殺す瞬間からの反転

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051108#p1

で、こう書きました。

 人は神になれない、というのは錯誤だ、と言ってみる。例えば、死刑執行人。人は人を殺せない。人を殺すためにはひとは獣になるか神になるしかないわけだが、戦場と違い死刑執行人は獣であることはできない。したがって、死刑執行人はすでに幾分か神でなければならない。

 で私たちの国には死刑制度があり、その国の主権者が他ならぬ私たちである以上、「わたしは人を殺す。わたしはほとんど神だ」と一度は確認しておく必要があるのではないでしょうか。

 わたしというものは時として自己の手には負えない不可能性に向きあわざるを得ず、祈りに満ちた飛躍で飛び越していくしかない存在だみたいな、言表不可能なイメージがわたしにはあります。

・・・

えっと。 http://b.hatena.ne.jp/rir6/ 経由で

布施哲氏の「デリダ ― 政治的なるものへの抵抗」というのをざっと読みました。

http://216.239.63.104/search?q=cache:n8Vx_iwOMIYJ:www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/25-1/fuse.pdf

デリダ

私の上記のような発想は、ここでデリダが批判しているC.シュミットの思想に近いかもしれないと思った。

シュミットは「政治的なもの」とは友と敵との関係だと言いました。

ここで重要なのは、もしも「政治的なもの」が友と敵との敵対的関係、友敵対立であるとするならば、そうした例外状況の極点である戦争こそが、最も政治的なものである、ということになりはしないか、ということです。そしてシュミットはそのとおりだ、と云います。戦争こそが政治的なものの極点であり、政治家の政治的決断が集約される最高の機会なのだ、というわけです。直截的に戦争を賛美しているわけでは必ずしもないとしても、シュミットは彼が定義するところの「政治的なもの」がヨーロッパの議会主義には決定的に欠落していると嘆いていたことは確かですし、反対に、そうした「政治的なもの」を鋭く問題化していたと彼が考えた論者、理論家たちを彼は評価してもいました。ド・メストルやドソノ・コルテスといった反革命的右翼カトリックの論客からソレル、それになんとバクーニンやプルードンといった、思想的にはまったくの正反対であるはずの無政府主義者、社会主義者、共産主義者たちに至るまで、シュミットはほとんど無節操ともいえるほどに、反議会主義ならびに現実の対立/闘争を主眼に置いた思想家たちを非常に高く買っていたわけです。

http://216.239.63.104/search?q=cache:n8Vx_iwOMIYJ:www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/25-1/fuse.pdf デリダ

 シュミットは例えば、真に政治的なものの発露である戦争において、自然的な死ではなく、人間が自らの存在を肯定するための、いわば生への意志がわれわれに芽生える可能性がある、ということを云っています。つまり、シュミットは政治的なものの極点としての戦争を、人間の実存(個人的、共同体的な実存)を基礎づける可能な契機、モメントとしても考えていたのでありまして、 (同上)

シュミットにとって、それはとどのつまり、生物学的な生と死を黙して受け入れるだけの自然的な存在ではもはやあり得ない人間が、自らの存在を可能な限りの意志と知性、そして(これはシュミットの大好きな言葉ですが)

“決断”によって基礎づけ得る、至高の機会だったからです。(同上)

 殺すという不可能性に向きあいその不可能を実施してしまうという存在。無惨な、という以外に直視しえない< >。そこから反転することこそが<肯定>である。と翻訳できるものであれば、シュミットと野原はだいたい同じです。

・・・

でまあこれが有名なファシズムの美学という奴ですね。困ったね。

「デリダはそれがヘーゲル的な意味において目的論的である」という言い方で批判するのだそうです。

また、そのような対立によって出来上がった法や、あるいはその法の執行にしても、ベンヤミンの『暴力批判論』などを引用するまでもなく、そこには法に従わない者、あるいはその発効を妨げようとする者の排除や禁止というものが、それが執行されるその都度必然的に含まれており、決して暴力的な敵対性、否定性の契機から自由であるというわけではありません。まさにそうした暴力的な敵対性、否定性は議会主義や議会主義的立法にとっての条件でさえあるといってもよいのです。

しかしデリダは、そのような根源的な暴力や否定性、敵対性そのもの、それ自体を政治の“本質”に据え、それが議会や法から隔絶された次元において私たちの個人的、共同体的実存を基礎づけるなどというシュミット的な発想というものが致命的に誤っていることを指摘します。

