出発できません、うーん。

松下昇についてどこから語ることができるか?と、11/15に書きましたがまだ方向性を見出して出発できません。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051115#p3

今日は、概念集・1の最初の2頁をOCRからテキスト化しました。

「概念(序文の位相で)」というタイトルの文章で、

 一般的な辞書などでは、概念について、同種の多くの事物に共通する本質を、経験ないし思考を媒介して言語によって抽出したもの、というように説明している。

と語り始めている。とてもまっとうで分かりやすい文章だ。

これまでの〈松下昇〉の全表現を大学闘争(全く良くない言葉であり、表記や理解の仕方を変換しなければならないが、過渡的に用いる)に関する事典として、あるいは概念の索引として読むことは可能か。

ただし〈松下 昇〉の全表現の中に、大学闘争というよりは〈 〉闘争過程ないし、それを不可避とする情況に現れた基本的な概念が全て含まれていると仮定してもよいのではないか。いや、あえて仮定すぺきではないか。

大学闘争という言葉を〈 〉闘争過程というなじみのない〈 〉(かっこ)を用いた用語に置き換える、松下は。それと同時に主体である(その限りで疑い得ない)松下昇というものに〈 〉を付ける。

(中断)

削除元記事

twitter の下記記事を10月12日19時30分ごろ削除しました。 

http://twitter.com/#!/noharra/status/123898355607805952

@Hideo_Ogura ネットを利用した誹謗中傷については、被害者には「裁判制度を通じた救済」を受けさせないということですね。>あなたね、公開された発言をなめてませんか? 私はそんなことを言っていませんよ。議論のルール違反ですね。あなたの信用は下がった。posted at 10月12日 08:10:44

戒律への服従をめぐって

3)では、安息日の規定など当時のユダヤの律法に対してイエスが批判的だったことが語られる。p333

ヘーゲルは強引にも、ユダヤの律法道徳にカントの法則道徳を重ね合わせて批判するのだ。そして(全一な生)に基づく<愛の道徳>としてのイエスの道徳を顕彰する。

一方仏陀は、<慈悲の心を持たねばならぬ>と同時に<自他に対して根本的には無関心の態度を取る心を持て>とも言っており、戒律にはより遠い、ようだ。

何びとの血も流さずに

 わたしは村上一郎の本を数冊持っている。だいたい30年近く前に買った物でそれ以来読み返していない。昨日キーワード「村上一郎」と「mkimbaraの読書録」を読んで、本を出して見た。1962年に書いた「ルソオの日に」という短文を読んだら、引用したくなったのでしてみます。

 六月二八日に、ぼくたちは、ジャン=ジャック・ルソオの生誕二五〇年記念日を迎える。

 五〇年前、間もなく年号が明治から大正に移るという年の同じ日に、ぼくたちの父や祖父はルソオの生誕二〇〇年を迎えたわけだが、この、大逆事件被告処刑直後の年に、ルソオを記念する行事が、いかに困難な状況のもとに行われたか。--それは、多くの日本民主主義・社会主義の先達にのこされている。また、その困難な行事に参加した、うぶな青少年が、行事を機に、どのような“回心”を体験(エアレーベン)したか、それも記録に残っている。それらの人たちの後半生は情ない末路をたどったかもしれぬ。が、ぼくはこの年の困難な精神のいとなみを尊かったと思う。

 五〇年を経て(略)・・・天下泰平のうちに、書く人も読む人もふくめて、ぼくらはルソオの日を迎えるのだ。ぼくらは、たいした戦いもなく、何びとの血も流さずに、この日を迎えるのである。だがこのようにして得た「民主」の世を、ぼくは、にがにがしく思う。(略)

そして数行のあと、かれはこうした情況への内心の思いを吐き出す。

沌沌。悶悶。そして愚劣。ぼくは「死語する死霊達」に唱和しないではいられない。*1

 村上の文章は適当につまんで引用することができない。一見平明な言葉面の背後に手に負えないほど強く複雑なリズムが潜んでいる。

 ところで、1962年が天下泰平だったとすれば、この30年間は一体何だったのか。天下泰平の自乗か三乗ぐらいか。わたしたちは民主主義あるいはルソオを自明のものだと思っているわけではない。ただの飾り言葉だと思っている。私たちにとって政治とはと問いを発しても、投票に行くか行かないかあるいはどの政党が良いかなどといった愚劣な問いに回収されてしまう。だが本当はそうではないことをわたしたちは知っている。わたしたちの職場でも町内会でも薄笑いの裏に血は流れている。戦わないものには見えないだけだ。だからといって、ルソオや民主主義のうらに、必ず<血>や<デモオニシなもの>の存在をかぎ取らないといけないのか。平和で豊満な日常に常識を持って生きていこうとするだけで充分ではないか。もちろん出発点はそれでいい。だが戦前の大逆事件以降の弾圧や正義無き大東亜戦争の死者たちの圧倒的存在感を察知するやすばやく遠ざかり、イノセントを(無意識のうちに)装ってしまう性癖をわたしたちは持っている。といってもまんざらはずれていないのではないか。

*1:p265『日本のロゴス』国文社 1970

逆らう

方法とは、習慣的な規律のゆるみに対して加えられる暴力を意味する。

(略)

方法は流れに逆らう泳法だ。流れこそは人間を辱める。流れに逆らう手段は、それらがより悪しきものであればあるほど、わたしにはいっそう楽しいものだと思えるのである。*1

*1:p56バタイユ『有罪者』現代思潮社

資料

下記を資料として貼ります。 

かならずしも野原の意見というわけではありません。

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緊急声明3(転送可) 

日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ

アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、拉致グ

ループを激怒させるに充分です。

わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を受け取りまし

た。(パリ時間正午12時15分)

これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、米軍と組んでイラク民衆

を攻撃しようとするなら、人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、と

の警告です。

私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、今回の人質

解放に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく市民たちのネットワークで

あることを素直に認めるべきである。拉致グループを含め、イラク民衆が望ん

でいるのは、あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結

です。

以上のことが尊重されないなら、拉致された日本人の生命に万が一のことが起

こった場合のあらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょ

う。

グローバル・ウォッチ/パリ

コリン・コバヤシ

PS:日本政府へ転送できる方は転送をお願いします。

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緊急声明4(転送可) 

様々な情報が飛び交っていますが、技術的な問題で解放が遅れているようです。

ただ攻撃的なことをせずに静かに待つことが解放に繋がるという信ずるに足る

情報を得ています。

拉致グループは解放することだけを欲しており(何の交換条件もないこと)、

彼らの意思は声明文に表現された通りです。

アルジャジーラで流された情報に登場したミュズヘール・アル・デライミなる

人物は信用にたる人物ではありません。

静かに待ちましょう。

グローバル・ウォッチ/パリ

コリン・コバヤシ

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東エルサレムのパレスチナ人は解放される

 イラクで拘束されていた東エルサレムのパレスチナ人が、

昨日解放されたということです。

ハアレツの記事は以下。

<http://www.haaretz.com/hasen/spages/418975.html>

わたしは英語が読めないのでまだ読んでいません。

東エルサレムはヨルダン川西岸地区と同じく被占領地区です。アメリカや日本もそう認識しているはずです。