Warnig!Warnig!から脱出できず。(10/21)

 三日半経った。危険度低い、と書いてあったので甘く見ていましたが、危険度の高低と駆除できるかどうかの困難さは無関係、ではある。いまも別に大抵の仕事はできると思う。ただまああまりやる気がでない。*1

自己自身(ソワ・メーム)の自身(メーム)、死ぬことにおいて代理不可能にとどまるもの、それは代理不可能性としての可死性に結びつけられてはじめて、それが本来あるべきものとなる。すなわち自己自身における自己への関係としての自身になるのだ。*2

さてウィルスとデリダと何の関係があるかというと、メームという言葉がミームやワームと語呂が似ている別に関係はない。しかし、反復とウイルスの自己増殖の類似、またウイルスが常に、クリティカル(致命的)オブジェクトと名指される、事も合わせれば、シュールレアリストでなくとも連想は十分可能だ。

で、デリダが何を言っているかというと、たぶんここは、不在の神からの呼び声によって本来性に目覚めようとする存在云々というハイデッガーの教説と関係がある。

でまあ何を考えたかというと。人間でもパソコンでも健康なときは自分の身体というものについて考えない。病気や障害に出会ったときはじめて、自分に臓器があることを<医学の知>と照らし合わせて知ろうとするわけだし、パソコンの存在の根底に例えばレジストリやセキュリティの脆弱性を発見するわけだ。可死性に直面することではじめて、それは本来忘れるべきでなかった自身を思い出す。

例えば、今日私は英次郎とかいうCD版の英和辞書を買った。英語のソフトをダウンロードするときに単語が分かった方が便利だからだ。私が英語がいくら嫌いでも私がパソコンを使っている以上ある意味で英語を使っている事でもあるのだ。

早く厄介ごとを逃れて本来の時間を取り戻したい。だがわたしとは何か?

*1:すぐに3千円ほどのソフトを買ってインストールすれば駆除できたのだろうか。私が親切にも私に助言してくれる人が努力しても得られないことは、たかだか数千円で解決できることなのだろうか。ふーむう。ところで、ウイルス対策ソフトを変更する場合は、前の物のアンストールに成功するかどうかがポイントになります。そこで躓く人が多い。

*2:p96『死を与える』デリダisbn:4480088822

こうそこうそう

こうそ《くわうそ》

【皇祖】

○(1)[国]天皇の先祖。

○(2)[国]天照大神(アマテラスオオミカミ)または神武天皇の称。

○(3)[国]天照大神から神武天皇まで代々の総称。

◎皇祖皇宗

こうそう《くわうそう》

【皇宗】

○[国]天皇の代々の先祖。

 第2代綏靖(スイゼイ)天皇から前代までの歴代の天皇をさす。

平成超国家主義

 中島岳志さんのエッセイが今月号の論座に載っていたので、図書館で読んでみた。(暇人か?)

 彼は1975年生。論壇では最若年になる。でその世代には「オルタナティブな価値や世界のあり方を見出したいという欲求が広範に共有されている。」

この間の右傾化の流れの中でいわゆる右翼的になることも多いのだが、上の世代の右翼的な人たちとはだいぶ違う。福田和也や宮崎哲弥は世間にさからってあえて右翼的言説で行くといった選択をした人。が平成ネオ・ナショナリズムと名付けられる20代の彼らはもっとストレート。社会の曖昧な抑圧感への抵抗をそのまま「ナショナリズム」にもっていく。従来左翼的なものと親近していた、エコロジーや反戦運動、オーガニック、ニューエイジ的スピリチュアリティみたいなものに接近することも多い。でもって、縄文的アニミズムの称揚や「母なる大地」との一体化を唱えるナショナリズムとむすびついていく、と。代表的人物としては俳優の窪塚洋介が挙げられる。彼は映画「Go」で在日朝鮮人を演じ(おおげさに言えばそれに憑依す)るなかで、自己の中のナショナリズムに目覚めていく。社会システムに抵抗する自己の軸を「在日」ではなく「日本」に見出したのだ。といった話でした。

