具体的な他者の像

 N・Bさん 遅くなりました。

1月23日の『「正義の模索」を「高次の正義の設定」にすりかえるのはやめていただきたい』という意見は全く賛成です、あの日の書き込みはそれについての追加意見のつもりでした。このようなすりかえがただ現状追認だけをもたらすのは明白です。

というところでやっと共通点がはっきり分かって書きやすくなりました。

 ただまあ、おおやさんと梶さんの言説をきちんと検討するという課題(および「現実主義にどう対抗すべきか」論)はわたしには荷が重すぎます。中途半端に言及しているので応答が(怒りを含めて)返ってきたら対応しないといけないわけですが。(おおやさんにTB送ってないなー)

 「弱い責任理論」「強い責任理論」の説明ありがとうございました。

ただ、慰安婦「法廷」問題はまず第一義的には、「「自立した個人」の意図した行為の責任だけを問う」問題です。おおやさんの言うとおりです。

しかしそれは救済を与える法が存在しないのではなく、救済を与えることを否定する法が存在するからである(時効、除斥期間、個人補償請求権の日韓基本条約等による消滅)。もちろんこの点を争う議論は法的に可能だが(eg. 除斥期間は著しく正義に反する場合には適用されない)、それは「法が不在である」という主張ではない。

http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000150.html  おおやにき: 法廷と手続的正義・続々

で、日本の法廷と戦犯法廷の二種類あるわけで、被告(天皇など)が有罪かどうかという言説ゲームで一番重要なのはおそらく上記のような「著しく正義に反する場合」とは何か、になってくるでしょう。<<天皇有罪>>は戦後日本にとってパレルゴンとして存在し、したがってそれに関係する争点は、自動的に「著しく正義に反する場合」に含まれることになる、というのがわたしの主張です。

 日本の法律理論においても、「著しく正義に反する場合」云々という法理があると、これは「強い責任理論」になるのでしょうかね。法廷という場面では、もちろんそう言い直すことは無意味になります。

 N・Bさんの発言はどういう立場からのものかといえば、「現実主義にどう対抗すべきか」論みたいなところから、ということですね。

 それよりもたぶん野原燐というものがどこに立っているのか?、N・Bさんにも読者のみなさんにも分かり難いという問題がある!

 デリダの他者論(よく分かっているわけではないが)も参照しつつわたしは。

  1. わたしはまず具体的な他者を引き寄せたい、と思う。(id:noharra:20050115#p3,id:noharra:20050125#p1
  2. 彼女たちに言及する権利や視角を予めわたしが持っているわけではない。(悪く言えば)興味本位である。
  3. 「哀れ」という日本的抒情と関係がある、と言ったりするが(いまのところ)でまかせである。

 というようなところで戸惑いながら畏れ多くも文章を書いているのだった。

返信にならない乱文でごめんなさい。

黄色人種の戦い(2)

foursueさんから、2/9に3つのコメントがあった。

# foursue 『「太平洋戦争は歴史的に見れば白人に対する黄色人種の戦いであったとも見れる。」の意味を教えましょう。

太平洋戦争後、アジア各国(中国、朝鮮も含む)が独立したという事実があるので太平洋戦争が白人社会へ対する戦いであったと結論されます。

もしあなたがポツダム宣言を受け入れた時点で戦争のすべてが終わったと思っているのならこのような解釈にはならないかもしれませんが、被植民地であった国々はそのあとも独立のために戦っています。いわば、太平洋戦争はそれら独立戦争の出発点であったといえるのです。

少なくともアジア各地に残った日本人たちの中にはその国々の独立に力を貸した人たちがたくさん居ます。この事実からも黄色人種の白色人種への戦いであったということが言えます。違いますか?中国がどうしたとかそういったレベルの話をしているのではないのです。歴史の流れの中で太平洋戦争がそういった位置付けであると言っているのです。何か間違いはありますか?』

