高校生は性行為すべきでない

性教育について議論している中教審の専門部会は14日までに、高校生以下の子どもの性行為を容認すべきではないとする立場に立って性教育の指導をすることで一致した。中教審が子どもの性行為を許容しないとする基本方針を示すのは初めて。

(略)

文部科学省の学校健康教育課は「性行為を一切禁止するものではないが、性教育をする前提として、性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」としている。

専門部会は、高校卒業時点で身に付けているべき性教育の内容を議論。性行為について「子どもたちは社会的責任が取れない存在で、性感染症を防ぐ観点からも容認すべきではない」とした。

高校以下の性行為容認せず 中教審が基本方針 – 共同通信

http://d.hatena.ne.jp/kitano/20050718/p1 より

「性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」といった教師の側の主観的道徳的価値観を先立てて性教育を行おうとしても、有効ではない。そんなことは明らかだと思う。

「性行為を容認しないことを基本スタンスにしたい」を受け入れる形で日本社会は進んでいくのだろうか? 戦後日本が性行為に寛容だったことは、<武器を持ち人を殺すことをためらわない兵士になる>ことを強く否定したことと関係がある、と考えることもできる。ブッショの戦争*1を支えるための安物の宗教=道徳が、このような形で日本に上陸し社会を変えようとしている。

*1:大東亜の大義に反する

旧日本軍の人体実験

旧日本軍の人体実験、外国人犠牲者のリスト見つかる

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戦時中に旧日本軍に逮捕された後、関東憲兵司令部から731部隊に特別移送され、細菌を使った人体実験の犠牲となった外国人(「特移扱い」と呼ばれ

た)22人の名簿と資料が1日、中国の歴史研究者によって初めて公表された。犠牲者は旧ソ連の兵士やスパイ、旧ソ連のために活動していた朝鮮人スパイな

どで、旧ソ連人15人、朝鮮人6人。

名簿と資料は、旧日本軍が未廃棄のまま残し、黒竜江省・吉林省の資料館や中央の資料館に保存されていた日本語書類の中から見つかった。書類は関東憲

兵司令部司令官が署名発行したもので、外国人犠牲者の氏名・性別・年齢・本籍地・職業・身分・当時の住所・逮捕地点とその理由、各憲兵隊長による「特移

扱い」伺い、関東憲兵司令官による承認番号などのデータが、比較的完全な形で残っている。(編集NA)

「人民網日本語版」2005年8月2日

http://j.people.com.cn/2005/08/02/jp20050802_52290.html

太初に日神があって、

イザナキ、イザナミが国生みをしたのは天神の命を受けてであるという要素は、古事記と日本書紀の一書一に出てくる。

これは新しい追加要素だと思う人もいるかも知れない。けれども、このような要素は沖縄の創造型神話にもあるのだ。

p75 大林太良『日本神話の起源』徳間文庫 1990年

オモロ「昔始めからのふし」に、次のような話があるという。

 太初に日神があって、伏して下界を見ると、島のようなものがあったので、アマミキヨ、シネリキヨの二神に詔して、これを治めしめることにした。二神は天降って数々の島をつくり、日神はさらに詔して、そこに天つ民をつくらずに国つ民をつくらせた。(同上)

次に、新井白石は次のようなアイヌ神話を記録している、ということのようだ。

 蝦夷島の世のはじめに、老夫婦が来たり住み、食物が乏しいので苦しんでいた。夢に神が現れ、二人に、これをもって海をかきさぐって食物を獲よと教えた。目が覚めて、かたわらをみると、舟のかいがあった。教えに従って、それで海をさぐると、白く泡立つ下から魚がかずかず浮かび出たので、捕らえて食物としたのが始まりで、今の世までその魚が主な食料となった。ニシンがそれである。老夫婦の子孫がふえて、今日のエゾが島の人々になり、二人はその住んでいた江刺の地に神としてまつられ、老夫を恵比須といい、老婦を姥の神という。

(p76 同上)

