Aさんの名誉回復したければ勝手にすればよい

http://www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html経由で)

http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html 第34回司法制度改革審議会議事録

というところで、曾野綾子が自作について語っているので、ちょっと読んでみよう。

最初にいままで何が事実とされていたか、を彼女は述べる。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

ところで曾野氏が論点として掲げるのは次の点だ。

これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、にみんなが興味があったわけではなかろう。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、というトリヴィアルな話題にわざわざ本土からやって来て食いついたのが、曾野綾子だ。もちろん文学者がどのような点に注目するかは彼女の勝手である。ある点に注目することで彼女はどのような文学的テーマを展開してくれるのであろうか。だが彼女が語るのは次のような言葉だ。

赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

Aさん及び彼の隊の人に対し、無条件に寄り添おうとしているかに見える。大江のような平和主義に染まった文学者が「犠牲者」とされた人に無条件に寄り添おうとするそのことにより事実が少し偏向された形で表現されていく、そのことを批判したいのではないのかね。自分も(右と左が違うだけで)同じ形の思想なら、批判は成立しない。

本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。

大変だったと思う。そして死者たちにはどういった回路で会ったのか。作家の本質はそこでこそ問われる事をまさか知らない訳でもあるまい。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

「Aさんが、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。」それで? Aさんの名誉は回復されるべきだと、ふーん、勝手に回復すれば、としか言いようがない。

日本民族の運命に関わる巨大な悲劇に遭遇しながら彼女は、文学にも悲劇にも興味がないようだ。Aさんの名誉にしか。

 パレスチナ難民の声を聞く

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【転載・転送大歓迎】

   パレスチナの平和を考えるトークカフェ in 新世界 第二弾!

 パレスチナ難民の声を聞く ― 「日本人フェミニスト」の視点から ―

~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~

日 時●9月19日(月・休) 16:30~18:30(16:00開場)

会 場●cocoroom(フェスティバルゲート4F、tel:06-6636-1612)

    http://www.kanayo-net.com/cocoroom/

    地下鉄「動物園前駅」5番出口/JR「新今宮駅」下車すぐ

    南海「新今宮駅」下車5分/阪堺電鉄「南霞町駅」下車すぐ

ゲスト●清末愛砂(ジェンダー法学/同志社大学政策学部嘱託講師/

    アジア女性資料センター運営委員)

参加費●1000円(1ドリンク付)

主 催●パレスチナの平和を考える会 www.palestine-forum.org

連絡先●090-9273-4316、ysige@ysige@hotmail.com(やくしげ)

           *  *  *

今年2度にわたってヨルダンのパレスチナ難民キャンプを訪ね、そ

こに暮らす女性たちの声を中心に聞き取りをされてきた清末さんに

現地の映像を交えながら話をしていただきます。

「ガザ撤退」の報道のなか、中東和平について多くが語られるよう

になってきていますが、パレスチナ難民の状況が省みられることは

ほとんどありません。そうしたなか、彼女/彼らの声に今あらため

て耳を傾けることの意味について、参加者一人ひとりの視点から考

え、深めることができれば思います。

今何か変なことを書いただろうか。

村田さん  コメントありがとう。

「ふんふんふんっ」などについて、問題提起してみたものの自分では答えがうまく見つからず書けずにいました。

(1)

Panzaさんの「神である叙述者(作者ではなく)のナルシシズムを相対化するための自己ツッコミである。」、村田さんの「自らツッコミを入れることで語り手=主人公を相対化したり複数にしたりする力」は正しいような気がします。「叙述者-読者」という関係において、叙述者が独走し読者が付いて来れなくなるのを避け、一方読者にこれは普通の平板な小説ではないよという警告を与え小説を立体化するという効果を果たす、という感じでしょうか。

(2)

