帝国主義秩序

遅くなりましたがとりあえず2点。

(1)国際社会とは?

まず、あなたが言う国際社会はようするに白人主体の社会でしたね?

「国際社会」とわざわざ「」をつけた言葉は、当時の列強を中心にした国際秩序を意味しています。ここでは文脈上日本が入っていないだけで、日本も列強の一員ではあると思う。左翼的用語法では、当時の帝国主義秩序ですね。

で、あなたの「その突然の世界からの宣告はまさに不条理だ。」の「世界」も同義だと読めます。41.12.8をもって「戦争が始まった」という史観ですか? それまでの「支那事変」は今で言う「テロリスト」相手の鎮圧作戦にすぎなかったと主張しますか。そのような主張は、「白人に対する黄色人種の戦い」という大義とは矛盾します。

「太平洋戦争は歴史的に見れば白人に対する黄色人種の戦いであったとも見れる。」

「大東亜の大義」を掲げて戦った戦争なのに、その大義を基準にしてそれに合格した戦争なのかどうか、という問いは回避するのですね。それでは戦死者は浮かばれないのでは。

「日本も帝国主義だったが結果が良かった」論か。アジア諸国家の独立は彼ら自身の功績でしょう。

 ついでにお聞きしますが、ブッシュのイラク占領への日本の加担はアジアの大義に真っ向から反することは認めますね?

(2)

そこに一般市民を放置している中国軍にむしろ私は怒りを感じます。

やれやれ。「軍都であったヒロシマに一般市民を放置している日本軍にむしろ私は怒りを感じます。」

山の女たちの「聖戦」

わたしが初めて読んだ慰安婦関係の本は、『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』という本でした。これに触れた4年前に書いた文章が出てきたので自己引用します。ISBN:4768467709

00379/00379 VYN03317 野原燐 RE:加害の再現( 1) 00/12/12 07:51

えっと、一昨日見た映画は「パンと植木鉢」、監督はモフセン・マフマルバフ。パラダイスシネマにて、彼の他の3作品とともに12月15日まで上映中。

1996/イラン+仏/1時間18分/出演 ミハルディ・タイエビ

<AがBを刺す>の再現前についての映画だったはずが、第三項が導入され、この映画の最後の構図は<少女C>が中心になる。

客体であったはずのBはCに植木鉢を差し出す。Bの反対側画面の右にいるAはBを刺そうとパン(の下に隠されたナイフ)を突き出す。ナイフのベクトルと丁度同じだけのスピードで植木鉢が差し出される構図である。(パンと言ってもイランのそれはお盆の様に平たい)

ここで愛とも呼ばれるであろう植木鉢とは何か、問うべきだろうか。ナイフは単にナイフであることが出来ず貧しい人たちを救うためという大義を掲げてパンを仮装する。監督が再度大義を肯定した理由は明らかだろう。そこに大義などなかった100パーセント過ちだったと認めることは決着を意味するそれでは再現前を目指す必要はない。同様に被害者も100パーセントの被害者で在ることはできず必ず主体(ベクトルを持つ者)でなければならない。何故か。何故表現は必要とされるのか?

沈黙は加害者の勝利の平成を意味するからだ。

がらっと話は変わるが、台湾というのは日本ではとてもマイナーな主題だが、図書館で検索すればまあ数十冊は出てくる。その中の一冊を偶然借りてみた。おどろいたことにそこにも<50年後の再現前>のテーマがあった。

<AがBを刺す>のかわりにあるのは<AがBを犯す>だ。そう

この『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』というもって回ったようなタイトルの本はあきらかに一つの仮装を隠している、パンがナイフを隠したように。「聖戦」に付けられたの「」の意味は聖戦=性戦、である。そう、誰もが知っているが誰も近寄らない<従軍慰安婦>の再現前の困難という問題に取り組んでいるのだ。

