北朝鮮は元在日の帰国を認めよ

下記によれば、1960年帰国事業で北朝鮮に渡った安本さんの姉の帰国を求める運動が起こっている。朝鮮総連は在日朝鮮人の感情と利害を最もよく理解している。関係者が死に絶えるまで待つつもりか?

http://www.chunichi.co.jp/00/ach/20040413/lcl_____ach_____008.shtml

朝鮮総連、受け取り拒否

上京の安本さん、姉の来日嘆願署名提出で

 重病の母(86)の見舞いに北朝鮮の姉(67)を来日させようと取り組む豊田市の在日二世、安本左久子さん(59)が十二日、実現を求める署名提出で東京を訪ねた。集まった署名は全国からの約七千三百人分。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は「前向きに努力はする」としてきた言葉とは裏腹に門前払いで、署名簿の受け取りを拒否した。 (辻渕 智之)

 安本さんの姉は一九六〇年、在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡ったまま、一度も日本に戻っていない。三好町に住む在日一世の母は昨秋、脳内出血で入院。北朝鮮は出国を認めないが、日本政府は昨年末、姉への渡航証の発給を認める異例の措置をとった。

情報収集のための拷問

[毎日新聞5月7日]より

http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/human_right.html?d=07mainichiF0508m033&cat=2&typ=t

虐待内容の項目は20を超える。「男性収容者に自慰行為を強要して撮影」「弾薬を装てんした拳銃で脅迫」「収容者を裸にして数日間にわたり放置」「軍用犬をけしかけ脅す」……。屈辱と死の恐怖で収容者の精神をくじこうとする執拗(しつよう)な意図が浮かび上がる。何が目的だったのか。

 虐待の多くは、昨年10月から12月にかけ、同刑務所の「1A」「1B」と呼ばれるエリアで発生した。複数の容疑者は、同エリアは「軍情報部の管轄だった」と供述している。軍情報部の主な任務は、収容者を尋問して得た情報を、イラク国内の治安維持活動などに利用することだった。少将は報告書で「他の政府機関」の担当者も、尋問を行っていたと指摘している。米中央情報局(CIA)の職員らも含まれると見られる。

 容疑者の男性軍曹によると、情報機関員らが看守役の憲兵らに対し「こいつが口を割るようにしてくれ。夜も眠らせずにな」などと虐待行為を奨励・指示していた。別の容疑者の女性兵士も「MI(軍情報部)は、収容者から供述を取りたがっていた」と証言している。尋問が順調にいくと、憲兵らに「よくやってくれた。簡単に落ちたよ。全部の質問に答えた」と感謝したという。

 ついでに「赤旗」5/8からも引用。アブグレイブ収容所で民間の取調官として勤務していたネルソン氏の証言。

「舞台が目標の家を捜索した際、(被疑者が)居合わせなかったら、ほかのだれでもを捕まえる。それが彼らの仕事だからだ。」「兵士たちは強いプレッシャーにさらされている。彼らは、(イラク人を)だれも知らないし、文化的専門家でもない。彼らが望むのは、帰郷する日を数えることだけだ」

概念集・2 ~1989・9~ 目次

概念集(2への序文の位相で)  1

概念と像の振幅     2

技術          3

無力感からの出立    5

自主講座        7

自主ゼミ        9

連続シンポジウム    11

大衆団交        13

一票対ゼロ票      14

参加          15

瞬間          17

表現手段(過程)    19

年周視差        21

生活手段(職業)    22

華蓋・花なきバラ    24

メニュー        25 

訂正          27

六甲あるいは〈 〉空間の方法  29

人質非難はどうかと思う(11/5)

http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1094319459/375 『結局、スピンをまともに検証して本に出したのは小林だけなんだよな。

バッシャー(情報操作に引っかかった人も確信犯も含めて)達がテレビ番組や雑誌記事、記者会見、ホームページ、新聞で、あれほど人質とその家族を攻撃したのに、未だに人質を非難する内容の本を出版した人は皆無。』

「それもあるだろうけれど、前回と違って、今回は官邸からの情報操作(スピン)が無かったからね。

結局、スピンをまともに検証して本に出したのは小林だけなんだよな。」

スピンって何のことと思ったら上記のようなことらしい。で小林って誰よ。スピンとは、フレーバーなんかと同じ原子核物理学用語で、それを小林秀雄が検証したのかと思ったよ(??)高齢者にも分かりやすい文章を書きましょう。