アイヌ神話とはいっても、これは日本から入ったものだろう。「日本のオノゴロジマ神話の異伝あるいは派生物とみられる。というのが大林さんの見解。生活苦のリアルさみたいな話になっているのは作られた時代が新しいからだろうか、興味深い。

於是天神諸命以(天神の命を以て)

二神が 立天浮橋而 指下其沼矛以畫者 鹽許袁呂許袁呂迩畫鳴而 引上時、 自其矛末垂落之鹽累積 成嶋。是淤能碁呂嶋。

つまり、この三つの話においてはいずれも、「天神」とそれに命じられる神との関係は存在する。だが「海をかき回して」「島を作る」の、前半だけはアイヌにあるが、後半は古事記にしかない、ということになります。

もう一つの「女王の教室」

「女王の教室」終わりました。ちゃんと見てないけど。面白かったんですが、結論は新自由主義かい! みたいな思いもあり・・・

ところで、田島先生は、かっこいいね!

http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50073630.html ララビアータ:希望

 経験のある人には実感できると思うが、ホームパーティをうまく主催するためには、ある種「女性的」といってもいいような高次の感覚が必要となる。多方面に注意を張り巡らし、パーティに出ているどの人にも疎外感を感じさせず、それぞれの持ち味を引き出すように、さりげなくエンカレジせねばならない(これは、多くの皿を回し続ける皿回しの技にちょっと似ている)。どの参加者にも、内に引きこもっているよりも、自己を(できればエレガントに)表現するほうが楽しいという気分になってもらわねばならない。また、参加者のつたない自己表現からも、その最も面白く美しい部分を掬い取り、そこに光をあてるような上演をせねばならない。知らず知らずに自己(のより美しい部分)を表現し、受け入れられ、また受け入れられたことに気付いて、あるいはそうした新しい自分に気付いて、帰途に着いてもらうようにせねばならないのである。

オペラ座の正面階段を上るにつれて、心の中が音楽の予感に、シャンペンのように泡立つ――そのような祝祭的気分がかもし出されなければ、とても社交とは言えない。(同上)

(引用しなかった部分に「女王の教室」を思わせる部分が有ったのです。)

君主の責任

君仁莫不仁、君義莫不義、君正莫不正。

(『孟子・離婁章句上』p49岩波文庫版下)

君主さえ仁愛が深ければ国じゅうみな仁愛が深くなり、君主さえ義を重んじれば国じゅうみな義を重んじるようになり、君主さえ正しければ国じゅうみな正しくならないものはない。

原文   http://chinese.pku.edu.cn/david/mengzi.html

日本語訳 http://www.h3.dion.ne.jp/~china/book8-2.html#16

君主を評価するという発想が、儒教の中には脈々と流れていたことが分かります。「天皇は神聖にして侵すべからず」に始まる国家無答責の思想が、東洋の伝統ではないということが。

戦争がなくなればそれでいい

禍津日神も戦争を憎んで、それを去らなければ戦争を下されるが、それは善人に戦争を下す神さまではない。戦争を承知しない神様である。戦争がなくなればそれでいいという神様である。ここに戦争を祓うことが可能になるべき道理がある。(略)

それが私の見た所に於いての平田先生の神道の神髄である。

(p98山田孝雄『平田篤胤』畝傍書房 昭和17年)

これは嘘です。山田孝雄はこんなこと書いていません。「禍」と「穢れ」を戦争に置き換えてみました。

 憲法9条の絶対平和主義を馬鹿馬鹿しいと今頃はみんな言うが、それはそうかもしれない。でも、<日本の伝統>に副ってないこともないのである。

憲法9条は<近代の超克>のヴァージョンアップ、いや戦争に負けたのだからヴァージョンダウンか?まあどちらにしても<近代の超克>の変種と理解しうる。憲法改正は<近代の超克>をさらに超克するといった形でしかなされえない、と思う。思想的に露骨に後退するようなことをするのは有害無益だろう。わたしは憲法9条が絶対だとも正義だとも思っていない。だが今時語られている改正案は程度が低すぎると思う。

だいたい、長い長い日本の歴史の中で最も優雅さから遠かった昭和の20年間に郷愁を持つとは、DV依存の変態か!