わたしは政治の本質は何か分からない。個人的実存を確認するのは、一切の共同体的なあいまいさから独立するためであるのだ。その点がシュミットとは違う。

デリダ『友愛のポリティクス』という本もそのうち読まなければ。

出発できません、うーん。

松下昇についてどこから語ることができるか?と、11/15に書きましたがまだ方向性を見出して出発できません。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051115#p3

今日は、概念集・1の最初の2頁をOCRからテキスト化しました。

「概念(序文の位相で)」というタイトルの文章で、

 一般的な辞書などでは、概念について、同種の多くの事物に共通する本質を、経験ないし思考を媒介して言語によって抽出したもの、というように説明している。

と語り始めている。とてもまっとうで分かりやすい文章だ。

これまでの〈松下昇〉の全表現を大学闘争(全く良くない言葉であり、表記や理解の仕方を変換しなければならないが、過渡的に用いる)に関する事典として、あるいは概念の索引として読むことは可能か。

ただし〈松下 昇〉の全表現の中に、大学闘争というよりは〈 〉闘争過程ないし、それを不可避とする情況に現れた基本的な概念が全て含まれていると仮定してもよいのではないか。いや、あえて仮定すぺきではないか。

大学闘争という言葉を〈 〉闘争過程というなじみのない〈 〉(かっこ)を用いた用語に置き換える、松下は。それと同時に主体である(その限りで疑い得ない)松下昇というものに〈 〉を付ける。

(中断)

削除元記事

twitter の下記記事を10月12日19時30分ごろ削除しました。 

http://twitter.com/#!/noharra/status/123898355607805952

@Hideo_Ogura ネットを利用した誹謗中傷については、被害者には「裁判制度を通じた救済」を受けさせないということですね。>あなたね、公開された発言をなめてませんか? 私はそんなことを言っていませんよ。議論のルール違反ですね。あなたの信用は下がった。posted at 10月12日 08:10:44

4/1 最初にだましたのは誰か?

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070401#c1175470452

ebizoh ebizoh 『海老蔵中道右派です。

>最初にだましたのは誰か?中国まで連れて行ったのは誰か?は映画で描かれていません

最も可能性として高いのは、朝鮮人の女衒が親か本人を騙して中国に連れて行ったのでしょうね。それで日本軍に騙されたことになってしまうのは、冤罪ですね。

野原さんも被害者の証言を冷静に見ることができるようになって、良かったですね。』

ebizoh ebizoh 『ついでに、以前の積み残しの返答をさせていただきます。

元エントリが容量オーバーのため。

>--あなたの「証拠を出せ」ゲームに乗るつもりはありません。

もう、私と野原さんの間では、証拠を出せゲームとやらは、ほぼ終わっているのでは?

議論のフェーズは、お互いのほぼ共通の事実認識がある(ここに齟齬があれば、また証拠を出せゲームとやらが復活?)ことを前提に、その事実がどのような法的意味を持っているのかを考えることに移っているでしょう。

>--あなたの「証拠を出せ」ゲームを仮に前提とした場合、ミッチナ報告の読みの点であなたは矛盾を犯している。

>これを認めてください。

おそらく、証拠を出せゲームの次のフェーズである法的評価ゲーム?のことを言われていると思われますが、矛盾はありません。

1、私は、ミッチナレポートは要約部分しか読んでいないので、そこに明記してあった、レポートの調査対象となった慰安婦の平均年齢が25歳ということ、実態は戦地売春婦であること、しか知りませんでした。この事実認識からは、実態としても違法性を基礎付ける事実はなく、日本の国家としての法的責任は生じません。

2、野原さんのご紹介のサイトによれば、対象慰安婦には未成年の者がかなりの割合で存在したそうですね。しかし、当該サイトはその下段に示した参照書籍の内容を要約したものなので、サイトの筆者と参照書籍の筆者という2者の主観を経ています。つまり、2回も主観的間違いが混入する可能性があるので、原典であるミッチナレポートの本体の該当部分を確認することが本来は必要です。

3、原典確認は一端脇に置くとして、未成年者が一定割合いたことを事実と考えても、朝鮮人台湾人占領地の現地人については除外規定があるため違法ではありません。日本人の未成年者がいれば違法でしょうが。

