死霊が降りてくる

同雑誌の磯前順一(いそまえ・じゅんいち)氏の「死霊祭祀のポリティクス――招魂と慰霊」をもう一度見てみた。

靖国神社を性格づけるひとつの柱が、完全には概念化することのできない身体的儀礼である招魂という祭祀行為にある以上、その祭祀を通じて召喚された感情をめぐる多様な語りの可能性が生じざるをえない

その一方で、生き残った生者たちはそのような意味の多義的状態のままに留まることに困難を感じるため、それを概念化して明確な枠を与えることを求めてやまないのだ。意味の多義的状態は死者が生者に怨みなす怨霊と化する可能性もはらまざるをえないのだから。であるからこそ、多くの場合、招魂祭で招き降ろされた死霊の慰霊は、そこに多くのためらいを含みながらも、死霊に一定の意味を与える形で決着がついたと見なされる。ある場合には護国の神になったとして、ある場合には安らかな来世を送っているとして。

しかし、国家が祀るにせよ遺族が祀るにせよ、そのようなかたちで死者を慰霊してしまってよいのだろうか。それは死者が語りかけてくる声に耳を閉ざしていることにならないのだろうか。不本意な死を遂げた死者たちは、またここで、生者からの一方的な暴力に曝されているのではないだろうか。

*1

「招魂」「死霊祭祀」というのはあまり聞き慣れないおどろおどろしい言葉たちだ。「召喚」なんていうのはRPGゲームではおなじみだが真顔で使われるとやはり異和感がある。招魂社が出来た時期の平田篤胤とかの国学についてちょっとだけ勉強しているがそこにも「招魂」「死霊」なんて言葉はでてこない。*2

話は逸れるが、ちょっと篤胤神学に触れると、

現世(うつしよ)の支配者=天皇命(すめらみこと)

死ねば人の霊魂はそのまま神であり、幽冥界に行く*3

そこを主宰する大神は大国主であられるので、帰命(まつろい)まつらなければならない。

といったものである。死んでまで護国の鬼になるという靖国神学に比べて平和な感じである。しかしながら、国学から遠いと感じるのは実はわたしの勉強不足のせいのようだ。

招魂とは、元来「其時々」すなわち一時的に霊を降ろす、憑霊にも似た一種の降霊術とも考えられていたようであり、(略)当時民間に広がっていた国学系神道の、広い意味での鎮魂術とも密接な繋がりを有するものであった。*4

 夜中真っ暗な状態にして、霊が降りてくる、まさに本当に降りてくる、「魂の底に徹するような深い感激」を集団的に体験してしまうという祭がかってあったらしい。でそこに浮遊している霊たち。危険なので、「一定の意味を与え」て行かなければいけない、ということで「護国の鬼」という意味が定着すると。死者の慰めにはならないが。

*1:以上 磯前順一「死霊祭祀のポリティクス――招魂と慰霊」 現代思想p87

*2:「日本国は世界万国の総本国なり」といった文はよくあるが

*3:といっても場所的にこの現世と違う場所にあるのではない、アクセスできないが重なっていて、向こうからはこちらがよく見える

*4:同磯前順一論文 p83

おばさん/金比羅

 おばさん、といえば金井美恵子ですね。『おばさんのディスクール』という本を書いたとき、彼女はおばさんと呼ばれておかしくない年齢だったのに、自己=おばさんという規定から自分は先験的に逃れている存在だと思っていて、恥をかいたのでした。まあ彼女は天才少女作家(詩人)としてデビューして、そのままの自意識で書き続けてきたわけでしょう。わたしというものは主体でしかありえないものですからそれは当然であると言えます。

 ある人は笙野をもう一人の三島であると言っています。三島は天才としてデビューし天才として死んでいった(みたい)ですから、この比較はひどく場違いにも見えます。

 笙野がおばさんであるとはいったいどういうことなんだろうか。よく分からない。『金比羅』だってもっと面白い小説にすることはいくらもできただろうにそうしてないのは何故か。

 神であることの退屈。作家は作品に対し絶対者であり神である。読者は気付きようがないが作者であればこのことは自明の与件である。したがって作者はその万能感を薄めてシュガーコートすることでエンターテイメントという商品をつくることができる。私小説だと逆に「私」は世界に虐められマゾヒズムに沈み込むしかない。笙野は「神であることの退屈」から逃れるために、私小説を取り込もうとし、またオバサンであり続けようとする。

 それとは別に、笙野は彼女の<神>を持っている。これも日本人として“ふつう”のことではある。わたし(や他のインテリ諸君)の理解が及ばないだけだ。

主体として生きぬいた

「ねじ曲げられた桜」つながりでたまたま見たブログの文章が、奇妙でどこか引っ掛かるので引用させていただく。

http://d.hatena.ne.jp/tabaccosen/20050721 tabaccosen – 小田実の「玉砕」について○

○戦中派なのだ。戦争に関して「聖なるもの」を叩き込まれた世代なのだ。その意味では、pureなのだ。これがかれらの世代の基底を形成している。「散華」に「特攻」の動機をもっていくのは、打ち込まれた思想の徹底性以外のものではあり得ない。しかしかれらは、主体としてそれらの問題を自分に引き戻しだ。それが「整理」の中身であり実体なのだ。<美しい>から救われるのではない。あくまで主体として考え生き抜いたのだと強弁することで己が保たれる。その認識が危険なのだ。