切断と現前のマジック

 どんなことでも、我ながら「すらすらと平気に」どんどん出来てしまうのは幸せなことだし、そこに“ある真実”があることも疑えない。しかるに、上記折口の文章ではそのことに対し「不思議に思う」とされている。

 凡庸な解釈では、行為する自己/意識する自己 の対立において後者の優位を信じるのは愚か、ということになるのだが、ここでは置いて、折口に従う。

 「上つ代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も上つ代、後の代は、意(こころ)も事(こと)も言(ことば)も後の代」と宣長は言った。*1そうだとすると、わたしたちは現代人でしかありえず、古は理解しえないことになる。しかし宣長の主張はそうではなく、古事記は「いささかもさかしらを加えずて古より言い伝えたるままに記されたれば、その意も事も言も相かなって皆上代の実(まこと)なり。」わたしたちが求めている真実はすでにここ(古事記)に「古の語言(ことば)」として在る!「上つ代の言の文(あや)も、いと美麗しきものをや」!

 宣長は上つ代を後の代から切断しながら、古事記に感動する宣長という回路だけに於いては、古はいままさに現前すると考えた。単に理解できるだけはなく現前し感動を与えるのだ。*2

 宣長による切断と現前のマジックは、弟子たちにはもはや何のパラドクスとも感じられず、だたただ古言(伝統)が勉強され研究されつづける。その流れの中で、万葉が「すらすらと平気に」読めるようになってきたのだ。

「すらすらと平気に」のまっただ中で、ひとはそれに異和を感じることはできないはずだ。なぜ折口だけが「なぜこんなに、すらすらと平気に」という疑問符を提出することができたのだろうか。

*1http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040913#p1

*2:この<感動>が現在の靖国問題にまでつながってきた。

数分他人のブログを読んで分かる!こと

ネットでちょろちょろ、数分他人のブログを読んだくらいでなーにも分かるはずないだろ、という罵倒には十分根拠がある。

しかしその逆の面だってあるのではないか、という提起

noharra 『 そうですね。Panzaさんのいわれる通りですね。「その言葉を使っちゃいけないのか?」と問いを立てると議論になり、使う側には使うだけの理由があり紛糾してしまう。そうではなく、ただの感情論ではなく力を持った(おおげさに言えば関係の絶対性からの声に近い)発言には素直になるという態度を学びたいと思います。

「だから初めてブログを数分読んだからと言って何が分かるものでもない。」というのもまあ半分は嘘。1分でも数分でも、インターネット越しでも、かなり微妙な問題も分かってしまうことはあるものですから。

 CLさんへ。 わたしは根が無作法者なんですが、(良い方に)誤解してもらっているようですので、これ以上言いません。まあぼちぼちよろしく。』(2005/12/07 21:26)

mojimoji 『何か、一発で分かってしまうこと、ってありますよね。何かが「十分に」分かったということではないのですが、しかし、分かってなかったことを発見させられて、認識枠組が大きく変化するのを感じるというか。そういう瞬間。

自立生活してる重度障害者に初めて遭遇したときもそうでしたが、sidoさん(とその近くにいらっしゃる施設出身者の人たち)のブログを見たときにも、何かが物凄い勢いで分かった感じがしました。スゴイですよね。』(2005/12/07 23:27)

noharra 『mojimojiさん

 sidoさんたちのブログを(アンテナを通して)紹介してくれてありがとう。

「何かが物凄い勢いで分かった感じがしました。スゴイですよね。」とわたしも語れるようになりたいと思います。彼らのブログの(向こうにある/なかにある)現実はあまりに重い。だが(わたしの力量には余りに重い)と結局のところ切り捨てるのではなく、「分かる」というその思いを大事にすべきなのでしょう。

CLさんもここだけで分かったとか言ってないで、読んでください。彎曲を覚悟しなければ触れられない真実がそこにあるかもしれないから。』(2005/12/08 06:02)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/comment?date=20051203#c

コメント欄より

4/9 日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、

ebizoh ebizoh 『サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、日本人として哀悼の意を表します。