4、そして、日本人未成年者という違法な実態を基礎付ける事実があったとしても、日本が国家責任を負い得るのは、その日本人未成年者に対してだけですね。』

noharra noharra 『○○最も可能性として高いのは、朝鮮人の女衒=日本軍の依頼を受けた三下=下級ヤクザですね。

>>>それで日本軍に騙されたことになってしまうのは、冤罪ですね。

と思うのは、旧皇軍の親族だけでしょう。

>>>野原さんも被害者の証言を冷静に見ることができるようになって、良かったですね。

なめたような口をきかれるんですね!海老蔵さまは』

noharra noharra 『エビゾーさん

>>>1、私は、ミッチナレポートは要約部分しか読んでいないので、そこに明記してあった、レポートの調査対象となった慰安婦の平均年齢が25歳ということ、実態は戦地売春婦であること、しか知りませんでした。この事実認識からは、実態としても違法性を基礎付ける事実はなく、日本の国家としての法的責任は生じません。<<<

「この事実認識から」ってあなた!!

あなたの「証拠出せゲーム」は「わたしの心の内の事実認識」なんてものを一旦出発点に立てるのですか??

何のための「証拠出せゲーム」か、意味不明ですね。

>>>2、野原さんのご紹介のサイトによれば、対象慰安婦には未成年の者がかなりの割合で存在したそうですね。しかし、当該サイトはその下段に示した参照書籍の内容を要約したものなので、サイトの筆者と参照書籍の筆者という2者の主観を経ています。つまり、2回も主観的間違いが混入する可能性があるので、原典であるミッチナレポートの本体の該当部分を確認することが本来は必要です。<<<

ミッチナレポートの本体の該当部分を確認することを誰がするのですか?

>>>3、原典確認は一端脇に置くとして、<<<

この論点についてだけは「証拠出せゲーム」は一旦中止するのですね。

その根拠は?

>>>>未成年者が一定割合いたことを事実と考えても、朝鮮人台湾人占領地の現地人については除外規定があるため違法ではありません。日本人の未成年者がいれば違法でしょうが。<<<

違法かどうかなど、私の論点ではありません。

正しい福岡県民*1なら「朝鮮人台湾人占領地住民を日本人と差別扱いする」ことなど考えられない、というのが私の主張です。

>>>4、そして、日本人未成年者という違法な実態を基礎付ける事実があったとしても、日本が国家責任を負い得るのは、その日本人未成年者に対してだけですね。<<<

そういう人はいなかったとでもお思いですか?』

ebizoh ebizoh 『>>>最も可能性として高いのは、朝鮮人の女衒=日本軍の依頼を受けた三下=下級ヤクザですね。

>>>それで日本軍に騙されたことになってしまうのは、冤罪ですね。

>と思うのは、旧皇軍の親族だけでしょう。

いえ。私の先祖には旧皇軍に参加した者はいないのですが、日本軍は違法な募集は止めさせるよう努力してたでしょ?漏れたのもいたかもしれませんけど。

>なめたような口をきかれるんですね!海老蔵さまは

いえ。本心でございますよ。野原様。

>「この事実認識から」ってあなた!!

>あなたの「証拠出せゲーム」は「わたしの心の内の事実認識」なんてものを一旦出発点に立てるのですか??

いいえ。だって、野原さんは、ミッチナレポートの内容をどう評価するかと質問されたので、正直に答えたまでですよ。

>ミッチナレポートの本体の該当部分を確認することを誰がするのですか?

議論している以上、私と野原さんの両方ができればベストですね。

>>>3、原典確認は一端脇に置くとして、<<<

>この論点についてだけは「証拠出せゲーム」は一旦中止するのですね。

>その根拠は?

その先のことを野原さんが聞きたいだろうと思ったので、仮定の話として議論に応じただけですが。

>違法かどうかなど、私の論点ではありません。

>正しい福岡県民*2なら「朝鮮人台湾人占領地住民を日本人と差別扱いする」ことなど考えられない、というのが私の主張です。

野原さんは福岡県民なのですか?私は東京都民です。

というか、差別扱いしたのは過去の日本政府ですから。

私は現在であれば人種差別はしない誇り高い日本人のつもりですが(天皇機関説が妥当と考えるので右翼ではないかも)、ただ当時の法によれば違法ではない、という当然のことを区別して言ってるだけです。

>>>4、そして、日本人未成年者という違法な実態を基礎付ける事実があったとしても、日本が国家責任を負い得るのは、その日本人未成年者に対してだけですね。<<<

>そういう人はいなかったとでもお思いですか?

