http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/003.htm
小学校学習指導要領(平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第2節:社会
(1) 我が国の歴史上の主な事象について,人物の働きや代表的な文化遺産を中心に遺跡や文化財,資料などを活用して調べ,歴史を学ぶ意味を考えるようにするとともに,自分たちの生活の歴史的背景,我が国の歴史や先人の働きについて理解と関心を深めるようにする。
ア 農耕の始まり,古墳について調べ,大和朝廷による国土の統一の様子が分かること。その際,神話・伝承を調べ,国の形成に関する考え方などに関心をもつこと。
イ 大陸文化の摂取,大化の改新,大仏造営の様子,貴族の生活について調べ,天皇を中心とした政治が確立されたことや日本風の文化が起こったことが分かること。
ウ 源平の戦い,鎌倉(かまくら)幕府の始まり,元との戦い,京都の室町に幕府が置かれたころの代表的な建造物や絵画について調べ,武士による政治が始まったことや室町文化が生まれたことが分かること。
カテゴリー: 未分類
7/03(1)への応答
#drmccoy 皇国・皇軍が「強制」したとおっしゃいますが、具体的にどのような方法で強制したんでしょうか?
(野原)住民の半数が米軍に“保護され”生きのびています。皇国・皇軍の「強制」がなかったのなら、彼ら(死んだ方の半分)はなぜ死ななければならなかったのでしょうか。
自殺した以上そこには自己の意志という契機が存在している。つまり「一種のマインドコントロール」の下にあったのだ、と(スワンさん発言の援用して)野原は主張しますが、だからといって幾ばくの自己責任が存したことは否定しません。
彼らの死が百パーセント強制によるものと言えるのか?とマッコイさんは論を立てているようですが、彼らの死の原因をたずねた場合、それが共同体の常識だったという意味を含めた強制が大きく作用していたといいうる、というのがわたしの主張です。
サイパン島の崖の上から
崖
石垣りん
戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火やら男だのに追いつめられて。
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)
それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。
(「表札など」『石垣りん詩集』ハルキ文庫p89)
責任の欠如・強制の欠如というイデオロギー
isbn:4480857621 『南京大虐殺は「おこった」のか』筑摩書房 1998
クリストファー・バーナード著
という本が図書館にあったので借りて読んでみた。
以下メモ。(ちゃんと説明するのに手数の掛かる本なので、分かりにくいままですまぬ。)
まとめ
日本の歴史教科書(特に日本史)は偏向している。
この偏向は責任の欠如や強制の欠如というイデオロギーを表明している。
このイデオロギーは日本国の権力保持者の面子を守ろうと努めている。*1
この本は、日本の高校で1995年に使われた全88種類の歴史教科書を全部比較したものです。
取り上げたのは、いつも論点になる、南京大虐殺、真珠湾/パールハーバー、815など4点*2。
テーマは書いてあることは事実か、という問いではない。文体レベルの微細な差異によって、受ける印象はずいぶん変わってくる。そのような差異を扱っている。
幸い、日本とほぼ同時期にドイツ・イタリアも開戦し、敗戦した。したがって、ドイツ等の記述と日本に対する記述を比較できるわけである。
教科書からのサンプル1
ドイツはオーストリアを併合し、1939年には独ソ不可侵条約を結んだのち、9月ポーランドに侵入した。p80
教科書からのサンプル2
日米交渉はゆきずまり、12月8日未明、日本軍はイギリス領マライに奇襲攻撃をおこなうとともに、ハワイの真珠湾に空から奇襲攻撃をかけ、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦を布告した。これが太平洋戦争のはじまりである。p76
上では「侵入した」という攻撃を示す動詞が最も強調されている。
このような(広い意味の)「攻撃」が本動詞になっている場合が、日本の場合は9%だが、ドイツの場合は40%になっている。
後者の場合、前者と違い、国家ではなく軍が行為主体となっている。
軍が行為主体となっている率は、日本が49%、ドイツは19%である。
ポーランドに侵入した」という切迫した文章に対し、「これが太平洋戦争のはじまりである。」という文章は説話的である。「ストーリーを語ることから一歩下がって、時間を超越した全知の観察者の立場にたち、すでにおきたことについて論評しているのである。」*3
つまり、日本国や日本軍何れに対しても攻撃の責任はさほど明確に与えられていないし、攻撃は「主たる話」にはなっていない。p82
責任の欠如とよべるイデオロギーに結びついた用法のパターンが教科書に見られる。p82
(以上 メモ)
小林万里子久しぶり!
