報われない善意はない

 「報われない善意はない」というのは悪い意味で、である。金に困った人に金を貸してやったら、また金を借りに来る。疲れているのに仕方ないから愚痴を聞いてやったらそれから毎日のように電話が掛かってくる。そういうことがあるからわたしたちは日々善意を抑制しながら生きている。

 だが、募金はどうか。「恵まれない子どもたちのための募金」が呼び掛けられるとき、募金を募集している主体が誰か、その使途は何か、明確にされないことも多い。市役所、共同募金会、社会福祉協議会、テレビ局などが自己は説明するまでもなく絶対善だ、という前提で募金をつのる。募金者は自己の善意をそのまま、そのおおきな主体に委託する。千円を差し出せばそれはそのまま「恵まれない人たち」のもとに届くかのように説明され、わたしたちもそれ以上追求しない。

 ある人が「恵まれない」情況にあるとはどういうことか?それは彼/女のあり方にわたしたちの想像力が及びえないということではないのか。わたしたちの認識格子から抜け落ちてしまう存在が、恵まれない人々だろう。

「ユニセフによると、世界中で年間七十万人から四百万人が人身売買の犠牲になっており、そのうち、十八歳未満の子どもは百二十万人と推定されている。http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050107/mng_____tokuho__000.shtml 」

とネットの一部に書いてあっても、マスコミではそんなことは言わないのでわたしたちの認識の一部にはなりません。それは事実であって事実ではないのです。

 一般に「恵まれない人々」とは、色々な事情で私たちからの善意が直接届かない情況におかれていることによって恵まれないのだ、ということができる。そうすると上に書いたような募金に対する態度は笑止であることになる。

 被災者の姿に心を痛め何かしたいのなら、まず自己責任で募金先を選ぶことから始めるべきだろう。

 そしてちゃんとした募金先であれば、情報を知らせるメールが場合によっては読み切れないほど来る。(郵送の場合はもちろんメールほど沢山こないがそれでも数年にわたって来ることがある。)

 ニンジャさんの場合は、1/8から1/15の間に、けっこう長いメールが12通来た。*1

 正しい、正しすぎるメールが沢山来るのも迷惑と感じる人も多かろう。noharraはそれを正しいとして募金したのだから迷惑と感じるのはおかしいのだが、限りあるリソースを割かなければならないという点では「友達の愚痴を聞く」場合と同じだ。ただ友だちは近くにいるが、海外の被災者は(いない)(いない場所にいる)、というだけの違いだ。たった、五百円の募金でも関係はそれなりに成立する。関係が幽かであることに苛立ってそれを断ってしまってはならない。

*1:■スマトラ沖地震:アチェ被災者への義捐金のお願い インドネシア民主化支援ネットワーク  ◇義捐金のお振込先 郵便振替口座 00190-8-76398 アチェ人道支援キャンペーン にいくらか振り込んでそこにメールアドレスを汚い字で書き込んだら。「参加を希望される場合は、以下のURLをクリックしてください。」という参加確認確認メールが来て、クリックしたら。

<<<金正日有罪>>>

わたしは以下の要求項目について基本的に賛成する。反論のある方は言ってください。

 それでは現日本政府は、旧日本国の継承政権としてこの国家責任についてどのように履行しなければならないのか。要求事項について何点か述べさせていただきます。

 まず、日本政府は軍性奴隷制に関する真相を徹底的に調査し、全貌を公開しなければなりません。さきに申し上げたように、「慰安婦」の総数、国別人数、慰安所設置地域と慰安所の名称、その管理者、「慰安婦」の処理情況を含めて公開しなければならないと主張します。

 次に、日本政府は軍性奴隷制に対する法的責任を認め、すべての被害者に対して正式な謝罪をしなければなりません。この謝罪はただの言葉だけではなく、十分な賠償をともなう謝罪でなければなりませんし、また、ある招請された人物が適当な機会に一言一言ことばで述べるだけの謝罪ではなく、国会決議や政府声明、あるいは条約のような文書のかたちで記録され公けにされなければなりません。

