「世界史という根源に対して可能な私の責任」

徐寅植(ソ・インシク)の文章を少しだけ引用しておこう。

運命とは端的に私のものである。人はそれぞれ自分自身の運命を生きるのである。私の運命であるかぎり、私はマッチ一本だけを持ってでも世を燃やそうと投げかけよう。しかしわたしの運命ではないかぎり、私は今後には路の小石一つも動かそうとしまい。それは出来ないことである。当為と可能が端的に一致するのが運命である。*1

 尹東柱の有名な詩「死ぬ日まで 天(そら)をあおぎ/   一点の恥じることなきを」をちょっと思い出させますね。

 徐寅植は戦後、越北した。そして「越北後の活動は知られていない」。朝鮮人の自由を幾分か代表していた徐は、彼の自由とともに北の体制によって圧殺された(とわたしは想像する)。

*1:同上p46より

チェチェンに対する無知

ジャーナリスト常岡浩介氏のブログの■2004/09/03 (金) 17:31:42 ザカエフ・インタヴューというところから引用する。

http://www2.diary.ne.jp/user/61383/

これまでチェチェンに関して日本で報道されてきたことは、わずかなフリーランサーの例外を除いて、ことごとくロシア当局の主張のトレースに徹してきました。一秒たりとも、独立運動の当事者の声を大手メディアが伝えたことはありませんでした。対立する当事者双方を取材するのは、報道の基本中の基本であるにも拘らずです。

だから、その不作為の当然の帰結として、この10年間に、チェチェン民族全人口の25パーセントが、残虐極まりない方法でロシア軍と諜報機関に殺されてしまったこと、生き残った人々が、死ぬよりも過酷とすらいえる虐待の渦中にあることなどについて、日本では一切、伝えられてこず、市民が事実を知る機会もありませんでした。

わたしはチェチェンに対して無知だから正しさに近づいていけるかどうか分からない。<<ある事実ではなくその事実が(マスコミによって)取り上げられる基盤が(決定的に)歪んでいるのではないか?>>について、この文章は疑問を突きつけている。そのような主張は検証が困難だ。だがどんな場合もまずそういった問題意識を持たなければいけないのだということを、わたしたちはこの間学んできた。

追記1:天神茄子さんのブログのリベラシオンの翻訳からの引用。かたよったところだけ引用しているので、元のブログの方もみてください。常岡さんについても同様。

http://d.hatena.ne.jp/temjinus/20040905#1094310455 samedi 04 septembre 2004 (Liberation – 06:00)

最後に西欧社会のプーチンに対する物分りのよさにも疑問を持たねばなるまい。プーチンに反テロ努力の支援者を見るあまり、西欧はチェチェンにおけるプーチンの過誤を許している。

追記2:下記では、学校に突入したロシア軍の兵器が対戦車誘導弾など強力すぎるという指摘。

http://d.hatena.ne.jp/q-zak/20040905

追記3:

http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20040906 経由で

http://chechennews.org/chn/0429.htm チェチェンニュース から

どうしても、繰り返して書かなければならないことがある。チェチェン戦争が「対テロ戦争」だというのは、ロシア当局のプロパガンダに過ぎない。その内実は、たった100万人弱のチェチェン共和国に対して、人口2億の大国ロシアが、常時10万人の軍隊を送り込んでおこなっている侵略戦争だ。そのために、この地域は今までにないほど不安定になっていて、どんな事件が起こるか見当もつかない。

 チェチェン戦争は、「対テロ戦争」ではなく、91年に宣言されたチェチェンの独立を挫折させようとする戦争だ。だからこそ、住民の虐殺が放置され、石油資源は略奪され、親ロシア派の傀儡政権によってチェチェンの人々の政治的権利も剥奪されている。8月29日に、さまざまな事件に紛れて行われた傀儡政権の大統領選挙では、こっけいなほどの不正が横行した。

追記4.もひとつリンク  http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/20040908

・・もいっこ。

http://d.hatena.ne.jp/junhigh/20040906#p1「はてなダイアリー – 迷路の地図」さんの文章を利用して。野原の感想を考えてみた。

「国家による暴力の行使は、国民の安全を保障するためのものである」というたてまえがある。当為である。これを逆転して「国家による暴力の行使を、自らの安全を保障するものと考えてしまう」国民も少なくない、というか大部分に近いかも。

(5)