わたしは小田実を読んだことがないので分からない。

「著者である小田は、思想し抜いたとでも言わんばかりに、結語的に言う。」その結論に対して、tabaccosenさんは「自己を肯定せずにはいられない弁明性を根拠としているに過ぎない」という言葉を投げつける。

ローザ・パークス

 今週のもう一つの大きなニュースといえば、ローザ・パークス女史の死去という事件でしょう。1955年に人種差別の続くアラバマ州モンゴメリーで、白人専用のバスの座席に座り続けたために逮捕され、この事件を契機に、60年代の公民権運動へと黒人コミュニティが立ち上がったのです。パークスは歴史を変えた勇気ある女性ということで、その後は公民権のシンボルになっていきました。

 小学生の子供に読ませる偉人伝や、社会科教科書には必ず登場することから、正に国民的英雄と言って良いのでしょう。歴史上の人物としての知名度はトップクラスの存在です。その死去は92歳という大往生で、アメリカ社会に静かな服喪のムードをもたらしました。激しい意志とは裏腹に、穏やかで知的な語り口のインタビューのテープは何度もTVで取り上げられました。また老境を迎えたパークス女史が淡々とした微笑みを浮かべながら、問題の「バス」の席に座って過去を振り返っている写真なども、どのTV局も繰り返し映していました。

 そのパークス女史へのブッシュ大統領の対応は、やや異例といって良いでしょう。異例というのは、保守派で黒人票を意識せずに当選した大統領にしては、強めの対応をしているという意味です。自身が追悼のスピーチを発表していましたし、遺体を国会議事堂に安置して一般の弔問を受けるという民間人としては最高レベルの弔意が示されています。

 また、全国的に半旗が掲げられましたが、テロや戦争でなく、またレーガン大統領のような保守派の政治家でもない、公民権の「母」の死を悼んでの半旗というのは国のムードを落ち着かせたように思います。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/recent.html JMM最新号

ローザ・パークスさんのことは実はよく知っているわけではない。ただとにもかくにも、彼女を国民的英雄としてUSAは弔ったと。「東条有罪」反対派が過半数を占めそうな日本はどうなのか。「君死にたもうことなかれ」という唯の希望を歌にしただけの与謝野晶子では弱いと思う。日本人にとって人権とは何か?

<皇祖皇宗>の効力

kuronekobousyuさんからいただいたコメントのうち次の部分について。

「天皇制」という言葉はもともと左翼が定義したものですがそれを保守派も現在は遣っているが、それはどうでもいいとして「千年以上続いた天皇制を守りたい、のではないのですか?」という問いは(誰に対するのか?)アイロニカルな物言いですよね? 念のため確認しておきましょう。

たしかに分かりにくい表現になっているので補足します。

「千年以上続いた天皇制を守りたい、のではないのですか?」という問いは右翼に対するものです。

(1)

憲法1条などの削除=天皇を憲法で規定することの否定、ですね。

歴史時間で考えると、

天皇を憲法で規定すること=明治憲法の期間(B)+戦後憲法の期間(C)

したがってその否定は=江戸時代以前的なもの(A)+未来的なもの(D) になります。

わたしの理解では、天皇制の根幹は<皇祖皇宗>という目に見えないものにあります。それが社会的に価値があるのなら、憲法から外してもそれは効力を発揮し続けるでしょう。

というかまずわたしたちの天皇は敗戦の禊ぎを済ましておらず、憲法から退くことによってその禊ぎを済ますべきなのです。話はそれからでしょう。

(2)

一方、戦前と戦後がきびしく対立しているという発想もあります。いわゆる右翼と左翼のひとはここに含まれます。

右翼というものは「千年以上(二千年以上?)続いた天皇制」を主張しながら、その千年以上に比べたらごく短い期間である明治憲法期にそれを代表させてしまうことに何の疑いも持っていないように思える。

「千年以上」続いた価値を真に考えるならば、「<皇祖皇宗>という目に見えないものが、憲法から外しても効力を発揮し続ける」という発想をとってはいけない理由はない、と思われます。

(3)

次に左翼のひと。

60年以上憲法1条を放置し、なおも護憲とかしかいわないで、なお天皇はただの羽根飾りのようなものと言い続けるのはおかしいでしょう。

人民主権なら天皇はいらない、と主張していくべきです。

黒猫さんはそういう立場だと了解しています。

(4)

アイロニカルな物言いをしているつもりはないのです。*1<皇祖皇宗>を信じているわけではないが、信じたいという気持ちもある。半分くらいかな。

<皇祖皇宗>は儒学の<理><天><民>にちょっと色を塗っただけのものですから基本的に国境は越えられると考えています。

*1:「脱構築」の試みである、と主張します。

どなってしまった

というわけで*1、今日は市役所に電話をしてどなり回してしっまったりもした。それによってなんと、(部分的ではあるが)市の出した文書には確かに不備があった、そのことにより市民に迷惑を掛けたことについての謝罪を口させることができた。もちろんそれは、今日気まぐれに初めて電話した私の成果ではなく、これまでの関係各位のいろいろな働きかけの成果なわけですが。でもわたしの人生で、どなって公務員に謝ってもらったのは初めての経験のような気がする。まあちょっとでも肯定的に評価し励みにして進んでいこう。

*1:どういうわけ?

