主体として生きぬいた

「ねじ曲げられた桜」つながりでたまたま見たブログの文章が、奇妙でどこか引っ掛かるので引用させていただく。

http://d.hatena.ne.jp/tabaccosen/20050721 tabaccosen – 小田実の「玉砕」について○

○戦中派なのだ。戦争に関して「聖なるもの」を叩き込まれた世代なのだ。その意味では、pureなのだ。これがかれらの世代の基底を形成している。「散華」に「特攻」の動機をもっていくのは、打ち込まれた思想の徹底性以外のものではあり得ない。しかしかれらは、主体としてそれらの問題を自分に引き戻しだ。それが「整理」の中身であり実体なのだ。<美しい>から救われるのではない。あくまで主体として考え生き抜いたのだと強弁することで己が保たれる。その認識が危険なのだ。

わたしは小田実を読んだことがないので分からない。

「著者である小田は、思想し抜いたとでも言わんばかりに、結語的に言う。」その結論に対して、tabaccosenさんは「自己を肯定せずにはいられない弁明性を根拠としているに過ぎない」という言葉を投げつける。

ローザ・パークス

 今週のもう一つの大きなニュースといえば、ローザ・パークス女史の死去という事件でしょう。1955年に人種差別の続くアラバマ州モンゴメリーで、白人専用のバスの座席に座り続けたために逮捕され、この事件を契機に、60年代の公民権運動へと黒人コミュニティが立ち上がったのです。パークスは歴史を変えた勇気ある女性ということで、その後は公民権のシンボルになっていきました。

 小学生の子供に読ませる偉人伝や、社会科教科書には必ず登場することから、正に国民的英雄と言って良いのでしょう。歴史上の人物としての知名度はトップクラスの存在です。その死去は92歳という大往生で、アメリカ社会に静かな服喪のムードをもたらしました。激しい意志とは裏腹に、穏やかで知的な語り口のインタビューのテープは何度もTVで取り上げられました。また老境を迎えたパークス女史が淡々とした微笑みを浮かべながら、問題の「バス」の席に座って過去を振り返っている写真なども、どのTV局も繰り返し映していました。

 そのパークス女史へのブッシュ大統領の対応は、やや異例といって良いでしょう。異例というのは、保守派で黒人票を意識せずに当選した大統領にしては、強めの対応をしているという意味です。自身が追悼のスピーチを発表していましたし、遺体を国会議事堂に安置して一般の弔問を受けるという民間人としては最高レベルの弔意が示されています。

 また、全国的に半旗が掲げられましたが、テロや戦争でなく、またレーガン大統領のような保守派の政治家でもない、公民権の「母」の死を悼んでの半旗というのは国のムードを落ち着かせたように思います。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/recent.html JMM最新号

ローザ・パークスさんのことは実はよく知っているわけではない。ただとにもかくにも、彼女を国民的英雄としてUSAは弔ったと。「東条有罪」反対派が過半数を占めそうな日本はどうなのか。「君死にたもうことなかれ」という唯の希望を歌にしただけの与謝野晶子では弱いと思う。日本人にとって人権とは何か?

反米という退廃

 デモはスローガンを叫ぶことで成り立っている。みんなが納得するスローガンを選ぶのはなかなか難しい。だからスローガンの一字一句にこだわって納得できないとか主張するのは大人気ない。このデモの場合は、アメリカのイラク占領とそれに追随する小泉政権に反対することと、急速に再編強化される日米安保(そのための憲法改正)への危機、という二点に同意できれば充分だ。

 というわけでデモが終わった後で細かいことをちょっとだけ言ってみたい。というかまあ小さなことではないが。

 米軍は日本から出てゆけ~!

 米軍はアジアから出てゆけ~!

