を支持するのだな?(野原)*1

を、「国家vs反国家という二分(による絶対正義権の発動=イデオロギー)矯正」と読むかどうか、が論点なのですが。

1.こないだの大戦で日本国は「生きて俘虜の辱めを受けず」を国民に強制したのは事実ですね。

2.それを「過去は切り捨て平和国家建設」という形で総括し戦後の日本国家は始まった。

3.小泉の靖国参拝から「憲法改正へ」への動きは、「2.」の全否定としてある。

4.ここにおいて、少なくとも「1945.3.10~1945.8.15」の間に死んだ死者たちは目覚めて歩き回りはじめた。

というのがわたしのパースペクティブです。

 このような構造に無自覚であることは、「国家」という言葉で、戦前戦後のべたらな「3.」レベルの国家イメージを肯定してしまっていることになると思います。

*1:この文章はhizzzさん宛に書いたものではありません。drmccoyさんあて。念のため。

更新履歴

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/

の更新履歴です。

050503

2)indexファイル: 「掲示板についての原則」のテーブル化

3)indexファイル:「松下昇への接近」の案内文の最初「ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。」の削除、など。

(訂正前の文章)

ここを開始してから2年以上経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

「故人」の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。現在試行中。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。20030812~1005

4)「刊行リスト」での「スペースAK」へのリンクが切れていたので繋ぎ直す。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu992.htm

5)

 現在までうちのサイト(インフォシークnoharra)、及びhatena(ここの1100年のところ)(htmlファイルを白紙から作るべきだが面倒なのでとりあえずhatenaを利用している)にUPした、松下昇の表現は数えると10個あった。(洩れているものもあるかもしれない。)

あんかるわ版表現集から、「私の自主講座運動」と「情況への発言など」、あとの8つは概念集シリーズ(全14冊+α)からだ。下記に目次掲載した。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000110#p1

indexファイル(表紙)には、「私の自主講座運動」「情況への発言など」「「概念集」から」と、三つに分けて表示し、最後のに上記をリンクした。

050502

1)概念集3の目次 テーブル化やっとできた。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/11000111#p4

(エクセルでいうセル結合を、tableでどうやってやるのか、まだ分からない。)

050501

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html Let it be

誤字訂正 4ヶ所

(訂正前)・至らしめ、、

・とこかで

・この対応への耐えがたさか

・・・・

040811

・概念集の1項目の「批評概念を変換し…」を追加。索引から入ってください。きっかけは、掲示板で「無意味と言葉」について話がでたため。

参考:

040509

・『表現集・1』より「わたしの自主講座運動」を追加。表紙から入れます。

040429

・・ 野原燐の頁「いま非国民カードを引こう」に「天皇あるいは言説について」を追加。

040427

・概念集の1項目の「連続シンポジウム」を追加。索引から入ってください。きっかけは坂本守信氏の学友会裁判の最高裁判決がでたため。

参考

040307

・トライポッドからライコスへの移行に伴い、壊れていたカウンタを再作成。リセットされた。ちなみにはてなの野原日記は、短期間で現在1345。

・更新履歴が「新しいものが下」になっていたが「新しいものが上に」置き換える。

0402某日

・「noharra(野原の日記)」を「彎曲していく日常(野原の日記)」に変更。

031124

・「掲示板」の上に「noharra(野原の日記)」を追加。

いままで掲示板に(平均週1回程度)野原は書き込みをしてました。

11月から「はてなダイアリー」というところで、日記というか文章をUPすることにしました。現在、こちらの方によく書き込んでいます。。

031011

・「Let it be」の文章の行間を開けて読みやすくするために、

スタイルタイプの記述を入れてみた。

(そのtagをここに書くとhatenaではここまでしか表示してくれない)

スタイルシートというものだそうだが上手くいくのか。

・「更新履歴」を作成、UP。

031005

・タイトルを「O<<   >>O」から、

「<<<<<<   >>>>>>」 に訂正。

・「表紙」訂正:メインコピーの1行目に、

「全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ!」を追加。

・更新履歴を追加。(中身はなし)

・概念集の1項目「Let it be」をUP。(上記「存在せしめよ!」からリンク)

・「バリケードと松下(写真)」を追加。(中身も)

