口には出さない憎悪

どこぞのブログで炎上してましたが、まあ『表現の自由』とか『民主主義のため』とかいっていらないよって言っているのを無理やり敷地に入ってこられてビラをつっこまれるとかそういうのはやめて欲しい、ってそういうことでしょう。至極当然の話です。

http://d.hatena.ne.jp/keiroku/20051209

けーろく奮闘記 – へっへっへ~

私はkeiroku氏を憎悪する

道義的責任を定義、

中道右派 中道右派 『>道義的責任を定義、提出する主体を、きみたちが一貫して用意できない、かろうじて成立したものを潰してしまうのが問題なのです。かわいそうな日本!

その点は、一部同意します。あまりにも外交が下手すぎる。日本にも、国際的な赦しのコンセンサスを作り上げたヴァイツゼッカーに匹敵する力量の政治家がいなかったことが悔やまれます。

私の考えでは、第三国の研究機関を複数入れて、事実関係及びこの問題の発生から発展までの一部始終を徹底調査し、その結果に基づいた国会決議をすべきと考えます。

調査のための基金が設立されたら、喜んで寄付に応じたいと思います。

>「区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします」は議論の放棄ですね。よっぽど自信がないのか。

いいえ。自信はあります。

あなたにも基礎的な知識をもってもらってから、無駄のない有益な議論をさせていただきたいと考えております。』

中道右派 中道右派 『

>「生き延びるための思想」読後メモ

>なかった派と議論するためにはどうしても、吉見さんたちの議論に倣っていくしかないような気がします。

それは、一部正しく、一部誤りです。

上野千鶴子氏は上記著書で、この問題の本質を以下のように一面では正確につかんでいます。引用サイトより抜粋。

『多くの兵士たちは日記や回想録のなかで、「慰安婦」との接触を、少しも恥の意識を持つことなく記述していたからである。パラダイムの変化のおかげで、彼女たちの経験は「軍隊売春」から「性奴隷制」へ、すなわち軍隊によって組織的に継続された強姦へと、見方が変わったからである。』

これは、行為時及びその後しばらくたった回想録記載時においてすら、慰安婦の存在は法規範上は犯罪ではなかったことを認めているのです。

それが、その後の女権伸長に伴って、90年代以降の現代に行われてたら犯罪じゃないの?という法意識になってきたという、むしろ実態に合致した認識を示しているのです。

しかし、この実態に合致した認識を前提とすると、法の不遡及の原則(行為時法適用の原則)により、日本の国家責任は否定されてしまうので、補償請求の場面では負け筋になるのです。

そこで、吉見氏らは補償請求を肯定するために、(無理を承知で?)行為時においても違法であったことを何とか説明しようとして、国際法の少数説を引っ張ってパッチワークを始めたため、法律家から笑われてしまうのです。』

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070324

3/24[コメント]

神道(forビギナーズ)

 石牟礼道子は与那国島へ行った時のことをこう言っている、「山と名がついているから山かと思って行くと、地上から十五センチばかり高くて木が生えていると、そこはもうほんとうに聖なる山で、そういうところに湧いている泉とか、海岸などの直径1メートルもないくらいな湧き水で、イザイホーの祭事の禊ぎをなさる、そういうのを見てますと、ほんとうに神が宿っている雰囲気がいたしますね。」*1

これは島尾ミホと石牟礼の対談で、ミホは子供の頃からカトリック道子は最近得度して浄土真宗になった(と始めて知った)が、ここで言っている神は<日本>古来のものだろう。

 「土曜日の午後や日曜日には、わたしは島のあちらこちらにあるイシバ(石場)へ出かけた。イシバというのは(略)苔むした玉石で囲まれた空間に、尖った石が立っている一種の磐座である。そうした石の神々をイシバサマと呼ぶが、イシバサマのなかには、イシバを持たない神もいて、草ボウボウの、ちょっと見ただけではまったく何でもない場所に、ポツンと御幣が立つという神もある。」とこれは、菅田正昭氏の本の後書きp172から。*2「日本は島国だから島のことを勉強すれば日本が分かる」と考えた若き著者は、東京の南360キロほどの孤島青ヶ島が村役場職員募集のお知らせを見て勇んで応募し島へ渡った、そしてそこでイシバサマに出会ったわけである。

 ついでに思い出したことを書いておくと、去年ウスリー川のずっと上流映画『デルス・ウザーラ』に出てくる川だというところで地元の猟師(ウデゲ族)と川を遡っていると彼らは途中で止まった。巨岩がありそこにウヲッカをこぼして祀る。なんだ神道と同なじやなと、わたし(野原)は思ったのでした。