いたとしたら、政府や軍の管理不行き届きは責められるべきですが、日本人慰安婦って誰も国家責任追及してないんですよね?してる人がいたらぜひ教えてください。』

4/9コメント欄

*1:あるいは正しい右翼なら、少しは誇りを持つ日本人なら

*2:あるいは正しい右翼なら、少しは誇りを持つ日本人なら

一読者 『>ゆうき様

>消極的関与と積極的関与とは別物

ごもっともです。私も逆方向にワープしてますね。

整理のため大雑把にまとめると以下のような感じですか。

1、消極的関与・・・現在の公安委員会など

2、積極的関与その1・・・売春婦的実態の軍慰安婦制度(ベトナム戦争時のものなど)

3、積極的関与その2・・・性奴隷的実態の軍慰安婦制度

私が上記サイトを読んで感じたのは、現在の主な論争が2と3の論争であることを前提に、3の立場を論証しようとしているが、十分には成功していないということですね。

資料分析部分で検証していない内容を、私の引用した部分では所与のものとしていくつか取り込んでまとめていることには、お気づきになりますよね?

>ノーモア(敬称略)

まず最後の質問については、上記回答でかえさせてください。

私とあなたの解釈の相違は、1と2・3ではなく、2と3の相違でした。

で、逃げる(あなたは罵倒がお好きですね)と言われたままなのは癪なので、具体的分析については時間をとって別途しようと思いますが、その前にまずあなたのその他のコメントにお答えします。

>「強引な解釈」といういかにも知ったかぶった言い方をした

これはあなたの主観ですね。私の主観では、素人から見た素朴な感想ですよ。上から見てはいませんね。軍の主体的関与の有無についての私の感想は、ゆうき様への回答のとおりです。実証的と感じたと言ってもその程度のものです。

>「それが認められるかは別の問題だ」と書いておいた

ええ、ですから、あなたの立場に立ったとしても法的責任追及はできないことには変わりが無いでしょうと言いたいだけです。これも、補償要求条項が慰安婦決議案に含まれていたとしても法的レベルでそれに対応するのは政府として無理だから、決議案の条項として含まれていようと、引用された秦氏の論説で言及されていないことから推測されたとおり含まれていなかったとして可決後に決議に従い新たに公式謝罪をしたら別途要求される可能性があるだけであろうと、補償の要求は無理な横車であるということを言いたいだけですね。

決議案の内容確認も別途するつもりですが、ここでは一旦後回しにさせてください。

なぜこの点に先走りと言われながら私がこだわるかというと、裏取引で賠償請求はしないから慰安婦の名誉のために強制性を認めてくれと韓国側に言われて河野談話を出した後で、挺隊協が賠償請求をやめないだけでなくアジア女性基金からの受け取りを妨害し、韓国政府がそのことをいさめないどころか新たな日本政府の補償の必要性の検討を大統領が言明したという背信的な前科があることがまず第一です。政治的決着のつもりが決着にならず新たに法的請求の根拠に援用されるなんて、自縄自縛です。

第二は、あなたもご存知であろうNYT他一紙(もしかすると数紙?)の記事で、単なる記者の意見かもしれませんが、速やかな公式謝罪と公的補償をすべきであると書かれていたからですよ。有力紙数紙でそういう世論が作られたら、たとえ今の決議案の条項に含まれていなかったとしても、決議後に新たな補償要求がなされることは十分ありえます。

白馬事件の背景と、秦氏の戦犯裁判分析に言及した各サイトの紹介は感謝します。

両者及び野原氏の別エントリの内容に共通する要素の1つとして、現地人ないし朝鮮人台湾人に対する犯罪はあまり追及されていなかったという実態分析があるのですね。

ただ、これは戦犯裁判の主体となった連合国が中国を除いては欧米人だったという要因もあるでしょうね。その当時の国際法意識の主体が欧米人であるためにそれら非欧米人の被害が裁判として俎上に載せるに際して考慮されにくかったとしたら、それもまた行為時の西欧人の法意識及び非西欧人被害者の無知の限界の反映とも考えられる訳ですよ。その法意識は、ベトナム戦争時の慰安婦についての法的責任がほとんど問題となっていないこと、奴隷貿易や黒人奴隷制度などの法的責任がほとんど問題となっていないことと同様、不平等であっても法の限界でしょう。そして、主として法的責任が問題となっている以上、条約で解決済みなのに責任追及するのは、ごり押しでしょう。

日本が仮に決議案に従い新たに謝罪したとして(賠償は条約で解決済み)、それに続いて欧米が過去の非欧米への侵略その他の行為当時は合法でも現代的法意識から見れば犯罪的な行為について全て検証し謝罪し賠償するというのなら、劇的な政治的パラダイムの変化として、欧米の搾取した財貨の非欧米への還元の第一歩として、私も肯定しますが、そんなことはありえませんよね?欧米だけが近代法の諸原則のバリアーを主張して、日本だけそれが許されないのは、それこそ不公平です。

