3月15日コメント欄
カテゴリー: idea
戒律への服従をめぐって
3)では、安息日の規定など当時のユダヤの律法に対してイエスが批判的だったことが語られる。p333
ヘーゲルは強引にも、ユダヤの律法道徳にカントの法則道徳を重ね合わせて批判するのだ。そして(全一な生)に基づく<愛の道徳>としてのイエスの道徳を顕彰する。
一方仏陀は、<慈悲の心を持たねばならぬ>と同時に<自他に対して根本的には無関心の態度を取る心を持て>とも言っており、戒律にはより遠い、ようだ。
何びとの血も流さずに
わたしは村上一郎の本を数冊持っている。だいたい30年近く前に買った物でそれ以来読み返していない。昨日キーワード「村上一郎」と「mkimbaraの読書録」を読んで、本を出して見た。1962年に書いた「ルソオの日に」という短文を読んだら、引用したくなったのでしてみます。
六月二八日に、ぼくたちは、ジャン=ジャック・ルソオの生誕二五〇年記念日を迎える。
五〇年前、間もなく年号が明治から大正に移るという年の同じ日に、ぼくたちの父や祖父はルソオの生誕二〇〇年を迎えたわけだが、この、大逆事件被告処刑直後の年に、ルソオを記念する行事が、いかに困難な状況のもとに行われたか。--それは、多くの日本民主主義・社会主義の先達にのこされている。また、その困難な行事に参加した、うぶな青少年が、行事を機に、どのような“回心”を体験(エアレーベン)したか、それも記録に残っている。それらの人たちの後半生は情ない末路をたどったかもしれぬ。が、ぼくはこの年の困難な精神のいとなみを尊かったと思う。
五〇年を経て(略)・・・天下泰平のうちに、書く人も読む人もふくめて、ぼくらはルソオの日を迎えるのだ。ぼくらは、たいした戦いもなく、何びとの血も流さずに、この日を迎えるのである。だがこのようにして得た「民主」の世を、ぼくは、にがにがしく思う。(略)
そして数行のあと、かれはこうした情況への内心の思いを吐き出す。
沌沌。悶悶。そして愚劣。ぼくは「死語する死霊達」に唱和しないではいられない。*1
村上の文章は適当につまんで引用することができない。一見平明な言葉面の背後に手に負えないほど強く複雑なリズムが潜んでいる。
ところで、1962年が天下泰平だったとすれば、この30年間は一体何だったのか。天下泰平の自乗か三乗ぐらいか。わたしたちは民主主義あるいはルソオを自明のものだと思っているわけではない。ただの飾り言葉だと思っている。私たちにとって政治とはと問いを発しても、投票に行くか行かないかあるいはどの政党が良いかなどといった愚劣な問いに回収されてしまう。だが本当はそうではないことをわたしたちは知っている。わたしたちの職場でも町内会でも薄笑いの裏に血は流れている。戦わないものには見えないだけだ。だからといって、ルソオや民主主義のうらに、必ず<血>や<デモオニシなもの>の存在をかぎ取らないといけないのか。平和で豊満な日常に常識を持って生きていこうとするだけで充分ではないか。もちろん出発点はそれでいい。だが戦前の大逆事件以降の弾圧や正義無き大東亜戦争の死者たちの圧倒的存在感を察知するやすばやく遠ざかり、イノセントを(無意識のうちに)装ってしまう性癖をわたしたちは持っている。といってもまんざらはずれていないのではないか。
*1:p265『日本のロゴス』国文社 1970
網野善彦氏が亡くなられた。
「日本は日本である」といった同一性の神話に対して闘い続けた偉大な先達である、網野氏は、私にとって。哀悼の意を表したい。
といっても不勉強なわたしは彼の本をよく読んでいるわけでもありません。『日本中世の民衆像』という岩波新書が出てきた。冒頭で、日本人単一民族説と「日本人の生活の中心は水稲耕作だ」二つの考えを挙げ、それは「やや極端にいうならば(略)この日本列島に住み生活をしてきた庶民にとって決して真実とはいいがたいの ではないか」と書いています。
いくらいってもわたしたちは日本とか朝鮮(あるいは韓国)という、たった一つの言葉でありながら世界を僭称する共同幻想以上のもの、から逃れられない。だから同一性の神話とは絶えず闘い続けなければいけない。
資料
下記を資料として貼ります。
かならずしも野原の意見というわけではありません。
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緊急声明3(転送可)
日本政府へ、そして反戦市民、団体すべてへ
アルジャジャーラにたいする川口外相の声明、外務省報道官の声明は、拉致グ
ループを激怒させるに充分です。
わたしたち、グローバル・ウオッチはバグダッド経由の警告を受け取りまし
た。(パリ時間正午12時15分)
これ以上、日本政府が自衛隊派兵の正当性を主張し、米軍と組んでイラク民衆
を攻撃しようとするなら、人質解放の扉は閉ざされる危険性があるだろう、と
の警告です。
私たちは、日本政府がいっさいの無意味なアジテーションをやめ、今回の人質
解放に繋がる道を開いたのは、政府の努力ではなく市民たちのネットワークで
あることを素直に認めるべきである。拉致グループを含め、イラク民衆が望ん
でいるのは、あらゆる外国の軍隊のプレザンスの退去であり、占領の早期終結
です。
以上のことが尊重されないなら、拉致された日本人の生命に万が一のことが起
こった場合のあらゆる責任は日本政府にあると判断されても仕方がないでしょ
う。
グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ
PS:日本政府へ転送できる方は転送をお願いします。
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緊急声明4(転送可)
様々な情報が飛び交っていますが、技術的な問題で解放が遅れているようです。
ただ攻撃的なことをせずに静かに待つことが解放に繋がるという信ずるに足る
情報を得ています。
拉致グループは解放することだけを欲しており(何の交換条件もないこと)、
彼らの意思は声明文に表現された通りです。
アルジャジーラで流された情報に登場したミュズヘール・アル・デライミなる
人物は信用にたる人物ではありません。
静かに待ちましょう。
グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ
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東エルサレムのパレスチナ人は解放される
