海老蔵中道右派 『>私があなたから新しく得た知識は何もないので私からすればそれは事実としか言いようがないのですが。また検索しますか?(笑)

あなたの弱点と思われる法的政治的な知識については、こちらがわざわざ先回りして自発的に説明してあげてますからねえ。それで初めて知ったことも多かったくせに、その親切を逆手に取られるとは、見事な悪代官振りですw

越後屋の図った便宜は越後屋が勝手にしたことで拙者は一切知らん、と言う訳ですか。

私みたいに、知らなかったことは知らなかったと正直に謙虚に言っては?自分が上から教える立場に立たないと気がすまないとは、まるでどこぞの国のお方のようだ。

いいですか。我々はお互いに得意分野と不得意分野を持ってるんですよ。

>>法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。

>は?どこが?私がいつどこで論破されたのでしょうかw確かに私は法律家ではありませんが。で、法と政治的「視点」であなたがどこで優れているのでしょうか?

読み返した読者の方はご存知ですよ。あなたの知らない法的政治的知識を、私はあなたから歴史的知識を得たことに感謝して教えて差し上げたのですが。

それにしても、私は論破などとは一言も言っていないのだが、なぜ論破にこだわるのか。そういえば、あなたはしきりに自分の意見に同調するよう圧力をかけてこられます(論破強制圧力?)が、虚しいと思いませんか?違う立場の意見も尊重しましょうね。私は常にそうしているつもりですが。

お互い未知のことがいくつか既知のことになった。その点だけでも、お互いにとって少しはメリットになったはずです。

>>あなた方左翼

>私が左翼であることを実証してください。印象操作極まれりですね(笑)

うむ。これはそのとおりですね。野原氏は左翼を自称されているが、あなたにはそれを匂わせる発言はあるものの、実証は出来ないので、撤回いたしましょう。

>>私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので

>ホームで負けるのが耐えられない人ということですね。

いやあ。それならあなたこそホームをお知らせになっては?

青狐さんなんですか?

ホームで負けるのが耐えられませんか?

>>必要だから言及した論点にすぎません

?え?なぜ私が売国奴だの被害者ファッショだのと罵られその為の釈明を求められなければならないのでしょうか?それが必要な論点?

また誤解か曲解か印象操作ですね。

まあ、あなたの挑発的言辞に売り言葉に買い言葉で答えた私の未熟さは反省しましょう。

しかし、上記の論点とは、私があなたのコメントに答えるためには必要と思って論及したが、あなたは今回の米下院決議案にかかわる問題ではないと言われた、それらの論点のことを言っています。

>>へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。

実に興味があります。では法的「知識」に優れた海老さんの講釈をお聞きしましょうか。

1.カナダでは米連邦最高裁とは違う判断がされる可能性があります。そして、カナダは既に米ビッグファームの活動領域に組み込まれています。カナダでの法案というのも1つのポイントなのですよ。

2.米連邦最高裁でもわずかですが判例変更の可能性があります。あなたのお好きな少数説のロジックがここで登場します。現に、ローラバッカー議員は、最終的に失敗はしたものの、ヘイデン法訴訟進行中に連邦政府の公式見解(条約で解決済み)が出たことに対して、政府見解の違憲判断ができるような法案を提出していました。

3.訴訟の入口の訴訟要件では、米加は過剰な管轄を有しているので、実体審理に入ってしまう可能性があります。その段階で日本の国会決議がされると、内容によっては少数説のロジックを基礎付ける有力な証拠の一つが出来上がります。

>>それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実

>不十分ですね。吉見氏が最初に「従軍慰安婦問題はまさに慰安婦の官憲による強制連行の問題こそが核心(本質)である」という趣旨のことを述べていなければ「すり替え」にはなりません。さあ、お得意の検索をどうぞ(笑)

歪曲による論点すり替えですね。あなたが急に持ち出した『吉見氏自身が説を変更したかどうか』は問題ではありません。それまで狭義の強制連行しか論じられていないところに、吉見氏が新説の広義の強制説を掲げたのは、明らかにそれまでの議論からの論点のすり替えでしょう。