▼「反戦ミュージックat京大西部講堂2005」
2005年9月10日(土)11日(日)京大西部講堂
入場無料
公式ホームページ
http://www.antiwar-music.com/index.htm
▼講堂前広場特設野外ステージにてライブ
9月10日(土) 14:30~21:00
クラワンカ、楽団モラトリアム、ヤブレカブレ、ISSIN、井上卓、ハチワレ天満宮、ジェロニモレーベル、ピカリンス、Lucky Lips、アジビート
9月11日(日) 15:00~21:00
LOVEDLOVED、ファルソス・ヒターノス(にせジプシー)、軍鶏礼賛、あうんさん・すうじぃ、SANPACHI、AUX、Mademoiselle
Fleur、小林万里子、吉田一平
▼反戦デモ
「小泉戦争内閣ぶっつぶせ!自衛隊イラク派兵と戦争国家化を許さない9.11反戦ミュージックデモ」
9月11日(日)
12:00 三条河川敷集合
13:00~15:00 デモ(三条河原~京大西部講堂)
▼広河隆一さん写真展
西部講堂内にて広河隆一さん写真展を開催。
▼京大西部講堂:京都市左京区、百万遍交差点より東大路を南へ徒歩すぐ
京阪出町柳駅下車、徒歩15分
市バス百万遍下車、徒歩3分(3、17、31、65、102、201、203、206系統)
市バス京大正門前下車、徒歩5分(31、65、201、206系統)
▼駐車場
会場に駐車スペースはございません。最寄りの駐車場をご利用ください
最寄りの駐車場
100円パーキング(京都市左京区田中西樋ノ口町)
100円パーキング(京都市上京区信富町)
京都市駐車場公社(京都市上京区青龍町)
▼期間中のみ西部講堂内および講堂前広場にてテント泊可能
ご利用の方は事前にご連絡ください。
▼スタッフ募集!
仕込み、本番、撤収など、それぞれご都合のよい時間でお手伝いをしてくださるボランティアスタッフを募集しています。汗まみれ、泥だらけになりますが、きっと形にならない大切なものに出会うことができるでしょう。
▼下記連絡先までお気軽にご一報ください
antiwar-music@hotmail.co.jp(吉田一平)
パレスチナ難民の声を聞く
~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~
【転載・転送大歓迎】
パレスチナの平和を考えるトークカフェ in 新世界 第二弾!
パレスチナ難民の声を聞く ― 「日本人フェミニスト」の視点から ―
~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~
日 時●9月19日(月・休) 16:30~18:30(16:00開場)
会 場●cocoroom(フェスティバルゲート4F、tel:06-6636-1612)
http://www.kanayo-net.com/cocoroom/
地下鉄「動物園前駅」5番出口/JR「新今宮駅」下車すぐ
南海「新今宮駅」下車5分/阪堺電鉄「南霞町駅」下車すぐ
ゲスト●清末愛砂(ジェンダー法学/同志社大学政策学部嘱託講師/
アジア女性資料センター運営委員)
参加費●1000円(1ドリンク付)
主 催●パレスチナの平和を考える会 www.palestine-forum.org
連絡先●090-9273-4316、ysige@ysige@hotmail.com(やくしげ)
* * *
今年2度にわたってヨルダンのパレスチナ難民キャンプを訪ね、そ
こに暮らす女性たちの声を中心に聞き取りをされてきた清末さんに
現地の映像を交えながら話をしていただきます。
「ガザ撤退」の報道のなか、中東和平について多くが語られるよう
になってきていますが、パレスチナ難民の状況が省みられることは
ほとんどありません。そうしたなか、彼女/彼らの声に今あらため
て耳を傾けることの意味について、参加者一人ひとりの視点から考
え、深めることができれば思います。
今何か変なことを書いただろうか。
村田さん コメントありがとう。
「ふんふんふんっ」などについて、問題提起してみたものの自分では答えがうまく見つからず書けずにいました。