 三つ目には、日本政府は性奴隷制に対する十分な国家賠償をしなければなりません。周知のように加害者が被害者に補償するのは一般的原理であり国際法上の要求であります。日本は加害国として被害者にかならず補償しなければなりません。この補償は民間基金のような民間団体が募金したお金ではなく、国庫金で、国家の名で被害者に対する賠償がなされなければならないと、私は主張するものであります。〔場内拍手〕

 またこの補償は生存被害女性のみならず、すでに死亡した被害者の遺族にも正式に支給されなければならないと主張します。

 四つ目に、日本政府は軍「慰安婦」生活を強要された被害女性たちの尊厳を再び損なうような行為を徹底的に根絶するための措置を講じなければなりません。現在日本の一部の右翼勢力は、軍「慰安婦」たちを「売春婦」だとか金儲けのために性行為をしたと言って、彼女たちの大切な尊厳と名誉を再び損なう妄言を吐いています。日本政府はこれらを黙認しており、なんら防止策をとっていません。日本政府は、これらに対し真剣な態度で真剣に深く検討し、日本で、日本の右翼勢力から、こうした発言が出ないように実践的で実質的な防止措置を講じなければなりません。〔場内拍手〕

 五つ目に日本政府は、世界各地をすべて調査し、犠牲になったすべての被害者の遺骨を彼女たちの故郷や彼女たちの親族が住んでいる土地に、丁重に葬るべきです。また今日の証言で明らかになったように、河床淑ハルモニをはじめとする被害者たちが、未だに中国、日本、カンボジア、南部サハリンなどで暮らしています。日本政府は彼女たちの要求を聞き帰国させるか、あるいは祖国訪問を実現するための措置を講じなければなりません。

 六番目に日本政府は、軍性奴隷制を謀議、計画、実現、執行した者に対して刑事処罰を加えなければなりません。ここで、生存者たちには正式な法廷に出頭させ該当する処罰をし、あるいは特別法廷をつくって処罰するように国内での措置が講じられなければなりません。死亡した者たちに対しては、死んでしまったが、彼らに対しても本法廷の名前で刑事処罰を加えることによって、あらゆる人々に罪を犯せば生きていても死んでしまっても、必ず刑罰を受けるという歴史の教訓を残すようにしなければなりません。〔場内拍手〕

 最後に、日本政府は歴史教科書改悪策動や他のさまざまな策動によって、過去の軍「慰安婦」生活に関する問題を歴史の陰に隠してしまおうという策略を行なっており、また、それを歪曲したり否定したりして、今後も伝えられないようにしています。日本政府はこれらに対して深く反省し、教科書をはじめとするあらゆる書籍に事実をそのまま記述し、社会教育と学枚教育をとおして、日本人がこうした過去についてよく知るようにしなければなりません。日本政府は博物館や文書保管所のような記録保管所をつくり、当時の資料、被害状況の証言などすべての記録を保管し、だれもが閲覧できるようにし、日本の過去の罪が二度と日本というこの土地から起こらないよう、十分な注意を払わなければなりません。

 私は北と南の共同検事団の一員として、以上の責任履行を本法廷の名において日本政府に強く促すことを要求します。〔場内拍手〕

p88-90『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』isbn:4846102068 より

発言者は誰か?

   鄭南用検事

尊敬する判事の皆さん。私は朝鮮民主主義人民共和国検事の鄭南用です。

 多くの日本人はこの朝鮮民主主義人民共和国という形容詞を聞き、一斉に安堵し叫びはじめるだろう。

お前に言われたくないわ!!

 日本人の安堵に合流したくないのだが、この批判は受け入れるべきではないだろうか。

1)北朝鮮による拉致問題は、日本では近年横田めぐみを象徴とすることで排外主義的熱狂をよんでいる。しかし本来、韓国にはもっと多くの被害者がおり、また中東にも被害者がいたという国際的広がりを持った問題である。(韓国による拉致もあったのか?)