とかたまに言ったりしていたがそれで良いのか? 米軍という悪を憎みそれを除去しようとするだけで良いのか。北朝鮮人民を抑圧している金正日は、反米勢力には(彼が)できる限りの援助をしてくれるぞ。

 わたしたちは反米反スタという原点に立ち返り、スターリニズムを延命させないという問題意識をも持ち続けなければならない。

たった一度の住居侵入。

私は神戸大学を懲戒免職になった松下昇氏をずっと尊敬し続けてきている。

自分の関心のある任意の行為や、その持続が何らかの評価を受ける場合、どのような動詞として規定されているかを調べてみることである。私は、自分に対する処分理由や起訴理由などについてやってみる。

 処分理由…「成績表を提出せず、試験の実施を拒否し、0点をつけ、開講せず、教授会に出席せず、はり紙をなし、ビラを作成し、立ち入り禁止の学舎内に残留して退去せず、教室を占拠して無断使用し、明け渡しの通告を無視して不法占拠を持続し、教壇を占拠し退去説得にも応ぜず、授業実施を中止するのやむなきに至らしめ

(後略)

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html

で今回の、立川ビラ配布訴訟での、動詞の数を調べると、

 被告人大西章寛(のぶひろ),被告人高田幸美(さちみ)及び被告人大洞俊之(おおぼらとしゆき)は,共謀の上,「自衛隊のイラク派兵反対!」などと記載したビラを防衛庁立川宿舎各室玄関ドア新聞受けに投函する目的で,管理者及び居住者の承諾を得ないで,平成16年1月17日午前11時過ぎころから同日午後0時ころまでの問,陸上自衛隊東立川駐屯地業務隊長赤塚昭美(あきよし)らが管理し,浅霧修(あさぎりおさむ)らが居住する立川宿舎の敷地に立ち入った上,同宿舎の3号棟東側階段,同棟中央階段,5号棟東側階投,6号棟東側階段及び7号棟西側階段の各階段1階出入口から4階の各室玄関前まで立ち入り,もって正当な理由なく人の住居に侵入した.

http://homepage2.nifty.com/osawa-yutaka/heiwa-iraku-dannatu-hanketu.htm

何と、「人の住居に侵入した」のたった一つしかない。もちろん一つでも「殺す」とかだと十分問題だが、松下における多くの動詞同様、それ自体が重大な法益を侵す動詞とは思えない。したがって松下における上に上げただけでも動詞が十であるのに比べると立川事件での強引さが目立つわけである。

松下の場合は、自分の職場で本来の職務を実施しなかっただけでも、社会の根幹を侵している。立川事件には反社会性はない。

近くの小学校の校門でビラまきをしようとしただけで警察に通報するぞと、脅かされる時代。言論の自由のない時代。

ビラまきを抑圧する民主主義なんてものはありえない。

(12/12 朝7時追加)

松下昇の表現(オンラインで 読めるもの)

メモ:ストライサンド効果

ストライサンド効果:インターネットでは、理由なく情報が消されると余計広がること。(バーブラ・ストライサンドが痛い目を見たことに由来)

17 minutes ago

ストレイサンドかと思ってた。

中道右派to野原氏 『一部訂正

×3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメント

○3月15日付けと3月19日付けの各エントリ中の私の該当コメント

なお、3月18・21・24・25日付けエントリにコメントしておりますので、お返事ください。

ノーモア氏によると、コメントに答えないと、逃げたと思われるので嫌だそうですよ。』(2007/03/28 07:28)

* noharra 『中道右派さんへ

ちょっといま、別のことで考えなければいけないことがあるので

応答は遅れます。

--あなたの「証拠を出せ」ゲームに乗るつもりはありません。

--あなたの「証拠を出せ」ゲームを仮に前提とした場合、ミッチナ報告の読みの点であなたは矛盾を犯している。

これを認めてください。』(2007/03/28 07:50)

* ノーモア 『野原氏のブログなので彼が認めるのであれば私に何も言う権利はありませんが、これほどの長い、しかも永井論文を単にまとめただけのものを貼り付けるなんて常軌を逸していると思いませんか?

御自分でブログを作って検証してトラックバックをすればいいんじゃないですか?しかもコメント欄で分割すれば読みにくさは倍増します。しかもはてなのコメント欄には容量に限界があります。少しはお考えになってはいかがでしょうか?