あなたは、私が前回指摘したとおり、吉見氏の『資料集』以前に広義の強制を論じていた著作を呈示すればいいだけなんですよ。その著作が存在するなら、多数の歴史資料に精通しておられるあなたには、検索渉猟は造作も無いことのはずです。

>あなたの積み残しの「検索」をまとめます。

不要なものをオミットすると、以下のようになりますね。

>・ホンダ議員の真の意図或いはそれを伺わせる発言

お待ちください。ファイリングしときゃよかった。

>・事実と認めるには不十分であったがバーターで仕方なく認めたという政治家(ちなみにあなたの論法を使うなら対外的に責任とるのは首相クラスでないといけないようですから宮沢氏、百歩譲って河野氏となります。また韓国から打診してきた人間がそのクラスであることもお示しください)

日本側の政治判断の証拠は、以下の石原氏の発言です。

>>>>>>>慰安婦強制連行 河野談話は総合的判断 石原前副長官、「謝罪」の経緯語る

1997年03月09日 産経新聞 東京朝刊 社会面より全文引用

 元慰安婦への謝罪談話を発表した宮沢内閣の加藤紘一、河野洋平の両官房長官を官房副長官として補佐した石原信雄氏(七〇)は八日、川崎市麻生区の自宅で産経新聞のインタビューに応じ、「いくら探しても、日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが、総合的に判断して強制性を認めた」などと語った。

 石原氏との一問一答は次の通り。

 --河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているが

 「随分探したが、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」

 --一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もある

 「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでも行って(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」

 --ではなぜ強制性を認めたのか

 「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」

 --聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信ぴょう性は

 「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣き叫ぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側が話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性にあたるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングを行っており公表はできない」

 --韓国側の要請は強かったのか

 「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したということ。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」

 --それが河野談話の裏付けとなったのか

 「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意思に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」

 --談話の中身を事前に韓国に通告したのか

 「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」

 --韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある

 「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」

 --元慰安婦の証言だけでは不十分なのでは

 「証言だけで(強制性を認めるという)結論にもっていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」<<<<<<<

最後の文はなんと巧妙な。あなたも私から法的思考を学び取ったのですね。

石原氏が韓国からの打診は非公式だと一貫して発言していることを逆手に取っての条件付けですね。いいでしょう。その点の直接の証拠は当然無いですが、有力な間接証拠を提示しましょう。金大中大統領が、『日本の補償を求めないことと引き換えに』生活支援をした事実です。

http://www.awf.or.jp/fund/news/news_11/a_05.html

>・横田氏の言及しているNGO中韓のロビーであるかどうか

誤解か歪曲か印象操作ですね。

この問題でのNGOの主力が徐玉子氏の率いる韓国系団体とホンダ議員の支持団体の中国系団体であることは、各団体自ら公然と行動して示しています。

横田氏の発言は一般論かもしれないが、該当記事の記者は、文章全体の論調から考えるに、横田発言をこの問題のロビイストのNGOの立場を擁護する論調で引用していますね。』(2007/03/29 10:17)

* 海老蔵中道右派 『>あなたが「野原氏を中傷したのが先」というのは認めてらっしゃると、で、こうなったのも相手にも原因があると言い訳がましく責任転嫁しようとして(左翼にウイルスメール送られたことがあるとか←知らんがな)、

誤解か歪曲か印象操作ですね。

元コメントでは、自分に非があると認めた上での発言。責任転嫁する意図は文面からも真意からも全くありませんよ。

>案の定その後すぐに同様のことをやらかしたと。いや、何ともはや素晴しい反省ぶりで。またやらかすんじゃないですか?あなた。

被害者の認識には被害者意識から正常さを欠く点が多いことを自ら証明してしまい、自分の未熟さを痛感しましたが、同時に、慰安婦の証言も冷静に検証すべきことの証左ともなりましたね。身を削って失敗した甲斐があったものです。

>>私のコメントを誤解曲解して断言したり印象操作をされることが多いが

>あなたの書き方がまずいのかもしれませんよ。何しろあなたは最初「政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」と言っておきながら私が主体的に関わっていたことを示すと「公安(←ここは大爆笑ポイント)と風俗業者の関係と何の違いもない」と言い出して、ではどこに「公安慰安所」があるのかと突っ込まれれば、「解釈の違い」だと逃げ、「ゆーき」さんからツッコミが再度入ったら、今度は問題は法的責任の問題だとすり替えた。しかもこだわっていた「公安」のくだりは単なるミスで最初から法的責任の問題を言っていたのだと。

