北朝鮮難民受け入れ

日本は北朝鮮から難民を大量に受け入れる用意があると宣言せよ!

日本国民はその覚悟をせよ。

百万人程度ならさほど混乱も起こるまい。

そうすれば金正日体制は崩壊し、めぐみさんも帰ってくる(だろう)。

排外主義者たちこそがつねに隣の独裁政権を維持し続けることを洞察せよ!

トラフィッキングとは

 最近トラフィッキングという言葉があるみたいです。

トラフィッキングとは

「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約 (以下「国際組織犯罪条約」という )の「人の密輸に関する議定書 (以下「人の密輸議定書」という )において」

「trafficking in persons (人の密輸)とは 「搾取を目的として、暴行・脅迫その他の態様の威迫、略取、欺もう、権限または弱い地位の濫用、又は他人に支配力を有する者の同意を得るために支払い若しくは利益を提供し、若しくは、受領するという手段によって、人を募集、移送、蔵匿又は収受することをいう。搾取は、少なくとも、売春その他の性的搾取、強制労働、奴隷又はこれに類する行為、隷属又は臓器摘出を含む 」。と定義されている。

http://www.gender.go.jp/danjo-kaigi/boryoku/siryo/bo14-1.pdf 

平 成 1 4 年 7 月 1 7 日 内閣府男女共同参画局 のbo14-1.pdf(application/pdf オブジェクト)によれば。

役所の文章にはめずらしく分かりやすい流れ図がついている。

【送り出し国(タイ、フィリピン、コロンビア等)】

勧誘者 :メイドやウエイトレスなど、虚偽の仕事内容を説明し、言葉巧みに日本へ行く女性を集め、運び屋に1人約50万円で売り渡す。

運び屋 :旅券(パスポート)や査証(ビザ)を用意(偽造、変造を含む )し、女性を日本へ入国させ、日本の受入者に1人約150万円で売り渡す。

【日本】  

受入者(暴力団関係):マンションの一室等の拠点に一旦女性を監禁し、様々な手段で脅しをかけた上、風俗店経営者等に約250万円で売り渡す。

風俗店経営者等:買取り代金に約100万円を上乗せし、女性に約350万円の借金を課し、その返済のため強制的に売春をさせる。一定期間後、女性を転売することもある。

日本は条約は承認したが議定書の方はまだなのかな。

 こうしたことは少なくとも1980年代からあることで、1986年には日本キリスト教婦人矯風会の人たちがはじめての民間シェルター「HELP」を作って活動を開始した。支援者が「正規の在留資格がないために日本に来て搾取される女性たちの救援活動をしている」と法務省で自己紹介すると、「日本にはそういう人たちはいないことになっています。」と言われたとのことである。

http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/pdf/2003tr_hayashi.pdf  2003tr_hayashi.pdf(application/pdf オブジェクト)

まさに窮極のサバルタンである。わたしたち市民も彼らにあまり関心を持たず、日本は「東南アジア、南米、東欧からの女性の人身取引の目的地国」になっていったわけである。

 入国の段階で、もしかしたら自分は日本で性的搾取に合うかもしれないという未必の故意を持ち、ブローカーにお金を払って不正入国したとしても、そのことによって、その人の人権が全て奪われていいということではありません。

http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/pdf/2003tr_hayashi.pdf  

被害者の人権回復を中心にすえて行政は動いて行くべきだと、

上記の文章で、林陽子弁護士は論じているが、同感である。

弁護士滝本太郎さんのブログ

うし 『弁護士滝本太郎さんのブログの記事を紹介します。

私達が愛するおまわりさんのイメージとはかなり違う感じです。

ビラをまく側と批判される側のイザコザはよくあることなのに、

警察も、もうちょっと違う対応が取れないものなのでしょうか。

「罪刑法定主義・警察とは」

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/3/trackback

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/2/trackback

超国家的社会公共的価値

# index_home 『こっちにコメントをつけてよいか迷いましたがとりあえず…

hal44さんの「人権」は確かに「愛国心」よりも超国家的社会公共的価値として注目されていますね。二番煎じのようですが私も同意します。

いまだそれぞれの国家が自らに変わる枠組みとして認めきれていない(先進国でさえもその気配アリ。特にアメリカとか…)ことが一番の問題なのかもしれないと思います。』 (2005/03/27 08:58)

