「多数派としての」批判

terutell 『azamikoさんのブログに投稿したのですが、反映されないので、こちらに再投稿します。

azamikoさん、はじめまして。noharraさんのブログから来ました。

まるで2ちゃんねるみたいなコメントがたくさんありますね。

azamikoさんへの批判的コメントのなかで、気になるのは、おまえは少数派だ、ということを言い募るものです。

これまでしばしば、そういう態度を相手への批判非難に使う意見を、Yahooの掲示板でも、ブログでも、見てきました。おまえは少数派だ、サヨクだ、プロ市民だ、わたしは世間の多数派だ、良識派だ、常識がある。

この図式化にのっとって、相手を批判することに疑問を抱かない。

多数派であることにあぐらをかく。

こういう批判非難のしかたは、民主的だと思いません。信用できません。多数派であることが正しいことの証明にはならないのに、数をたよって相手をおとしめ黙らせようとする。そのことに自分で気がついていない。今のブログや掲示板に蔓延するサヨクたたきの大部分は、自分達は論理的で正しくて常識があるというだけならまだいいのですが、たいてい多数派だと主張する、そこに卑怯さ、醜さを感じます。』

(野原燐)

terutellさん コメントありがとうございます。

いつぞやは大変失礼いたしました。(911の直後のことです)

 azamikoさんの方も沈静化しつつあるようでまずは良かった!

今後ともよろしく。

今日は飲んでいるので

http://d.hatena.ne.jp/kamisamasedori/20050415#p1

楚狂接輿。歌而過孔子曰。鳳兮鳳兮。何徳之衰。往者不可諌。來者猶可追。已而已而。今之從政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之。不得與之言

上記ブログで上のような引用があった。白川静先生の好きな微子第十八 ですね。岩波文庫p366。でまあ彼kamisamasedoriは、左翼が機会に乗じて靖国反対とかいうのがいかがなものか、と言っているようだ。ただ私から見れば、接輿から最も遠いのが靖国であり、儒教の<天>を裏切った非普遍性であるから、靖国はどちらからも馬鹿にされるしかない、のだが。

秩序の真の姿

  〈スト〉に入る契機自体よりも、一ケ月以上にわたるスト持続によって、一切の大学構成員と機構の真の姿がみえはじめ、同時に、自己と、その存在基盤を変革する可能性がうまれていることの方が、はるかに重大なのだ。(松下昇)

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matu1.htm 情況への発言

 百人を超す死者たちを生んだ惨事は、わたしたちに少しの間、<秩序の真の姿>=おぞましいイジメでしかないものを公務と言いつのって恥じない倒錯 をかいま見させた。

引用

卒業したらオトナの世の中に出て行く生徒に対し、教員が(その権力でもって)強要できる知識・認識は、結局は「今の社会の一般常識や教養、批判的に世の中や報道を見る目、自分の暮らしを守る力、明日を信じて暮らす気持」なんだなあ。

教育権は国家にあるとする日本の場合、国家がその「一般常識」として何を国民に求めるかというのが「教科書」なのだろう。

http://d.hatena.ne.jp/sava95/20050613#p2 覚え書き

野原は前半に共感するが、後半はどうだろう。“国家に都合の良い人間を造りたい”というベクトルと、歴史と国際関係を切り開いていくために“愛と正義と自己愛を調和させる強靱な知性が必要である”という二つのベクトルが存在し、後者の方が勿論大事である。国家に取ってさえ。ところが前者が大事と勘違いしている馬鹿が増えているのが問題なんだ。とわたしは思うのだが。

支離滅裂な歴史の偽造

すでに南太平洋戦線では、日本は米軍の圧倒的な物量を前に、真っ向勝負ができる状態ではありませんでした。日本軍は、ゲリラ化して戦っていました。ゲリラとは、要するに非戦闘員のような振りをして実は戦闘員である存在、とここではざっくり定義させて頂きます。そして、米軍もそのゲリラ攻撃に、サイパン以外の各所で苦しんでいました。このことから、米軍に素直に白旗を挙げても、米軍がおいそれと信用してくれるかどうか、となると、これは恐らく米軍は信用しなかったと思います。だから、非戦闘員たるサイパン島の日本人住民は、結局自決する以外に道がなくなってしまったわけですね。

http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050701#p1

戦争反対

***基本は戦争反対なんです***

、なるほどあなたは善意な方なのでしょう。

で、皇軍兵士が住民に手榴弾を渡し、自決を強要、もしくは示唆した多くの事例について、それは個々の兵士のやったこと。皇軍に責任はなかったと主張するのですか?

