農産高校の逮捕者は、9日釈放されたようです。
文部科学省、教育委員会は法的根拠のない「日の丸君が代の強制」に必死になっているわけですが、組織的つながりがない警察がなぜここまで協力的なのか。石原知事の方針にも副う「日の丸君が代の強制」を自ら積極的に推進したいとする警察官が警察組織内に現れたということでしょう。「上からのファシズム」ですね。・・・
農産高校の逮捕者は、9日釈放されたようです。
文部科学省、教育委員会は法的根拠のない「日の丸君が代の強制」に必死になっているわけですが、組織的つながりがない警察がなぜここまで協力的なのか。石原知事の方針にも副う「日の丸君が代の強制」を自ら積極的に推進したいとする警察官が警察組織内に現れたということでしょう。「上からのファシズム」ですね。・・・
3/21のコメント欄より
# index_home 『swan_slabさん>「公共の福祉に完全に合致した生き方の強制」というと、個人的には少し違和感があるかもしれません。「公共の福祉」=「愛国」ですか?と。(基本的なお考えに反対するものではありません)』 (2005/03/23 14:31)
# swan_slab 『index_homeさん今日は
話が抽象的なのでイメージを喚起するためになるべく例をあげながら書きます。
イメージとしては「公益の増進」圧力=愛国です。
>公共の福祉
これは人権一般についての制約原理として通説である【一元的内在制約説】を前提とすると完全に違和感を感じると思います。また、「人に厳しく自分に甘い」ダブルスタンダードに対する皮肉を込めた言い方でした。そのような強制をするひとは概して自分の利益が公益のなのもとに侵害されそうになると大騒ぎする、という意味を少し込めています。
さて一元的内在制約説は、人権相互の衝突局面において調整原理として公共の福祉を想定します。とするとその強制はむしろ法律を制定してまで行うべきではないか(例えば刑法など)という疑問が生じるはずです。
これはよそのブログ(例えばdeadletterさん)の「ヘイトスピーチは存在するかhttp: //deadletter.hmc5.com/blog/archives/000098.html」の議論にも通低するのですが、内在的制約説の論理的前提にあらゆることをなしうる一般的自由があるとすれば、それはやはり不自然であろうと私は思っています。自然権(しかもロックのような自然権)として殺人の自由が想定されていたとはとても考えにくいからです。例えば殺人が否定されるのは人権相互の内在的な調整原理としてではないでしょう。
私がいわんとする公共の福祉とは人権相互の衝突を予定しなくとも想定される社会公共の利益です。例えば空港や基地、ダム、原発の建設であったり、最近話題のものでいえば放送法上の公共性といったものです。放送法上の公共性を一元的内在的制約説で説明できるひとがいれば手を挙げてほしい。恐らくムリです。調べると、そもそも内在、外在といったターム自体、その履歴をたどれば、戦前の憲法理念の一元的外在的制約説への批判からスタートしていることがわかります。私は例えば表現の自由なら、手続的正義そのものを社会公共の利益として保護する必要から、それを公共の福祉の名の下に、ある種の表現や自由は制限を受けざるをえないと考えています。昨年プライバシーの侵害を明確に認定されながら差止めができなかった理由も内在的制約説からは説明が難しい。
そして、無理やり人権相互の衝突をイメージするよりも、社会公共の利益(例えば公務員の労働権の制限は、議会制民主主義の要請)という独立の原理的制限があると考えたほうがより生活実感に近いのではないでしょうか。もちろんそれだけで公共の福祉を説明するものではありませんが。
しかし、政治の領域によって実定法化・執行され、またはされようとする個々の実質的正義(例えば景観条例・未成年者の選挙活動の制限などパターナリズム、ミーガン法的立法、道路交通法の厳罰化、特定の予算・助成金の増額、ダム建設)などを想起すれば、そのうちいくつかは自分の生活上の不安に答え、利益に合致するものでしょう。これらは単純化すれば多数派の利益にこたえるものです。
