ひめゆりの死の上に、戦後のわたしたちの平和と繁栄がある。

 ひめゆりに限らず、戦没者に対して、「みなさんの犠牲の上に戦後のわたしたちの平和と繁栄がある。」という言い方がよくされる。

だが、本当だろうか?

 全員が生き延びたシムクガマと「集団自決」で多くの犠牲を出したチビチリガマとを見ればわかるように、チビチリの犠牲者は死ななくてもよかったんだ。なにも死ぬ必要もなかった。もし彼らが生きていれば、平和を築くために働くことができただろう。生き残った者が必死でがんばったからこそ現在があるんだ。「みなさんの死があったから、今日の平和が生まれました」というのはちがう。彼らが戦争で死なずに生きていれば、もっともっといい社会を作り上げることができたにちがいない、と。

チビチリガマに避難していた人々は、事実を教えられていたならば、誰も死なずにすんだはずだった。はっきり言えば、そこで死んだことはなんの意味もないことだった。

ひめゆりの女子生徒たちは、軍とともに南部に撤退し、看護婦としての仕事もないまま壕に隠れ、ついには軍に見捨てられた。第1外科壕の生徒たちは脱出したが、戦火の中で多くが犠牲になり、あるいは「自決」をとげた。第3外科壕では脱出前に米軍に包囲され、投降を拒否したため爆雷をなげられて、ほとんどが犠牲になった。病院壕であれば、表に赤十字の旗と白旗をかかげて、投降の呼びかけにしたがって壕を出ていれば、誰も死なずにすんだ。第1外科壕にしても、脱出といっても地獄に放り出されただけのことにすぎず、同じようにしていれば助かったはずだ。そこでの死に一体なんの意味があったのだろうか。みんな生きることができたのに、捕虜になることを許さないという日本軍の狂気によって犠牲にされたにすぎない。生きていれば、新しい沖縄の建設に若い彼らはきっと貴重な役割をはたしたはずだ。(林 博史)

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/essay02.htm

曾野綾子は大江を名誉毀損している。

と言えると思う。

上記で彼女は「一斉に集団自決を命令した赤松大尉を(略)、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と書いている。「あまりにも巨きい罪の巨塊」の出典は下記だ。読めば分かるように、責任者*1のことを「あまりにも巨きい罪の巨塊」と、大江は表現してはいない。「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。」「彼」は消化しきれない「罪の巨塊」を前に為す術を模索し、「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをくりかえす」ことにより、「罪の巨塊」を少しづつ少しづつ摩滅させることに成功する者として描かれる。明らかに「罪の巨塊」は彼とは区別された物として彼の前に置かれている。「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは明らかな虚偽である。

 でこの文の主語たる彼、あるいは「責任者」は「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえす」者である、つまりそれを悪であると大江が指弾していることは確かだ。しかしながら「自己欺瞞」というキーワードが明らかに示すように、この文章は大江特有の実存主義的臭気にみたされている。罪といっても権力の発語する罪とは違い、Aという実在の人を白日の下に罰に導く力を持っているものではない。「たえずくりかえしてきたことだろう」という述語により「責任者」という主体は現実世界からズレ、自己(他者)瞞着を逃れえない実存の世界の住人となるのだ。そこにおいては、「彼」を指弾することは、「かれの内なるわれわれ自身」を指弾することでもなければならない。

 「あまりにも巨きい罪の巨塊」はわたしの前にごろんところがっている。つまり予めわたしと罪が結ばれているわけではないのだ。だのにわたしたちは、否認しなければという思いに駆られ、その「巨塊」をかみ砕きすり減らそうとする。それは確かに見たところ希薄化していく。しかしその努力こそが“わたしの内に罪を”根付かせるのだ。大江が言っているのはこういうことに近い。

したがって「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは何重にも虚偽である。

曾野氏がこれを語ったのは、「第34回司法制度改革審議会」という公の場所である。しかも沖縄問題はテーマではないから強い自発性の元に語っている。そこで“大江はAを罪の巨塊とよんだ”という虚偽発言をした以上、曾野綾子は大江を名誉毀損している、ことになるのではないか。

「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。

(略)

