住民が死なない戦い方

いままでの経過。#pは続きがある場合あり

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050726#p4

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050726#p1

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050803#p2 

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050804/p1 で、これへの応答です。

(11)

「全て悪いこととは言えない」は部分否定だと思われるのですが、部分否定するだけで「歯止めが一切ない」というのは、乱暴にすぎないでしょうか?

「全て悪いこととは言えない」とは、部分否定のはずですね。即ち「否定すべき」=「黒」とすれば、「戦争中のこと=真っ黒ではない」、つまり1%から99%までの灰色だ、という主張だった筈です。しかし、最近では「靖国の死者を否定するのは許せない」つまり、限りなく真っ白に近い、という(意味の)主張が大声で発せられている、と言っているのです。

小泉氏にとって「罪とは何か」「反省とはなにか」、分かりません。そこで部分否定論者であるgkmondさんに、否定すべき点はどこなのかお聞きしたいと思ったのです。

沖縄で10万人以上の民間人が死にました。これは全く不可避の死者だったのでしょうか。本土を守るために沖縄が捨て石になった、という理解は間違いなのでしょうか。わたしは捨て石だと思います。国体護持*1のために、何万人もの住民が死ぬのもやむを得ないという戦争遂行の仕方。それは戦後の価値観からは全否定されるべきだと思います。

したがって、

id:index_home:20050625 id:index_home:20050805#p1 でも論じられている、「陸上自衛隊那覇駐屯地の幹部や隊員ら約百人が六月二十三日早朝、第三二軍司令官の牛島満中将らを祀った糸満市摩文仁の黎明之塔前で慰霊祭を行った。」といった行為も否定されるべきだと思います。

「あの戦争は百%間違っていた」と言うことで安心してしまい、上記のようなある特定の戦争遂行の仕方を批判することを忘れてはいけないと思う。

(12)

 私はむしろ戦前戦中に関して、国民の得ていた自由を最大限多く見積もるべきだと思います。被害者としての面は多少弱められるかもしれませんが、「この程度に自由は残っていたけれども、勝てない戦争に突き進んだ」という語られ方をしなければ、現在の状況の危うさを理解させる史料とはなりえないからです。

異議ありません。

ただ色川氏のようなインテリと、辺境の寒村の住民*2とでは圧倒的に違う、ものを考えるに当たって権力側の一方的判断を押しつけられた場合にそれを相対化しうる能力が。ということをよく考えるべきでしょう。テレビなどで意識が均一化し、誰でもいっぱしのことを言ったりする昨今と全く違う当時の雰囲気はわたしたちに想像することすら難しいように思います。そんな時代でも、なお下記のようなことはあったのです。

(座間味島)

 なお村役場から離れた阿佐の集落では「自決」をしようとする動きもあるが「阿真(西方の集落 筆者注)で捕虜になれば、腹一杯の食事が食べられる」という情報が伝わってきて住民はそちらに向かい、「自決」はおこなわれなかった。このことは米軍が生命を助けてくれるとわかったときにはけっして自決を選ばないことを示している例であろう。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm

私は分からないわけですが、米軍に捕まると「残虐な仕方で殺される」と信じこんでいた人々が過半いた、と林氏は書いているみたいです。でそうだとしても、最後の自決までスムーズにいくわけではない。地獄の決断があり、いくばくかの生への可能性もあった。*3だからといってその自由は、色川氏が体験した自由とは同じ言葉で表すのが全く不適切なものです。

(13)

一七七人といわれる「集団自決」の犠牲者に対し、「「自決」を主導したのは村の幹部や校長ら学校の教師たちと見られる。」だからといって手榴弾を配った軍の責任が無いはいえないだろう。「弾薬をくださいと頼んだが部隊長は断った。」と林氏が語る部隊長の名誉が、ほかの本で毀損されたかどうかを論点にした裁判が始まるという。大量の自決者を生んでしまったのは、皇国皇軍の構造的問題であり、それを一人部隊長に負わせるのは酷だという理屈は分かる。しかし皇国皇軍の構造的問題の批判は六〇年経っても充分出来ていないのだ。それなしにこうした裁判を提起することは、結局構造的問題はなかった(=一部の住民が自発的に死んだだけ)ということになる。一部の住民はなるほど無学だったかもしれないが、馬鹿だったわけではない。犠牲者を馬鹿にするのは許されない。

(6)

6)林博史氏の論文のどこが、誤ったソースによる誤った文章なのでしょうか。(野原)

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper20.htm「沖縄戦記録・研究の現状と課題 ―“軍隊と民衆”の視点から― 」という論文で、「沖縄戦を直接扱った書物は,今日までに200数十から300冊を越えるとみられる」とし、それらを概括している。

『鉄の暴風』 は,事実のあやまりや米軍占領下の制約などいくつか問題点を待っているがその後の沖縄戦記録の出発点となるものであった。(林)

