不幸な意識は幸福な理性へ

「自己意識」の章が難解だが刺激的なのに比し、「理性」章(のはじめ)はつまらない(だがその分今までよりはだいぶ早く読める)。長谷川氏によれば、「不幸な意識がどのように分裂を克服したのかは説明されないまま、「B.自己意識」から「C.(AA)理性」に移ると、不幸な意識は幸福な理性にうまれかわっている。」*1これまで外界が、自分の独立と自由を否定するかに思っていたのに、もはや平静、「現実の一切が理性以外のなにものでもないことを確信する」に至る。まだ161ページ、1/3弱のところでそんなことを言って後が続くのか心配だぞ。この理性の勝利と「わたしはわたしだ」という命題が同義だとされる。解説によればこれはフィヒテ哲学の核心なのだと。で、「C.(AA)理性」はABCに分かれ、最初の「A観察する理性」(168~236)は当時の自然学の理論をなぞり批判しているだけでつまんないと長谷川氏も言っている。とっとと読み飛ばそう。

*1:p135長谷川宏『ヘーゲル精神現象学入門』isbn:4062581531

濃艶な美女

わたしが会ったことがある女性のうち、十分ほど話しただけだがそれでもすごくいい女だなあと感心した女性の夫は、その半年後首都で白昼人を殺した。女性の方は別に魔性の女という感じでもなかった。

下記のようなうわさ話は好きじゃない。なら書かなきゃ良いのだが。はいすみません。

全玉淑という女性がいた。「濃艶という形容詞に不足はない魅力的な女性であるという。*1」梁石日のこの部分に書いてあるのは中上健次への悪口である。中上は半年間韓国に滞在して『韓国文芸』*2の発行者、全玉淑という正体不明の女性と連日連夜飲み明かしたという。1970年代の話。

「セマウル運動を先入観抜きに考えると、文字通り<新しい村>運動であり日本にもあった新生活運動であったがそれにとどまらず織田信長型の天才的な革命家であったこの国の前大統領(朴正煕)の「根底の不在」を見すえた上での思想運動にも見え、(後略)」*3なんてことを書いてしまう中上に、梁石日は怒っている。そしてもっと、「韓国人は、自分の国はものすごく後進性があり、おくれていると思うかもしれないけれど、ぼくなんかからみれば、いわゆる記号論を勉強している者の眼でみると、「後進性」というものの中に、すごいものがあるわけですね。」*4なんて恥ずかしいことを言っている中上にもはげしく苛立つ。昔の話で中上の悪口を言っても始まらないのだが、「韓国/日本」間の知的溝はこの間かえって拡大していることもあり、追記しておきます。

参考 http://210.145.168.243/special/s-korea/kcia980427.htm

*1:p68『アジア的身体』

*2:編集委員古山高麗雄

*3:p60『アジア的身体』星雲社

*4:p56同上書

誘拐された日本人家族に口枷

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=26685&range=1

上記に次のような翻訳が出ました。最初の部分は次の通り

南ドイツ新聞記事の翻訳:2004年4月15日9面

タイトル:誘拐された日本人家族に口枷(くちかせ)

  ヘンリック・ボルク記者 (梶村太一郎訳)

「 東京発・だれがどのように彼らを黙らせてしまったのだろうか?彼らイラクで誘拐されてた日本人の家族たちは、かれらの日本政府に対する批判に、突然口を閉ざしてしまった。三日前には家族たちは大声で日本軍のイラクからの撤退を要求していたのである。」

「<ハンガリー革命>--<六甲>」

私自身は、この不可解な歴史的事実を< >とよびうる根拠と資料をいくらかもっているが、、いま強調したいのは次の諸点である。

< >に立ち上がったものも、鎮圧にあたったものも、自分が、いまなにをしつつあるのか分からなかったこと。この歴史的事実をどのように判断するかによって現代史の評価軸が転倒してしまうこと。そのような契機をはらんでいるのに、もしも放置しておけば事実の集積の中へ埋没していくこと、などである。