2)10万人以上いるのではと言われている中国に脱北した者たちは、中国当局によって難民と認められず、日々送還におびえながら悪い条件で暮らしている。

3)日本から北朝鮮へ「帰国」した9万3千人の在日朝鮮人(一部日本国籍保持者も含む)とその家族は、日本との自由な往来を認められないだけでなく、北朝鮮国内でも差別を受けていると言われている。

4)そしてなにより、人類史における最悪の人間虐待と糾弾されるべき政治犯収容所などの収容所の存在。参考:http://homepage1.nifty.com/northkorea/nkcamp.htm

これらの問題について、北人民共和国政府は

<真相を徹底的に調査>をすべきであるし、

<すべての被害者に対して正式な謝罪を>なすべきである。

 帰国者を含む市民の国内移動と海外渡航の自由を認めるべきである。

収容所他の抑圧を<謀議、計画、実現、執行した者に対して刑事処罰を加えなければなりません。>これは当然、「金正日有罪」という判決を含むものになるでしょう。

それより先に、まず現在行っている不法行為を中止し収容者を解放し、彼らが暮らしていける最低限の補償を与えるべきである。

わたしたちは検事に成り、上記のような判決を求めて新しい民衆法廷を提起し実施していくべきではないか。

 そのとき「とても文字になどできない下劣で最低最悪の暴言を」「慰安婦」たちに浴びせつづける右翼?たち、と<わたしたち>との関係はどうなるか?法廷がただのリンチの場にならないようわたしたちは法廷の場を守りきらないとならないだろう。

鄭南用検事の演説(言説)の格調の高さは肯定されるべきだと思う。したがってそれを受けて次の告発が成立することも、拒否できない。

金正日有罪を言うことは、日本のレイシズムに加担することだと一部の左翼は言う。だが、<右翼/左翼>あるいは<日本/韓国朝鮮・中国>という二項対立で世界は判断できない。民衆の一部はいつも国家の隙間からこぼれ落ちどちらの側からも見捨てられるのだ。そうした見捨てられた側、見えない人間を可視化しようとすることに正義があるという信念が、女性国際戦犯法廷の根拠であろう。したがって金正日に対する告発をためらってはならないと思う。

(わたしは戦犯法廷の主催者の側にシンパシーを持ち援護しようというベクトルでこの本を読み始めた。だからこんなことを書くのは予定外である。)

(1/28朝10時半 掲載)

3/10と8/15のあいだに

 3/2のコメント欄から。

id:bluefox014 『>nohharaさん

東京には東京大空襲を記憶する平和公園も都営・国営の博物館も存在しない、という事実がなにかを象徴していると想います。土地がないわけではなく、例えばまさに空襲の現場だった両国国技館の横に東京都の土地がありますが、そこには江戸東京博物館のでっかい建物が建っています。TBの方法のご教授有り難うございます。』 (2005/03/08 03:04)

id:index_home 『コメントにお返事いただきありがとうございます。さらにコメントするのはここで良いのでしょうか?

>被害者だったという圧倒的実感が忘れさられたので、最近のような平板な排外主義がはやっているのでは? と思いました。

これは、私も同じように感じます。こちらで書かせていただいた被害と加害の受け止め方については、id:index_home:20050310#p2でも少し書かせていただいております。(勝手ながら、一応トラックバックもさせていただきました)

>南の島で本当の地獄を味わったひとの体験は、内地の人に伝えられなかった。責任追求が必要だったとやはり思います。

同感です。』 (2005/03/11 16:10)

たてまえとしての反戦平和主義を隠れ蓑にして、「戦争がいけなかった」として8/15までの大小の権力の責任を詳細に検討していく営為をネグレクトしてきました、戦後日本は。「15年戦争ともいわれる戦争のすべてが悪だった」という史観を仮に否定するとすれば、次にどう考えるのか。

 普通に考えれば、もはやどんな反撃もできなくなっていた3/10東京大空襲の時点で戦争は止めるべきだった。そうしなかった責任を日本人は追及確認してこなかった。そして、自衛隊海外派遣の後もそうした歯止め抜きでナルシズムにふけりたいひとの方が多いみたいですね。

 「(対アジア)排外主義」を昂進させ取り返しのつかないところまで行く->「アメリカ」を敵に据え直し「アジアの大義」の原則に立ち返る(つじつまがあったのでほっとする)->世界中を敵に回し敗北する。。このサイクルを繰り返すのでしょうか?

