http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm
根津公子さんのページ
http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm
根津公子さんのページ
卒業したらオトナの世の中に出て行く生徒に対し、教員が(その権力でもって)強要できる知識・認識は、結局は「今の社会の一般常識や教養、批判的に世の中や報道を見る目、自分の暮らしを守る力、明日を信じて暮らす気持」なんだなあ。
教育権は国家にあるとする日本の場合、国家がその「一般常識」として何を国民に求めるかというのが「教科書」なのだろう。
野原は前半に共感するが、後半はどうだろう。“国家に都合の良い人間を造りたい”というベクトルと、歴史と国際関係を切り開いていくために“愛と正義と自己愛を調和させる強靱な知性が必要である”という二つのベクトルが存在し、後者の方が勿論大事である。国家に取ってさえ。ところが前者が大事と勘違いしている馬鹿が増えているのが問題なんだ。とわたしは思うのだが。
すでに南太平洋戦線では、日本は米軍の圧倒的な物量を前に、真っ向勝負ができる状態ではありませんでした。日本軍は、ゲリラ化して戦っていました。ゲリラとは、要するに非戦闘員のような振りをして実は戦闘員である存在、とここではざっくり定義させて頂きます。そして、米軍もそのゲリラ攻撃に、サイパン以外の各所で苦しんでいました。このことから、米軍に素直に白旗を挙げても、米軍がおいそれと信用してくれるかどうか、となると、これは恐らく米軍は信用しなかったと思います。だから、非戦闘員たるサイパン島の日本人住民は、結局自決する以外に道がなくなってしまったわけですね。
***基本は戦争反対なんです***
、なるほどあなたは善意な方なのでしょう。
で、皇軍兵士が住民に手榴弾を渡し、自決を強要、もしくは示唆した多くの事例について、それは個々の兵士のやったこと。皇軍に責任はなかったと主張するのですか?
選挙の話はしない主義だが、一回だけ。自民党主流派(小泉・安倍など)は1/3程度かもしれない。その場合政権に残るために民主党と合併する。すると本格的新自由主義=ファシズム国家になりますね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02040.HTML より
米国通の友人H氏から、『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号のインターネット版記事の一部が送られてきた。
『ウォールストリート・ジャーナル』は「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との見方を述べている。
3兆ドルとは、国民が郵政公社に預けている350兆円のことである。ウォール街は、9月11日の総選挙で小泉首相が勝利し、総選挙後の特別国会で郵政法案を再提出し、成立させると信じているようである。
H氏によると、これを確実にするため、ウォール街は、多額の広告費を日本に投入し、日本のテレビを動員して、日本国民をマインドコントロールして、小泉首相を大勝利させる方向に動いている。(……)NHK以外の在京の全地上波キー局が小泉自民党の宣伝機関になり、小泉ヨイショ報道に狂奔している。これにより日本国民をして小泉を支持させて、小泉を英雄にし、独裁者にしようと狙っている。独裁者になった小泉が郵政を民営化し、350兆円の郵貯・簡保の金をウォール街に流してくれると考えている」とのことだ。 郵政民営化はウォール街のためか:2005年森田実政治日誌
もうひとつ、antonianさんのコメント欄から toxandoriaさんの力作コメントの一部をコピペしておきます。
http://d.hatena.ne.jp/antonian/comment?date=20050821#c
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050821#c1124628324
(略)
もう一つ懸念されるのは(これは想像が半分ですが)、今行われつつある“劇場型政治”は「政治の民営化」が進んでいることの現われではないかという点です。
米国の巨大な広告会社と提携した国内最大手の広告会社D社は、ここ10年位で日本国内における市場占有率を急速に高めており、今や約6~7割の寡占となっています。
現代の広告会社は、選挙のみならず政策全般に関するアドバイザー(シンクタンク)的な仕事を請け負うようになっており、その分野でもD社が占めるシェアは格段に大きいようです。
また、D社の強みは番組スポンサーとなる企業広告を仲介する立場でテレビ・新聞などマスメディアに対する絶対といえるほどの優越的地位を確保していることです。
特に、テレビについてはD社が100%出資する某視聴率調査会社が市場を独占する立場にあるため(この1社しか存在しない)、スポンサー群をバックにする優越的立場ゆえに、事実上、D社が殆どのテレビ局を支配下に置いたような構図となっています。
しかも、販売部数減から広告収入に頼らざるを得なくなっている新聞社も、事実上D社に支配される立場となっています。
このように見てくると、マスメディアを総動員した政権主導の“劇場型政治”がD社などの演出で、きわめて効果的に演じられていることが想像できます。