# foursue 『ログインしてませんでした。↑は間違いなく私の文章です。』

# foursue 『後付け加えますけど、私の文章がなぜ恥ずかしいのか理由の説明を求め、あなたが反論し私がそれを否定する意見を述べました。その後の反論はもう無いのかと聞いたのですが?なぜ論じる気がないのか教えてください?私の文章が恥ずかしいというその論点の前にあなたの言う論点があったというなら、私はそれを全面否定してますので、その反論をあなたがするのが筋です。』

「太平洋戦争は歴史的に見れば白人に対する黄色人種の戦いであったとも見れる。」という文には、「歴史的に見れば」と「とも見れる」という二つの譲歩句(というのかな)がついており、わざと意味をぼやかしている。

「太平洋戦争後、アジア各国(中国、朝鮮も含む)が独立したという事実があるので太平洋戦争が白人社会へ対する戦いであったと結論されます。」こちらの文章のごまかしは容易に指摘できる。「太平洋戦争」の主体は(朝鮮などを従えた)大日本帝国であるのに、「アジア各国(中国、朝鮮も含む)が独立した」の主体は(日本を含まない)アジア各国である。

黄色人種って変な言葉であまり使いたくないが。黄色人種は、3つに分かれる。

α:日本、

β:日本に従属していたあるいは「大東亜の大義」に呼応した黄色人種の諸グループ、

γ:日本と戦った黄色人種の諸グループ 

大日本帝国は戦争に負けた。勝ったのはアメリカと中国その他(γグループ)です。ここで「太平洋戦争」という言葉を使うことは、日本はアメリカ(+オーストラリア、英国など)に対してだけ負けて、中国に負けたのではない、と思いたい、という気持ちが反映しているのだろう。

あるフィリピン人の証言を聞こう。

日本軍、つまり日本政府は、植民地国を日本の手で解放しようとしてアジアの国々を攻撃したといいます。もしアジアの国々を占領してから本当に善政を行っていたら、日本は太平洋戦争に勝ったことでしょう。けれども日本は占領した国々で決して良いことをしませんでした。あまりにもひどい虐待を行ったのです。植民地支配からの解放は私たち自身が私たち自身のために闘いとらねばなりません。

p57マリア・ロサ・L・ヘンソン『ある日本軍「慰安婦」の回想』isbn:4000000691

乱暴な検証方法だが実際に戦争をしてみて、γの勢力がβに移行するということが起こったらそれは、解放戦争という意味付けもできる戦争だったと評価できる。しかし例えばフィリピンでは確かに米軍を追い払い、γの勢力がβに移行するという現象が起こった。しかし「決して良いことをしませんでした」という事実によりフクバラハップ団という抗日勢力が起こった。βが再度γに移行した。日本軍が一時的に占領した広大な地域のアジア人大衆は「まだ主体になっておらず」反日に染まっていたわけではない。「決して良いことをしませんでした」ことにより反日に追いやったのは、日本軍の責任である。

「少なくともアジア各地に残った日本人たちの中にはその国々の独立に力を貸した人たちがたくさん居ます。」一部の日本人たちはそういう選択をした。しかし、日本国家を(一定)代表する軍の首脳部は前線から自分だけ最後の飛行機で脱出するといった行動を取るものがほとんどだった。「その国々の独立に力を貸した人たち」のことを戦後日本国家は忘れ、何の顕彰もしていないのではないのか?