(「沖縄ノート」210頁 )」

生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。 (「沖縄ノート」69、70頁)」

上記、大江の引用は下記より孫引き。

http://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_13.html

サイトの文章にも共感します。記して感謝します。

ただ、urlを記すことで先方がコメントスクラムの被害にあう可能性もあるなと考え少し躊躇した。前科があるし。コメント欄とか閉じて居られるようなので一度だけリンクします。

上記サイトにあったリンク集もメモしておこう。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm

http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study411.htm

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/334.htm

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1b.html

http://www.okinawainfo.net/oba.htm

http://www.geocities.jp/gakuchan_nif/page179.html

http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/

*1:大江は赤松などという固有名は書いてないようだ

海は不在である

モンゴルには海がありません。でもそのためにモンゴル人は逆に

海という言葉を崇拝しているみたいなところがあるのだそうです。

モンゴル語で海のことをダライと言い、一番大きなものという

意味にもなります。ダライラマのダライですね。

飛行機の窓からちらっと見た以外に海を30歳過ぎまで見たこと

が無かったのがこの本の作者のボヤンヒシグさんでした。

彼の海との最初の出会い。その後何度も海に行き、海藻なども

よく食べてみる。だが彼はその短い文章の最後に書きます。

「しかし、海は僕にとって相変わらず、遠い存在で在るのだ。*1」と。

私たちが言葉を体験するということがどういうことなのか、

に関わりイメージと思索の広がりを誘う文章でした。

以上、過去のメールからの自己引用。

*1:『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より

在日朝鮮人帰国事業への小泉の父親の責任

同じくid:milkbottle:20051021#p5 【オバカ通信】さん経由で。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/20/20051020000042.html  朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)

「小泉首相の父親、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導」

 日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だった小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことがわかった。

 在日朝鮮人の北朝鮮送還事業は、1959年末から1984年まで、計9万3340人の在日朝鮮人が「地上の楽園」というふれこみで、北朝鮮に送還された事件だ。当時、日本では韓国政府の激しい反発にもかかわらず、政界と文化界など各分野の要人が名を連ねる「在日朝鮮人帰国協力会」が1958年11月17日に結成され、在日朝鮮人の北朝鮮送還支援活動に乗り出した。

 その後、北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。そのうちの多くが強制労動収容所に収容させられ、消息を絶った。

 小泉首相の父である純也氏は当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動したことが確認された。

 小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らかになった。

 歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわる小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景と決して無縁ではない」と主張した。

 歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。

 歳川さんは、小泉首相の父親が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也氏の選挙区である神奈川3区に多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含まれていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だった」と述べた。

 当時の毎日新聞は、自民党議員が在日朝鮮人の北朝鮮送還を推進する団体に加わったことについて、韓日国交樹立を進める岸(岸信介)内閣とは関係のない個人レベルの活動だと報じた。

 歳川さんは2002年に小泉首相が訪朝した直後、自分が発行する雑誌でこの事実を報じたが、注目を集めることができず、また放送に出演した際にこの事実に触れたことで司会者から制止されたこともあると明らかにした。

 また歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿になって選挙区まで受け継いだ。

東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員khjung@chosun.com

上記記事では、「北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。」と書いている。少なくとも過半はかなりの抑圧を受けた(受け続けている)らしい。

甘言に乗せて日本から帰国させた事業の片棒を担いだ(父親が)ことに対して、なんらかの責任、悪かったなという思いを感じているのなら、それはまっとうなことだろう。ただ日朝国交回復を成し遂げることが、その責任に応えることになると思っているとしたら見当違いだ。

本来破産している独裁国家北朝鮮は、中国の支援が無くなれば崩壊する。ある国家を敵視することは悪であるが、悪である国家に宥和政策を取ることも悪である。日本は北朝鮮を崩壊させる方向に意志決定すべきだ。(産軍複合体と嫌朝厨は敵が居なくなると困るでしょうが)

六甲  序章

六甲  序章

 松下 昇

     不思議なことだ!