こんな議論をする人の意図を全て酌める人なんていませんよw

いや、あなたが法的知識に欠けているだけです。読み返せば分かりますが、私は最初の常石さんのブログでの発言から今まで一貫して法的責任を第一に考えて主張しています。国家責任といえば、法的責任をまず考えるのは、近代人の常識です。全くすりかえていません。

私のうっかりミスの公安にこだわったのはあなただけ。ゆーきさんは、私がミスしていることに気づいたからツッコミを入れただけ。そのツッコミから、お互いの議論の齟齬が主体的という用語の意味の理解の違いに起因することに先に気づいたのは私で、あなたはそれ以前には気づいていませんでしたよね。』 (2007/03/29 10:36)

* 海老蔵中道右派 『私が議論の齟齬の原因に気づいたのは、それが原因なんですよ。

私は国家責任といえば当然法的責任のことだと考えて論じていたのに、あなた方は責任の内容や性格を考えずに漠然とした責任などと言うものがあるかのように考えて議論を進めていることに気づいたからです。

だから、ゆーきさんのツッコミのすぐ後に、法的責任は否定するが道義的責任は肯定するとコメントし、以後の議論を整理しようとしたんですよ。』(2007/03/29 11:20)

* 海老蔵中道右派 『もうついでだから、あなたの以前のコメントにも答えておきます。

>>学者は専門分野については確かに高い能力を有するが、それ以外の分野では必ずしもそうではない。

>このコラム子の能力が高い?随分と人を見る目がおありになるようで。

コラム子の能力のことは言っていません。吉見氏ら性奴隷派の国際法の少数説のパッチワークが説得力に欠けることを言っています。

>宮台さんがお好きのようですが彼は「愛国/売国」=「国益計算能力の多寡」と定義していますよね。以前も言いましたが安倍や上記のような保守派の計算能力が笑ってしまうほど低いのはあなたも認めざるを得ないのでは?

別に好きではありません。イデオロギー的には私とあなたの中間的立場かと思って、一部にせよあなたも納得しうる議論として紹介しました。

安倍氏らの国際的戦略の欠如については同意します。

>宮台氏は歴史学の専門家ではないですしこの問題に関する彼の議論には賛成できない部分が多々あるということも付け加えておきます。

私も歴史問題に関する氏の発言を全面的に支持するものではないですが、専門外だからこそできる論点整理の中立性は評価しています。

>被害者の主張は絶対だとも思ったことはないので「否」ですかね。

それなら、慰安婦の主張にも信用性に欠けるものがあることは理解されてるんですよね?それが私の言う真の犠牲者を冒涜する詐話師的慰安婦なんですが、あなたはそれが全く存在しないとお考えですか?

>「従軍慰安婦なかった派」の主張があまりに酷いのでそちらの方の批判が主ですが。

この点こそ、私があなたから聞きたい一番重要な点ですね。ぜひ、2、3の具体例をあげてご説明願いたい。

>当事者が約束を認識していないのに約束違反(信義違反)といいうるのはなぜですか?

上記引用記事によれば、少なくとも石原氏と宮沢首相の間では了解済みだったようですね。

>櫻井氏のデマゴーグぶりは有名ですよ。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/

で「櫻井よしこ」を検索されてはいかがでしょうか?

ご紹介感謝します。かなり他者の元の発言内容を都合のいいようにまとめているようですね。故意か過失か気になります。

ノーモアさんは、青狐さんなんですか?