 で、中島によれば、オルタナティブを求める運動が国家主義に回収されるのは珍しいことではない。昭和初期の超国家主義も、国家主義のウルトラであったわけではなく、現実の国家を超越した価値を追求する思想だったと。

 ふむ。

noharra 『中道右派さん

>>>アメリカ軍人もハワイで第二次大戦中に軍用慰安所を設置したそうですね。相手によっては、未来永劫無知カードを突きつけてくるでしょう。私はしませんが。

--無関係な例が2行目に出てくるのが議論に負けている証拠。

>>>>中道右派さんは現在の米兵レイプを批判し、グアンタナモ基地での人権侵害、イラク占領軍の暴虐などを糾弾する立場に立つということですね。大変結構!

そのとおり。<<<

--大変結構!

>>>なぜこのような分かりにくい説明がはびこったかを、時系列に従って説明していくと、吉見氏の研究者としての不誠実さが浮き彫りになっていきますから。

--根拠を提示しない中傷。

>>>過去の日本の不道徳を犯罪と主張するのは結構ですが、ご自分の手法の不道徳さとも真摯に向き合うべきでしょうね。

--ですから「ご自分の手法の不道徳さ」って何ですか?根拠を提示しない中傷。

>>>八紘一宇の主張に瑕疵があったのは、誠に残念なことです。

私は、亜細亜女性基金には、道徳的責任を感じて、村山元首相の10倍以上の金額を寄付させていただきました。

---八紘一宇の主張に瑕疵があったかどうかは今問題にしていません。

太平洋戦争の初期に日本は広大な版図を手に入れた。「日本の成功は軍事的なものというより政治的なものであってことに注目しよう」とミヤーズという人は言っているそうです。「この日本の成功を支えたものは、アジアと南洋の人々の受動的なもしくは能動的な協力だった」と。p349『神聖国家日本とアジア』こういう話が好きなんでしょう。好きなのは良いのです。問題は膨大な被占領アジア人との日本人の関係、それを支えた思想です。アジア人に武器を与え彼らが独立の主体として強くなることを心から希望した人も少数ながらいました。1942年からマニラで活動した望月重信中尉がその例です。しかし彼は少数派として死んでいったに過ぎません。日本軍はフィリピンに独立を与える気など毛頭なくその行動はアジア人蔑視に貫かれていたからです。その顕著な例がフィリピン人「慰安婦」たちですね。フィリピンの場合は「もはや慰安婦ともいえないような」拉致~監禁~継続強姦の例が非常に多いのです。

---あなたは「レイシスト」という言葉に反応しているようだが、問題は「中道右派さん」にはない。大東亜共栄という思想が、アジア連帯なのは表面だけでその実体は「日本は欧米並みに偉い」「日本は神国だから偉い」というアジア人蔑視そのものであったという事実。しかもそれだけならまだしも“なかった派”は21世紀にもなってその〈恥ずかしさ〉を拡大再上演しているのですからもう存在自体が恥ずかしい!

>>>Q3-2:印象操作やレッテル張りをするなら、もっと正確に、売春婦派と呼んではいかがか?性奴隷派の野原さん。という提案です。

---売春婦と呼ぶための条件は、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070321#p10 の第三項にも明示しています。その条件をクリアーしていることを立証してください。

>>>Q4-2:外国人の妻と家事労働を分担している事実・・・レイシストという名誉毀損に対する反証。

あなたは日常生活において外国人差別ではなくその反対を実施されているかどうかは論点ではありません。

多くの元慰安婦たちの証言に向き合ったとき、あまりためらいもなくその真実性を否定できるあなたの根性は一体何なんでしょう。それがレイシズムでないとすれば。』(2007/03/22 07:11)

* noharra 『(追記)--フィリピンの場合は「もはや慰安婦ともいえないような」拉致~監禁~継続強姦の例が非常に多いのです。--だいぶ前に図書館で借りて読んだ「ある日本軍「慰安婦」の回想 ―― フィリピンの現代史を生きて ――」

http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/1/0000690.html

からもそうした印象を受けました。アジア連帯に興味があるなら一度読んでみてください。』(2007/03/22 07:17)

