松下昇『概念集・8(表現過程としての医療空間)』p14-15より
排泄処理
健康な状態の時にトイレ以外の場所、特にベッドに寝たままで排泄する、しかもだれかの助けをかりてすることを想像すると何か異質さと恥らいの感覚がやってくるが、実際に体験してみて殆どその感覚がなかったのが、むしろ不思議であった。これは逆に考えてみる方が正確であるのかも知れない。本当は健康な状態の時の想像が誤っている、少なくとも部分的な想像である、というように。これは排泄に限らず、いくつもの事柄についていえるのであるが、健康な状態の時の想像と実際の感覚の落差がこれほど大きいものはあまりない。極端化していうと、身体が弱り、排泄も自由にはできない状態のままの感覚で把握する瞬間に、任意の概念のヴィジョンが最も正確に現われてくるのではないか。
私の場合には、被拘束空間で監視されながら排泄した体験(概念集1の〈監獄〉参照)や、幻想性の余剰の処理と格闘してきた過程(概念集5の〈資料の位置〉参照)が、前記のような考えを誘う要因になってはいる。しかし、最も大きい要因は、実際に病室で見た看護婦さんたちの仕事ぶりであった。かの女たちは、病室の患者がベッドの枕元にあるナース・コールのボタンを押すと、昼夜を問わず直ちに来てくれて手際よく排泄処理をし、尿ビンや便器をトイレへ持っていって洗い、乾かして次の排泄に備える。かの女らが、このようにできるようになるまでの、あるハードルの越え方は何事かでありうる。それは、いくらか唐突ではあるが、私に闘争に参加した者たちが初めて角材を手にして機動隊に立ち向かう瞬間のハードルの越え方を想起させた。看護帽とへルメットの類似性も。このような連想や比較は、常識的には看護婦さんたちに失礼なのかも知れない。しかし、どうしても私は同質のハードルの越え方を感じてしまうのである。さらにつけ加えると、始めてへルメットをかぶり、角材(ないし鉄パイプや爆弾や銃)を手にした人々は、患者の排泄処理と同質の行為をしようとしていたのである。ただし、かれらは殆どそのことを意識してはいなかったと考えざるをえない。していれば、闘争と同時に、また後からであれ、至る所にある〈排泄〉の処理へ立ち向かう作業に取りかかっていたはずである。私自身が、やっと最近になって取り組む必要性を感じている遅れの責任からこういうのであるが…。
なお、かりに病院が宇宙空間のステーションに設置されているとすれば、排泄物を水洗トイレで処理するとしても、ステーションの外へ廃棄せずに再利用のシステムを作るであろう。それと同様に、巨大な宇宙空間のステーションとしての地球の個々の生活の場においても再利用を考えるべきではないか。肥料その他さまざまの物質に変換するというだけではなく、〈汚いもの〉というイメージを解体して、生命のリズムを身体と自然を結ぶ環において再把握する素材になりうるから。そうなるためには、まず、家族や職業的看護のレベルを超えて、各人が自分や他者の生理的な、また幻想性としての排泄物の処理を対等に自主的に行う共同の関係を作りだし、訓練しておくことが不可欠である。この試みは、多くのテーマに思いがけない方向から照明を当て、応用の仕方を示していくであろう。
註
一 住居、都市の機能における排泄処理設備の重要性。
最初に確認・設置する必要と方法。(全員の関わり方)
対比的に、極限的な闘争の場面でのトイレの非存在が意味するもの。
また、監獄の服役者は決められた時間にしかトイレへ行けず、懲罰で鎮静?用の袋に 首だけ出してミノ虫のように入れられた者は、この状態で何日も食事・排泄をせざる を得ない。全ての食事・排泄する人はこの事実に注目してほしい。
二 日常的な遊び、労働、性的行為の過程でも絶えず気になる排泄の問題。
子どもがトイレに行きたいとトイレのない場所で泣き出した場合の対処の仕方。
犬などの家畜・ペットを散歩させながら排泄させる時の飼い主の気持。
浮浪者と呼ばれる人々にとっての公衆便所(と、そこに住みつく人々の位置)
入院中の絶食・点滴と排泄への影響。植物人間の排泄における〈夢〉の成分の度合。
三 排泄は処理するだけのテーマか。
各人が数時間ごとに処理を迫られつつも直接の対象化を放棄しているテーマの象徴。
身体状況、都市状況、世界状況を判断する素材。
武器としての逆用。(例―皇居前広場での反天皇闘争)
芸術の領域での扱い方。(タブー性の越え方。)
地球の生命の生誕に異星人の排泄物やゴミが関わっている可能性。
(前記の断片的メモは、排泄に関する直接討論のテーマの一部である。テーマを補充し、意見を提起しつつ討論に参加していただきたい。文書による通信での参加可能・歓迎)
カテゴリー: idea
遊べる
http://r27.jp/quiz/twelve-apostles/ Quizzical Days. – R27
13枚はできるみたいだが・・・
反論は具体的に
上記 6)林博史氏の論文のどこが、誤ったソースによる誤った文章なのでしょうか。
あげられますか?
