松下昇の表現(オンラインで 読めるもの)

メモ:ストライサンド効果

ストライサンド効果:インターネットでは、理由なく情報が消されると余計広がること。(バーブラ・ストライサンドが痛い目を見たことに由来)

17 minutes ago

ストレイサンドかと思ってた。

中道右派to野原氏 『一部訂正

×3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメント

○3月15日付けと3月19日付けの各エントリ中の私の該当コメント

なお、3月18・21・24・25日付けエントリにコメントしておりますので、お返事ください。

ノーモア氏によると、コメントに答えないと、逃げたと思われるので嫌だそうですよ。』(2007/03/28 07:28)

* noharra 『中道右派さんへ

ちょっといま、別のことで考えなければいけないことがあるので

応答は遅れます。

--あなたの「証拠を出せ」ゲームに乗るつもりはありません。

--あなたの「証拠を出せ」ゲームを仮に前提とした場合、ミッチナ報告の読みの点であなたは矛盾を犯している。

これを認めてください。』(2007/03/28 07:50)

* ノーモア 『野原氏のブログなので彼が認めるのであれば私に何も言う権利はありませんが、これほどの長い、しかも永井論文を単にまとめただけのものを貼り付けるなんて常軌を逸していると思いませんか?

御自分でブログを作って検証してトラックバックをすればいいんじゃないですか?しかもコメント欄で分割すれば読みにくさは倍増します。しかもはてなのコメント欄には容量に限界があります。少しはお考えになってはいかがでしょうか?

>3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメントを、『永井和論文の批判的検討』などといったタイトルで独立のエントリにしていただけると、うれしいです。

厚かましいにもほどがありますな。

それからはてなの容量のことも調べずに「逃げた逃げた」と中傷したことについて言及は一切無しですか?とことん礼儀知らずの人ですね。』(2007/03/28 09:28)

345 八月の短歌

戦場の街の一つをそのままに持ってこなければわからないのか

(砂川壮一)

第九条創りし高き理想あり代うるにいかほど理想のありや

(諏訪兼位)

8月30日の朝日歌壇の馬場あき子氏の選より。彼女は「「原爆忌」が季語になっていく歳月を、記憶の風化を悲しみながら生きてきた」と言う。記憶とは何か、わたしには分からない。戦場の街が突然目の前にあっても分からないだろう。「反戦平和を祈る」というのは思想たり得なかった、と言って良いのか?結局のところ、“朝鮮戦争にもベトナム戦争にも心からは反対しなかった反戦”は捨て去るしかないだろう。*1

*1:何年の発言なのか不明、2004年か

言葉の上の正義

 大晦日、紅白かボブサップか暇人でもTVでも見てくつろいでいるというのに、わたしは(一応掃除とかもした後)孤独に面白くもないヘーゲルを読もうとしているのでした。でも紅白とか覗いてみたがヘーゲルより面白くないとはどういうことだ! p262ギリシローマ時代、徳性は民族共同体にしっかり根を下ろしていた。

 近代の徳性は、共同体をぬけだした本質なき徳性であって、実質的内容を欠く、観念とことばの上での徳性にすぎないのである。世間とたたかう徳のおしゃべりの空虚さは、その意味するところがはっきりすればすぐにも暴露されてしまうので、徳のいい草にはなんの新鮮味もないのだ。で、わかりきったことをいわなければならないとなると、あらたなものいいを工夫して熱弁をふるうか、心に訴えかけて、いいたいことを内心でつぶやいてもらうしかない。(略)そうしたいい草の山や、もったいぶった口調には、だれも興味をいだかなくなっている。退屈なだけの話が興味をかきたてないのは当然のことである。*1