     灰色の雲が岩塊の分身のように空を飛んでいく。

     それはあの荒々しい岩塊の臆病な模写なのだ。

     (ハイネ「アッタ・トロル」から)

  平衡感覚を失わせるほど色彩のゆたかな屋根の波の上で揺れる海へ背をむけて、山頂へ続くはずの坂道を登っていくと、時間的記憶からは先週までくらしていたとしか思えない首都は、まだ至るところに〈私〉たちの息づかいをとどめた十年間の疲れとして思い出される。

  傾斜したアスファルトの坂道は、〈私〉たち以外の重量は受けていないので、スラム街を越えて漂着してくる港からの汽笛に微笑したり、蝶や十字架が投げる影を、身をよじらせて捕えたりするのをやめようとしない。光を浴びる風景は、無意識のうちに、広い空地や露出した岩肌を残しており、みつめられすぎ、使用されつくした疲労感をまだもっていない。というよりは、いつまでも、まどろんでいる欲求に支えられているのかもしれない。

  勾配が次第に急になり、自分たちの影へ倒れかかるようにして登っていくと、勾配がいくらかゆるくなるあたりで、眼の前に現われてくる若葉の尖端が、風の手でかるくなぜられて、はるか遠くの空中を行きかうロープウェイのゴンドラをかすめ、溶けそうな薄緑の山肌を谷間のくぼみにむかって落ち、たかと思うと〈私〉たちの背後へ去る。幼い乳房のようにふくらんだいくつかの丘陵には、ここからは決して見えない別の次元へと曲線の切れ目が続いていて、その流れは私たちが知らない間に生成し崩壊していくもののまどろみに思われる。丘陵の上を汽船がすべる……? いやそうではない。坂道は、いつか海の方へ弯曲し、外国航路の白い船体が、〈私〉たちの眼と丘陵の頂点をつなぐ線の上であいさつしているのだ。更に坂道は反転し、一ばん高い山頂から花粉の香りを含んだ風が流れると、〈私〉たちの足もとの斜面で葉を白くひるがえすつる草の群が、これから見る夢をリレーしている。まぶしくふくれあがる海はいよいよ明るい青さをまし道ばたにあるこの望遠鏡に十円玉を入れると、巨大な河とも見える湾の対岸の工場地帯の煙突まで見分けられるはずだ。

  首都では、いくら歩いても、せまい周囲しか見えなかったのに、この海と山にはさまれた細長い都市では、水平に歩いているつもりでも、実際には垂直方向へも移動しており、切り開かれた意外な空間へよろめいていく。この意外さは、平衡感覚を失いかけている〈私〉たちの無意識部分への衝撃を与えているはずだ。〈私〉たちは、時間の切迫を忘れて、空間のまどろみへ溶けこみそうになるのであるが、その瞬間から、〈私〉たちの内的な矛盾は、日本のどこにおけるよりもゆたかに花開かざるをえないのである。首都の広場や運河や路地に切迫した時間を付着させたままこの風景へ投げこまれた〈私〉たちは、自己を、ある次元の運動領域から拒絶された不具者のように感じている。しかしながら、〈私〉たちにとって、帰るべき首都はない。首都とは、特殊な状況をはらむ時間に対する〈私〉たちの関係の総体にほかならないのであるから。どこにいようと時間を失った〈私〉たちは、沈黙してまどろんでいるうちにずり落ちてしまい、見知らぬ空間へはなればなれになった〈私〉たちをみつめ合う。それゆえにこそ、これを書いているのは単数の〈私〉たちである。

  〈私〉たちは、頂点から稜線を経て〈私〉たちを無関心に底辺の一角へつき戻すピラミッドを憎んでいた。このピラミッドを、首都や権力や組織や情念や、その他のどんなものにとりかえてもかまわない。しかし同時に、〈私〉たちは、さまざまのピラミッドの稜線の上をすべっているのであるから、それらを手ごたえあるものとして触れようとする瞬間から、さまざまのピラミッドの数に応じた多くの分身へ引き裂かれずにはいない。頂点での統一から稜線上での分裂というパロディーは、孤立した何ものかの呻きを噴出した六・一五虐殺の時間が生れでる何ものかを圧殺する六・一八葬送行進の空間へ転移したことを〈私〉たちが、はっきりとらえられなかった責任によって幕を上げた。