性や慰安婦という言葉を避けたのは、作者柳本通彦氏が男性であることと関係がある。従軍慰安婦テーマでも多くの本が出ているが作者はだいたい女性である。<AがBを犯す>を逆転させて、<BがAを告発する>という構図になる。ところが、柳本氏は、男性日本人しかも当時のAと同じぐらいの歳格好(40前後)である。どうしてもAと自己同一化せざるをえない。

(つづく)

00380/00380 VYN03317 野原燐 RE:加害の再現( 1) 00/12/15 07:34 00379へのコメント

『台湾先住民・山の女たちの「聖戦」』という本についての(続き)。柳本通彦著、現代書館、2000年1月刊行。

この本は4章とあとがきから成る。1章は、タイヤルの女たち、

アキコ、キミコ、ケイコ、サチコ。2章は、タロコの女たちⅠ、ナツコ、ヒデコ、フミコ。3章はタロコの女たちⅡ、サワコ、カズコ、ミチコ。4章は、ブヌンの女、マサコ。となっている。

台湾には現在も人口の2パーセント弱の少数民族がいる。9つ以上のいわゆる山岳民族がいる。北部山地を支配していたのがタイヤル、南部及び東部の山地で大きな勢力を持っていたのがブヌンの人たち、タロコはタイヤル(セイダッカ)系の一部族だそうである。戦後支配者になった国民党外省人に親しむ素地を持たなかった彼らは、今でも日本人及び日本語に大きなシンパシーを持ち続けている。わたしは残念ながら行けなかったのだが、たった半日強のオプショナルツアーでもタイヤルの村を訪ねるというのが用意されており、観光化されきったその村を訪ねた私の友人は、コースから外れた場所を歩いているとある婦人に出会い、きれいな日本語をしゃべるその婦人(50台)に自宅に招待してもらい、ケーキとお茶をご馳走になったということだ。「これだけ日本に親しみを感じてくれる異民族というのは、世界中を見回してもこの人びと以外にないだろう」と柳本氏も書いている。

さて、最初の「アキコ」という章を読んでみよう。お生まれは、と聞かれて昭和3年ですと答えている(わたしの母とほぼ同じだ)。生まれた村はと問われて、日本時代はチンムイ社、いまはウメゾノ村、と答えている。戦後かえって日本風の名前になっているのが不思議だ。「昭和3年」というのも日本語で彼女自身が言っている言葉だ、つまり外国の山奥で少数民族の老婆に出会いながらかの女は日本人でもある、のだ。教育所(小学校)を出てから彼女は結婚するはずだったが、相手は第三回高砂義勇隊員として南方の戦地に向かった、昭和17年秋。昭和19年12月頃、「警察の部長が来て、戦争が激しいから、女も男でも、総動員法で準備しなければいけないといって、わたしたちを呼んで、あんたらの許嫁とか主人が兵隊に行っているから、いい仕事与えてあげますからと。それをきいて、これだったら行きますからと、わたしたち返答してやった。」最初は、兵隊たちの着物を洗濯したり破れた着物を縫ったりお茶をいれたりしていた。が一ヶ月もしないうちに<夜の仕事>を与えられる。宿舎の外れに小さな竹の家があった。夜そこに連れて行かれ、兵隊が毎晩三、四人来て・・・ 「まだ十六歳、子供でしょう。(略)まあ、いいから我慢して、わたしたちは死ぬなら死んでもいい。運命が悪かったら死んでもいいというくらいの気持ちをもって、もうそのまま、言われるままにじっとしました。昼間は布を縫って、洗濯して、これだけの仕事は楽だけど、夜は死んだ、死んでるんです、死んでる気なんです。」p18

そういう生活が昭和21年3月頃まで続く、兵隊がみんな日本へ帰るまで。

それから50年間の沈黙が続く。

「今年(1996)の9月頃、台湾全部の義勇隊の会議があって、わたしたち夫婦で行ったんです。そしたら、慰安婦の者は政府から援助があるから申請しなさいと言われて、話したんです。主人に。主人に許してくださいと言ったら、そうか、おまえもそういうことがあったか。それはしようがない。戦争だからそれはしようがない、と言ってくれたから、わたしも頭を下げた。」