# hiyori13 『あなたホントに大丈夫? 「~と本書は述べる」と書いて、書評対象本の要約であることを明記してある部分だけ見て、そのもとの本ではなく書評者を批判するの? ちなみにぼくは5回は読んでるよ。あたりまえじゃん。もとの書評を書いたのがぼくだし。さらに少しは自分のことばに責任持てよな。フィクションという言い分に「納得した」と言いつつ、その説明を求められると「わたしのことばじゃない」って、そんなら何にどう「納得」したわけ?』

・・・そんなら何にどう「納得」したわけ?・・・

については説明していますが。

・・・もとの書評を書いたのがぼくだし。・・・

山形さんでしたか。わざわざ来ていただいてありがとうございます。

応答?(12/12、追加、引用は11月時点のコメント欄から)

# jinjinjin5 『しっかり認識すべきって、だからお互い視点が違うってなんども言ってんのに… あなたの思い描く思想仮想敵に私を強引にあてはめられても困りますね。依存ですか(苦笑 じゃ依存症ということにでもしといてください。国家という共同体に全く依存すること無しに生きていくのは困難だと思っておりますので。その依存を美化するつもりはさらさらなく完全に依存している人は軽蔑しますが。こちらからのコメントはこれ以上ありません。』

# jinjinjin5 『依存の度合いとやらの判断基準ついては、あなたと私の例で顕著なように各人で大きく異なるでしょうから受け取り手にお任せします。自分では依存する部分もあるものの、一応フィフティーフィフティーだと思っておりますが。』

# noharra 『jinjinjin5さん

応答は1ヶ月ほど経った後、にさせていただきます。申し訳ない。

そのときTBがいくようにしますが、もちろん無視していただいても結構です。』

1ヶ月以上経ったので読み返しましたが、応答すべき論点も見あたりませんでした。

id:jinjinjin5さん、変なresをつけてすみませんでした。

上記からリンクできないので、jinjinjin5さんははてなを止められたのかな?(12/12)

美しき日々

今日酔っぱらって帰ってきて何げなくテレビを見てたら、韓流のドラマをやってた。数人の若い男女がもつれあいながらドラマがどんどん進んでいくようで、演技とか上手くない俳優も多いし、吹き替えの声はそれ以下で何だか今ひとつ紙芝居っぽいんだけど、でも場面の転換が早く、10人以上の登場人物のどの組み合わせにも秘められた過去があるようで、つまり、ヘテロな恋愛だけじゃなく兄弟愛や親子愛、友情などすべての引き合う力の強さが張り巡らされており、とても面白かった。

http://www3.nhk.or.jp/kaigai/beautiful_days/

美しき日々 Beautiful Days

石垣りん死去

 詩人の石垣りん(いしがき・りん)さんが26日午前5時35分、東京都杉並区の病院で死去した。84歳だった。

 20年、東京・赤坂生まれ。34年に高等小学校を卒業して日本興業銀行に入り、75年の定年まで勤めた。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1226/003.html

 ひたすらに心に守りし弟の

 けさ召さるるとうちひらく

 この姉の掌(て)に照り透る

 真珠(まだま)ひとつのいつくしさ。

(石垣りん「眠っているのは私たち」・ちくま文庫『ユーモアの鎖国』p265)

昭和一八年七月、彼女の弟に召集令状が来た時の詩。

彼女は当時そうしなければならなかったとおり「おめでとうございます」と言って彼を送り出した。

この発語は彼女が生きている限り、過去のものとならなかった。

 とうぜんの義務と思ってあきらめ、耐え忍んだ戦争。住んでいた町を焼かれても、人が死んでも国のためと思い、聖戦も、神国も、鵜呑みに信じていた自分を、愚かだった、とひとこと言えば、今はあの頃より賢い、という証明になるでしょうか。私の場合ならないのです。

 戦争当時とは別な状況。現在直面している未経験の事柄。新しい現実に対して、私は昔におとらずオロカであるらしいのです。

 もう繰り返したくないと願いながら、繰り返さない、という自信もなく。愚か者が、自分の愚かしさにおびえながら働き、心かたむけて詩も書きます。

 ………………

 戦争の記憶が遠ざかるとき、

 戦争がまた

 私たちに近づく。

 そうでなければ良い。

 八月十五日。

 眠っているのは私たち。

 苦しみにさめているのは

 あなたたち。

 行かないでください みなさん どうかここに居て下さい。(「弔詩」より)

(同上 p267)

2004年自衛隊はイラクに派兵された。小泉首相の態度は最悪の無責任だ。死者たちはいまも、「苦しみにさめている」のだろうか。死者たちの言葉を聞く者たちは死に絶えつつある。大義のない戦争は継続している。