しかし、彼女に国民基金(亜細亜女性基金のこと?)の受け取り拒否を唆した者は、おそらく自己の政治的主張の道具としてしか彼女を見ていなかったのでしょう。日本がフィリピンと請求権処理の条約を結んだ当時は、今後戦争に関わる被害が新たに明らかになっても、フィリピン政府が日本から得た賠償金を原資として対処するという合意内容を含んでいたのですから、国際法の少数説のロジックに依拠して日本政府の国家賠償を求めるべきという無理筋の要求が通るかのような甘言を弄して、フィリピン人にとっては大金のはずの基金の受け取りを拒否させるとは、そう唆した者は無慈悲で非道な政治的動物ですね。』 (2007/04/09 06:35)

noharra noharra 『ebizohさん 数週間に渡る応答の遅れすみません。

>>>サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、日本人として哀悼の意を表します。

この文章は実際にその人の遺族の前で発言することができないおかしな文章ですね。

あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持っています。にもかかわらずあなたは「哀悼の意」を表明した。これはサリノグさんとの1対1の関係に立ったということです。

その上であなたは「サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら」、と書き、サリノグ証言には疑問の余地があると(死んだ)彼女の前で述べています。

「サリノグ証言に疑問の余地がある」とあなたが判断する根拠は何ですか?

あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持ってたのにかかわらず、なぜ死んでまで彼女の名誉毀損を行為するのですか?』 (2007/04/09 07:33)

ebizoh ebizoh 『>野原さん

>数週間に渡る応答の遅れすみません。

いいえ。気にしておりません。

野原さんも他事や病気があったようですし、私もノーモア氏や永井和教授ご本人?との議論以外に余暇に使える時間はほとんど残っていませんでした。

また、今日の10時から始業ですので、私の方も、今後の応答はかなり後になってからになるかもしれません。

ただ、野原さんやノーモアさんと喧嘩したおかげで、永井和教授ご本人?との知的に高いレベルでの対話の機会をもてたことには、お二人に感謝せねばならないとも思っております。

>この文章は実際にその人の遺族の前で発言することができないおかしな文章ですね。

もちろん、遺族の前で哀悼の意を表するとしたら、何も限定を付けずに単なる死に対しての哀悼のみを表するか、サリノグさんが真実の犠牲者との確信を持っていた場合にその旨を表するかどちらかでしょう。上記文章は、単に事実を確定し得ない一人の日本人が一人のフィリピン人に対して表した意見にすぎません。

>あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持っています。にもかかわらずあなたは「哀悼の意」を表明した。これはサリノグさんとの1対1の関係に立ったということです。

あくまで、サリノグさんと私の1対1の関係だからこそ言える言葉です。

>その上であなたは「サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら」、と書き、サリノグ証言には疑問の余地があると(死んだ)彼女の前で述べています。

「サリノグ証言に疑問の余地がある」とあなたが判断する根拠は何ですか?

疑問の余地があると述べているのではなく、事実を確定しえずその権限も持たない一個人としての立場の表明ですね。

>あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持ってたのにかかわらず、なぜ死んでまで彼女の名誉毀損を行為するのですか?

事実を確定し得ない以上、彼女に対する名誉毀損ではありません。

真実の被害者であった場合には、真実の被害者として哀悼するし、あえて明示はしませんでしたが、真実の被害者でなくとも、一人の個人の死に対して哀悼する気持ちはあります。

むしろ、真実を確定し得ないのに真実と断定して哀悼の意を表してしまうことは、仮に日本軍人が真の加害者ではなかったた場合には、その冤罪を負わされた日本軍人及びその遺族に対する名誉毀損になりますから、あえて断定していないのです。それが法律家としての良心です。

私としては、その後のコメントに対する野原さんの意見こそ聞きたいことでした。』 (2007/04/09 08:47)

十里益代 十里益代 『こちらにもnatamaru氏が現れているのでしょうか?』 (2007/04/09 14:18)

節翁 節翁 『

トマサ・サリノグさん、ご逝去の報せに接し、心から哀悼の誠を捧げます。

死を前にして訴えられた安倍首相宛てのお手紙、胸詰まり涙拭いながら読みました。

「日本政府が事実を承認すること」「人権と正義を回復すること」

その願い、生前に実現すること叶わず、ご無念はいかばかりだったことか。

ご遺志を引き継いで私たちはたたかいつづけます。

ロラ・マシン、あなたのことを決して忘れません!