真実や静止状態それ自体が解放的である訳ではない。

 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』5600円がベストセラーに、

なりつつあるらしい。うちの近くの三つの大きな本屋では売り切れのようで、より大きな都市に行ったらあったので思わず買ってしまった。

やっと200頁ほど読んだが、もちろん資本論に比肩するほどの本ではない。

だけど、20年前のベストセラー『構造と力』に比べると5倍ぐらい役に立つ、

かどうかは分からないが、思わずそう言いたくなるような図太い力がある。

『構造と力』は結局のところオタクのための本でしかなく、『存在論的、郵便的』なんか

恥ずかしいほどそうなのに比べて。

 分かりやすい。例えば、貧者、貧乏人といったことばは誰にでも分かる。

「横断的で遍在的でさまざまな差異をもった移動する主体」なのである、貧者は。

とこの本は語る。p205

つまり、「横断的で遍在的でさまざまな差異をもった移動する主体」というフレーズは

、一部のインテリ、ポストモダン業界のジャルゴンにすぎない。だけど、

貧者、貧乏人という言葉はそうじゃない。もう一つ「プロレタリアート」という言葉がある。

これは庶民の言葉と特殊インテリの言葉のあいだ、普通の(イデオロギー)用語

である。このように、この本は言葉の生きるいくつかの地層を勇敢に横断し、

言葉と思想を開いていこうとしている。

次の例。 ポストモダニズムって「支配的な語りへの攻撃と、真実に対する批判」

でないこともないらしい。でもそれってどういうことだろう。

「たとえば、エルサルバドル内戦の終結時に結成された真実究明委員会の使命や、

あるいはラテンアメリカや南アフリカで一独裁以後や全体主義体制以後に確立された

同様の制度の使命を考えてみよう。国家によるテロルや瞞着の文脈においては、

真実という概念を第一に考えしっかりと手離さないことは、強力かつ必然的な抵抗

の形式でありうるのだ。近い過去の真実を確定し公にすることーー特定の行為

について国家の公務員たちに責任を帰し、場合によっては懲罰を課すことーーは、

ここではどんな民主的な未来にとっても不可避の前提となる。〈啓蒙〉の支配的な

語りはここではとくに抑圧的なものとは思えないしー真実の概念は変わりやすく

不安定なものでもないーーその逆なのだ! 真実は、この将軍があの組合指導者

の拷問と暗殺を命じ、この大佐があの村の虐殺を指揮した、ということである。

これらの真実を公にすることは、近代主義の政治の模範的な〈啓蒙〉のプロジェクト

であるが、こうした文脈でそれを批判することは攻撃されている体制の欺瞞的かつ

抑圧的な権力を助けることにしかならないだろう。」p204

 日本でも従軍慰安婦を巡って、上野千鶴子と鈴木祐子が論争した。上野が

ポストモダン派で鈴木が真実派。だがこの本は上野の側を一方的に否定してる訳ではない。

「本当はあれかこれかの問題ではないのだ。差異、異種混交性、移動性それ自体

では解放的ではないが、真実、純粋性、静止状態もまた同じことである。

真に革命的な実践は、生産のレヴェルに差し向けられるものである。真実が

私たちを自由にするのではなく、真実の生産のコントロールがそうするのだ。

移動性や異種混交性が解放的なものなのではなく、移動性と静止状態、純粋性と

混合性の生産のコントロールが解放的なものなのである。」p205

 「生産」という言葉がまだ分からないので、結局レトリックで誤魔化してる

だけちゃうん?という疑問は残る。でもとにかく、クリアーな対立を取り上げ、

具体的な分かりやすい例を短い文章で説明し、「本当はあれかこれかの問題ではない」

と明確な結論を出している。分かりやすい文章、と言うことはできるだろう。

野原燐

死者と生者のための掲示板<北海>

201

問題とは何か? 2003/06/01 21:51

202

万世一系は捏造だ。 2003/06/08 17:35

203

永き平和の民 2003/06/08 23:43

204

『ダロウェイ夫人』を読んだ 2003/06/13 18:23

205

わたしは死者を見なかった。 2003/06/15 13:34

206

アイディンティティと仮装 2003/06/16 22:45

207

Re:アイディンティティと仮装 2003/06/18 21:54

208

わたしのなかの還元不可能な領域 2003/06/21 22:48

