司法と政治とイデオロギーがごっちゃになって

# hizzz 『ども。「女性戦犯法廷」もnoharraさんの論説も、司法(=法)と政治(=反国家)とイデオロギー(=国家的性奴隷制)がごっちゃになって一体化してます。そして東京裁判の最大の欠点はそゆ「権力」が一方的に裁いて死刑にしてしまったことです。>「やられたらやりかえせ」

一番のプライオリティは何ですか?「慰安婦」をどう保障すべきかという具体的提言なのではないでしょうか。

最後の「国民に強制した国家を支持するのだな?」という文言にみられる、国家vs反国家という二分(による絶対正義権の発動=イデオロギー)矯正と、「女性戦犯法廷」が本当に求めたはずの国際法での(考えられるかぎりの公平な)ジャッジは離反しますよ。そういう民主主義的「多様性」を排除した中で、いくら声高に「正統正義」をいいたてても、国家vs反国家ということにしかならないではないですか。そしてそれでいい、というのなら、まさに「慰安婦」は反国家パフォーマンスもしくはPC(ポリティカル・コレクトネス)のネタでしかないでしょう。』 (2005/04/18 20:51)

(野原)

乱暴な批判に応答ありがとうございます。

ですから、

こないだの大戦で「生きて俘虜の辱めを受けず」を国民に強制した国家を支持するのだな?(野原)*1

を、「国家vs反国家という二分(による絶対正義権の発動=イデオロギー)矯正」と読むかどうか、が論点なのですが。

1.こないだの大戦で日本国は「生きて俘虜の辱めを受けず」を国民に強制したのは事実ですね。

2.それを「過去は切り捨て平和国家建設」という形で総括し戦後の日本国家は始まった。

3.小泉の靖国参拝から「憲法改正へ」への動きは、「2.」の全否定としてある。

4.ここにおいて、少なくとも「1945.3.10~1945.8.15」の間に死んだ死者たちは目覚めて歩き回りはじめた。

というのがわたしのパースペクティブです。

 このような構造に無自覚であることは、「国家」という言葉で、戦前戦後のべたらな「3.」レベルの国家イメージを肯定してしまっていることになると思います。

*1:この文章はhizzzさん宛に書いたものではありません。drmccoyさんあて。念のため。

反普遍を求める日本

ハイネの生を受けた社会は、フランス革命の影響の強かった19世紀初頭の十年間においてすら、スピノザの十七世紀オランダの社会よりも遙かに遅れていたのである。*1

 で二十一世紀の日本はどうかというと、スピノザの社会より遅れているとも言える。近代を通り越して超近代に至ったはずのわが日本でいくら何でも、という気もするのだが。

卒業式における君が代斉唱問題に出会い、ブログで他の方の体験とも交流できて考えを深めることができた。なぜいまごろ愛国心なのか。靖国参拝とシンクロする愛国心とは、戦前との連続性の強調でしかない。「生きて俘虜の辱めを受けず!」として国民を死に追いやったことへの反省がどこにもない。それでも何が何でも愛国心なのだと言う。何故かと言うと、それは結局日本にはそれしかないから、だろう。民衆の不安や空虚を埋めるべき宗教的なもの、日本にも神仏混淆を始め豊富な伝統があったのだが、教育勅語以後それを国家神道にむりやり統合してしまったため、豊富な水脈はほとんど失われてしまった。上からの国家統合のために、「民衆の不安や空虚を埋めるべきもの」を求めるものたちは愛国心(靖国的なもの)の復権だけを六十年間願い、多くの努力と金銭を掛け地道に努力してきた。それは成功した。

 かわいそうな日本はどこへ行くのか。

*1:p40『非ユダヤ的ユダヤ人』I・ドイッチャー岩波新書1970年

ヒロヒト=ヒトラー

中国に反日教育は存在しない、そうだ。悪である大東亜戦争の責任は「日本軍国主義」である、という理屈。この理屈によって「日本民衆との連帯」は是とされ、日中友好は盛り上がった。