責任
「責任」という言葉を使いたくない、よく分からないみたいなことをこの数週間考えています。
http://kujronekob.exblog.jp/i7 評論誌「カルチャー・レヴュー」Blog版
で、黒猫氏が、仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』などを読みながら書いおられる。
ちょっとコメントしてみたのだが、(わたしの番で)応答が途切れていた。
(戦争)責任とは何か?
★しかし、所与の事実性(先験的選択)とその関係をすでに生きてしまっていることは、相続放棄するように原理的には解消できません。それは言い換えれば、所与の歴史性に如何に応答するか、如何に他者の声に耳を傾けるか、という課題(応答責任)でもあると思います。先の高橋哲哉の「恥じ入り続ける」という言い方の真意も、またその課題の表明でしょう。(黒猫)
応答責任にどう応えるか?というのは、わたしの倫理の起源であるかもしれない。がどうもよく分からない。
神はいないとする無神論を自覚的に選択した私にとって、「他者の声に耳を傾けるか、という課題」とは、神をそこに措定しようとする未練な思想的態度に見える。
★斎藤純一は次のように言います。「どのような自発的行動によっても解消しえない」のは、国家への帰属(citizenship)そのものではなく、被害者との間にあるこうした歴史的関係にほかならない。私たちを「日本人」と呼ぶとき他者が名指しているのは、私たちの生のこうした歴史的位相であり、いかに自らを「非-国民」として定義しようとも、そうした生の歴史的位相を消し去ることはできない。(同上)
「被害者との間にあるこうした歴史的関係」をいわば形而上化しようとするのは、倫理の原資を他から借りてくる態度であり良くないのではないか。
日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。わたしたちは無自覚であったとしてそこに関わっていただろう。多様な力の交錯のなかにわたしがあったのだとしても、「侵略」という大きな磁場からわたしは自由ではなかった。
それを認めるとしても、「「どのような自発的行動によっても解消しえない」のは、、被害者との間にあるこうした歴史的関係にほかならない。」という発言には問題がある。20世紀前半は帝国主義の時代であり、すべてはその中で起こった。したがって“なんらかの責任”を負うことは当然であるとして、それがどのような“責任”であるのか、誰が誰に問うているのかといった点を細かく問うていかなければならない。
日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。歴史的に成立していた磁場の中で抑圧関係に棹さしてわたしが生きていたとしても、ひとりのわたしが被害者との間にすでに歴史的関係を成立させていたと言えるのか。日本人が加害者であり中国人が被害者なのか。大ざっぱに言えばそう言っても良いだろうが、厳密にはなるべく言わない方がよいと思う。
磁場がある以上、存在の受けていた内圧の違い“なんらかの責任”は認めても良いが、そのとき「日本人の責任」というフレーズを成立させることは強力過ぎるのでなるべくやめた方が良い。
この意味で、「「国民」という抽象的な集合体がまとまって罪を負っているかのような語り方をすれば、国民を構成する各個人がそれぞれ異なった仕方で、異なった重さで負っているはずの罪の具体的な中身がかえって曖昧なものになってしまう。各個人が、自分の罪について主体的に考えるべきだ[1]」というヤスパースの意見に賛成です。
「仲正昌樹は先の新書で、戦後世代に戦争責任があるのは親の遺産を相続する際に、負の遺産も一緒に相続しなければならないのと同じ理屈だと書いていますが、不適切な比喩だと思います。」そうでしょうか、財産と同時に債務も放棄することは認めても良いような。国籍と(国語を)捨て、日本人でなく生きていくのなら、その人に責任があると立論する必要はないと思う。(野原)
「つまり相続放棄なら簡単に出来るが」という前提がおかしいと思う。わたしは日本語を捨てて生きることはできない。日本語を捨てて生きるとまで決意した人間に対して、なおかつ何を何語で語りかけるのか? そしてその効果は何か。
例えば不作為によって生じる「不正義」は、それによって損害や不利益を被った者によってはじめてそこに「不正義」があることが能動的に問れ、その問いかけに応じることが「応答責任」です。
あらかじめの「正義=法」によって、「責任がある/ない」」ことを限定する正義感(観)よりも、不正義感のほうがより根源的に<正義>を問いただしていると思います。(黒猫)
と言われるのであれば、この不正義感は斎藤より仲正に近いのではないか?