オリエンタル・ミンドロ在住 鈴木節夫 ジュリ』 (2007/04/10 11:17)

noharra noharra 『鈴木節夫 ジュリ さま

はじめまして コメントありがとうございます。

六十数年前日本軍との出会いによって、多くの多くのフィリピン人が被害を受けました。ところがわたしたち内地に居た(あるいは後から生まれた)日本人はその実態を知らず、知らされてもできるだけ関与しないようにして生きていこうとし、またそのことは可能だったようです。数少ない例外を除き。

わたしは関係を拒否しようとせず、サリノグさんの正義への祈り(叫び)をむしろわたし自身への祝福として聞き取りたいと思っています。

>> ご遺志を引き継いで私たちはたたかいつづけます。

>> ロラ・マシン、あなたのことを決して忘れません!

              野原燐』 (2007/04/10 19:42)

noharra noharra 『海老蔵さんへ 

サリノグさんが国民基金を受取拒否した根拠は、彼女自身の意志ではなく、誰かからのそそのかしによる、とあなたが判断した理由は何ですか?

それを示せなければあなたは、根拠無く彼女を貶(おとし)めたことになります。』 (2007/04/10 21:12)

ebizoh ebizoh 『>野原さん

上記京都のブログより引用

>2000年12月、わたしは東京で「女性国際戦犯法廷」に参加し、正義が達成されたという感覚を、やっと感じることができました。これまでは決して感じることのなかった気持ちでした。わたしはまた、アジア女性基金が提供してくださるという償い金では、わたしが女性として受けた権利の侵害、わたしに対して犯された重大な諸犯罪は、決して埋め合わせにはなり得ないことにも気づきました。

『気づきました』とは、それまではそう思ってはいなかったという意味です。

女性国際戦犯法廷の政治運動家が、目の前で法廷を僭称する茶番劇(秦氏によるとカンガルー裁判)を行ったために、サリノグさんにそう確信させたという点で、彼らの罪は重いでしょうね。

私の上記コメントは単に合理的推認を述べただけであるのに、彼女を貶めたと感じたのは、野原さんが女性国際戦犯法廷の運動を支持しているが故の主観的判断にすぎません。』 (2007/04/11 10:55)

mojimoji mojimoji 『>ebizohさん

あきれ果てた人ですね。「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう。/←この言明は、女性国際戦犯法廷が茶番であろうとなかろうと成立します(茶番ではない、と僕は主張しますが)。対して、あなたの発言は「茶番である」を前提しなければ成り立たない言明ですね。「主観的」(というよりも独断的)判断に陥っているのはebizohさんの方であることは明白ですね。』 (2007/04/11 23:32)

ebizoh ebizoh 『>mojimojiくん

>あきれ果てた人ですね。

>「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう。

私も、キミ達のそういう情に訴える被害者ファッショにはあきれ果てています。全文を良く読もう。「気づきました」という以上、それまではそんなこと考えてもいなかったはずである。また、それまで基金の受領を持ちかけてきていた人に対して、サリノグさんは女性戦犯法廷を見たおかげで断りの返事をする決意をしたことも書いてある。つまり、サリノグさんはそれまでは断るか否か未定だったのに、彼女にそう決心させたのが女性国際戦犯法廷ショーなのだ。これは、彼女を貶めてはおらず、女性国際戦犯法廷のメンバーを批判しているだけ。弱者を盾にする彼らの邪悪さは隠しようが無い。