# swan_slab 『ちょっと関連することですが、例えば民主主義・人権を「超国家的社会公共的価値」と普遍性をみとめたのは戦後のことですが、それには功罪もあるように思えます。

先月、パリで所信表明演説を行ったライス国務長官は

 「我々の責務は明確だ。我々は、自由の格差の中で正しい側に生きる者として、不幸にも誤った側に生まれた人々を救う義務を負う。」

と述べています。

また、フランスの哲学者のポール・リクールは、「他者の苦しみゆえの義務」という観念をみとめ、他国への人道的武力介入の正当化を模索します。

かつてフランス的価値の領土的拡大を目指したのがフランスの植民地主義だったとすれば、アメリカの世界戦略は、価値の普遍性の名の下に、相対化を阻害されているという印象ももちます。』 (2005/03/27 09:38)

「地獄の幽鬼」を見た

従軍慰安婦といっても色々なイメージがある。*1綾川亭さんが紹介しておられる水木しげるによるものが非常に印象的なので、引用させていただきたい。

なおこの日の綾川亭日乗に対して、賛否両論(ケンカ的)のコメントが付き、そのうちの一つが上記の「レイプ犯許すまじ」さんだということになる。

http://d.hatena.ne.jp/andy22/20050114#p5

私に印象深いのは、水木しげる御大が兵士として見聞した話である。御大の従軍中の話は、御大自らが回想マンガとして折に触れて描かれているが、さらりと、実にさらりと、とんでもないものを提示されるから、読み手はびっくりだ。

南方の戦線である…熱帯のジャングルだそうである。その日本軍の陣営の中に、粗末な掘っ立て小屋が作られている…全容は細長く、中は小部屋で仕切られている。その一つ一つの部屋に女たちがいて、兵士とコトをいたしているわけだ。で、扉の外には兵士がずらりとならんで、順番を待っているんだそうである。御大は、とてもじゃないが並ぶ気にはなれず裏手の川に出たという。と、その時、若き一兵卒の御大は、「地獄の幽鬼」を見たのだという。

髪はボサボサ…衣はアカでむさくるしく汚れ果てたその「幽鬼」は川べりにしゃがみこむと、ぴゅーっと、尿とも便ともわからぬものを放っていったという………。

これが、南方戦線に送り込まれた従軍慰安婦の姿である。

*1:今年は、従軍慰安婦それ自体をまったく見ようとしない人々が多いみたいだが。

反普遍を求める日本

ハイネの生を受けた社会は、フランス革命の影響の強かった19世紀初頭の十年間においてすら、スピノザの十七世紀オランダの社会よりも遙かに遅れていたのである。*1

 で二十一世紀の日本はどうかというと、スピノザの社会より遅れているとも言える。近代を通り越して超近代に至ったはずのわが日本でいくら何でも、という気もするのだが。

卒業式における君が代斉唱問題に出会い、ブログで他の方の体験とも交流できて考えを深めることができた。なぜいまごろ愛国心なのか。靖国参拝とシンクロする愛国心とは、戦前との連続性の強調でしかない。「生きて俘虜の辱めを受けず!」として国民を死に追いやったことへの反省がどこにもない。それでも何が何でも愛国心なのだと言う。何故かと言うと、それは結局日本にはそれしかないから、だろう。民衆の不安や空虚を埋めるべき宗教的なもの、日本にも神仏混淆を始め豊富な伝統があったのだが、教育勅語以後それを国家神道にむりやり統合してしまったため、豊富な水脈はほとんど失われてしまった。上からの国家統合のために、「民衆の不安や空虚を埋めるべきもの」を求めるものたちは愛国心(靖国的なもの)の復権だけを六十年間願い、多くの努力と金銭を掛け地道に努力してきた。それは成功した。