・「掲示板」自由に書き込んでくださいの下に下記を追加。

|(今頃言うのもおかしいが原則を定めます) 1.公開

|2.参加者の自由な討論ですべてを決定する

|3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が

|  各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

030812

・「表紙」訂正:下記メインコピー二つを削除。

「…… 告発し、占拠する、関係としての原告団をつくろう。」を追加。(松下氏のフレーズ)

・「一旦縮小」の文章追加。

ここを開始してから2年経ち、惰性で継続しているという批判は免れがたい。

故人の完成したテキストを公開~広告していくのではなく、いまここに突き出される提起としても提出したいと思ってきました。それはいくらかは実行できた、と自負するものです。しかし、<松下昇の~わたしの原告団>の全体像を開いていくだけのプランの力強さが欠けていたと反省せざるを得ません。2週間以内に再出発する予定で、一旦縮小します。松下のテキストを読みたい方は下記野原までメールしてください。 20030812

・「亡くなりました」訂正:(蛇足)で何が書いてあるのか を追加。

030717

・「表紙」訂正:メインコピーを二つ。(いずれも松下氏の文)

「 いま自分にとって最もあいまいな、ふれたくないテーマを、闘争の最も根底的なスローガンと結合せよ。そこにこそ、私たちの生死をかけうる情況がうまれてくるはずだ。」

「汝はなぜここにいるのか。もはや、ここから脱出することはできない。ここに集中してくる全てのテーマを一人でも生涯かけてひきずっていく力を獲得するまでは。」

2001/07/24ごろ このサイト開設(掲示板「北海」も)。

・・・・さらにその前史。hi-hoとあと一つの場所で開始を試みる。2年ほどはやっていたような気もします。内容はここと大体同じ。

神武天皇のY染色体

初代の神武天皇のY染色体は、男系男子でなければ継承できない。

八木秀次(高崎経済大学助教授)

(「皇室典範に関する有識者会議」での発言)

“神話”を、(最新の?)自然科学的知見に合うように合理化立体化して、それが太古から伝えられた真実であると高唱する点で、八木氏は服部中庸などの立派な後継者である。まぐわいとはY染色体を継承するための行為なのだろうか? その辺の古事記解釈を詳しく聞きたいところである。*1

さて「男系系譜が125代続いた伝統である」、「歴史の重さ」などというレトリックも使っているようだ。日本には「万世一系」というイエオロギーしか誇るものがないから、このイデオロギーの歴史は古い。

*1:ついでに「三大考」21世紀ヴァージョンも書いてください。

二・二六事件と中国侵略

 村上一郎の『北一輝論』という小さな本の最後に「私抄“二・二六事件”--「革正」か「革命」か?--」という文章がある。フラグメンテとされておりきちんとまとまったものではない。二・二六事件のことも戦争の歴史もよく知らないので難しかった。1970刊行の古い本であり、ここで批判の対象にしている『昭和史』という本はさらに古い。だが根本的な処では(世間の常識というか偏見は)あまり変わっていないのではないかと思う。少し長いが貼ってみた。

 いったいに、戦後の社会科学者の間における解釈では、五・一五事件も血盟団も神兵隊も二・二六事件もこみにして、日本型のファシズムとしてひとくくりである。それのみか、ニ・ニ六事件や五・一五事件の将校も、太平洋戦争への道を歩んだ「省部幕僚」もこみにされてしまう。皇道派と統制派という色分けをする者はあっても、それは一種の勢カ争いというように解釈され、当時の新聞記者の感覚以上には進んでいない。

 たとえぱ、満州事変以後の頃、「国内のゆきづまりを打開し、日本の危機を救うためには、“満蒙問題の解決”とならんで“国家改造”が必要であるとの見地から、軍国主義化の先頭に立ったのは、民間右翼とむすんだ青年将校であった」とみなす「昭和史」(新版)の著者、遠山茂樹・今井清一・藤原彰らの解釈は、非常に浅薄なところを含んでいる。この書では、その青年将校として、海軍の藤井斉、陸軍の菅波三郎を中心人物としてあげているが、この二人を中心とするグループが、「軍国主義化の先頭」に立ったものとは、どう考えても解釈できそうにない。また「国家改造」を、「満蒙問題の解決」と「ならんで」要求したのかどうかも、すこぷる疑問である。「満蒙問題の解決」をもし武カ解決という意味にとるなら、藤井斉にせよ菅波三郎にせよ、いずれも武カ侵略主義者や植民主義者であったという証拠はない。彼らが考えた「国内改造」は、満州のみならず、すでに日本が領土内に入れていた朝鮮の武カ支配をも、なろうことなら避けて、国内でやってゆけるような日本の改造である。だからこそ「国内改造」は「昭和維新」であったのであり、満蒙の武カ占有というようなプログラムを第一義約にもつものであったなら、けっして「維新」とよばれることはなかったであろう(「支那を救う」という言棄はニ・ニ六より前に五・一五で現れている。が、これは『昭和史』のいうニュアンスでない)。

