訂正あり/根拠は?(4/3追加)

(大東亞南米共榮圏は私の理想であって、歴史事実ではありません)

http://d.hatena.ne.jp/DaI/20050327#1111939474

で、「 根拠は?」と聞きましたら答えが返って来ました。

 ~あ~

数十行もある。

読みたくないが、質問した以上読まねばならぬ。

1, 香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりももっと凶暴だった。このとき民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、ほとんど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。当時香港住民は日本軍に対するよりももっと激しい憎悪の念を彼らに抱いた。」(謝永光著「日本軍は香港で何をしたか」社会評論社より)

謝永光という人は、(日本軍による香港占領を体験した香港人鍼灸医)らしい。

2、 ・アメリカの経済援助と引き換えにベトナムに侵攻し、略奪暴行放火殺人の限りを尽くす。

3、 そして朝鮮の警官は殆ど朝鮮人だった!

尋問をするのは言葉や地理に詳しい朝鮮人警官である!

朝鮮人は捕虜をリンチ、占領地では住民を強姦。

4,高麗軍が2度に亘り元軍の先鋒として日本に侵攻してきた(4つとも同上)

 悪い(外国人を迫害した)朝鮮人くらいいくらもいるだろう。

ハンドルも壮大なDaIさんが、基本的に分かっていないことは、国民国家成立以前から朝鮮人/日本人という確固たる不変の実体があったみたいな単純な発想をしていること。大東亜共栄圏の思想をもっとよく勉強してください。

 さて上記が事実としても、いずれも、朝鮮人が誰かの部下として悪いことをした例ですね。どちらかといえば朝鮮人より、上官の誰かの方が悪かったことになるでしょう?

 大東亜戦争でも強姦した日本兵はたくさんいたでしょう。今となってはまず、東条英機以下の責任を追及、確立していくべきだと思います。

種差を類に代えてもよい

 スコラ哲学では、類と種差によってものは定義されると言います。

例えば肉食である(種差)恐竜(類)=肉食恐竜。また、正多角形という類において角の数が4である物は正方形です。ところで、

類が種差に種差が類に変化させられ得るのもしばしばである… 例えば、正方形は四辺をもった正図形であるか、あるいは辺が同じ長さの四辺形であるかです。*1従って、類と種差とは実詞(名詞)と形容詞の違いでしかないようです。人間は理性的動物であると言う代わりに、人間は動物的な理性的存在者… ということも言語は許しているように。

ライプニッツ『人間知性新論』(原著1703年)みすず書房p278 isbn:4622017733

 女性の運動部員と言おうと、運動部員である女性といおうと同じことである。ということですね。ところでわたしはスコラ哲学のことを全然知らないのだが、やはりライプニッツの言うようなことはスコラ哲学は許さないのではないか。世界とは神の秩序であり、あるもの(種)は一つ上の段階である類に収束する。そのあり方は一つしかない。そう考えないとヒエラルキー的秩序は乱れてしまうから。

 ところで、<存在>という種の類とは何か?いくつかの*2類を想定できる。そうしたものが<存在>なのではないか。女性であるわたし、運動部員であるわたしなどなど…

 愛国心とは、<存在>に対しむりやり「日本人」という類を強制するものだ。と思われる。

*1:分かりますか?類として正多角形をたてるか四辺形をたてるかの違い。

*2:あるいはいくらでも多くの

甘ったれに未来はない

ただし、ドイツがはっきり謝ってきたのは、ユダヤ民族の抹殺という人類史上まれな行為に対してである。しかもすべてをナチスの罪として葬り去ることができた。日本とはいささか条件が異なる。

(若宮啓文)20050425朝日新聞

なんて甘ったれたことを言っているのか。アウシュビッツが現在まで「人類史上まれな」決して許されざる行為であり続けているのは、行為のひどさが客観的尺度で測って、皇軍の行為よりひどかったからではない。ユダヤ人たちが団結しその知力と財力を傾けてそのような認識を世界に定着させ続けているからである。一方、日本軍が蹂躙したのはアジア人たちでしかなかった。彼らは基本的には(この十年ほどの)中国と韓国を除けば、国際的力関係においてものの数ではなかった。だから日本は今までろくに反省せずともやってこれたに過ぎない。小泉首相はボタンを掛け違え、修復に成功していない。わたしたちはこのツケを払うのにあと50年は*1掛かるかもしれない。

*1:いやもっと

古事記の神 (間のあいた続き)

えーと、一ヶ月ほど前、古事記の1番から17番までの神の名を掲げました。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050421#p1

それ以後も宣長『古事記伝』を読もうとはしているのですが、遅々として進まず、まだ(2)のp44です。古事記の最初で有名なエピソードは、イザナミ「啊,汝俏壯男也!」イザナキ「啊,汝麗美人也!」*1