 かわいそうな日本はどこへ行くのか。

*1:p40『非ユダヤ的ユダヤ人』I・ドイッチャー岩波新書1970年

ヒロヒト=ヒトラー

中国に反日教育は存在しない、そうだ。悪である大東亜戦争の責任は「日本軍国主義」である、という理屈。この理屈によって「日本民衆との連帯」は是とされ、日中友好は盛り上がった。

ところが日本ではA級戦犯グループの一部は日本で戦後権力者に成り上がり、靖国神社においては「合祀」に成功した。

合祀以後、天皇は靖国神社に詣っていない。これは当然のことである。外国から見た場合、ヒロヒト=ヒトラーであり、それを逃れる道は東条=ヒトラーしかない。後者を無理矢理定着させることが(幸いアメリカの一部勢力の助力を得たとはいえ)どんなに困難な課題だったか、天皇は忘れる筈もない。だが国民は。戦後国民は主権者になったというが。大東亜戦争をどう評価するのかも言わずに眠り込んでいる。

一面的

http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050627/p2 のコメント欄より。

noharra 『なぜバンザイクリフの事を書かないのか?・・・バンザイクリフの大量死は米軍が原因なのですか。「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因でしょうが。』 (2005/06/29 18:05)

# drmccoy 『ここでバンザイクリフの話を出したのは、「バンザイクリフで亡くなった人たちはすべて純粋に犠牲者である」という事が言いたかったのです。純粋に戦争の犠牲者である民間人の慰霊碑まで冒涜するのは、いくら日本が嫌いだから・昔の日本は悪かったと言っても絶対に許されない、分別がなさすぎると言いたいのです。

「米軍に追いつめられ、民間人が大量に崖から飛び降りて自殺した」はたしかに一面的な見方かもしれませんが、そちらの「「生きて俘虜の辱めを受けず」とした皇国の洗脳と強制が原因」というのもまた一面的だと思いますね。』 (2005/06/29 19:38)

(某氏)(一部だけの引用)

(天皇がサイパンで)もうすこし頭をさげたことにどれだけの意味と意図があるかちゃんととらえてほしい。…

# drmccoy

あるていど正義か悪か、という視点でものを見るのは人間として仕方のない事だと思いますが、正義によいしれる事で事実がゆがんで見えてしまうというのは困ったものです。

 わたしにはただの責任逃れにしか聞こえない。

マッコイさんは、責任の所在という問題については(何を考えているのか分からないが)答えようとしない。それは結局、「生きて俘虜の辱めを受けずとした皇国・皇軍」を現時点で批判しないという立場である。

 これは今回の列車事故に例えればJR西日本の社長などに対し責任追求する必要なし、という立場と同じだな。「一面的」といってある責任追求を無効化しうるなら、権力者はつねに免責される。

 戦争というのは自然現象であり責任は問えないものとでも考えているか。巨大な現象であり一個人の賢しらな智恵で裁断すべきでないとでも。しかしながら<賢しらな智恵を越えたより大きな物>、は存在しない。天皇が頭を下げたらすべては許されるべきなのか。無惨に死んでいったサイパンの人々のことを思うときそれは詭弁でしかない。

「糞尿の臭いと血や膿の臭いが、死臭と混じり合ってものすごい臭い」戦場の硝煙とちぎれた屍体というその現場に生き死にせざるを得なかった先人たちのその存在の有り様に近づこうとするのか? 現場を離れた東京でのうのと暮らしていて国体護持だの反省だの心にもない言葉を操り続けさえすれば生きのびることができた人々のうすっぺらな言葉を愛好して(頼まれもしてないのに)おしゃべりし続けていくのか?