生命

長谷川訳のヘーゲルをちょっと引用してみよう。

まわりの生命界から栄養を奪いとって自己を保存し、自己統一の感情に浸る個体は、この行為によって、自分の自立の根拠たる他との対立を克服する。自己統一を自覚することが、まさしく、他との区別を流動化することであり、形態が一般的に解体することである。が、個の自存状態の破棄されることが、逆にそれがうみだされることでもある。というのも、個の形態の本質たる生命界の全体と、自立した生命体とは、もともと単一の存在であって、生命体が自分とは別のものをとりこめぱ、この単一の本質が破れて分裂が生じるのだが、こうして、無差別の流動状態に分裂の生じることが、まさに、個が形成されることにほかならないのだから。このように、単一の生命界は、分裂してさまざまな形態をうみだし、と同時に、自存する区別を解体していく。分裂の解消がさらなる分裂と分化なのだ。運動全体のうちに区別される二つの側面--自立した共通の媒体のうちに静止して共存する形態と、生命の過程--がたがいに浸透しあっていて、過程が形をなすとともに形をこわしていき、形は形で、こわれたかと思うとまたできあがっていく。流動する場というとらえかたは生命の本質を抽象化したもので、形をなすときはじめて生命は現実の生命となる。そして、それが部分にわかれるということは、部分がさらに分裂することであり、部分の解体にほかならない。まさにこうした循環過程の全体が生命をなすのである。*1

例えば、我々自身も生物の自立した一個体でありながら、他の生物を食べることつまり、<生命界>との連続性を確認することによってしか生き延びられない。生命界は絶えざる分裂と分化でありまたそれと同時に、「生命の本質は、すべての区別を克服していく無限の、純粋な回転運動--静止しつつたえまなく変化する無限の運動--」でもある。生命界における多様な力の葛藤が総体としてある均衡において一つの世界として語りうるものになる、という思想は儒学的だ。儒学においては生命界におけるエコロジー的絶妙なバランスがむしろ人間社会の理想モデルになる。<生命>はヘーゲルにおいては体系の最初の方に出てきて、つぎに出てくる<自己意識>によってあっさり否定される。この二つのカテゴリーは王陽明の「心即理」に似ている(もちろん「理=生命」「心=自己意識」)が、王陽明にとって「理」が最終のカテゴリーとしての権威を失うことはなく、唯一の我が心はなるほど全肯定されるのだが聖人のそれと同一として理の側に引きつけられた上で肯定されるにすぎなかった。前項「食欲」で書いたように日常生活のなかの些細だけれどえげつないと言えば言える否定性みたいなところに執着するというのは哲学者ヘーゲルの偉大なところだ。

*1:p125『精神現象学』長谷川宏訳作品社(isbn4-87893-294-5)

同一性の論理に抗して

 デリダ『マルクスと息子たち』という本は、デリダ『マルクスの亡霊たち』(未訳)という本への批判への応答である。言い訳であり、繰り返し丁寧に書いている。あの大デリダにしてなお、これだけ完璧に誤解されるのかという感想をもってしまう。

例えば、「デリダは階級、階級政治を拒否している」とアフマドは語る。デリダは弁明する。「階級闘争の概念が標的にしていたものに関心を持つこと、社会的諸力間の抗争を分析することに関心を持つことは今もなお絶対に不可欠であると思います。」*1しかしながら、「社会階級とはそれがそれであるところのものであるという考え、つまり、社会階級が「究極の支持体」として、自らと同質であり、自らに現前しており、自らと同一であるという考え」に対してはデリダは反対する。「支配する者とされる者という単純な対立」という図式も疑問だ。つまり公式マルクス主義によって歴史を前進させる本当の主体として保証されているそのもの、現実の社会に生きているというよりむしろ論者の頭の中にある特権的カテゴリーとしての階級、というものに対しては疑問を持つと、デリダはいう。