ところが日本ではA級戦犯グループの一部は日本で戦後権力者に成り上がり、靖国神社においては「合祀」に成功した。

合祀以後、天皇は靖国神社に詣っていない。これは当然のことである。外国から見た場合、ヒロヒト=ヒトラーであり、それを逃れる道は東条=ヒトラーしかない。後者を無理矢理定着させることが(幸いアメリカの一部勢力の助力を得たとはいえ)どんなに困難な課題だったか、天皇は忘れる筈もない。だが国民は。戦後国民は主権者になったというが。大東亜戦争をどう評価するのかも言わずに眠り込んでいる。

あの戦争は太平洋戦争ではない!!

6/28の朝日新聞夕刊素粒子には次のようにある。

世論調査によれば、20代の49%、30代の57%が太平洋戦争のことを「知らない」。無知は恥と知れ。

 あのね、朝日さん。プチウヨと同じフレーズは使いたくないが、無恥なのはお前の方だろ、と思うぞ。

 大東亜戦争を太平洋戦争に言いかえさせたのは占領軍アメリカ。日本人は、それを喜々として受け入れ、「日本はアメリカ(+イギリスなど)と戦い負けた(日本は中国と戦っていたんですかあ~~?)」という認識を成立させた。「太平洋戦争」のことなど知る必要はない。太平洋戦争ではなく、アジア太平洋戦争あるいは括弧付きの「大東亜戦争」だったのだ、と知ることからしか何も始まらない。

アパルトヘイト・ウォールは国際人道法違反!

Stop the Wall !!実行委員会からのメールより。賛成なのでコピペします。

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     「壁」に関するICJ勧告から一周年

  私たちは「壁」建設の即時中止と原状回復を求めます

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2004年7月9日、国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエル政府によるパレスチナ占領地域・ヨルダン川西岸地区における「壁」建設に関する勧告的意見を出しました。一周年を迎える今日、私たちは、イスラエル政府、日本を含む各国政府、国連機関、世界銀行などの諸機関がこの勧告を尊重し、その内容を実行に移すことを求めます。

 ICJは、2003年12月8日の国連総会(総会決議ES-10/14)に応じ、東エルサレムを含むパレスチナ占領地域におけるイスラエル政府の「壁」建設の法的な影響について、一年前の7月9日に以下のような勧告的意見を出しています。

・「壁」の建設は、パレスチナ占領地域での財産の破壊あるいは接収を伴っており、1907年ハーグ規則やジュネーブ第4条約(文民条約)などの国際人道法に違反する。

・「壁」の建設は、占領地域の住民の移動の自由を実質的に制限するものである。これは農業などの生産活動、医療、教育、水などの資源へのアクセスなどに深刻な影響を与えており、ジュネーブ第4条約などの国際人道法、国際人権規約、および関連する国連安保理決議に違反する。

・「壁」は、「グリーンライン 」と「壁」との間の区域に、イスラエル人入植地の大多数が含まれるよう湾曲した経路で建設されており、事実上の領土併合である。これは武力による領土の取得を禁じる原則に反しており、パレスチナ人の領土的主権と自決権を侵害している。

・イスラエルは、現在進行中の「壁」の建設作業を即時中止しなければならない。 また、イスラエルは「壁」建設のために接収した不動産を返還し、それらの原状回復が不可能な場合は当該被害者に賠償する義務を有する。

・この問題は、イスラエル・パレスチナだけでなく、国際社会全体の平和と安全に関わるものである。すべての国には、これら「壁」建設とそれにより引き起こされた事態の維持につながる援助をしない義務があり、これらの違法状態を終らせる努力をしなければいけない。

 同年7月20日には、国連総会が決議を採択し(ES-10/15)、これらのICJの勧告的意見を支持しています。

 また日本の原口国連大使は同年7月16日の国連緊急特別総会において、「壁」建設の継続を遺憾であるとして、イスラエルに適切な行動をするよう呼びかけています。

 しかし、過去一年間、「壁」の建設は中止されることなく続いています。さらにこの「壁」以外にも、イスラエル人入植者や軍のための道路が建設され、占領地域の人々の居住地域は分断され、互いから隔絶されています。これは、農民が彼らの土地や水源から切り離され、家族と家族が切り離され、子どもが学校から、また病人が医療施設から切り離されることを意味しています。私たちは、これらの政策がパレスチナ自治区の住民にさらなる困窮を強いていること、そして和平プロセスを形骸化させていることを憂慮します。

