井沢「数千万」捏造発言

http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041018#p1 経由の

http://dklog.jp/u/yuuko999/#0000978507 から

「たかじん」南京虐殺、靖国参拝など(ゲスト:西尾幹二) 「たかじんのそこまで言って委員会」の発言記録をコピーさせてもらいます。

井沢元彦氏の発言。

今、テレビを見てて、西尾さんを、こいつは右翼で嘘を言ってるんじゃないか?と思ってる人に、ぜひ聞いてほしい。中国で戦後、文化大革命があったが、中国共産党は少なく見積もって数千万人を殺した。戦争でなく。20年ぐらい前にそれを言うと右翼だとか、軍国主義だとか、学問をねじまげてるとか言われた。が、今はどうか。中国ですら認めてる。中国の共産党政権は、政権の都合によって事実をすぐ変える。文革は共産党による大虐殺。数の桁が違う。南京30万人どころではない。そういうことをぜひ考えてほしい。

今、テレビを見てて、西尾さんを、こいつは右翼で嘘を言ってるんじゃないか?と思ってる人に、ぜひ聞いてほしい。中国で戦後、文化大革命があったが、中国共産党は少なく見積もって数千万人を殺した。戦争でなく。20年ぐらい前にそれを言うと右翼だとか、軍国主義だとか、学問をねじまげてるとか言われた。が、今はどうか。中国ですら認めてる。中国の共産党政権は、政権の都合によって事実をすぐ変える。文革は共産党による大虐殺。数の桁が違う。南京30万人どころではない。そういうことをぜひ考えてほしい。

http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041018#p1 では、

姫田光義ほか『中国20世紀史』(東京大学出版会、1993年)では、

公式発表だけでも「迫害で死亡した者」3万4800人、「中傷・迫害されたもの」74万2511人という犠牲者を出しながら現状を何一つ解決することなく……(241ページ)

となっているので、仮に十倍しても30万、とても数千万人にはならないと、私には思われる。

数千万という数字が勘違いして出てくる根拠として、「当代江北日記」さんは次のように書く。そうだとしても許される勘違いではないですね。

まず、考えられるのは、大躍進運動(1958~1959年)の失敗による餓死者数と混同しているのではないか、ということだ。この死者数も諸説あるのだが、大躍進運動の失敗の結果、59年から60年にかけて1500万~4000万の餓死や不正常な死が発生したと言われる。これは毛沢東による人災だと言っていいが、しかし、故意に殺害したのではないという点で文革とは異なる。

もちろん、大躍進の時に大量の死者を産みだした責任は中国当局が現在も続いている以上、(北朝鮮の場合同様)追求されるべきだと思う。だが、民衆の命に本質的慈悲を持たず、右か左か、自分のイデオロギー的立場*1だけを大事にし、事実を誠実に追求する気など無い「なかった派」は発言しなくともよい。

*1:アプリオリに普遍にたどり着けないものを普遍に置いている大笑いっぽい立場。野原の意見では。

金時鐘・素顔の在日50年

金時鐘のことば(在日朝鮮語)をめぐって座談と討論

金時鐘・松原新一・細見和之・倉橋健一

11月7日(日曜)

午後1時から開場

場所 在日韓国基督教会館(KCC)

大阪市生野区中川西2丁目6-10

電話 06-6731-6801

地下鉄千日前線今里 2番出口を出て今里筋を南へ、近鉄線高架をくぐって徒歩7分。

会費 千円

デモクラシーを大量破壊兵器で破壊する

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Iraq/iraq_body_count.htm#dialy

イラク戦争被害の記録 から少し引用する。

わたしたちはなぜファルージャの惨劇に気付かないのか。それはアメリカ当局によるプロパガンダが成功しているからである。

街角に放置されたおびただしい死骸の画像があっても、誰も視なければ効果はない。

○ プロパガンダ

 米軍の作戦は巧妙を極めた。イスラム・オンラインの論説「米はどのようにして戦争を遂行したか」において、それは3段階にわたって遂行されたと言う。

--第1段階は、メディアによるデマ・でっち上げプロパガンダである。「ファルージャは外国勢力の巣窟」「ザルカウィ」「得体の知れないテロリストの拠点」「ここを叩き潰せば治安は回復する」等々。

--第2段階は、「市内から住民はいなくなった」「ファルージャは空になった」というイラク中・世界中に流されたこれもメディアの大宣伝である。そして、市内にはまるで極悪非道の「武装勢力」「テロリスト」しか残っていない虚構を作り上げた。