私のいう「公共の福祉」はそのときどきのマジョリティの利益が含まれるという見方なんです(大型建設公共事業はその典型)。もし内在的制約でダム空港基地建設(究極的には戦争)のベネフィットを押し通せば、内在的制約説は人権侵害を隠蔽する機能を果たすに過ぎなくなる危険性をはらみます。
それでも「公共の福祉に合致した生き方の強制」に違和感を感じたとすれば、「多数派の決定に絶対従えという圧力」でもかまいません。問題にしているのは、マイノリティに対する想像力です。』 (2005/03/23 22:42)
# swan_slab 『>日本思想史において、求心的なものを求めると天皇主義しかないのか
>日本は変だと思う。戦後の日本はこの「日本人がアジア人である」という事実を隠蔽、忘却していると言いうるのであって、非常に変だと思う。
おおやさん>野原さん
もし、日本が政治的・文化的に多元的社会を目指すのであれば、求心的なものを求める必要はないし、権力バランスに細心の注意を払っていればいい楽な社会になると思います。例えば、施工会社が環境影響調査も請け負うとか、経営者ばかりが経営を監督し外部取締役の権限が弱いといったこともなくなるかもしれません。
左翼思想はなにかと同化を迫るものでしたから、みんな同じ方向を向いている限り盛り上がったんでしょう。学生であれば運動(スポーツじゃなくて)のあとフォークにつどうということができた。でも、高度経済成長のおわりごろから社会は流動性を増し、価値観も多様化した。読んでいる本もテレビも趣味もみんなばらばらになってきた。子供たちは学校以外に居心地のいい居場所をみつけるようになりあえて学校に反抗しなくとも済むようになった(尾崎豊かはいまや嘲笑すらされている/swan_slab050104参照)。
日本がアジア人であることを忘却するようになったとすればなぜだろう。
う~ん。
お互いにヘンな奴らと言い合うこと自体は、むしろ健全な方向に近づいているのかもしれません。
おおやさんのあれは論争が長すぎてついていけませんでした。
ただ田島先生の突っ込みがもっとも的を得た批判と感じました。』 (2005/03/23 23:15)
# index_home 『swan_slabさん>お考えはよくわかりました。丁寧にご説明いただきありがとうございます。いまさらですが「愛国心」「公共の福祉」についての自分のコメントに関する簡単な補足と、ちょっとだけ独言めいたものも書いております。http: //d.hatena.ne.jp/index_home/20050323#p4』 (2005/03/24 00:10)
# swan_slab 『>私達の認識や判断を左右する「実質的正義」とそれに結びついた「モラル」のあり方や性質については、ジョージ・レイコフ「比喩によるモラルと政治」が参考になると思います、この本はアメリカを例に大きく二つに分かれる「モラル」(この本では「保守」と「リベラル」)が人々認識や判断を左右し、互いに無理解か論じています。もちろんどちらかのモラルが正しいとは決して断言できないと私は思います。>
レイコフの議論はちょっとよくわからないのですが、
近代法治主義または法の支配のシステムを前提として議論していきますと、恐らく
政治の領域における「実質的正義」≒モラル(例えば携帯電話のマナーとか価値観)等と
法の領域における実質的正義=自由、平等、民主主義
の二つが観念できるのではないかと思います。
法的安定性を重視する目的から、後者の正義は法=seinの領域に埋め込むのが望ましいということがいえると思います。それらの正義は誰にとっても重要なものであるから時の多数派によってひっくり返されるべきではないからです。
仮に愛国心なる観念がありうるとしても、近代国家を成り立たせるために根本的に重要な普遍的正義なのかどうか。そんなふうに考えてしまいますね。』 (2005/03/24 00:28)
国民だれもが納得する(すべき)理念において、愛国心が要請されるというのはフランスやUSAなど多くの国においてあることです。一方愛国心の名の下に権力者への一方的かつ全面的な強制が行われることもある。わたしたちの近い過去を、そのような全体主義だったとみなすかどうか、が論者の立場の違いになる(のでしょう)。
さて、「日の丸君が代に格段の理念は存在しない」、という当局の見解を批判したいわけです。*1理念の不在をどう批判したらいいか?