以上、私的メモであり応答になっていないが、とりあえずUPしておく。
あたしesは「われわれ」を選択する
黒猫さんが引用した限りで斎藤純一さんを一応仮想敵みたいに考えてたみたいなところもありますが、彼の文章が載っているその論文集には、(野原が依拠しようとしている)岡野氏の文章も載っているのだった。いま気付きましたが。(誰にでもケンカを売らず友好的でありたいものです!)
戦争責任と「われわれ」、を検索すると、自由主義者おおたさんが「岡野八代を読む(1)「わたしの自由とわれわれの責任」」として岡野氏のその論文を丁寧に紹介している頁が一番にヒットした。
「岡野がこの論文で訴えているのは」、「「戦後世代の戦争責任」という問題が、けっして「戦後生まれの日本国民」という抽象の問題ではなく、わたしの問題であること」だ。と冒頭でおおた氏は強調する。
岡野の思考の出発点は優れて具体的である。ある時飛行機である韓国人男性の隣の席に座り「日本はかって朝鮮半島に何をしたか」という会話に閉じこめられたという岡野の体験から彼女は考える。
わたしが行ったわけではない行為について、それを想起するように求められる根拠とは、おそらくわたしが属しているであろうこの「われわれ」の存在のゆえである。(岡野)*1
ここでおおざっぱには「われわれ」=日本国民である。ただそのあたりを丁寧に考えていく必要があるのだ。
岡野が日本国の国籍保有者になったのは、岡野の選択の結果ではない。しかし、岡野が日本国の国籍保有者でありつづけていることは、あるいは日本国民であると自己を理解し始め、理解していることは、けっして選択の余地のないことではない。あるいは、「わたし」が日本国民であるというアイデンティティーをもっていることは、けっして選択の余地なく、あらかじめ決定されていることではない。「わたし」は、日本国民であることを、少なくとも止めることができる。
「わたし」が、そうであることが当然と思われる「われわれ」の一人であることは、けっして当然のことではない。
わたしは国籍を捨てることができる。つまり捨てていないのは捨てないことを選択しているからだ。「日本国民であるというアイデンティティー」(曖昧な言葉だが)についても同じことが言える。
「わたしは自明にもわれわれの一人である」ようだが実はそうではないのだ。
「わたし」たちが、「われわれ」であることを選択する前に、すでに「われわれ」が存在するわけではない。「わたし」たちが「われわれ」であることを選択することによって、「われわれ」はあらわれる。(おおた 上記より)
「わたし」が「われわれ」の一人であることが、当然のことではないならば、自由への別の道があるのではないか。わたしという自明の存在、「われわれの一員としての」わたしという存在をわたしの手で開いてみること、そのような「わたしの自由」の可能性があるのではないか。こう岡野は問いかけて、この論文を終える。(おおた 上記より)
ところが、岡野氏の場合、わたしとわれわれの間に、選択の意志を(ちょっと無理して)読み込もうとする。国家=われわれ というものはわたしたちがその都度*2、(無意識に近いところで)同意を与えることによって形成される多数多様な位相から成る共同性でありましょう。そうであるなら「「われわれの一員としての」わたしという存在を開い」ていくことにより、「われわれ」を変質させることは確実にできるわけです。
(9/19下記の通り訂正)
*1:p160「<わたし>の自由と<われわれ>の責任」『法の政治学』isbn:4791759699
*2:つねにすでに
皇祖皇宗に対する義務
ヤスパースは、「ナチスの治世下、ドイツにあっていわば「祖国喪失者」として毅然とした抵抗をつらぬく。ナチスの政権にユダヤ人の妻との離縁を勧告された時には、これを拒否し、大学を退いている。*1」