と、イザナミが死んでイザナキが黄泉国へオルフェウスのように追いかけていく話の二つです。ですが、野原はそこは省略し、「故,吾者當為御身之禊!*2

汚いところにいっちゃったから禊ぎしよう、とイザナキは言った。」ところから。12柱の神が出てくるがいずれもマイナー。

117. 衝立船戸神 (つきたつふなと)

118. 道之長乳齒神 (みちのながちは)

119. 時量師神 (ときはかし)

120. 和豆良比能宇斯能神 (わづらひのうし)

121. 道岐神(道俣神) (ちまた)

122. 飽咋之宇斯能神 (あきぐいのうし)

123. 奧疏神 (おきざかる)

124. 奧津那藝左毘古神 (おきつなぎさびこ)

125. 奧津甲裴弁羅神 (おきつかひべら)

126. 邊疏神 (へざかる)

127. 邊津那藝左毘古神 (へつなぎさびこ)

128. 邊金甲裴弁羅神 (へつかひべら)

面倒なので二つだけ例を挙げるが、次のようにすべて「投げ棄つる・・・神の名は・・・」と列挙されている。

投げ棄(う)つる御杖に成れる神の名は、衝立船戸神。(略)

投げ棄(う)つる御褌(はかま)に成れる神の名は、道俣神。

 『古事記伝』ではけっこう14頁も説明があって、最後に、前半の六神は陸の路(くにがみち)の神、後の六神は海つ路(ぢ)の神なり、とされている。

 道俣神 (ちまたの神)は文字通り、分かれ道に立つ神、塞(さえ)の神ですね。最初の船戸神 (つきたつふなとの神)(又はふなど)は、船という字があるので海を連想するのは間違いで、「杖が突き立っている道の曲がり角という名の神」だそうで、やはり塞(さえ)の神ですね。本(もと)の名前は“来なとの祖(さえ)の神”と一書にある。塞(さえ)の神とは、異境との境に神がいて外界からの悪霊邪気の侵入を防ぐ、そうした神である。邑落の境に「船戸の神」が石や木で立てられていた。だから衝立(つきたつ)船戸の神になっていると。*3

「袴の股の分かれたるところ“ちまた”の如し」と『古事記伝』にある。脱ぎ捨てられたパジャマのズボンのように曲がりくねり、最初とはまったく違った方向へ向かってしまう細い分かれ道を想起する。辻という漢字は日本で作られたものだそうだが、古事記より前の時代には、そうした直角に交差する十字路という物自体ほとんどなかったのではないか。十字路が成立するためには道が太く平でまっすぐでなければならず、それを可能にする交通と文明の光が必要である。その光を得て大きくレベルアップした塞の神が猿田彦*4であるが、ここでは十字路がなかった時代の塞(さえ)の神を感受しなければならない。

*1:久遠さまヴァージョンhttp://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kojiki/01.htm#kamiumi01

*2:同上版

*3:cf.西宮一民・神名釈義

*4:神名釈義No276

追記

水玉消防団の上記レコードを数年ぶりにA面だけ聞いてみた。良かった。カムラのベースなどのリズムが重層的野性的で。上記は1981年の制作。概要は次の通り。CDにもなってるんだ。「ピーターパンにはなれない」が良かった。 

http://home.att.ne.jp/alpha/voice-arrow/mztama.html

2002/11/23の時点では、ヴォーカルの天鼓が水玉消防団21なんてユニットを組んでライブもやっているらしい。

http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/1400/sound/live_021123.html

http://www.asahi-net.or.jp/~uh5a-kbys/discj/mizutama.htm 水玉消防団/満天に赤い花びら

amgunさん。バトン回してくれてありがとう。

水玉消防団は「ギャルバンの走り」などとも言われるらしいけど、メンバーの半数が30を過ぎて初めて楽器を手にしたという、驚異のオバサン(失礼!)パンクバンドでした。その傾向性(フェミニズム)の濃さにもかかわらずサウンド重視の男の子にも一目置かれていたように思います。

(霊の真柱やっと読了)

人民のための戦争ではなく

 こうして、いよいよ軍司令部のあった首里も戦場になってきました。石兵団はすでに七○パーセント位がやられてしまっていました。山兵団が途中で応援に来て「総反攻」というのをやりましたが、それも、一日に六〇〇〇人も兵を無くすという大失敗で終わりました。そういう中、五月の二二日に、首里を最後まで死守するか、あるいは南の島尻まで退がって一日でも長く持ちこたえるかの、作戦会議が軍司令官や師団長、参謀長を集めて行われたそうです。そこで石兵団の藤間師団長は、我々の師団ではまだ多くの兵が陣地の壕や野戦病院の中で呻いている。それを見捨てて南へ退がるということは、到底できない。ここ首里で玉砕し、沖縄戦の最後としてもらいたい、と主張したそうです。しかし軍司令部の幹部連中は、首里戦線ではもう一週間も持ちこたえられないと判断し、一日でも長く持ちこたえよという大本営の命令に従うため、五月の二二日、南部への撤退方針を決定し、二五日から撤退を始めました。藤岡中将の提案を採用しておれば、その後の島尻での沖縄県民の惨状はなかったし、私たちも負傷者を見捨てて撤退しないでもすんだのです。それを思うと残念でならない。大本営命令をかざして、それを否定した軍司令官や参謀が、戦後になって評価されるなど耐えられるものではありません。

