SSID

最近は、パソコンのことを何も知らない人でも、ADSLとかにして無線でノートパソコンと繋ぐ、というのがむしろ普通なのかもしれない。ところがこの接続がけっこう難しい。知人に頼まれちょっと繋ぎに行った。難しい原因は当然ながらセキュリティ確保対策だ。モデムとパソコンの双方に二つのパスワード(と言って良いのか)を設定する。モデム側の設定方法は附属CDで丁寧に説明してあるが、パソコンについてはメーカーによって違うらしくなかなか設定できなかった。それにしてもこれだけのことのために、2時間半もかかるとはわたしもたいてい無能だね。

ところで、超初級者はせっかくのパソコンをほとんど使えていないことが多くもったいない。どうすればよいのか。もちろんパソコンなど不要だから使う必要ないと言われればそれまでだが。

自覚のクライマックスで死を与える

ぼくは犠牲たることを回避しない。自己を捨てることをこばまない。しかしそのprocessとして自己を無にすることを嫌うのだ。それを是認できないのだmartyr(殉教)ないし犠牲は、自覚のクライマックスでなされるべきだ。自己喪失の極限が犠牲たることに、なんの意味があろうか。

(林尹夫 p330『ねじ曲げられた桜』より)

林尹夫は10/30付けで紹介した佐々木八郎などと同じく「大東亜戦争」の最後に特攻として散っていった若きインテリ兵である。45年7月撃墜された。

彼が過ごしていた海軍基地では、読書そのものが禁止されるという馬鹿げた事態が起こった。上の文章はそのような情況への怒りである。

愚劣なりし日本よ

優柔不断なる日本よ

彼は資本主義と軍国主義の病に侵された日本の破滅を願った。しかし彼は「新たな日本を創るため」特攻機に乗ることをためらわなかった。

<死へとかかわる存在>においてこそ、<そのつど私のものであるという性格>の自己自身が構成され、それ自身に到来し、その置き換え不可能性へと到来するのだ。自己自身の自身は死によって与えられる。

(p96デリダ『死を与える』のハイデッガーの論理の解説の部分より)

彼一個の死を、60年も経ってから、自らを国家に捧げけたのだとして、安物の国家主義の昂進の方向へ利用してしまう奴らを叩きつぶせ!

なぜこんなに、すらすらと平気に

私は学校で、万葉の講義をしているが、時々、なぜこんなに、すらすらと平気に、講義をすることが出来るか、と不思議に思うことがある。先達諸家の恩に感謝する事は勿論であるが、此処に疑いがある。教えながら、釈きながら居る人の態度として、懐疑的であるというのは、困ったものであるが、事実、日本の古い言葉・文章の意味というものは、そう易々と釈けるものではなさそうだ。時代により、又場所によって、絶えず浮動し、漂流しているのである。然るに、昔からその言葉には、一定の伝統的な解釈がついていて、後世の人はそれに無条件に従うているのである。私は、これ程無意味な事はないと考える。

(p149-150折口信夫「神道に現れた民族論理」『全集3巻』isbn:4122002761

摂津堂テクスト/日記のような、何か 12/17

2006-12-17 議論話の続き/メッセージ&web拍手コメント等

■[休眠モード][雑記]議論話の続き/まとめ+noharra氏への問いかけ

 どうもです。ここのところ、色々とあった例の議論話なのですが、折角ですのでとりあえず関連の話題になったURLとかでもまとめておきましょうか。適当なので記載していないものとかがあったら済みません。

 

・摂津堂テクスト(当ブログ)

イラク問題のこの頃/マブダチということ

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1

noharra氏の最初の突撃地であり、当ブログにおける論争?発生地。コメント欄にて。

コメント欄の議論のこととか。

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061210/p1

この件に関する12/10更新時での私的まとめ。

・Kojii.net ココログ別館

ちょっとぶちまけてみたくなった

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html

井上@Kojii.netさんの所に於ける、noharra氏の突撃地。

私が対案提示を求めた理由

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc41.html

なぜ、井上@Kojii.netさんが対話を試みたのかの述懐。

・Kojii.net

Opinion : “正しいこと” と論理飛躍の怪しい関係

http://kojii.net/opinion/col061211.html

井上@Kojii.netさんのブログの、noharra氏突撃コメント欄のやりとりを題材にした記事。「アジリテーター」について。

Opinion : 弱者は強者 ?

http://kojii.net/opinion/col061127.html

アメリカ政府に対する陰謀論その他の事例に関する考察。正確には今回の論争とは直接リンクしていないが、タイムリーに関連する話題。

・孤高

noharra氏の反米突撃

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061210/p11

ID:myhoney0079さんの、今回の論争に関するまとめ。分かりやすいです。(ちなみに、この件に関してhttp://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061210/p10にnoharra氏突撃。)