しかしナチス敗北後は、「自分をこの悪をなした「敗戦国民」の側におく。*2」そして「今はじめて、わたしがドイツ人であり、私の祖国を愛するのだと、ためらいなくいいうる」と言い放った。
ひるがえって日本の戦後に、ヤスパースに似た時局便乗にさからう声が皆無だったというのでもない。
だいぶ若いが*3、太宰治はあのヤスパースの敗戦直後の声に似て、「真の自由思想家なら、いまこそ何を措いても叫ばなければならぬ事がある。天皇陛下万歳!この叫びだ。昨日までは古かった。しかし今日に於いては最も新しい自由思想だ」という声をその敗戦直後の小説の登場人物にあげさせている。また戦時下、軍部の言論弾圧と戦った明治生まれの硬骨のオールド・リベラリスト津田左右吉は、戦後創刊された『世界』に一転、熱烈な皇室賛美を書いて周囲を困惑させている。*4
「われわれの祖先のうちの最も優れた人たちから伝わってわれわれの心に呼びかける最も気高い要求」と「天皇陛下万歳!」はイコールだろうか。明治憲法は「天皇は神聖にして侵すべからず」と定めた。おそらくその時から、天皇に対するより上位のペルソナ(皇祖皇宗やアマテラスなどなど)は誰からもアクセス不能になり忘れられた。
一切が消滅しても、神は存在する。これが唯一の不動の地点なのである。
p189 同書
ヤスパースがこう言わなければならなかったほど追い込まれたとき、日本人はやはりあの鵺的なペルソナにすがるしかないのだろうか。
そんなことはなかろう。
「天地の始は今日を始めとする理なり。」と語った北畠親房を思い出すなら、わたしたちは「新しき古」に向かって開かれている。
(天皇陛下万歳を「時局便乗にさからう」と素直に評価してしまう加藤は、戦後史の現実過程に対する認識がずれているのではないか。戦後も一貫して裕仁は天皇で有り続けた。これが日本の美的倫理的根拠の破壊でなかった、とでも思っているのか。)
血にまみれたわれわれの手
ジーン・ウルフは「ひとを殺す」ことについて考察している。言い直すと、「(あなたを)わたしが殺すこと」が可能であるためには何が必要かについて。ひとがひとを殺すことは不可能である。あなたは(つねに幾分か)私の鏡像であるがためにあなたと呼ばれるのだし、そうであるかぎりあなたを殺すことは不可能だ。
しかし殺すことは可能でなければならない。
《自在神よ》聖職者が読んだ。《ここで今命を失う者たちは、あなたの目から見れば、われわれ以上に邪悪な存在ではないと、われわれは承知しております。彼らの手は血にまみれておりますが、われわれの手も同様です。》
(p46「調停者の鉤爪」新しい太陽の書②isbn:4150107033)
女のモーウェンナが聖職者に導かれ、鉄の串を持った男に後ろから小突かれながら、階段を上がってくるところだった。群衆の中のだれかが大声で、猥褻な示唆をした。
《……慈悲心を持たぬ者に、慈悲を垂れたまえ。われらに慈悲を垂れたまえ。今、慈悲心を失わんとしているわれらに、慈悲を垂れたまえ》(p47同書)
「おまえが女だということを考慮すると……きわめて忌まわしく、異例ではあるが、おまえの左右の頬に焼き鏝を当て、両足を折り、首を胴体から打ち落とすことになった」
「その思考が臣民の音楽であるところの独裁者の譲歩によって、不束なるわたしの手に委ねられた高潔なる司法権力により、ここに宣言する……」
「ここに宣言する。おまえの最後の時がきたぞ、モーウェンナ」
「調停者に懇願することがあれば、申し述べよ」
(同書p48より、一部省略した形で引用)
すでにわかっているように、平均的な田舎の官吏ほど断頭台の上で取り乱す者はいないのである。(略)能力があり訓練さえ受けていれば充分に心をおちつかせることができるのに、それを欠いているというまったく正当な恐怖心との間で、引き裂かれていた。(p50)