「私はヒトだ。」という文に対し、「私はヒトだ。そうだよ、ね、ね。」という文の差異を考えましょう。前者のメッセイジは文の意味がそのままききとられるであろう平静な事態を想定しているのに対し、後者は私がヒトではない充分な可能性(危険性)を持つとする冷たい聞き手を前にしているという危機感を表している。語り手と場の空気との関係を表現するものが、「ね」とか「けっ」というかいう文末の直後に付く間投詞であるわけです。「ふふんふふーん」もその類だと理解しました。『金比羅』は小説ですから“語り手と場の空気との関係”と言ったときの、「場」とは小説に描き出された場でしかないはずです。作者はどんなに変幻自在な妖怪を暴れ回らせる自由もありますがそれは作品の中のことであり、読者には1mmも近づくことができません。

結局ここでわたしは躓いているので、「ここ」とは小説の読解に必要なところではなく、わたしがインスタントにでっちあげようとした「理論」が、素人が椅子を作ろうとしたときのように足がまるまる一本足りないことに気づいたは良いがそれの是正の仕方が分からず立ち往生している、といった状況です。で上手く説明できないしそもそも説明する価値のあることでもないような気がするのですが、しないと抜けられないので、します。

(3)

つまり、(1)では「叙述者-読者」という関係が語られているのに、(2)では「作中人物-作中の場」という関係が語られている。文の構造分析みたいな視角からは、(2)しか語り得ず、(1)は飛躍があるような気がするのです。

(4)

『S倉迷妄通信』p141などでは、

「今何か変なことを書いただろうか。」という文が現れる。

実はルウルウだけが通力のある化け猫だったのだ。(略)

今何か変なことを書いただろうか。(略)p141

四日後ドーラは走り回り、日に何度もカリカリを貪り喰った。ただ自分が人を殺したという感触だけは残った。(略)でも本当を言うと、私は殺してない。--今何か変なことを書いただろうか。(略)p137

猫を愛する平凡きわまりない日常から血みどろの殺害シーンへ、という位相差を飛躍としてでなく連続として笙野は描きたかった。だが、平凡な日常から血みどろの殺害へを連続的に描くことはできてもそれでは<連続>を描くことにはならない。読者の意識の中にある日常と殺害の絶対的断絶というものに働きかけるにはどうしたらよいか。その方法の模索として、殺害シーンに読者が感じているであろう異和感を、隠蔽するふりをしてかえって励起させるために、「今何か変なことを書いただろうか。」という文が挿入される。

これは、小説は最後の頁の最後の1行まで小説の中の世界を描くという小説のルールの侵犯だ。劇中から観客に向かって物を投げてくるようなものか。

(5)

「野生の金毘羅の鳴き声」であるところの「ふんふんふんっ」はまた、劇中で観客に向かって投げられる物、とも規定できる。

体験を語りうる戦争

 ニューヨークの芸術家の街グリニッチ・ヴィレッジの若い人ばかりのあるパーティーに、どうしてもお前に会わせたい奴がいるといってつれて行かれた。パンチをすすりながら古ぼけたピアノのそばでひき合わされたのは、見上げるような長身の青年だった。郊外の小さな新聞を一人でやっている有能なジャーナリストという紹介であった。

 パンチのグラスをカチッと合わせると、「十六回、十六回もやったのだ」といって彼は微笑した。精悍な額と涼しい眼が印象的だ。彼は第二次大戦の若い学生パイロットの一人で、沖縄作戦にも参加し、大和を轟沈するまで、空母との間を十六回も往復してアタックを続けたという。

 あんな素晴しい戦艦は見たことがないし、一機の援護機もない孤軍奮闘ぶりも実に見事だった。ああいう巨艦の乗員名簿に名前をつらねることのできたお前は実にラッキーな奴だと言いながら、しまいには私の肩を抱きかかえるようにした。サッカーか何かの試合のあとでユニフォームを脱ぎながら、敵の選手から「今日はシュートを十六回もしたんだぞ。全く苦労させやがる」というようなことをいわれているゴールキーパー、私の気持はそれに近かった。執拗な攻撃をくり返したという報告は、恨み言でも詫び言でもなく、お互いに苦労したという共感につながる愉しい思い出話にすぎない。アイムソリーという言葉も、そんな素振りすらもなかった。