週刊オブイェクトからリンクもろた

http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20061213/p3

watchネタとして取り上げた理由。

・週刊オブィエクト

焦土作戦~白燐弾で焼け野原!?~

http://obiekt.seesaa.net/article/29501363.html

まとめ+noharra氏の主張するリアリズムについての考察。おそらく、JSFさんのこの記事からまたぶわっと話題が広まった模様。姿勢制御あれ。オブイェークト。

・軍事板常見問題

【質問】軍事分野における「リアリズム」について教えてください.

http://mltr.e-city.tv/faq99a03.html#realism

ついに、軍板FAQに……。

って、<応用例>って、ちょwwwwwwww

 なんというか、ウチに突撃する程度で止めときゃ良かったのに……。

 ここまで派手に燃え上がる(あるいは、ネタになる)ともう処置無し、ですかねぇ……。

 しかも複数箇所で突撃なさってるようですし。

 

 二正面作戦は歴史の戒める所なのかも知れませんが、なんというか、こう、「二正面作戦ってレベルじゃねーぞ!」というか。

 

 

 それはそうと、ID:noharra氏より件のコメント欄に書き込みがありました。

 ……あったのですがー。(以下、しばらくコメント欄の話題なのでご興味の無い方はカッ飛ばしても構いません。というか、本題は下のほうにあります。「本題」とでも検索して下さい。)

 

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1#c1166048051

>>○(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けているのです。

 現状ではイラク駐留は最善の選択と思われます。

 これではご不満なのでしょうか。<<

(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けている。しかし

(1A)アメリカ軍の駐留なしのイラクはより多くの不正と災厄にみまわれることになろう。

settuさんの意見は、(1N)+(1A)ということでなのですね。

わたしは(1A)を否定するので、(1N)だけが際だつことになります。ところがsettuさんの場合、(1A)と切り離された(1N)をうまく思考できないようですね。

 ……何で余計な一言を付け加えるのかなー(苦笑

 いや、逃げ……もとい、撤退するんだったら、黙って逃げ……じゃなくて、撤退すれば良いと思うんですヨ。

 さもなくば、「意見の相違を見ることでしか無くて残念です、では失礼します」程度の、双方の顔を立てるような無難な、波風を立てないコメントで止めておくとか。

 別に、無理に「敗北宣言汁!」とは申しません。反論出来ませんすみませんでした対案も出さず皆様の質問にも答えずにひたすら余所様のコメント欄荒らして済みませんでした、と土下座せよとも申しません。先方にも意地がおありでしょうから。心の底では「自分の勝ち!」*1だとか「結局こいつ等はアメリカと自衛隊の不正義が理解できない愚民か」とか、そんなことをお考えになっていらっしゃるのかも知れませんが、別にその幸せな幻想を崩せとも申しません。しかし、だからこそ、撤退にも礼儀ってものがあると思うんですヨ。それが互いに顔を立てておく、ということですから。

 

 それではなく、こちらに対する非難コメントだけ残して撤退、しかも、「うまく思考できないようですね。」と相手を中傷するような捨て台詞を残して撤退ってのは、あまりカッコ良いことではないですな。というか、どう見ても最後まで議論から逃げまくった上での勝利宣言です、本当に有難う御座いました、と。

 ちなみに、何か最後にいちゃもんをつけられたまま、というのも微妙かも知れませんので、一応反論しておきますと、私はそもそも、noharra氏が強硬に主張する

 

>(1N)アメリカ軍のイラク駐留は不正と災厄を生産し続けている。

 に根拠が無い、と指摘しているのですね。ええ、何度も。

 ところが、noharra氏はそれには答えず、あるいは見ないふりをしたまま、同じ文言を繰り返している。

>settuさんの意見は、(1N)+(1A)ということでなのですね。

 ですから、違うと何度も言ってるんですけどね。貴方の意見には同意できません、貴方の主張にはそもそも論拠が無い、と。

 前回の記事でも引用しましたが、井上@Kojii.netさんの、

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/__6b76.html

わざわざ、意見を異にする人の日記に乗り込んできて対立意見のコメントを書き込むのなら、相手を説得できるような材料を持ってくるのが筋ってものなんじゃないのかなあ、と。

ただ単に「アメリカのイラク政策は間違ってる」「だから日本は関与するな」と連呼するだけでは、「じゃあ、どうすればいいと思ってるのさ」といわれればアウト。noharra 氏にはそういう自覚がなくて、「壊れたレコードみたいに自説を連呼すれば、それだけで相手が納得する」とでも思ってるのかしらん。

逆に、自説を連呼することに対して無条件に賛同のコメントが欲しいのなら、わざわざ “敵地” に乗り込むようなマネをしなくても、オルタナとか AML とか、もっと都合のいい場所はあるだろうに。

