思想信条の自由

アンチひのきみMLより。

 立川二中の教員である根津公子さんが、今年3月の卒業式での「君が代」斉唱

時の着席で「減給6ヶ月処分」となり、今年の入学式での着席について「停職」

の可能性もあるとのことです。

今月12日に都教委による「事情聴取」がありました。28日の教育委員会の

定例会で「処分」と「量刑」が決められる可能性が強いようです。

(略)

 ◆抗議・要請先 

 東京都教育庁 人事部 職員課

  FAX 03-5388-1731

  Mail S9000013@section.metro.tokyo.jp

  TEL 03-5320-6790(藤森 教悦 職員課長)

  TEL 03-5320-6792(佐藤正吉 主任管理主事)

  住所 〒163-8001 東京都新宿区西新宿2-8-1

「存在」っていったい何?

 存在とは、being,Sein,etre,esse(アクサン省略)であり、「あること」である 。だがそれでは何のことか分からない。

「その本性が存在するとしか考えられないもの」からスピノザの『エチカ』は始まっている。「(あるものが)あるかないか」は単純な問題で、哲学の問題ではないとわたしは思ってしまうがそうではなく、それこそが哲学なのだ。どういうことなのか、分からない。

 八木雄二『中世哲学への招待』isbn:4582850693という本は、西欧人は(日本人を含む)アジア人とはまったく違った感じ方考え方を根源的にしているのだ、ということを解説しており、とても興味深い本だった。

その本のp88-89に次のような部分がある。長いが引用する。

 でも結局分からないのだが。

 さてアンセルムスは、神の存在証明をつぎのように始める。すなわち、まず「それより大いなるものが考えられないもの」という概念を知性のうちに構成する。この概念が実在のうちに対応物をもつかどうかは、まずは考えの外である。そしてこの概念について考えてみる。アンセルムスによれば、神を信じない愚か者だろうと、この概念を考える知性はもっていると言う。そしてかれによれば、単なる概念としての存在は、知性のなかにしかないのだから、知性のなかに在ってなおかつ知性の外にも在るものの方が「より大いなるもの」であると言う。言い換えると、存在するという完全性の点で、知性のなかにしかないものより、知性のなかにも外にも(すなわち、両側で)存在するものの方が、優秀である、ということである。アンセルムスは、このことは客観的事実、言い換えれば学問的に認められる事実だと考えている。

「現実にも存在するものの方が、わたしたちが考えているだけのものより優れている」というこの観念は、たぶん日本人にはなじみがない。仏教的無の観念からすれば、優秀さの問題と存在の問題は無関係である。実際、在った方がいいものと同じく、無い方がいいものも世の中にはたくさんある。非存在より存在を有意義と見るヨーロッパ精神のもつ傾向は、やはり歴史的なものだと言うべきである。

 プラトンの場合も、善(最高価値)は存在を超えるが、存在と近縁な関係にあることは間違いない。この関係は、かれより二世代から三世代ほど先に生きて、古代ギリシア哲学に論理の力を見せつけたパルメニデスから受け継いだ「存在と論理の一致」の思想と関係するし、キリスト教の場合「神が世界を創造したし、現在も創造し続けている」という観念と関係していて、何が理由とも言い切れない。しかし、存在にこそ意義があって、非存在には意義がない、という思想は、ヨーロッパの思想に一般的な原理である。この思想を真っ向から否定した思想家はヨーロッパにはいない、と言ってもいい。プラトンと対比されるアリストテレスも、アンセルムスの証明を否定したトマスも、この点では一致しているのである。

 それゆえ、ヨーロッパの歴史に敬意を表することにしよう。つまりこの原理を認めて、単なる概念よりも実在もするものの方が「より大いなるもの」であるとするならば、一挙に、つぎの結論が出てくる。「それより大いなるものが考えられないもの」は、確かに、「実在する」。

 なぜなら、もしもそれが実在しないと考えられるなら、実在する、と考えられたものの方が「より大いなるもの」だからである。そして「実在する」と考えられたもの、そのように理解されたものは、わたしたちが普段、周囲に在るものについて「実在する」と理解しているように、現実に実在する、と言うほかないものである。こうして、「より大いなるものが考えられ