 だいいち彼だけが私に謝らなければならないという理由はない。彼は私のまわりに爆弾を雨あられと降りそそぎ、そのあげく大海の中にほうり出したが、われわれの機銃弾も数限りなく彼の愛機をかすめたはずだから、あいこというわけだろう。私は荒海を何時間も漂っている絶望感を、できるだけ即物的に話してやった。彼は面白い世間話に対するようにそれに聞き入っているだけで、特別の反応を示さなかった。わが艦隊は弱かったから潰滅したのだし、海に棄てられた私は、いのちのある限り泳ぎつづけるのが当然で、それ以上の関心の持ちようがないというところかもしれない。

 ほかの青年がわれわれの間に割り入んでくると、彼はさりげなく日本映画の評判に話題をかえた。話題への関心の重さも、戦争の話と変わりがないというような屈託のなさであった。もしまた将来われわれが戦うことがあるとしたら、彼も事もなげにタフなアタックをくり返すだろうし、そしてまた再会の折があったら、同し調子で肩を叩くだろう、私はそんなことを考えつづけた。

吉田満「異国にて」*1

 戦後保守派は一貫して普通の国あこがれ続けてきた。皮肉にも小泉の勝利は、普通の国路線の敗北になった。なにしろ東条無罪ですからね(笑い)。

 健全なる男子が屈託なく軍務に就き、それを生涯誇りにして生きていく、そのような兵士というものも現実にいるのだ、ということを私たちは知らなければならないのだろう。*2

 戦争ができる国に成ることは絶対悪ではない、とわたしたちは言わなければならないのかもしれない。しかしながら、自国民を何百万殺そうが原理的に反省できない、靖国という無限の寛容は、絶対悪である。

*1:p170角川文庫『戦艦大和』s43年刊:「戦艦大和の最後(ひらがな版)がメイン」

*2:もちろん「朝鮮戦争でも、肉体は生きながらえたまま胸に深いくさびをうちこまれた人間は意外に多いようだ」と、この短い文章にも吉田は書いている。

1959年段階での戦犯観

http://d.hatena.ne.jp/nenecoconeneco/20051103

(仮)日記 – 木曜日

連合国によりBC級戦犯とされ刑死した旧軍幹部らの靖国神社への合祀(ごうし)をめぐり、旧厚生省(現厚生労働省)が一九五九年四月、各都道府県に公表を控えるよう求める文書を出していた

(略)

「部外(多数の一般戦没者遺族を含む)」からの神社側への投書などに表れた意見に照らし「重大な誤解を生じ、ひいては将来の合祀にも支障を起す恐れもある」との懸念が記されていた。

BC級戦犯というと、冤罪であった(と思われる)ケースが強調される。

例えば、マレー半島のネグリセンビラン州でのパリッティンギ村というところで、約600人の村民が集団虐殺された。I中尉が責任を問われた。ほか二人とともに処刑された。I中尉について冤罪説がある。*1I中尉の遺族にとっては彼の名誉に関わる大きな問題であろう。しかし、I中尉の遺族でもその軍の関係者ないものが「冤罪である」と強調するのは如何かね。われわれに関係があるのは、日本軍による村民の集団虐殺の存否という問題である。その点について否認説は存在しない。したがって冤罪云々は別に強調されるべき論点ではないはずだ。冤罪を指摘することは、BC級戦犯全体に対する同情的イメージを再確認することになるが、そのようなイメージ自体、<殺されて省みられない者たち>から見た場合犯罪的であるだろう。

BC級戦犯=同情されるべき犠牲者、というイメージに同意しない人々が国民の間に無視しえない割合で存在したのだ、1959年当時は。ということを証す貴重な記録である。

*1:参考:p123『BC級戦犯』isbn:4004309522

6.沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた

 筑紫峠も、辰平は忘れることができず、フーコンという言葉を聞けば思い出すのであった。サモウの野戦病院というのか、患者収容所というのか、あれもひどいものであった。患者が多くて、とてもあの瀬降り病棟に全部を収容しきれず、土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れていた。そのような患者が次々に死んだ。死体は、共同の死体壕に投げ込まれた。死体壕に雨水が流入してできたプールに、沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた。禿鷲が降下して死者の肉を爪にかけて、飛び去った。