(略)

          2005年7月9日 Stop the Wall!! 実行委員会

中国政府が孟子像を贈呈

(7月22日)日本の立命館大学に対し孟子像が中国政府から贈呈された。「立命館」という校名が、孟子の「身を修(おさめ)め、以(も)って命(めい)を立つ」という言葉から取ったものである、事に因むもの。これは、中国政府が外国に贈呈する最初の孟子の彫像であるとのこと。

http://www.china.com.cn/japanese/185601.htm

国務院新聞弁公室の蔡名照副主任の挨拶より

孟子が生きた戦国時代は、動乱の不安定な時代で、年々戦乱が打ち続き、民衆は生活の手立てを失いました。孟子は「済世救民」を己に任じ、仁愛と平和を追求し、社会正義を探求し、「君(きみ)を軽(けい)とし、民(たみ)を貴(き)とする(すなわち君よりも民を第一に考える)」仁政学説を提起しました。そして彼は仁政の理想実現のために奔走し、呼びかけました。彼は20余年の長きにわたり各地を遊説し、貧困のためさすらい歩いても志を変えませんでした。そうすることによって、高尚な人としての節操と、高い精神的境地を表したのでした。

孟子の言葉に「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」という名言があります。この言葉の核心は「和」にあります。中国の伝統文化は一貫して「和」の思想に貫かれています。孔孟以来の大多数の思想家たちもみな、「和をもって貴しとなす」を提唱しています。「和」の思想は、中華民族が普遍的にもっている価値観と追求すべき理想となっていて、今日でも、中国人民の生活、仕事から内政、外交など各方面にわたり、広く、深い影響を及ぼしています。中国人民はこれまでも一貫して、人と人との間の、また国と国との間の誠意ある相互信頼と平等な待遇、平和と友好、礼節ある往来を重んじてきました。

先哲のこうした教えから、私たちが次のような啓発を得ることができます。それは、平和は人と人との交際の最高の境地であり、国際的な往来の最高の境地でもあるということです。

中日両国は一衣帯水の関係にあり、中日の文化は、水と乳のようによく融け合っています。中日両国人民の友好往来は、地理的に優位性を持ち、歴史的にも深い淵源があります。両国が長期的に安定した友好関係を樹立することは、両国人民の共通の願いと根本的利益にかなうばかりではなく、アジアと世界の平和と発展にとって有利であります。

 儒教の中でも「人民の為の」を最も強調するのが孟子です。だからといって、少し前までは中国政府が儒教を肯定することはなかったのに中国も変わったものだ。*1

 「中日両国は一衣帯水」というフレーズはかって大東亜共栄圏建設時に日本側が高唱したスローガンだ。中日の間に存在する国境という高い障壁を低くしてしまえば、当時優勢だった日本の国力が(具体的には軍隊が)中国国内になだれ込むことができる、という情勢において唱えられ、そのプランどおり日本軍は大陸になだれ込んで行った。現在は全く情況が違う。安くて優秀な中国製品の日本へのなだれ込みはすでに起こっている。中日の間に高い障壁はすでに無い。しかし小泉首相を中心とした勢力はA級戦犯を祀った靖国神社に参拝し、軍国主義化への道を歩もうとしている。先日の反日デモにより一定の歯止めは掛けられた(ようだが)予断は許さない。そこで孟子を先頭に立てて「文化攻勢」に取り組んできているわけだ。