 にある通りなのであります。*2

 私にしてみれば、言わば、noharra氏が「アポロが月に行っていない!!!!!」*3といきなり当ブログのコメント欄で主張したのと大して変わらないのですね。アレは捏造だ! アメリカと世界人類の偉業なんてことはありえない! と。

 いや、別に「アポロが月に行っていない!!!!!」と主張する……もしくは、信仰するのは構わないんですよ。(まぁ、単に「同じアメリカの話題だから」ということで別の話を持ってこられてもそもそも困ることは困る訳ですが。今回の「同じイラクの話題だから」というのと同様に。)

 ただ、だったらちゃんと論拠とか説得材料とかを持ってこないと。

 まぁ、持って来られても当方は「アポロは月に行っていない!!!!!」という主張に真面目に付き合う気はあまり無い訳ですが、いずれにせよ、その段階にすら辿り付いていない訳です。

 「イラク駐留は不正と災厄を生産し続けている!!!!!」と主張したいなら、きちんとそれを示す客観的データ、しかも、「不正と災厄(つまり、駐留の無い状態よりも悪い状態)」を、現在「生産し続けている」データを示さないと。まぁ、そもそも「不正と災厄」が何を指しているのかすら不明なのですが*4。結局、そこの辺りから話を始めなければならない筈なんですな。本来は。

 ちなみに、言うまでも無く、特定の事例のURLでも適当にコピペされても困ります。つまり、

http://kojii.net/opinion/col061127.html

アメリカのように所帯が大きい相手になれば、叩けば埃の一つや二つは常に出てくる

 訳ですから。無論イラクは色々と大変な状況だから、イチャモンをつける材料には事欠かないことでしょう。というか、自分も5分10分漁ればすぐに見つけられると思います。でも、それは、「不正と災厄(つまり、全体として駐留の無い状態よりも悪い状態)」を、現在も「生産し続けている」という論拠にはならないのであります。いや、先方はそれで十分なのかも知れませんけど。

 という訳で、ひたすら「アポロは月に行っていない!!!!!」と材料も持ち込まずに主張されても私は困ってしまうだけなのであります。「俺に言われてもなぁ」(CV:ちよ父*5)という感じな訳です。

 

 つまるところ、noharra氏が「アポロは月に行っていない」といきなりこちらのブログのコメント欄で主張し出したから、いや、自分は行ったんじゃないかと思うんですヨ、と答えてあげた。ただ、それだけのやりとりなのであります。まぁ、当方としてはそもそもそこを突き詰めて議論する気も無い訳ですが。つまり、そこには論争するまでの「興味が無い」のであります。

 あんまし巧い喩えじゃない気もしますが、個人的な感想としては、つまりはそういう感じなのです。ええ、個人的な感想ですね。

 ついでに言えば、私は別にnoharra氏に「アポロは月に行ったんですよ?」と説得しようとも思ってもおりませぬ。noharra氏が、別にどのような信仰を持たれようと構いません。信仰の自由も思想の自由も日本国民に与えられた大事な自由なのであります。勿論、noharra氏が「そっちが間違っているんだ!」とお考えになっても構いません。noharra氏をオカルティストとして罵倒する意図は全く御座いません。おや、意見が異なりますね、と、それだけです。ただ、その信仰を(材料も無しに)こっちに持ち込まれても困るよね、と。

 そういうことな訳です。

 でもって。

(1A)アメリカ軍の駐留なしのイラクはより多くの不正と災厄にみまわれることになろう。

(中略)

わたしは(1A)を否定する

 だから、皆さんが、その論拠は? それを、否定できる、即ち米軍駐留に取って変わることの出来るような対案は? とnoharra氏に、繰り返し、繰り返し、聞いてる訳ですけれどもねぇ……。

 で、結局noharra氏はこちらの問いかけには答えることなく、

ところで、

>> いずれにせよ、私は、貴方がご自分の世界にお帰りになられる分には、一向に引き止める気は御座いません。いや本気で。

とのことなので、メインの議論はkojiiさんが拒否されなければkojiiさんのところでやらせていただくことにします。

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.htmlのコメント欄

 ということで、こちらでの議論を切り上げ、井上@Kojii.netさんの所に向かわれるようです。

 こちらからの問いかけの一切には、ついに答えることなく。

 つまり、ここでは初めから議論は存在しなかった、という結論になってしまいそうです。

 何しろ、対話が初めから成立しなかったのですから。

 

 noharra氏は

今回もはなはだ不十分な発言になります。

 と仰っておりますが、不十分というか、殆ど無回答と同じようなものかと。

 結局noharra氏がウチのコメント欄でやったことは、ひたすら無意味な文字記号列長文を書き込むことだけだった、ということであり、私や井上 @Kojii.netさん、名無しさん、通行人さんはその無意味長文に対して、そもそも意味の無い応答していた、ということになってしまうのであります。私自身は前回書いたようにお帰りになって一向に構わないのですが、私はともかく、何度も誠実に回答し、問いかけていた井上@Kojii.netさんや他の方々に対して酷い話ではあります。*6