 これは当たり前のことのようだが必ずしもそうではない。日本では、階級というものをすこしずらした、憲法9条、平和主義あるいは「(平和を希求する、被害者である)国民」といったものが、「究極の支持体」となっていた。去年ぐらいから急速に勢力を失ってきていますが。「自己に対するある種の差異とか、社会的力の中のある種の異質性といったもの」を平和主義者たちや日本共産党は抑圧してきたといえます。したがって<差異>に敏感であり、「階級、国籍、市民性に依拠してはならない」と語りうるわたしたちが、社会的闘争の運動にたちあがらなければいけないのです。

とは言っても「わたしたち」は圧倒的に少数派だし、元気もでないし困ったなあ。

この本のポイントは<メシアニズムなきメシア的なもの>にある。(キャッチコピーとしては分かりにくく最悪ですが。)メシアニズムとは、要するに 出来事であるはずのものを、プログラム可能なもの、プログラムされていたものとみなす思考、のことである。将来において必ず救済されると予定されている立場に依拠して考えるといった態度と考えてもいいだろう。それに対して、メシア的なものとは「到来する誰か(何か)という出来事に向けて張りつめられた」現実主義的で無媒介的な憂慮である、とされる。「それは最も具体的で、また最も革命的でもある緊急性である。」「それは事物や時間や歴史がいつものように流れているその流れの中断を今ここで命じてくるのだ。*2

<メシアニズムなきメシア的なもの>についてはこの本を読むだけではわかりずらい。でもわたしは(誤解かもしれないが)、何かをそこに読みとり希望を掛けることにした。

*1:p63『マルクスと息子たち』

*2:同書p91

わたしの日とあなたの日(金時鐘メモ3)

 日日という言葉は普通は「日々」と書くが、この点でだけ、金時鐘は日本語の正書法に従わない。「その日を生きる。/日本を生きる。/おれらが朝鮮を/創って生きる。」*1という行もある。日は日本の日でもある。そして日本は分断されていないのに、日日という文字列どうり上下に分断された朝鮮。*2「朝鮮」を背負って日本で生きるという逆説の上に成立する日々は、日々という即自性を持たない。日と日の間に目に見えない分断があるそうした日日を朝鮮人たちは生きていくのだ。

「日日」をタイトルに含む詩は上に部分引用した『光州詩片』に一つ、『猪飼野詩集』に三つある。そのうちの「日日の深みで(3)」から最初の3連を引用したい。*3「日」という文字は箱のようにも見えるところからも発想されたのかもしれない詩。

   日日の深みで(3)

それは箱である。

こまぎれた日日の

納戸であり

押しこめられた暮らしが

もつれさざめく

それは張りぼての

箱である。

箱のなかで

箱をひろげ

ロがな一日箱を束ねては

箱に埋もれる。

箱は催足される

空洞であり

追いまくられて吐息のいぶる

うつろなよすぎの

升目である。

立方状に仕切られてあるものに

生活があり

忍耐はいつも

長屋ごと升目にかかるので

夜を日についだ稼ぎですら

ねぐらが埋まる程度の量(かさ)でしかない。

*1:p277同書

*2:彼の本は普通と同じくすべて縦書きで組まれている。

*3:p194

新たな拘束

http://www.jvja.net/  安田さんと渡辺さんの拘束について、日本ビジュアルジャーナリスト協会から「イラクの友へのメッセージ」が上記に載っています。

「 4月14日、イラクでフリーランスのフォトジャーナリスト安田純平(やすだじゅんぺい)さん(元信濃毎日新聞記者、イラクでの「人間の盾」活動に参加)と、渡辺信孝(わたなべのぶたか)さん(「自衛隊派兵に反対するホットライン」所属)が、拘束されました。」

拷問か虐待か?