--そして総仕上げとして第3段階で「皆殺し」を開始したのである。

※「Crimes in Iraq How America Wages War in Iraq」By Firas Al-Atraqchi Freelance Columnist http://www.islamonline.net/english/In_Depth/Iraq_Aftermath/2004/11/article_07.shtml

 確かに米軍は事前に市内から住民に対してある程度の避難の猶予を与えた。ザルカウィと外国人勢力の多くは攻撃前にファルージャを脱出したと言われている。

○ 目的

 現地に根付いていない外国人武装勢力などどうでもよかった。米軍にとっては、ファルージャ住民が最初からの標的であり、彼らの抵抗姿勢を打ち砕くこと、それでも逆らえば皆殺しにし大量殺戮することが目的だったのだ。来年1月の議会選挙に参加しない者達、米軍とイラク暫定政府に屈服し服従しない者達、独自の地域支配を続けるスンニ派の地域武装勢力--そしてこれらの「反乱分子」の最大の拠点、「抵抗の象徴」になっているファルージャ、その都市ごと、住民ごと、丸ごとを、武力によって粉砕・殲滅し、ファルージャが再び立ち上がることができないようにすること、そのために核心としての地元の武装抵抗を抹殺することが目的であった。

すなわち一つの都市が持つ一つの意思を打ち砕くことが目的である。デモクラシーの破壊である。ファルージャが破壊されなければならなかった理由は、この一点にある(かもしれない)。市民の一般意志が公正に形成されたときそれは「自警団」を含む「反占領」「反米」になる。そのことは占領に「民主主義」という衣装を偽りであってもまとわせたい(そうすることしかできない)当局にとって、自らの矛盾を明証してしまう事実だった。したがってそれはあってはならない、消滅させられた。

 こうした戦略はイスラエルのパレスチナに対する戦略から大きな影響を受けている(ようだ)。しかしながらそれは前にも書いたように大きな無理がある。(http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031125#p2

イスラエルはパレスチナ人を予め狭い地域に閉じこめた上で、戦略を展開している、のに対し、イラクの広範な国土はまだイラク人のものでありそれをどうにかできる目処はたっていない。虐殺によって数千万イラク人の意思を砕くことができるのか?南京大虐殺はそれとは逆の歴史を示す。

○死臭

恐怖の臭気がいまだに漂っている。私たちはそれが何か、よく理解している。それは死体からの臭いである。すでに埋葬されたが、臭いが消え去ることはない。長期間にわたって私たちとともにあったその臭い。

サミズダットさん

id:noharra:20041220 を、サミズダットさんにリンクしてもらったので、200人以上の人が来てくれた。感謝。 

鏡は半島にいつもあるんだよー!

そのとおり。(でもわたしも朝鮮半島のことはほとんど知らないなあ。)

ところで彼女の文章はすごいよ!!

会が終了した瞬間、不思議にも私の耳に吹き入れられた声はYes,sharing is very important.である。生暖かい風が私の意識に吹き入れられ、彼女の腕が私を抱きかかえた。最前列で号泣している私を案じてサファイアは私の質問に念を押して答えにきたのだ。自分のことを語ること、その体験を他者と共有することは必須であると。

何に。

人がひとりで、そして集団で、生きるために。

http://d.hatena.ne.jp/chimadc/20041220

「御免なさい、女王様。御免なさい」

「謝っても駄目さ。お前は堕地獄だよほらほら」

私は天井を見た。ロウソクだけがともる暗い部屋で、私は泣いた。彼は誰かに聞いて欲しいこの物語を身体に持ち運んで生きている。御免なさいなんていうべきではない。済まないことなど何も無いのだ。そこまで出てくる言葉をのむ。悪いことなんて何も無いんだ。涙が止まらない。それを言ってはいけないという不可解なコミュニケーションだ。私は足を動かし続ける。ヒールを彼の直腸にめりこませる。彼はうめきつづける。射精はさせない。

http://d.hatena.ne.jp/chimadc/20041219

 後の引用はSMシーンである。わたしのように鈍感なものは、彼女の文章を読んで初めてSMの何かが少し分かったような気がする。

“sharing is very important.”というのはわたしの最大の弱点。

 彼女の健康と幸せを祈る。

註:サミズダットとは「旧ソ連下の地下非合法出版物の総称」だそうなので、彼女のなまえじゃないです。おかしいと思ったら言ってください。

白人に対する黄色人種の戦い

     --foursueさんとのやりとり(前史)