 上記の三つには共通点もあるが相違点もあるのだろう。でもウデゲ族はかなり遠いから外すとして、上の二つのような神こそが、日本の固有信仰の原点なんだと、菅野氏の本を読むとそのようにも理解してもいいのだと思える。

 要は「神道」と言ったとき、<神>と<道>からなる。道を言説と考えると、神は目に見えないが言説はそうではないので言説の方にどうしても眼を奪われがちだ。神道の言説的起源は神仏習合からになる。圧倒的言説力を持つ仏教を元とし、その応用として神道を記述していく。後、江戸時代には林羅山、山崎闇斎らの儒家神道の流れも大きな力を持つことになる。すなわち神道を理解するためにはこのようなインテリによる言説の流れを学んでいくことが普通の発想だが、それではかなり外れてしまう。と菅野氏は言いたいようだ。

(ところで、かって中国には「鬼道->神道->信道->聖道」というレベルの区分があり、卑弥呼時代の日本は鬼道レベルだった。仏教伝来時の日本の固有宗教はまあ神道レベルか、といった中国人の感覚で、そもそも神道とは、名付けられたものではないか。とこの本にはある。p75)

*1:p37 isbn:4902116006

*2:現代書館ビギナーズシリーズの『神道』isbn:4768400957

我有子無

我有子無、何故不受(われ有り子(し、“あなた”の尊称)無し、何の故に受けざる。)またまた『漢文入門』p37から。

子思*1が困窮していて、20日間に9回しか食べることができないほどだった。田子方というひとがこれを聞き、狐の皮ごろもを与えようとしたときに言った言葉。私は持ってるしあなたは持っていない。だから財が私からあなたに移るのは自然なことだ、という意味だろう。田子方という人は率直な人でたぶん本当にそう思ったのだろう。子思は屈折していて好意を受けられないのだがまあその話はいいとして、ここで取り上げたのは、富者から貧者へ富が移るのが自然なことと捉えられているからだ。おそらく東洋でも西洋でも前近代はわりにそういう感覚があったのかもしれない。

 「各人に資源がしかるべく行き渡っていないために自由が奪われている。だから自由のためにも、分配が必要だ。」と立岩真也は述べる。*2分配とは富者から取って貧者へ分けることである。ただ立岩は富者/貧者という言葉は使わない。富者/貧者といった途端、それはイデオロギーによって世界を見ている立場だと言われてしまう。所有、あるいは所有=労働というものこそが価値の源泉であり、それに挑戦するものは悪だ、強く主張する者たちが増えているのだそうだ。規制緩和を唱えるネオリベラリストもそうだし。

「我有り子無し」というシンプルな4字は、そうした近代のパラダイムに汚染されない対等性の感覚を伝えている。

*1:子思(しし、紀元前483年?-紀元前402年?)は中国戦国時代の儒学者。姓は孔、名は(きゅう)、字は子思。孔子の孫。『中庸』を書いたと伝えられていた。

*2:『自由の平等』isbn:4000233874

永続する大学祭

松下昇において、“大学祭の永続化”という発想はすでに1969年にあった。*1

 我々はその事を理想的な形だと決して思っているわけではありません。むしろ、自分でマンガ的な行為だなと思い、笑いながらやっているのです。闘争には笑いが不可欠な要素だろうと思うし、最もよく笑った者が大学闘争の勝利者ではないかと、此頃、思うのです。決して、深刻な、不気嫌な顔をしてやるものではなくて、いわば大学祭を永続化しうる力量だけが闘争を支えていくのだと思います。

*1:「私の自主講座運動」 表現集p27 より

人権侵害の持続

http://www.asiavoice.net/nkorea/ の5月23日より

kazhik氏の論説の一部

周辺諸国が積極的に北朝鮮を支える状況になってきたことで、金正日体制の危機は過去のものになりつつある。その一方で、強制収容所や「出身成分」制度に象徴される北朝鮮の深刻な人権状況はなんら改善されていない。中国にいる脱北難民は放置されたままで、支援団体の活動もままならない状況になっている。そして今回、新たに日本の拉致被害者も切り捨てられることになった。曽我さんのケースは先行き不透明、安否不明の拉致被害者の問題は事実上の棚上げだ。

東北アジアの平和は人権と民主主義に基づくものでなければならない。しかし現在確定されようとしているのは単なる現状維持、人権侵害の現状維持でしかない。このような「平和」をいったい誰が支持できるのか。