誰が国家にアイデンティティを求めているのか

id:noharra:20041030に二人の方からコメントをいただた、もう一人の方への応答。

(この表現は不正確。10/30に野原が突然引用したのが、お二人との関係の始まり。・・・)

# homoinsipiens 『こんにちは、トラックバック頂いたhomoinsipiensです。

いきなりですが、noharraさんとはちょっと事実認識がずれている気がします。

>前回の人質の親族は、その[「米軍の力を借りた人質救出」路線]を拒否しようと、必死で、しました。それが叩かれた。

今では数多く起こっている人質事件ですが、4月の人質事件はそのハシリだっただけに、米軍による救助という話が出てくるまでに結構な時間が経過した気がします。むしろ、叩きの原因、というか騒動の発端は、人質家族が事件発覚の実に翌日、自衛隊撤退デモに参加したことではなかったでしょうか。とりあえず私の記憶では、米軍による救助はだいぶ後まで現実的なオプションとして提示されることはなく、それほど中心的な論点ではなかったように思います。

あと、いやな指摘ですが、これまでザルカウィ派が捕らえてきた人質は11名、そのうち生還者は4人です。さらに、非イスラム圏出身者の生還者は0人です。軍隊による救出作戦の成功率をパーセンテージではかるなら、必ずしもこれより低いとは言い切れないのではないでしょうか。私自身、パーセンテージの問題ではないとは思いますが、ご参考までに。

>だってそれ悲惨でしょ。

国家を批判する余裕のない人、あるいは国家の庇護なくしては生きていけない人、ステレオタイプに「国家以外にアイデンティティを持ち得ない人」。私も確かに悲惨だと思います。そして批判者を気取る私たちが現体制の下、なんだかんだよろしくヌクヌクやっているのはこの悲惨の上に乗っかってでもあります。このことへの無自覚さがjinjin5さん云うところの「『国家制度とは自分達にとって常に他者である』という[…]傲慢」と繋がっているのではないか、と私は考えます。批判を名乗るなら、その批判は自らにも向けられるべきではないでしょうか。私はある意味で反・(暴走的)自己責任論者としての自分への戒めのつもりでかのエントリを書いたつもりです。』

homoinsipiensさん

レスが遅れました。というか以下もたぶんちゃんとしたレスにならないと思います。

「政府は人質の救出に全力を尽くすべきだ」とする意見をわたしは取りません。前回の人質の場合、救出については[「米軍の力を借りた人質救出」路線]とイラク国内の穏健派などへ働きかける路線、少なくとも二つがありました。人質の家族は国家方針である自衛隊派兵の撤回を訴えたことで世論の反発を呼びました。わたしが強調したいのは、[「米軍の力を借りた人質救出」路線]を拒否してくれと主張する権利を家族は持つはずだという点です。前回家族に拒否の意志はありました。この点について当局と軋轢があったことも確かだと思います。今回面倒なので過去資料は探しませんが。

「政府なんてなくてもいい、あるいはないほうがいいなんて考え方は、彼ら市民運動家たちが実は経済的に恵まれている…からこそじゃないのか。」に対し、私は肯定したのですが、これはいま一度考え直した方が良いようです。

「国家を批判する余裕のない人、あるいは国家の庇護なくしては生きていけない人、ステレオタイプに「国家以外にアイデンティティを持ち得ない人」。」という想定の仕方は不正確です。

人質批判をした人でも(B)2チャンネルなどに自分で人質批判を書き込んだ人、と(C)テレビで大量に垂れ流される人質批判言説が自分の心のどこかに触れたため取り入れた庶民 は区別すべきです。さらに(D)新聞の1面に載るような言説一般に全然興味を示さない人々も存在するはずです。

それに対して(A)「僕の周りの連中の間では今も昔も反・自己責任論の大合唱。」を対照して見ましょう。知的にはA>B>C>Dというような階層差が存在するような気もします。

だとしても「批判者を気取る私たちが現体制の下、なんだかんだよろしくヌクヌクやっているのはこの悲惨の上に乗っかってでもあります。」というのは意味が明確ではない。

 イラクの10万人(?)の死者に対し、日本人として野原はその「悲惨の上に乗っかって」いると指摘されたらそうかもしれない。その悲惨を直視しどう関われるのか考えるべきでしょう。日本国内においても野原は階級的知的に劣位なものの上に乗っかっているかもしれない。だが階級的知的劣位であること即ち、「国家以外にアイデンティティを持ち得ない人」たちではない。

http://d.hatena.ne.jp/homoinsipiens/20041029#1099030289(これを書いとけばトラックバックになるかな)