(1)

# foursue 『わざと難しく書く事によって自己満足しているように見受けられます。』

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050125 へのコメント

(2)

# noharra 『「太平洋戦争は歴史的に見れば白人に対する黄色人種の戦いであったとも見れる。」だとすれば、日本人が中国人などを黄色人種の同志として敬意を持って扱ったのかどうかが論点になります。残念ながら事実はそうではなかった。』

http://d.hatena.ne.jp/foursue/20050129 へのコメント

# foursue 『どういうふうに受け取られたのか知りませんが、残念ながらそういった論点にはなりません。』(同上)

なぜ「そういった論点にはな」らないのか、答えてください。(2/5 19時)

(その後文章を一部変更。)

2月3月といえば、

非正社員・有期契約ではたらく殆どの労働者にとって、契約切り替え・契約更新・あるいは雇止め(契約終了)の時期を迎えます。

「アルバイト・派遣・パート関西労働組合」の友人から送ってきたパンフの冒頭にそうあった。わたしは幸い有期契約ではないが妻はそうなので他人事ではない。3日間労働相談ホットラインを行うとのこと。わたしは何もできないので、urlを書いておきます。

http://www.ahp-union.or.jp/ アルバイト・派遣・パート関西労働組合

釈放

農産高校の逮捕者は、9日釈放されたようです。

文部科学省、教育委員会は法的根拠のない「日の丸君が代の強制」に必死になっているわけですが、組織的つながりがない警察がなぜここまで協力的なのか。石原知事の方針にも副う「日の丸君が代の強制」を自ら積極的に推進したいとする警察官が警察組織内に現れたということでしょう。「上からのファシズム」ですね。・・・

愛国と正義

3/21のコメント欄より

# index_home 『swan_slabさん>「公共の福祉に完全に合致した生き方の強制」というと、個人的には少し違和感があるかもしれません。「公共の福祉」=「愛国」ですか?と。(基本的なお考えに反対するものではありません)』 (2005/03/23 14:31)

# swan_slab 『index_homeさん今日は

話が抽象的なのでイメージを喚起するためになるべく例をあげながら書きます。

イメージとしては「公益の増進」圧力=愛国です。

>公共の福祉

これは人権一般についての制約原理として通説である【一元的内在制約説】を前提とすると完全に違和感を感じると思います。また、「人に厳しく自分に甘い」ダブルスタンダードに対する皮肉を込めた言い方でした。そのような強制をするひとは概して自分の利益が公益のなのもとに侵害されそうになると大騒ぎする、という意味を少し込めています。

さて一元的内在制約説は、人権相互の衝突局面において調整原理として公共の福祉を想定します。とするとその強制はむしろ法律を制定してまで行うべきではないか(例えば刑法など)という疑問が生じるはずです。

これはよそのブログ(例えばdeadletterさん)の「ヘイトスピーチは存在するかhttp: //deadletter.hmc5.com/blog/archives/000098.html」の議論にも通低するのですが、内在的制約説の論理的前提にあらゆることをなしうる一般的自由があるとすれば、それはやはり不自然であろうと私は思っています。自然権(しかもロックのような自然権)として殺人の自由が想定されていたとはとても考えにくいからです。例えば殺人が否定されるのは人権相互の内在的な調整原理としてではないでしょう。

私がいわんとする公共の福祉とは人権相互の衝突を予定しなくとも想定される社会公共の利益です。例えば空港や基地、ダム、原発の建設であったり、最近話題のものでいえば放送法上の公共性といったものです。放送法上の公共性を一元的内在的制約説で説明できるひとがいれば手を挙げてほしい。恐らくムリです。調べると、そもそも内在、外在といったターム自体、その履歴をたどれば、戦前の憲法理念の一元的外在的制約説への批判からスタートしていることがわかります。私は例えば表現の自由なら、手続的正義そのものを社会公共の利益として保護する必要から、それを公共の福祉の名の下に、ある種の表現や自由は制限を受けざるをえないと考えています。昨年プライバシーの侵害を明確に認定されながら差止めができなかった理由も内在的制約説からは説明が難しい。

そして、無理やり人権相互の衝突をイメージするよりも、社会公共の利益(例えば公務員の労働権の制限は、議会制民主主義の要請)という独立の原理的制限があると考えたほうがより生活実感に近いのではないでしょうか。もちろんそれだけで公共の福祉を説明するものではありませんが。

