Aさんの名誉回復したければ勝手にすればよい

http://www.nomusan.com/~essay/essay_31_tokasikijima.html経由で)

http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html 第34回司法制度改革審議会議事録

というところで、曾野綾子が自作について語っているので、ちょっと読んでみよう。

最初にいままで何が事実とされていたか、を彼女は述べる。

 3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。

ところで曾野氏が論点として掲げるのは次の点だ。

これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、にみんなが興味があったわけではなかろう。

Aさんという方がどの程度悪人だったかどうか、というトリヴィアルな話題にわざわざ本土からやって来て食いついたのが、曾野綾子だ。もちろん文学者がどのような点に注目するかは彼女の勝手である。ある点に注目することで彼女はどのような文学的テーマを展開してくれるのであろうか。だが彼女が語るのは次のような言葉だ。

赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。

Aさん及び彼の隊の人に対し、無条件に寄り添おうとしているかに見える。大江のような平和主義に染まった文学者が「犠牲者」とされた人に無条件に寄り添おうとするそのことにより事実が少し偏向された形で表現されていく、そのことを批判したいのではないのかね。自分も(右と左が違うだけで)同じ形の思想なら、批判は成立しない。

本土では赤松隊員に個別に会いました。当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。

大変だったと思う。そして死者たちにはどういった回路で会ったのか。作家の本質はそこでこそ問われる事をまさか知らない訳でもあるまい。

 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。

しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。

「Aさんが、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。」それで? Aさんの名誉は回復されるべきだと、ふーん、勝手に回復すれば、としか言いようがない。

日本民族の運命に関わる巨大な悲劇に遭遇しながら彼女は、文学にも悲劇にも興味がないようだ。Aさんの名誉にしか。

ボヤンヒシグ

今日、朝日新聞の夕刊に内モンゴルの詩人ボヤンヒシグのことがでていた。数年前に読んだなと思い、検索してみると00/10/19 07:00付けで引用だけしたのがでてきた。

非日常性

           ボヤンヒシグ

二羽の白い鳩が

小さな部屋の窓に

度々 現われる

その都度 僕のペン先から

一つの危険なコトバが

滴ろうとした

何年かの後

雨が降った

二羽の鳩は黒ずんで

いつしか僕の双眼となり

僕はもう 部屋を出ていた

窓ガラスに裂け目がいくつ

空が痛むほど きれい

部屋は

すべてを知っているかのように

それからずっと空っぽだった

-------------------

『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より

書き留めておきたくなったので書いておきます。

「窓ガラスに裂け目がいくつ/空が痛むほど きれい」という文をどう解釈したらよいのか、分かるわけではないのです。

二羽の白い鳩は恋あるいは愛の象徴であり、「一つの危険なコトバ」というのがそういった言葉なんだとすると解釈は一応つきます。ただ、この作品の持つ異様な緊張感と恋あるいは愛というものとは合わないように思われます。だがそれは日本人の感覚で、異国人(の異国人との)愛の場合はそうではないのか。

そう解釈せず、なぞめいたままにしておいても充分魅力的な詩だと思う。

ジェンダーフリーとは?

「ジェンダー」使用禁止令!!!!ノォォ━━(゜∀゜)━( ゜∀)━( ゜)━( )━( )━(゜ )━(д゜ ;)━(゜д゜;)━━━ッ!!!!

「ジェンダーフリーとは」

http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html

seijotcpさんが作られた、とても分かりやすいジェンダーフリーとは?です。

近くに自民党があるのでプリントアウトして持っていってみようかと思いました!(が、・・・しないでしょう)

戦没船員の碑

天皇、皇后両陛下と紀宮さまは、11日午後帰京した。帰路、戦後60年に当たることから、横須賀市の県立観音崎公園内にある「戦没船員の碑」に立ち寄った。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/archive/news/2005/10/11/20051012k0000m040056000c.html MSN-Mainichi INTERACTIVE 社会