選挙

 選挙の話はしない主義だが、一回だけ。自民党主流派(小泉・安倍など)は1/3程度かもしれない。その場合政権に残るために民主党と合併する。すると本格的新自由主義=ファシズム国家になりますね。

総選挙はアメリカの支出する広告費によって支配されようとしている

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02040.HTML より

米国通の友人H氏から、『ウォールストリート・ジャーナル』2005年8月8日号のインターネット版記事の一部が送られてきた。

 『ウォールストリート・ジャーナル』は「郵政民営化法案は廃案となったが、これは手取りの時期が少し延びたに過ぎない。ほんの少し待てば、われわれは3兆ドルを手に入れることができる」との見方を述べている。

 3兆ドルとは、国民が郵政公社に預けている350兆円のことである。ウォール街は、9月11日の総選挙で小泉首相が勝利し、総選挙後の特別国会で郵政法案を再提出し、成立させると信じているようである。

 H氏によると、これを確実にするため、ウォール街は、多額の広告費を日本に投入し、日本のテレビを動員して、日本国民をマインドコントロールして、小泉首相を大勝利させる方向に動いている。(……)NHK以外の在京の全地上波キー局が小泉自民党の宣伝機関になり、小泉ヨイショ報道に狂奔している。これにより日本国民をして小泉を支持させて、小泉を英雄にし、独裁者にしようと狙っている。独裁者になった小泉が郵政を民営化し、350兆円の郵貯・簡保の金をウォール街に流してくれると考えている」とのことだ。 郵政民営化はウォール街のためか:2005年森田実政治日誌

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02040.HTML

もうひとつ、antonianさんのコメント欄から toxandoriaさんの力作コメントの一部をコピペしておきます。

http://d.hatena.ne.jp/antonian/comment?date=20050821#c

http://d.hatena.ne.jp/antonian/20050821#c1124628324

(略)

もう一つ懸念されるのは(これは想像が半分ですが)、今行われつつある“劇場型政治”は「政治の民営化」が進んでいることの現われではないかという点です。

米国の巨大な広告会社と提携した国内最大手の広告会社D社は、ここ10年位で日本国内における市場占有率を急速に高めており、今や約6~7割の寡占となっています。

現代の広告会社は、選挙のみならず政策全般に関するアドバイザー(シンクタンク)的な仕事を請け負うようになっており、その分野でもD社が占めるシェアは格段に大きいようです。

また、D社の強みは番組スポンサーとなる企業広告を仲介する立場でテレビ・新聞などマスメディアに対する絶対といえるほどの優越的地位を確保していることです。

特に、テレビについてはD社が100%出資する某視聴率調査会社が市場を独占する立場にあるため(この1社しか存在しない)、スポンサー群をバックにする優越的立場ゆえに、事実上、D社が殆どのテレビ局を支配下に置いたような構図となっています。

しかも、販売部数減から広告収入に頼らざるを得なくなっている新聞社も、事実上D社に支配される立場となっています。

このように見てくると、マスメディアを総動員した政権主導の“劇場型政治”がD社などの演出で、きわめて効果的に演じられていることが想像できます。

このような国民一般の目に見えない影の世界で「郵政改革PRは、老人、女性など、“ちょっとIQの低い人々中心」という企画が作られたことは、まことに怪しからぬことでああり、我われ国民を小バカにしているうえに民主主義政治の根本(主権在民)を否定することだと思います。

アメリカでは、すでに「民営化」(privatization)が、軍事・医療などの分野まで浸透して(市場の社会的深化が進んで)いますが、日本がひたすらこのようなアメリカを追い続けることに大きな疑問を持っています。

テスト

09-04 子絶四。毋意。毋必。毋固。毋我。

子、四(し)を絶(た)つ。意(い)するなく、必(ひつ)するなく、固(こ)なるなく、我(が)なるなし。

http://kanbun.info/keibu/rongo09.html 論語・子罕第九(Web漢文大系)

Panzaさんがやっている引用部分に色を付けるというのをやってみようと、 「<table border=1 bgcolor=”#ffeeee”>

<td>」と「</td></tr></table>」の間に文章を入れてみた。最後に変な点線が入る意外は上手くいった。なぜ点線が入るのだろう?

引用は「>>」という行と「<<」という行で囲む、という簡易な方法だけでこれまでやってきた。たまに気分を変えるのも良いか。

ちょっとやり方を変えてみたが結果は同じだ。

なお、色見本はこちら:とほほの色入門・色見本

http://www.tohoho-web.com/wwwcolor.htm