からくににして道という物も、其の旨をきはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二つにすぎずなもある。……もとよりしかきたなき心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後の人も、うはべこそたふとみしたがひがおにもてなすめれど、まことには一人も守りつとむる人なければ、国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、つひに世におこなわるることなくて、聖人の道は、ただいたづらに、人をそしる世々の儒者どものさへづりぐさとぞなれりける。……
道というのは儒教の基本理念です。宣長は儒教の理念を批判し別の理念を建てるのではなく、理念という物それ自体を否定してしまうきらいがあります。道とか偉そうに言っているが要は「他国を奪う」「自国を防衛する」に帰着すると。醜悪な心を以て作った欺瞞的な「道」にすぎない、と。
かくてその聖人どものしわざにならひて、後々の人どもも、よろずのことを、己が智(さとり)もておしはかりごとするぞ、彼の国のくせなる。……
されど物のことわりといふものは、すべてそこひもなくあやしき物にて、さらに人の心もてうかがひはかるべき物にはあらねば、しひてあきらめしらんともせず、よろづの事はただ神の御はからひにうちまかせて、おのがさかしらを露まじへぬぞ、神の御国のこころばへには有りける。
人智を以て世界を規定してしまうという発想自体がいけないのだ、と。すべて、神のはからいにまかせるべきだと。
故(かれ)皇国の古へは、さるこちた(言痛)き教も何もなりしかど、下が下までみだるることなく、天の下は穏(おだひ)に治まりて、天津日嗣いや遠長に伝はり来坐り。さればかの異国の名にならひていはば、是れぞ上もなき優れたる大き道にして、実(まこと)は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけじめを思へ。言(こと)挙げせずとは、あだし(異)国のごと、こちたく言ひたつることなきを云ふなり。*2
しかし、「道」を否定する言説というものもよく考えると矛盾に満ちており自立できるのかどうか危ういところがある。つまり宣長は明らかに、他国(からくに)と自国を対比的に取り上げ、他を否定し自を肯定するために理屈をこねている。その理屈というのが、他国には「道、さかしら、言説」があり、自国においてはそんなものがなくともちゃんと治まっていた、というもの、であるわけである。しかし、宣長のそれもさかしらであり言説であることは宣長以外には明らかである。
現在のプチウヨも執拗に「アサヒ、サヨク」を否定する。否定ではなく素直に自己の理念を語るべきだろう。
日本的政治の根本は神勅によって万世一系の天皇が統治することに存する。而してこれは宣長によれば、単なる理念ではなく、歴史的に実証されたる、また日々実証されつつある事実である。(丸山真男の宣長論の一部より)
理念の代わりにあるものが、「万世一系の天皇」という事実である。1945年の敗戦においてヒロヒト氏が退位しなかったこと、そのことは万世一系という理念にあらざる理念を現在まで延命させている。
わたしは日本人である*3。日本人である限り、日本の伝統を負っているそのことに誇りを持つべきだ、という人がいる。わたしはその断言に半分は賛成である。ディズニーランドなんぞでちゃらちゃらせずに宣長を読みたまえ? ただ「日本人である」ことの自明性から、国家国旗を肯定し、愛国心を肯定し、などなどという自同的論理の連鎖。これは実は、宣長に起源する特殊な言説のあり方である、といいうる。
*1:もちろんこれは今だけの言表であり、教育基本法改悪が通れば、「愛国心」の注入が大々的に行われるのでしょうが、それはそれで別の問題です。
*2:以上宣長からの引用は、子安宣邦『「宣長問題」とは何か』isbn:4480086145 のp61-66からの孫引き。だいたい「直毘霊(なおびのたま)」
*3:というのが本当かどうか?わたしは本当は日本生まれの韓国朝鮮人か中国人だがカムアウトしてないだけかもしれない、顔を知っている人でも区別はつかない
今春の都立高校卒業式における警察の出動記録
「日の丸・君が代」強制に反対する市民運動ネットワークからのメールより。
◆卒業式に関わる「110番処理簿」について一覧表
日付 区市 入電事案名 処理事案名
