桜が満開です。

 うちのひどく小さな庭には小さなサクランボの木がありもう満開になりました。

3/18君が代問題以来、多くの方にコメントをいただき、とても嬉しく思っています。ブログあるいはその前の掲示板開設から数年、始めての出来事です。

 なおわたしは、コメントはできるだけ本文に転写する方針をとっています。それはこのサイトの主人が、野原燐を名のる個人ではなく、参加者、読者を含めた<成長していく関係性>であるべきだ、という強い理念に基づいています。とは言っても、実際にはあくまで個人のブログでしかないのですが。

 個人として見た場合、私には明らかに性格的欠点があり、せっかく来ていただいたのに挨拶すらちゃんとせず放置状態のようなありさまで申しわけありませんでした。特に今回は最初から話が広がり、今もって論点のすべてをフォローすることもできずにうろうろしている状態です。

 スワンさん、hikaruさん、hal44さん、N・Bさん、私と、(たぶんspanglemakerさんを除けば)、「君が代の強制」には明確に反対、という立場のようです。いわば味方どうし!なわけですが、その分、各人の差異がどこにあるのか手探りのまま議論が続いてきた気もします。(私だけかな?)

 ようやく分かってきたのは、「君が代・愛国心」などの存在自体をいらないと考えるhal44さん、hikaruさんに対し、スワンさんと野原は保留が多いわけです。

「社会公共の利益としての愛国心」は否定できない、と考えるスワンさん。一方野原の立場はまた別で分かりにくいと思います。

 「パトリオティスム/ナショナリズム」を違う物として考えて、前者を肯定し後者の現実の国家組織への忠誠という面を全否定する、という論理に近いと言えます。民衆のあいだにあった儒、仏、神道などの伝統思想や通俗道徳を総括して「教育勅語」ができたのですが、それをもう一度、「国家組織への忠誠」を全否定して、伝統や通俗道徳に戻ろう、みたいな発想です。迷いが多いのですが、これから語ろうとすることはそういう方向なのかもしれない。(分かりにくくて恐縮ですが)

 せっかく議論がにぎわったので、それぞれ少しづつ考えを進めていきましょう。

誰が式典をぶち壊したのか?

(野原)

fantomeyeさん

「難癖つけて式典をぶち壊す大人のほうがよほど迷惑です。」と言われるが、azamikoさんはもちろん、去年今年処分されたたくさんの教師たちのうちで、「式典をぶち壊す」なんてことをした(できた)人は一人もいないです。

万一いるのだったら教えてください。前の日に手紙を渡しに行ったり、黙って座ったりしただけでしょう?

 式典の「粛々たる」進行が、妨害された例をまず挙げてください。

それがないのなら、普通の生徒なら何も問題は無いはずです。あなたは最初からイデオロギー的な過剰反応をおこしているのに、それをうまく無垢な生徒であるかのように偽装しているだけだ。と私には思えます。

「女性国際戦犯法廷」なるものを真面目に取り上げるひと

# drmccoy 『TBありがとうございました(?)。私如きどこの馬の骨ともつかぬ人間の文章を丁寧に引用していただき、誠にありがとうございます。ただ、 noharraさんのこの部分を拝見しますと、他サイトからの引用とそれに対するnoharraさんコメントのみですので、ご指摘の意味が私程度の人間には理解し難く、質問されているのか吊し上げられているのかもわかりませんし、「女性国際戦犯法廷」なるものを真面目に取り上げられている様子から、おそらく相互理解や議論は不可能とも思えますので、具体的なコメントは遠慮しておきます。』

(野原)

(1)「女性国際戦犯法廷」なるものを真面目に取り上げるひととは、相互理解不可能。という判断をされるのですね。貴ブログタイトルに「非論理的な世界」とあって?でしたが、あるテーマについて「まじめに取り上げる」ことを非とされる考えの方とは思いもよりませんでした。

(2)

「過去を反省しない」を否定しておられるようですが、それではどのように「反省して」おられるのでしょうか?