 

 最初の方で挙げたリンクと重複しますが、井上@Kojii.netさんはこう述べておられます。

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_dc41.html

どうして私が野原氏に「あなたはどう考えているのか」としつこく問い続けたのか。

それは、アメリカの対イラク政策について「やーいやーい失敗しやがって馬鹿野郎」となじって、あげつらって、罵倒しているだけなのか。それとも、「自分はこうして解決するのがよいと考えるわけだが、それに照らして現状はこうだから、かくかくしかじか」と、なにがしかの識見を持った上で物事を見ているのか。その違いにこだわったからです。別に、「あなたの考えを持って行って関係者を説得してこい」だなんて無茶はいいません。

失敗をあげつらうだけでは、「おまえの母ちゃん出ベソ」と囃すのと、大して変わらないじゃないですか。そして、「俺は正義の味方だぞ~」という自己満足で終わっちゃうんじゃないですか ? それでいいのでしょうか。ガキの喧嘩じゃないんですから。

 で、結局noharra氏は、この問いかけに答えることは無かった。

 井上@Kojii.netさんのところにへ向かうと仰ってますが、もしもまだはた迷惑な論争を続けようというのなら、出来れば、せめて、そこで井上 @Kojii.netさんや他の皆様の誠実な問いかけ、ここで問い掛けられたものを含めての誠実な問いかけにちゃんと答えて頂ければ、と思っております。自説の主張ではなくて。

 何にせよ、このままでは結局井上@Kojii.netさんやその他の皆様に対する応答の道義的義務をnoharra氏が放擲した、という動かし難い事実には変わりは無い、と。

 まぁ、私個人はこの件でこれ以上の追撃をかける気は無いのですが。

 ……さて、まぁ先方もコメント欄で言いたいことは言い切ったようなので、こちらの本題に入りますか。

 そんなこんなで、私はnoharra氏とこれ以上イラクネタ・反米ネタに関する無駄な論戦、というか無意味な文字記号列に対する応答をしたいとはカケラも思っていないのですが、先方に一点だけ「弁明」を求めたい部分はあるのですね。

 

 という訳で、前回http://d.hatena.ne.jp/settu/20061210/p1に書いたことですが、改めてお伺いします。

 

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#1165619206(noharra氏)

悪への荷担を自覚できないばか?

 この一文は、どういう意味なのでしょうか?

 

 恐らく、コメントのつけ方から判断するに、私のコメントに対しての、ご意見だと思われますが。

 そもそも、こちらの文章を「詐欺師の文章」呼ばわりしたり、「チャチなレトリック」呼ばわりしたり、「やれやれ。settuさんは自分の思考方法に自信をもっておられるようだ。うーん。」と仰ったり、「あなたはブログで議論する意思も能力もない! で良いのですね。」と仰ったり、その他色々と見下しモード、煽りモードの書き方をなさったり、他にもこちらでの議論に関して、「なんでも「対案を出せ」といっておけ!」「対案を出せ攻撃」「大笑い」などと品評なさったり(井上@Kojii.netさんの表現をお借りするなら、くだを巻いたり)と、色々とお忙しい方だ(今回の「うまく思考できないようですね。」も相当なものですなw)とは思っておりましたが、上記引用の一文だけは、流石に、ちょっと看過することは出来ませんw

 いわゆる、「侮辱罪」にも相当する可能性があったりするのかなぁ、とも。あれはあれで犯罪なんでしたっけか。いや、自分は法律に関して全くの素人ですので、そういう面はよく分かりませんが。

 

 という訳で、これはhttp://d.hatena.ne.jp/noharra/20061128#p1でnoharra氏がなさっている、井上@Kojii.netさんや名無しさん、通行人さんのコメント削除等の意図的編集を加えた上でのコメント転載等の話*7よりも遥かに気になるところです。いや、こっちはこっちで何とも微妙な印象、というか弁明を求めたい所ではありますけれどもねw

 まぁ、井上@Kojii.netさんに、

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061122/p1#c1165388909

# 井上@Kojii.net 『noharra 氏が自分の日記に、ここでのやりとりをコピペしているのだけれど、私の前回の発言×2 だけスルーしているのにワロタ。』 (2006/12/06 16:08)

 とか、

http://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_7f03.html

もうひとつ。

あなたが、私の主張に対して説得力がある反論をしていると考えておられるのであれば、御自身の日記にせっつさんのところのやりとりをコピペした際に私の発言をオミットしているのは、どういうわけです ?