ないもの」は、考えられるだけではなく、実際に存在する、と結論され、神の存在証明が終わる。

p88-89 八木雄二『中世哲学への招待』

 この証明を概念から実在への「飛躍」と見るかどうかは、「存在と論理の一致」をどこまで認めるかにかかっている。「存在の有意義性」の方は、すでに述べてきたように西欧一般に認められた存在の価値観として西欧内部では問題にされない。だから知性のなかで考えたことがどこまで実在と一致するかは、もう一つの問題なのである。

p90 八木雄二『中世哲学への招待』

ベスト5

世捨人noharraのところに、 Musical Batonなるものがきた。id:amgunさんところから。世捨人ほどこういうものは喜ぶもの、である。

ただ音楽ってもう長い間あんまり聞いてない・・・

1.Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

なし、といいたいところだがそうでもない。71メガ。鬣、など。

4.Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲)

現在形でよく聞く曲はなし。

・日本のpops(というか)といえば何といっても、はっぴえんど。

ここでは、大滝詠一作詞作曲の「夢で逢えたら」を挙げる。

思ひつつ ぬればや人の 見えつらむ 夢としりせば さめざらましを(小野小町)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/komati.html

王朝美学の突然変異的復興、ともいえましょう。

・オーネット・コールマン「ロンリーウーマン」

倉橋由美子の小説に荒神橋のシャンクレールでこの曲を聴くシーンが出てくる。がそんなこととは関係なく、名曲である。

・元ちとせ「ワダツミの木」

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005ULFS/250-1569126-3448225

http://otd9.jbbs.livedoor.jp/908725/bbs_plain?base=95&range=1(野原)

・ジミ・ヘンドリックス、この曲というのは思いつかない。長い間聞いていないから。下記で確認するとデビューLPは『アー・ユー・エクスペリエンスド(1967年)』だがいま探してみたが見つからず。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9

・水玉消防団『乙女の祈りはダッダッダッ!』

わたしは水玉消防団のファンクラブ員だった。消防団解散後だいぶ経ってカムラはロンドンへ行って、ホーキ・カズコの相方(フランクチキンズ)をやってると聞いたが、今は一緒じゃないらしい。最近カズコの『ロンドン快快』という講談社文庫を読んで(カムラのことは2,3行でてくるだけだが)、カズコたちに対して同窓会的懐かしさを感じてしまった。(もちろん一方的なものだが)

人民のための戦争ではなく

 こうして、いよいよ軍司令部のあった首里も戦場になってきました。石兵団はすでに七○パーセント位がやられてしまっていました。山兵団が途中で応援に来て「総反攻」というのをやりましたが、それも、一日に六〇〇〇人も兵を無くすという大失敗で終わりました。そういう中、五月の二二日に、首里を最後まで死守するか、あるいは南の島尻まで退がって一日でも長く持ちこたえるかの、作戦会議が軍司令官や師団長、参謀長を集めて行われたそうです。そこで石兵団の藤間師団長は、我々の師団ではまだ多くの兵が陣地の壕や野戦病院の中で呻いている。それを見捨てて南へ退がるということは、到底できない。ここ首里で玉砕し、沖縄戦の最後としてもらいたい、と主張したそうです。しかし軍司令部の幹部連中は、首里戦線ではもう一週間も持ちこたえられないと判断し、一日でも長く持ちこたえよという大本営の命令に従うため、五月の二二日、南部への撤退方針を決定し、二五日から撤退を始めました。藤岡中将の提案を採用しておれば、その後の島尻での沖縄県民の惨状はなかったし、私たちも負傷者を見捨てて撤退しないでもすんだのです。それを思うと残念でならない。大本営命令をかざして、それを否定した軍司令官や参謀が、戦後になって評価されるなど耐えられるものではありません。

(p122『ある日本兵の二つの戦場』isbn:4784505571

 そもそも、立派な軍司令官や参謀長なら、なぜ島尻の方まで軍隊を退げて戦う必要があったのか。そこにはもう、二十数万という沖縄県民が、戦火を逃れており、それはもうはっきり分かっていたことなんです。分かりながら、首里の線がもう駄目だからといって、当時約三万の日本兵を退げた。その結果十何万人の沖縄住民が悲惨な戦場に巻きこまれて亡くなってしまった。前にも言ったように、五月二二日の会議のおりに、私らの師団長は、八○パーセントの兵を失い、今も負傷者があちこちの洞窟でうごめいているのに、ここを拾てるわけにはいかないといって、首里での玉砕を主張したそうです。もしそうしていたら、十何万といわれる沖縄県民の犠牲はずっと少なかったはずです。前線の兵士がどんな風に死んでいこうが、沖縄県氏が何万人死のうが、そんなことは問題外で、武人としての自分の立派さしか考えなかった、そうとしか私には考えられません。

