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カテゴリー: idea
mojimoji発言の先見性
mojimojiさん、コメントありがとうございます。
ご挨拶がとても遅れてすみません。
id:mojimoji:20050113#p2 で言うべきことはきちんと言われていることに今さらながら気づきました。
安倍晋三の「工作員」発言、慰安婦問題を隠蔽しようとする安倍氏たちの工作を、大衆が無言で受け入れて(同意して)、これを否定できずに情況はいままで動いているわけです。
さらに女性国際戦犯法廷に関して、「北朝鮮の工作員を検事、日本と天皇を裁く側においた法廷」と言っていた。
それ以後、おおや氏ほかに対して一歩も引かず丁寧に反論されるmojimojiさんの文章、頭が下がります。わたしなどは読むと頭に血が上りそうで怖くて読んでいません・・・
性の商品化などについても興味を持っていますのでこれからもよろしくお願いします。
革命的法創造の営為
田島正樹氏のもう一つの論点は、法創造的営為の必要性である。
3)今般問題となってゐるのは、権力自体の機能不全・戦後処理をめぐっての問題解決能力の欠如・ならびにそれに伴ふ権力の権威の崩壊に、いかに対抗し、補填するのかといふことである。
それは、権力の空白を放置すれば、そこを必ず恣意的なマフィア的暴力が横領してきて、自然状態の荒廃を回帰させてしまふからである。この空白(法の203高地)をめぐってマフィア的暴力と革命的(法創造的)左翼が、常に陣地争ひをしてゐるのだといふことを自覚せねばならない。
http://alicia.zive.net/MT/mt-comments.cgi?entry_id=152
おおやにき: Comment on 法廷と手続的正義・続々々
既存の中立的制度を形式的に守っていこうとする、常識的に正しい態度は、「すでに右翼的なのである。」
むしろわれわれは「当面の政治状況が左右の敵対性に引き裂かれていることをすすんで承認」しなければならない。
「むしろこの視座からは、既存の制度の中に広がる空洞化・無政府状況に抗して、公共性を奪取し更新することによってのみ、それを保守し救済する事ができると考へられるのである。」
正義のために法を創造して行くべきであるという発想には力づけられる。
1/29の日記では、国境を越え民衆が自前で実力で審理の場を形成したという点を大きく評価した。どのような主体性、公開性、デュープロセスにおいて公開審理の場を作っていくべきなのか、わたしたちは本気で考える。考えられることはいろいろあるだろう。
南京事件とそれ以外
# bluefox014 『南京事件に関して勝谷誠彦氏が悪質な「印象操作」を行ったことを指摘したエントリーを作成しました。TB送りましたがうまく届いていないようなのでここにリンク貼ります(申し訳ありません)「勝谷誠彦氏はなぜこんな愚かな文章を書いたのか?」http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050303』
bluefox014さんはじめまして。
南京事件について何でプチウヨが発言したがるのか分かりませんね。30万が事実でなくとも多くを虐殺レイプしたのは事実なのに。そういうとまあすぐに、事実とは何か、お前見てきたんかという反応が返ってくる。かって広く受け入れられた「大東亜の大義」についてまじめに考えているとはとうてい思えません。
ところで、日本人にとって一番大事なことだったはずなのに下記のことが忘れられているような気がするのですが、どう思われますか。
(はてな内では、urlを記すだけでTBが勝手に送られますよ。)
脱北者は減っている
ちなみに下記によれば、中国内の脱北者は、現在は3万~5万人に減少したとのことだ。それでもまだ沢山のひとたちがいる。中国と北朝鮮が国境の自由往来を認めたとしたら、国境を越える人は爆発的に増加するだろう。ベルリンの壁の崩壊のようなことが起こって悪いはずがない。