しかし、政治の領域によって実定法化・執行され、またはされようとする個々の実質的正義(例えば景観条例・未成年者の選挙活動の制限などパターナリズム、ミーガン法的立法、道路交通法の厳罰化、特定の予算・助成金の増額、ダム建設)などを想起すれば、そのうちいくつかは自分の生活上の不安に答え、利益に合致するものでしょう。これらは単純化すれば多数派の利益にこたえるものです。

私のいう「公共の福祉」はそのときどきのマジョリティの利益が含まれるという見方なんです(大型建設公共事業はその典型)。もし内在的制約でダム空港基地建設(究極的には戦争)のベネフィットを押し通せば、内在的制約説は人権侵害を隠蔽する機能を果たすに過ぎなくなる危険性をはらみます。

それでも「公共の福祉に合致した生き方の強制」に違和感を感じたとすれば、「多数派の決定に絶対従えという圧力」でもかまいません。問題にしているのは、マイノリティに対する想像力です。』 (2005/03/23 22:42)

# swan_slab 『>日本思想史において、求心的なものを求めると天皇主義しかないのか

>日本は変だと思う。戦後の日本はこの「日本人がアジア人である」という事実を隠蔽、忘却していると言いうるのであって、非常に変だと思う。

おおやさん>野原さん

もし、日本が政治的・文化的に多元的社会を目指すのであれば、求心的なものを求める必要はないし、権力バランスに細心の注意を払っていればいい楽な社会になると思います。例えば、施工会社が環境影響調査も請け負うとか、経営者ばかりが経営を監督し外部取締役の権限が弱いといったこともなくなるかもしれません。

左翼思想はなにかと同化を迫るものでしたから、みんな同じ方向を向いている限り盛り上がったんでしょう。学生であれば運動(スポーツじゃなくて)のあとフォークにつどうということができた。でも、高度経済成長のおわりごろから社会は流動性を増し、価値観も多様化した。読んでいる本もテレビも趣味もみんなばらばらになってきた。子供たちは学校以外に居心地のいい居場所をみつけるようになりあえて学校に反抗しなくとも済むようになった(尾崎豊かはいまや嘲笑すらされている/swan_slab050104参照)。

日本がアジア人であることを忘却するようになったとすればなぜだろう。

う~ん。

お互いにヘンな奴らと言い合うこと自体は、むしろ健全な方向に近づいているのかもしれません。

おおやさんのあれは論争が長すぎてついていけませんでした。

ただ田島先生の突っ込みがもっとも的を得た批判と感じました。』 (2005/03/23 23:15)

# index_home 『swan_slabさん>お考えはよくわかりました。丁寧にご説明いただきありがとうございます。いまさらですが「愛国心」「公共の福祉」についての自分のコメントに関する簡単な補足と、ちょっとだけ独言めいたものも書いております。http: //d.hatena.ne.jp/index_home/20050323#p4』 (2005/03/24 00:10)

# swan_slab 『>私達の認識や判断を左右する「実質的正義」とそれに結びついた「モラル」のあり方や性質については、ジョージ・レイコフ「比喩によるモラルと政治」が参考になると思います、この本はアメリカを例に大きく二つに分かれる「モラル」(この本では「保守」と「リベラル」)が人々認識や判断を左右し、互いに無理解か論じています。もちろんどちらかのモラルが正しいとは決して断言できないと私は思います。>

レイコフの議論はちょっとよくわからないのですが、

近代法治主義または法の支配のシステムを前提として議論していきますと、恐らく

政治の領域における「実質的正義」≒モラル(例えば携帯電話のマナーとか価値観)等と

法の領域における実質的正義=自由、平等、民主主義

の二つが観念できるのではないかと思います。

法的安定性を重視する目的から、後者の正義は法=seinの領域に埋め込むのが望ましいということがいえると思います。それらの正義は誰にとっても重要なものであるから時の多数派によってひっくり返されるべきではないからです。

仮に愛国心なる観念がありうるとしても、近代国家を成り立たせるために根本的に重要な普遍的正義なのかどうか。そんなふうに考えてしまいますね。』 (2005/03/24 00:28)

「あたりまえ」が支配する帝国

 国民だれもが納得する(すべき)理念において、愛国心が要請されるというのはフランスやUSAなど多くの国においてあることです。一方愛国心の名の下に権力者への一方的かつ全面的な強制が行われることもある。わたしたちの近い過去を、そのような全体主義だったとみなすかどうか、が論者の立場の違いになる(のでしょう)。

 さて、「日の丸君が代に格段の理念は存在しない」、という当局の見解を批判したいわけです。*1理念の不在をどう批判したらいいか?