  〈私〉たちは、ひらめいて飛び立つ何ものかへの身がまえと、何ものかへの抜けでようとする焦りの間に弯曲したまま、敗北の舞台となった首都から、〈私〉たちを無関心に受け入れるこの美しい風景の中へ追放されてきたのだ。従って〈私〉たちは、首都からもこの風景からも切断されている。内的風景へ同化することも許されない。もしも、〈私〉たちが時間の中へ新しい関係をつくりだそうとするならば、〈私〉たちをさまざまなピラミッドの稜線上で分裂させた何ものかのカ学を、いま〈私〉たちが労働しているこの場所から可能な限り追跡し、ピラミッドを破壊すること、その方法を〈私〉たちがこれから出会う全ての敵対関係にむけて応用することしか残されていない。

  それを予感している限り、闘争の敗北後、さまざまの場所で、やむをえず闘争方針を考えている者も、遊んでいる者も、眠っている者も、立体的風景のためか、屈辱に耐えるためか、仕事のためか分らずに頂上をめざして歩きつつある〈私〉たちと同じ坂道を登っているのである。

  〈私〉たちのまわりで、いや私たちの中からも聞こえてくる声の交差は、次第に、たてまえを重んじる論点と、有効性に関する論点と、生活の単純再生産をめぐる論点にしぼられていく。屍臭のただよう三つの論点と〈私〉たちのつま先が一つのピラミッドを形成するのに気付いたときから、〈私〉たちは、ただこのピラミッドの稜線を運動させうるという誘惑のためだけにも、この坂道を登り続けている。部屋の書類を処分し、身分証も定期券も持たずに闘争現場へひっそりと歩いていったあの日のように背をかがめて。

  ところで〈私〉たちは、この風景にみちているどのような響きからも、なかば意識化された意味をとりだすことができる。たとえば唯一の前衛に入る直前に必読文献の行間から聞えてきた潮騒のような不安。その政党本部で乱闘のあった翌日、対策会議を開いていたそば屋の二階へ響いてきた雑踏。闘争敗北後の大会で、真昼の眠りの前の子守り歌のように歌われたインターナショナル。しかし、それらの意味はとりだして表現過程にもちこむ前に溶けてしまいそうだ。なぜなら〈私〉たちは、それらの意味の結合が一瞬のものであり、たちまち別の結合へも変移しうるし、またその変移には解決を未来へひきのばすときの悦楽さえ含まれているのを知っているから。

  この恥かしさは、倒すべき相手より先に、また組織すべき相手より先に〈私〉たちが屈服してしまったあの季節に〈私〉たちをおとずれたのだ。波のように打ちよせる響きの方ヘ〈私〉たちがかけより、離れ去るとき、響きが変移して、〈私〉たちが、これから出合うであろう飢えや苦痛や忍耐のきしむ音に聞えてくるようだ。口を開き終らないうちに、叫びは〈私〉たちの知らない空間へ流れだしている。しかし、この未来からの記憶群は、過去の闘争を頂点とするピラミッドの内部にも、広々と存在していたはずである。たとえば、国会広場に突入した〈私〉たちは、死者のでたことを聞いて怒りの叫びを上げながらも、無意識のうちに横の破損された建物に入りこみ、水道の蛇口から水を飲み、ばぼ同量の小便を壁にかけ、ポケットの溶けかかったキャラメルをしゃぶり、タバコに火をつけて平和を味わっていたのである。そして、欲望の空間に舞う妖精たちに追放をかけ、倒錯した現代史を転覆して火を放っていた。〈私〉たちと状況のこのような関係から〈私〉たちは歩きださなければならない。それが、死者への哀惜が失速しつつあるとか、模索を現実化する責任からすり抜けているとか、戦後史過程と体験過程が偶然に一致した意味を対象化していないとかいう、〈私〉たちから〈私〉たちにむけられる批判をこえる道である。

  人かげのない展望台をすぎると、〈私〉たちがえらんだ坂道の舖装は切断される。展望台の望遠鏡と対岸の煙突という二種の円筒をつないでいるのは十円銅貨という円筒であったが、〈私〉たちは足元に咲くタンポポによって、国会広場の芝生や機関区の砂利や誓視庁の屋上へつながれている。〈私〉たちは、罠をつくるのに似た抒情を開きながら、歩く動作を、タンポポの茎を折り、ねばつくミルク状の液体を吸う動作に変移させよう。