本居宣長の神(迦微)概念(その1)

本居宣長の二つの神概念について書きます。

まず一つは、なんでもありの神 です。

「天地初発の時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神。」というのが古事記の冒頭です。「天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。」(天はアマと訓(よ)めとかいてある)という漢字ばかりのが本来です。

この「神名」という二字について本居宣長(1730-1801)は『古事記伝・三巻』で長々と註釈する。

神名はカミノミナハ*1と訓べきことも、首巻に云り、カミ(迦微)と申す名の義(こころ)は未だ思い得ず、【旧く説けることども皆あたらず、】*2

神という漢字にはもちろん意味がある。宣長が云っているのは、「神という漢字」の意味でこの神を解釈してはいけない、ということだ。「かみ」という和語があった、本来の意味は分からない、だが中国からきた「神」とは当然違った意味を持った別の言葉だったはずだ、というのが宣長の立場。旧説、「上」や「鏡」から説明するなどは全部違っていると。

さて凡そ、カミ(迦微)とは、古御典などに見えたる天地の諸々の神たちを始めて、それを祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい海山など、その余(ほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物をカミ(迦微)とは云うなり、

【すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさを)しきことなどの、優れたるのみを云うに非ず、悪しきもの奇(あや)しきものなどにも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云うなり、さて、人の中の神は、先ずかけまくもかしこき天皇は、御世々々みな神に坐すこと、申すもさらなり、其は遠(とほ)つ神とも申して、凡人(ただびと)とは遙に遠く、尊く可畏(かしこ)く坐しますが故なり、*3

(略)】

鳥獣木草のたぐい海山など何でも神でありうる、また価値的にも優れたるだけを云うわけではない、悪やあるいは奇(あや)しきものよく分からないものである場合もある、というわけですね。基本的には天の神を神と云い、人の霊は鬼と云う中国での用例とは全然違います。明治以降の日本は古事記の読み方を始めとして、宣長から非常に大きな物を受け継いでいるのですが、さすがにこの神の定義だけは違います。キリスト教の絶対唯一神を規範として受け入れてしまった(無意識のうちにも)ため、鳥獣木草のたぐいはともかく、悪やあるいは奇(あや)しきものについては非常に抑圧的にしか語られなくなったのではないでしょうか。

抑(そもそも)カミ(迦微)はかくの如く種々(くさぐさ)にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり、弱きもあり、善きもあり、悪きもありて、心も行(しわざ)もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、

大かた一むきに定めては論(い)ひがたき物になむありける、

まして善きも悪しきも、いと尊くすぐれたる神たちの御うへに至りては、いともいとも妙(たへ)に霊(あやし)く奇(くす)しくなむ坐(し)ませば、さらに人の小さき智(さとり)以て、其の理などちへのひとへも、測り知らるべきわざに非ず、ただ其の尊きをたふとみ、可畏(かしこ)きを畏(かしこ)みてぞあるべき、

最も賤しい神の中には徳が少なくて凡人に負けるものさえいる。かの狐なんかも怪しきわざをなす、つまり「まことに神なれども」、いつもは微(いやし)き獣にすぎない。だけどそうした「いと賤しき神」ばかりを見て、「いかなる神といえども理を以て向かうには可畏(かしこ)きこと無しと思ふは、」「ひがごとなり(間違いだ)」と断じられる。

つまりここで宣長は神の本質については論じていない。というより神とはこういうものだと一定に定めて論じること自体に反対している。人の智には限りがあって、「まことの理はえしらぬものなれば」、というのが宣長の強調するところ。カミは当然人智を越えたものであり、人から見た正邪の区別からも自由である。その本質はどうだとか論じる事自体が不当である、と。言われてみれば理屈ではある。

 世界や神を「理」とか「道」とか中国起源の形而上学カテゴリーで云々しても結局そうした理学の範疇論からでることはできない。お狐さんも神ですよと言えば滑稽なようだが、それでも目の前の狐一匹でさえ持っている不可思議というものを無化してしまう理学の暴力的裁断だ、と儒者の「さかしら」を攻撃するわけですね。これはこれでまあ面白いとも思えます。