1/24 世田谷 その他の苦情 その他の苦情
2/2 目黒 連絡 警備情報
2/14 目黒 交通連絡 連絡
2/14 世田谷 その他の苦情 その他の苦情
2/16 杉並 交通違反 交通違反
2/17 荒川 交通違反 交通違反
2/18 板橋 その他の苦情 連絡
2/22 荒川 連絡 警備情報
2/24 江戸川 連絡 警備情報
3/2 渋谷 その他の苦情 その他の苦情
3/2 渋谷 ※上記の続報
3/2 渋谷 ※上記の続報
3/2 世田谷 その他の特別法 その他の特別法
3/3 足立 連絡 公然わいせつ
3/4 町田 応援要請 住居侵入
3/4 江戸川 警備情報 警備情報
3/5 江戸川 その他の特別法 その他の特別法
3/8 葛飾 連絡 住居侵入
3/8 葛飾 ※上記の続報
3/10 文京 連絡 警備情報
3/10 文京 連絡 警備情報
3/11 東久留米 連絡 警備情報
3/11 渋谷米 連絡 警備情報
しかし、現実の獄にある人が〈獄〉の信奉者であるとは限らず、むしろ最深部からの爆破~解体をのぞみ、かつ武器として応用しつつ占拠する最短距雛に位置してもいるのである。
松下昇の表現の断片的引用。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050530#p1 で、
内田樹の断片的文章を引用し、自分に引きつけて「小骨系ブログ宣言」までしてしまった。
自分で<小骨>を書こうと思って書けるものではない。自分でコントロール出きるものは<小骨>ではないからである。自分が書いた文章でも、自分の意図以外の<何か>があるような気がして、それが気になって考え続けなければならなくなる。これがわたしの言う<小骨派>の文章である。しかし、一定程度のレベル以上の文章でないとそんなことを言っても無意味のような気も(自爆!)
ところで、実はわたしは内田氏のファンというわけではない。引用した文章においても実は受け取り方の違いはあるわけで、内田氏は「小骨」を(最後には)溶解すべき物と捉えているのに対し、わたしにはそういう意識はないのだ。私にとっては自己否定あるいは(他者と相互の)自己変容が問題なのであって<小骨>はむしろその契機として歓迎されるべきものであり、溶解の対象ではない。
以上書いたのは、araikenさん(「祭りの戦士」)の次の文章、内田批判を読んだからでもあります。
http://araiken.exblog.jp/m2005-04-01/#1841994
希望格差社会
http://araiken.exblog.jp/m2005-04-01/#1893425
センセーそれはあんまりじゃございませんか………その1~その4
http://araiken.exblog.jp/m2005-05-01/#1958702
センセー、やっぱり違うと思います! その1~その3
わたしはaraikenさんの批判に全面的に同感してしまった。
内田先生の文章を読んでいないのだが。
話は山田昌弘氏『希望格差社会』を内田氏は評価することへの異和感から始まる。
それにしても、「過大な期待を諦めさせる」なんて言い方で教育について語る山田、内田、両氏のポジションはもう明らかに高みから若者を見下ろしたそれであり、人をコマのように配置する社会政策を云々するエリートの政治的な視点であることは確かだ。
それに対し、araikenさんが提示するのは「自らの存在の価値や意味を自分自身で創り出し」ていくことだ。
「競争を降りる」ということは、そのような競争原理内の「優劣」や「序列」に基づき、他者との比較によって自分の価値を推し量ろうとする一切の手続きとオサラバすること………まったく一面的で、おそらくは資本の生産性の増大に好都合なように人間を管理し、最大の労働力を発揮させるためにつくられた、業績主義的な優劣だけによって人間の価値を判断するシステムから身を引き剥がすことだ。
このような身の引き剥がしはシステムの外部への視線なしには敢行され得ない。つまり外部の異質なものに対する親和性が同時的に発生しているはずである。しかし内田氏らの言葉にはそのような親和性は見当たらず、あったのはむしろ異質なものへの排除の視線でしかない。
私たちはシステムから身を引き剥がした瞬間に、多様な形の「夢」や「欲望」が様々なベクトルをもって疾走し、交錯し、渦を巻いている空間の中に放り出されるだろう。そこには他者となんらかの比較をすることを可能にする基準もなく、物差しもないからだ。それゆえ私たちは自らの存在の価値や意味を自分自身で創り出し、発見してゆかなければならない。それが「自己価値化」そして「自己肯定」という言葉の正体なのだ。