虐待を行った兵士の一人、○○○・フ○○○○○はアブ・グレイブ刑務所に配属されていた数ヶ月のあいだ、こんな手紙を故郷へ送っていた

「軍の情報部が励ましてくれ、『よくやった』と言ってくれている」「尋問のときは他人を同席させないのが常だけど、俺が刑務所を運営するやりかたを気に入ってくれたので、俺のことを例外にしてくれたんだ」「俺たちのやり方で、奴らがしゃべりやすいようにしてやるんだ・・・俺たちのやり方でかなりの奴らを落とすことができる。たいてい、数時間で落ちるんだ」

http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/493286.html

「反戦翻訳団」の記事より

現在、虐待と言う言葉が使われているが、当局者にとっては、必要な情報を得る方法としての拷問であったようだ。満州でまた中国で日本軍がやった水攻めなどの拷問と同じようなものか。「疑わしき人物」を大量逮捕し彼らに人権を認めず、何ヶ月も何年も留置するというイスラエル・スタイルの一環として行われているものだろう。

 単なる単発的虐待で、話を終わらせてはならない。

http://d.hatena.ne.jp/kitano/20040430#p3 に教えてもらいました。感謝します。

アテルイとモラィ

西暦802年8月13日、捉えられた土着民の指導者、アテルイとモレ(モラィ)は京へ連行され、河内国杜山で斬首された。

それがどうした、ということはないが、メモ。*1何も考えないことは、自分が殺した側の系譜だけを引いていると考えることに等しい(かもしれない)。

*1:参照『概念集・4』p8

ヘッダ

この頁のヘッダを変えました。

いままで、次のようでした。

中国政府は、野口孝行氏たちを直ちに釈放せよ!

三月   桧森孝雄を追悼する   わたしたち   (参考)

去年の3月16日、ガザのラファで米国人のレイチェル・コリーさんがイスラエル軍に轢殺されました。

無断転載可

 野口、桧森、コリーと北朝鮮とパレスチナ問題に関する人名が挙げられている。北朝鮮とパレスチナにおける国家による民衆の抑圧は止まらない。野口孝行さんは先日日本に帰ってきましたが、彼が日本へつれ返そうとした脱北者(元在日朝鮮人)二人は北朝鮮に送還されてしまったようです。

野口氏の帰国記者会見は下記で聞くことができます。

http://www.northkoreanrefugees.com/noguchi-recording1.htm

ヘッダの訂正に際し「無断転載可」の5字をなぜ削除したのか説明しなければいけないのだが・・・

武士道から遠く離れて

http://www.goisu.net/cgi-bin/psychology/psychology.cgi?menu=c032

あなたの漢(おとこ)のサムライ度チェック – 無料占い GoisuNet

  上記の占いをやって見ました。毎日(ではないが)古くさい儒学の本を頑張って読んでいるのになんて結果だ!?

>あなたの漢(おとこ)のサムライ度チェック>結果

あなたの漢(おとこ)のサムライ度を診断してみました。

あなたの漢気度は【4%】ぐらいで夜な夜な欲望のまま戯れる【フランス貴族】の血をひいています。

耽美的な享楽を何よりも愛するあなた。自分が大好きで、ちょっとナルシーな気のあるあなたから、漢気はまったく感じられません。

男くささを野蛮と思い、勇気や信念を古典的なものととらえるあなたは、現在の軟弱日本を代表するようなひ弱な男子といえるでしょう。あなたにとって大切なものは、自分自身と欲望を満たすこと。それ以外のことは、はっきりどうだっていいのです。個人主義者であり、社会にあまり興味のないあなたは、漢の世界とは正反対の位置で暮らしているのでしょう。まあ、仕方ありません。敗戦国日本はマッカーサー上陸以降、鬼畜米兵の「日本国民総白痴化計画」によってコーラとハンバーガーで骨抜きにされてしまったのですから……。

マザコン度  100%

 以上はあまりあたってないが、下記の藤樹の文章が指摘するタイプにはきっちり当てはまっているように思えた。ウウ・・・

「すでに暗処に魔を来るたしぬれば、何事も異風をこのみ、人をばいける虫とも思はず、天下に我をこすべき者なしと、人もゆるさぬ高慢を鼻にあて、親おやかたのぐち(愚知)なるをさげしみ、友達をあなどり、かりそめにも己れを是とし人を非とす。或いは世間のまじわりをいとひ、独り居ることを好み、あるいは甚だしきときは気のちがふかたもありとみえたり。」*1