 戦後「進歩的」社会科学者の旗手である『昭和史』(新版)の著者のような論者たちには、いわゆる「軍部」の「革新政策」も、青年将校の「維新」運動の推進も、同一のものとしか解せられていない。また、これはたいせつなことなのだが、権藤成卿のような農本主義者の運動(自治農村協議会なぞ)も、社会ファシズムの運動も、くずれた社会民主主義者の運動も、『昭和史』(新版)ではたんに並列され、同一視されている。

 「つらつら思うに今日吾国政党政治の腐敗を一掃し、社会の気運を新にするものは蓋(けだし)武断政治を措きて他に道なし」と、永井荷風が昭和六年十一月十日の日記に記したこころも、わたしは省部官僚による「軍部」的な「革新攻策」ヘの期待ではなく(そこに真の「武断」はない)、けっして永続はすることのない「維新」断行への渇望の庶民的な表白であったと考えたい。省部幕僚・官僚の形成する「軍部」を荷風は終始嫌悪した。

 満州を攻略した軍人ならぴにその周辺の官吏・民間人・浪人たちの間にも、ただ単に満州を領有すれぱよいという考えがあったのではなかった。石原莞爾がまずはじめは満州の領有=軍政施行を考えており、それから満州建国=王道楽土の思想に転向するのはドラマティックである。そしてしかも、石原らの理想、理念は、その後の日本権力者の意向によりふみにじられ、建国=王道楽土の思想は一掃され、石原派は追われる。

 満州がまず武カ占領され、軍攻をしかれねぱならぬという関東軍の考えから、実際占領してみての人民の能力の高さ、抵抗の強さ(それまでもっと低く見ていた)におどろいて、石原莞爾の「転向」に急カーブしたいきさつは、わたしらの編集した『支配者とその影』(「ドキュメント・日本人」第四巻)で佐々木二郎が語っているとおりであり、「王道楽土」の理念が日本の中央権カによってくずされ、石原派が追放されるくだりは高橋和巳の小説「堕落」にくわしく描かれている。満州国を、真実のカイライ国家(正にそれのみの)と化したのは、「王道楽土」の理念に生ききろうとした大陸浪人や石原派の軍人や、その周辺の民間人・官吏たちではなかった。満州を小さいコンミューンの単位から組み立ててゆくことを嫌悪し、そういう方向を弾圧し、中央集権を強カに推進しようとした日本の権力と独占資本とが、満州国をまったくのカイライと化したのである。これは日本の「維新」を推進しようとする純真な青年の支持しない方向であった。

 満州の産業を財閥の手にゆだねると同時に、全土に憲兵の眼を光らせ、「憲兵政治」を確立する東条英機(関東軍参謀長)らの政策は、また当初の「王道楽土」の理念をふみにじるものであった。石原莞爾と東条英機との宿命的な対立も、この満州の支配の仕方において、まず開始されたのである。石原も一個のファシストであったが、彼は農村主義的ファシストであり、東条は、自分一個の思想には欠けたが、大ざっばにいって社会ファシストの上に戴かれた。

        * * *

 二・二六事件がもし成功していたならば--「成功」というのがどういうことかはむつかしいが--万が一にも日中事件はおこらなかったか、ないしおこっても小規模な戦闘のみで解決せられたろうという予想は立つ。多くの社会科教科書や左翼歴史の解説書が、二・二六事件を戦争体制強化のためのクーデターであるかのごとく書いているのは、まったくの誤解である。北一輝にも磯部浅一にもシナ侵略の意図はなかった。対米戦争の意図もなかった。ソ連に対する掣肘は考えられたが、それは「支那を救う」方向だった。

(p169-172『北一輝論』村上一郎 三一書房)