(全然纏まりませんが、その2へ続く。)

*1:万葉仮名で書いてありルビが振ってあるが万葉仮名は省略

*2:『古事記伝』岩波文庫 p172

*3:だいたいこんな感じですが正確な引用ではありません

手紙を渡したら秩序が崩壊する

# BUNTEN 『日の丸君が代の方が後から追加された条件で、しかも業務命令で強制してるわけですから、言い換えれば都の方が「難癖つけて式典をぶち壊す」あるいは「思想ふりかざしてゴネ」てるように私には見えています。』 (2005/04/04 22:12)

# FAZZ 『BUNTENさん、私が大阪で小、中学生だった頃(もう20年以上前ですが)は普通に壇上に日の丸があり、君が代を歌っていました。それを排斥したのが日教組です、難癖つけてきたのは日教組が先で、都はそれを以前の状態に戻そうとしてるだけです。』 (2005/04/04 22:59)

# KMR 『えーと、fantomeyeさんの発言の「難癖つけて式典をぶち壊す大人のほうがよほど迷惑です。」についてですが、個人的にはazamikoさんのやろうとした行為は式典をぶち壊そうとしたものに他ならないと思うのですが?

校長らが阻止した結果、ぶち壊れはしなかったものの、だからといって「、「式典をぶち壊す」なんてことをした(できた)人は一人もいないです。」などという反論が有効になるとは思えませんが。

もし仮に、azamikoさんの行動が最後まで実行されたとして、結果式典が混乱し崩壊したら、どう思われのでしょうか?

まさか校長らに責任をなすりつけるおつもりでしょうか?』 (2005/04/04 23:39)

# foursue 『荒れすぎ、建設的に話しましょう。』 (2005/04/05 01:16)

noharra 『KMRさんへ。

校長らが阻止しなければ、卒業式がぶち壊れただろう。とはどういう想像力の暴走でしょうか。理解不能です。azamikoさんは手紙を渡たすことができた。それで終わりでしょう。』 (2005/04/05 21:30)

# KMR 『どうして手紙を渡せると思うのでしょうかね?

直接教師宅に郵送すればすむものを、わざわざ学校に押しかけて渡そうとする行為にどんな正当性があるのでしょうか。

校長の立場としては認めるはずも無いですし、無理に渡そうとするなら実際に警察を呼んでいたでしょう。

で、そうなればこの事件は公になり、マスコミの手で報道される可能性は充分に考えられます。

その場合、実際の式典にマスコミの取材が来ることも予想できますし、あるいは報道を見た活動家がさらに押しかけてくることもあり得るでしょう。

式典が崩壊とまでは行かなくても、騒動に巻き込まれる可能性はあったと思いますが?』 (2005/04/05 23:16)

# 十条 『>KMRさん

なんで校長は警察を呼ぶのでしょう…呼ばねばならないような状況とは思えないのですが。いいじゃないですか手紙渡すくらい。手紙を渡したら秩序が崩壊する、だから警察を呼ぶ、なんて考えていたら本気でアホみたい。

なんかさ、大げさに騒ぎすぎ。その「大げさ化」の有様がこっけいに思えてならないです。』 (2005/04/06 04:21)

noharra 『「校長の立場としては認めるはずも無い」? 校長は認めるべきでない、とは主張しないのですね。

「式典が崩壊とまでは行かなくても、騒動に巻き込まれる可能性はあった」。校長が認めていた場合にそうなる可能性はどのくらいですか?』 (2005/04/06 06:09)

日本の第一神は?

