他者の不在

追悼が要求しているように、自分に負債があることを表明せざるをえないと感じるときが、来るのである。自分が友に負っているものを語るのは義務だと感じるときが。(デリダ)『現代思想 2004・12』p81より

 追悼という主題に興味はない。id:noharra:20041030に、香田証生さんの人質事件に関して、二人の方のはてな日記を引用し、まあちょっとケンカ売り気味に批判した。どちらの方からも応答あり対話があった。結果的にはとてもわずかなあいだだったが。生産的な対話でもなく思い出すこともなかったのだが今日、ちょっと思い出してみた。すると「ご指定のページが見つかりません」エラーがでるではないか。二人ともなのでちょっとおどろいた。

彼らは今不在であり、その限りにおいてわたしは「自分に負債がある」と思っている。負債という言葉を心理的に解釈してはいけない。そうではなく償いえない負債だけが考えられている、デリダにおいては。二人の他者にわたしは何も負っていないがそれでも、不在であるだけで何かへの通路であるのかもしれない。

津波孤児は売買される

 スマトラで大きな被害を受けたインドネシア・アチェ州などで、孤児となった子どもたちが「保護」名目で連れ出され、行方不明になっている。ユニセフ(国連児童基金)の調べでは、その数は四百人に上るという。

http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050107/mng_____tokuho__000.shtml

 ユニセフは四日、こうした子どもたちの早急な保護を求める声明を発表した。日本ユニセフ協会広報担当者は「ジャカルタに運ばれた約四百人の行方が分からないが、地元紙によると、アチェ州からメダンに避難した孤児五十人が空港で行方不明になったという。アチェ州で推定三万五千人とみられる孤児が人身売買の危険にさらされている。さらに、スリランカ北部でも三千人以上の孤児が出ており、うち九十人が何者か沖地震津波に連れ去られたという情報がある」と警戒する。(同上)

 インドネシア国内の組織については、「売買の規模から、インターネットの普及で広がった国際的なシンジケートだということは分かるが、実態は分からない」(ユニセフ協会担当者)。上智大学の村井吉敬教授(東南アジア経済)も「人権団体の活動が活発なタイでは、人身売買の実態がかなり解明されているが、インドネシアは不明な点が多い」とした上で、「国内には、多数の人身売買ブローカーがいるが、ブローカーと密接な関係を持ち、被害増の元凶になっているのが国軍だ」と指摘する。

 

 佐伯事務局長が解説する。「インドネシアの予算では、国軍経費の三割しかまかないきれず、大部分は闇ビジネスで稼ぐしかない。大麻や違法伐採した木材の密輸、賭博場の用心棒代、勝手に設定した道路の通行税などと並び、人身売買が稼ぎ口になっている」(同上)

次のような話も、

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20050107i113.htm

 「今月3日、2人組の男が来たわ。2人とも30代初めぐらい。キャンプを回って小さな子どもを見つけては、親はいるのかと聞き歩いてた」。バンダアチェの避難民キャンプで、主婦のアーティカさん(37)

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20050109#p2経由

遅くなった割には

(1)

えーとまず、話が戻りますが、

>どこで実害を及ぼしているのか

 少なくとも、おおやさんを不快にさせたのは確かです、他にもそういう人は多いでしょう。「強い責任理論」はそのような人々の「声」を聞くことを排除できないでしょう。

Aさんを不快にさせる、というのがいけないことなのでしょうか?これが分かりません。

国家法廷でないものが法廷と名のるのがけしからん、て別に詐欺を意図しているわけでもなし、何でそう言うことを言うのか、理解できません。

だいたい不快だと思えば見なければよいだけのことです。わざわざそれに関心を持ち文句を言う、というのはどうなんでしょうねえ。もちろんある種の愛国主義者なら分かるのですが。「わざわざ文句を言う」のは「それ」がAさんの十分には意識化されていない何かを刺激するからか、と深読みをするべきなのか?