その瞬間、わたしは後ろに一歩さがり、なめらかに水平に彼女の首をはねた。これは上下に切断するよりも習得するのに数等困難な技であった。
かんたんに言えば、わたしは噴き上がった血の噴水を見、首がどさりと台の上に落ちる音を聞いて初めて、やり遂げたと知ったのだった。自覚していなかったが、わたしも村長と同様に怯えていたのである。
これはまた、昔からの伝統によれば、組合の習慣的な威厳が緩む瞬間でもあった。わたしは笑いたくなり、跳びはねたくなった。(略)わたしは剣を振り上げ、髪の毛を握って首を持ち上げて、断頭台の上を意気揚々と歩いた。(略)群衆は必ず叫ぶ冗談を叫んでいた。(p52)
長い引用になった。わたしたちは国家の主権者として死刑とその執行を是認している。*1わたしたちではない裁判官が死刑を宣告し、わたしたちの知らない場所で知らないうちに執行人が執行する。法務大臣が執行命令書に署名する時何も言わなければ、執行の後でしかわたしたちは知り得ない。わたしたちの国家はその暴力を恥じ深く隠蔽しようとしている。
しかしながら、「彼ら(=殺されるべき者)の手は血にまみれておりますが、われわれの手も同様です」とは、国家は決して語らない。語らないのはそれが真実であるからだ。神が神の名に値するものである限りそれは国家より上位にあり、「殺すな」や「慈悲」の普遍性もまた国家やギルドより上位にあるはずだ。それを認めることは「殺すことは可能でなければならない」と矛盾しない。司法権力だけが死を命じることができる。だからといってそれによって執行という実務のいろいろな責任が自動的に聖化されるわけではない。その人は礼儀をもって取り扱われる。最後まで彼(女)は人として尊重される。人を殺すことは「能力があり訓練さえ受けていれば充分」可能だ。そしてわれわれはむしろそれに立ち会うべきだろう。執行する主権をわれわれは承認しているのだから。執行者は首をはね、群衆は歓喜する。
私たちが国家を肥大化させないためには国家の行うすべての行為にわたしたちが立ち会う必要がある。なかでも死刑執行と戦争、わたしたちが人を殺す用意がないのならすでにわたしたちの文明は崩壊している。わたしたちは年に一度わたしたちの内なる死刑執行者を呼びだし慰める。
*1:「私は死刑廃止論だが」と言ったとしても。
うーん 松下昇
というわけで、松下昇ですが。
まず彼を紹介しないといけないか。
生年は1936年であるとのこと。
1996年5月6日朝10時ごろ死亡。
http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matut11.htm
同時代生まれは誰か調べてみよう。
http://www.excite.co.jp/book/guide/chrono/?index=1 現代作家ガイド―年代別/生年月日検索
ところが、30年代生まれは
1934生 筒井康隆 ともう一人しか居ない。
流行作家としてもてはやされる年齢はとっくに終わって数十年後に再発見される(かもしれない)のを待つ年齢になっているということか。
1936生 寺山修司 1983死。
横尾忠則 もかな。
(生年別に著名人をざっと並べたデータベースがありそうなものなのに、みつからなかった。)
とりあえず見つかった3人をみるとかなり個性派ですね。
破壊~ハチャメチャ~前衛 みたいなイメージがうかぶ。
松下もそのような、ポジティヴなハチャメチャ派だった。とここでは紹介してみよう。
われあり、われらあり。
Ich bin. Wir sind. Das ist genug.
Ich bin. Aber ich habe mich nicht. Darum werden wir erst.