(p122『ある日本兵の二つの戦場』isbn:4784505571

 そもそも、立派な軍司令官や参謀長なら、なぜ島尻の方まで軍隊を退げて戦う必要があったのか。そこにはもう、二十数万という沖縄県民が、戦火を逃れており、それはもうはっきり分かっていたことなんです。分かりながら、首里の線がもう駄目だからといって、当時約三万の日本兵を退げた。その結果十何万人の沖縄住民が悲惨な戦場に巻きこまれて亡くなってしまった。前にも言ったように、五月二二日の会議のおりに、私らの師団長は、八○パーセントの兵を失い、今も負傷者があちこちの洞窟でうごめいているのに、ここを拾てるわけにはいかないといって、首里での玉砕を主張したそうです。もしそうしていたら、十何万といわれる沖縄県民の犠牲はずっと少なかったはずです。前線の兵士がどんな風に死んでいこうが、沖縄県氏が何万人死のうが、そんなことは問題外で、武人としての自分の立派さしか考えなかった、そうとしか私には考えられません。

 さらにその上の台湾の第十方面軍もとんでもないと思います。沖縄のすぐ近くの台湾には六〇万という兵隊がいるというのに、一兵たりとも沖縄には出しませんでした。

 さらにその上の大本営は何かといえば、絡局は国体護持、天皇制擁護しかなく、そのために一日でも長く持ちこたえよということで、沖縄を拾て石にしてしまった。

 そして全ての責任の一番の大元は、天皇です。東京裁判で東条英機がキーナン検事の質問に答えて、「天皇の言うことはノーとは言えない。そう言える状況でもなかった。我々は天皇の意思をくみ取って行動した」と述べている(天皇が訴追されそうになるので次回尋問で翻しましたが)。要するに、御名御璽、天皇の意思を汲んで東条が遂行したんです。

 それなのに、八月一五日、天皇裕仁は、三〇〇万の国民を亡くしてしまったのも、二〇〇〇万以上とも言われるアジアの人々を殺したのも、自分の間違いであったとはっきり言うことはありませんでした。このことが、今の日本をこんなにしてしまった根本原因です。

(p158 同書)

訂正

(一部削除)

しかもdempax情報によれば、

『にせ金を探せPart4』解答 http://web2.incl.ne.jp/yaoki/anise4.htm

R回の天秤操作で偽コイン(軽重不明の1枚)を見つけ出せるコインの枚数Mは

「ニャンチャロフ さんからの解答」の公式 M = ((3^R-1)/2) – 1

または「山形県 Shoji さんからの解答」 M = (3^R – 3)/2

と答えが違う。

13枚ではできるのかどうか??

つくる会(自由主義史観研究会)と日本会議の組織あげて

沖縄戦の名誉毀損裁判は、やたら大勢の弁護士がついて、つくる会(自由主義史観研究会)と日本会議の組織あげての取り組みのようです。

沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会

http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/1/

自由主義史観研究会が取り組む当面の三つのテーマ

 ★全国大会★沖縄集団自決★教科書採択

    代表 藤岡信勝

http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html

自由主義史観研究会

歴史論争最前線

http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/index.html

独裁とは何か

異論があっても、誰もそれを声に出して言わない時代のことである。

【宮崎学氏の発言より】

自民党、公明党が衆議院の議席3分の2を支配した。

(略)

第58条 両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。

2 両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の3分の2以上の多数による議決を必要とする。

 これが3分の2の議席占有の威力である。こうなるとどうなるか。

 つまり言えることは、自らに逆らうものは、実体的に殲滅するという「論理」の純化がはじまる。自民党内にとどまらず、その矛先は民主党の一部にも向かうであろう。そうするとである、議員が「職業」、つまり就職としてとらえているような意識水準の議員はひとたまりもなく寝返ることとなる。

 それでも抵抗する者には、難クセをつけて議員の首を切ればいいということになる。これは法的には何ら問題はない。

 こうして、平成型翼賛政治が完了する。そしてこの翼賛は、社会的にはそれぞれ内部に問題を抱える、警察、検察が下支えすることになる。

 まあ、ワシはこう見とる。

http://miyazakimanabu.com/archive/2005/09/20050914.htm 憲法第58条2項 ~スターリン党への変貌~