丁玲による農村革命報告(1)

(1)

  “这次该斗谁呢?说老实话,咱们也凭不了自个儿的恩仇去说话,咱们只能找庄户主大伙儿乐意的。他们不恨的人,你要斗也斗不起来,他们恨的人,咱们要包庇也包庇不来。”他把眼睛去睃了一下张正典。

  “对,咱们是替老百姓办事么。”赵得禄也说了,

http://gd.cnread.net/cnread1/mjfc/d/dingling/tyzz/013.htm

(2)

対比するために、PinConv というフリーソフトで日本語漢字に変換したものも次に示します。

http://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/edu/se315015.html 

  “這次該斗誰[ロ尼]?説老実話,[ロ自]們也凭不了自个儿的恩讐去説話,[ロ自]們只能找庄戸主大火儿楽意的。他們不恨的人,[イ尓]要斗也斗不起来,他們恨的人,[ロ自]們要包庇也包庇不来。”他把眼睛去[目俊-イ]了一下張正典。

  “対,[ロ自]們是替老百姓辧事麼。”趙得禄也説了,

 丁玲(1904~1986)というのは中国で最も有名な女性作家の一人で、日本でも岩波文庫に翻訳がむかしあった。*1いま日本で知る人は少ないだろう。

わたしは今『太陽は桑乾河を照らす』(坂井徳三訳)という長編小説を読んでいる。この小説は上記urlの周辺で原文は全文がオンライン化されている。すごい! と思った。

 簡体字フォントをインストールすれば、うちの98パソコンでも表示できる。(ネスケでも)すごい!

でここに貼ってもちゃんとでるかどうかまずやってみよう。

(3)上記では全く何のことか分からないので、とりあえず坂井徳三氏の訳を掲げておく。

「今回、誰と斗争するだか?これについて、本当のところ、おらたち、自分自分の恩や仇で言っちゃ、なんねえだ。おらたち、百姓衆みんなの納得を求めるだ。百姓衆が恨んでもねえ人間と斗争しようたって、斗争にやなんねえ。百姓衆が恨んでいる人間だったら、誰がかばおうたってかばえるもんでもねえ。」張裕民は眼を丸くして張正典を見た。

「そうだ。おらたち、何でも百姓衆の為にやるんだ。」と、趙得禄も言った。*2

(4)

今回は、正しい翻訳があるから必要ないが、PinConv2というソフトには、「Excite翻訳」というコマンドがありExciteを利用して翻訳してくれる。どんなものかやってみた。

  “今度は誰を闘うべきです?古い本当の話を言って、私達も自分1人の恩讐に任せられないで話をしにいって、私達が村の戸主のみんなを探すことしかできないのが喜んでいた。彼らの恨まなかった人、あなたはも闘って起きないことを闘って、彼らの恨みの人、私達はもかばって来ないことをかばう。”彼は目を張正典に横目で見にいった。

  “正しい、私達は民衆のために事を処理するのだ。”趙得禄も言って、

(0)

今回ダウンロードさせていただいたソフト、PinConv2 の作者ははてな市民のようだ。中国、台湾、日本のそれぞれ形が変わってしまった漢字を一瞬にして変換できるという夢のようなソフトだ!記して感謝したい。 http://chinese.g.hatena.ne.jp/Ctrans/

*1:『霞村にいた時』岡崎俊夫訳

*2:p83『太陽は桑乾河を照らす』上 ハト書房1951年発行

性行為の自由

「わたしたちはこの間、婚姻外性行為の自由を獲得してきた。」と野原は下に書きましたが、主語の性別がどちらであっても自由があるという認識は、とんでもないんじゃないか!、という反問は当然ありうる。

http://d.hatena.ne.jp/chimadc/20041012(おとなり日記)によれば、

(女性は)

だからセックスする時、こころならずも、という役割を演じなければならず(或いはそう思い込まねばならず)、それが性的幻想の核になっているんだ日本では。(略)

男が行動する、それになんでも応じた性感を、女が受動態で享受する、しかもその受動ぶり、主導権を剥奪され続けていることの不当ぶりに自覚しないように文化が設定されているわけさ。

ということだそうです。なるほど。

言葉にでも女にでも

 「私が何かを論じる」ということが大事なのでは、本質的にはない、と思っている。

 「ところで、概念とは、こちらが把握したい時に把握できるのではなく、或る瞬間、否応なしに、こちらを把握してくる本質を持つのではないだろうか。*1」と松下も言っている。