この話でもっとも強い印象を受けるのは、このアキコさんが50年間、夫にも他の家族にもこのことを一切言わず沈黙を持続し続けたことだ。

「わたしは昔、悪いことをしましたから」と彼女は述べた。なぜ被害者である彼女が<悪い>と自己を規定し続けなければならないのだろうか。

「良いと悪いのニーチェ的逆転」のそのまた逆転をここに発見すべきではないのか。それこそがパトリアーキー(家父長制)なんだ、という断言は間違っていないとしても、それで分かってしまうことはできない。先住民社会も日本や漢民族に劣らずパトリアーキーが存在していた、と確認しておくことは必要としても。

50年間の日本統治は多くの少数民族の文化(たましい)の核心を破壊し、そこにテンノウヘイカ、ニッポンセイシン、ソードーインをつぎ込んだ。敗戦と同時に日本人はそのことを一切忘れ、逆に彼らは新しい支配者国民党への反発からいつまでも日本へのシンパシーを失わなかった。これはわたしがはじめて知った民族の崩壊に関わる分厚い分厚い物語の最初のかけらであり、とても何も知らないわたしが何も書けはしません。

ただ、わたしは<被害/加害という倫理の軸>からは不真面目と思われるだろうところの表現(再現前)に関わる逆説を、確認しておきたいと思う。

この本は2000年1月出版された。1996年3月29日に最初の女性に出会ってから3年以上が経過している。この<遅れ>の意味を考えなければいけない。

「わたしは本を出すために、彼女らを訪ね歩いたのではない。たまたま知り合い、親交を重ねるうちに、他人とは思えないような関係が育ち、それだけに簡単には出版に踏み切れなかった。すでに最初の女性との出会いから3年の月日がたった。この間に、二人の女性が亡くなった。」p236

「わたしはこの3年間、彼女たちの家を幾度も訪ね歩いた。泊めていただくこともしばしばだった。孫たちが来ていて部屋がないと、老婆と同じベッドに眠ったこともある。平気ですぐにゴワーっといびきをかく人もいれば、緊張して眠れませんでしたよ、と恥ずかしそうに笑ううぶな人もいる。」p204

                   野原燐 00381/00381 VYN03317 野原燐 RE:加害の再現( 1) 00/12/30 08:59 00380へのコメント

(続き)———–たまたま同じベッドに休ませて貰っただけと言っても、この本の主題から言って十分に刺激的である。その点には自覚的に著者もあえて書きつけたのだろう。フェミニズム風に意地悪くみれば、夫の属領下から自己の属領下への移動を(無意識のうちに)宣言しているということだろうか。夫は彼女に沈黙を強いることに荷担したが、柳本は沈黙を開くことに荷担した。だからといって、それが解放と正義に通じているという単純なオプティミズムの立場に著者が立っているわけではない。

「婚約者や亭主がニューギニアでトカゲ一匹でなんとか命をつないでいたとき、女たちは近隣に駐屯した台湾守備隊の餌食になっていた。そうした夫婦は一緒に「サヨンの鐘」(戦争中の国策映画)を唱っている風景というのは、日本人ならいたたまれない気持ちになるだろう。

それに唱和しているわたしなどは世間の非難を免れないだろうが、そうした現実を咀嚼しない限りはこの台湾先住民の悲哀も日本が犯した罪も本当に理解することはできない。」p204

幾重にも倒錯した現実を丁寧にときほぐしていこうとしても<わたし>自身生身の男であり、加害性があらかじめ無いという主観的前提によっては、現実と接触しえない。正義を自認する者は現実を平板化する。(それによって現実をかえって混乱させることもある。元従軍慰安婦に対する台湾政府の対応は朦朧としてると批判されている。)<わたし>を非難したければすればよいと、著者は逆に世間の方にリトマス試験紙を渡した。