 さらにその上の台湾の第十方面軍もとんでもないと思います。沖縄のすぐ近くの台湾には六〇万という兵隊がいるというのに、一兵たりとも沖縄には出しませんでした。

 さらにその上の大本営は何かといえば、絡局は国体護持、天皇制擁護しかなく、そのために一日でも長く持ちこたえよということで、沖縄を拾て石にしてしまった。

 そして全ての責任の一番の大元は、天皇です。東京裁判で東条英機がキーナン検事の質問に答えて、「天皇の言うことはノーとは言えない。そう言える状況でもなかった。我々は天皇の意思をくみ取って行動した」と述べている(天皇が訴追されそうになるので次回尋問で翻しましたが)。要するに、御名御璽、天皇の意思を汲んで東条が遂行したんです。

 それなのに、八月一五日、天皇裕仁は、三〇〇万の国民を亡くしてしまったのも、二〇〇〇万以上とも言われるアジアの人々を殺したのも、自分の間違いであったとはっきり言うことはありませんでした。このことが、今の日本をこんなにしてしまった根本原因です。

(p158 同書)

在日韓国人への嫌がらせ

 神戸家庭裁判所というのはひどいところだな。

抗議先

〒652-0032 兵庫県神戸市 兵庫区荒田町3-46-1

電話番号等 Tel:078-521-5221 Fax: 078-521-8011

   神戸家庭裁判所 永井 ユタカ 所長

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韓国籍理由、弁護士の調停委員選任を拒否…神戸家裁

 神戸家裁が、韓国籍を理由に調停委員の候補として兵庫県弁護士会から推薦された弁護士の選任を拒否していたことが30日、わかった。推薦を受けた弁護士が選任されないのは極めて異例。同家裁は「調停委員は『公権力』を行使する国家公務員で、外国人は選任できない」としているが、同弁護士会は「話し合いの仲介が『公権力』と言えるのか」と反発。問題を重視した近畿弁護士会連合会(近弁連)も、近くシンポジウムを開いて市民と意見交換する。外国人の司法参加のあり方について今後、議論が高まりそうだ。

 調停には、隣人同士のトラブルなどの民事調停と、離婚や相続などの家事調停があり、事案ごとに裁判官1人と調停委員2人以上で作る「調停委員会」のもとで話し合いが行われる。

 調停委員は、「豊富な知識、経験を有する」人らを家裁などが最高裁に上申し、2年の任期で任命される。弁護士は委員の資格があり、最高裁規則は、欠格事由として、弁護士として3年以内に懲戒処分を受けた者など7点を挙げるが、国籍条項はない。

 兵庫県弁護士会によると、神戸家裁の依頼で、2003年10月、韓国籍の梁英子弁護士(47)を推薦したが、同家裁から「最高裁に上申しない」と通告された。

 最高裁によると、調停委員らが作成に関与する「調停調書」は確定判決と同じ効力を持つほか、関係者を呼び出したり、行政罰を科したりする権限を持ち、国家公務員扱いとされる。

 最高裁は「公権力を行使する公務員は日本国籍が必要」とする内閣法制局の見解に基づき、「調停委員に外国籍の人は任命できない」としている。

 これに対し、近弁連側は「調停委員は話し合いがまとまるように取り仕切る立場にすぎず、調停調書も当事者の合意がなければ結べない」と疑問を投げかけ、梁弁護士も「家事調停に関心があり、調停委員として、さらに理解を深めることができると思っていたのに残念です」と話している。

 最高裁は1977年、司法修習生の採用要項にあった国籍条項について、「相当と認めた者を除く」とのただし書きを設け、実質的に司法試験合格の在日外国人を修習生として採用。現在、全国で約50人の在日外国人弁