 論じる主体としてのわたしは、生きているわたしのごく一部の位相を占めるにすぎない。ふつうは睡眠をとり、仕事をし、食事をし、会話をし、すべて無自覚にとおり過ぎていくのだ。たまには一瞬息を止めるほど怒ったり感動したり行為したりもするだろう。いずれにしても「何かを論じる」という時間の過ごし方は、よっぽど余裕のある時にしかできないことだ。そうではない書き方もできるはずなのに、わたしはできていない。

 言葉にでも女にでもわたしは振り回されたい。?

*1:松下昇『概念集・1』p2

同一化という強迫

人類が「身元確認」同一化(イエンティフカツイオーン)という形で現に自分の身に加えられている強迫を逃れたいと思えば、人類は同時に人類の概念との同一性を獲得しなければならない。(略)

交換原理、あるいは人間的労働の平均的労働時間という抽象的普遍概念への還元は同一化原理と同根である。(略)

さりとて同一化原理を抽象的に否定しても、何物にも還元できない質的なものを大いに尊重して、もう万事を千篇一律に扱わないと宣言してみても、それは古い不法状態に戻るための口実を造り出すだけの話である。

p179 アドルノ『否定弁証法』isbn4-87893-255-4

わたしは最近、普遍とか(「天」とか)良く口にするが、それでいいのかという疑問もある。ただ「現に自分の身に加えられている強迫(=愛国心の強要)を逃れたいと思えば」、とりあえず、それは「普遍」ではないということは口にする方が良いと思われる。

性を、一旦破棄して考える

この日記ではなぜか、西尾幹二、山形浩生との激突というエピソードがあったわけですが、最近「ジェンダーフリー」ないしその使用法について広範な議論が巻き起こっているようです。ジェンダーという言葉がフリーという言葉と結びついて、正確な概念から離れつつ流行語になったこと。その背後には、女/男という概念はすでに〈拘束〉でありそこからの離脱を求める漠然とした気持ちが(フェミニストの想定を越えた広範さで)あった、ということは事実でしょう。上の松下の文章はそうした諸テーマを、早い時期にフェミニズムとは無縁の場所で表現したもの、と言えます。

 上記の松下昇の1991年のテキストを読んでみる。

江戸や明治に出された本に比べると遙かに読みやすい。人間が読みやすいだけでなくスキャナーでOCRにかける時も昔の本などはふりがなや返り点などが多すぎてまず駄目だし、漢字も異字体や正字が多く上手くいかないことが多い。*1松下氏の文章は、〈 〉や~が多いとして形式面でも難解とされたが、字体などという点では私たちの時代の標準に近い。ワープロで打ったものだから当然だが*2

 難解でとっつきにくいという感じを持ってしまった。タイトルにある「非対象」という概念が分かりにくい。とにかく読んでみよう。

 最初、言語における性(ドイツ語やフランス語など)が出てくる。性をジェンダーと言ったときにまず出てくるのがこの「性」であるのは承知の通り。*3「なんで女が中性なんだ!」といった理不尽を呪ったことは誰しもあるだろう。*4わたしたちはすでに言葉ができあがった世界に住んでいて言葉でしか考えられないのだから問えない。だがこの〈理不尽〉の向こう側に、物と言葉が初めて出会った情景の影があると想定してもよいだろう。言葉とは抽象であるわけだが、わたしたちの知っている抽象とは全く別の軸における抽象のあり方がかって存在した。

言葉というものは、人類の(あるいは全自然の)悠久の歴史をその背後に隠し持っている、わたしたちはそれを直接知ることは出来ないが直感によって感じとることは出来なくはない、そういった思想がある。*5松下の文章の背景にもそのような思想があるようだ。

a「言語の発生から血族社会内部での流通過程において、人々があらゆる対象を直接ふれたり評価したりできる〈もの〉として記号化し、かつ〈性〉的に区分する世界観(共同幻想)の中で相当長い期間を過ごした」という長い時間が想定される。しかしそうした時期は原初のユートピアではない。〈もの〉としての直接性であるかのように言葉が意識されていた、ということだ。