水俣病への接近

上の文章を書いたきっかけは『下下戦記』を読んだからですが、さらにそのきっかけはスワンさんが下記のような一連の文章にあります。量が多いのできちんと読めていないのですが。あらためて敬意を表します。

ちゃんと読まなくては。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041121#p1

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041020#p2

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041015#p1

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041014#p2

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20040613

村野タマノの叫び

67年には、公害対策基本法が制定する。

その翌年、初めて、厚生大臣が水俣を訪問する。

新潟水俣病の発生を背景に、1968年(9月22日)、熊本県天草郡出身の園田直は、厚生大臣として初めて水俣を訪れ患者を見舞った。孤独の中で闘病生活をしていた重症患者・村野タマノは激しいケイレンを起こしながら、「君が代」を唄い、「天皇陛下万歳!」と叫んだ。(パネルより)

なかでも6/13の上記の部分は印象的でした。

1945年から日本は民主主義国家になったと信じている人が多い。(小学校でそう習うから)戦前の日本だって今と同じくらい民主主義だった、ということは必ずしも無茶な意見ではない。いわゆる15年戦争において国内が危機に陥ったのは最後の2年くらいでそれまでは大衆やプチブルは(一定の範囲内で)自由と消費を謳歌していたのだ。今の日本が民主主義なんだというタテマエを皆が疑わないのはその方が楽だからにすぎない。村野氏の行為には何の錯誤もない。*1

*1:いろいろ問題はあるがわたしの文は尻切れトンボで終わる。

壁のごとし

今日はちょっと酔っぱらっていたので、本屋に行って文芸誌なんかかったことないのに、「文学アジア」とかいう特集につられて『新潮』200501月号を買ってしまった。

ダルウィーシュ*1の「壁のごとし」という詩が載っている。ダルウィーシュはパレスチナの詩人なのでこの壁とは、イスラエルが建設している隔離壁(アパルトヘイト・ウォール)のことだろうか。そうであるとしてもそれは喩の彼方に隠され不分明である。

第3連はこんな感じ。天国にすでに入ったのか、すべては白である。

究極の天体のなかで、わたしはなるべきものとなるだろう。

すべてが白い。海は白い雲のうえで白い。

絶対の白い空にあって、白とは無だ。

わたしはいたのだった、いなかったのだった。

白い永遠を抜けてひとり彷徨い

時間前に到着する。

「地上では何をしてたのか?」と、

わたしに尋ねようとする天使はひとりもいなかった。

祝福された魂の賛美歌も、罪人の嘆きも聞かなかった。

わたしは白のなかでひとり、わたしはひとりだ。

パレスチナの現実では行きたいところに行く自由すらないから、死んで自由になるのか

わたしはある日、なりたいものとなるだろう。

わたしはある日、鳥となって、自分の無から存在を引っ掴むだろう。

というわけで、雲を掴むよう以上に難解。イスラム神秘主義の伝統に棹さしているのか。しかも詩としてはかなり長い、17頁。

終始、生と死の狭間の何もない空間を歩みながら、歴史と生の堆積の厚みを感じている。・・・もっと、彼の詩とその解説を読みたいと思った。

*1:この雑誌、四方田犬彦の紹介ではダルウィシュ

からゆきさん

 id:noharra:20050115#p3 で引用した歩いている島田髷の女たちは、からゆきさんとも呼ばれるものたちかな、と思った。

 1972年に『サンダカン八番娼館』 山崎朋子 筑摩書房がベストセラーになってから、一時良く聞いた言葉だが、そう言えば最近全然聞かない。*1

意味は違うのだが、従軍慰安婦という言葉が良く聞かれるようになったのと反比例している。

 下記のサイトがあり、「 異国の日本人墓地の小さな墓石の下で眠るからゆきさんをたずね歩き回ったひとりの男が、弔いの気持ちもこめて開いたのがこの小部屋です。」とあり、丁寧な造りに好感が持てる。

http://www.karayukisan.jp/index.html

からゆきさんの小部屋

 「分布」という世界地図を見ると「このようにほぼ世界中に広がっていった」ことがよく分かる。「からゆきさんの数は、20万とも30万ともいわれています。」「日本人の影すら見当たらない地域にも、すでに100年前にからゆきさんたちは足跡を印したのです。」

http://www.karayukisan.jp/no3/index.html

Q1:いつのことなの?