 からくににして道という物も、其の旨をきはむれば、ただ人の国をうばはむがためと、人に奪はるまじきかまへとの、二つにすぎずなもある。……もとよりしかきたなき心もて作りて、人をあざむく道なるけにや、後の人も、うはべこそたふとみしたがひがおにもてなすめれど、まことには一人も守りつとむる人なければ、国のたすけとなることもなく、其の名のみひろごりて、つひに世におこなわるることなくて、聖人の道は、ただいたづらに、人をそしる世々の儒者どものさへづりぐさとぞなれりける。……

 道というのは儒教の基本理念です。宣長は儒教の理念を批判し別の理念を建てるのではなく、理念という物それ自体を否定してしまうきらいがあります。道とか偉そうに言っているが要は「他国を奪う」「自国を防衛する」に帰着すると。醜悪な心を以て作った欺瞞的な「道」にすぎない、と。

 かくてその聖人どものしわざにならひて、後々の人どもも、よろずのことを、己が智(さとり)もておしはかりごとするぞ、彼の国のくせなる。……

されど物のことわりといふものは、すべてそこひもなくあやしき物にて、さらに人の心もてうかがひはかるべき物にはあらねば、しひてあきらめしらんともせず、よろづの事はただ神の御はからひにうちまかせて、おのがさかしらを露まじへぬぞ、神の御国のこころばへには有りける。

人智を以て世界を規定してしまうという発想自体がいけないのだ、と。すべて、神のはからいにまかせるべきだと。

故(かれ)皇国の古へは、さるこちた(言痛)き教も何もなりしかど、下が下までみだるることなく、天の下は穏(おだひ)に治まりて、天津日嗣いや遠長に伝はり来坐り。さればかの異国の名にならひていはば、是れぞ上もなき優れたる大き道にして、実(まこと)は道あるが故に道てふ言なく、道てふことなけれど、道ありしなりけり。そをことごとしくいひあぐると、然らぬとのけじめを思へ。言(こと)挙げせずとは、あだし(異)国のごと、こちたく言ひたつることなきを云ふなり。*2

 しかし、「道」を否定する言説というものもよく考えると矛盾に満ちており自立できるのかどうか危ういところがある。つまり宣長は明らかに、他国(からくに)と自国を対比的に取り上げ、他を否定し自を肯定するために理屈をこねている。その理屈というのが、他国には「道、さかしら、言説」があり、自国においてはそんなものがなくともちゃんと治まっていた、というもの、であるわけである。しかし、宣長のそれもさかしらであり言説であることは宣長以外には明らかである。

 現在のプチウヨも執拗に「アサヒ、サヨク」を否定する。否定ではなく素直に自己の理念を語るべきだろう。

日本的政治の根本は神勅によって万世一系の天皇が統治することに存する。而してこれは宣長によれば、単なる理念ではなく、歴史的に実証されたる、また日々実証されつつある事実である。(丸山真男の宣長論の一部より)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/tokugawa/norinaga.htm

 理念の代わりにあるものが、「万世一系の天皇」という事実である。1945年の敗戦においてヒロヒト氏が退位しなかったこと、そのことは万世一系という理念にあらざる理念を現在まで延命させている。

 わたしは日本人である*3。日本人である限り、日本の伝統を負っているそのことに誇りを持つべきだ、という人がいる。わたしはその断言に半分は賛成である。ディズニーランドなんぞでちゃらちゃらせずに宣長を読みたまえ? ただ「日本人である」ことの自明性から、国家国旗を肯定し、愛国心を肯定し、などなどという自同的論理の連鎖。これは実は、宣長に起源する特殊な言説のあり方である、といいうる。

*1:もちろんこれは今だけの言表であり、教育基本法改悪が通れば、「愛国心」の注入が大々的に行われるのでしょうが、それはそれで別の問題です。

*2:以上宣長からの引用は、子安宣邦『「宣長問題」とは何か』isbn:4480086145 のp61-66からの孫引き。だいたい「直毘霊(なおびのたま)」

*3:というのが本当かどうか?わたしは本当は日本生まれの韓国朝鮮人か中国人だがカムアウトしてないだけかもしれない、顔を知っている人でも区別はつかない