                   野原燐

魂と国家をむすぶ重要なメディア

# index_home 『お考えに反対するものではありません。ただ、少し危惧しなければならないと思うことがあるので書かせていただきます。「君が代日の丸は、『各個人の魂と国家』をむすぶ重要なメディア」と規定すること自体が、君が代日の丸問題は「寛容」や「信教の自由」に類するものではなく「政治的統治」にかかる問題だと結論づけるための論理を提供することになるのではないかと思うのです。国家は「想像の共同体」であり、だからこそ「想像」させる媒介(メディアみたいなものですかね)が必要である、それこそが…という論理に。私がロックの論を読み違えているのか、深読みしすぎなのかはわかりませんが、如何でしょう。』

(野原)hikaruさん 興味深いコメントありがとう。

(えーと、この問題については「書きながら(柔軟に)考える」というスタイルを取りたいと思っています)

3.「君が代・日の丸」問題は、些細な問題のようだが、わたしたちの国家(state)が、「信教の自由」「寛容」を認めるかどうかの問題だ。

には賛成する立場での意見と受け取ります。

君が代は単に国歌であるに過ぎない、宗教的あるいは政治的色彩はない、というのが現在の当局見解です。それに対し、『各個人の魂と国家』をむすぶ重要なメディアであることは否定できず、それを強制することは「広い意味の信仰の自由」を侵すと主張したい。

 国家に対する尊重の念というものは否定できない、とする*1。そうすると、「魂と国家を結ぶ重要な媒介」というだけでは国歌を否定できない。君が代が持っている質が問われる。国歌としての君が代は、近い過去において戦争中の「国家総動員体制」を支える重要な部品だった。そして歌詞を変えるとかの断絶の作業を経ることなくただ時間が経ったというだけで復活してきているものにすぎない。というわけでわたしは君が代を否定する。

 えーと、hikaruさんに対する議論をうまく組み立てられないな。

「君が代日の丸は、『各個人の魂と国家』をむすぶ重要なメディア」と規定すること の是非が論点ですね。君が代日の丸は過去、魂を国家へ向けて総動員していく強力なメディアだった。現在そうではなく、「軽い」ものとして浸透させようとし成功している。だが「軽い」のは見かけだけで重いのが本質だと私は思う。したがって重要性は現在もあるとわたしは思います。

 君が代が軽い物であるなら、拒否する論理を組み立てられないように思うのですが。如何でしょう。

「政治的社会は、ただ現世における事物についての各人の所有権を確保するためだけに、造られたもの」だ、云々のロックの思想を検討することはここではしません。

*1:国民に教育を受ける機会を与ることを援助する国家を、わたしは尊重する。

君が代百年戦争とは?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050329#p1 で「日の丸君が代百年戦争」というタイトルを使ったが、意味を説明していなかった。

文部省は、一九五八年一〇月一日、小学校の新学習指導要領(新たに文部省告示として公示)に法的拘束力を付与するとともに、「音楽」のなかで「『君が代』は…児童の発達段階に即して指導する」とし、

http://www.asahi-net.or.jp/~si8k-nmmt/98-08-07kanagawa.htm#%87V 

当てずっぽうに50年と思っていたのだが正確には48年前に、学習指導要領に「君が代」が登場した。そしてそれ以来文部省と日教組及び他の反対派との間で、熾烈な(時には緩慢な)闘争が継続されてきた。

幾つかの画期*1を経て、現在「教師側」が完敗の状態になった。

 しかしながら、君が代の問題は教育問題ではない。当然ながらナショナリズム、国家への感情の問題である。現在多い目に見ると「君が代の強制」に反発する市民は約半分。上手くいけば十年でこれを数人にすることができるだろう。そうなってはじめて、「諸外国と同じように」君が代は皆で大きな声で唱われ、わたしたちは同一性を確認できるだろう。

 それとも「君が代の強制」に対する国民の反発は意外と根強く、毎年行わざるを得ない卒業式は「反対派」が最小の努力で最大の効果を上げうるパフォーマンスの場になるだろう。