3/24 「近代法の諸原則」!なんてことを言って

中道右派 中道右派 『

>「近代法の諸原則」!なんてことを言って得意になっている人がいるが、

いえいえ。国家責任を追及する場合には、第一に考えねばならない当然のことを指摘しているだけで、得意になってはいません。

ご自分のロジックが劣勢だからといって、情に訴えるのはおやめになっては?

>ここでの岡山テツの振舞いは「近代法の原則」にはそったものだ。彼の私有財産が血まみれの後産で汚されることにより存在を受けたのは客観的事実であり損害賠償を求める権利があろう。一方生まれたての赤子を世話すべきというのは道徳的義務に留まり法的義務ではない。そんなことは誰でも分かるが口に出して言うとどうでしょうね?

一般市民間では、理屈ばかりで情が無いと批判されるかもしれませんが、国家に対する責任追及をされている以上、国家はまず第一に近代法の諸原則に従った判断をしなければなりません。なぜなら、国家は、徴収した国民の財産を適正に支出すべき義務を、全国民に対して負っているからです。

法的な判断をした結果が責任追及をする外国人にとってかわいそうに思えた場合に、初めて政治的判断・道徳的判断から救済を考えるのが筋でしょう。

野原氏の主張は、情ばかりでロジックが無いので、国際関係を議論する際の大人のたしなみに欠けており、被害者ファッショか被害者イノセント説の信奉者としか思えません。

>なかった派の人たちは、「慰安婦を感情的にもどうしても必要とした兵士たちの悲しい気持ちを一方的に裁断する左翼を嫌悪する」みたいなことをいいたがるが、それは口先だけであり、彼らの身体はつねに「国家の無謬性」だけを志向する薄っぺらで希薄な正義だけで構成されている。

姜尚中氏のお好きな薄っぺらな言葉を、あなたもお好きなようですね。

他の人たちはどうか知りませんが、私はむしろ国家責任については過失責任主義なので、国家の無謬性は志向していません。国家も当然判断を誤ることはあるから、国家が必要な注意・施策を施していなかった場合に初めて国家責任が生じるという考えです。これは、第二次大戦時には国際法上主流の考え方でした。

>少し考えたら分かるように、戦争という人殺しを組織的に行いながらも、そこから一歩はずれたところでは、国家や国家エリートというものは人間として良識的に(愛や仁という規範にそった)振る舞うことが要請されているのだ。下っ端のヤクザとつるんでいると言うこと自体が嘆かわしい。

『人間として』『良識的に』『愛』『仁』『嘆かわしい』、と、なぜか情に訴える言葉が目に付くのですが、野原氏はロジックでは劣勢なのでこうなったという理解でよろしいですか?

>管理権はすべて自らが持ちながら、あとから追求されたときには経営者は民間だといって言い逃れする。みっともないことこの上ない。

収益が業者側にあったことの方が重要でしょう。

軍側は儲けていません。性病検査や避妊具の支給等、売春婦の人権を保護するための管理であって、持ち出しではないですか。』

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070324

3/25[コメント]

中道右派 『②韓国の決定的外交信義違反

><韓国大統領>日本の「賠償」検討要請 3・1独立運動演説(毎日新聞)

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>韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は1日、日本による植民地支配に抵抗する「3・

>1独立運動」の86周年記念式典で演説した。盧大統領は、日韓国交正常化40周年

>にあたり1月、戦後補償責任は韓国政府にあるとの政府見解を示す日韓条約関連文書

>の一部を公開したことに関連、「被害者としては、国家が国民の個人請求権を一方的

>に処分したことは納得しがたいだろう」と述べ、当時の朴正煕(パクチョンヒ)大統

>領の姿勢は過ちとの認識を示した。

> そのうえで被害者補償を補完する対応策について積極的に努力する韓国政府の姿勢

>を強調し、日本に対しても「法的問題以前の人類社会の普遍的倫理、隣国間の信頼問

>題との認識を持って積極的な姿勢を見せてほしい」と協力を求めた。

> また、盧大統領は「過去の歴史問題を外交的な争点にしないと公言してきた考えは

>今も変わりない」とする一方、歴史問題の克服には「日本政府と国民の真摯(しん

>し)な努力が必要」と訴え、「過去を真相究明して謝罪、反省し、賠償することがあ

>れば賠償し、和解すべきだ」と述べ、日本の追加措置を求めた。

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>これが韓国政府の公式見解です。

前任の金大中が賠償請求発言をしたかは記憶があやふやですが、ノムヒョン大統領は賠償請求したことが以上のように事実です。

よって、明らかな外交信義違反です。』