このような国民一般の目に見えない影の世界で「郵政改革PRは、老人、女性など、“ちょっとIQの低い人々中心」という企画が作られたことは、まことに怪しからぬことでああり、我われ国民を小バカにしているうえに民主主義政治の根本(主権在民)を否定することだと思います。
アメリカでは、すでに「民営化」(privatization)が、軍事・医療などの分野まで浸透して(市場の社会的深化が進んで)いますが、日本がひたすらこのようなアメリカを追い続けることに大きな疑問を持っています。
中味がないのできていただいた方に申し訳ない。参考urlだけあげておきます。
八木秀次については
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050618 とコメント欄
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050609
西尾幹二と「NANA」
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20041007
同じくid:milkbottle:20051021#p5 【オバカ通信】さん経由で。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/20/20051020000042.html 朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
「小泉首相の父親、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業を主導」
日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だった小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことがわかった。
在日朝鮮人の北朝鮮送還事業は、1959年末から1984年まで、計9万3340人の在日朝鮮人が「地上の楽園」というふれこみで、北朝鮮に送還された事件だ。当時、日本では韓国政府の激しい反発にもかかわらず、政界と文化界など各分野の要人が名を連ねる「在日朝鮮人帰国協力会」が1958年11月17日に結成され、在日朝鮮人の北朝鮮送還支援活動に乗り出した。
その後、北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。そのうちの多くが強制労動収容所に収容させられ、消息を絶った。
小泉首相の父である純也氏は当時、自民党の国会議員でありながら「在日朝鮮人の帰国協力会」の代表委員に就任し、在日朝鮮人の北朝鮮送還のため積極的に活動したことが確認された。
小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らかになった。
歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわる小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景と決して無縁ではない」と主張した。
歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。
歳川さんは、小泉首相の父親が在日朝鮮人の北朝鮮送還に積極的だった理由について「当時、純也氏の選挙区である神奈川3区に多数の在日朝鮮人が居住している川崎市が含まれていたためと推定している」とし、「冷戦の真最中だった当時、自民党議員の身分で社会党や共産党と超党派の会合を開くこと自体が異例だった」と述べた。
当時の毎日新聞は、自民党議員が在日朝鮮人の北朝鮮送還を推進する団体に加わったことについて、韓日国交樹立を進める岸(岸信介)内閣とは関係のない個人レベルの活動だと報じた。
歳川さんは2002年に小泉首相が訪朝した直後、自分が発行する雑誌でこの事実を報じたが、注目を集めることができず、また放送に出演した際にこの事実に触れたことで司会者から制止されたこともあると明らかにした。
また歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿になって選挙区まで受け継いだ。
東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員khjung@chosun.com
上記記事では、「北朝鮮に送還された在日朝鮮人たちは、「不穏分子」「親日」「日帝のスパイ」などと濡れ衣を着せられ、弾圧された。」と書いている。少なくとも過半はかなりの抑圧を受けた(受け続けている)らしい。
甘言に乗せて日本から帰国させた事業の片棒を担いだ(父親が)ことに対して、なんらかの責任、悪かったなという思いを感じているのなら、それはまっとうなことだろう。ただ日朝国交回復を成し遂げることが、その責任に応えることになると思っているとしたら見当違いだ。
本来破産している独裁国家北朝鮮は、中国の支援が無くなれば崩壊する。ある国家を敵視することは悪であるが、悪である国家に宥和政策を取ることも悪である。日本は北朝鮮を崩壊させる方向に意志決定すべきだ。(産軍複合体と嫌朝厨は敵が居なくなると困るでしょうが)
六甲 序章
松下 昇
不思議なことだ!