>←この言明は、女性国際戦犯法廷が茶番であろうとなかろうと成立します(茶番ではない、と僕は主張しますが)。

成立しませんよ。上記コメントで説明済み。

>対して、あなたの発言は「茶番である」を前提しなければ成り立たない言明ですね。

茶番でなく、きちんとした正統的な法廷ショーだったとしても、サリノグさんの決定を唆したことには変わりは無いので、成り立つ言明です。

>「主観的」(というよりも独断的)判断に陥っているのはebizohさんの方であることは明白ですね。

いいえ。私と同様の判断は、秦氏のような学者もしているので、必ずしも主観的とは断じ得ません。

mojimojiくんの判断こそ、独断的に被害者を食い物にしているでしょう。』 (2007/04/13 01:35)

jujo jujo 『>>>受け取り拒否を唆した

>>「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう

>それまでは断るか否か未定だったのに、彼女にそう決心させたのが女性国際戦犯法廷ショーなのだ

「受け取り拒否」をサリノグさんに「唆した」と断定するに足る合理的な根拠が示されていませんね。

サリノグさんの発言には、彼女が民衆法廷に参加し、参加を契機に「償い金が決して埋め合わせにはなり得ないことにも気づいた」ことが言及されています。ここには同法廷への参加を契機として、サリノグさん自身の主体的判断として「埋め合わせにはなりえないと気づいた」ということしか述べられていません。

なお、同法廷は「基金を受け取るか否か」が主論点としたものではありません。

「唆し」と断定するからには「基金が埋め合わせになりえるか否か」ではなくて「基金を受け取るか拒否するか」に関する「唆し」の事実を提示してくださいますでしょうか。同法廷で「受け取り拒否」に関する議論が行われたという事実があるのですか?』 (2007/04/13 13:36)

noharra noharra 『ebizohさん

(応答が遅くなりました。)

ebizohさんへのmojimojiさんの批判、jujoさんの反問に、わたしも同意します。答えてください。

 

海老蔵さんから最近発言がない。しばらく沈黙することに決めたのかもしれにない。前に書いた文章なのでUPしておきます。

>>>これは、彼女を貶めてはおらず、女性国際戦犯法廷のメンバーを批判しているだけ。

何が「彼女を貶める」ことか。

これにOKすればお金と正義を両方得ることが出来ますよという基金からの誘いを彼女はなぜ断ったのでしょうか?

理由を尋ねる前に、尋ねる根拠が私の側に在るのかがまず問題になります。

私はサリノグさんの友人でも指導者でもなく彼女の決断に意見を言う立場にない。であるから彼女の決断の理由を聞く根拠もないのです。

ebizohさんもサリノグさん及び彼女を取り巻く情況についてほんの少ししか知らないでしょう。であるにもかかわらず、あなたは「サリノグさんが国民基金を受取拒否した根拠は、彼女自身の意志ではなく、誰かからのそそのかしによる、と」あなたは決めつけた。

同じフィリピン人女性であっても例えば彼女が大学教授であったらあなたはそうした決めつけをしたでしょうか?彼女が無学で貧しい一生を送った女性である、したがって金の力でどうにでもなるべき存在であるのに、「一寸の虫にも五分の魂」を見せた。それが気に入らない。サバルタンはサバルタンらしくしておれ。

表明された一つの意志を彼女自身のものでないと言って、抗議されても反省しないとは、以上のような物事の捉え方であるとしか考えられない。

>>>全文を良く読もう。「気づきました」という以上、それまではそんなこと考えてもいなかったはずである。

そう断言できる根拠はありません。彼女は基金というよく分からないがそれでも大きな力を持つもの(オーソリティ)の誘いを断るために、世の中には別の権威もある(あった)ということを引き合いに出す必要があっただけ、かもしれない。

ところで、ebizohさんは「野原がコミンテルンに洗脳されている」と判断しているのでしょうか。

「Q1-3:コミンテルンの対日テーゼには洗脳されましたか?」と書かれましたね。

ここではぜひ「Yes」と答えて欲しいですね。Yesなら、ebizohさんは関係妄想に囚われただたのトンデモだ、と決定するからです。あなたがサリノグさんを貶めたという事実は消えないものの、その社会的価値はほぼ無くなります。

(一方ただのトンデモでは今後の対話意欲に影響を与えてしまうが)』 (2007/04/22 10:07)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070409#c1177203232