EBRUARY 25, 2005 22:38 by 權順澤 (maypole@donga.com)
米国務省が、脱北者の現況と脱北者政策などに関する初の報告書を最近議会に提出していたことが、24日確認された。
昨年10月に施行された北朝鮮人権法の関連規定に従って作成された同報告書は、「中国内の脱北者は2000年には7万5000~12万5000人だったが、現在は3万~5万人に減少した」とし、「中国の東北部地域では、北朝鮮女性が人身売買の対象にされたり、性売買に従事しているという報告があった」と伝えた。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005022645508 donga.com [Japanese donga]
超国家的社会公共的価値
# index_home 『こっちにコメントをつけてよいか迷いましたがとりあえず…
hal44さんの「人権」は確かに「愛国心」よりも超国家的社会公共的価値として注目されていますね。二番煎じのようですが私も同意します。
いまだそれぞれの国家が自らに変わる枠組みとして認めきれていない(先進国でさえもその気配アリ。特にアメリカとか…)ことが一番の問題なのかもしれないと思います。』 (2005/03/27 08:58)
# swan_slab 『ちょっと関連することですが、例えば民主主義・人権を「超国家的社会公共的価値」と普遍性をみとめたのは戦後のことですが、それには功罪もあるように思えます。
先月、パリで所信表明演説を行ったライス国務長官は
「我々の責務は明確だ。我々は、自由の格差の中で正しい側に生きる者として、不幸にも誤った側に生まれた人々を救う義務を負う。」
と述べています。
また、フランスの哲学者のポール・リクールは、「他者の苦しみゆえの義務」という観念をみとめ、他国への人道的武力介入の正当化を模索します。
かつてフランス的価値の領土的拡大を目指したのがフランスの植民地主義だったとすれば、アメリカの世界戦略は、価値の普遍性の名の下に、相対化を阻害されているという印象ももちます。』 (2005/03/27 09:38)
出来事
今日はちょっとした出来事が二つあった。
「地獄の幽鬼」を見た
従軍慰安婦といっても色々なイメージがある。*1綾川亭さんが紹介しておられる水木しげるによるものが非常に印象的なので、引用させていただきたい。
なおこの日の綾川亭日乗に対して、賛否両論(ケンカ的)のコメントが付き、そのうちの一つが上記の「レイプ犯許すまじ」さんだということになる。
http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050114#p5
私に印象深いのは、水木しげる御大が兵士として見聞した話である。御大の従軍中の話は、御大自らが回想マンガとして折に触れて描かれているが、さらりと、実にさらりと、とんでもないものを提示されるから、読み手はびっくりだ。
南方の戦線である…熱帯のジャングルだそうである。その日本軍の陣営の中に、粗末な掘っ立て小屋が作られている…全容は細長く、中は小部屋で仕切られている。その一つ一つの部屋に女たちがいて、兵士とコトをいたしているわけだ。で、扉の外には兵士がずらりとならんで、順番を待っているんだそうである。御大は、とてもじゃないが並ぶ気にはなれず裏手の川に出たという。と、その時、若き一兵卒の御大は、「地獄の幽鬼」を見たのだという。
髪はボサボサ…衣はアカでむさくるしく汚れ果てたその「幽鬼」は川べりにしゃがみこむと、ぴゅーっと、尿とも便ともわからぬものを放っていったという………。
これが、南方戦線に送り込まれた従軍慰安婦の姿である。
*1:今年は、従軍慰安婦それ自体をまったく見ようとしない人々が多いみたいだが。
反普遍を求める日本
ハイネの生を受けた社会は、フランス革命の影響の強かった19世紀初頭の十年間においてすら、スピノザの十七世紀オランダの社会よりも遙かに遅れていたのである。*1
で二十一世紀の日本はどうかというと、スピノザの社会より遅れているとも言える。近代を通り越して超近代に至ったはずのわが日本でいくら何でも、という気もするのだが。