(3)

「日本人の慰霊の概念、だれであろうが死ねばみんな神様仏様であるというおおざっぱな感覚*1」についてはここで肯定してみましょう。そして、靖国参拝を父親の墓参りと同置する。

即ち政治的行為の思想性方向性が問われているのに、「わたしの心情の善性」でもって応答している。これでは他者の理解を得ることが出来るわけがありません。

靖国神社とは「日本の国を守るために、斃れた人達を祀る」ための神社です。大東亜戦争の少なくともその一部が間違っていたことは明らかです。それを日本が認めることで日本は国際社会に復帰し得たわけです。「大東亜戦争の少なくともその一部が間違っていた」のかそうでないのか、いずれにしてもそれは現時点での国家日本のメッセージとして他者を説得すべく発せられなければならない。それがないわけですから戦前への回帰としてヒステリックな反応が起こってくるのは、いわば当然です。

*1:大量殺害者宅間某なんかもだな?

「存在様式の変革」とは?

 松下昇は模索した。「自己が依拠してきた発想や存在の様式を変換する*1」ことを。「任意の位置ないし関係相互の間における発想や存在の様式の矛盾を止揚する原則を模索する*2」という明確なヴィジョンを持って。

 「大学闘争は、たんに、虚偽にみちた大学の機構や当局者たちだけを批判してきたのではない。もっと巨大で、無意識のうちに私たち全てをつつみこんでいる矛盾の総体と格闘してきたのである。これまでのあらゆる革命運動が見落としてきた領域を、現在まで人類史が累積してきた諸幻想領域との関連で把握し止揚の道を切り開くこと。*3

“もっと巨大で、無意識のうちに私たち全てをつつみこんでいる矛盾の総体”。わたしは矛盾に包まれている。わたしたちは矛盾と闘うすべを知らないが、それがあることだけはありありと感知している。わたしたちの平穏な日常は一瞬にして、出口の見えないホラー映画のごとき暗鬱に包まれる。松下に近づこうとすることはそうした体験であるのだろうか。

 ・・・・

松下昇は私に最も近い思想家、テキスト作家であるはずである。であるがまた同時に〈ひどく遠い〉タブーの存在でもあるのだ。彼に接近する事に対する障壁は無いはずなのに、どこかでそれをむしろ作っているわたしがいる(ようだ)。わたしの問題はちょっとおいておいて、とりあえずすることができる(しなければならない)ことがあるので、していきたいと思う。*4

「男尊女卑は我が古俗」ではない

其の俗、国の大人は皆、四,五婦。下戸も或いは二,三婦。婦人淫(みだ)れず。トキせず。

(魏志倭人伝)

(習俗として、上層の者にはみな、四,五人の妻があり、下層の者にも時には二,三人の妻を持つ。婦人は淫らでなく、嫉妬しない。)

上層の男は多くの妻を持つが、沢山の下層の男は妻を持てない、というのが、一夫多妻制の社会である。伝の通りだと女の数がよっぽど多くないと計算があわない。

 ところで、1910年の白鳥倉吉「倭女王卑弥呼考」という論文は画期的なもので現在まで影響を与え続けているらしい。

彼は「大人は皆、四,五婦。下戸も或いは二,三婦」を引いて、こう書いた。

此の如く男尊女卑は我が古俗なりにしも拘(かかわ)らず、(後略)

しかしながら、明らかに矛盾を孕んだ断片から一方的な断言だけを引き出してくるのは無理がある。

また「男尊女卑は我が古俗なり」も「夫婦の制が判然と確立」していることも、明治の皇室典範制定に際して、女帝否定論者によって繰り返し我が国の“伝統”として持ち出されたことであった。

p195『つくられた卑弥呼』義江明子ちくま新書 isbn4-480-06228-9

「皇室典範制定に際して」のところを急いで読むと、「明治の」を飛ばして現在の議論と勘違いしそうだ。世の中には「一夫多妻」と聞いただけで涎を垂らすスケベオヤジもいる。しかしながら現在の自己の欲望を直ちに「伝統」「歴史」と言いかえることに自己の学識と知力を(あるいは無意識に)傾けてしまう学者先生に比べれば、そのイノセンスは愛されよう。

(『つくられた卑弥呼』は良い本ですよ。)

おおきくピントがずれている

http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050519/1116492120

私は2・26事件を首謀して処刑された磯部浅一なんかは靖国に祀られていないから怨霊と化して日本を軍国主義に導いたんじゃないか、なんて冗談交じりに言ったりすることもあります。