  タンポポの黄が、暗くざわめく虚空の中でとらえられたとき、黄の彩りは運動して三日月の形に鋭く閉じようととする。それと共に、黄をとりまく渦がまきおこり、環のように重なり続けることによって、思いがけない方向への視界を可能にしている。そのむこうにある何ものかと、そのこちらにある何ものかに祝福あれ。

メモ(追加)

本来的な自己存在とは、世間[=世人]から離脱した主観の例外的な状態に宿るものではなく、ひとつの本質的な実存範疇としての世間[=世人]を実存的に変容することなのである。

ハイデガー『存在と時間』*1

2007.5.27追加

*1:ちくま学芸文庫・上p283

4/9 日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、

ebizoh ebizoh 『サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、日本人として哀悼の意を表します。

しかし、彼女に国民基金(亜細亜女性基金のこと?)の受け取り拒否を唆した者は、おそらく自己の政治的主張の道具としてしか彼女を見ていなかったのでしょう。日本がフィリピンと請求権処理の条約を結んだ当時は、今後戦争に関わる被害が新たに明らかになっても、フィリピン政府が日本から得た賠償金を原資として対処するという合意内容を含んでいたのですから、国際法の少数説のロジックに依拠して日本政府の国家賠償を求めるべきという無理筋の要求が通るかのような甘言を弄して、フィリピン人にとっては大金のはずの基金の受け取りを拒否させるとは、そう唆した者は無慈悲で非道な政治的動物ですね。』 (2007/04/09 06:35)

noharra noharra 『ebizohさん 数週間に渡る応答の遅れすみません。

>>>サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、日本人として哀悼の意を表します。

この文章は実際にその人の遺族の前で発言することができないおかしな文章ですね。

あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持っています。にもかかわらずあなたは「哀悼の意」を表明した。これはサリノグさんとの1対1の関係に立ったということです。

その上であなたは「サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら」、と書き、サリノグ証言には疑問の余地があると(死んだ)彼女の前で述べています。

「サリノグ証言に疑問の余地がある」とあなたが判断する根拠は何ですか?

あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持ってたのにかかわらず、なぜ死んでまで彼女の名誉毀損を行為するのですか?』 (2007/04/09 07:33)

ebizoh ebizoh 『>野原さん

>数週間に渡る応答の遅れすみません。

いいえ。気にしておりません。

野原さんも他事や病気があったようですし、私もノーモア氏や永井和教授ご本人?との議論以外に余暇に使える時間はほとんど残っていませんでした。

また、今日の10時から始業ですので、私の方も、今後の応答はかなり後になってからになるかもしれません。

ただ、野原さんやノーモアさんと喧嘩したおかげで、永井和教授ご本人?との知的に高いレベルでの対話の機会をもてたことには、お二人に感謝せねばならないとも思っております。

>この文章は実際にその人の遺族の前で発言することができないおかしな文章ですね。

もちろん、遺族の前で哀悼の意を表するとしたら、何も限定を付けずに単なる死に対しての哀悼のみを表するか、サリノグさんが真実の犠牲者との確信を持っていた場合にその旨を表するかどちらかでしょう。上記文章は、単に事実を確定し得ない一人の日本人が一人のフィリピン人に対して表した意見にすぎません。

>あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持っています。にもかかわらずあなたは「哀悼の意」を表明した。これはサリノグさんとの1対1の関係に立ったということです。

あくまで、サリノグさんと私の1対1の関係だからこそ言える言葉です。

>その上であなたは「サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら」、と書き、サリノグ証言には疑問の余地があると(死んだ)彼女の前で述べています。

「サリノグ証言に疑問の余地がある」とあなたが判断する根拠は何ですか?

疑問の余地があると述べているのではなく、事実を確定しえずその権限も持たない一個人としての立場の表明ですね。

>あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持ってたのにかかわらず、なぜ死んでまで彼女の名誉毀損を行為するのですか?