 とか、突っ込まれたりしてから、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#p9

以上はnoharra11/28の続きですが、論争の原本はsettuさん及び井上さんのコメント欄にあり、こちらは(百%ではない)コピーです。

 とか後から言い訳を書き加えたりする辺りもいかにも微妙な訳ですが。

 

 ……他にも、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061128#c1166338231 

# anatanomakedesune 『野原様

>はいはい、遅れておりまして申し訳ありません。

休日を挟んでもアップされないと言うのは、実は遅れているのではなく、都合が悪いのでアップする気が無いのではありませんか?

 とか向こうでも突っ込みが入っていたりしておりますね。「http://d.hatena.ne.jp/noharra/20061209#p8に載せてるから良いんだ!!!」と主張なさるのかも知れませんが、妙なところで転載テキストを切り離して、また分けて転載ってのも微妙な話ですね。

 ……閑話休題。

 とかく、世間ではスルー力云々とかいう議論があるようですが*8、残念ながら上に挙げたこれはスルーテーマ全開でスルーするにはいささか厳しい。

 

 前回書いたように、これでも、これまではそれなりに丁寧な論議を心がけていたつもりでしたので。

 という訳で、少なくとも、最低でもこの件に関してのみは、是非とも弁明をお願いたい所ですね。ええ、是非に。

 

 これは、如何なる意味なのか。

 

 これはイラク云々、思想云々以前の、一文明人たる資格、あるいは一文明人として他者に認定されるに足りうる資格を備えた者か否か、としての最低限の礼儀(言い換えれば最低限の知性と教養)のお話なのであります。

 そこが問われているのであります。

 

関連:この辺りの件に関して頂いたメッセージやweb拍手コメント等

http://d.hatena.ne.jp/settu/20061217/p2

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4/1 最初にだましたのは誰か?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070401#c1175470452

ebizoh ebizoh 『海老蔵中道右派です。

>最初にだましたのは誰か?中国まで連れて行ったのは誰か?は映画で描かれていません

最も可能性として高いのは、朝鮮人の女衒が親か本人を騙して中国に連れて行ったのでしょうね。それで日本軍に騙されたことになってしまうのは、冤罪ですね。

野原さんも被害者の証言を冷静に見ることができるようになって、良かったですね。』

ebizoh ebizoh 『ついでに、以前の積み残しの返答をさせていただきます。

元エントリが容量オーバーのため。

>--あなたの「証拠を出せ」ゲームに乗るつもりはありません。

もう、私と野原さんの間では、証拠を出せゲームとやらは、ほぼ終わっているのでは?

議論のフェーズは、お互いのほぼ共通の事実認識がある(ここに齟齬があれば、また証拠を出せゲームとやらが復活?)ことを前提に、その事実がどのような法的意味を持っているのかを考えることに移っているでしょう。

>--あなたの「証拠を出せ」ゲームを仮に前提とした場合、ミッチナ報告の読みの点であなたは矛盾を犯している。

>これを認めてください。

おそらく、証拠を出せゲームの次のフェーズである法的評価ゲーム?のことを言われていると思われますが、矛盾はありません。

1、私は、ミッチナレポートは要約部分しか読んでいないので、そこに明記してあった、レポートの調査対象となった慰安婦の平均年齢が25歳ということ、実態は戦地売春婦であること、しか知りませんでした。この事実認識からは、実態としても違法性を基礎付ける事実はなく、日本の国家としての法的責任は生じません。

2、野原さんのご紹介のサイトによれば、対象慰安婦には未成年の者がかなりの割合で存在したそうですね。しかし、当該サイトはその下段に示した参照書籍の内容を要約したものなので、サイトの筆者と参照書籍の筆者という2者の主観を経ています。つまり、2回も主観的間違いが混入する可能性があるので、原典であるミッチナレポートの本体の該当部分を確認することが本来は必要です。

3、原典確認は一端脇に置くとして、未成年者が一定割合いたことを事実と考えても、朝鮮人台湾人占領地の現地人については除外規定があるため違法ではありません。日本人の未成年者がいれば違法でしょうが。

4、そして、日本人未成年者という違法な実態を基礎付ける事実があったとしても、日本が国家責任を負い得るのは、その日本人未成年者に対してだけですね。』

noharra noharra 『○○最も可能性として高いのは、朝鮮人の女衒=日本軍の依頼を受けた三下=下級ヤクザですね。

>>>それで日本軍に騙されたことになってしまうのは、冤罪ですね。

と思うのは、旧皇軍の親族だけでしょう。

>>>野原さんも被害者の証言を冷静に見ることができるようになって、良かったですね。

なめたような口をきかれるんですね!海老蔵さまは』

noharra noharra 『エビゾーさん

>>>1、私は、ミッチナレポートは要約部分しか読んでいないので、そこに明記してあった、レポートの調査対象となった慰安婦の平均年齢が25歳ということ、実態は戦地売春婦であること、しか知りませんでした。この事実認識からは、実態としても違法性を基礎付ける事実はなく、日本の国家としての法的責任は生じません。<<<

「この事実認識から」ってあなた!!