>>日本政府は法的責任も道義的責任も履行済みなのに比して

>誰もそう評価してくれていないわけですけどね。

これこそ問題のこじれる根本原因ですね。

天安門事件の冤罪部分があることを嫌った中共の気持ちも良く分かります。

日本政府は、旧領土国(韓国)と条約を締結して実質賠償を支払い法的責任を履行した唯一の国で、かつ、世界各国にあった軍売春婦に対して女権伸長にかんがみ率先して世界一早く道義的責任を履行したことをどんどん世界各国に広報していかねばなりません。麻生外相の外務省2000人増員計画も、今のスノビズム無責任官僚気質がはびこる外務官僚ではない、戦略的な官僚を養成するなら大賛成です。日本が大使館を置いていない小国があんなに多いとは…

>>日米韓の友情の架け橋のプロジェクト

>本当に友情が生まれるんでしょうか?私はあなたのような相手に対して不信感むき出しの態度を改める方が先だと思いますけど。

国際関係では、自国の国益を主張するのが当たり前です。私は韓国側のメンツが立つ方法まで考えてコメントしたでしょ?

あなたの外国や外国人を無根拠に信用できる無防備さの方が見ていて危ういです。あなたが外国人なら納得しますが。あなたが個人的に謝罪賠償したいのなら止めはしませんが、国家は国民の拠出した財貨によって成り立っているのですよ。

>河野談話を否定する動きにより悪影響が生じたことはありましたが。

それには同意します。戦略の欠如と甘えがありますね。

>河野談話を踏襲する形で国会決議をするのは賛成ですよ。

実態に合致しておらず、誤解を生みやすい表現でもあるのに?せめて秦氏私案くらいにしないと…』(2007/03/29 12:29)

* 海老蔵中道右派 『>管理人殿

ノーモア氏のコメント

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070319#c1175144636

を読みたいのですが、見当たりません。』(2007/03/30 11:11)

* nomore21 『ノーモアです。ブログを作り、コメントはTB先に移しました。』(2007/03/30 11:27)

ヘーゲルは終わり?(12日間)

 やっと549頁終わりまで辿り着いた。読了とえいるようなものではないが。今日は10日、昨日(12日目)で終わったことになる。p140からあと410頁だから一日40頁で十日で終わろうとしたもので、ほぼ予定どおり。

 ただ内容的には、前から知ってた、「主と奴」「アンティゴネ」のところが一番面白いかなという感じで、乗れないところが多かった。引用してかみ砕いていけばいいのだがそれもできなかったのでね。でもまあ『精神現象学』は最も有名な本だが、条理の整った名著ではない。今まで誰も考えなかった発想を力強く提出する!という意気込みの強さだけで成立している本だ。それが資本主義あるいは近代国家の隆盛という時代の流れにたまたまシンクロした。たまたまではないわな。時代の流れの根本をを、ヘーゲルが、これがそうなんだと鷲掴みにした。という感じかな。でもまあ野原はそんなことを言うガラではない。なるべく人の引用しない1行を引用して感想を書きたいのだが。

「混沌とした現実を去って純粋にして自由な内面道徳へとむかうこと」は、反ヘーゲル的だ、と長谷川は言う。「自分へと還っていくことが、同時に混沌とした現実といっそう深くかかわることであるというのでなければ、弁証法の面目は立たないのだ。」*1

 前から思っているのだが、パレスチナ情勢は悪化したまま(高止まり)しています。たまたまパレスチナ・フォーラムというMLに2年ほど前加入しそれから毎日メールが沢山来るのでそう思うだけですが。つまり私にとってはパレスチナは遠い。本来そこで何があろうとふと同情心がよぎることがあろうとそれはその時だけであり、わたしというものの存在と交差することはないはずです。しかし、毎日数通のメールが来るということは、それらがほとんど読まなれいとしても、それがわたしにとっての現実になるということなのです。わたしというものは実に頑是無いものであり、ML一つ取るだけでその色合いが変わるものなのですね。それでなにが言いたいのかというと(ヘーゲルとの関係は?)、先の文章を入れ替えて「混沌とした現実といっそう深くかかわることは、自分へと還っていくことと、同時であるというのでなければ、ならない。そうでなければ可能でない。」と、感じているということです。

*1:長谷川『入門』p185

戦後日本のゆがみなど

http://d.hatena.ne.jp/indow/20040224 で、犬童知遠さんが応答してくれた。

 注疏書というスタイルが江戸時代には普遍的だった。例えば儒学ではない国学の

『古事記伝』などもそういうスタイルで書かれたのだ、とのこと。なるほど。戦後の学問も内容的には、マルクスとウェーバーなどの原典への註釈に他ならないのに、そういうスタイルは取らなかった。*1いっぺんやってみても面白いかもしれない。