 上に村上一郎の文章を長く引用したのは、野原としてはこのマッコイ氏の文ががまんできなかったからです。

生きてるうちから魔王と呼ばれたりもした北一輝なり磯部浅一なりが、菅原道真よろしく「怨霊と化す」という想像は、数百万の日本兵が靖国に集まっているなんてイメージより、ずっと日本の日本の伝統にそったものである。しかしながらなぜそこで日本を軍国主義に導かねばならないのか、皇居に原爆でも落とすならまだしも。

 悪意はそれほどないのだろうがピントが全くずれている。やれやれ。

 二・二六事件は、ファシズムの政治権力を樹立しようがために起こされたのではなかったけれども、何か事あれかしと待っていた幕僚ファシストは、事件を鎮圧することを契機に、「粛軍」の名のもとにファシズムへの道を開いていった。幕僚=官僚というものが、自体何のイデオロギーをももたぬ事務官、行政技術家に見えながら、実はおそろしい中味をもっていることを見なおさねばなるまい。

(p183 同書)

ここでいう、幕僚=官僚というものは東条英機とはちょっと違うのかもしれない。がいずれにしてもライバル石原より知力、行動力何れにおいても劣ると言われた東条が日本を破滅させた。そして彼の思想の根拠である「無責任性」を日本人全体に蔓延させることにより、日本に二回目の破滅をもたらすことになるだろう。*1

*1:そこまで断言する根拠は持ってないが

湯浅、鈴貫、寺内、梅津、磯谷

開巻いきなりはじまる、磯部の呪詛の言葉、

「神国をうががふ悪魔退散 君側の奸払い給へ 牧ノ、西寺、湯浅、鈴貫(鈴木貫太郎)、寺内、梅津、磯谷、他軍部幕僚、裁判長石本寅三外裁判官一同、検察官予審官等を討たせ給へ。菱海*1の云ふことをきかぬならば 必ず罰があたり申すぞ 神様ともあらふものが菱海に罰をあてられたらいいつらのかわで御座らふ」

 という天を呪い人を呪う言葉を読むと、今日の読者はいやでも、それから九年後の日本の敗戦と戦犯裁判を思わずにはいられまい。この報いとして日本の悲運が来たと考える必要はないが、この呪詛には日本の来るべき凶運に対する予言的洞察が含まれていたと考えることはできるのである。*2

id:noharra:20050626#p4 で、マッコイさんの「磯部浅一なんかは靖国に祀られていないから怨霊と化して日本を軍国主義に導いたんじゃないか、」という発言を引用した。ネタ元はここかもしれない。*3

東京裁判で裁かれた東条英機以下と、上記で磯部が挙げた(磯部を裁いた)牧野以下*4が同質性を持つとすれば、東条英機以下は磯部の呪いによって報いを受けたのだ(日本の滅亡はそのための手段にすぎない)、という史観が成り立つ。そこまで云わなくとも、三島の「予言的洞察が含まれていた」という発言の根拠には磯部の呪詛に対する共感があるのはいうまでもない。

 戦後左翼は彼らの偏見に基づき「反乱主体」を卑小化する。マッコイさんは、訳も分からずそれを踏襲したまま、あろうことか「日本を軍国主義に導いた」責任を磯部に押しつける。命日には磯部の怨霊に気を付けろよ。

*1:磯部浅一の自称

*2:p198三島由紀夫「『道義的革命』の論理」『英霊の聲』isbn:4309402852

*3:三島は靖国に言及してないから違うか

*4:牧野、西寺?は例外として、湯浅以下と考える方が良いか。

ネット右翼とは

北田暁大氏の分析によれば、次のようなものであるとのこと。

1. 中高年層に代表される守旧的な保守主義とは違うものであり

2. 「無謬の正義の立場」に立っているかのような語り口を拒絶する、そのように見えるだけで×という意味での形式主義的・否定神学的な、「反サヨク」「反シミン」的感性と