日本軍は良いこともした、という弁護がある。弁護はしたら良かろう。多少良いことがあったからと言って全体の性格に影響を及ぼすわけではない。

 フィリピン人の視点からはアメリカ軍と闘いこれを追い払ったことは別に悪ではない、むしろ良いことだ、と言っている。これは、東京裁判における「平和に対する罪」をメインにした日本に対する断罪を、再検討する上で大事な視点になるだろう。

 foursueさんがおかしいところは、「白人に対する戦争」といいながら、開戦時点では、全く逆の世界観を表明しているところ。「ある日突然「お前には食べ物を売ってやらん」と世界中から言われたらどうなるだろうか?」とは、日本を除く諸列強だけを「世界中」とみなすということである。彼が後で強調することになる(日本を除く)黄色人種たちは単なる資源であり主体ではないとみなされている。

 以上、とりあえず。

生きて虜囚の辱めを受けず

 従軍慰安婦テーマについてなどまとめたいを思いながらうまくいきません・・・

 さて今回は、「大東亜戦争」の一こまを扱う。

http://www.iwojima.jp/data/data2.html 硫黄島戦の経過

から抜き書きすれば、

1944.7.7 サイパン島玉砕。南雲忠一海軍中将以下約4万名、在留邦人約1万名が戦没。(人数には諸説あり)

8.3 テニアン島玉砕。角田覚治海軍中将以下約5000名、在留邦人約3500名が戦没。

8.10 グアム島玉砕。小畑英良陸軍中将以下19,135名戦死。米軍はマリアナ諸島を手中にしたことで、本土空襲の拠点を確保。途中にある日本の航空基地は硫黄島だけとなる。

別の本の巻末にマリアナ攻防戦関係年表がついていた。グアム島についての最後の処だけ抜き書きしてみよう。

1944.8.10 

●小畑軍司令官、天皇と大本営に宛てて訣別電報打電。グアムとの連絡途絶。

1944.8.11 

●小畑軍司令官、又木山で自決。日本軍の組織的戦闘終わる。

●この後、日本兵、小グループに分かれ、密林内で終戦まで抵抗を続ける。

●武田参謀、10月末時点での日本軍の残存兵力を2500名と推定。

●1945年9月4日、武田参謀を長とする日本軍降伏。生還者1250名。

●戦闘開始時のグアム島の日本軍2万810名、戦死1万9135名。

●グアム島攻略の米艦船600隻、飛行機2000機。上陸した米軍5万4891名。戦死1290名。戦傷5648名。

(p445『私は玉砕しなかった』横田正平 中公文庫isbn:4122034795

 まず、戦死者の数を比べると、米軍1,290 に対し皇軍19,135 と約15倍になっている。15:1といえばもはや戦争ではなく一方的虐殺に近い。実際は虐殺というイメージとも違う。日本軍は食糧もなく武器も少なく早い時期に戦闘能力といえるほどのものを失っていた。しかしながら、皇軍には悪名高き「生きて虜囚の辱めを受けず」という命令(戦陣訓)があり、飢えてよろよろになりながらも降伏することができなかった。戦争シミュレーションゲームでは糧秣を取られたら次のターンで戦闘は終わる。しかしグアム島の場合、死ぬ以外のゲームオーバーは許されていなかった。7.25に組織戦闘力の大部を失い、7.28に高品師団長戦死、そして8.11小畑軍司令官自決となっても、とにかく終わる方法がないので、生きている限り闘い続けなくてはならない。約二千五百人がジャングルの中で生きのびようとした。一年間経ち半数が生還した。最後に餓死または病死していった千人は、天皇陛下の為に死んだといえるのだろうか。戦争で敵から殺されるのは仕方がない。しかしジャングルをはいずり回ったあげくに餓死するなんてことまでしなければならないとは天皇陛下も想定しなかったはずだ。いくら最終戦争ををうたおうがそれは目的のレベルの話であり、戦争というのはやはり有限性のゲームでしかないはずだ。「生きて虜囚の辱めを受けず」という命令は、近代国家の誇り(自らの国は自らで守る)え根底的に支えられるべき軍というものを、全体主義的宗教性に支配されたそれに変質させる。

 餓死または病死していった千人が肯定されるなら、生還者l250名は何処に生還したのだろうか。日本が負けることはありえない、そういう理屈の中で彼らは死んでいったはずだ。日本は継続している、天皇すら代わらずに。それでも、「彼らは日本のために死んでいった」と言いつのるのか。一度滅んでから出直してこい。