(1)
Panzaさんの「神である叙述者(作者ではなく)のナルシシズムを相対化するための自己ツッコミである。」、村田さんの「自らツッコミを入れることで語り手=主人公を相対化したり複数にしたりする力」は正しいような気がします。「叙述者-読者」という関係において、叙述者が独走し読者が付いて来れなくなるのを避け、一方読者にこれは普通の平板な小説ではないよという警告を与え小説を立体化するという効果を果たす、という感じでしょうか。
(2)
「私はヒトだ。」という文に対し、「私はヒトだ。そうだよ、ね、ね。」という文の差異を考えましょう。前者のメッセイジは文の意味がそのままききとられるであろう平静な事態を想定しているのに対し、後者は私がヒトではない充分な可能性(危険性)を持つとする冷たい聞き手を前にしているという危機感を表している。語り手と場の空気との関係を表現するものが、「ね」とか「けっ」というかいう文末の直後に付く間投詞であるわけです。「ふふんふふーん」もその類だと理解しました。『金比羅』は小説ですから“語り手と場の空気との関係”と言ったときの、「場」とは小説に描き出された場でしかないはずです。作者はどんなに変幻自在な妖怪を暴れ回らせる自由もありますがそれは作品の中のことであり、読者には1mmも近づくことができません。
結局ここでわたしは躓いているので、「ここ」とは小説の読解に必要なところではなく、わたしがインスタントにでっちあげようとした「理論」が、素人が椅子を作ろうとしたときのように足がまるまる一本足りないことに気づいたは良いがそれの是正の仕方が分からず立ち往生している、といった状況です。で上手く説明できないしそもそも説明する価値のあることでもないような気がするのですが、しないと抜けられないので、します。
(3)
つまり、(1)では「叙述者-読者」という関係が語られているのに、(2)では「作中人物-作中の場」という関係が語られている。文の構造分析みたいな視角からは、(2)しか語り得ず、(1)は飛躍があるような気がするのです。
(4)
『S倉迷妄通信』p141などでは、
「今何か変なことを書いただろうか。」という文が現れる。
実はルウルウだけが通力のある化け猫だったのだ。(略)
今何か変なことを書いただろうか。(略)p141
四日後ドーラは走り回り、日に何度もカリカリを貪り喰った。ただ自分が人を殺したという感触だけは残った。(略)でも本当を言うと、私は殺してない。--今何か変なことを書いただろうか。(略)p137
猫を愛する平凡きわまりない日常から血みどろの殺害シーンへ、という位相差を飛躍としてでなく連続として笙野は描きたかった。だが、平凡な日常から血みどろの殺害へを連続的に描くことはできてもそれでは<連続>を描くことにはならない。読者の意識の中にある日常と殺害の絶対的断絶というものに働きかけるにはどうしたらよいか。その方法の模索として、殺害シーンに読者が感じているであろう異和感を、隠蔽するふりをしてかえって励起させるために、「今何か変なことを書いただろうか。」という文が挿入される。
これは、小説は最後の頁の最後の1行まで小説の中の世界を描くという小説のルールの侵犯だ。劇中から観客に向かって物を投げてくるようなものか。
(5)
「野生の金毘羅の鳴き声」であるところの「ふんふんふんっ」はまた、劇中で観客に向かって投げられる物、とも規定できる。
体験を語りうる戦争
ニューヨークの芸術家の街グリニッチ・ヴィレッジの若い人ばかりのあるパーティーに、どうしてもお前に会わせたい奴がいるといってつれて行かれた。パンチをすすりながら古ぼけたピアノのそばでひき合わされたのは、見上げるような長身の青年だった。郊外の小さな新聞を一人でやっている有能なジャーナリストという紹介であった。
パンチのグラスをカチッと合わせると、「十六回、十六回もやったのだ」といって彼は微笑した。精悍な額と涼しい眼が印象的だ。彼は第二次大戦の若い学生パイロットの一人で、沖縄作戦にも参加し、大和を轟沈するまで、空母との間を十六回も往復してアタックを続けたという。
