朝鮮総連は在日収奪機関

金賛汀『朝鮮総連』新潮新書を読んだ。isbn:4106100681

紹介が以下にあります。私も良い本だと思う。

http://www.asiavoice.net/nkorea/archives/000041.html

以下、総連以前についてのメモ。1945.8.15以来、総連結成までには色々な動きがあった。

45年10月在日本朝鮮人連盟(朝連)結成。

48年の阪神民族教育闘争、同年8月大韓民国、9月人民共和国樹立

49年9月朝連解散させられる。

50年6月朝鮮戦争勃発。51年1月「民戦」発足。

51年9月講和条約発効により、朝鮮人は外国人となる(国籍選択権は奪われた、北朝鮮籍や日本籍を選ぶことを韓国、日本両政府が嫌ったからだ)。(当時在日朝鮮人は約57万人、韓国籍主張者はその13%。)

53年7月朝鮮戦争休戦。

1955年5月朝鮮総連の結成。会場正面には金日成の大きな肖像画。

 

2004年、約65万人の在日のうち、朝鮮籍は10万人を切っていると推定されている。「当然のこととして在日大衆の支持を失った朝鮮総連は解散すべきであろう。そして新しく誕生する組織が在日の星となることを願い、この原稿を書いてみた次第である。」(同書 はじめに p10)

ゴキブリ

暗い部屋に入ったら何かが素足をはい上がってきて悲鳴をあげたらゴキブリだった。1mほど離れた床の上で逃げないので、叩きつぶした。合掌。

パレスチナと南京

10/2 現在の第2次インティファーダが始まって以来、ガザへの攻撃としては最悪かつ最大の侵攻が展開されているが、IMEMC Newsではここまでの死者を57人(金曜だけで12人)、負傷者240人と報じている。

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200410021039.htm

  P-navi info : 金曜~土曜:ガザ北部の状況(追加進行中)

シャロン首相は言う「我々ユダヤ人もまた生きる権利がある。」そしてパレスチナ人には殺される権利があるわけか。

 ところで、 ヤングジャンプの『国が燃える』というマンガが南京大虐殺を扱って、一部のウヨの反発を得たようです。

http://d.hatena.ne.jp/claw/20040927

http://d.hatena.ne.jp/claw/20040929

 60年前に決定的に敗北したはずの論点(日本はアジアの解放者たり得るのか?)をなんだか訳の分からないものに変換しつつ、ヒステリックに叫びたてている連中というのは一体何を考えているのやら。

 パレスチナと南京は関係ない。あえて結びつけるとすれば、帝国主義と結びついているアジア人差別、とそれによるダブルスタンダードな認識の存在という点だろう。この文脈では【帝国主義】である【日本】あるいは【イスラエル(シオニズム)】は、権利を持ち、非帝国主義エリアの庶民より数段格上の存在であり、したがって庶民が抵抗してきたりすればその周辺の非武装民を含めて(懲罰的効果も期待しつつ)徹底的に叩くことはありうる、ということである。それは欧米の大国によって常に、なかばは許容される。

南京関係過去発言:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040520#p3

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031211#p1

http://www.eleutheria.com/philosophia/data/3037.html以下 Philosophia BBS:3037:Re4: 『証言記録 三光作戦』 南京大虐殺とは

追記:「南京大虐殺には様ざまな意見がありますが、無銘が言へることはただ一つ「ゲリラ戦に対抗するには、『大量虐殺』は正しい戦術である」、それだけです。」http://d.hatena.ne.jp/meigara/20041003#1096777890  はてなダイアリー – 無銘の銘柄♯

最近では大量虐殺肯定派も出てきたようですね!

(10)

Cman 『だったらピンカーの本を読んでみればいいのではないでしょうか。それをしないどころか、「読む気はない」とすら公言してる人が何を言っているのか。』

あなたは何のために出てきたの?

30万人都市をなくす

■ [イラク]ファルージャを二度と住めない「死のまち」に。

『アラブの声』より転載します。

8日付のサウジアラビアのアル・ワタン紙が報じた。

 本紙が信頼すべきイラクの情報筋から得た情報によれば、米国当局は現在、来る総攻撃で将来二度と住むことや復興が再建が出来ないように、ファッルージャを完全に破壊する計画をイラク暫定政府と練っている。(略)

この計画はまた、西部地域の主要部族を首都から遠隔のヨルダン方面の地域に移住させることも含まれる。

http://d.hatena.ne.jp/miyutomo2/20041109#p1  はてなダイアリー – 遠くまで。

コピペばかりしてすみません。

イラク人をジェノサイドなどできるわけないのにそうしようとしている。というかそういう発想しかできない。・・・

レジスタンスが旧市街を取り戻す

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20041129  はてなダイアリー – 【ねこまたぎ通信】によれば、次のようだ。これはエマンさんに話を聞いて以来、受けていた印象とだいぶニュアンスが違います。どうなっているのかな? 自衛隊撤兵を急げということにはなるが・・・