(2)

天皇の責任は曲がりなりにも近代社会に生きていた以上先にそのレベルで問われるべきではと思います。ただ、民衆法廷の側の意図はそうではないかもしれません、

できれば、民衆法廷の側の主張をまとめたいと思っていますが・・・

(3)

私は「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだと思っています。そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。日本人の「ねじれ」は主体性は確立したいけど、高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたいという衝動があるといったところではないかと思います。バブル崩壊以降に表面化したのもそのせいだと思います。

「天皇」の罪を問わないことは、むしろ合衆国が決めたことだ、というのはそのとおりですね。右翼の側は、東京裁判賛成=左翼という自分たちが勝手に決めた図式を今でも信じているので、東京裁判を左から覆す勢力が登場したときの対応が支離滅裂のような気もします。

「そこでの合衆国の決定が、戦後・高度成長以降の日本人の行動の前提ではないでしょうか。」えーそうですかねえ。タブーが存在しているという事実に対しその説明をしているだけだと思います。

わたしにとって民主主義とは、憲法1条を私が否認するという意志表示を公にする(ことができる)という事実に掛かっています。*1

「高度成長の成果は手放したくない、それを不当に手に入れたのではないかという不安を消し去りたい」。

経済の利益だけ考えて、東アジア重視は駄目でアメリカ追随の方がずっと有利という判断をしているのならそれはそれで良いと思うのです。そこになんか「不安」とかなんとか心理的要因が何故入ってくるのか?主体性を確立したいとは本心では思っていないのではないか。ただのマザコンなのではないか。心理学用語を使うのは良くないと思いつつそうぼやきたくもなりますね。

(4)

 ところでデリダと法学は「批判法学」と一括される学派で結びついています。でも、この学派の入門書など全くないようです。私は主に「20世紀の法思想」中山竜一に頼っています。

「20世紀の法思想」という本も前に誰かが薦めていたなあ。

ドゥルシラ・コーネル『自由のハートで』という本は持っているんだが*2、法学(法哲学)の本なのだろうか。ただのフェミニズムの本かと思っていた。

*1:ですからわたしの主張が通れば次はまた別のことを考えなければいけない。まあそんな心配は50年ほどは不要だが。

*2:読んでない

自己を裏切りながらそのままであり続ける

 捕虜あるいは対敵協力者としてのあるいは名づけえない宙吊りの数年を経て、横田氏は故郷に帰ってくる。しかしながら、日本はすでに彼の国ではなかった。たった一度の裏切り、日本はそれを決して許そうとしなかった。おそらく彼は罪人とされ罪人として死んでいった。だが日本とは何か?大東亜の大義を掲げて世界に宣戦布告したものが日本であったなら、敗れた国は日本では無いはずだ。大東亜の大義を掲げて世界に宣戦布告したものが天皇であったなら、敗れた天皇は日本では無いはずだ。

 戦争に負けることは誰のせいで負けたのかという責任者を捜して叩くことにつながる。ところが日本では東条以下十数名は、天皇を中心にした支配層がアメリカに差し出した犠牲であり、最初から憎悪の対象ではなくしばらくしたら許されるべき存在だったと思われる。日本という同一性はいささかも傷を負わずに敗戦を生きのびてしまった。日本を裏切った横田氏だけが孤立してしまった所以である。

 だが日本という同一性とは何なのか?世界に向かって戦争を始めそれで負けたのに何も転覆しない国家とは何だ。横田さんだけが味方を裏切り敵に降伏したのに帰ってきたら日本はもとのままでそしてアメリカの支配を受け入れている。いったいおかしいのはどちらなのか?

 「私は一つしか言語を持っておらず、それは私のものではない」とデリダは言ったが「私は一つしか国家を持っておらず、それは私のものではない」と横田氏は言うだろう。というかそれは誰のものなのか、天皇のものではなく、アメリカのものでもなく・・・(3/1追記)

3/10と8/15のあいだに

 3/2のコメント欄から。

id:bluefox014 『>nohharaさん

東京には東京大空襲を記憶する平和公園も都営・国営の博物館も存在しない、という事実がなにかを象徴していると想います。土地がないわけではなく、例えばまさに空襲の現場だった両国国技館の横に東京都の土地がありますが、そこには江戸東京博物館のでっかい建物が建っています。TBの方法のご教授有り難うございます。』 (2005/03/08 03:04)

id:index_home 『コメントにお返事いただきありがとうございます。さらにコメントするのはここで良いのでしょうか?