209

闘争主体と無垢 2003/07/06 21:49

210

触れたくないテーマと一番大事なこと 2003/07/17 21:26

211

わが肉体の労働たとえば授乳 2003/07/20 09:51

212

ローザ~アレント~ローザ 2003/07/20 10:43

213

今日も混沌未分なり 2003/07/26 18:05

214

祝 2周年! 2003/07/31 20:27

215

日本は亡命者を受け入れろ 2003/08/01 21:49

216

ちょっと 2003/08/06 19:38

217

Re:触れたくないテーマと一番大事なこと 2003/08/12 22:22

218

摩多羅神と大黒天 2003/08/31 22:10

219

墓場の茶枳尼たち 2003/09/01 23:16

220

伝統の断絶 2003/09/03 09:41

221

祟(たた)る死者、祟らない死者 2003/09/03 11:39

222

神との性交と精液(1) 2003/09/06 14:36

223

神との性交と精液(その2) 2003/09/06 20:23

224

人間の尊厳が北朝鮮には無い 2003/09/13 23:26

225

性交と多数多様な空間 2003/09/21 21:08

226

朝川渡る 2003/09/23 22:38

227

Re:神との性交と精液(その2) 2003/10/07 21:03

228

サイードの死とシオニズムという常識 2003/10/07 22:53

229

追悼とは何か?「シャヒード、100の命」展 2003/10/13 23:15

0

AYA 2003/10/20 17:57

231

ゴビンダさん有罪確定 2003/10/25 11:06

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いとうさん 2003/10/27 19:46

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Re:いとうさん 2003/10/27 19:48

234

ビルマ~フィリピン人家族の強制送還 2003/10/29 23:10

235

即ち私を見るのである。 2003/10/30 07:26

236

某大前繁雄は哀れだ。 2003/11/01 11:53

237

国家の論理を越えて 2003/11/01 19:42

238

制度廃止の条件 2003/11/01 21:28

239

私とは誰か? 2003/11/03 18:40

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私とは 2003/11/08 19:57

全共闘の終末は何に転位したのか

http://d.hatena.ne.jp/mkimbara/20040111 で、mkimbaraさんが村上の

「たとえばアダム・スミスのモラル・センチメントのセンチメントなどというのは、ドイツ語に翻訳できない」などなどの発言を紹介していた。そこで、以下のコメントを付けた。

 わたしも今日、『転位と終末』という小さな本の4人の討論で、卒論では情念論、ジャスティス、モラル・センチメントなどをやった、と村上が言っているのを読みました。ですがちょっと分かりにくく、こちらの引用を読んで、要は「やはり経験とか感覚とかいうものをばかにしないで煮つめていくというところが」ドイツ系思想にはない、ということが言いたかったのだと分かりました。「一方、ヒュームなんぞ、静かなパッションからジャスティスやモラルを導き出して激しいパッションは捨てていくというようなことで体系をつくり、今の英米の権力は、そういう哲学を意識的無意識的にもっている。つまりブルジョアの思想は皆さんの考えているより勁(つよ)いのです。」とも書いていました。ですから「村上さんはロマンティックではなかった」と言われる趣旨はよく分かります。(野原)

 それに対して、『転位と終末』という本について質問が返ってきた。こちらで説明させてください。この本は、明治大学出版研究会が編集・発行したもの。奥付では昭和46年1月17日第一刷発行となっている。全共闘系学生が自分たちの主催した講演、パネル討論会を自分たちで本にした、気負っていえば“自立を志向した”本だ、と言えましょう。全238頁。目次を紹介すると、