最も安易な立場

どうして誰も最も虐げられた者、従軍慰安婦の立場に立とうとしないのか?それが言説にとって最も安易な立場であるのではなかったか。わたしたちはこの十年以上そう聞かされてきたのに。

彼らの「声」はある

N・B 『 私も精神的余裕はないのでブログなどを作ってません、ですからややずるいかなと思っています。こんな操作までしてくださってありがとうございます。

 私としては別に、おおやさんの弁護をしているわけではありません。あくまで、彼らの「声」はあるということがいいたいのです。

 少し話をずらしますと、星野智幸さんの10月31日の日記で『永遠のハバナ』という映画を紹介しています、私は映画そのもが3月公開なのでなんともいえないところがありますが、やはりあの映画をああいう風に紹介することは特にロシアについて書いた後では(実際キューバに行っていることからみても)、現在のキューバに一定のコミットメントをしてしまっていると思います(マイアミ・ヘラルドも誉めてるようだけど)。ここでそれが重要なのは、彼がレイナルド・アレナスという既に亡くなった「亡命キューバ作家」を愛読し、ユリイカの「アレナス」特集などに参加していることです。アレナスの観点からは、この映画へのあのような賛辞自体が「カストロの回し者」の証拠にみえるでしょう、グアンタナモで何が起こっているとしても、アレナスのような虐待された人が今もフェンスの両方にいるのは確かです。私はユリイカで独裁反対に安易にもたれかかって、アレナス全面賛美(また適当に書いてるんだ)を「芸術的に」書かれた仏文屋の方々にくらべて、アレナスを読みながらキューバに行き、自分のコミットメントを示される星野さんははっきりと違う

$H$$$$$?$$$N$G$9!#

 もちろんキューバについては逆の立場(上に書いたことはあくまで私の判断ですし)もあるでしょう、私の論点は、たとえラテンアメリカ全体の状況の中で考えてもアレナスの声と他の声(日本のいい加減な仏文屋ですら)は原理的レベルでは区別できないと思います。また、優れた作家の声がそうであるがゆえに尊重されてはならないとも思います。

 以上の話は、アレナスの「告発」が野原さんの意味でもより広い意味でも暴力的(たとえば当時のエルサルバドルの人に!)だと私が認識したことが前提です。従軍慰安婦とアレナスを並べるのは異論があるでしょうが、私は野原さんのいう「暴力」は認めます。問題はそのあとだと思います。「より広い意味」です。私たち(失礼!)はやはり何か「より広い意味」のレベルで認めるものと認めないものを選択してしまっているわけです、そのことに敏感でなければならないと思います。

その理由はこの二つのレベルを分けることの自覚に、政治的に振舞ってしまうことに自覚的かの最も重要な分かれ目があると思うからです。

 こういうことを書くのは、明らかに状況認識が違う人(必ずしも「欠いている」わけではない)、違ったモラルを持つ人がいることが前提とされるべきと思うからです。

上に書いたような前提を無視できるのは、(最も近くの)権力に寄り添っていることを気にしない人に限ると思います(これは最初の書き込みと同じく、社民党からヒンデンブルグ、さらにナチスへと次々とパトロンを変えたカール・シュミットを念頭においています)。

 というわけですが、星野さんのように徹底的にラ米にコミットした人と私みたいな半可通は違うわけです。そのあたりは2つ目の論点と重なってくると思います、さらにどうやって従軍慰安婦やアレナスと、私たち(現状認識の違う人を含む)は区別されるのかですがますます難しくなってきたので次回ですいません。

 「差別語~正当化」というのはもちろん慎太郎を念頭においてました。ちょっと誤解を招いたようで。しかし差別語は使用のありかたの問題だという原則を知らない人はいまだうんざりするくらいいますね。

 アレナスについては上記ユリイカや自伝「夜が来る前に」国書刊行会などを参照してください、星野さんのページなども。

 なお、おおやさんの立場に野原さん的な視点から批判している人もいるので彼のブログのコメント欄などを見てください。答え方もひとつの答えですし。

 少し答えがずれたみたいですいません。ただ、証言することで「主体のようなもの」となるというのは重要な視点だと思います、我々はみなかつてサバルタンであった「かもしれない」ということですから、それを突きつけられるのが怖い人もいるかも知れせん。』