 あの死体壕に投下されるまで、死者は泥土に顔を突っ込んでいた。あるいは、仰向けになって、眼と口をあけていた。

 あれは確かにあったことであり、実際に見たことなのだ。辰平にはしかし、幻のようにも思えるのであった。あんなに多くの人が、あんな姿で死んでいる光景を、俺は本当に見たのか。もしかしたら、幻想ではないのか。そんな気がするのである。死者の光景だけではない。あの戦場のすべてが夢の中の光景のように思えるのであった。

(p12-13『フーコン戦記』isbn:4167291037

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070414#p4

昨日(5/19)、あるところで、「従軍慰安婦をめぐる6枚の紙片…」と題して話しました。

その時に使った6枚の紙片です。

悲しみは北の果てに

 慰安婦とはなにか、定義をめぐってもたぶん異見があるのだろう。下記は慰安婦ではなくただの辺境の下級娼婦(予備軍)だろうか。とにかく(おそらく満州国ができる前)そのエリアの田舎道を歩いている若い女の群、である。

 くずれかかった島田髷をグラングランとゆすりながら、赤いおこしをまくり、ゴム長靴をはいて、しめじめした田舎道を歩く十五、六人の若い女の群がいる。

 ここ密山あたりへ来る女は、ひ子窟(ヒシカ)の女市場から売られて来たのである。あまりきれいなのがいないのは、下物だからだろう。きれいであってもゴム長じや興がさめるが--

 女共のうしろには、面構えのよろしからん男が鞭を持って、羊か豚を追うように尾いている。女共は大ぶん歩かされたとみえヒョロヒョロしている。これからもっと奥の、ソ連境へまででも連れて行って売り込むものとみえる。今夜にも売れたらその日からでも、何ともわからん男--どこの国の人間やらわからぬ男を抱かねばならぬ。「女販売人」からみれば、女というよりは女に似たけだものと思っているだろう。男を抱かせさえすればそれてお金になるのだから、女みたようなものでありさえすればいいのである。どこのだれの子か、どこの村から拾って来たのか知らぬが--

 どうせこのあたりに稼いでいる男は、女のいいも悪いもない、徳利の穴から出すものを出せばすむ

のだから--

 しかし、このあわれな女たち、これからどこへ行ってどうなるものやら。どうせ、このあたりの土となるものだろうが--それもしらずに--

 櫻井忠温の『哀しきものの記録』文芸春秋新社(昭和32年発行) p251 より。

 この女たち、わたしは日本人じゃあないと思っていた。でも良く読むとおそらく日本人だ。p203にこう書いている。

大連の北にひ子窟(ヒシカ)という海岸がある。(略)ここが内地で浚った女共を陸揚げするのである。そして女の市が立って、上物と下物とを選り分け、それぞれ相場を極めて送り出すのである。下物は大てい北満送り、あの方さえ役に立てば目っかちでもいいという程度--そんな片輪は拾っては来ないが--大連や奉天向きは特種、遼陽、四平街だのはまず上玉の方である。下物の下物は競売にかける。

「内地で浚った女共」というのは日本人ということになりますね。わたしが日本人と思わなかったのは、この七〇年以上女性であっても日本人であれば満州あたりでそんな扱いは受けないと思っていたからです。でも八〇年以上前にはこういうこともあったのでしょう。

 というかわたしがいいたかったことは、女が何国人であってもそんなことはどうでも良い。ただじめじめした田舎道を歩き続ける女たちはあわれだ、とそう思うことが大事だということです。*1

 従軍慰安婦問題は、語り得ない言葉を語り初めた彼女たちの実存によりそうように見ることはもちろん必要だが、上記のような哀れさの底、あるいは彼女たちと交わった男たちのことも直ちに断罪しない、すべてを呑みこむ歴史の巨大なはらわたの一つのエピソードとしても理解すべきだと思う。

*1:「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に餓(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ」聖徳太子以来の、日本人が大事にすべき伝統的感受性です。

一読者 『>ノーモア(敬称略)