>被害者だったという圧倒的実感が忘れさられたので、最近のような平板な排外主義がはやっているのでは? と思いました。

これは、私も同じように感じます。こちらで書かせていただいた被害と加害の受け止め方については、id:index_home:20050310#p2でも少し書かせていただいております。(勝手ながら、一応トラックバックもさせていただきました)

>南の島で本当の地獄を味わったひとの体験は、内地の人に伝えられなかった。責任追求が必要だったとやはり思います。

同感です。』 (2005/03/11 16:10)

たてまえとしての反戦平和主義を隠れ蓑にして、「戦争がいけなかった」として8/15までの大小の権力の責任を詳細に検討していく営為をネグレクトしてきました、戦後日本は。「15年戦争ともいわれる戦争のすべてが悪だった」という史観を仮に否定するとすれば、次にどう考えるのか。

 普通に考えれば、もはやどんな反撃もできなくなっていた3/10東京大空襲の時点で戦争は止めるべきだった。そうしなかった責任を日本人は追及確認してこなかった。そして、自衛隊海外派遣の後もそうした歯止め抜きでナルシズムにふけりたいひとの方が多いみたいですね。

 「(対アジア)排外主義」を昂進させ取り返しのつかないところまで行く->「アメリカ」を敵に据え直し「アジアの大義」の原則に立ち返る(つじつまがあったのでほっとする)->世界中を敵に回し敗北する。。このサイクルを繰り返すのでしょうか?

本居宣長の神(迦微)概念(その1)

本居宣長の二つの神概念について書きます。

まず一つは、なんでもありの神 です。

「天地初発の時、高天原に成れる神の名は、天之御中主神。」というのが古事記の冒頭です。「天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。」(天はアマと訓(よ)めとかいてある)という漢字ばかりのが本来です。

この「神名」という二字について本居宣長(1730-1801)は『古事記伝・三巻』で長々と註釈する。

神名はカミノミナハ*1と訓べきことも、首巻に云り、カミ(迦微)と申す名の義(こころ)は未だ思い得ず、【旧く説けることども皆あたらず、】*2

神という漢字にはもちろん意味がある。宣長が云っているのは、「神という漢字」の意味でこの神を解釈してはいけない、ということだ。「かみ」という和語があった、本来の意味は分からない、だが中国からきた「神」とは当然違った意味を持った別の言葉だったはずだ、というのが宣長の立場。旧説、「上」や「鏡」から説明するなどは全部違っていると。

さて凡そ、カミ(迦微)とは、古御典などに見えたる天地の諸々の神たちを始めて、それを祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐい海山など、その余(ほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物をカミ(迦微)とは云うなり、

【すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさを)しきことなどの、優れたるのみを云うに非ず、悪しきもの奇(あや)しきものなどにも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云うなり、さて、人の中の神は、先ずかけまくもかしこき天皇は、御世々々みな神に坐すこと、申すもさらなり、其は遠(とほ)つ神とも申して、凡人(ただびと)とは遙に遠く、尊く可畏(かしこ)く坐しますが故なり、*3

(略)】

鳥獣木草のたぐい海山など何でも神でありうる、また価値的にも優れたるだけを云うわけではない、悪やあるいは奇(あや)しきものよく分からないものである場合もある、というわけですね。基本的には天の神を神と云い、人の霊は鬼と云う中国での用例とは全然違います。明治以降の日本は古事記の読み方を始めとして、宣長から非常に大きな物を受け継いでいるのですが、さすがにこの神の定義だけは違います。キリスト教の絶対唯一神を規範として受け入れてしまった(無意識のうちにも)ため、鳥獣木草のたぐいはともかく、悪やあるいは奇(あや)しきものについては非常に抑圧的にしか語られなくなったのではないでしょうか。