事実を確定し得ない以上、彼女に対する名誉毀損ではありません。

真実の被害者であった場合には、真実の被害者として哀悼するし、あえて明示はしませんでしたが、真実の被害者でなくとも、一人の個人の死に対して哀悼する気持ちはあります。

むしろ、真実を確定し得ないのに真実と断定して哀悼の意を表してしまうことは、仮に日本軍人が真の加害者ではなかったた場合には、その冤罪を負わされた日本軍人及びその遺族に対する名誉毀損になりますから、あえて断定していないのです。それが法律家としての良心です。

私としては、その後のコメントに対する野原さんの意見こそ聞きたいことでした。』 (2007/04/09 08:47)

十里益代 十里益代 『こちらにもnatamaru氏が現れているのでしょうか?』 (2007/04/09 14:18)

節翁 節翁 『

トマサ・サリノグさん、ご逝去の報せに接し、心から哀悼の誠を捧げます。

死を前にして訴えられた安倍首相宛てのお手紙、胸詰まり涙拭いながら読みました。

「日本政府が事実を承認すること」「人権と正義を回復すること」

その願い、生前に実現すること叶わず、ご無念はいかばかりだったことか。

ご遺志を引き継いで私たちはたたかいつづけます。

ロラ・マシン、あなたのことを決して忘れません!

オリエンタル・ミンドロ在住 鈴木節夫 ジュリ』 (2007/04/10 11:17)

noharra noharra 『鈴木節夫 ジュリ さま

はじめまして コメントありがとうございます。

六十数年前日本軍との出会いによって、多くの多くのフィリピン人が被害を受けました。ところがわたしたち内地に居た(あるいは後から生まれた)日本人はその実態を知らず、知らされてもできるだけ関与しないようにして生きていこうとし、またそのことは可能だったようです。数少ない例外を除き。

わたしは関係を拒否しようとせず、サリノグさんの正義への祈り(叫び)をむしろわたし自身への祝福として聞き取りたいと思っています。

>> ご遺志を引き継いで私たちはたたかいつづけます。

>> ロラ・マシン、あなたのことを決して忘れません!

              野原燐』 (2007/04/10 19:42)

noharra noharra 『海老蔵さんへ 

サリノグさんが国民基金を受取拒否した根拠は、彼女自身の意志ではなく、誰かからのそそのかしによる、とあなたが判断した理由は何ですか?

それを示せなければあなたは、根拠無く彼女を貶(おとし)めたことになります。』 (2007/04/10 21:12)

ebizoh ebizoh 『>野原さん

上記京都のブログより引用

>2000年12月、わたしは東京で「女性国際戦犯法廷」に参加し、正義が達成されたという感覚を、やっと感じることができました。これまでは決して感じることのなかった気持ちでした。わたしはまた、アジア女性基金が提供してくださるという償い金では、わたしが女性として受けた権利の侵害、わたしに対して犯された重大な諸犯罪は、決して埋め合わせにはなり得ないことにも気づきました。

『気づきました』とは、それまではそう思ってはいなかったという意味です。

女性国際戦犯法廷の政治運動家が、目の前で法廷を僭称する茶番劇(秦氏によるとカンガルー裁判)を行ったために、サリノグさんにそう確信させたという点で、彼らの罪は重いでしょうね。

私の上記コメントは単に合理的推認を述べただけであるのに、彼女を貶めたと感じたのは、野原さんが女性国際戦犯法廷の運動を支持しているが故の主観的判断にすぎません。』 (2007/04/11 10:55)

mojimoji mojimoji 『>ebizohさん

あきれ果てた人ですね。「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう。/←この言明は、女性国際戦犯法廷が茶番であろうとなかろうと成立します(茶番ではない、と僕は主張しますが)。対して、あなたの発言は「茶番である」を前提しなければ成り立たない言明ですね。「主観的」(というよりも独断的)判断に陥っているのはebizohさんの方であることは明白ですね。』 (2007/04/11 23:32)

ebizoh ebizoh 『>mojimojiくん

>あきれ果てた人ですね。

>「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう。

私も、キミ達のそういう情に訴える被害者ファッショにはあきれ果てています。全文を良く読もう。「気づきました」という以上、それまではそんなこと考えてもいなかったはずである。また、それまで基金の受領を持ちかけてきていた人に対して、サリノグさんは女性戦犯法廷を見たおかげで断りの返事をする決意をしたことも書いてある。つまり、サリノグさんはそれまでは断るか否か未定だったのに、彼女にそう決心させたのが女性国際戦犯法廷ショーなのだ。これは、彼女を貶めてはおらず、女性国際戦犯法廷のメンバーを批判しているだけ。弱者を盾にする彼らの邪悪さは隠しようが無い。