 それから、「戦後日本の自画像と鏡像」ついて。

大東亜戦争を支えたはずの「近代の超克」の思想は、敗戦によって否定された。論理的に検証していくといった手続きはとられず、そうした発想自体がタブーとされた。*2戦後は<民主主義>とともにゼロから出発し普遍的に世界平和に向かって進んで行くものだとされた。支那事変は、それを指す言葉さえ失われ、なかったものになっていった。1945年以降も戦争や混乱の続く東アジアへの関心は失われた。

 ここでイデオロギー的には右翼であるはずの自民党が、経済発展を至上とするためアメリカべったりとなる<ねじれ>がおこる。この問題も複雑な経過を辿ったはずだが、小泉首相におけるイラク戦争追随において、矛盾は全面的に開花した。アメリカのために死ぬことが愛国心なのか?世論はイエスと答えそうだ。

「近代の超克」については今子安さんの本を読んでいるので次ぎに書きます。ところで宮台氏が北一輝論書いているって?それはいいことだが、やはり全体的右傾化は心配。

*1:ところで、ウェーバーといえば、Ririkaさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/Ririka/20040211で知ったのだが、http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Orihara%20Hiroshi%20Essay%20Mirai%20200401.htm で折原浩さんの文章を読むことができた。お元気そうでなによりだとほんとに思った。ニーチェの言う僧侶的人間の完成体みたいに感じたが悪口ではない。

*2:だいぶ前に本屋で見た石原莞爾が戦後に書いた本今度見つけたら買ってみよう。

1億人の名前のない国

『ダッカへ帰る日--故郷を見失ったベンガル人』という新刊本が図書館にあった。しげしげ見たのは、「ダッカ」「ベンガル人」という言葉がよく分からなかったからです。知らない言葉に惹かれる性癖がある。それで駒村吉重氏著のこの本isbn4-08-781300-2 を読んだのだが、なかなか良い本でした。日本で不法残留していたバングラデシュ人の兄弟が、職場とのトラブルや裁判に巻き込まれたりしつつ母国に帰るまでを書いている。「母国に帰る」といっても、金時鐘さんのようなものすごい思いこみは皆無だ。彼らはすでに日本で10年以上過ごしてきた。なるほどそれは、いつ強制送還されるか分からない不安定な生活であり、またそもそも金のための出稼ぎにすぎなくもあっただろう。だか12年だけ日本で暮らした彼は言うえええ「おれはいまなにか考えるとき、半分日本人の考え方なの。どうしてもそうなる。だから、家の人にどんなに自分の気持ちや考えを話しても分かってもらえない。でも、日本人のあなたならわかるでしょう」と。

 工場労働などと違い、わたしたち都会の消費者のすぐ隣、外食産業で彼らが沢山働いている(いた)ということは知らなかったので驚いた。それと当たり前の事ながら、不法残留の疑いは感じながらなぜ経営者が彼らを雇うのかというと彼らの方が日本人よりよく働くからだ、ということ。決して外国人だからより安い賃金で使いつぶせるから、といった理由ではないということだった。

ファルージャの内側を考える

 4/13日に「世界とは、世界とアウシュヴィッツの内側から成る。アウシュヴィッツの内側をわれわれは覗けない。そこがあると語る者は詐欺師だけだ。それがないと言う者たちを信じてはいけない。」と書いた。タイトルにあるように「ファルージャの内側」を念頭に置いて書いたものです。