あんな素晴しい戦艦は見たことがないし、一機の援護機もない孤軍奮闘ぶりも実に見事だった。ああいう巨艦の乗員名簿に名前をつらねることのできたお前は実にラッキーな奴だと言いながら、しまいには私の肩を抱きかかえるようにした。サッカーか何かの試合のあとでユニフォームを脱ぎながら、敵の選手から「今日はシュートを十六回もしたんだぞ。全く苦労させやがる」というようなことをいわれているゴールキーパー、私の気持はそれに近かった。執拗な攻撃をくり返したという報告は、恨み言でも詫び言でもなく、お互いに苦労したという共感につながる愉しい思い出話にすぎない。アイムソリーという言葉も、そんな素振りすらもなかった。
だいいち彼だけが私に謝らなければならないという理由はない。彼は私のまわりに爆弾を雨あられと降りそそぎ、そのあげく大海の中にほうり出したが、われわれの機銃弾も数限りなく彼の愛機をかすめたはずだから、あいこというわけだろう。私は荒海を何時間も漂っている絶望感を、できるだけ即物的に話してやった。彼は面白い世間話に対するようにそれに聞き入っているだけで、特別の反応を示さなかった。わが艦隊は弱かったから潰滅したのだし、海に棄てられた私は、いのちのある限り泳ぎつづけるのが当然で、それ以上の関心の持ちようがないというところかもしれない。
ほかの青年がわれわれの間に割り入んでくると、彼はさりげなく日本映画の評判に話題をかえた。話題への関心の重さも、戦争の話と変わりがないというような屈託のなさであった。もしまた将来われわれが戦うことがあるとしたら、彼も事もなげにタフなアタックをくり返すだろうし、そしてまた再会の折があったら、同し調子で肩を叩くだろう、私はそんなことを考えつづけた。
吉田満「異国にて」*1
戦後保守派は一貫して普通の国あこがれ続けてきた。皮肉にも小泉の勝利は、普通の国路線の敗北になった。なにしろ東条無罪ですからね(笑い)。
健全なる男子が屈託なく軍務に就き、それを生涯誇りにして生きていく、そのような兵士というものも現実にいるのだ、ということを私たちは知らなければならないのだろう。*2
戦争ができる国に成ることは絶対悪ではない、とわたしたちは言わなければならないのかもしれない。しかしながら、自国民を何百万殺そうが原理的に反省できない、靖国という無限の寛容は、絶対悪である。
1959年段階での戦犯観
http://d.hatena.ne.jp/nenecoconeneco/20051103
(仮)日記 – 木曜日
連合国によりBC級戦犯とされ刑死した旧軍幹部らの靖国神社への合祀(ごうし)をめぐり、旧厚生省(現厚生労働省)が一九五九年四月、各都道府県に公表を控えるよう求める文書を出していた
(略)
「部外(多数の一般戦没者遺族を含む)」からの神社側への投書などに表れた意見に照らし「重大な誤解を生じ、ひいては将来の合祀にも支障を起す恐れもある」との懸念が記されていた。
BC級戦犯というと、冤罪であった(と思われる)ケースが強調される。
例えば、マレー半島のネグリセンビラン州でのパリッティンギ村というところで、約600人の村民が集団虐殺された。I中尉が責任を問われた。ほか二人とともに処刑された。I中尉について冤罪説がある。*1I中尉の遺族にとっては彼の名誉に関わる大きな問題であろう。しかし、I中尉の遺族でもその軍の関係者ないものが「冤罪である」と強調するのは如何かね。われわれに関係があるのは、日本軍による村民の集団虐殺の存否という問題である。その点について否認説は存在しない。したがって冤罪云々は別に強調されるべき論点ではないはずだ。冤罪を指摘することは、BC級戦犯全体に対する同情的イメージを再確認することになるが、そのようなイメージ自体、<殺されて省みられない者たち>から見た場合犯罪的であるだろう。
BC級戦犯=同情されるべき犠牲者、というイメージに同意しない人々が国民の間に無視しえない割合で存在したのだ、1959年当時は。ということを証す貴重な記録である。
*1:参考:p123『BC級戦犯』isbn:4004309522
2005-11-28
id:noharra:20051129 という表現が転写されることへの註釈