 で急に話は二百年後の現在に飛ぶわけですが、今年、時代の変化を観察できたのはやはり、総選挙の社民党と共産党の退潮でしょう。わたしは今憲法九条の削除に反対です。イラク派兵にも反対、つまり民社党よりも「社民と共産」に近い(といえる)。ただ、「護憲」「憲法9条」とかが絶対の正義であるかのように声高に言う人に対してはわたしも異和感を持ちます。建前としての絶対平和主義は、本音としての米軍(安保条約)と自衛隊という現実、と表裏一体のものとして戦後五十年間日本の言説空間でメジャーだった。正義派のひとはそういう風には現実を見ない。自分たちは常に正義であるが、残念なことに悪であるところの世間が正義を押しつぶそうとする。私たちは苦しいがそれでもたたかい続けるという志は失わない。シニカルに言ってしまえば彼らにとって一番大事なものはナルシズムなのだ。で、上記のヘーゲルは、わたしには(わたしだけかもしれないが)そういった正義派の人への揶揄としてそのまま受け取れるのです。

 各個人が自分の為に行為しているとしてもその行為の総和は、善を現実にもたらすことになる(はずだ)、とヘーゲルは思っている。ブルジョアの自由が歴史を前進させた時代もずっと昔にはあったのね。ということなのか。「なりゆきまかせの個人は自分だけのために利己的に行動していると思いこんでいるかもしれないが、実は思いこみの上を行く存在であって、その行為は同時に潜在的な善を実現する共同の行為でもある。」 

*1:p262『精神現象学』作品社 ページ数よりもどの部分かの方が大事ですね。「5理性」は、金子氏によれば「観察/行為/社会」と分かれる。「B行為」は「快楽/心胸/徳」と分かれる。引用は「c.徳」の終わりの方からです。

私の自主講座運動

 久しぶりにホームページを更新しようとしたら、ftpから入れない。焦った! インフォシークのページに行くと、2月20日(金)16:00~2月26日(木)14:00 FTPによるファイルの更新などができない、と書いてある。その後は使えるのだろうか。不安だがこのまま行こう。ちなみに自分のためにメモしておくが「iswebIDは、旧トライポッドIDに“-lj”を足したものになります。」

 載せたかったのは松下昇の「私の自主講座運動」の前半。とりあえずここに貼っておこう。


私の自主講座運動

(松下昇氏の表現)

 詩というものが無数の表現方法をとるように、闘争にも無数の方法があると思いますから、私も自分の軌跡について、ひとまず報告しておきたいと思います。ここへやってきたのは、さきほど菅谷君もいったように、たんに報告するとか、講演をするためではありません。菅谷君はもともと、神戸大学で一諸にドイツ語を教えていた仲間です。数年前から我々をとりまく情況をなんとかして突破しなければならないと考え、そのために、我々は様々な目にみえない闘争をすでに開始していたのです。いま、場所的に離れてはいるけれども、私のやっている自主講座運動と菅谷君のやっている解放学校とがいわば〈 〉のように情況を包囲する形で現実化しようとしています。そういう特にあたって、私自身も六十年代に自分がやってきた事を総括する意味をこめて、今日、ここへやってきたわけです。

 私(たち)の運動の特徴を六つの項目にまとめてみました。

 一番目は、二月二日に私が出した「情況ヘの発言」に示されていますけれども、大学闘争における表現の階級性粉砕を主要な根拠にしています。例えば、権力を持っている者の表現と持たない者との表現とは、文字として、あるいは声として同じであっても、それが現実に持つ意味については全く違ってきます。そして闘争の契機自体よりも、闘争過程において各人が表現にたいして持っている責任を追究する形で、闘争が持続しているわけです。

 具体的には、この問題について全ての人が私に対してこたえるまで、大学の秩序に役立つ労働を放棄するという形で授業や試験やその他一切の旧秩序推持の労働を拒否しているわけですけれども、同時に、単純な拒否でなく、自分の出来る範囲で攻撃的に粉砕してゆこうと考えました。大学によってそれぞれ条件は違うと思うけれども、我々の場合には、自主講座運勤がいわゆる全共闘運動を包囲している形で展開されており、また単に闘争者がやっている運動というよりは、この運動にかかわる人間がたとえ我々が敵対する場合でも、自主講座運動に無意識的にも参加しているのだという確認を前提としています。たとえば、我々の自主講座に大学当局や民青や、さらには機動隊がやってくる場合も、彼らを平等な参加者とみなして運動を続行してきました。