この文章は“<ハンガリー革命>--<六甲>”という松下昇の1966年の表現の一節である。*1< >は、<革命>と元はなっていたものである。< >という記号は松下においては、その中に別の記号を入れてみる場合の変移を量るという問題意識とともに用いられるものなので、元の文脈から離れ、新しい言葉を入れてみる。わたしたちがこの間ずっと囚われてきたイラク人質問題を考える。<誘拐>あるいは<内乱>という言葉を代入することができるだろう。

<ファルージャ>*2が含む戦車のような重さと<インターネット>が含むタンポポの綿毛のような軽さ--その婚姻の時が迫っている……と私はふと考えてみた。革命者と制作者は互いに結合されつつ論じられているとは知らずに存在しているとしても、私に<ふと>そのように考えさせる力が<ファルージャ>にも、<インターネット>にもあることは確かなのだ。両方を結ぶ関係=共通点をあげてみよう。*3

○ 固有の時間、空間に規定されながら、それによって逆に、普遍的な時間、空間へ出ていく契機をつくりだしている。

○ 敗北、未完成という事態が、そのために一層あきらかに、状況や存在の危機を告発している。

○ 意識の平衡が転倒するほど現実過程の中でたたかい、模索しているときに、はじめて手に触れてくる。

○ はじめのヴィジョンが、何かの力によって、みるみる変移して自分を追い越していく怖ろしさを当事者に与える。

○ 対象を変革する(表現する)だけでなく、変革する(表現する)方法そのものを対象の中に加えていく必要を感じさせる。

 銃を手に立ち上がることは悪だ、と私たちは教えられてきた。だがしかし、<誘拐>は本当に悪だったのだろうか。誘拐は被害者を拘束し、そのことにより日本人の関心をファルージャに引きつけることに成功した。銃撃の報復として居住地区の破壊を行う米軍の行為への疑問を導き出した。ある客観的事実がまずあり、それが中立的なメディアによって報道されるだけという図式に安住することはできなくなった。何かを知ろうとすると<その場>へジャーナリストが出かけていく必要がある、だかしかし出かけていくと彼/彼女は、米軍によって、あるいはイラク人によって狙撃あるいは誘拐される恐れがある。メディアは中立ではあり得ない。わたしたちも、与えられた情報をただ信頼して受容していればよいということでは全くない。「はてなダイアリー」において顕著な事実は、例えばファルージャという文字列を書き込むことにより自動的にリンクされ、自分の頁がデータベースの一部になることにより、他者の頁との対話が不回避的にもおこり自分の頁が増殖していくということであった。わたしが日記を書くという能動的行為をしないとあるファルージャについての情報は流れてこないといった関係が確かにある。それはわたしがすでにイラク情勢について持っていたイメージが転換を強いられる度合と関連している。ファルージャについて知るためにジャーナリストが必要というのではなく、知る方法そのもの、つまりいままで黒子として意識されることのなかったジャーナリストたちの身体こそが中心的な報道対象となったという転倒。そして後者によって、わたしたちが知ることを欲していなかったファルージャ情勢は広く知られるようになったという逆説。こうした逆説が教えるものは、家に座っていればメディア(テレビ)が真実を運んできてくれるし、運んでこないものは私たちが知るに値しないものだというわたしたちの常識の否定だ。

 また、現代史の時間の構造にくいこんでいる<ハンガリー革命>をどのようにささやかな情念のざわめきと置換してもよい。私たちは、生ぬるい怠惰な世界の中で極限まで生きぬこうとするとき、一瞬ごとに<革命>と触れあうことになるのだから。

 つまり、現実から逸脱しているようにみえるこの<幻想性>は、世界最初の反戦ストや新しい創作理論や、やさしい愛などと、必ずどこかで交差し、それらを支え、おしすすめているのである。

松下昇が< >とともに私たちに差し出すもの、は何か?現実の生というものは、むしろ一瞬ごとに< >(未知の位相)と触れあうことにより、非存在~存在しているのだ、と松下は主張する。もちろんそれは、「意識の平衡が転倒するほど現実過程の中でたたかい、模索しているときに、はじめて手に触れてくる」ものである。わたしたちが現在観察しているのは「自分は無罪だと立証したいと思ってあがく者は逆に自らの有罪性を立証する」という逆説だろう。彼らは< >をあまりににも敏感に拒否しようとしてドツボにはまる。