 中に何も入っていないきらびやかな空虚な箱=国体、に対する絶対的畏敬というおかしな信仰を普遍として持たざるをえないという攻撃的民俗宗教(東アジアのシオニズム)はその無理を暴かれ崩壊して行くであろう。数十年後には。どちらを選ぶかは国民の意志と感覚による。

*1:1990最高裁伝習館判決、1999国旗国歌法

直ぐに首差延べて

神籬(ひもろぎ)伝授の人と云は、譬えは君が我を無罪に殺そうと仰せらる時に、天命是非に及ばず、君なれば何分にも、畏こまらいではなどと云うは、本のことで無い、殺そうと仰せらる声の下から、はっと畏まり、私を御殺御腹がいて御慰に成る者ならば、とくとく御切り御切りと、にこにことほほえみ、直ぐに首差延べて、あたまから渡して掛かる合点が無ければ、本の伝授の人とは申されまいぞ。そりゃ平生夫程の思入れが大事ぞ。

玉木正英『潮翁講習口授』

p160『近世神道と国学』前田勉 から孫引き

 神と人を比べると、神は無限大ですから人はゼロになります。逆に言うと無限大は人には見えませんから、人=ゼロとすることにより、無限大を暗示することができる。天皇に対するマゾヒズムとか言って、左翼はヒステリックに批判しそうだが、まあよくある思想(秘密の教えとして一般人には隠されている)かもしれない。

 ただ特異なのは、神=普遍性という前提を意識的に拒否している点。「天命是非に及ばず」というのは、神=普遍性という思考によった理屈だがそれを否定している。

 ところで、デリダの「アブラハムがイサクを捧げる話」を思い出す。

わたしたちが「近親者や息子に対する忠実さを選ぶためには、絶対他者を裏切らなければならない。*1

「それを神と呼んでもよい」とデリダは言っているが、日本ではそれを天皇(象徴天皇)と呼ぶべきだろう。

イサクの犠牲は毎日のように続いている。*2アル・アクサーの大モスクの近くで。

*1:p143『死を与える』デリダ

*2:同書p145

愛国無罪とは

 五四運動に引き続く学生や市民、農民、労働者の愛国的運動がネイションを建設したのだ、という中華人民共和国の根本を意味するだろう。

民主主義とは何か、に対しては色々な答え方がある。旧体制とのラディカルな切断という点では、フランス革命以後繰り返し起こったパリのバリケード~市街戦のイメージは鮮烈である。*1

上野英信の『天皇陛下万歳--爆弾三勇士序説』という本。ちくま書房、1972年。を読んでのノートから。

(野原燐)

 1931年9月日本は満州事変を引き起こした。続いて、その翌年1月28日には、上海事変を引き起こします。満州事変は、特派員エドガー・スノーによれば、「単なる鬼ごっこと占領」だった。上海事変についても「他の人と同様に私もまた中国人は闘うまいと思っていた。」しかし、実際には“ほんものの戦争”になった。「いままで、ほんとうの戦争などやれない傭兵だと、大抵の外国人から思われていた中国将兵の実力を、私はこの戦争ではじめて知った。」とスメドレーも言っている。

 日本軍と闘ったのは、蒋介石の統帥下の第一九路軍、蔡延[金皆]軍でした。約三万五千の歴戦の精鋭にわずか1,500の水兵で挑んだ海軍の塩沢提督の無謀を批判するひとは多い。だが意外にも、この本の著者上野英信は塩沢の判断には合理性があったとする。その根拠はこうだ。一九路軍は疲れ切っていた、ちの給料は10月以来ほとんど支給されていなかった、兵士た部に対する不信と敵意は非常に高い。したがって一旦戦端が開かれるや、彼らは内部矛盾をさらに高め瓦解していくだろう。