卒業式における君が代斉唱問題に出会い、ブログで他の方の体験とも交流できて考えを深めることができた。なぜいまごろ愛国心なのか。靖国参拝とシンクロする愛国心とは、戦前との連続性の強調でしかない。「生きて俘虜の辱めを受けず!」として国民を死に追いやったことへの反省がどこにもない。それでも何が何でも愛国心なのだと言う。何故かと言うと、それは結局日本にはそれしかないから、だろう。民衆の不安や空虚を埋めるべき宗教的なもの、日本にも神仏混淆を始め豊富な伝統があったのだが、教育勅語以後それを国家神道にむりやり統合してしまったため、豊富な水脈はほとんど失われてしまった。上からの国家統合のために、「民衆の不安や空虚を埋めるべきもの」を求めるものたちは愛国心(靖国的なもの)の復権だけを六十年間願い、多くの努力と金銭を掛け地道に努力してきた。それは成功した。
かわいそうな日本はどこへ行くのか。
*1:p40『非ユダヤ的ユダヤ人』I・ドイッチャー岩波新書1970年
天も地もあることなく、ただ虚空(おほそら)なり
大きな紙を用意する。その紙いっぱいに大きな円を書く。円の内側には何もない。その外側に、次のように書いてある。「此の輪の内は大虚空(おほそら)なり。」さらに小さな字で註釈「輪は仮に図(か)けるのみぞ。実に此の物ありとにはあらず、次なるも皆然り」
中庸の「三大考」は宇宙生成譚である。宇宙の始まりを第1図から第10図までで解き明かしそれに解説を加えている。大虚空(おほそら)があって他には何もなかった。
記に曰く
天地初発の時、於高天原成、神名は天之御中主神、次 高御産巣日神、次 神産巣日神、云々
此の時いまだ天も地もあることなく、すべてただ虚空(おほそら)なり。天と地の初めは此の次の文に見えたり。然るを天地初発の時と云るは、後より云る言にしてただ世の初めということなり。また高天原にとあるも、此の時いまだ高天原はあらざれども、この三柱の神の成り坐したる処、後に高天原となれる故に、後より如此(かく)云る語也。*1
「大虚空(おほそら)があって他には何もなかった」、それ以外は三柱の神が成った、だけだ。と云っている。「天も地もあることなく」とは空間がなかったということなのか、それとも大虚空(おほそら)とは空虚な空間なのか、などなど疑問が生じますがそれには答えず、虚空(おほそら)という一語から始まることが語られるだけです。
次に第二図。大きな円の真ん中に小さな円が描かれ、それは「一物」であるとされる。一物ってなんやねんというと書紀にあるみたいですね。
書紀に曰く「天地初判、一物在於虚中(おほそらに)、状貌(そのかたち)難言(いいがたし)」(同上)
第一図と第二図ほとんど同じなのですが第一図は大きな円のなかに、天之御中主神など三柱の神が三つの点で表示された図。第二図は大きな円の真ん中に一物があり、その上方に三つの点がある図。第一図では物はなく神だけ、第二図で物が小さく現れる。で次々に第十図まで展開していくのですがその展開の原理とは何か?と云えば。高御産巣日神、神産巣日神の<産霊(むすび)>(の力)によるわけです。でそれは尋常の理を以て測り知ることができるものではない。したがってこの天地の始めを、「太極、陰陽、乾坤などといふ理をもってかしこげに」あげつらうことは妄説、見当違いだ、ということになります。id:noharra:20050326#p2 でも書きました。
つまり、宇宙のすべてが、<産霊(むすび)の力>によって生成したのだなどとは記紀にはどこにも書いていない。テキスト主義者の筈の宣長がそこから逸脱して勝手に言いだしただけです。
「三大考」のポイントは、大虚空(おほそら)への注目にあります。書紀に「虚」という一字があるだけで注目されてこなかった、おほそらになぜ中庸は注目したか。西欧渡来の「地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる」説を知ったとき、記紀の冒頭とそれがシンクロし、おそらく中庸は激しく感動したのだと思う。
・・・
(続く)
*1:p257 日本思想体系50