*1:『松下昇表現集』p10

*2http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/ 益岡賢氏のページにあるいくつもの文章を参照してください。

*3:<ハンガリー革命><六甲>の代わりにファルージャとインターネットを入れてみた。

チェチェンでの殺戮

 1995年1月17日いわゆる阪神淡路大震災が起こった。翌日の新聞にはチェチェン紛争についての記事も載っていた。「チェチェンでの戦闘で市民や戦闘員の死傷者が異常に増えている」死者数は双方併せて3万人以上とも読みとれる。いずれにしても当時このことに注目した日本人はほとんどいなかった。*1

 チェチェンではそれ以後も戦乱が続いた。最近も事件があった。常岡さんのサイトから引用する。 http://www2.diary.ne.jp/user/61383/

 5/9 偽チェチェン共和国ロシア傀儡政権のアフマド・カディロフ偽大統領がチェチェン独立派の殉教作戦で爆死したらしい。カディロフはチェチェンの元ムフティ(イスラム法学者)。ロシア諜報機関・連邦保安局(FSB)のエージェント出身で、チェチェン民族と全イスラム教徒に対する裏切り者だ。第一次チェチェン戦争期にはドゥダエフ初代大統領の懐に潜り込み、チェチェン政府のNo.3に登りつめていた。今回は市民を傷つけることなく、市民の無差別殺戮を繰り返してきた侵略者の頭目だけを狙い定めて倒した作戦で、どんな基準から考えてもテロと呼ぶべきではない。

「チェチェン戦争はロシア国家がチェチェン市民を侵略、大量殺戮している戦争だ。」と常岡さんは言う。わたしは勉強不足なのだが彼は(たぶん)正しいのだろうと思う。

*1:松下昇『概念集・12』p23に言及有り

丁玲は書く

 丁玲は(1904-1986)。生年は、日本で言えば佐多稲子や幸田文と同年、宮本百合子の5年後になります。

http://bluesky.osaka-gaidai.ac.jp/~aono/zjcidian/zuojia2/d/dingling/dingling.htm に自分で書いた略歴と紹介があります。それによると、2回投獄歴がある、一回目は1933年に国民党によって、3年間。2回目は林彪や五人組の時代1970年に5年間(執筆は20年間できなかった)。上記の自伝と題された短い文章は「わたしにはある一つの考え方がある。文章を書く人は、ただ文章だけを書くべきであると、かたくなに考えている。」という考えようによっては、作家が文章を書くのは当たり前と思えばしつこすぎるいささか奇妙な文章で始まっている。彼女は三六年一〇月、中共支配地区の陝甘寧辺区に脱出して以来、共産党指導部と関わりを持つようになるが、ラディカルで文学的な彼女は政治と不可避的に関わり大変な目に遭い続けた。書くことに集中できる人生を送れたらどんなに良かったろうとも彼女は思っただろう。ただ上記の文章はそうは書いていない。「わたしは書く」ということが強調されている。

 48年革命直後に、土地革命を描いた長編「太陽は桑乾河を照らす」を発表する。あらすじから言うと優等生的プロレタリア文学だ。ですが、一時的熱狂によるテロリズムや、陰謀家による閉塞や、幹部の引き回しなどの堕落の危険性を孕んだものとして革命遂行を描いている点で現在でも充分読むに足る小説だと言えると思います。

<<自己を自己たらしめる、そのためその困難と戦う、無限の瞬間がなければ、自己は失われ、歴史も失われるだろう。不断の自己更新の緊張によってかれは辛うじて自己を保持している*1>>ところの革命という像は、権力をチェックする機能を持つので、固定化した権力から忌避されるだろう  ところで今日近くの図書館に行ったら『丁玲の自伝的回想』中島みどり編訳 朝日選書があった。嬉しかった。

http://gd.cnread.net/cnread1/mjfc/d/dingling/tyzz/

http://book.zjsdt.com/mj/d/dingling/tyzz/053.htm

ところで原文は、上記など何カ所もに電子テキスト化されているようです。

(3)