6/23の朝日新聞社説に、「この地獄を忘れまい」とある。
23日は沖縄「慰霊の日」らしい。戦後60年。戦争体験者は死に絶えつつある。「だからこそこの悲惨な戦闘を後の世代に伝えていかなければならない。」
沖縄は本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた。日本軍は住民を戦場に根こそぎ動員した。男性は子どもや老人までが防衛隊に駆り出され、女子生徒は看護隊に組み込まれた。
米軍は地形が変わるほど、空爆や砲撃を繰り返した。軍隊と住民が混在する島で、米軍が「ありったけの地獄」と呼んだ激しい戦闘が3カ月に及んだ。
亡くなった二十数万人のうち、住民の犠牲者が本土からやって来た兵士を大きく上回る。それが沖縄戦だった。
6/23朝日新聞社説
住民の悲劇は、敵の米軍によってもたらされただけではない。
ガマと呼ばれる洞穴に逃げ込んでいた住民が、敗走してきた日本軍に追い出され、砲弾の下をさまよった。
日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告していた。実際に、米軍に連れ去られて帰された少年と農民が日本兵に殺されるなど、スパイとみなされる住民が相次いだ。
そんな中で、米軍が上陸した慶良間列島などでは、追いつめられて肉親同士が殺し合う「集団死」が起きた。慶良間列島だけで犠牲者は700人にのぼる。
沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(76)はその生き証人だ。母親と妹、弟の命を奪った。
「『鬼畜米英』によって耳や鼻をそぎおとされ、女の人は辱めを受けると信じ込まされていた。それよりは、自らの手で愛する者の命を絶つことがせめてもの慰めという心理状況に追いやられた」
この世の地獄というほかない。(同上)
殺された沖縄住民は犠牲者である。誰の?という問いにわたしたちは「戦争」、と戦争を擬人化して答えてきた。
ヒロヒトも東条も「地形が変わるほど空爆や砲撃を繰り返す米軍」も、その罪を検証されることはなかった。
めでたいことである。
さらに言えば、物量差と見せつけられ、士気の低下する軍や住民を叱咤激励するために「生きて俘虜の辱めを受けず」と、前線の司令官が言ったことは十分考えられるでしょう。軍隊とは、兵器の信奉者です。相手との兵器能力差が圧倒的であることに気が付けば、士気は間違いなく低下します。しかし、軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。負けるのは仕事じゃない。上官としては、何とかして勝ち戦にしなければならないわけです。それが軍隊の存在価値ですから。
「生きて俘虜の辱めを受けず」は単なる一将校の発言などではなく、日本軍全体の根本原則でした。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050709#p2 に書いたとおり、であるからこそ、食糧も武器もなくなり瀕死の状態でも1年以上もジャングルに潜み「建前として」(降伏し無い)戦争状態を持続しつづけなければならなかったのですね。
また捕虜になって生還した人も大部分が、(形だけのこともある)玉砕攻撃をしてその途中でよろよろ倒れて捕まったとか、ケガで意識を失っていた時に捕まったとか、意志としての「降伏」をしていないわけです。逆に言えばそうした僥倖の場合を除き、すべて無意味に死んでいったわけです。
「軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。」どんなに頑張っても相手の戦力を傷つけられない場合は、仕事の範疇ではない。それでも降伏してはならない、などとファナティックなことを考えたのは大日本帝国だけです。
憎悪せよ。
(gkmondさん 突然の引用失礼します。gkmondさんはネット右翼とは思っていません。)
つまりは「鬼畜米英」に対するイメージが固まっていた沖縄住人たちが、自棄を起こして集団自殺に及び、
そういうものの言い方はないんじゃないかな。当時の日本軍は「生きて俘虜の辱めを受けず」という命令を住民に強制しようとしていた。自決した住民たち(女性子ども老人が多い)は被害者であり、皇軍は加害者である。