ということがあったらしい。

「戦没船員」については、下記のHPがある。

http://www.kenshoukai.jp/

報われることなく海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火のない海洋永遠の平和を祈念するため、昭和44年海運・水産界の関係者によって、慰霊碑建立のための財団法人戦没船員の碑建立会が設立されました。

http://www.kenshoukai.jp/senbotuhi/senbotuhi.htm

戦没船員の碑

皇后陛下御歌

 かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝き給ひしか

この皇后の歌だが、どうだろう?強引な詠い振りに、作者と「君ら」を貫く真実(悲しみ)を表現し得ている。と評価できる。

戦没船員の数は数えられている。60,607人。

 もっとも気になったのは「軍人の損耗率を上回る」を証明するデーターだった。これによると、同時期の軍人の損耗率は、陸軍20%、海軍16%となっているが、船員は43%。 戦没船員の多くは軍に協力させられた輸送船団の乗組員、そのため兵士でもないのに多くの戦死者を出している。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510230002/ ☆戦禍の海に消えた命、60,607人の戦没船員

 敗戦が目に見えていた昭和19年~20年の戦死者が約4万7千人、全体の戦死者の8割に相当する。さらに「戦没船員の年齢別分布」を見ると、口では言い表せない怒りを感じる数字がある。14歳から19歳までの少年船員の死者数が全体の3割以上を占め、その数1万9千人余り。

(同上)

船員でありながら戦地に上陸を余儀なくされ、軍からも差別されたケースもある。

なかでも、かろうじてガ島に着いた輸送船は、兵員等の揚陸のため強行擱座を命じられ、船員は船を捨ててガ島に上陸した。上陸後の船員は、軍からも邪魔者扱いされ、飢餓とマラリアなどの悪疫に苦しみ、2月初めに強行された撤退作戦で帰還できた船員は、同島に上陸した267名の中で僅か27名にすぎなかった。

http://www.kenshoukai.jp/taiheiyo/taiheiyou04.htm

以上、上記のおばけうさぎさんのブログの紹介に触発されて書いて見てました。(というかそのブログの(歪曲された)要約です。)

下記二つは同じ方のブログのようだ。これで下の方にTB送れるでしょう。

http://plaza.rakuten.co.jp/kazenotabibito/diary/200510230002/ ☆戦禍の海に消えた命、60,607人の戦没船員

http://d.hatena.ne.jp/milkbottle/20051023 NEWS GARAGE【カバ式会社おばか通信】 – 戦没船員の碑

で基本的なことが分かっていないが、彼らの遺族は遺族年金は貰っている。そして彼らは靖国神社には祀られていない。ということでいいのかな?

なぜこんなに、すらすらと平気に

私は学校で、万葉の講義をしているが、時々、なぜこんなに、すらすらと平気に、講義をすることが出来るか、と不思議に思うことがある。先達諸家の恩に感謝する事は勿論であるが、此処に疑いがある。教えながら、釈きながら居る人の態度として、懐疑的であるというのは、困ったものであるが、事実、日本の古い言葉・文章の意味というものは、そう易々と釈けるものではなさそうだ。時代により、又場所によって、絶えず浮動し、漂流しているのである。然るに、昔からその言葉には、一定の伝統的な解釈がついていて、後世の人はそれに無条件に従うているのである。私は、これ程無意味な事はないと考える。

(p149-150折口信夫「神道に現れた民族論理」『全集3巻』isbn:4122002761

削除元記事

twitter の下記記事を10月12日19時30分ごろ削除しました。 

http://twitter.com/#!/noharra/status/123898355607805952

@Hideo_Ogura ネットを利用した誹謗中傷については、被害者には「裁判制度を通じた救済」を受けさせないということですね。>あなたね、公開された発言をなめてませんか? 私はそんなことを言っていませんよ。議論のルール違反ですね。あなたの信用は下がった。posted at 10月12日 08:10:44

戒律への服従をめぐって

3)では、安息日の規定など当時のユダヤの律法に対してイエスが批判的だったことが語られる。p333

ヘーゲルは強引にも、ユダヤの律法道徳にカントの法則道徳を重ね合わせて批判するのだ。そして(全一な生)に基づく<愛の道徳>としてのイエスの道徳を顕彰する。

一方仏陀は、<慈悲の心を持たねばならぬ>と同時に<自他に対して根本的には無関心の態度を取る心を持て>とも言っており、戒律にはより遠い、ようだ。