灰色の雲が岩塊の分身のように空を飛んでいく。
それはあの荒々しい岩塊の臆病な模写なのだ。
(ハイネ「アッタ・トロル」から)
平衡感覚を失わせるほど色彩のゆたかな屋根の波の上で揺れる海へ背をむけて、山頂へ続くはずの坂道を登っていくと、時間的記憶からは先週までくらしていたとしか思えない首都は、まだ至るところに〈私〉たちの息づかいをとどめた十年間の疲れとして思い出される。
傾斜したアスファルトの坂道は、〈私〉たち以外の重量は受けていないので、スラム街を越えて漂着してくる港からの汽笛に微笑したり、蝶や十字架が投げる影を、身をよじらせて捕えたりするのをやめようとしない。光を浴びる風景は、無意識のうちに、広い空地や露出した岩肌を残しており、みつめられすぎ、使用されつくした疲労感をまだもっていない。というよりは、いつまでも、まどろんでいる欲求に支えられているのかもしれない。
勾配が次第に急になり、自分たちの影へ倒れかかるようにして登っていくと、勾配がいくらかゆるくなるあたりで、眼の前に現われてくる若葉の尖端が、風の手でかるくなぜられて、はるか遠くの空中を行きかうロープウェイのゴンドラをかすめ、溶けそうな薄緑の山肌を谷間のくぼみにむかって落ち、たかと思うと〈私〉たちの背後へ去る。幼い乳房のようにふくらんだいくつかの丘陵には、ここからは決して見えない別の次元へと曲線の切れ目が続いていて、その流れは私たちが知らない間に生成し崩壊していくもののまどろみに思われる。丘陵の上を汽船がすべる……? いやそうではない。坂道は、いつか海の方へ弯曲し、外国航路の白い船体が、〈私〉たちの眼と丘陵の頂点をつなぐ線の上であいさつしているのだ。更に坂道は反転し、一ばん高い山頂から花粉の香りを含んだ風が流れると、〈私〉たちの足もとの斜面で葉を白くひるがえすつる草の群が、これから見る夢をリレーしている。まぶしくふくれあがる海はいよいよ明るい青さをまし道ばたにあるこの望遠鏡に十円玉を入れると、巨大な河とも見える湾の対岸の工場地帯の煙突まで見分けられるはずだ。
首都では、いくら歩いても、せまい周囲しか見えなかったのに、この海と山にはさまれた細長い都市では、水平に歩いているつもりでも、実際には垂直方向へも移動しており、切り開かれた意外な空間へよろめいていく。この意外さは、平衡感覚を失いかけている〈私〉たちの無意識部分への衝撃を与えているはずだ。〈私〉たちは、時間の切迫を忘れて、空間のまどろみへ溶けこみそうになるのであるが、その瞬間から、〈私〉たちの内的な矛盾は、日本のどこにおけるよりもゆたかに花開かざるをえないのである。首都の広場や運河や路地に切迫した時間を付着させたままこの風景へ投げこまれた〈私〉たちは、自己を、ある次元の運動領域から拒絶された不具者のように感じている。しかしながら、〈私〉たちにとって、帰るべき首都はない。首都とは、特殊な状況をはらむ時間に対する〈私〉たちの関係の総体にほかならないのであるから。どこにいようと時間を失った〈私〉たちは、沈黙してまどろんでいるうちにずり落ちてしまい、見知らぬ空間へはなればなれになった〈私〉たちをみつめ合う。それゆえにこそ、これを書いているのは単数の〈私〉たちである。
〈私〉たちは、頂点から稜線を経て〈私〉たちを無関心に底辺の一角へつき戻すピラミッドを憎んでいた。このピラミッドを、首都や権力や組織や情念や、その他のどんなものにとりかえてもかまわない。しかし同時に、〈私〉たちは、さまざまのピラミッドの稜線の上をすべっているのであるから、それらを手ごたえあるものとして触れようとする瞬間から、さまざまのピラミッドの数に応じた多くの分身へ引き裂かれずにはいない。頂点での統一から稜線上での分裂というパロディーは、孤立した何ものかの呻きを噴出した六・一五虐殺の時間が生れでる何ものかを圧殺する六・一八葬送行進の空間へ転移したことを〈私〉たちが、はっきりとらえられなかった責任によって幕を上げた。