3. 「あえて」サヨク・シミン的なものを否定し続けることで(積極的に右翼思想にコミットするというよりは、「『右』の敵(=「左」)」の敵を演じることで)共同性を得られたかるのように思えてしまうようなロマン主義的シニシズム

http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20050720#p1

 彼らは共同性を頼みにしている人たちである。「自分の意見」に自信を持っている人ではない。とすると議論しても無駄ということにはなりますが。・・・

敷島のやまとにしき

ふみわくる深山紅葉(みやまもみじ)を敷島のやまとにしきと見る人もがも

みだれ世のうき世の中にまじらなく山家は人の住みよからまし

草まくら夜ふす猪(しし)の床とはに宿りさだめぬ身にもあるかな

         亀山 嘉治

 幕末、尊皇攘夷の動きが高まり遂に幕府と戦うに至ったのは長州藩ですが、同じ頃(1864年(元治元年)3月)*1水戸天狗党(水戸藩の尊皇攘夷派)も筑波山に挙兵したが(藩内内戦)敗北し藩領を脱出、京を目指し中山道を進んだ。

参考 http://www1.ocn.ne.jp/~oomi/tokusyu4.htm

その天狗党に参加していた、ある平田派国学者の詠んだ(行軍中に)歌です。といっても、小説『夜明け前』からですからフィクションなのでしょう。

「木曽山の八岳(やたけ)ふみこえ君がへに草むす屍(かばね)ゆかむとぞおもふ」、という歌もありこれは「海ゆかば」と同趣旨ですね。

尊皇の至誠というものが<美>でありえた時があった。なんて言ってしまうとお前は右翼か!と批判されるでしょう。尊皇の至誠というものが<美>でありえる、のは、尊皇が絶対権力=国家と結合しない時だけだ、ということは確かだと思われます。

秩序に反する者を非国民、テロリストと言って恥じない者は<至誠>の対極に存在する者たちだ。

*1:同年の年表では「水戸天狗党の筑波挙兵、松平定敬・京都所司代に、池田屋事件、禁門(蛤門)の変、第一次長州征伐、天狗党降伏」となります。

内田樹の靖国問題(続き)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050907#p1 の続き

下記コメント欄で、kuronrkobousyuさんとcharisさんの議論が、継続中です。

http://d.hatena.ne.jp/charis/comment?date=20050910

下記に一部だけ抜き書きし、野原の感想を書きます。誤解を与えてしまうといけないので、ぜひ全文を読んで欲しい。

charis

「英霊は<心ならずも>戦争に動員されたのではなく、<自らの意思で>行ったのだ」というのが、靖国派の主張ですから、「英霊の心が一番分るのは自分たちだ」と思い込んでいる。だから、内田氏の主張は、靖国派にとって「大いに不愉快」なものである可能性もあります。

「英霊」と呼ばれる人たちはたとえ自らの強い意志で参戦しようとも、彼らの人生を中断されたわけだ。狭義の自衛戦争ならともかく倫理的にいかがわしい戦争において。したがって彼らは絶対的な国家からの被害者である。*1(野原)

内田は「死者の気持ちは分りようがない」と主張する。

反靖国派の「英霊は国家の犠牲者」論を「英霊は<心ならずも>戦争に動員された」という英霊の気持ち論に縮小してそれを否定している。

(charis)

反靖国派のあるべき視点は、「英霊の気持ちを代弁する」のではなく、「彼らが英霊になったという<出来事>の意味に向き合う」ことにある。だから、内田氏の主張とは矛盾しないのです。

(野原)

「死者は語れない」は正しい命題だ。そして死者の声を表象代行することに恥じらいがないのが、左右のイデオローグであることも内田の言うとおりだろう。(死者は表象代行されたとたんどっかへ行ってしまい、死者の腐臭は失われる。)

「 共同体をめぐるほとんどの対立は「死者のために/死者に代わって」何をなすべきかを「私は知っている」と主張する人々の間で交わされている。(内田)」「私は知っている」と主張する者たちを否定するのはよい。しかし死者が死んでいったその一瞬の意味に接近しようと考え続ける努力は必要なのではないか。

結局のところ「大東亜戦争」をどう評価するのかという問いは避けて通れない。私は竹内好にならった二面論者だ。対中国侵略戦争、対米帝国主義戦争。前者は倫理性から遠く離れたものであり、その限りにおいて「大東亜戦争」総体も否定される。敗戦、戦後日本は「反省」し戦前と断絶することにより新国家となった。したがって国家による慰霊はなされるべきではない。

敗戦を認められないのはファシズム国家であり、それは今再生したみたいですね。

*1:もちろん被害者でありながら加害者でもたいていの場合あった。将校の場合戦争を遂行した責任をより強く問われるのは当然