 そう考えると上記の文章は興味深い。「和をもって貴しとなす」に攻撃のポイントを絞っている点が鋭い。というのは、儒教、仏教など日本のハイカルチャーはすべて中国からきたものだ*2。しかし、右翼ナルシストはそれを認めたくないので、聖徳太子*3を、日本の独自性の原点として押し立てる。その中心が「和をもって貴しとなす」である。皇国史観のとき高唱された楠正成等々の人物は戦後凋落してしまい、再アイドル化はすぐには難しそうである。その点聖徳太子は戦後も一貫して高い人気を誇っている。わたしを含めた従来の左翼は、「和をもって貴しとなす」に対し、普遍性*4への参照を欠いた平板な共同体至上主義として批判的に捉えていた。今回の中国政府の見解は、肯定的に捉え、なおかつそれを“日本的なものではなく儒教的なもの”とする点で、論壇に対する新しい介入であり得ている。

 1945年8月の敗戦はある人によって*5革命と呼ばれた。靖国論争や沖縄戦をめぐる議論の根拠にも、815の断絶*6をどう捉えるかという問題がある。これはもちろん国民一人一人に問われているのだ。

 革命は「万世一系」の対立語として使用すること。このような「革命」という言葉は勿論フランス革命やロシア革命と無関係だ。むしろ孟子の「革命」説として江戸時代を通じて論じられたものだ。*7

 中国政府は数千年の文の国としての歴史を賭けて、文化攻勢に討って出来てきているようだ。扶桑社などひとたまりもない??

*1:「2002年師走の新聞紙上に、「孔子精神中国で再興」との大きな見出しが掲げられた。記事は北京の人民大学で11月30日「孔子研究院」の創立式典があったこと、最近の中国で経済発展とともに「中華民族」が強調され、「中華文化の復興」が唱われていることを報じたものだった。ちなみに、人民大学のキャンパスには高さ3メートル半もの孔子像が建てられたという。」p3森紀子『転換期における中国儒教運動』isbn:4876986479

*2:仏教の場合は経由だが

*3:イエスを思わせるその名も厩戸うまやど

*4:「天」や「道」や「理」

*5:宮沢俊義

*6:あるいは連続

*7:野口武彦氏の本があるが未読。

Aさんの名誉回復したければ勝手にすればよい

http://www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html経由で)

http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html 第34回司法制度改革審議会議事録

というところで、曾野綾子が自作について語っているので、ちょっと読んでみよう。

最初にいままで何が事実とされていたか、を彼女は述べる。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

ところで曾野氏が論点として掲げるのは次の点だ。

これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、にみんなが興味があったわけではなかろう。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、というトリヴィアルな話題にわざわざ本土からやって来て食いついたのが、曾野綾子だ。もちろん文学者がどのような点に注目するかは彼女の勝手である。ある点に注目することで彼女はどのような文学的テーマを展開してくれるのであろうか。だが彼女が語るのは次のような言葉だ。

赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

Aさん及び彼の隊の人に対し、無条件に寄り添おうとしているかに見える。大江のような平和主義に染まった文学者が「犠牲者」とされた人に無条件に寄り添おうとするそのことにより事実が少し偏向された形で表現されていく、そのことを批判したいのではないのかね。自分も(右と左が違うだけで)同じ形の思想なら、批判は成立しない。

本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。

大変だったと思う。そして死者たちにはどういった回路で会ったのか。作家の本質はそこでこそ問われる事をまさか知らない訳でもあるまい。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

「Aさんが、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。」それで? Aさんの名誉は回復されるべきだと、ふーん、勝手に回復すれば、としか言いようがない。

日本民族の運命に関わる巨大な悲劇に遭遇しながら彼女は、文学にも悲劇にも興味がないようだ。Aさんの名誉にしか。

 パレスチナ難民の声を聞く

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【転載・転送大歓迎】

   パレスチナの平和を考えるトークカフェ in 新世界 第二弾!