抑(そもそも)カミ(迦微)はかくの如く種々(くさぐさ)にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり、弱きもあり、善きもあり、悪きもありて、心も行(しわざ)もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、

大かた一むきに定めては論(い)ひがたき物になむありける、

まして善きも悪しきも、いと尊くすぐれたる神たちの御うへに至りては、いともいとも妙(たへ)に霊(あやし)く奇(くす)しくなむ坐(し)ませば、さらに人の小さき智(さとり)以て、其の理などちへのひとへも、測り知らるべきわざに非ず、ただ其の尊きをたふとみ、可畏(かしこ)きを畏(かしこ)みてぞあるべき、

最も賤しい神の中には徳が少なくて凡人に負けるものさえいる。かの狐なんかも怪しきわざをなす、つまり「まことに神なれども」、いつもは微(いやし)き獣にすぎない。だけどそうした「いと賤しき神」ばかりを見て、「いかなる神といえども理を以て向かうには可畏(かしこ)きこと無しと思ふは、」「ひがごとなり(間違いだ)」と断じられる。

つまりここで宣長は神の本質については論じていない。というより神とはこういうものだと一定に定めて論じること自体に反対している。人の智には限りがあって、「まことの理はえしらぬものなれば」、というのが宣長の強調するところ。カミは当然人智を越えたものであり、人から見た正邪の区別からも自由である。その本質はどうだとか論じる事自体が不当である、と。言われてみれば理屈ではある。

 世界や神を「理」とか「道」とか中国起源の形而上学カテゴリーで云々しても結局そうした理学の範疇論からでることはできない。お狐さんも神ですよと言えば滑稽なようだが、それでも目の前の狐一匹でさえ持っている不可思議というものを無化してしまう理学の暴力的裁断だ、と儒者の「さかしら」を攻撃するわけですね。これはこれでまあ面白いとも思えます。

(全然纏まりませんが、その2へ続く。)

*1:万葉仮名で書いてありルビが振ってあるが万葉仮名は省略

*2:『古事記伝』岩波文庫 p172

*3:だいたいこんな感じですが正確な引用ではありません

(4/10)野原

KMRさん「学校に押しかけて文書を配布する行為の正当性について、azamikoさんは充分な説明をしていません。」

 父母が学校で、「先生方が自己の意思に従い行動されることを支持するというメッセージを伝えるため」の手紙を渡すこと、それは特別なことであり、正当性を父母の側が立証しなければならないそうした問題だ。という捉え方に反対です。

十条さん

 ご意見に賛成です。コメントしていただいて助かりました。ありがとう。

他の方もコメントありがとうございました。

ナヌムの家 とハルモニ証言

下記の催しに行ってきました。

●4月21日(木曜日)同志社大学・今出川キャンパス・寒梅館クローバーホールにて

    午後4時~映画『ナヌムの家』上映 

    午後6時~李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ証言 

    主催・同志社大学実行委員会 入場無料

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050115 わたしは1/15以降本を読んだりしてすこし「従軍慰安婦」について勉強しコピペし論争したりもした。自分なりの慰安婦像ができていたわけだが、先日見聞きした映画と証言の慰安婦像はそれとはまったく違ったものでうまく言葉にできない。違った像、イメージといっても知的理解として違っているわけではない。

 ただ話のとっかかりとして知的な所から入ると、映画を見て気づいたのは、ナヌムの家のハルモニたちと支援者たちよる水曜デモ。毎週水曜日1992年から欠かさず続けられているという伝説的な集会(デモ)だ。映画に写っているそれは参加者10人から20人程度のひどく小規模なものだった。日本中のプチウヨから敵視されているにしてはひどく小規模な。プチウヨはしばしば「韓国」という巨大な物と彼女たちを同一視するのだが。