 ○ レジスタンスが4度目の包囲網突破/旧市街を取り戻す

 ○ ファルージャから初めて米軍が退却

 26日午後9時に届いた速報において、イスラム・メモ通信員は、ファルージャを包囲する米軍が同日、レジスタンス勢からのグラッド、タリクによるロケット攻撃にさらされたと伝えてきた。

(略)

実際に、この3日間ばかりは、レジスタンス側は本来の力を取り戻して掌握する地域を広げ、その結果、ファルージャの65%はレジスタンスが支配するようになっている。

http://www.geocities.jp/urknews/resistance_report_2004Nov26.html

11月26日 レジスタンス・レポート も同様の記事。

マスカルポーネ

大晦日には、下記のレシピを参考に、マスカルポーネ・チーズを利用して、レアチーズムースのようなものを作りました。

元旦に皆と(お雑煮ほかのご馳走のあと)なんとか美味しく食べることが出来て嬉しかった。真っ白でとても軽く仙人の食べ物みたい。

(アジア人にならなければならぬ、なんて言ってる割に言行不一致。)

http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/1340/rea-cheesemu-su.htm

自分のした事実を認めること

 慰安婦問題を考える枠組みとしては、下記の星野智幸さんの意見が正しいと思います。引用させてもらいます。

  でも私が一番おぞましく感じるのは、漠然とちまたに漂うリベラル嫌悪である。今回の問題も、従軍慰安婦をめぐる考え方が根っこには横たわっているのに、従軍慰安婦自体を問題化させまいというような風潮を感じる。今年は戦後60年を迎える。10年前、戦後50年のときには、従軍慰安婦の存在を疑う人は圧倒的な少数だった。過去におこなったことはおこなったこととして認め、しかるべき反省と和解をし、次のステップに進もうという、冷戦崩壊後にふさわしい空気が主流だった。

  それから10年たって、従軍慰安婦の問題を考えること自体を「偏向」と見なす人が急増している。戦時中に日本が朝鮮や中国に対して行った行為についても、なかったことと見なす人が増えている。あいつらの言い分を呑んでたまるか、みたいな気分から、戦後に実証されてきた事実を葬ろうとする。言い分を呑まないことと、自分のした事実を認めることはまったく別の話だ。これではまるで、横田めぐみさんの骨がニセモノだったという鑑定結果を、「捏造」と切って捨てる北朝鮮の態度と変わらないではないか。かさにかかって「なかった」と言えば、本当になかったことにできるとでもいうのか?

http://www.hoshinot.jp/diary.html

星野智幸の日記 1月26日

 リベラル嫌悪の奥には、女性への侮蔑、朝鮮半島や中国大陸の人間への軽蔑がある。持てる既得権益を手放し分配する以外に行き詰まりを打開することはできないこの日本社会で、その現実を受け入れられない層が逆ギレしている。いくら家庭内で暴れまくっても現実は変わらないのに暴れている、子どもじみた反応。それに少しずつ同調する立場へとシフトしていく、朝日新聞を始めとする旧リベラルのメディアたち。(同上)

 もう一つ結論部分も引いておく。非常に明快。ただそこまで言い切ってよいかどうかは疑問も残る。新自由主義イデオロギーが勝利しており、それが出自からすると異質な悪質なナショナリズムなどと癒着している(せざるをえない)というところかと私は思う。それと朝日新聞などが、「それに少しずつ同調する立場へとシフトしていく、」という指摘も重要。

(2/6朝7時訂正)

答え

福沢諭吉 p243『文明論之概略』岩波文庫 でした。(「の」の字が違っていた。)

全然面白くなかった? 

と書いたのと同時に11時20分、newmemoさんから正解をいただきました。

さて、諭吉とは我が国最大の啓蒙家とかいわれているので、偏見を持ち読んでませんでしたが、読んでみると文章は分かりやすく迫力があり面白い。例えば、彼は西欧の歴史を概観し、宗教改革に言及する。ルター(ルーザ氏となっているが)と羅馬法王との争いは結局「唯人心の自由を許すと許さざるとを争うものなり」。結論的には「文明進歩の徴候」と評価できる。だがその争いとは「欧州各国これがために人を殺したこと殆どその数を知らず。」であり、「殺人の禍を計れば此の新教の値は廉なりと云う可らず。」という点もちゃんと注目した。p177 西洋と東洋どころか、鼠と人においても同じ基準で論じうるととするある種唯物論的な思想の強さは、やはり感心すべきものがある。