今日は飲んでいるので

http://d.hatena.ne.jp/kamisamasedori/20050415#p1

楚狂接輿。歌而過孔子曰。鳳兮鳳兮。何徳之衰。往者不可諌。來者猶可追。已而已而。今之從政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之。不得與之言

上記ブログで上のような引用があった。白川静先生の好きな微子第十八 ですね。岩波文庫p366。でまあ彼kamisamasedoriは、左翼が機会に乗じて靖国反対とかいうのがいかがなものか、と言っているようだ。ただ私から見れば、接輿から最も遠いのが靖国であり、儒教の<天>を裏切った非普遍性であるから、靖国はどちらからも馬鹿にされるしかない、のだが。

秩序の真の姿

  〈スト〉に入る契機自体よりも、一ケ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。(松下昇)

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm 情況への発言

 百人を超す死者たちを生んだ惨事は、わたしたちに少しの間、<秩序の真の姿>=おぞましいイジメでしかないものを公務と言いつのって恥じない倒錯 をかいま見させた。

引用

卒業したらオトナの世の中に出て行く生徒に対し、教員が(その権力でもって)強要できる知識・認識は、結局は「今の社会の一般常識や教養、批判的に世の中や報道を見る目、自分の暮らしを守る力、明日を信じて暮らす気持」なんだなあ。

教育権は国家にあるとする日本の場合、国家がその「一般常識」として何を国民に求めるかというのが「教科書」なのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/sava95/20050613#p2 覚え書き

野原は前半に共感するが、後半はどうだろう。“国家に都合の良い人間を造りたい”というベクトルと、歴史と国際関係を切り開いていくために“愛と正義と自己愛を調和させる強靱な知性が必要である”という二つのベクトルが存在し、後者の方が勿論大事である。国家に取ってさえ。ところが前者が大事と勘違いしている馬鹿が増えているのが問題なんだ。とわたしは思うのだが。

支離滅裂な歴史の偽造

すでに南太平洋戦線では、日本は米軍の圧倒的な物量を前に、真っ向勝負ができる状態ではありませんでした。日本軍は、ゲリラ化して戦っていました。ゲリラとは、要するに非戦闘員のような振りをして実は戦闘員である存在、とここではざっくり定義させて頂きます。そして、米軍もそのゲリラ攻撃に、サイパン以外の各所で苦しんでいました。このことから、米軍に素直に白旗を挙げても、米軍がおいそれと信用してくれるかどうか、となると、これは恐らく米軍は信用しなかったと思います。だから、非戦闘員たるサイパン島の日本人住民は、結局自決する以外に道がなくなってしまったわけですね。

http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050701#p1

戦争反対

***基本は戦争反対なんです***

、なるほどあなたは善意な方なのでしょう。

で、皇軍兵士が住民に手榴弾を渡し、自決を強要、もしくは示唆した多くの事例について、それは個々の兵士のやったこと。皇軍に責任はなかったと主張するのですか?

ひめゆりの死の上に、戦後のわたしたちの平和と繁栄がある。

 ひめゆりに限らず、戦没者に対して、「みなさんの犠牲の上に戦後のわたしたちの平和と繁栄がある。」という言い方がよくされる。

だが、本当だろうか?

 全員が生き延びたシムクガマと「集団自決」で多くの犠牲を出したチビチリガマとを見ればわかるように、チビチリの犠牲者は死ななくてもよかったんだ。なにも死ぬ必要もなかった。もし彼らが生きていれば、平和を築くために働くことができただろう。生き残った者が必死でがんばったからこそ現在があるんだ。「みなさんの死があったから、今日の平和が生まれました」というのはちがう。彼らが戦争で死なずに生きていれば、もっともっといい社会を作り上げることができたにちがいない、と。

チビチリガマに避難していた人々は、事実を教えられていたならば、誰も死なずにすんだはずだった。はっきり言えば、そこで死んだことはなんの意味もないことだった。

ひめゆりの女子生徒たちは、軍とともに南部に撤退し、看護婦としての仕事もないまま壕に隠れ、ついには軍に見捨てられた。第1外科壕の生徒たちは脱出したが、戦火の中で多くが犠牲になり、あるいは「自決」をとげた。第3外科壕では脱出前に米軍に包囲され、投降を拒否したため爆雷をなげられて、ほとんどが犠牲になった。病院壕であれば、表に赤十字の旗と白旗をかかげて、投降の呼びかけにしたがって壕を出ていれば、誰も死なずにすんだ。第1外科壕にしても、脱出といっても地獄に放り出されただけのことにすぎず、同じようにしていれば助かったはずだ。そこでの死に一体なんの意味があったのだろうか。みんな生きることができたのに、捕虜になることを許さないという日本軍の狂気によって犠牲にされたにすぎない。生きていれば、新しい沖縄の建設に若い彼らはきっと貴重な役割をはたしたはずだ。(林 博史)