b「あらゆる対象を〈性〉に区分して認識する段階を越えても、慣性的な逆作用により、あらゆる対象を区分~交接可能な概念としての〈性〉質に区分~体系化しようとするヨーロッパ系言語の基底にある」志向は残った。社会的諸関係の拡大によりaという段階は終わるが、そのときの〈幻想的拘束〉は〈残像〉を残す。それが名詞における〈性〉である。

cさらに貨幣制度が導入され、社会的関係の拡大により〈もの〉に直接ふれうる度合はどんどん減少し、言語における〈性〉は消える。これは英語の場合にだけ観察しうるが、方向性としてa→b→cというベクトルを想定することは可能だろう、と言っているようだ。このベクトルに対し松下はそれを進歩とも堕落とも価値付けない。(11/20 7時追加)

*1:というか漢字というのはもともと多様性に富んだものだったのを日本の戦後の政策でむりやり簡略化したものである。だから現在の基準に合わせて昔の字を異字体だと評価するのはその評価自体が不当である。

*2:手書きのものは1行がよく2行に分かれて流れていく

*3:この15年間で誰もが知るようになった言葉がこのジェンダーだが、その経過は「失敗」だったとも言う。これについてはまた書こう。例:http://tummygirl.exblog.jp/857963/

*4:私はフランス語教室に何年も通ったが勉強しなかったので知らないが。

*5:吉本隆明『言葉からの触手』ISBN:4309407064 など。

日本軍管理下の従軍慰安婦は存在したか?

については、下記林博史氏の文章を読んでください。

http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper02.htm

一部引用する。

元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。

「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分――といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった。」(桜田武・鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)

被害者意識はみっともない(訂正後)

  foursueの日記 の1月29日から

引用(コピペ)してたのですが、

foursueさんからの意見もあり、引用の表記方をすこし変えます。

あとタイトルも変えました。

http://d.hatena.ne.jp/foursue/20050129#p1 の一部

日本が戦争を起こしたのは日本人を狭い日本の国土が養いきれなくなったからであり、

(略)

そしてそれは黄色人種の勝利に終わったことは歴史上間違いない。

日本は負けたが黄色人種は勝った。

(訂正が遅れてすみませんでした。)

「ハマス停戦を破る」報道の虚偽

昨日の毎日新聞に 停戦合意後、初の死者 ガザ地区 という小さいベタ記事が載った。ガザのグッシュカティーフ植民地(入植地)付近で20歳のパレスチナ人男性がイスラエル軍に殺されたというものだ。*1

今朝の毎日新聞にはかなり大きい見出しで「ハマスがガザ地区で迫撃砲攻撃再開」という記事が載っている。(ウェブ版は数行だが、紙版は相当な紙幅を使っている)。ハマスが「停戦」を破り、迫撃砲をイスラエル植民地に放ったというものだ(建物への被害のみ)。よく読むと、イスラエル軍の攻撃でパレスチナ人の犠牲者が先だって出ていることがわかるが、パッと見の印象では「また、ハマスか!」と思わせられる。

http://0000000000.net/p-navi/info/news/200502111438.htm

P-navi info : 変わらない現実 ラファで青年殺される

*1:9日、パレスチナ人男性が入植地側からの銃撃で負傷し、その後、死亡した。

門の外でも建造物侵入?

参考  http://www2u.biglobe.ne.jp/~hyakuman/

http://www.asahi.com/national/update/0305/TKY200503040374.html

都立高敷地内でビラ配布、2人逮捕 建造物侵入容疑 – asahi.com : 社会

東京都町田市の都立高校の敷地内で卒業式の前に、「日の丸・君が代」に反対するビラを配ったとして、警視庁は4日、建造物侵入の疑いで、60歳前後の男2人を現行犯逮捕した。いずれも黙秘しているという。

 町田署の調べでは、2人は4日午前8時45分ごろ、ビラを配るため、同校の敷地内に侵入した疑い。2人は学校の正門前だが、敷地内にあるバス停留所付近で生徒や父母に配っていたという。教員が注意したが立ち去らなかったため、同署に通報。退去を求めた署員にも従わなかったという。

 都立高校の今年の卒業式をめぐっては、日の丸・君が代に反対するビラ配りが校門周辺で行われ、校長が警察に通報する例が相次いでおり、都教委は「すべては把握していないが、4、5校から報告があった」としている。 (03/05 01:32)