>←この言明は、女性国際戦犯法廷が茶番であろうとなかろうと成立します(茶番ではない、と僕は主張しますが)。

成立しませんよ。上記コメントで説明済み。

>対して、あなたの発言は「茶番である」を前提しなければ成り立たない言明ですね。

茶番でなく、きちんとした正統的な法廷ショーだったとしても、サリノグさんの決定を唆したことには変わりは無いので、成り立つ言明です。

>「主観的」(というよりも独断的)判断に陥っているのはebizohさんの方であることは明白ですね。

いいえ。私と同様の判断は、秦氏のような学者もしているので、必ずしも主観的とは断じ得ません。

mojimojiくんの判断こそ、独断的に被害者を食い物にしているでしょう。』 (2007/04/13 01:35)

jujo jujo 『>>>受け取り拒否を唆した

>>「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう

>それまでは断るか否か未定だったのに、彼女にそう決心させたのが女性国際戦犯法廷ショーなのだ

「受け取り拒否」をサリノグさんに「唆した」と断定するに足る合理的な根拠が示されていませんね。

サリノグさんの発言には、彼女が民衆法廷に参加し、参加を契機に「償い金が決して埋め合わせにはなり得ないことにも気づいた」ことが言及されています。ここには同法廷への参加を契機として、サリノグさん自身の主体的判断として「埋め合わせにはなりえないと気づいた」ということしか述べられていません。

なお、同法廷は「基金を受け取るか否か」が主論点としたものではありません。

「唆し」と断定するからには「基金が埋め合わせになりえるか否か」ではなくて「基金を受け取るか拒否するか」に関する「唆し」の事実を提示してくださいますでしょうか。同法廷で「受け取り拒否」に関する議論が行われたという事実があるのですか?』 (2007/04/13 13:36)

noharra noharra 『ebizohさん

(応答が遅くなりました。)

ebizohさんへのmojimojiさんの批判、jujoさんの反問に、わたしも同意します。答えてください。

 

海老蔵さんから最近発言がない。しばらく沈黙することに決めたのかもしれにない。前に書いた文章なのでUPしておきます。

>>>これは、彼女を貶めてはおらず、女性国際戦犯法廷のメンバーを批判しているだけ。

何が「彼女を貶める」ことか。

これにOKすればお金と正義を両方得ることが出来ますよという基金からの誘いを彼女はなぜ断ったのでしょうか?

理由を尋ねる前に、尋ねる根拠が私の側に在るのかがまず問題になります。

私はサリノグさんの友人でも指導者でもなく彼女の決断に意見を言う立場にない。であるから彼女の決断の理由を聞く根拠もないのです。

ebizohさんもサリノグさん及び彼女を取り巻く情況についてほんの少ししか知らないでしょう。であるにもかかわらず、あなたは「サリノグさんが国民基金を受取拒否した根拠は、彼女自身の意志ではなく、誰かからのそそのかしによる、と」あなたは決めつけた。

同じフィリピン人女性であっても例えば彼女が大学教授であったらあなたはそうした決めつけをしたでしょうか?彼女が無学で貧しい一生を送った女性である、したがって金の力でどうにでもなるべき存在であるのに、「一寸の虫にも五分の魂」を見せた。それが気に入らない。サバルタンはサバルタンらしくしておれ。

表明された一つの意志を彼女自身のものでないと言って、抗議されても反省しないとは、以上のような物事の捉え方であるとしか考えられない。

>>>全文を良く読もう。「気づきました」という以上、それまではそんなこと考えてもいなかったはずである。

そう断言できる根拠はありません。彼女は基金というよく分からないがそれでも大きな力を持つもの(オーソリティ)の誘いを断るために、世の中には別の権威もある(あった)ということを引き合いに出す必要があっただけ、かもしれない。