さて、一応確認しておきますが、ここまではソースの提示の必要な資料は無いですね?全て恐らくあなたがとっくにご存知であろうと思われる資料に依拠したことしか述べていませんが、ご存知で無い点があればお知らせください。』

桃寿さんの詩「遺書を書こう」を読んでみよう。

http://cute.cd/moonly/loli-isyo.html(閉鎖)

http://www.rktlb.com/momoju/

   不安定で ボロボロで すぐに崩れてしまいそうな

   脆くて 駄目で 情けない グラグラのあたしだから

と詩は始まる。実際に(追いつめられて)遺書を書くことと「遺書を書こう」という文章を書くこととの間には対極的とも言うべき距離感がある。投身自殺で叩きつけられた無惨な死体とそれを無表情に観察し記録する者との距離にも等しい距離が。ということはつまり、「脆くて 駄目で 情けない」あたしの存在とそう書いている<あたし>の間にも無限に近い距離があるということだ。だがしかし、「脆くて 駄目で 情けない」と日記に書きつけるわたしはいつも書く私ではなく、書かれる私にだけ同一化している。桃寿さんの詩がありきたりのナルシズムを免れている理由は、この勘違いを決してしない点にある。ただ、しないのではなく<できなかった>のだ、と思う、彼女の場合。

   まず 財産はないので その辺はどうでもいいです

   それから 写真や日記なんかは 気持ち悪いので焼いてください

彼女は冷静に的確に列挙する。

   恋人には ありがとう、って言って 他の人には さようなら、って

   面倒だけど 伝えて下さい

「面倒だけど」というのは最後の言葉を媒介してくれる伝達者に向けられている。自殺者としたら異様な平常心だ。

   一通り書き終えて 署名して 封をする

公務員にしたいぐらいしっかりしている。

書けば書くほど、書かれたものは<脆くて 駄目で 情けないあたし>からは乖離していくのだ。だから彼女は遺書を破る。そして、

   あたしは窓から飛び降りた

   「―――――。」

彼女は閉塞を拒否し行為を選ぶ。

だが、そこにも錯誤しかなかった(とたぶん彼女は書いている)。

労働過程

 労働過程は直接的欲望から生じる。労働過程の完成は、その社会的根拠、つまりその必然的欲望を満足させようとする人間の衝動に還元される。とヘーゲルは言っている。*1

 世界が人としての自然な充足の上に乗っているという世界観が資本主義だった、かっては。

*1:というのはルカーチによるマルクス化されたヘーゲルだが。cf同書p187

逆らう

方法とは、習慣的な規律のゆるみに対して加えられる暴力を意味する。

(略)

方法は流れに逆らう泳法だ。流れこそは人間を辱める。流れに逆らう手段は、それらがより悪しきものであればあるほど、わたしにはいっそう楽しいものだと思えるのである。*1

*1:p56バタイユ『有罪者』現代思潮社

資料

下記を資料として貼ります。 

かならずしも野原の意見というわけではありません。

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緊急声明3(転送可) 

日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ

アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、拉致グ

ループを激怒させるに充分です。

わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を受け取りまし

た。(パリ時間正午12時15分)

これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、米軍と組んでイラク民衆

を攻撃しようとするなら、人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、と

の警告です。

私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、今回の人質

解放に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく市民たちのネットワークで

あることを素直に認めるべきである。拉致グループを含め、イラク民衆が望ん

でいるのは、あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結

です。

以上のことが尊重されないなら、拉致された日本人の生命に万が一のことが起

こった場合のあらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょ

う。

グローバル・ウォッチ/パリ

コリン・コバヤシ

PS:日本政府へ転送できる方は転送をお願いします。

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緊急声明4(転送可) 

様々な情報が飛び交っていますが、技術的な問題で解放が遅れているようです。

ただ攻撃的なことをせずに静かに待つことが解放に繋がるという信ずるに足る

情報を得ています。

拉致グループは解放することだけを欲しており(何の交換条件もないこと)、

彼らの意思は声明文に表現された通りです。

アルジャジーラで流された情報に登場したミュズヘール・アル・デライミなる

人物は信用にたる人物ではありません。

静かに待ちましょう。

グローバル・ウォッチ/パリ

コリン・コバヤシ

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