すいません。今回の文章どうも分かりにくかったです。

1)アレナスはキューバ国家に抑圧された。

2)星野智幸さんは『永遠のハバナ』という映画を紹介している。これはキューバ国家の是認だ。

3)グアンタナモで何が起こっているとしても、アレナスのような虐待された人が今もフェンスの両方にいるのは確かです。

アレナスが抑圧されたのは事実だが、彼のキューバ国家攻撃は日本の軽薄なインテリなどによって増幅されている。アレナスの発言は結局“反キューバプロパガンダ”になっている。と、N・Bさんは認識する。

アレナスやラテンアメリカの情況に暗いのでこの理解も不正解かも。

従軍慰安婦とアレナスは、いずれも暴力的にある問題設定を成し遂げたひととして等値しうるのではないか、と。

私は野原さんのいう「暴力」は認めます。問題はそのあとだと思います。「より広い意味」です。私たち(失礼!)はやはり何か「より広い意味」のレベルで認めるものと認めないものを選択してしまっているわけです、そのことに敏感でなければならないと思います。

その理由はこの二つのレベルを分けることの自覚に、政治的に振舞ってしまうことに自覚的かの最も重要な分かれ目があると思うからです。

 こういうことを書くのは、明らかに状況認識が違う人(必ずしも「欠いている」わけではない)、違ったモラルを持つ人がいることが前提とされるべきと思うからです。

でこの結論部分が何を言いたいのかがよく分かりません。

その前に、アレナスのキューバ攻撃というのは結局反共攻撃ではないの?それだったら新しい問題設定ではなく古いものですが。*1

「明らかに状況認識が違う人(必ずしも「欠いている」わけではない)、違ったモラルを持つ人がいることが前提とされるべきと思うからです。」

あえて話を単純化して、前回書いた「差別発言はいけない」説に立ちます。すると「違ったモラルを持つ人がいる」としてもそれはより正しい立場によって啓蒙されるべき人と位置づけられてしまう。そうしたらいけない、という意見ですか?

(2/9追加)

*1:アレナス/キューバについて私はよく分からないので、反共だからいけないとか何も言いません、留保。

ナターシャさんへの手紙

ナターシャさんへの手紙

 はじめて手紙を出します。ほんとうはタイの言葉でかきたいのですが、私は、ほとんどわからないので、日本語でかくことをゆるして下さい。しかし、タイのことばの本をすこしよんで、こんにちわ、ということばだけでもタイのことばでかいておきます。

 わたしは神戸に住んでいるので、1月17日の地震や、それいごの、たくさんの不便さを味わっていますが、元気です。そして、ナターシャさんの裁判の判決が延期されたのを、よい方向へ応用するために、この手紙をかくことにしました。

 わたしは、1年前からナターシャさんの裁判や集会に参加しているものです。木村さんや、青木さんや、牧野さんや、そのほかたくさんの人たちと何度も話をしてきていますが、この人たちのようにはボランティアの活動をしているとはいえません。少しちがったところから、関心をもってみているのです。というのは、私は、1969年いらい日本や世界のたくさんの大学を中心におきた闘争に参加し、そのために職をうしない、いくつかの行為について裁判をうけてきている被告人で、今は外に出ていますが、闘争は何年もつづき、いくつかの留置所や拘置所に出入りしました。1985年と1986年には、みじかい間

ですが、大阪拘置所に入っていたこともあります。そして、いろいろな人が、いろいろな事件で拘置所に入れられ、裁判をうけていることを、じっさいに知りました。

 たくさんの事件の中で、私が、ナターシャさんの事件に大きい関心をもつのは、まとめてかくと、次のような理由からです。

①外国人が、日本の法律とことばで裁判をうけていること。

②タイ人女性が日本にきて、しごとをする時の苦しい面が、タイ人女性にだけ重くかかっており、日本の社会や男性に大きい責任があること。

③弱い立場にあるタイの女性どうしの対立の中で、いっそう弱い方のナターシャさんが、自分を守るためにもった包丁が、きづかないうちに相手を刺してしまったのに、殺人として起訴されたこと。

④二人の娘さんや父親の行方不明などのために日本国籍がとれず、判決のあとはタイへ送りかえされること。

⑤二人の娘さんと、拘置所の面会室ではなく、法廷で、だき上げながら話すようにしてほしい、と私たちが考えていること。

 このほかにもいろいろありますが、このような点に大きい関心をもっています。

 ①、②、③については、弁護士のかたがたが、よくやって下さっていますが、④と⑤については、もんだいが、せまい法律やきそくを、はみ出してしまうため、なかなかむずかしいようです。                   【G12-13】