「うまれつき利根無欲けなげなる人、此のやまい多し。」

さらに、高慢や孤独という現象には現れなくとも、“自分が設定した狭いチャンネルでだけ他人とつき合ってそうであることに疑問を抱かない者たち、”あるいは“自分というものを守るという動機しか持たない者たち”と言ってみれば、ほとんどの現代人はあてはまるか。

*1:p164 「翁問答」中江藤樹・日本思想体系、中央公論版p163

私たちの加害性

スワンさんからコメントをいただきました。

# swan_slab 『こんにちは、私のいう”加害者”というのは、その前段の水俣における私達の加害性という議論から流れてきています。誰に対する加害性かという個別の被害との関係で理解しているのです。しがたって【アジア諸国との関係で】という部分をいれる必要がありました。アジア諸国との関係で果たして日本人が被害者といえるかどうか、そこは認めざるを得ない。そのうえで個別の色いろな、それこそ多様性のある生き方が追体験されえない切断状況にある、そういう認識なのです。』

「通りすがり」さんから紹介いただいたサイトの文章もたいへん興味深かったです。(http://www1.odn.ne.jp/mushimaru/majiessay/mesy006.htm

イスラエルの核告発者 バヌヌさん逮捕される!

http://www.onweb.to/palestine/siryo/vanunu-11nov04.html

ナブルス通信編集部 

2004年11月11日

イスラエルが秘密裏に製造していた核兵器の存在を世界に明かし、そのことで18年間イスラエルの獄中に囚われていたモルデハイ・バヌヌさんが、わずか7ヶ月あまりの「獄外生活」の後、今日(11日)再び逮捕されてしまった。

容疑は釈放条件である外国のプレスとの接触禁止に反したためだという。「国家反逆罪」で18年の刑に服した後も、バヌヌさんに対しては海外渡航禁止のほか、様々な禁止事項が超法規的につけられていた。しかし、バヌヌさんはBBCの他、様々なメディア──日本の朝日新聞も含め──に登場し、イスラエルの核政策と、それだけを野放しにしている世界を批判し続けてきた。

イスラエルのディモナ核施設で働いていたバヌヌさんが、1988年に英国「サンデータイムズ」紙に明かした情報によって、イスラエルが世界で6番目の量となる核兵器を所有していることが裏付けられたが、バヌヌさんは諜報機関に拉致され、秘密裁判にかけられて、18年間(うち11年半は独房)の獄中生活を送っていた。釈放されたのはこの4月のことだった。

イスラエルは世界中が知っている自国の核兵器の存在を「否定も肯定もしない」という政策をとり続け、核拡散防止条約に批准せず、リビアやイラン、北朝鮮とは異なり、一切の追及から免れている。「大量破壊兵器保有」を理由に侵攻されることもない。

AP通信(11日付)によると、バヌヌさんを支援し続けてきた元・サンデータイムズ記者、ピーター・ホーナム氏はAPのインタビューに応え、バヌヌさんの逮捕を「身の毛がよだつ」と言っている。

「イスラエル政府はアラファト氏の死去を(バヌヌ逮捕のタイミングとして)故意に利用している」とホーナム氏。

「合州国は核兵器プログラムに関してイランに圧力を加えている。同じことがイスラエルにもなされる必要がある。イスラエルを忘れてイランに焦点を合わせることはできない」と彼は述べた。(同上)

 さらに、バヌヌは、アメリカがありもしないサダム・フセインの大量破壊兵器を求めてイラクに侵攻したというのに、大量破壊兵器を極秘にごっそりと溜め込んでいる国に対しては政治的、道義的、経済的な援助を与え続けてきていることも世界に思い出させるだろう *2。

  *2……米国からはイスラエル支援に年間約30億ドルが拠出されている。米国の対外援助では第1位。また、対イスラエル批判を盛り込んだ数々の国連決議が米国の拒否権発動によって成立してこなかった。

http://www.onweb.to/palestine/siryo/vanunu421.html

「バヌヌさんの釈放前に」──中東でヒロシマを繰り返さないために