ところで、ebizohさんは「野原がコミンテルンに洗脳されている」と判断しているのでしょうか。

「Q1-3:コミンテルンの対日テーゼには洗脳されましたか?」と書かれましたね。

ここではぜひ「Yes」と答えて欲しいですね。Yesなら、ebizohさんは関係妄想に囚われただたのトンデモだ、と決定するからです。あなたがサリノグさんを貶めたという事実は消えないものの、その社会的価値はほぼ無くなります。

(一方ただのトンデモでは今後の対話意欲に影響を与えてしまうが)』 (2007/04/22 10:07)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070409#c1177203232

一読者 『途中で送信されてしまったものの、まだコメントは続くので、しばらくご返事せずに、私のコメントが終わるまでお待ちください。』

noharra noharra 『野原です。

一読者さんへの応答を、3/14の本文欄に書きました。

3/14のコメント欄にお返事をどうそ。』

ノーモア ノーモア 『さてあなたが公安委員会(?)と風俗業者の関係とは違う、そして軍が積極的・主体的に関与したのだと認識を改めたということですね。そうしますと常石氏のブログでのあなたの問題提起「違法な実態があったとしても、政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」というのは誤りだということでよろしいですね。

>私の主観では、素人から見た素朴な感想ですよ。

なるほど。要は説得的な反論は出来ないが「反感を抱いた」程度のものですか。まあ、如何にバイアスのかかった目でこの問題を見ていたか、自らのイデオロギー性を自覚できただけあなたにとっては良かったのではないでしょうか。

>なぜこの点に先走りと言われながら私がこだわるかというと

そうですね、完全な先走りですね。以下は決議案の内容です。

http://www.thomas.gov/cgi-bin/query/z?c110:H.RES.121:

そして次の質問「違法な実態に政府や軍が主体的に関与していたら、日韓基本条約時の請求権条約で解決済みということになる」という議論が的を外しているということもよろしいですね。まああなたが為したこれら二つの御質問に答えることが私の議論の目的ですから、一定の成果はあったということですね。

>あなたの立場に立ったとしても法的責任追及はできないことには変わりが無いでしょう

ちなみに責任追及が出来ないことと責任が無いことはイコールではありません。国際法は原則として国家間関係を規律するものであって、個人には及ばないというのは確かにその通りですが、国家間合意だけでは個人に対する人権侵害行為が十分に救済されていないという認識の下様々な理論的な努力が現在為されています。しかも妥結時に考慮されていなかった問題であるのならなおさらです。あなたも「複数の首相の誰もが法的責任の履行はできないからこそ、アジア女性基金で道義的責任を果たすことになったのではないですか?」と仰られているという事は日本にはある種の「責任」があるということは否定できないと考えておられるのでしょう。それをどう解決するかが問われているわけです。民間基金による金銭的補償も結構なのですが、そもそも軍が主体的に関与し、そこにおいて人権侵害行為が発生しているのに、(公式的な)謝罪すらしない、あるいは一官房長官の談話すらなかったことにしようとするというのはどういうことかと私は思います。何も責任を取りませんと言っているに等しいと言われても仕方がない。

>ただ、これは戦犯裁判の主体となった連合国が中国を除いては欧米人だったという要因もあるでしょうね。

まず「戦犯裁判ですら裁かれなかったのだから…」というのが推論として妥当でないことはお分かり頂けたようでこれも良かったです。

で、ここからは私とあなたの考え方の違いでしょうけど、私は東京大空襲のような無差別爆撃も原爆による民間人の虐殺行為も裁かれるべきだと本気で思っております。しかしそれを日本が追及するには自らの戦争犯罪と真摯に向き合うこと以外にありません。私は現在南京事件や従軍慰安婦を問題にする時に「欧米だって酷いことをしたじゃないか」という反論をする人たちの中で、どれだけ本気になって戦争犯罪を糾弾しようとする人がいるのか怪しんでいます。彼らは自国を免罪する為の方便として「しか」その主張をしていない。本当に彼らは「酷い」と思っているのか。本気で国家による人権侵害を批判する気がない人たちが、原爆・東京大空襲の被害者を持ち出すのは「死者に対する冒涜」です。秦氏が述べているように今回の件はアメリカ自身にもブーメランのように跳ね返るでしょう。ただそれは日本も酷いしアメリカも酷いというだけのことです。

最後ですがこちらのサイトも参考までに挙げさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070312/p1