あなたの「証拠出せゲーム」は「わたしの心の内の事実認識」なんてものを一旦出発点に立てるのですか??

何のための「証拠出せゲーム」か、意味不明ですね。

>>>2、野原さんのご紹介のサイトによれば、対象慰安婦には未成年の者がかなりの割合で存在したそうですね。しかし、当該サイトはその下段に示した参照書籍の内容を要約したものなので、サイトの筆者と参照書籍の筆者という2者の主観を経ています。つまり、2回も主観的間違いが混入する可能性があるので、原典であるミッチナレポートの本体の該当部分を確認することが本来は必要です。<<<

ミッチナレポートの本体の該当部分を確認することを誰がするのですか?

>>>3、原典確認は一端脇に置くとして、<<<

この論点についてだけは「証拠出せゲーム」は一旦中止するのですね。

その根拠は?

>>>>未成年者が一定割合いたことを事実と考えても、朝鮮人台湾人占領地の現地人については除外規定があるため違法ではありません。日本人の未成年者がいれば違法でしょうが。<<<

違法かどうかなど、私の論点ではありません。

正しい福岡県民*1なら「朝鮮人台湾人占領地住民を日本人と差別扱いする」ことなど考えられない、というのが私の主張です。

>>>4、そして、日本人未成年者という違法な実態を基礎付ける事実があったとしても、日本が国家責任を負い得るのは、その日本人未成年者に対してだけですね。<<<

そういう人はいなかったとでもお思いですか?』

ebizoh ebizoh 『>>>最も可能性として高いのは、朝鮮人の女衒=日本軍の依頼を受けた三下=下級ヤクザですね。

>>>それで日本軍に騙されたことになってしまうのは、冤罪ですね。

>と思うのは、旧皇軍の親族だけでしょう。

いえ。私の先祖には旧皇軍に参加した者はいないのですが、日本軍は違法な募集は止めさせるよう努力してたでしょ?漏れたのもいたかもしれませんけど。

>なめたような口をきかれるんですね!海老蔵さまは

いえ。本心でございますよ。野原様。

>「この事実認識から」ってあなた!!

>あなたの「証拠出せゲーム」は「わたしの心の内の事実認識」なんてものを一旦出発点に立てるのですか??

いいえ。だって、野原さんは、ミッチナレポートの内容をどう評価するかと質問されたので、正直に答えたまでですよ。

>ミッチナレポートの本体の該当部分を確認することを誰がするのですか?

議論している以上、私と野原さんの両方ができればベストですね。

>>>3、原典確認は一端脇に置くとして、<<<

>この論点についてだけは「証拠出せゲーム」は一旦中止するのですね。

>その根拠は?

その先のことを野原さんが聞きたいだろうと思ったので、仮定の話として議論に応じただけですが。

>違法かどうかなど、私の論点ではありません。

>正しい福岡県民*2なら「朝鮮人台湾人占領地住民を日本人と差別扱いする」ことなど考えられない、というのが私の主張です。

野原さんは福岡県民なのですか?私は東京都民です。

というか、差別扱いしたのは過去の日本政府ですから。

私は現在であれば人種差別はしない誇り高い日本人のつもりですが(天皇機関説が妥当と考えるので右翼ではないかも)、ただ当時の法によれば違法ではない、という当然のことを区別して言ってるだけです。

>>>4、そして、日本人未成年者という違法な実態を基礎付ける事実があったとしても、日本が国家責任を負い得るのは、その日本人未成年者に対してだけですね。<<<

>そういう人はいなかったとでもお思いですか?