 ところが、彼らは蒋介石の徹底無抵抗と迅速な撤退という命令を無視し 闘いはじめ、そしてあらゆる困難を乗り越えて闘い続けた。そこには別のファクターが働いたのだ。

 上野は葛琴という無名作家の『総退却』という作品から引用する。

 刻一刻、絶望的な懐疑と焦躁にとらわれてゆく兵士たちを、なおかつ歩一歩、前進させていった力は、いったい何であったのか。上海の市民--それも彼ら兵士たちと同じように黄色くしなびて貧しい労働者や失業者、それに学生たちであった、と説かれている。

「体を蛇のようにくねらせ、銃の上で手をびくつかせながら、寿長年は、大勢の人が自分の後から突き進んで来ていることを、鋭敏に感じとっていた。ただそれは久しく起居を共にした、同じ部隊の仲間たちではないようだった。彼らの力強い感動的な喚声には、聞きなれない方言が含まれており、紛れもなくそれはこの地元の方言だった。それこそ、上海の失業労働者たちの革命義勇軍だったのである」

「“ドド、ドドド”寿長年は身をよじって、その響きに目を注いだ。きわめて重量感にみちたものが、飛ぶように通過していった。それは上海の学生、労働者と市民たちの救護隊だった。彼らは熱烈にこの戦争を支持し、昼となく夜となく、砲火の中に立ち現われるのだった」

「この数十里に及ぶ長い防衛線の背後には、なおひきもきらずに新しい労働者たちが集まって来ていた。誰一人として、自発的に戦闘参加を希望しない者はいなかった。彼らがこれほど毅然としていることは、かつてなかった。彼らの雇い主であるボスに逆らって志願し、頑強にこれらのボスと闘ったあげく、漸くの思いで数百里の道を歩いて来たのである」 (以上、同書99~100から引用)

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ここを読んでなんだかパリコミューンを思い出してしまった。 武器を持たない市民、労働者、ルンペンプロレタリアートが抗日の志のままに、19路軍の下層兵士たちを直接支援していったのだ。もちろん、その後13年以上中国ほとんど全域を荒らし回った日本皇軍は結局敗北し、その後“人民の海”から生みだされた毛沢東たちが統一を勝ち取ったこと、は誰でも知っている。いまでは、資本主義化する現在の上海の様子を聞くにつけ、“人民の海”なんていう古くさい言葉によりかかった言説は無効になった、と誰もが言うだろう。だが、上記の引用から見る限り、<コミューンの一瞬の立ち上がり>というものがそのとき存在していたことは確かなようだ。私意識からは、十九路軍が赤軍でなかったことは返って好都合である。

http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_plain?base=13&range=1

 ヴィクトル・ユーゴー的民主主義理解においては中国の愛国無罪は普遍的とみなされる。

*1:先日テレビでやっていたフランス産テレビ番組レ・ミゼラブルの終わりの頃にもその映像が出てくる

地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べる

 国学の勉強しているとか言いながら、「三大考」も知らなかったという大馬鹿もののわたしですが、これは著者は服部中庸ですが宣長の『古事記伝』の付録であり、表紙だけつるつるにして再版されている岩波文庫全四巻の最後にもちゃんと付いていることを今発見した。(購入は数ヶ月前。)

近き代になりて、遙かに西なる国々の人どもは、海路を心にまかせて、あまねく廻(めぐ)りありくによりて、この大地(おおつち)のありかたを、よく見究めて、地は円(まろ)にして、虚空(そら)に浮べるを、日月は其(その)上下に旋(めぐ)ることなど、考え得たるに、

服部中庸『三大考』p255 日本思想体系50*1

(岩波文庫p385)