 ファルージャに関して、4/15日の「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」でワイルディングさんの文章(邦訳)のurlを示し、一部を引用しました。では「そこがあると語るものは詐欺師だけだ。」とはどういう意味でしょうか? イラクのこととかあるいは南京のことかについてその真実をわたしが知ることができるのか、という問いがあります。この問いに端的に答えることは難しい。ですが報じられてはいるにもかかわらず、ちょっとしたニュアンスを操作することによって、米軍の側だけから見たイメージに近い報道がされていることが多いのが現状です。去年のパレスチナのジェニン、ラファの惨状に対し、世界はもっと目を向けるべきだった。当然為されるべきそうした注目がなかったことが、ファルージャの惨状をもたらしたという因果関係も幾分かは存する(かもしれない)。例えば、アフリカの小さな国のある地域で暴虐があったからといってそれを知らなかったことは、その無知は責められるべきか、といえば必ずしもそんなことはなかったと思う。同様にガザの街角でかわいい女の子が殺されたからといってその事実に対する無知は責められるべきではない。しかしレイチェル・コリー轢殺は、アメリカ国内でもっと大きな反響を起こすに足る事件だったのにそうはなっていない。インターネットでは自分が好む傾向をもった情報を沢山受け取ることができる。それをもって、マスコミを偏向と批判しても批判している側が偏向しているだけだ、ということもいえるかもしれない。だが、現在のところ「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」が事実を伝えている、少なくともそれに近づく最も有力な資料であることは確かだ。日本であれ欧米であれ有名新聞記者とかが現地レポートすれば信頼度が高いかも知れないが、現地にジャーナリストを入れないようにしているのは米軍である。(一部「テロリスト」グループにも責任はあるだろうが)一部の日本人はジャーナリストを日本から出すこと自体に反対している、日本の犯罪でもないのにそんなに真実が怖いのか。

 つまり、「本当の真実」なんてものがあるかどうかは別の問題として、ファルージャの現状の一片を見聞していこうとする努力が支持されるべきだ、と思います。それに対し「そこがあると語るものは詐欺師だけだ」なんて野原は何故書いたのか。ワイルディングさんの誠意を信じる立場にわたしはまず立つ。この場合確認できることは、彼がファルージャに入りそして脱出してきたことによりわたしたちに文章を送付することができたということだ。文中で彼が書いている「産気づいたので助けにいこうとしたがそこまで辿り着くことができなかった一人の産婦」については、わたしたちは何も知り得ない。現場に行くことは、何かを見ることである。だがしかしそれは、見ることができず手をさしのべることができない膨大な人々が存在することを身近に感じることでもあるのだ。マスコミは確かに現場に行く。だが映されたものだけが事実であるかのような分かりやすい物語を伝えてしまうことが多い。自分が何かを目撃していないと語るものだけが、目撃者の名に値する。

からごころ

「がくもんをして道をしらむとならば、まず漢意(からごころ)をきよくのぞきさるべし」*1 「道」には註釈がついていて「人々が人智のさかしらを立てず素直に神の御はからいをを信頼するため、偽善的教えがなくとも自然に天下が治まるという日本古来の道」とある。

 「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し……国の交戦権はこれを認めない。」とする憲法9条のやけっぱちともみえるラディカリズムの底には、自己権力自己責任から秩序を構築していく思想(からごころ)を嫌悪し、からごころの極致である軍隊を潔く捨て去ろうとする宣長風のラディカリズムがあった。ということも言えないわけではない。

*1:p25本居宣長『日本思想体系40』

荒川区男女共同参画社会基本条例

http://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/20040616 北田氏のブログで、荒川区の男女共同参画社会基本条例案というものがトンチンカンである旨批判していた。全く賛成である。

第一八条「男女共同参画社会の形成に当たっては、男女の区別を差別と見誤って否定の対象とすることなく、男女の人権を尊重しつつ、その特性を踏まえた正しい理解の下に、この条例の趣旨から逸脱することのないよう努めるものとする」。

女性の特性の正しい理解とは何か?男がやっている仕事で女ができないものはほとんどない。特性というものが仮にあったとしてもその事実は曲げられない。問題は家庭、子育てだ。共稼ぎであれば、母親に負担が集中しないよう、父親と社会がより大きな関与をしてくべきである。国家が少子化対策に熱中すべきかどうかという議論はあるが、父親と社会の関与という方向性は正しいと思う。荒川区の場合は、現在の矛盾に対して過去には男女間の適切な役割分担があったとして過去を理想化しノスタルジックに成っているだけだろう。

北田氏は次のように言っているが、そのとおりだと思う。

「あえて」言おう。子ども増やしたいんなら、即刻この条例案を撤回せよ!