(p7『ドイツ語の本』冒頭)
これはあるドイツ語初級教科書の冒頭の例文なのだが*1
、ドイツ語なので全く分からない。Ich bin. Wir sind.とは英語の「I am.We are.」のようだが。
genug=enough(英語)=assez(仏語)のようだ、google翻訳では。十分に、ということか。
I am. We are. That is enough.
I am. But I do not have myself. Therefore we become only.(英語)
Je suis. Nous sommes. C’est assez.
Je suis. Mais je ne m’ai pas. C’est pourquoi nous devenons seulement.(仏語)
「I am.We are.それで十分」ということか。
Das ist genug.という場合の〈genug〉は、たんにこれ以上は必要ないといい切っているのではなく、むしろいまは、これを最低限の条件として出発するのだ、という一種の覚悟が内包されていると思われる。次の Darum werden wir erst.の〈erst〉は、個々の〈私〉が自らの存在を対象化しえていない不確定さと同じ度合だけ、関係性としての〈私たち〉におしやられつつ、〈はじめて〉相互の構造に気付く、というニュアンスを帯びてもいる。 (たぶん松下昇 p3「正本ドイツ語の本」)
Ich bin. Wir sind. Das ist genug.はエルンスト・ブロッホの『ユートピアの精神』という本の冒頭。われあり、われらあり。とは、どんな場合でもそれだけは言えるというわれわれの表現や行為の土台である。*2ところがブロッホはそれを、果てしない努力の果てになお辿り着けないユートピアの青い鳥、でもあるかのように提示している。*3
「われあり、われらあり。」がユートピアの青い鳥であることは、最近のプチウヨの諸君を見てるとよく分かる。彼らはわれであるためには、是が非でも「日本あり」を成立させなければならず、そのためにはアサヒ、中国をはじめとするあらゆるもの*4に罵詈を投げかけ否定しなければならない。彼らはこっけいで有害だ。しかし、
「われあり」のために「われらあり。」が必要ないとするのはどうか。個人の自立を信奉する進歩派知識人は、憲法9条への愛だけを語り続けることにより、対米従属自衛隊強化沖縄植民地化を黙認し続けただけでなく、自らの幻想である平和国家という「われら」を強固に信じている。わたしたちはどんな既成の「われら」をも拒否するしかない、端的に時間の無駄だからだ。だが何んらかの「われら」を非望のように求めてしまっていることをむしろ認めるべきなのだ。
とここまできてやっと、
「Ich bin. Aber ich habe mich nicht. Darum werden wir erst.」から始まる本「Spuren」というのが、菅谷規矩雄訳で本棚にある本だと気づいた。
私は、在る。だが私は私を所有していない。それゆえにまず私たちが成る。
(p2『未知への痕跡』E・ブロッホ 菅谷規矩雄訳 イザラ書房)
この本の方法を菅谷は次のように解説する。
ひとつの神話、ひとつの物語は、それぞれその発生・成立時の支配イデオロギイその他に制約されていて、ほんらいのモティーフを充全に表現しえていない。主体において〈いまだ意識されない〉もの--それゆえ客体において〈いまだ存在していない〉もの--その双方はしかしやがて実現されるための変化のプロセス、つまり主体=意識の前線にあらわれでようとする意向(Intension)、客体の生成過程に未来的に潜在する傾向(Tendenz)の相関関係を、なお不充分なままでおしとどめ、そしてかすかな〈きざし〉のみを私たちに伝えてよこす。
(p296『未知への痕跡』E・ブロッホ への菅谷規矩雄の註と解説 イザラ書房)
Ich bin.とは、ブロッホにとって出発点であると同時に不可能なテロス(目的)であったようだ。
さて、わたしは松下にとって「be」とは何か?を訪ねるためにその周辺を回遊してみたわけである。
六○年代に出現した全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ、
存在(Sein)所有(Haben)生成~自己実現(Werden)の相関のうちに、松下のこの問いの群はどのように直立しているのか。
*1:この本については下記に言及有り。http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_6/koumura.html 好村冨士彦追悼
*2:であるがゆえに言及されることはない。
*3:ユートピアの精神とは翻訳もある分厚い本だが私は全然読んでいない。したがってわたしの解釈は間違い。
*4:最近では&query=フクダユウイチ