 わたしたちは戦後平和国家になったので、「生きて虜囚の辱めを受けず」だけを限定的に批判する作業を怠ってきた。戦後60年、亡霊を祀りおさめて消滅させるべき時期だが逆に、すべての戦死者たちが立ち上がって歩き出そうとしている。

そこにいる/そこにいない慰安婦

 「重大事件の犠牲者が目の前にいるときには、人は犯罪者の側ではなく、まずその被害者の立場からその行為の意味を語るべきである。」嶋津格氏は、「慰安婦問題の周辺」という論文でこう書いた。皇軍の立場=文書証拠がない云々を批判する文章なのだと推測する。岡野八代はこの「重大事件の犠牲者が目の前にいるときには、」という条件節を検討し批判する。

むしろ、ここで問われるべきことは、「重大犯罪の犠牲者」は目の前にはいないのではないか、ということなのだ。右の文章は、じつは元従軍〈慰安婦〉にされた女性について語っている論文の一部であるがゆえに、なおいっそう「目の前にいるときには」と語ってしまうことが、彼女たちの立場からはおよそほど遠いことが分かるのだ。いや、わたしはこのことばに、一種の暴力さえ感じる。なぜなら、自分たちの身に何が起こったのかについてようやく語り始めた彼女たちには、五○年近い年月が必要だった。その間、わたしたちの「目の前に」彼女たちは存在しなかったのではなかったか。さらに、何が起こったのかをまだ語ることができない女性がいることも想像に難くない。そして、元従軍〈慰安婦〉にさせられた女性たちの多くは、もうわたしたちの「目の前に」はいないのだ。(p185『法の政治学』isbn:4791759699

 嶋津格は、従軍〈慰安婦〉問題に対して、「法的な祝点」を導入し、既存の犯罪類型にこの問題を当てはめようとする。しかし、現在わたしたちが「暴力」をめぐって直面している問題は、逆に既存の犯罪類型から「排除」されてしまうがゆえに、自分が被った「不正」を告発することができない、あるいは、暴力の被害に遭い、「痛み」に苦しめられているがゆえに声を発することができない人が多く存在する/してきた、という事態なのだ。つまり、わたしたちが必要としているのは、ある出来事が既存の犯罪類型に当てはまるかどうかを問う作業ではない。それは、彼女たちの個別具体的な被害に充分応えることにならない。彼女たちに何が起きたのかを、正当に検討することにはつながらない。そうではなく、わたしたちはまず、暴力を被ったひとびとは、わたしたちの目の前にはいない、見えない、彼女たちの声は聞き取れない、といった事態がなぜもたらされるのか/もたらされてきたのか、について思考を巡らせなければならないのだ。(同上)

 ある慰安婦は法の光の下に自らの声を登場させるためにわざわざ海を越えてやってきた。このブログでも二人の声の一部分は引用している。わたしたちは対自的に存在しているもののことをしか考えられないから。わたしたちは慰安婦問題がいくつもの偶然によって問題として浮上したからこそそれについて論じているに過ぎない。わたしたちがそれについて知らず(当然論じなかった)50年が存在した。その間も当然当事者たちにとってはそれは苦悩として存在し続けいたのだが。一人の慰安婦がそこに居た。彼女が沈黙で過ごした50年、そして同様の体験をしながら語ることなくすでに亡くなってしまったひとたち、また同様の体験をしながら沈黙を守り続けることを選んだ人たち、巨大な沈黙の重圧をくぐり突き破って<奇跡のように>そこにいるのだ、と理解されなければならない。

「わたしたちはまず、暴力を被ったひとびとは、わたしたちの目の前にはいない、見えない、彼女たちの声は聞き取れない、といった事態がなぜもたらされるのか/もたらされてきたのか、について思考を巡らせなければならないのだ。」そのとおりである。