丁玲による農村革命報告(1)

(1)

  “这次该斗谁呢?说老实话,咱们也凭不了自个儿的恩仇去说话,咱们只能找庄户主大伙儿乐意的。他们不恨的人,你要斗也斗不起来,他们恨的人,咱们要包庇也包庇不来。”他把眼睛去睃了一下张正典。

  “对,咱们是替老百姓办事么。”赵得禄也说了,

http://gd.cnread.net/cnread1/mjfc/d/dingling/tyzz/013.htm

(2)

対比するために、PinConv というフリーソフトで日本語漢字に変換したものも次に示します。

http://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/edu/se315015.html 

  “這次該斗誰[ロ尼]?説老実話,[ロ自]們也凭不了自个儿的恩讐去説話,[ロ自]們只能找庄戸主大火儿楽意的。他們不恨的人,[イ尓]要斗也斗不起来,他們恨的人,[ロ自]們要包庇也包庇不来。”他把眼睛去[目俊-イ]了一下張正典。

  “対,[ロ自]們是替老百姓辧事麼。”趙得禄也説了,

 丁玲(1904~1986)というのは中国で最も有名な女性作家の一人で、日本でも岩波文庫に翻訳がむかしあった。*1いま日本で知る人は少ないだろう。

わたしは今『太陽は桑乾河を照らす』(坂井徳三訳)という長編小説を読んでいる。この小説は上記urlの周辺で原文は全文がオンライン化されている。すごい! と思った。

 簡体字フォントをインストールすれば、うちの98パソコンでも表示できる。(ネスケでも)すごい!

でここに貼ってもちゃんとでるかどうかまずやってみよう。

(3)上記では全く何のことか分からないので、とりあえず坂井徳三氏の訳を掲げておく。

「今回、誰と斗争するだか?これについて、本当のところ、おらたち、自分自分の恩や仇で言っちゃ、なんねえだ。おらたち、百姓衆みんなの納得を求めるだ。百姓衆が恨んでもねえ人間と斗争しようたって、斗争にやなんねえ。百姓衆が恨んでいる人間だったら、誰がかばおうたってかばえるもんでもねえ。」張裕民は眼を丸くして張正典を見た。

「そうだ。おらたち、何でも百姓衆の為にやるんだ。」と、趙得禄も言った。*2

(4)

今回は、正しい翻訳があるから必要ないが、PinConv2というソフトには、「Excite翻訳」というコマンドがありExciteを利用して翻訳してくれる。どんなものかやってみた。

  “今度は誰を闘うべきです?古い本当の話を言って、私達も自分1人の恩讐に任せられないで話をしにいって、私達が村の戸主のみんなを探すことしかできないのが喜んでいた。彼らの恨まなかった人、あなたはも闘って起きないことを闘って、彼らの恨みの人、私達はもかばって来ないことをかばう。”彼は目を張正典に横目で見にいった。

  “正しい、私達は民衆のために事を処理するのだ。”趙得禄も言って、

(0)

今回ダウンロードさせていただいたソフト、PinConv2 の作者ははてな市民のようだ。中国、台湾、日本のそれぞれ形が変わってしまった漢字を一瞬にして変換できるという夢のようなソフトだ!記して感謝したい。 http://chinese.g.hatena.ne.jp/Ctrans/

*1:『霞村にいた時』岡崎俊夫訳

*2:p83『太陽は桑乾河を照らす』上 ハト書房1951年発行

性行為の自由

「わたしたちはこの間、婚姻外性行為の自由を獲得してきた。」と野原は下に書きましたが、主語の性別がどちらであっても自由があるという認識は、とんでもないんじゃないか!、という反問は当然ありうる。

http://d.hatena.ne.jp/chimadc/20041012(おとなり日記)によれば、

(女性は)

だからセックスする時、こころならずも、という役割を演じなければならず(或いはそう思い込まねばならず)、それが性的幻想の核になっているんだ日本では。(略)

男が行動する、それになんでも応じた性感を、女が受動態で享受する、しかもその受動ぶり、主導権を剥奪され続けていることの不当ぶりに自覚しないように文化が設定されているわけさ。

ということだそうです。なるほど。