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/essay02.htm

曾野綾子は大江を名誉毀損している。

と言えると思う。

上記で彼女は「一斉に集団自決を命令した赤松大尉を(略)、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」と書いている。「あまりにも巨きい罪の巨塊」の出典は下記だ。読めば分かるように、責任者*1のことを「あまりにも巨きい罪の巨塊」と、大江は表現してはいない。「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。」「彼」は消化しきれない「罪の巨塊」を前に為す術を模索し、「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをくりかえす」ことにより、「罪の巨塊」を少しづつ少しづつ摩滅させることに成功する者として描かれる。明らかに「罪の巨塊」は彼とは区別された物として彼の前に置かれている。「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは明らかな虚偽である。

 でこの文の主語たる彼、あるいは「責任者」は「自己欺瞞と他者への瞞着の試みをたえずくりかえす」者である、つまりそれを悪であると大江が指弾していることは確かだ。しかしながら「自己欺瞞」というキーワードが明らかに示すように、この文章は大江特有の実存主義的臭気にみたされている。罪といっても権力の発語する罪とは違い、Aという実在の人を白日の下に罰に導く力を持っているものではない。「たえずくりかえしてきたことだろう」という述語により「責任者」という主体は現実世界からズレ、自己(他者)瞞着を逃れえない実存の世界の住人となるのだ。そこにおいては、「彼」を指弾することは、「かれの内なるわれわれ自身」を指弾することでもなければならない。

 「あまりにも巨きい罪の巨塊」はわたしの前にごろんところがっている。つまり予めわたしと罪が結ばれているわけではないのだ。だのにわたしたちは、否認しなければという思いに駆られ、その「巨塊」をかみ砕きすり減らそうとする。それは確かに見たところ希薄化していく。しかしその努力こそが“わたしの内に罪を”根付かせるのだ。大江が言っているのはこういうことに近い。

したがって「赤松大尉を、大江健三郎氏が「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。」というのは何重にも虚偽である。

曾野氏がこれを語ったのは、「第34回司法制度改革審議会」という公の場所である。しかも沖縄問題はテーマではないから強い自発性の元に語っている。そこで“大江はAを罪の巨塊とよんだ”という虚偽発言をした以上、曾野綾子は大江を名誉毀損している、ことになるのではないか。

「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことだろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。

(略)

(「沖縄ノート」210頁 )」

生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が総合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めなければならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。 (「沖縄ノート」69、70頁)」

上記、大江の引用は下記より孫引き。

http://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_13.html

サイトの文章にも共感します。記して感謝します。

ただ、urlを記すことで先方がコメントスクラムの被害にあう可能性もあるなと考え少し躊躇した。前科があるし。コメント欄とか閉じて居られるようなので一度だけリンクします。

上記サイトにあったリンク集もメモしておこう。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper11.htm

http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~hirofumi/study411.htm

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/334.htm

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1b.html

http://www.okinawainfo.net/oba.htm

http://www.geocities.jp/gakuchan_nif/page179.html

http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/

*1:大江は赤松などという固有名は書いてないようだ

海は不在である

モンゴルには海がありません。でもそのためにモンゴル人は逆に

海という言葉を崇拝しているみたいなところがあるのだそうです。

モンゴル語で海のことをダライと言い、一番大きなものという

意味にもなります。ダライラマのダライですね。

飛行機の窓からちらっと見た以外に海を30歳過ぎまで見たこと

が無かったのがこの本の作者のボヤンヒシグさんでした。

彼の海との最初の出会い。その後何度も海に行き、海藻なども

よく食べてみる。だが彼はその短い文章の最後に書きます。

「しかし、海は僕にとって相変わらず、遠い存在で在るのだ。*1」と。

私たちが言葉を体験するということがどういうことなのか、

に関わりイメージと思索の広がりを誘う文章でした。

以上、過去のメールからの自己引用。

*1:『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より