 元日本軍「慰安婦」として韓国政府に申告した方の数は約200人*1半数近くはすでに亡くなっているのではないだろうか。全体で約20万人ともいわれる全体像に対してあまりに少ない。少数派の問題であってもそこに思想的課題を深く掘り下げるのが思想家の仕事であるだろう。一方政治家の役割は妥協し相手を納得させることだ。顕在化している対象者が数百名程度なのになぜ妥協案を提示できなかったのか。相手が納得しない「国民基金」などという案をごり押ししようとしたのか。少数派の「慰安婦たち」自身ではなく韓国その他の国家さえ納得させられなかったのはどうしてか。つまらないナルシズムである思想でしか自己を支えられない勢力が強いからだろうか。大きな問題である現在の反日暴動問題も解決できないのではないか。

 でそんな話は映画には一切出てこない。ただハルモニたちの日常が坦々と描かれるだけだ。ただのぐちっぽいおばあちゃんたちの日常。もう生きてなんかいたくない、ずっと前からそうなんだといったネガティブな事ばかり言う女性。それでもデモには出かけていくのだが。10年間報われないデモ。*250年以上前の傷跡は彼女たちの存在のなかにいまも大きな空洞として残っている。そう理解することはできる。でもその空洞にどう向きあうべきなのかは私には分からないのだ。彼女たちとつきあうわけではないから別にいいといえばいいのだが。

 李容洙(イ・ヨンス)ハルモニ証言は映画と違い衝撃的な部分も沢山含むものだった。だが、まとまりの良さという点では、id:noharra:20050125#p1 などで紹介した証言録とは比較にならない。皇軍=有罪の立証に向けて最短距離で組織された言説と違い、ノイズばかりである。

 最も印象的だったのは、日本の兵隊に教えられた軍歌をきれいな日本語で歌ってくれたこと。日本語への愛。最も憎悪すべき日本との抜き差しならない交流は、長い間潜在しながら、彼女の殆ど一生を貫き、愛という形でも現象する。

 わたしたちは最も憎むものをじつは愛している。そう書くと陳腐な逆説にすぎないが。

 レイプすること、比喩としてというと急に軽くなって意味がないが、生きることにおいてレイプすることは不可避であるだろう。親鸞的な深さで言うならばだ。*3人生は常にそこから始まる。反省することは可能であるしためらってはいけない。孔子も言ったように。

 ・・・

*1:パンフ『日本軍「慰安婦」問題とは』より

*2:ここで他人事として語ってはいけないだろう。わたしが日本国家の成員である限り私がハルモニたちの側に立つなら日本国家に働きかけをなすべきである。

*3:凡人である私は言ってはいけない、言うことができない発言である、が。という意味。

小泉首相のバンドン発言

 50年前、バンドンに集まったアジア・アフリカ諸国の前で、我が国は、平和国家として、国家発展に努める決意を表明しましたが、現在も、この50年前の志にいささかの揺るぎもありません。

 我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、我が国は第二次世界大戦後一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力に依らず平和的に解決するとの立場を堅持しています。

ここまで言うなら当然「靖国参拝止めます」となるはずだ。諸外国もそう思っただろう。

 第二に、平和の構築が重要と考えます。平和と安定こそが経済発展の不可欠な基盤です。我が国は、これまで大量破壊兵器等の拡散やテロの防止に力を注ぐとともに、カンボジアや東チモール、アフガニスタン等において平和の構築のために努力してまいりました。今後、中東和平推進のためのパレスチナ支援や、平和に向けてダイナミックな動きを示しているアフリカに積極的な支援を行ってまいります。無秩序な兵器の取引の防止、法の支配や自由、民主主義といった普遍的価値の普及は我々すべてが積極的役割を果たすべき課題です。

アフガニスタン、イラクにおける「努力」は評価できない。「中東和平推進のためのパレスチナ支援」は現にパレスチナを抑圧しているイスラエルとを抑える努力抜きに行っても意味はない。またネオコンとヨーロッパとかの間で「自由、民主主義といった普遍的価値の普及」という言葉の意味について大きな差異があるので、どちらを選択するのかが問われる。以上のような問題点はあるがまあ優等生的な発言だ。