と、幾つかの「事実のあやまり」があったことは認めている。

 ここで「以来」という言葉が使われていることからも分かるように、集団自決の初出は『鉄の暴風』と考えられ、この論文も「鉄の暴風」を資料としていると考えられます。

 ここまでのことから林論文を参考にはできない、というのが私の意見です。

集団自決を論じる者が、「鉄の暴風」を資料の一つとしている場合に、論文の全てを否定することができる。なんともおそるべき論理展開ですね。

しかも、林博史氏の論文のどこが誤っているのか、については一言もない。

どうも、これでは。「はじめに結論ありき」という汚名を免れ難いのは、gkmondさんである。

*1:という何だか訳の分からない目的

*2:「自決」したのは子ども、老人、女性がほとんどです

*3:チビチリガマの場合53/139が生存確率。

公平な心で読んでください

 大概は漢国の事実に合わせて徴(しるし)とし、古伝説に照してその実有なる事を暁(さと)し、また因(ちなみ)にすべて神祇の事に渉る事等を、古へ意を以て論(あげつら)はむとするなり。漢学の人々、願わくは孔子の「意なく、必なく、固なく、我なし」*1てふ情(こころ)にならひ、公平(おほやけ)なるこころを持(もち)て熟(よ)く見別(みわか)ち賜(たま)ひねかし。

(平田篤胤『新鬼神論』p138 日本思想体系50)

篤胤には新鬼神論と鬼神新論があり内容は似たようなもののようだ。神と鬼を一緒くたにするのは如何なものか、と思われるでしょうが、儒教(朱子とか)の伝統では、鬼神論というテーマ設定で考えることになっていた。

朱子は「天は理のみ」と言っている。つまり理という非人格的原理が普遍的に世界を支配しているという思想だ。ここからいくと神さまだとか幽霊だとか祖先の霊などというものは無い、少なくとも限りなく無いに近いということになるのが自然だ。

しかし篤胤は神道ですから、天津神や国津神を全否定する思想は許せない。そこで孔子(論語、中庸)のなかに、鬼神の実在を語った部分があるじゃないかということを50頁くらい延々と論じたのが新鬼神論です。

 引用した文章は、ただ自分と意見が違う人でも、公平なこころを持ってよく考えて読んでください。(納得できなければ反論してください)。みたいなとても開かれた心情を感じることができると思ったので引いてみた。*2

篤胤というと狂信的国家主義ということになっているが、そのへんのプチウヨの魂がひょっとすると腐臭を発しているのとは大違いである。

*1:「勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我をはらない」金谷治訳 岩波文庫『論語』p167   

*2:別に大した文ではない。

我祖宗の御制に背き奉り

我が国の軍隊は、世々天皇の統率し給うところにぞある。

昔、神武天皇、みずから大伴・物部の兵どもを率い、中国のまつろわぬものどもを討ち平らげ給い、高御座に即かせられて、天下しろしめし給いしより、二千五百有余年を経ぬ。(略)

古は天皇みずから軍隊を率いて給う御制にて、時ありては皇后・皇太子の代わらせ給ふこともありつれど、大凡、兵権を臣下に委ね給うことはなかりき。

中世(なかつよ)に至りて、文武の制度、皆唐国風に倣(なら)はせ給ひ、(略)朝廷の政務も漸文弱に流れければ、兵・農おのずから二つに分かれ、古の徴兵はいつとなく壮兵の姿に変わり、遂に武士となり、兵馬の権は、一向(ひたすら)に其の武士どもの棟梁たる者に帰し、世の乱れと共に、政治の大権も亦其の手に落ち、凡(およそ)七百年の間、武家の政治とはなりぬ。

世の様の移り換りて斯くなれるは、人力もて換回すべきにあらずとはいひながら、且つは我国体に戻(もと)り、且つは我祖宗の御制(おんおきて)に背き奉り、浅間しき次第なりき。

「軍人勅諭」明治15年

天皇の軍隊を高らかに宣言している。

鎌倉から江戸幕府まで長く続いた武士政権については「我祖宗の御制(おんおきて)に背き奉り、浅間しき次第」と否定する。

ただ最近のなかった派とは違い、「凡(およそ)七百年の間、武家の政治」があったことをしっかり認めている。

女帝論もアメリカの陰謀か?

 上のように戦後天皇=ケガレとみると、その子、孫もケガレを引きずっていることになり、(反米)愛国の核たりえない*1ので、アメリカはそれを望んでいるのだ。

と言えるかもしれない。

*1:また中国・韓国人に大東亜戦争の記憶をいつでも呼び覚まさせるとこができ、日中連帯を崩すことができる

日本そのものの否定

アジア主義の否認は、それ自身のうちに止揚しがたい矛盾を孕んでいる。アジア主義を否定することは日本そのものを否定することになる。*1

何の信仰も超越も持っていないが故に日本を最終審級とする(哀れな/素直な)奴らを、ナショナリストとか右翼とか呼ぶのは間違いだ。彼らはただ(哀れな/素直な)だけだ。

*1:「神の否認は、それ自身のうちに止揚しがたい矛盾を孕んでいる。神を否定することは知識そのものを否定することになる。」p170啓蒙の弁証法 のパロディ

削除元記事

twitter の下記記事を10月12日19時30分ごろ削除しました。 

http://twitter.com/#!/noharra/status/123898355607805952

@Hideo_Ogura ネットを利用した誹謗中傷については、被害者には「裁判制度を通じた救済」を受けさせないということですね。>あなたね、公開された発言をなめてませんか? 私はそんなことを言っていませんよ。議論のルール違反ですね。あなたの信用は下がった。posted at 10月12日 08:10:44