 古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、溟(ほのか)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。其れ清陽(すみあきらか)なるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と為り、重濁(おもくにご)れるものは、淹帯(つつ)ゐて地(つち)と為るに及びて、精妙(くはしくたへ)なるが合へるは摶(むらが)り易く、重濁れるが凝(こ)りたるは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天先(ま)づ成りて地後(のち)に定(さだま)る。然して後に、神聖(かみ)、其の中に生(あ)れます。故曰はく、開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壌(くにつち)の浮(うか)れ漂へること、譬(たと)へば、游魚(あそぶいを)の水上(みづのうへ)に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便(すなは)ち神と化為(な)る。

http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/hinomotonokakisirusi/tenntikaibyaku.html 第一段 神代七代章 天地開闢

(コピペさせていただきました。記して感謝します。)

こちらは日本書紀です。古事記の場合、1.天之御中主が登場する前には、「天地初發之時 於高天原成神名」とたった13字しかないのに対し書記は前置きが長く荘重。ところで登場する神の名は1.天之御中主ではない。

葦牙(あしかび)の如し、として登場するので、4.宇摩志阿斯訶備比古遲がふさわしいようにも思われるがそれでもない。じつは

6.国之常立神 です。つぎに、(まだ表を作っていない)

62.国之狭土の神=国狭槌尊(くにさつちのみこと)。つぎに、

7.豊雲野神=豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

この3神が「凡(すべ)て三(みはしら)の神ます。乾道独化(あめのみちひとりな)す。」とされる。

したがってここで、倭の主神は誰か?という問いに3つの答えがありうる。

1.天之御中主神。(あめのみなかぬしのかみ)

4.宇摩志阿斯訶備比古遲神。(うましあしかびひこぢのかみ)

6.国之常立神。(くにのとこたちのかみ)

 ところで一方、宣長によれば、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050326#p2

「この天地も諸神も万物も、みなことごとく其の本は、高皇産霊(たかみむすび)神、神皇産霊(かみむすび)神、と申す二神の、産霊(むすび)のみたまと申す物によりて、成出(なりいで)来たる物にして」ですから、下記こそが主神であることになる。

2.高御産巣日神。(たかみむすびのかみ)

3.神産巣日神。(かむむすびのかみ)

 ふーむ、4つの内のどれが正しいのか。宇摩志阿斯訶備比古遲がわたしのひいきなのだが・・・

dempaxさんが考えてくださった

# dempax 『http://d.hatena.ne.jp/dempax/20050510 で≪1000人の小人≫問題を考えてみました. 御検討頂き度.』 (2005/05/10 23:56)

dempaxさん どうもありがとうございます。

dempaxさんの解法の方が分かりやすくクールですね。

ところが、ガーン!

答えが違うので、考えてみるとやはりわたしが間違っていた。

例えば最初の人数が13人の場合。

dempaxさんの考えでは、2のn乗(この場合8)にするために5を引く。

つまり2,4,6,8,10,と消して、その時点の先頭「11」が答えになる。

わたしの作ったフォームでは(答えだけ書くと)「3」となる。3は2進法で「011」。11は「1011」で4桁目が違う!

どうも間違いばかりですみません。orz(平身低頭)。

(5/11 20:06)

「心の中の光と影」

藤原定家は1162-1241。

もう3首貼ってみよう。

宿ごとにこころぞみゆるまとゐする花の都のやよひきさらぎ

定家には珍しい庶民的雰囲気の歌。まとゐ=まどゐ(円居)で団欒。家ごとのさざめきの雰囲気の違いを肯定的に歌っている。

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫(新古420)

「さむしろに衣片敷き今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫」が本歌。夜がふける、衣を敷くはずなのに、定家では一見「風がふけ」たり「月を敷」いたりしてるように読め、難解になっている。邦雄によれば「肩すかしともいふべき修辞の妙」だというのだがそんなものなのかね。邦雄の読みでは、わたし(女)が男を待つがいつまで経っても男は来ないという歌。宇治の橋姫とは「宇治の里橋のあそび女」となっている。*1

わすれじよ月もあはれと思い出でよわが身の後の行く末のあき

我が死の後の行く末を、月よ、哀れと記憶に留めよ!という強い命令の歌。「これは景色としての月から遠く隔たった一種の呪物と化し、死後の世界まで照らし出すようなすさまじい光となってゐる。(邦雄)」戦争で(例えば異国の山河で)死ぬ前の晩に月が異様に照っていたといった情況を思い浮かべることもできる。

*1:p94『定家百首』