 「わたしたちが必要としているのは、ある出来事が既存の犯罪類型に当てはまるかどうかを問う作業ではない。」ただ、この断言はちょっと性急ではないか。「既存の犯罪類型に当てはまる」場合は声を大にしてそれを訴えるべきだ。「犯罪類型に当てはまる」かどうかには、彼女がサバルタン(自己を表象しえない者)であるかどうかが大きく影響する。皇軍に向きあって「ジュネーブ条約」云々を口にすることができたオランダ人女性に対しては、東京裁判当時においても被害が認定されている。自己の被害を法的言説に変換しさえすれば「犯罪類型に当てはまる」と主張するのは容易だろう。あとは支援者がそれを支え、裁判官に認めさせればよいのだ。

わたしたちはは言葉を破壊する暴力を前に無力である必要はない。むしろ、わたしたちに求められていることは、沈黙を課す暴力や、<わたし>とあなた(たち)とのあいだに存在する豊かな世界を一つの物語へと切りつめてしまう暴力に抗して、いかに小さな声と沈黙であろうとも、<わたし>と他者のあいだに存在すべき豊かな文脈を紡ぎ出そうとすることばとして、それらを正当に扱うこと doing justice なのだ。(p205同書)

彼女の紡ぎだす言葉の流れは魅力的だ。だが法とは「豊かな世界を一つの物語へと切りつめてしまう暴力」に限りなく似たものではないのか。ここで取り上げた第4章にはその答えはなかった。

大東亞南米共榮圏

 日中戦争は、つまり大東亞南米共榮圏の一部なのですが、その理念は白人の有色人種国家の植民地化、奴隷化による白人中心世界を打破するものであり、現地で朝鮮人も軍人として、給与を与え、仕事を与えました。

その朝鮮人が婦女暴行などを行った事実はスルーですか。

私は、唯一、白人社会と戦った有色人種である祖先を罵倒する精神が理解できません。

http://d.hatena.ne.jp/DaI/20050327#1111939474

中国大陸で、皇軍兵が婦女暴行などを行ったと。でその皇軍兵には朝鮮人が多かったという主張でしょうか? 根拠は?

日本の「構造改革」

下記ブログの、シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(1/4)~(4/4)は大変勉強になった。ありがとう。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050327/p1 toxandriaの日記

日本国民は、その実態が「官から民へ」どころか第二次世界大戦後の約60年間に営々と築かれてきた「絶対的官僚優先社会」の基盤が更に一層強化されてきたことを知り愕然とするはずです。

ここには明らかに一般国民に対する欺瞞があります。「官から民へ」という耳障りが良いキャッチ・フレーズの下で行われているのは、国民一般の反官僚意識を巧みに誘導して、高級官僚と財界トップの主導による「政・官・財の談合癒着構造」を巧妙に深化させることです。

「構造改革」という大義名分の下で「巨大資本の行動の自由化」と「公的業務(公共)の市場化・企業化」(民営化路線)の推進ということです。その派生的な弊害として、就労機会の拡大やアウトソーシングなどの美名を冠せられた「雇用差別の奨励」という深刻な事態が発生しています。これは、「オランダ・モデル」の象徴とされるタイム・シェアリング政策などとは程遠い、陳腐で黴が生えた「下請業務の外注化」(昔懐かしい?“女中さん”方式の働かせ方)の手法に過ぎないのです。

一方、日本の財政赤字の根本原因は、主に政治家及び行政府と官僚たちによって積年に及び遣りたい放題に食い荒らされてきた「壮大な税金(国民の血税)の無駄遣い」です。しかも、日米両国の財政は「もたれあいの構造的癒着」の絆を一層強めつつあるのです。それを日本から見れば、アメリカの財政赤字を補填する仕巧妙な仕組みの中に一方的に取り込まれているという意味で、まことに隷属的な日米関係です。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050328/p1