>3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメントを、『永井和論文の批判的検討』などといったタイトルで独立のエントリにしていただけると、うれしいです。

厚かましいにもほどがありますな。

それからはてなの容量のことも調べずに「逃げた逃げた」と中傷したことについて言及は一切無しですか?とことん礼儀知らずの人ですね。』(2007/03/28 09:28)

345 八月の短歌

戦場の街の一つをそのままに持ってこなければわからないのか

(砂川壮一)

第九条創りし高き理想あり代うるにいかほど理想のありや

(諏訪兼位)

8月30日の朝日歌壇の馬場あき子氏の選より。彼女は「「原爆忌」が季語になっていく歳月を、記憶の風化を悲しみながら生きてきた」と言う。記憶とは何か、わたしには分からない。戦場の街が突然目の前にあっても分からないだろう。「反戦平和を祈る」というのは思想たり得なかった、と言って良いのか?結局のところ、“朝鮮戦争にもベトナム戦争にも心からは反対しなかった反戦”は捨て去るしかないだろう。*1

*1:何年の発言なのか不明、2004年か

言葉の上の正義

 大晦日、紅白かボブサップか暇人でもTVでも見てくつろいでいるというのに、わたしは(一応掃除とかもした後)孤独に面白くもないヘーゲルを読もうとしているのでした。でも紅白とか覗いてみたがヘーゲルより面白くないとはどういうことだ! p262ギリシローマ時代、徳性は民族共同体にしっかり根を下ろしていた。

 近代の徳性は、共同体をぬけだした本質なき徳性であって、実質的内容を欠く、観念とことばの上での徳性にすぎないのである。世間とたたかう徳のおしゃべりの空虚さは、その意味するところがはっきりすればすぐにも暴露されてしまうので、徳のいい草にはなんの新鮮味もないのだ。で、わかりきったことをいわなければならないとなると、あらたなものいいを工夫して熱弁をふるうか、心に訴えかけて、いいたいことを内心でつぶやいてもらうしかない。(略)そうしたいい草の山や、もったいぶった口調には、だれも興味をいだかなくなっている。退屈なだけの話が興味をかきたてないのは当然のことである。*1

 で急に話は二百年後の現在に飛ぶわけですが、今年、時代の変化を観察できたのはやはり、総選挙の社民党と共産党の退潮でしょう。わたしは今憲法九条の削除に反対です。イラク派兵にも反対、つまり民社党よりも「社民と共産」に近い(といえる)。ただ、「護憲」「憲法9条」とかが絶対の正義であるかのように声高に言う人に対してはわたしも異和感を持ちます。建前としての絶対平和主義は、本音としての米軍(安保条約)と自衛隊という現実、と表裏一体のものとして戦後五十年間日本の言説空間でメジャーだった。正義派のひとはそういう風には現実を見ない。自分たちは常に正義であるが、残念なことに悪であるところの世間が正義を押しつぶそうとする。私たちは苦しいがそれでもたたかい続けるという志は失わない。シニカルに言ってしまえば彼らにとって一番大事なものはナルシズムなのだ。で、上記のヘーゲルは、わたしには(わたしだけかもしれないが)そういった正義派の人への揶揄としてそのまま受け取れるのです。

 各個人が自分の為に行為しているとしてもその行為の総和は、善を現実にもたらすことになる(はずだ)、とヘーゲルは思っている。ブルジョアの自由が歴史を前進させた時代もずっと昔にはあったのね。ということなのか。「なりゆきまかせの個人は自分だけのために利己的に行動していると思いこんでいるかもしれないが、実は思いこみの上を行く存在であって、その行為は同時に潜在的な善を実現する共同の行為でもある。」 

*1:p262『精神現象学』作品社 ページ数よりもどの部分かの方が大事ですね。「5理性」は、金子氏によれば「観察/行為/社会」と分かれる。「B行為」は「快楽/心胸/徳」と分かれる。引用は「c.徳」の終わりの方からです。

私の自主講座運動

 久しぶりにホームページを更新しようとしたら、ftpから入れない。焦った! インフォシークのページに行くと、2月20日(金)16:00~2月26日(木)14:00 FTPによるファイルの更新などができない、と書いてある。その後は使えるのだろうか。不安だがこのまま行こう。ちなみに自分のためにメモしておくが「iswebIDは、旧トライポッドIDに“-lj”を足したものになります。」

 載せたかったのは松下昇の「私の自主講座運動」の前半。とりあえずここに貼っておこう。


私の自主講座運動

(松下昇氏の表現)