軍人は「命令を出さなかった」と主張しているようだが、仮にそうであるとして彼らの存在が被害者を作ったという因果関係は明らかにある。
参考:林博史氏の論文「「集団自決」の再検討」 http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm
語り継がれなければならなかったのは、戦争の悲惨さだけじゃなくて、間違った情報の生む悲劇までも含まれたはずだろう。戦意高揚のための情報操作が助かる道を考えられなくした結果が、集団自殺なのだとしたら、それを隠せばまた同じ事が繰り返されるかもしれない。
(略)
戦後、日本は一貫して平和教育というものを行ってきた。戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫んできた。だが間違ったデータで築かれた主義は結局破綻する。
「戦争はいけない、戦争は悲惨だと叫ぶこと」によって、ヒロヒトや東条以下沢山の人々の具体的戦争責任を追及せず免罪することをわたしたちは行ってきたのではないですか。
「間違ったデータ」とは結局のところ何でしょうか。ぶっちゃけたところ、「軍隊は国民を守るためにあるというがそれは嘘だ」、と多くの人が感じたことが、戦後平和主義の基礎だった。「戦後という呪縛からの解放めいたあれこれ」のどこに解放感を感じるのでしょうか。
gkmondさんの「言論統制」という本の感想は偏見のない良い文章だと思いました。
大東亜共栄圏という理想と、大陸へ進出していった日本人の横暴の両方が記録されているところは、実は読み落としてはいけない部分だろう。難しいことにウソの反対は本当ではない。
言説というものはどうしても目の前にあるウソを否定しようとする傾向から、完全に自由になることはできない。だからといって、右の反対は左、左の反対は右と裏返ってばかりではしかたない。
「沖縄戦の悲惨」という事実をできるだけ過小評価したいという勢力に少しでも大義があるのかね。
日本は独立国として自衛の気概と国軍建設への自覚を持つべきだ、という意見は良いだろう(わたしは賛成じゃないが)。そのために必要なことは沖縄戦の事実を歪めることではないはずだ。再び同じようなシチュエーションに置かれたとしても数万人の住民を死に追いやることのないようにするにはどうしたらよいかという痛切な反省が必要だろう。「生きて俘虜の辱めを受けず!」という戦陣訓をまず否定しない人は、どうかしているとしか思えない。
http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050807 への応答です。
gkmondさん
応答が遅れ失礼しました。数日間パソコンから離れていたもので。
さて、
小泉氏が何を罪とし、何を反省としているのかは知りませんが、個人的な見解としては、「反省する」材料以外はすべて隠す(略)という歴史認識は否定されるべきだと思います。
一般論としては異論ありません。
ただ、具体的には(ここでいう隠された材料とはnoharraさんが「ネット右翼」と呼ぶ人たちが熱心に発掘しているエピソードや事実)というものがどの程度のネタか、という評価の問題になりますね。
☆
私の理解するところによれば、情報量の少ない「辺境の寒村の住民」(どこのことでしょう?)は、情報の相対化ができなかったのだから、自由はなかったと言いたいのだということになります。
であるならば、「軍が悪かった」以外の情報に、あるいは「軍は英雄なんだ」という主張以外の情報に、いちいち目くじら立てるのは、悲劇を回避するために必要であるはずの情報の相対化を阻むことにはならないのですか?
(ところで、寒村を辞書で引くと人けのないさびれた村、とある。ちょっと誤用のようなので、「村」に訂正してください。沖縄の寒村って温度も合わないし)
これは詭弁ではないですか。村人は情報の相対化ができなかった(黒に近い灰色)という主張を、「自由はなかった(黒)」と読み替えているのはgkmondさんですよ。
戦時中の国民は情報統制されていた=被害者だ
といった一般論で議論しても水掛け論になるから、わざわざ寒村(差別用語)を訪ねてそこのAさんBさんがどうふるまったのか? という議論をしているのでしょう。
あなたは建前では二元論を否定する。だが、実際には寒村の現実を見ようとする方向には向かわない。
「白か黒かで語る」方向に話をねじ曲げているのは誰ですか?