 パレスチナ難民の声を聞く ― 「日本人フェミニスト」の視点から ―

~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~

日 時●9月19日(月・休) 16:30~18:30(16:00開場)

会 場●cocoroom(フェスティバルゲート4F、tel:06-6636-1612)

    http://www.kanayo-net.com/cocoroom/

    地下鉄「動物園前駅」5番出口/JR「新今宮駅」下車すぐ

    南海「新今宮駅」下車5分/阪堺電鉄「南霞町駅」下車すぐ

ゲスト●清末愛砂(ジェンダー法学/同志社大学政策学部嘱託講師/

    アジア女性資料センター運営委員)

参加費●1000円(1ドリンク付)

主 催●パレスチナの平和を考える会 www.palestine-forum.org

連絡先●090-9273-4316、ysige@ysige@hotmail.com(やくしげ)

           *  *  *

今年2度にわたってヨルダンのパレスチナ難民キャンプを訪ね、そ

こに暮らす女性たちの声を中心に聞き取りをされてきた清末さんに

現地の映像を交えながら話をしていただきます。

「ガザ撤退」の報道のなか、中東和平について多くが語られるよう

になってきていますが、パレスチナ難民の状況が省みられることは

ほとんどありません。そうしたなか、彼女/彼らの声に今あらため

て耳を傾けることの意味について、参加者一人ひとりの視点から考

え、深めることができれば思います。

今何か変なことを書いただろうか。

村田さん  コメントありがとう。

「ふんふんふんっ」などについて、問題提起してみたものの自分では答えがうまく見つからず書けずにいました。

(1)

Panzaさんの「神である叙述者(作者ではなく)のナルシシズムを相対化するための自己ツッコミである。」、村田さんの「自らツッコミを入れることで語り手=主人公を相対化したり複数にしたりする力」は正しいような気がします。「叙述者-読者」という関係において、叙述者が独走し読者が付いて来れなくなるのを避け、一方読者にこれは普通の平板な小説ではないよという警告を与え小説を立体化するという効果を果たす、という感じでしょうか。

(2)

「私はヒトだ。」という文に対し、「私はヒトだ。そうだよ、ね、ね。」という文の差異を考えましょう。前者のメッセイジは文の意味がそのままききとられるであろう平静な事態を想定しているのに対し、後者は私がヒトではない充分な可能性(危険性)を持つとする冷たい聞き手を前にしているという危機感を表している。語り手と場の空気との関係を表現するものが、「ね」とか「けっ」というかいう文末の直後に付く間投詞であるわけです。「ふふんふふーん」もその類だと理解しました。『金比羅』は小説ですから“語り手と場の空気との関係”と言ったときの、「場」とは小説に描き出された場でしかないはずです。作者はどんなに変幻自在な妖怪を暴れ回らせる自由もありますがそれは作品の中のことであり、読者には1mmも近づくことができません。

結局ここでわたしは躓いているので、「ここ」とは小説の読解に必要なところではなく、わたしがインスタントにでっちあげようとした「理論」が、素人が椅子を作ろうとしたときのように足がまるまる一本足りないことに気づいたは良いがそれの是正の仕方が分からず立ち往生している、といった状況です。で上手く説明できないしそもそも説明する価値のあることでもないような気がするのですが、しないと抜けられないので、します。

(3)

つまり、(1)では「叙述者-読者」という関係が語られているのに、(2)では「作中人物-作中の場」という関係が語られている。文の構造分析みたいな視角からは、(2)しか語り得ず、(1)は飛躍があるような気がするのです。

(4)

『S倉迷妄通信』p141などでは、

「今何か変なことを書いただろうか。」という文が現れる。

実はルウルウだけが通力のある化け猫だったのだ。(略)

今何か変なことを書いただろうか。(略)p141

四日後ドーラは走り回り、日に何度もカリカリを貪り喰った。ただ自分が人を殺したという感触だけは残った。(略)でも本当を言うと、私は殺してない。--今何か変なことを書いただろうか。(略)p137

猫を愛する平凡きわまりない日常から血みどろの殺害シーンへ、という位相差を飛躍としてでなく連続として笙野は描きたかった。だが、平凡な日常から血みどろの殺害へを連続的に描くことはできてもそれでは<連続>を描くことにはならない。読者の意識の中にある日常と殺害の絶対的断絶というものに働きかけるにはどうしたらよいか。その方法の模索として、殺害シーンに読者が感じているであろう異和感を、隠蔽するふりをしてかえって励起させるために、「今何か変なことを書いただろうか。」という文が挿入される。