いたとしたら、政府や軍の管理不行き届きは責められるべきですが、日本人慰安婦って誰も国家責任追及してないんですよね?してる人がいたらぜひ教えてください。』

4/9コメント欄

*1:あるいは正しい右翼なら、少しは誇りを持つ日本人なら

*2:あるいは正しい右翼なら、少しは誇りを持つ日本人なら

真実や静止状態それ自体が解放的である訳ではない。

 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』5600円がベストセラーに、

なりつつあるらしい。うちの近くの三つの大きな本屋では売り切れのようで、より大きな都市に行ったらあったので思わず買ってしまった。

やっと200頁ほど読んだが、もちろん資本論に比肩するほどの本ではない。

だけど、20年前のベストセラー『構造と力』に比べると5倍ぐらい役に立つ、

かどうかは分からないが、思わずそう言いたくなるような図太い力がある。

『構造と力』は結局のところオタクのための本でしかなく、『存在論的、郵便的』なんか

恥ずかしいほどそうなのに比べて。

 分かりやすい。例えば、貧者、貧乏人といったことばは誰にでも分かる。

「横断的で遍在的でさまざまな差異をもった移動する主体」なのである、貧者は。

とこの本は語る。p205

つまり、「横断的で遍在的でさまざまな差異をもった移動する主体」というフレーズは

、一部のインテリ、ポストモダン業界のジャルゴンにすぎない。だけど、

貧者、貧乏人という言葉はそうじゃない。もう一つ「プロレタリアート」という言葉がある。

これは庶民の言葉と特殊インテリの言葉のあいだ、普通の(イデオロギー)用語

である。このように、この本は言葉の生きるいくつかの地層を勇敢に横断し、

言葉と思想を開いていこうとしている。

次の例。 ポストモダニズムって「支配的な語りへの攻撃と、真実に対する批判」

でないこともないらしい。でもそれってどういうことだろう。

「たとえば、エルサルバドル内戦の終結時に結成された真実究明委員会の使命や、

あるいはラテンアメリカや南アフリカで一独裁以後や全体主義体制以後に確立された

同様の制度の使命を考えてみよう。国家によるテロルや瞞着の文脈においては、

真実という概念を第一に考えしっかりと手離さないことは、強力かつ必然的な抵抗

の形式でありうるのだ。近い過去の真実を確定し公にすることーー特定の行為

について国家の公務員たちに責任を帰し、場合によっては懲罰を課すことーーは、

ここではどんな民主的な未来にとっても不可避の前提となる。〈啓蒙〉の支配的な

語りはここではとくに抑圧的なものとは思えないしー真実の概念は変わりやすく

不安定なものでもないーーその逆なのだ! 真実は、この将軍があの組合指導者

の拷問と暗殺を命じ、この大佐があの村の虐殺を指揮した、ということである。

これらの真実を公にすることは、近代主義の政治の模範的な〈啓蒙〉のプロジェクト

であるが、こうした文脈でそれを批判することは攻撃されている体制の欺瞞的かつ

抑圧的な権力を助けることにしかならないだろう。」p204

 日本でも従軍慰安婦を巡って、上野千鶴子と鈴木祐子が論争した。上野が

ポストモダン派で鈴木が真実派。だがこの本は上野の側を一方的に否定してる訳ではない。

「本当はあれかこれかの問題ではないのだ。差異、異種混交性、移動性それ自体

では解放的ではないが、真実、純粋性、静止状態もまた同じことである。

真に革命的な実践は、生産のレヴェルに差し向けられるものである。真実が

私たちを自由にするのではなく、真実の生産のコントロールがそうするのだ。

移動性や異種混交性が解放的なものなのではなく、移動性と静止状態、純粋性と

混合性の生産のコントロールが解放的なものなのである。」p205

 「生産」という言葉がまだ分からないので、結局レトリックで誤魔化してる

だけちゃうん?という疑問は残る。でもとにかく、クリアーな対立を取り上げ、

具体的な分かりやすい例を短い文章で説明し、「本当はあれかこれかの問題ではない」

と明確な結論を出している。分かりやすい文章、と言うことはできるだろう。

野原燐

他者

他者といっても自己と全然別のものではなく、本質的には自己と同じものなのです。*1

『精神現象学』は面白くないこともないのだが、読むのに時間がひどく掛かるのが困りもの。長谷川宏訳作品社(isbn4-87893-294-5)で、読んでます。なんとか読了したい!すこしずつメモをつけてみようと思う。

 他者が自己と同じ、だなんてそんなことを言われても日常感覚としては納得できない。だがまあ儒学では、世界は<理>であり自己の根拠も<理>であるのだから同一性が支配している。それに比べると、ヘーゲルでは他者~否定性が最後には消滅する(のだろう)が、この分厚い本を通じてずっと大活躍し続ける。というか儒学では二千年経っても、仁、理、気、性など十いくつかの言葉があるばかりで、カテゴリーのダイナミズムやドラマがほとんどない。この本は同じく同一性の勝利に終わるはずなのに、まったくそう思わせない、むしろハラハラドキドキこれでもかいわんばかりに葛藤が出てくる。これは、なまなましい他者との葛藤をあつかった戯曲、小説たちが(ある変容を施しただけで)そのまま哲学として、取り上げられていること、からくるのだろう。アンティゴネ、ヴィルヘルム・マイスター、ファウスト、群盗、ドン・キホーテ、ラモーの甥、あるいは革命、ナポレオン、イエス・・・