# hiyori13 『「政治家に必要な資質というものと特定の遺伝子の組み合わせが強い相関関係があるなどという主張をビンカーさんはしているのでしょうか?」 なに、読まずにケチをつけてるわけですか?』

# noharra 『>>なに、読まずにケチをつけてるわけですか?<<野原の批判対象は、ビンカーの本ではなく、山形氏の数行の文章です。ビンカーの本を読むつもりはありません。hirori13さんは読まれたのですか?』

撤兵について

(上の続き)

「テロリストの要求を契機にして民主主義の手続きを無視する動きが現れその圧力がまかり通ったら」という把握の仕方、どうなんでしょう。イラク派兵の是非という問題があくまで根本であり、他の問題は末梢だとおもいます。もう一つ、ブッシュが提唱し小泉が追随している「テロとの闘い」パラダイムが有効かどうかという問題があります。私のイラク撤兵論はフセイン政権を転覆させた戦争の是非を一義的には問題にしていません。それより問題なのは「戦後統治」のあり方だと思います。自己の統治下にある都市を何故空爆するのか?この問いは大きく取り上げられませんが私には信じられません。国家を占領した以上、占領地内のトラブルには基本的には警察権力で対応すべきもので、空爆なんてとんでもないと思います。そういった米軍の対応が一説にはイラク人死者、10万人超*1という結果をもたらしてしまった、のではないでしょうか。イラク人を西欧人や日本人などとは違った潜在的テロリストを含んだ人々の集団と見なす、というレイシズムがあるとも言えます。「テロとの闘い」パラダイムはこうした全てを肯定してしまう魔法のパラダイムなのです。

なおこれについては、1年前にも論じています。http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031206

それとイラク撤兵を主張する事に対し、「民主主義の手続きを無視する動き」といった反応をするのもおかしく思えます。イラク撤兵が実現化するとすれば、それは「民主主義の手続にしたがって」行われるだろう、というだけのことでしょう。イラク派兵は「民主主義の手続きに従って」行われた。しかしそれに付随する「小泉氏は~の問題などをきちんと国民に説明する義務があるがそれは果たされていない」という問題については同意していただきました。「イラク派兵」は憲法9条違反だするとする有力な意見があります。*2この意見に従えば、「民主主義の手続」に反しているのは、小泉氏の方です。

要するに「民主主義の手続」という言葉は、一旦決めた国家方針は覆せないということを砂糖で覆って口当たり良くしたもの、と私には受けとれます。日本にとって最大の問題は、一旦決めた派兵を(それが必要な場合に)撤回できるか?にあります。(このような書き方が許されるなら)それに比べるなら南京大虐殺など小さな問題です。南京大虐殺により中国当局は萎縮し日本に有利な講和を結べるはずだった。たまたまそれは果たされず、日本はそれ以後、7年以上中国大陸じゅうを歩き回った。(45年8月にも中国大陸にいた軍首脳はほとんど戦争の継続を望んだ。)どんなに不可能であっても、この7年半の間に日本は中国大陸から撤兵すべきだったのです。憲法に書いてなくても、戦後日本が国家として再出発するにあたって最大の誓いとして銘記されるべきことだったとわたしは思います。

「世に謳われている平和主義は非現実的且つ国際的孤立の道に他ならない」かどうかはともかくとして。イラク撤兵せよ、というのは日米安保の解消を意味するわけではないでしょう。ですから、イラク撤兵=国際的孤立とは必ずしもならないのではないでしょうか。それよりも「対米関係=国際的」という言葉として明らかに間違った等式が成立してしまうのは、対米関係が同盟関係ではなく従属関係だからではないですか。従属が内面化していれば、撤兵はその内面により拒否されます。

*1http://www.kahoku.co.jp/news/2004/10/2004102901001320.htm 河北新報ニュース イラク人死者、10万人超 科学的調査で推計

*2:わたしもそれに属する。細部に異論はあるが。