護士がいる。

 近弁連のシンポ実行委員会委員長の吉井正明弁護士は「在日外国人のトラブルも調停に持ち込まれ、今後さらに増加するのは必至。外国人の調停委員も必要になるはずだ。最高裁が扱いを変えるよう働きかけていきたい」

と話している。

 シンポジウム「外国人の司法参画」は、9月10日午後1時から大阪市北区の大阪弁護士会館(電話06・6364・0251)で開かれる。

(2005年07月30日 読売新聞 関西本社版)より

http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20050730p102.htm

内田樹の靖国問題

内田樹が靖国問題について書いた新聞記事を、友人がコピーしてくれたので読んでみた。*1

彼は「死者は言葉を持たない」と強調する。それを強調するのは正しい。

共同体をめぐるほとんどの対立は「死者のために/死者に代わって」何をなすべきかを「私は知っている」と主張する人々の間で交わされている。

しかし、靖国問題とは、死者の正しい服喪はどうあるべきか?という問題だったのだろうか。個々の戦死者たちはすでに親族によってそれぞれの墓に祀られている。死後の霊はその墓の近くにいると考えても良い、と篤胤も言っている。東京大空襲の死者たちはどんな国家的祭祀も受けていないけれども、“戻ってきて災いをなす”ことなどできていない。

靖国問題には二つの歴史的位相があり、新しい位相はA級戦犯合祀で画される。がやおきのりの路線にも反する後者は、戦前の軍国主義一切を免罪しようとする極右勢力によって為された。“国のために死ぬことは名誉だ”として押し進められた戦争への動員(による死)は、英霊として讃えられるべきだという思想。「先の戦争」は間違っていたのかどうか、という問いに答えられず、間違っていたと答えない方向にしか向うことができない哀れな日本は、彼らの極右思想が作り上げた現在である。

このように靖国とは死者を過剰に国家が取り込む装置である。しかし、内田はそのようには見ない。靖国で行われているのは極めて特殊な形での「服喪」であるのにそれを、服喪一般に拡散させて論じているからだ。

*1:2005.8.30朝日新聞夕刊「生者は儀礼決められぬ--言葉を持たない死者に権利」

「けっ」でしかない私

(p15)

 なぜ、あるはずのないそんな灯を見るのか、それは当人が助かりたいと思っているから。

 普遍的私の普遍的運命、それは結局自分だけでもうまい事して助かりたいという、個別の自我を核とした普遍的希望により選び取られるのだった。そしてそういう発生故にまたこの普遍的私は、いわゆるひとつの「ひとごとではない大層なお大事な私」に、つまりは他者から見たら「けっ」でしかない私になり果ててもいるのでした。

この断片も引用しておく必要がある。ただし、この断片は上記3つとは少し違う。登場する文字列が「けっ」一つだけである。けっには「」が付いている。それだけでなくこの小説では異例の哲学的文章(普遍的が4つもある)による解説的文章である。

追加されるサンプル

 8.けっ

私はたたかいます。

(略)当時の佐々木の心境を最もよく代弁する宮沢賢治の二つの文についてであった。

最初のは、明日の山烏との戦を前にし、彼らの神である北斗七星に祈る烏の言葉である--

わたしがこの戦に勝つことがいいのか、山烏の勝つのがいいのか、それはわたしにはわかりません。みんなあなたのお考えの通りです。わたくしはわたくしにきまったように力一ぱいたたかいます。みんなあなたのお考えの通りです。

佐々木八郎「特攻隊員の手記」『ねじ曲げられた桜』p307 isbn:4000017969

ひとは人類を愛せない 

コーリャ「神を信じていなくても人類を愛することはできるのです。ね?ヴォルテール(注:18世紀のフランスの啓蒙思想家)は神を信じていなかったが、人類を愛していた!」

アリョーシャ「いや、ヴォルテールは神を信じていました。が、それはほんのちょっぴりでした。だから彼は人類を愛していたけれど、それもほんのちょっぴりだった、と思うのです。」

カラマーゾフの兄弟 http://www.coara.or.jp/~dost/2-3-1.htm#B

自己が自己である限りでできることなど、ほんのちょっぴりだ、とドストは言っているようだ。それは確かにそのとおりだろう。しかし自己は“自己である自己”より大きいのだから、愛はほんのちょっぴりよりちょっぴり大きい物で有りうる。