イラクで拘束されていた東エルサレムのパレスチナ人が、
昨日解放されたということです。
ハアレツの記事は以下。
<http://www.haaretz.com/hasen/spages/418975.html>
わたしは英語が読めないのでまだ読んでいません。
東エルサレムはヨルダン川西岸地区と同じく被占領地区です。アメリカや日本もそう認識しているはずです。
ラファでの虐殺(5月18日)
http://www.onweb.to/palestine/siryo/rafanakba19may04.html の一部を転載していましたが、一時消去します。
他者の出現
野原のサイトとしてはここ以外に、(ほとんど更新のない)親サイトと、掲示板がある。掲示板と言っても開いて3年基本的にわたしだけが発言する場所になっていた。ところがこの5月21日におじゃる丸さんという方が書き込んでくれて、以後対話的に発言が重なっていった。ところが(わたしの不徳のいたすところもあって)どうも発言がどうどうめぐりになっている気もする。わたしの発言を下記に掲げ、もう一度読み返して見よう。
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=291&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=293&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=297&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=300&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=305&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=307&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=309&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=312&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=313&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=315&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=317&range=1
http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=321&range=1
けっこう量があるのだが、中心的モチーフは下記のようなものだろう。
#291で言っているのは、「日本(日の本)って中国からみた呼び名だね」ということ。
教育勅語までの時代は中国中心的世界観の上で、日本人の文章は書かれていました。例えば、忠臣の代表として名高い楠正成もそうです。「楠正成の兵を用ふるや(略)孫・呉に髣髴たり。而して忠勇、壮烈は、殆ど唐の張巡と相似たり。」*1
#297 より。「日本の前期水戸学と後期水戸学の間にも、そうした解釈の地平(エピステーメー)の切断面があると言えます。つまり後期水戸学というよりその通俗化である教育勅語以降の感覚から見ると、同じ尊王論にしかみえないわけですが、そこには明らかに違いがある。」
#313 で。 家族、祖先祭祀中心主義とか権威主義に結びつきやすい傾向とかいったいわゆる保守的な発想、とは別のものを、B)(儒教的文化)のうちから、発掘することは可能であるはずです。というかいわゆる保守的なものは近代国家へのあせりというベクトルにおいてその反動として形成されたものであり、近代の印を帯びたものです。数百年前に現実にあったものは今日の保守派の言う伝統なるものとまったく違ったものであることは間違いないでしょう。わたしが見ようとする儒教も、21世紀の問題意識から発見しようとするものではあります、が。(略) そういった問題意識から見た場合、ちょっと古い本ならどこにでもあるB)の文化の香りを尋ねることは意義のあることだと思っているわけです。
*1:安積澹泊「大日本史贊藪 」p162『日本思想体系・近世史論集』
死刑を望むのは甘えではないか
1.グアンタナモの収容者を米軍は即時解放せよ。
参考 http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/991.html
2.さて宅間某(宅間守氏)に対し、死刑が執行されたそうです。
わたしは死刑廃止論です。肉親とかが殺されたら犯人を憎悪するのは当然だと思う。だがその思いを国家が私に代わって晴らしてくれるべきだ、などという発想はおかしい。殺されたということは絶対的な不条理であり、宗教によって被害者の気持ちが救われることはありえても、国家はそうした問題には関与しなければいけないわけではないし関与することは不可能である。第三者が被害者感情がどうのこうのと口を出すのもおかしい。被害の絶対性に思いを致すならば、そこにひたすら立ちつくす被害者を放っておくことしかできない。
汚辱にまみれて死んでいくべき
わたしなのに。ついついごまかして普通人のふりをしてしまう。
http://bbs7.otd.co.jp/273430/bbs_plain?range=-50&base=3000 西尾幹二(日録)感想掲示板
左翼というだけで、「汚辱」と決めつける上記のようなサイトはわたしの守らなければならない<初心>を思い出させてくれる。感謝。
2985 日録の 年上の長谷川 2004/10/13 22:17
女性 広島県
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こんなところや
こんなところにたどりついてしまった。
やはり全共闘系列とジェンダーフリーと、反つくる会と、
反日自虐史観主義者?は同じ仲間であると実感しました。
「汚辱に塗れ」の(c)はミシェル・フーコー。
198 汚辱に塗れた人々の生 丹生谷貴志訳
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9400fm06.htm
『ミシェル・フーコー思考集成VI 1976-1977 セクシュアリテ/真理』