裁判を提起する=犠牲者を馬鹿にしているから許せないというロジックは、「靖国の死者を否定するのは許せない」というロジックと裏表の関係でしかありません。「理屈は分かるが心情的に許せない、だから駄目」が最終結論であるなら、
わたしのロジックは、裁判を提起する=犠牲者を馬鹿にしているから許せない、というものとは違います。
犠牲者は存在した。犯人は誰だ? 皇国皇軍の責を問えるかそれとも、住民の自発的行為か、がまず第一の論点です。その論点を問わず、ある特定の部隊長が「命令」を発したかどうか、かどうかという法的論点に焦点を当てるべきだと考えるのは、最初から論点のすり替えだ、だと言っているのです。
良い悪いは置いておいて、この六十年間、支配的だった歴史に対する見方、つまり全部黒という見方は、もはや有効性を失いつつあります。仕方ないと思います。
議論をしているのに、「良い悪いは置いておいて」というフレーズはおかしい。
「この六十年間、支配的だった歴史に対する見方、つまり全部黒という見方」この60年間、日本は共産主義政権下にあったのですかね?ヒロヒトは生きのび、自民党政権は続いた。戦争犯罪者は復権した。国民に対する戦争責任は一切問われず、国民はそれで良しとした。*1「全部黒という見方」があったとしたらそれは、戦前のことは「黒」ということにしておいてこれ以上追及するな、という処理方法にすぎなかったと思います。ラベルだけ貼っておいて中味は追及しないという。
つまり、gkmondさんは「右か左か」という予め与えられた狭い二元論の範囲内で思考しているだけです。「全部黒という見方」に対する位置づけ方からしておかしい。
というなら、noharraさん仰る「ネット右翼」が掘り起こす情報を隠されていた我々だって、左翼的歴史観の被害者です。権力は政府だけが握っているものじゃありません。「無垢の犠牲者」だった当時の国民だって、戦中史を作るに当たっては権力者だったはずです。なぜなら彼らを是とし軍部だけを非とする物語に対抗できる勢力がなかったのですから。
これは嘘ですね。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper20.htm
前も引用した林博史論文から引くと
沖縄戦を直接扱った書物は,今日までに200数十から300冊を越えるとみられる(注)が,大きく言って二つの流れがあるといってよいだろう。
一つは,沖縄の悲劇をこ度とくりかえさない,戦争をこ度とくりかえさな い,という姿勢から書かれた記録であり,
1960年代以降顕著になる一つの流れがある。それは,全体として沖縄戦における日本軍ならびに沖縄県民の戦闘協力を肯定的に評価するもので,その中にも,軍の立場から日本軍の行動(特に第32軍の作戦・指揮)を正当化し評価する傾向と,一方で,ひめゆり隊や鉄血勤皇隊など男女学徒隊をはじめとする沖縄県民の祖国への命を捧げた献身的行為のみを強調する,いわゆる殉国美談の傾向がある。日本軍司令官牛島満をはじめ第32軍の「偉烈」をたたえた黎明の塔をはじめ慰霊塔がたちならぶ摩文仁丘は,この流れの疑集した地であり,戦跡観光におけるガイドもこの立場からのものである
先にみた防衛庁の戦史においても,日本軍による住民殺害などについては, 一言も触れることなく,住民の集団自決についても,「戦闘に寄与できない者は小離島(慶良間列島・・・・筆者注)のため避難する揚所もなく,戦闘員の煩累を絶つため崇高な犠牲的精神により自らの生命を絶つ者も生じた」(『 沖縄方面睦軍作戦』252貢)と逆に美化されているのである(注)。
こうした流れのひとつで欠かすことのできないものとして,曽野綾子氏の一連の仕事,『生贄の島―沖縄女生徒の記録―』講談社,1970年,『ある神話の背景―沖縄・渡嘉敷島の集団自決―』文芸春秋,1973年,がある。特に後者の『ある神話の背景』は,渡嘉敷における住民の集団自決が部隊長の命令によるものである,とする『鉄の暴風』以来の通説を否定したもので,それまでの記録のあいまいさを見直させた点で重要な仕事である。しかし曽野綾子氏は,日本軍が投降勧告にきた住民(伊江島)を殺害したり, 家族が心配で部隊から離れた防衛隊員を斬殺したりしたことを軍として当然であると肯定しているのが特徴である。
左翼的歴史観に対する反発は、防衛庁というお役所を含め持続的に強力に展開されてきました。その努力もあって、まあ今日の“右傾化”という時流になってきているわけです。で、「我々だって、左翼的歴史観の被害者」という被害者の方が急増していると。
しかし自己を被害者の立場に置くことにより優位に立つというロジックを批判していたはずの、gkmondさんが、同じことしかできないとはなさけない。
であるなら、戦後60年という時間は何だったのでしょうか?
ほんとうに!
*1:おめでたい国民だ