>コメント欄は以前からありました。

>調べれば簡単に分かることを下種の勘繰りをしておいて、「急遽コメント欄を姑息にもお作りになられたのか」とは恥を知りなさい。

誠にごもっともです。

野原様、下衆の勘繰り、ご容赦ください。

ただし、初対面の人間に対しいきなり罵倒から入る失礼な方には、敬称略とさせていただきます。

私が下衆の勘繰りをした原因は、もちろん私のうっかりミスでありましょう。

ただ、そのうっかりミスを引き起こした補助的原因は、以前コメ欄なしメアドありの左翼系ブログ主に対して、捨てアドを作ってメールしたところウイルスメールのお礼参りをされたためであることは、ここに言い添えておきたいと思います。

それによって私が免罪されるとは思いませんが、左翼系の方とコメントを交わす際には常に疑心暗鬼になる私の心情は、慰安婦に同情を寄せるあなた方にはお分かりでは?

>軍が主体的に関与したことについては

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html

を読めば分かるでしょう。

以下、上記サイトの筆者の最も言いたいところだと私が感じた箇所を引用いたします。

>国家と性の関係は現実に大きく転換したが、売春=性的労働を「公序良俗」に反する

>行為、道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識、さらに慰安婦を「醜業婦」と見

>なす意識はそのまま保持され続け、そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み

>出すにいたった。慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関

>係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であった。このこと自体が、すで

>に象徴的な意味においてレイプといってよいだろう。従軍慰安婦が、同様に軍の兵站

>で将兵にサービスをおこなう職務に従事しながら、従軍看護婦とは異なる位置づけを

>与えられ、見えてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれた

>のは、このような論理と政策の結果とも言えよう。慰安所の現実がそこで働かされた

>多くの女性、なかんずく植民地・占領地の女性にとって性奴隷制度にほかならなかっ

>たのは、このような位置づけと、それをもたらした軍・警察の方針によるところが大

>きいのである。

それまでの、自称した以上は実証主義的資料研究の枠内にとどまろうと努力する言説(それでも強引な資料解釈は多いですけどね)が台無しになるこのイデオロギー満載の言説。

現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態を、いきなり奴隷制度にワープですか。

それなら日本の公安委員会や、世界各国で同様の業務をしている国家機関は皆売春業の主体ですか?そんなバカなことはありません。

>それから国連人権委員会は日韓条約時には従軍慰安婦問題は考慮されていなかったという見方をとっているという事実は押さえて置いてください。

押さえていますが、それって国際法上は極端少数説に依拠してますよね。

反日かつ自国内人権弾圧緒国家が主流派だった頃の国連人権委員会ですら最下級の評価のTake Noteの委員会報告を持ち出されても・・・

私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

>また日韓両政府は個人による請求権自体は消滅させてはいません(もちろんそれが認められるかどうかは別問題として)。

個人請求権の消滅を否定したのは、韓国政府だけだと思っていたのですが、日本政府も否定していたとは・・・

ぜひ、そのソースを教えてください。

また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

これも違うのなら、やはりソースを教えてください。

>いずれにせよ今回(アメリカでの決議を発端とした議論)は「個人に対する補償をすべき」という法的な賠償責任が問題になっているわけではないので的を外した議論だとは思いますが。

決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

これも違うのなら、そのソースを教えてください。

>ちなみにあなたは軍が主体的に関与しておきながら河野洋平という一官房長官が述べた談話だけで十分だとかそれすらも見直そうという人たちについてどうお考えでしょうか。

私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし、河野談話に批判的な人たちの多くも同じ考えでは?

前提とする理解があなた方と違うので、違う結論になるのがむしろ当然では?

理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。

それは、おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

私は、日本の戦争犯罪といわれるものだけが蒸し返されるのは、日本の対処が不十分だからではなく、単に日本は責め立てれば金を出すと思われているだけだと思います。

敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった事件は、当時の戦勝国や旧海外領土の民族の法意識では犯罪では無かったからだと思います。

ありますよね?昔は犯罪じゃないけど、今では犯罪とか人権侵害とか批判されうる行為って。非犯罪化とかその逆もありますけど。

日本の戦争犯罪はおそらく9割以上処罰されたり賠償したり謝罪しているが、連合国や戦後の中国・ロシアの戦争犯罪はほとんど処罰されていない状況で、原爆投下や民族浄化や捕虜虐待など後者の戦争犯罪の追及をするなら分かりますが、日本の戦争犯罪を追及するのは本末転倒だと思いますよ。』