 二番目は、創造(想像)的なバリケードです。全国的に目に見えるバリケードが撤去されている段階において、本当のパリケードの意味

はこれから追求され始めるであろうと思います。そのための条件として

、目に見えるパリケードの中に何を、いかに形成してきたかということがあります。神戸大学の場合でいうと、大学措置法成立後、もっとも早くバリケードが解除されましたけれども、バリケード形成以前から一貫して自主講座運動を続けていたために、解除されたということがそれ程打撃にならなかったのです。そればかりか、最後までバリケードで徹底的に活動したのは自主講座運動であったし、またその後の授業再開、試験強行にたいしてもっとも戦闘的に反撃したのは、我々の運動でした。

 我々が活動する空間がそのままバリケードになってしまう。例えば、この教室を授業で使うとしますと、ここを占拠して、自分達の問題提起をおこなう。別にロッカーとか、机で封鎖しなくても、我々の存在がそのままバリケードに転化していく。しかも、移動可能なわけですから、いたるところに出没して、ゲリラ的にバリケードを運動させていくわけです。これは不可視の領域へまで拡大していくべきだと思います。

 三番目は、我々の自主講座運動のテーマはどういうものか、ということです。これは明確に定義をするのは不可能だと思うのです。むしろ不可能である様な運動を目ざしているのです。まず、明確な規定として、これこれに近づこうという風な運動論はもはや破産したと思います。我々が創り出しうる最も深い情況に我々自身が存在すること、そのことによって引き寄せられて来る一切のテーマが自主講座運動のテーマであるし、その時やって来る全ての人間が自主講座運動の参加者になるわけです。だから、毎日、過渡的なテーマはかかげておくけれども、そのテーマどおりに進行するかどうかは分らないわけです。テーマをかかげることによって、そのまわりに変化が起こります。そして様々な力関係でこの部屋ならこの部屋に問題が殺到してきます。反論や撤去命令や機動隊導入など。その様な変化がそれ自身、持続的体系的な自主講座のテーマに合流するのです。そこにはじめて、学ぶことの怖しさが何重にも予感されてきます。いまのところ初期にくらぺて、目に見える意識的な参加者はおそらくここにおられる人数よりも少ない場合が多いと思います。しかし、目に見える参加者が多いとか少ないとかいうことをそれ程、気にしないで良いと思うのです。少な

くとも二人いれば、永続出来ると言う確信がありますから。

(続く)

(1969年12月都立大解放学校での問題提起 「ラディクス」2号から転載)

(松下昇表現集 1971.1.1 あんかるわ別号≪深夜≫版2 p23~より)

北朝鮮難民に連帯せよ

 わたしたちが<違法性への越境>という問題意識を持たざるを得ないのは、例えば、難民たちとの連帯を考える場合だ。ただ存在のために(生き延びるために)、一つの線を越えてしまうものたちが難民と呼ばれる。その線は国境であり同時に法である。

下記のRENKのサイトに次のような声明が掲載されました。

ハンストなどでギリギリの意志表示している北朝鮮難民に連帯を!

http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/renkseimei.htm

「中国当局に拘束された北朝鮮難民が抗議のハンスト

強制送還の中止、即時釈放を連呼」

ファルージャがまさに世界の中心に

ジャーナリスト常岡浩介の日記から貼ります。同感したので。

http://www2.diary.ne.jp/user/61383/

ところで、危ないと分かっていてアブグレイブへいった2人の行動が不可解だというメディア関係者さまへ。

では、疑問を感じているみなさまご自身はなぜファルージャにもアブグレイブにもいってないのでしょう?危ないから?危ないことは取材しなくていい理由になりますか?