 詩というものが無数の表現方法をとるように、闘争にも無数の方法があると思いますから、私も自分の軌跡について、ひとまず報告しておきたいと思います。ここへやってきたのは、さきほど菅谷君もいったように、たんに報告するとか、講演をするためではありません。菅谷君はもともと、神戸大学で一諸にドイツ語を教えていた仲間です。数年前から我々をとりまく情況をなんとかして突破しなければならないと考え、そのために、我々は様々な目にみえない闘争をすでに開始していたのです。いま、場所的に離れてはいるけれども、私のやっている自主講座運動と菅谷君のやっている解放学校とがいわば〈 〉のように情況を包囲する形で現実化しようとしています。そういう特にあたって、私自身も六十年代に自分がやってきた事を総括する意味をこめて、今日、ここへやってきたわけです。

 私(たち)の運動の特徴を六つの項目にまとめてみました。

 一番目は、二月二日に私が出した「情況ヘの発言」に示されていますけれども、大学闘争における表現の階級性粉砕を主要な根拠にしています。例えば、権力を持っている者の表現と持たない者との表現とは、文字として、あるいは声として同じであっても、それが現実に持つ意味については全く違ってきます。そして闘争の契機自体よりも、闘争過程において各人が表現にたいして持っている責任を追究する形で、闘争が持続しているわけです。

 具体的には、この問題について全ての人が私に対してこたえるまで、大学の秩序に役立つ労働を放棄するという形で授業や試験やその他一切の旧秩序推持の労働を拒否しているわけですけれども、同時に、単純な拒否でなく、自分の出来る範囲で攻撃的に粉砕してゆこうと考えました。大学によってそれぞれ条件は違うと思うけれども、我々の場合には、自主講座運勤がいわゆる全共闘運動を包囲している形で展開されており、また単に闘争者がやっている運動というよりは、この運動にかかわる人間がたとえ我々が敵対する場合でも、自主講座運動に無意識的にも参加しているのだという確認を前提としています。たとえば、我々の自主講座に大学当局や民青や、さらには機動隊がやってくる場合も、彼らを平等な参加者とみなして運動を続行してきました。

 二番目は、創造(想像)的なバリケードです。全国的に目に見えるバリケードが撤去されている段階において、本当のパリケードの意味

はこれから追求され始めるであろうと思います。そのための条件として

、目に見えるパリケードの中に何を、いかに形成してきたかということがあります。神戸大学の場合でいうと、大学措置法成立後、もっとも早くバリケードが解除されましたけれども、バリケード形成以前から一貫して自主講座運動を続けていたために、解除されたということがそれ程打撃にならなかったのです。そればかりか、最後までバリケードで徹底的に活動したのは自主講座運動であったし、またその後の授業再開、試験強行にたいしてもっとも戦闘的に反撃したのは、我々の運動でした。

 我々が活動する空間がそのままバリケードになってしまう。例えば、この教室を授業で使うとしますと、ここを占拠して、自分達の問題提起をおこなう。別にロッカーとか、机で封鎖しなくても、我々の存在がそのままバリケードに転化していく。しかも、移動可能なわけですから、いたるところに出没して、ゲリラ的にバリケードを運動させていくわけです。これは不可視の領域へまで拡大していくべきだと思います。

 三番目は、我々の自主講座運動のテーマはどういうものか、ということです。これは明確に定義をするのは不可能だと思うのです。むしろ不可能である様な運動を目ざしているのです。まず、明確な規定として、これこれに近づこうという風な運動論はもはや破産したと思います。我々が創り出しうる最も深い情況に我々自身が存在すること、そのことによって引き寄せられて来る一切のテーマが自主講座運動のテーマであるし、その時やって来る全ての人間が自主講座運動の参加者になるわけです。だから、毎日、過渡的なテーマはかかげておくけれども、そのテーマどおりに進行するかどうかは分らないわけです。テーマをかかげることによって、そのまわりに変化が起こります。そして様々な力関係でこの部屋ならこの部屋に問題が殺到してきます。反論や撤去命令や機動隊導入など。その様な変化がそれ自身、持続的体系的な自主講座のテーマに合流するのです。そこにはじめて、学ぶことの怖しさが何重にも予感されてきます。いまのところ初期にくらぺて、目に見える意識的な参加者はおそらくここにおられる人数よりも少ない場合が多いと思います。しかし、目に見える参加者が多いとか少ないとかいうことをそれ程、気にしないで良いと思うのです。少な

くとも二人いれば、永続出来ると言う確信がありますから。

(続く)

(1969年12月都立大解放学校での問題提起 「ラディクス」2号から転載)

(松下昇表現集 1971.1.1 あんかるわ別号≪深夜≫版2 p23~より)