これは、小説は最後の頁の最後の1行まで小説の中の世界を描くという小説のルールの侵犯だ。劇中から観客に向かって物を投げてくるようなものか。

(5)

「野生の金毘羅の鳴き声」であるところの「ふんふんふんっ」はまた、劇中で観客に向かって投げられる物、とも規定できる。

体験を語りうる戦争

 ニューヨークの芸術家の街グリニッチ・ヴィレッジの若い人ばかりのあるパーティーに、どうしてもお前に会わせたい奴がいるといってつれて行かれた。パンチをすすりながら古ぼけたピアノのそばでひき合わされたのは、見上げるような長身の青年だった。郊外の小さな新聞を一人でやっている有能なジャーナリストという紹介であった。

 パンチのグラスをカチッと合わせると、「十六回、十六回もやったのだ」といって彼は微笑した。精悍な額と涼しい眼が印象的だ。彼は第二次大戦の若い学生パイロットの一人で、沖縄作戦にも参加し、大和を轟沈するまで、空母との間を十六回も往復してアタックを続けたという。

 あんな素晴しい戦艦は見たことがないし、一機の援護機もない孤軍奮闘ぶりも実に見事だった。ああいう巨艦の乗員名簿に名前をつらねることのできたお前は実にラッキーな奴だと言いながら、しまいには私の肩を抱きかかえるようにした。サッカーか何かの試合のあとでユニフォームを脱ぎながら、敵の選手から「今日はシュートを十六回もしたんだぞ。全く苦労させやがる」というようなことをいわれているゴールキーパー、私の気持はそれに近かった。執拗な攻撃をくり返したという報告は、恨み言でも詫び言でもなく、お互いに苦労したという共感につながる愉しい思い出話にすぎない。アイムソリーという言葉も、そんな素振りすらもなかった。

 だいいち彼だけが私に謝らなければならないという理由はない。彼は私のまわりに爆弾を雨あられと降りそそぎ、そのあげく大海の中にほうり出したが、われわれの機銃弾も数限りなく彼の愛機をかすめたはずだから、あいこというわけだろう。私は荒海を何時間も漂っている絶望感を、できるだけ即物的に話してやった。彼は面白い世間話に対するようにそれに聞き入っているだけで、特別の反応を示さなかった。わが艦隊は弱かったから潰滅したのだし、海に棄てられた私は、いのちのある限り泳ぎつづけるのが当然で、それ以上の関心の持ちようがないというところかもしれない。

 ほかの青年がわれわれの間に割り入んでくると、彼はさりげなく日本映画の評判に話題をかえた。話題への関心の重さも、戦争の話と変わりがないというような屈託のなさであった。もしまた将来われわれが戦うことがあるとしたら、彼も事もなげにタフなアタックをくり返すだろうし、そしてまた再会の折があったら、同し調子で肩を叩くだろう、私はそんなことを考えつづけた。

吉田満「異国にて」*1

 戦後保守派は一貫して普通の国あこがれ続けてきた。皮肉にも小泉の勝利は、普通の国路線の敗北になった。なにしろ東条無罪ですからね(笑い)。

 健全なる男子が屈託なく軍務に就き、それを生涯誇りにして生きていく、そのような兵士というものも現実にいるのだ、ということを私たちは知らなければならないのだろう。*2

 戦争ができる国に成ることは絶対悪ではない、とわたしたちは言わなければならないのかもしれない。しかしながら、自国民を何百万殺そうが原理的に反省できない、靖国という無限の寛容は、絶対悪である。

*1:p170角川文庫『戦艦大和』s43年刊:「戦艦大和の最後(ひらがな版)がメイン」

*2:もちろん「朝鮮戦争でも、肉体は生きながらえたまま胸に深いくさびをうちこまれた人間は意外に多いようだ」と、この短い文章にも吉田は書いている。