このような状況下で、特に

「②国民一般における政治的無関心層や無党派層の拡大

③主権意識の喪失と選挙権を安易に放棄する傾向の拡大」といった状況下で、

それを補完する形で、「愛国的言説」「現状肯定主義」が出てきていることを確認しておいた方がよいでしょう。

神~測り

私たちは、そうではなくて、ある他の測りを持っています。すなわち、神の子、まことの人間という測りです。彼こそが、ほんもののヒューマニズムの測りです。あるときまるで流行の波ようにやって来る信仰は「大人」ではありません。大人であり、熟した信仰は、キリストとともにある友情のなかに深く根ざしているのです。この友情が、すべての良いものに向けて私たちに開かれ、正しいか間違いかを、また欺瞞か真理かを識別するための基準を与えてくれるのです。

(コンクラーヴェ開始のラッチンガー枢機卿によるミサ説教より引用。)

http://d.hatena.ne.jp/karpos/20050420#p1

 ラッチンガーさんが新教皇になられたそうです。わたし、キリスト教にもカトリックにも全然知識も関心もありません。自分に遠い領域にも出会えるのがネットのおもしろさですね。*1

 ただ上記の文章を読んでなんとなく引用してみたくなりました。「真理が存在する」という命題をポスト構造主義は批判したわけです。*2一方、「真理あるいは正義は存在しない」=なんでもあり! という風潮に対し激しくあらがっていかなければいけない。(ここでわたしが、あらがわなければいけないと考えているのは、宣長から小泉首相に受け継がれた“言挙げを馬鹿にし、結局ナルシスティクな国家主義に帰着する”思想です。)*3

*1:karposさんにはご寛恕を請うしかないが。

*2:ほんとか?

*3:わたしが上の文章をまったく誤読している可能性も高いのですがそれはいつものことだから言い訳はしない。

天地の始は今日を始めとする理なり。

北畠親房『神皇正統紀』p83(岩波日本古典文学大系)

バトンの続き(6/18記)

2.Song playing right now (今聞いている曲)

なし。

3.The last CD I bought (最後に買った CD)

マーケットで315円だったので、ベートーベンヴァイオリンソナタ「春・クロイツェル」ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団というのを買った。

去年はダイソーで百円の浪花節のCDを沢山買った。女流浪花節(其の六)三門柳はなんと「乃木将軍」で靖国神社が出てくる。息子を戦争で亡くした田舎の老婆がひとを戦争に駆り立てる将軍なる者への恨み辛みを(目の前にいるのが乃木だと気付かず)述べ立てると乃木将軍は自分が糾弾されているのに一言も弁解せずかえってお祖母さんに同情する、という話。現在の靖国の方がずっと偉そうにしてるのはいったいどういうわけだろう。

5.Five people to whom I’m passing the baton (バトンを渡す 5 名)

id:dempax さん

id:index_home さん

(なんだかルールもよく分かっていないのにすみません、無視してもらってもいいですよ)

あとはまた考えよう。

          排泄処理

松下昇『概念集・8(表現過程としての医療空間)』p14-15より

          排泄処理

 健康な状態の時にトイレ以外の場所、特にベッドに寝たままで排泄する、しかもだれかの助けをかりてすることを想像すると何か異質さと恥らいの感覚がやってくるが、実際に体験してみて殆どその感覚がなかったのが、むしろ不思議であった。これは逆に考えてみる方が正確であるのかも知れない。本当は健康な状態の時の想像が誤っている、少なくとも部分的な想像である、というように。これは排泄に限らず、いくつもの事柄についていえるのであるが、健康な状態の時の想像と実際の感覚の落差がこれほど大きいものはあまりない。極端化していうと、身体が弱り、排泄も自由にはできない状態のままの感覚で把握する瞬間に、任意の概念のヴィジョンが最も正確に現われてくるのではないか。