〈私〉たちは、ひらめいて飛び立つ何ものかへの身がまえと、何ものかへの抜けでようとする焦りの間に弯曲したまま、敗北の舞台となった首都から、〈私〉たちを無関心に受け入れるこの美しい風景の中へ追放されてきたのだ。従って〈私〉たちは、首都からもこの風景からも切断されている。内的風景へ同化することも許されない。もしも、〈私〉たちが時間の中へ新しい関係をつくりだそうとするならば、〈私〉たちをさまざまなピラミッドの稜線上で分裂させた何ものかのカ学を、いま〈私〉たちが労働しているこの場所から可能な限り追跡し、ピラミッドを破壊すること、その方法を〈私〉たちがこれから出会う全ての敵対関係にむけて応用することしか残されていない。
それを予感している限り、闘争の敗北後、さまざまの場所で、やむをえず闘争方針を考えている者も、遊んでいる者も、眠っている者も、立体的風景のためか、屈辱に耐えるためか、仕事のためか分らずに頂上をめざして歩きつつある〈私〉たちと同じ坂道を登っているのである。
〈私〉たちのまわりで、いや私たちの中からも聞こえてくる声の交差は、次第に、たてまえを重んじる論点と、有効性に関する論点と、生活の単純再生産をめぐる論点にしぼられていく。屍臭のただよう三つの論点と〈私〉たちのつま先が一つのピラミッドを形成するのに気付いたときから、〈私〉たちは、ただこのピラミッドの稜線を運動させうるという誘惑のためだけにも、この坂道を登り続けている。部屋の書類を処分し、身分証も定期券も持たずに闘争現場へひっそりと歩いていったあの日のように背をかがめて。
ところで〈私〉たちは、この風景にみちているどのような響きからも、なかば意識化された意味をとりだすことができる。たとえば唯一の前衛に入る直前に必読文献の行間から聞えてきた潮騒のような不安。その政党本部で乱闘のあった翌日、対策会議を開いていたそば屋の二階へ響いてきた雑踏。闘争敗北後の大会で、真昼の眠りの前の子守り歌のように歌われたインターナショナル。しかし、それらの意味はとりだして表現過程にもちこむ前に溶けてしまいそうだ。なぜなら〈私〉たちは、それらの意味の結合が一瞬のものであり、たちまち別の結合へも変移しうるし、またその変移には解決を未来へひきのばすときの悦楽さえ含まれているのを知っているから。
この恥かしさは、倒すべき相手より先に、また組織すべき相手より先に〈私〉たちが屈服してしまったあの季節に〈私〉たちをおとずれたのだ。波のように打ちよせる響きの方ヘ〈私〉たちがかけより、離れ去るとき、響きが変移して、〈私〉たちが、これから出合うであろう飢えや苦痛や忍耐のきしむ音に聞えてくるようだ。口を開き終らないうちに、叫びは〈私〉たちの知らない空間へ流れだしている。しかし、この未来からの記憶群は、過去の闘争を頂点とするピラミッドの内部にも、広々と存在していたはずである。たとえば、国会広場に突入した〈私〉たちは、死者のでたことを聞いて怒りの叫びを上げながらも、無意識のうちに横の破損された建物に入りこみ、水道の蛇口から水を飲み、ばぼ同量の小便を壁にかけ、ポケットの溶けかかったキャラメルをしゃぶり、タバコに火をつけて平和を味わっていたのである。そして、欲望の空間に舞う妖精たちに追放をかけ、倒錯した現代史を転覆して火を放っていた。〈私〉たちと状況のこのような関係から〈私〉たちは歩きださなければならない。それが、死者への哀惜が失速しつつあるとか、模索を現実化する責任からすり抜けているとか、戦後史過程と体験過程が偶然に一致した意味を対象化していないとかいう、〈私〉たちから〈私〉たちにむけられる批判をこえる道である。
人かげのない展望台をすぎると、〈私〉たちがえらんだ坂道の舖装は切断される。展望台の望遠鏡と対岸の煙突という二種の円筒をつないでいるのは十円銅貨という円筒であったが、〈私〉たちは足元に咲くタンポポによって、国会広場の芝生や機関区の砂利や誓視庁の屋上へつながれている。〈私〉たちは、罠をつくるのに似た抒情を開きながら、歩く動作を、タンポポの茎を折り、ねばつくミルク状の液体を吸う動作に変移させよう。
タンポポの黄が、暗くざわめく虚空の中でとらえられたとき、黄の彩りは運動して三日月の形に鋭く閉じようととする。それと共に、黄をとりまく渦がまきおこり、環のように重なり続けることによって、思いがけない方向への視界を可能にしている。そのむこうにある何ものかと、そのこちらにある何ものかに祝福あれ。