*1:金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』p128 isbn:4480082905

代理母の場合

 わたしたちの世界は所有権を不可侵のものとしているがこれはおかしい。例えば、世界的な美術品などを私有して破壊してしまうといった行為が許されないのは当然だ。同様に人間を私有することも許されない。しかし、現在日本でも過労死などはよく起こっている。これは実質的にその人間が私有された結果だと捉えられるのではないか。それに対し、基本的に分配可能なものは分配すれば良い、と立岩氏は言う。

 分配不可能なものはどうか。例えば、代理母が産む赤ちゃん。当初は子宮を貸すビジネスとして割り切れると思っていたがそうはならず、“そのもの”(赤ちゃん)とわかれられない。これが、「分けること、どちらかに帰属先を決めることが必要な場合もある。世界が既にあり、その中のあるものを私も欲しいしあなたも欲しい。」*1一つを半分に分けることはできない。そうした場合である。

 どちらに与えるか?実母(子宮提供者)に優先を与えると、ドゥルシラ・コーネルは言い立岩も賛成する。ただその理由は違う。実母に子供を手放せということは、「自らの性に関わる存在を表現する権利」を奪われることだ、とコーネルは言う。それに対し、立岩は「自らが作っていくその子との関係において、関係に対して自ら表現するものが権利性を規定するのだとすれば、親であろうとしている二人に区別はないのではないか。」

「その理由は、その人に対して、人との関係において、その人が接してしまった、既に会ってしまったことにある」だろうと立岩は言う。「そのこと自体においては自由なあり方ではない。」関わり自体は全くの偶然だったかもしれない、としてもその出会いをやり過ごすことが出来ず、出会ってしまった。「その存在に接する人、接してしまう人がそれについての権利を付与される」と考えるべきだろう。権利といっても、「それは決定できる権利ではなく、むろん処分できる権利ではなく、そのもとにいること、留まることについての優先を与えられるという権利である」が。

「ここで起こるのは、私の期待や願望が途絶し挫折すること、あるいはそんなたいそうなことは起こらないまでも、期待や願望と別のところに別の存在がいてしまうことを感じてしまうこと、そのことに伴って、そのものが存在し続けることに関わることを引き受けざるをえないと思う、そのような出来事である。*2

 ハイデガーはなぜ死についてなんか思索したのだろう、死ではなく誕生の方が微細に観察可能であり思索も深まるはずだと思った人は多いはずだ。21世紀になり立岩はついにその課題を達成しつつある、と言っても決しておおげさではないと思う。*3

*1:p267 isbn:4000233874 金銭を介した代理母契約は無効、とコーネルも立岩も言う。民法でもそうですね。ただ金銭を介さない場合、コーネルは認める。

*2:同書p270

*3:『私的所有論』の時から書いてたような気もするが。

『新潟』メモ1

金時鐘氏の長編詩集『新潟』*1の一部を読んでみよう。

この長い長い詩に作者は様々なモチーフをぶち込んでいるが、そのなかでも最も重く深い(表現不能性の方へ沈んでいく)モチーフの一つは、「1948年4月3日*2に火の手を挙げた済州島人民蜂起事件」*3だろう。その事件の無惨な敗北は、作者によって“やみくもにふくれあがった風船の中で自己の祖国は爆発を遂げた。”と言葉少なく語られるだけだ。だが祖国とは何か。祖国とは金時鐘にとって、済州島73,000人の死をその背後に張り付かせたものだ。

なぜ祖国は終戦とともにだけあったのか?!自己の少しもかかわりあわないところで生き返ったという祖国をみんなはどうしてそうもたやすく信じたというのだ?!少なくとも祖国は与えられるべきものではない。*4

 確かに大日本帝国は滅んだ。しかしたちまち、アメリカとソ連という二つの新たな勢力が朝鮮半島(この作品では形の類似から食用兎(ベルジアン)と呼ばれている)を分断するに至った。われわれのものである祖国は、終戦という瞬間において、確かに存在した。存在したとわれわれは信じた。だが失われた今となっては自らの闘いによって勝ち取ったものでもない祖国が本当にそこにあったのかも少し不安になる・・・そのような意味を読みとることもできるだろう。祖国への思いは今も金時鐘を呪縛している。

*1:isbn4-651-60048-4『集成詩集・原野の詩』 p299-478

*2:1953年と誤記していたので下記の指摘を受けた

*3:「済州島 人民蜂起 事件」をグーグルすると例えば下記が出てくる。http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/introduction.htm というかよくみると野原のも3つ目に出てくるのだ。間違ってはいけない(自戒)。

*4:p404同書。これらの詩行は本当は、16行に行わけされているのだが、むりやりくっつけてみました。http://noharra.at.infoseek.co.jp/2004/niiga04.htm に縦書きで行分けした元のかたちを(前後をちょとだけ追加して)UPしてみた。