 江戸時代の末から明治・大正、昭和の初め頃までの話です。

明治以降、日本はがむしゃらに資本主義化していこうとするのですが、はじめ外貨不足に苦しみました。そのときの彼女たちの貢献は決して無視できるほどではなかった。

 また、大正四年、全東南アジアの華僑が、日貨ボイコット運動を始め、日本国家の外貨獲得策は危機に瀕した。この時、日本国家は、暗黙のうちに『からゆきさん』たちの仕事を奨励し、彼女らの稼いだ外貨によってようやく危機を脱出した。

http://tadaokik.hiho.jp/borneo/16.htm ボルネオ紀行

一時期は日本の外貨獲得に貢献したほどだったそうですが、日本の日露戦争での勝利、第1次世界大戦での戦勝国としての地位向上、国力増強と経済進出の過程で「一等国日本の恥」とみなされて取り締まりが行われ、シンガポールをはじめに各地から1920年頃を境に次第に姿を消していきました。

http://www.f.waseda.jp/kanaike/class/gender/gender2004_02_10.htm  2004年度文学とジェンダー後期第十回

 マルチチュードなんて言葉も最近はあるが、定義はなんだっけ? 上品な人たちがなるべく見てみない振りをしているうちに10年、20年経つと社会の最下層に生きる女たちの国籍はすっかり入れ替わっていたりする、というようなこともあるのでは、というようなことに、わたしの問題意識はある。

反・従軍慰安婦言説の根拠には、娼婦は必要悪だとする、娼婦存在に対する絶対的差別意識がある。

*1:山崎朋子、森崎和江、村岡伊平治、は東南アジアのからゆきさんをクローズアップしたが、シベリア出兵から満州事変までの、満州周辺での女性たちの存在も大きい。

「アウシュビッツ」なしで日本はやっていけるのか?

id:clawさんの発言より

・・・過去の侵略戦争と植民地支配について、南京大虐殺について、従軍慰安婦制度について、日本の為政者は「和解のための言葉」を持っていない。別にキレイゴトでなくていいのだ。「いかにして過去の歴史にピリオドを打ち、あとから文句の出ないようにして、今後のショウバイに支障の出ないようにするか」という打算さえあれば十分である。ところが実際には打算も戦略も存在しない、独自の戦略がないから「自分自身の言葉、あるいは少なくともオリジナリティを感じさせる言葉」もない。

・・・なぜそうであったかについて考えるのもよいが、とりあえず一つの参考すべき例として、かつては共にファシズムの枢軸をなしていたドイツ、その政治家の言葉に注目してみよう。重要なことは「過去への反省」うんぬんではなく、「これからの長期戦略を踏まえて、今どうする、そのために何を語るか」ということにある。

http://d.hatena.ne.jp/claw/20050128

▼CLick for Anti War 最新メモ – オトナになる方法

日本は、中国、その他のアジア諸国の民衆に対し「大東亜戦争」において大きな加害を行った。

 謝罪は行われたか。「我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたこと」について1994年村山首相は、反省とおわびをした。これでは不充分だと思う。わたしたちは「アジアの大義」を掲げて世界大戦を戦った。それなのにゲリラでもないアジア民衆の女性・子どもをレイプしまわっていた。女性国際戦犯法廷で64名の被害証言女性たちなどによって明らかにされたことから判断すると、性奴隷、レイプといった面だけから考えても、日本軍の行為はアジア人蔑視という根本を持っていたといえる。「アジアの大義」を掲げながら、レイプしまわっていたことは、絶対的矛盾である。誇りある者なら深く恥じる、という場所から動くべきではない。

clawさんの意見は、倫理とは別の見地からのものである。罪が罪であることをアジア諸国が忘れてくれる、あるいは無理矢理忘れさせることができるのならそれでも良いかも知れないが、それができないのなら、「いかにして過去の歴史にピリオドを打ち、あとから文句の出ないように」するための「反省のための言葉」をもたなければどうしようもないんじゃないですか、と言っている。 安倍某をはじめとする人々は一見勇ましそうだが、勇ましそうな言葉を吐くことで国内的にだけ自らを慰めているだけだ。恥ずかしいだけなら良いが、国益を損ねているのではないか。