この文章は1791年頃書かれた。地球球体説が日本で画期的だったかというと全然そんなことはない。それより二百年ほど前マテオ・リッチにより中国にもたらされたもの。

地球という用語はマテオ・リッチが「坤輿万国全図」を作成したとき(1602年)に中国人が発明したものであると書物にある。」というものである。

http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/girisia/tikyuu.htm

http://www.hatena.ne.jp/1117028139 経由

「地球は蛮人りまとう(原文では漢字・マテオリッチ)これを作る。」と認識していた渋川春海は1800年頃地球儀をたくさん製造していたらしい。

ところでそれまでの日本人の宇宙論はどんなものだったのか確認しておくと。

日本書紀冒頭の「混沌」説。

1:古に天地未だ剖れず、陰陽分かれざりしとき、

2:其れ清陽なるものは、薄靡きて天と為り、重く濁れるものは。淹滞ゐて地と為る (故天先ず成りて地後に定まる)

「これは、淮南子などの中国の文献に見える考えかたである。」とのこと

http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/girisia/tikyuu.htm

次に「奈良時代には、中国から天円地方説が導入される。」

当時から明末まで中国の宇宙論はこの天円地方説である。

その系譜には、

1)蓋天説:平らな地面の上を平面の天が回転しているというもの。

「周髀算経」は3世紀の蓋天説の解説書である。

2)渾天説:後漢の張衡の「渾天儀」中に渾天は鶏卵であり、

天は丸く、地は黄身の様なものであるとしている。(同上)

他に「仏教宇宙観」がある。*2

仏教伝来後は仏教宇宙観が導入され、

たとえば、須弥山などが紹介された。 (同上)

以上、「三大考」を読み始めるための準備メモ。

ていうか「三大考」て読むに値する文章なのかどうかを考えたい。

*1:平田篤胤 伴信友 大国隆正

*2:こっちの方がポピュラーか

続報

poppo-x 『http://www.asahi.com/life/update/0617/005.html

「新・国民の油断」回収に 過激な性教育批判で話題の本

2005年06月17日19時23分

 「ジェンダーフリー」や「過激な性教育」を批判した本「新・国民の油断」(西尾幹二、八木秀次著)の記述内容に問題があったことがわかり、出版元のPHP研究所が回収を始めた。

 同社によると、HIVや性教育に詳しい岩室紳也医師の写真が本人に無断で掲載されたほか、岩室氏にかかわる記述に誤解を招きかねない点があったことなどがわかり、今月上旬に回収を始めたという。同社は、修正の上、8月中旬をめどに再度出版するとしている。

 岩室氏は「書き方に問題があり、肖像権も侵害された。大変迷惑しており、抗議した」と話している。

 この本は1月の出版後、約1万3000部を発行。「過激な性教育」や「ジェンダーフリー」を批判的に取り上げた自民党のシンポジウムなどで引用されている。』(2005/06/18 19:33)

正確な情報ありがとうございました。

(野原から)(7/6)

(1)

マッコイさんとの三度目(?)の出会いは、野原が、http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 にコメントしたことに始まる。

『バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)と聞いた。

マッコイ氏の返事は『「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』というもの。一万人という多数の民間人の死という事実に対し、後者は原因を示しているが前者は事実を記述しているだけで原因について何ら答えていない。

「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場、にマッコイ氏が立っていることが分かった。わたしは「バンザイクリフ」という言葉を喜々として引用できるプチウヨというものがどういう心理構造なのか、バンザイクリフというものについて私とは全く違った理解の仕方があるのか、万一の疑念があったので念のために質問してみたのだが、そんなものはないことが分かった。わたしにとっての問題はここで終わった。

そして次にマッコイ氏は、私の「死者の原因は皇国の洗脳と強制にある」という文章に対し、あら探しをしようとはじめた。

「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」が一万人を死に追いやった。

という文章を、批判し覆せるかどうかやってみてください。

・・・

スワンさん、コメントありがとうございました。

・・・

マッコイさん(たち)への応答を返すことに(なぜこんなにおおきな)抵抗感があるのかよく分からない。

「戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとする」ことなしに、薄っぺらな理屈のその薄さに無自覚な奴らは、恥を知るべきだ。

皇国は当然ながらその定義によって無敗である。その皇国が敗れたことの絶対的切断を承認すべきである。