今のファルージャがメディアにとって取材、報道すべき重要なテーマだという前提に同意していたただけますか?

ファルージャが今や、ただの田舎町でなく、米国にとっても日本にとっても、未来を決する重要な局面であること、ファルージャがまさに世界の中心になったことを、よもやメディア人が理解されていないわけはありますまい。

ベトナムでも、そのほかの戦場でも、報道の必要があると判断した場合に、危険を承知の上で現場へ向かってきたことを、メディアはよく自画自賛してきたように思うのですが…

自分にとって最も必然的な

 (上項の続き)

 今では信じられないことだろうが、1969年当時は「革命」という発想が一般的だった。自己の意思=党の意思=(革命後の)国家意思。ということが目指されたのだとすると、なにより自己を整序することが第一の課題だったであろう。松下の発想は正反対である。いまあるわたしというものが自分には測りしれない力(磁場のようなもの)によって彎曲させられるという事態。自身によってはうまく意識化できないそのような関係(自己の彎曲)から松下は出発する。野原がよくわからないままにこのダイアリーの惹き句にしている「ある圧倒的な力に」云々を見よ。“わたしたちはいつも自己が認識した限りでの世界にしか生きていない。したがって、私が自己や世界の彎曲を認識することはありえない。”この命題に反論するのは難しい。しかし「わたしたちはある体制の中に生きているのだからそれを否定することはできない。」という文章に変換すればこの間違いは分かる。わたしたちは革命後の世界に生きている。革命がなければわたしたちはまだ身分制社会に生きているはずだ。ここで革命とはブルジョア革命やプロレタリア革命ではない。体制の転覆という意味では明治維新も革命である。「今の政府の顕官も十年以前西郷と共に日本国の政府たる旧幕府を転覆したる者なれば*1」と言われるとおりである。ある感覚的に分節不可能な不快感が「問題提起の正しさが彎曲していくのではないかという一瞬おとずれる感覚」を告げることはありうる。それはいつでも即座に忘れ去られていくが、そうしないようにすればそこに、底無しの異貌の問いがあるようだ。

<情況にとって最も必然的なスローガンと同時に、自分にとって最も必然的なスローガンを作り出す>ということは不可能なことであるように思える。しかし本当にそうだろうか。今回のイラク誘拐事件において、最初、多くの人々が彼らの身を(わがことのように)案じた。それは不自然なことだったかもしれないが、人間とは意外にもそうしたものなのだ。ただその<一瞬の共感>を論理化しようとすると色々やっかいな問題が起こってくる。<情況にとって最も必然的なスローガンと同時に、自分にとって最も必然的なスローガンを作り出す>ということは考えようによっては、最も適切で容易な目標であるとも思える。

*1:福沢諭吉「丁丑公論」1877、1901発表

えびす三郎

今日の引用。

「――君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえびす三郎に似ている。そういう俗悪な精神になるのは止し給(たま)え。(「海 断片」梶井基次郎) http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/2384_13826.html

源平盛衰記に、成経、康頼、俊寛の鬼界が嶋に流されてある事をいえる段に、かの嶋に「ラン」岳という山有りて、その山に、夷(えびす)三郎殿と申す神を、いはひまつりて、岩殿と名づくといへり、神祇官年中行事にも、戎三郎殿とあり、この神のこと、いといふかし、神に殿と申すも、めずらしき称なり。*1

 小さな島の小さな岩殿。そこが夷三郎殿と名付けられたこと(の無意味に近い意味)に注目した宣長はやはりすぐれた感受性をもっていた、といえるだろう。(えらそうに言うな) 菅田正昭氏の古神道論の先駆者として、みたいな意味で。(菅田氏のurlはここ http://www.yoyo.ecnet.jp/SUGATA/index.html

(前半はまったく関係ない。でも印象的な断片でしょう?)

*1:「玉勝間」日本思想体系40 p151