 ④と⑤については、二人の娘さんが日本に残ること、法廷でちょくせつ話をすることのどちらも、じっさいにはできないだろうと思うと、私たちの力の弱さがざんねんです。ただ、ナターシャさんも、二人の娘さんがタイへもどることにさんせいしておられるようですし、しせつの保母さんや、牧野さんたちも、ついていかれるようですから、これが、せいいっぱいのところかもしれません。また、子どもをだき上げることについても、ナターシャさんが、11月25日の法廷で、「私は、いつの日か、子どもをだけるけど、リサさんは、だけない。」と語って、私たちのそうぞう以上の心の深さを見せて下さっていますから、法廷での出会いがじつげんしなくとも、ナターシャさんが、がっかりすることはない、と思います。ほんとうは、どんなにか、だきしめたいと思っているはずで、私たちは、むねが、しめつけられるような気がしますが…。

 判決の前に、私から、ぜひ、のべておきたいことがあります。それは、ナターシャさんに対する判決が、どのようなものであっても、この事件によって、日本社会のまちがっている面が、はっきりとしめされ、これをかえていこうとしている人たちが出てきていること、ナターシャさんの立派なたいどに心をうたれている人たちがふえていることです。このような動きを、さらにひろげていくために私たちは、これからも努力していきます。

 そして、ナターシャさんの方でも、自分のやってきたことに反省するところがあるとしても、けっして自分を、だめな、わるい人だとばかり思わないで、それいじょうに、日本の社会に大きい問題をなげかけ、日本の社会をよいものにしていくために役にたっているこという誇りをもっていほしいのです。また、そのことを、今すぐにでなくてもよいから、二人の娘さんに語ってほしいと思います。きっと娘さんたちは、わかってくれるでしょう。

 私が、ナターシャさんの事件について書いた文章を二つ、いっしょに送ります。むずかしい字や、むずかしい考えでかいていあると思うかもしれません。それは私の力がたりないためで、もうしわけないことです。しかし、かいてある内容は、私の長い人生と、苦しいたたかいから生みだした*1もので、日本やタイのおおくの人たちによんでいただくだけのものはもっているはずです。まず、ナターシャさんに、そして成長された時の娘さんたちにもぜひ、よんでいただき、いっしょに問題のかいけつをめざしたいと考えています。

 できれば、この手紙が、私の文章と共にとどいたかどうか、〈ナターシャ〉という名前をタイのことばでどうかくか、だけでも返事してくだされば、たいへんうれしいです。

   1995年2月11日  神戸市灘区    松下昇

ナターシャ・サミッターマン さま              【G12-14】

ふりがな付き原本は、ここ。

p13-14 『概念集・12』~1995・3~

*1:原文「産みだして」だが誤植と判断した。

田中貴子『性愛の日本中世』

isbn:4480088849 ちくま学芸文庫 という本をやっと読み終わりました。

ちょっと雑然とした論文集ですが、非常に鋭い考察にあふれた好著です。最初の文章は「稚児」(ちご)と僧侶の恋愛を取り上げる。男色つまり同性愛である。しかし同性愛という現代のカテゴリーをそのまま中世に当てはめてはいけない、と著者は強調する。中世には中世特有の知と身体の配置があったのだ。そうして稚児の詠んだ和歌を調べ、「「夜離れ」を恨む「女歌」を多く詠んでますから、女のジェンダーになっていると考えてもよいと思うのです。」p22と言っている。そして稚児のセックスについても、それを単純に男性としていいのか?と問う。そしてジュディス・バトラーを引きつつ、「そのセックスもまた中間的なものへと変化したと思われます」とする。その当否については判断できないが、古くさいだけの古文書にも現代的問題が眠っていることを明らかにしており、スリリングである。

「愛は平等」という近代的な恋愛観に縛られていた人は「愛のかたち」がさまざまであること、しかしそれは決して常に対等なものではなく、時には搾取と被搾取者の関係になりうるということを、心の片隅に刻んでおいて頂きたいと思います。

ぶっちゃけて言えば関係は、大なり小なり常に「搾取と被搾取者の関係」である。しかしそう居直るのではなく、また搾取でしかないものを「稚児が神仏に等しい存在になる」などと仏教的観念で飾り立てることのグロテスクさをひたすら糾弾するのでもない。著者は実はひたすら幸せをめざす現代の性愛も、同じくらいグロテスクだと知っている(たぶん)。大なり小なり歪んだ関係のなかでせいいっぱい生きるものたちをせいいっぱい読みとろうと著者はしている。

 

このごろ「政治的」文章ばかりでしたが、本当は日本思想史とかのいろんな本を読んだりするのがメインのブログなのですよ!