ノーモア ノーモア 『>それでも強引な資料解釈は多いですけどね

ずいぶんと「上から見た物言い」ですね。そういうあなたは歴史学者か何かなのでしょうか。ではぜひどの史料の解釈がどのように間違っているのか、具体的にお答えください。でなければあなたの発言は単なる誹謗中傷です。

>また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

そもそもあなたはなぜ国家が個人が賠償請求する権利を勝手の放棄できると思えるのでしょう?まあソースを出せというなら出しますが。

平成3年8月27日参議院予算委員会での外務省の答弁です。

「いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」

>私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

「考慮されなかった」ことはお認めになりますね?で、その原因についてですが「慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。」などと勝手な解釈を付け加えるならそれこそソースをお願いします。

>決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

私が記事を見た限りでは「謝罪」を勧告するというものしか見当たりませんし、日本政府も「決議されても謝罪はしない」としか言っていないので個人補償について法的責任があるといった決議ではないと思いますが。

>私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし

だから私は軍が主体的に関与したことのソースを示しましたよね。ちなみにこのページはここのブログの管理人である野原さんが見つけたものですけれども。しかしあなたは強引な解釈だのなんだのと具体性の無い誹謗するばかりで議論から逃げるだけじゃないですか。「関与していないと思う」ことと「事実として関与していない」ことは全く違うんですよ。もう少しまともな議論が出来ませんか?

>理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

まず各国の慰安婦制度の実態がいかなるものかをきちんと述べてそれで比較検討してもらわないと。理論的可能性に固執するのは結構ですが、現段階では妄想の域をでていません。机上の空論です。裏付けをどうぞ。

あなたの反論ですが、こちらにソースをソースをと要求する割には、御自分はほとんどソースをお示しにならないという見事なまでのダブスタです。お気楽なことで。』

ノーモア ノーモア 『もう一点。

>現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態

なるほど現在の公安委員会は業者に風俗営業を請け負わせているんですね。業者を通じて売春婦を募集したりしているわけですか。「公安慰安所」なんて聞いたこともありませんが。』

14歳 楳図かずお

野原が最も尊敬し好きなマンガ家は大島弓子である。自分のモチーフ追求を軸にマンガを強引に作り上げる観念的なマンガ家であるという点で、楳図は大島と共通点を持つかもしれない。ただわたしは楳図のよい読者ではない。機会があって(自腹を切らず)『わたしは真吾』と『漂流教室』を読んだくらい、だ。楳図は有名な割にあまり読まれていない(たぶん)。小学校4年の息子が楳図に興味を示したので、(悪趣味だから子供に買ってやるのはどうかと人並みなことも思わないではなかったが)近くのリサイクル古本屋に一冊350円で1~4が並んでいたので買って、息子に与えた。先に息子に与えるのはけっこう危険である。とまあそんなことはどうでも良い。

テキスト主義者ならテキスト(マンガ)に即して語らんかい!はい。(1と2を読んだだけで、これは20冊もあるのでそろえるかどうかも未定だが)(ところでチキンジョージを“ぐぐって”みたらライブハウスばかりだった)えーこの作品はチキン・ジョージというモンスターの誕生から始まる。チキンジョージとは鶏肉自動作成工場の偶然のミスから生まれた生物が(ご都合主義で)高度の知能を持ったモンスター。彼は孤独感を理屈で根拠を捏造することで埋めようとし、現代文明(未来文明)が数千数万種の動物たちを滅亡させたことへの復讐を自分の使命と考える。息子には粗筋ではなく感想を書けと高圧的に命令したくせに自分でも粗筋しか書けない。反省。言うまでもなくわたしたちは牛や豚を食べているが、彼らは近くでゆっくり見ると大きいだけあって威厳と存在感に溢れている、ここには大きな矛盾があるが皆が知らん振りをしている。こうした誰でも知っているタブーを主題にする蛮勇こそが、名作を産みだす条件だ。(続きを読まないと分からない。)