  1. 国家論ノート  吉本隆明
  2. 「擬制の終焉」以後十年-政治思想の所在をめぐって 吉本隆明
  3. 生活・思想・学問  橋川文三
  4. 日本浪漫派と現代  橋川文三
  5. 日本的情念の原点(パネル討論) 大久保典夫、磯田光一、桶谷秀昭、村上一郎(1970.5.31明治大学第20回和泉祭本部企画)
  6. 資料
  7. 後書       となっています。

 考えて見ると70.11.25が三島の自決なので、講演があったがその半年ほど前、本ができたのがその直後ですね。学生たちと三島が共有したものは時代の熱気だけではなかった、がそれ以上のものとしては結晶しなかった。

村上の「赤軍派なら入らないが、赤軍になったら入るのですな、僕は……」という発言が、袖に引用されている。226事件における斎藤史のお父さんのように(滑稽と世間に見られても)登場し死ねた方が村上個人にとっては幸せだったのかもしれない。(三島事件は衝撃的かつ有名だけれども、全共闘派がむしろメジャーだった時代の流れから孤立していたので、ややこしくなるだからここでは出さない方がよかったな。)

当時の雰囲気を思い出すため70.12.14付けの明治大学出版研究会の名前による後記から数行引用しておこう。

 六〇年代の学生運動は、人間を解放し、世界を獲得するためとにといった内容で闘われた。そのなかで、絶対的権威に対する反抗といった形で、新左翼諸党派に対してノンセクト・ラディカルといったものが発生したが、彼らもまた諸党派同様、絶対的価値観による<節操>と<規律>なしに、人間と社会の解放運動をすすめてきたにすぎなかったのだ。そして、彼らは二年間の反権力闘争のなかで強大な権力の前に、もろくも三々五々拡散していってしまった。われわれはここで、セクト、ノンセクトを問わず、その中で誰一人として絶対的価値観と自己の存在をリアリスティックに直視し続ける者がいなかったということをいう必要があるだろう。それ故に、マルクス主義に殉ずる者も一人としていなかった。勿論、自分達をも含めて、この「現実」から左翼総体が恥かしめを受けねばならないであろう。

(なお誤解のないよう付け加えるが、野原は本を買っただけで講演も出版も知ってる訳ではありません。)ですが、何らかの意味で“全共闘派のすえ”であるだろうからしてちょっとコメントしておこう。

  1. 六〇年代の学生運動は、他者の解放というよりもむしろ自己の解放を目的としたものだった。
  2. これは運動の高揚期には盛り上がりやすいが、凋落期には急にしぼむ要因ともなった。
  3. だが運動の凋落は、連合赤軍の敗北や他のどんな原因によるのでもない。自らの思想の弱さ以外にない。
  4. 70年代後半から資本主義的欲望への(強制的)自由の時代になっていった。消費資本主義を肯定的にしかとらえれない吉本隆明と全共闘くずれ。

でもそう主張するなら、いま情況とどう関わるべきなのか言って見ろ!と反問されるでしょう。わたしとしては、30年前から進歩していないので、ここに立ち止まって考え続けるしかない。(迂回しかしていないが・・・)

王は外来者だ

1915年生まれ2002年亡くなった宋斗会氏の『満州国遺民』isbn4-8331-0522-5 を買った。p21から引用する。

紀元前1世紀ごろ、扶余(プヨ)が朝鮮北部から中国に高句麗を建設する。後に3世紀朝鮮南部に百済が建国される。彼らは自ら扶余の分かれと称していたらしい。

「ただ、一般的には、ある地域にもともと住んでいたものたちの中からは王はでない。これは決定的とはいえないけれど、一般的にはいえる。

日本でもそうだ。神話に出てくる王というのは、縄文人の末ではないのだから。縄文人は歴史のはるか彼方のほうにかすんでしまって、歴史に登場するのは、外来者だ。朝鮮半島でも同じことだ。」

現在朝鮮人と呼ばれている人間の数は世界中で6千万を超すらしい。ただ周辺部になるとぼけてしまって境界がはっきりしない。宋斗会とは誰か。在日朝鮮人だ、という答えは間違ってはいないとされる。が彼はあえてそれを拒否し、満州国遺民を名のった。彼についてはまた書きたい。