 私の場合には、被拘束空間で監視されながら排泄した体験(概念集1の〈監獄〉参照)や、幻想性の余剰の処理と格闘してきた過程(概念集5の〈資料の位置〉参照)が、前記のような考えを誘う要因になってはいる。しかし、最も大きい要因は、実際に病室で見た看護婦さんたちの仕事ぶりであった。かの女たちは、病室の患者がベッドの枕元にあるナース・コールのボタンを押すと、昼夜を問わず直ちに来てくれて手際よく排泄処理をし、尿ビンや便器をトイレへ持っていって洗い、乾かして次の排泄に備える。かの女らが、このようにできるようになるまでの、あるハードルの越え方は何事かでありうる。それは、いくらか唐突ではあるが、私に闘争に参加した者たちが初めて角材を手にして機動隊に立ち向かう瞬間のハードルの越え方を想起させた。看護帽とへルメットの類似性も。このような連想や比較は、常識的には看護婦さんたちに失礼なのかも知れない。しかし、どうしても私は同質のハードルの越え方を感じてしまうのである。さらにつけ加えると、始めてへルメットをかぶり、角材(ないし鉄パイプや爆弾や銃)を手にした人々は、患者の排泄処理と同質の行為をしようとしていたのである。ただし、かれらは殆どそのことを意識してはいなかったと考えざるをえない。していれば、闘争と同時に、また後からであれ、至る所にある〈排泄〉の処理へ立ち向かう作業に取りかかっていたはずである。私自身が、やっと最近になって取り組む必要性を感じている遅れの責任からこういうのであるが…。

 なお、かりに病院が宇宙空間のステーションに設置されているとすれば、排泄物を水洗トイレで処理するとしても、ステーションの外へ廃棄せずに再利用のシステムを作るであろう。それと同様に、巨大な宇宙空間のステーションとしての地球の個々の生活の場においても再利用を考えるべきではないか。肥料その他さまざまの物質に変換するというだけではなく、〈汚いもの〉というイメージを解体して、生命のリズムを身体と自然を結ぶ環において再把握する素材になりうるから。そうなるためには、まず、家族や職業的看護のレベルを超えて、各人が自分や他者の生理的な、また幻想性としての排泄物の処理を対等に自主的に行う共同の関係を作りだし、訓練しておくことが不可欠である。この試みは、多くのテーマに思いがけない方向から照明を当て、応用の仕方を示していくであろう。

一 住居、都市の機能における排泄処理設備の重要性。

 最初に確認・設置する必要と方法。(全員の関わり方)

 対比的に、極限的な闘争の場面でのトイレの非存在が意味するもの。

 また、監獄の服役者は決められた時間にしかトイレへ行けず、懲罰で鎮静?用の袋に 首だけ出してミノ虫のように入れられた者は、この状態で何日も食事・排泄をせざる を得ない。全ての食事・排泄する人はこの事実に注目してほしい。

二 日常的な遊び、労働、性的行為の過程でも絶えず気になる排泄の問題。

 子どもがトイレに行きたいとトイレのない場所で泣き出した場合の対処の仕方。

 犬などの家畜・ペットを散歩させながら排泄させる時の飼い主の気持。

 浮浪者と呼ばれる人々にとっての公衆便所(と、そこに住みつく人々の位置)

 入院中の絶食・点滴と排泄への影響。植物人間の排泄における〈夢〉の成分の度合。

三 排泄は処理するだけのテーマか。

 各人が数時間ごとに処理を迫られつつも直接の対象化を放棄しているテーマの象徴。

 身体状況、都市状況、世界状況を判断する素材。

 武器としての逆用。(例―皇居前広場での反天皇闘争)

 芸術の領域での扱い方。(タブー性の越え方。)

 地球の生命の生誕に異星人の排泄物やゴミが関わっている可能性。

(前記の断片的メモは、排泄に関する直接討論のテーマの一部である。テーマを補充し、意見を提起しつつ討論に参加していただきたい。文書による通信での参加可能・歓迎)