正義の最後の声

サイードの悲報の直後に行われた、イスラエル軍によるガザ地区への大規模な侵攻は、まるでこの世界から正義の最後の声さえ失われたと宣言するかのごとく、暴虐の限りをつくすものだった。ラファから届くレポートのすべてに、過去にも類を見ないほどの破壊の様相のすさまじさとともに、「世界はなぜ沈黙しているのか?」という痛烈な問いかけが書き込めれていた。(浜邦彦)*1

*1:p118 現代思想サイード特集

戦後日本のゆがみなど

http://d.hatena.ne.jp/indow/20040224 で、犬童知遠さんが応答してくれた。

 注疏書というスタイルが江戸時代には普遍的だった。例えば儒学ではない国学の

『古事記伝』などもそういうスタイルで書かれたのだ、とのこと。なるほど。戦後の学問も内容的には、マルクスとウェーバーなどの原典への註釈に他ならないのに、そういうスタイルは取らなかった。*1いっぺんやってみても面白いかもしれない。

 それから、「戦後日本の自画像と鏡像」ついて。

大東亜戦争を支えたはずの「近代の超克」の思想は、敗戦によって否定された。論理的に検証していくといった手続きはとられず、そうした発想自体がタブーとされた。*2戦後は<民主主義>とともにゼロから出発し普遍的に世界平和に向かって進んで行くものだとされた。支那事変は、それを指す言葉さえ失われ、なかったものになっていった。1945年以降も戦争や混乱の続く東アジアへの関心は失われた。

 ここでイデオロギー的には右翼であるはずの自民党が、経済発展を至上とするためアメリカべったりとなる<ねじれ>がおこる。この問題も複雑な経過を辿ったはずだが、小泉首相におけるイラク戦争追随において、矛盾は全面的に開花した。アメリカのために死ぬことが愛国心なのか?世論はイエスと答えそうだ。

「近代の超克」については今子安さんの本を読んでいるので次ぎに書きます。ところで宮台氏が北一輝論書いているって?それはいいことだが、やはり全体的右傾化は心配。

*1:ところで、ウェーバーといえば、Ririkaさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/Ririka/20040211で知ったのだが、http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Orihara%20Hiroshi%20Essay%20Mirai%20200401.htm で折原浩さんの文章を読むことができた。お元気そうでなによりだとほんとに思った。ニーチェの言う僧侶的人間の完成体みたいに感じたが悪口ではない。

*2:だいぶ前に本屋で見た石原莞爾が戦後に書いた本今度見つけたら買ってみよう。

1億人の名前のない国

『ダッカへ帰る日--故郷を見失ったベンガル人』という新刊本が図書館にあった。しげしげ見たのは、「ダッカ」「ベンガル人」という言葉がよく分からなかったからです。知らない言葉に惹かれる性癖がある。それで駒村吉重氏著のこの本isbn4-08-781300-2 を読んだのだが、なかなか良い本でした。日本で不法残留していたバングラデシュ人の兄弟が、職場とのトラブルや裁判に巻き込まれたりしつつ母国に帰るまでを書いている。「母国に帰る」といっても、金時鐘さんのようなものすごい思いこみは皆無だ。彼らはすでに日本で10年以上過ごしてきた。なるほどそれは、いつ強制送還されるか分からない不安定な生活であり、またそもそも金のための出稼ぎにすぎなくもあっただろう。だか12年だけ日本で暮らした彼は言うえええ「おれはいまなにか考えるとき、半分日本人の考え方なの。どうしてもそうなる。だから、家の人にどんなに自分の気持ちや考えを話しても分かってもらえない。でも、日本人のあなたならわかるでしょう」と。

 工場労働などと違い、わたしたち都会の消費者のすぐ隣、外食産業で彼らが沢山働いている(いた)ということは知らなかったので驚いた。それと当たり前の事ながら、不法残留の疑いは感じながらなぜ経営者が彼らを雇うのかというと彼らの方が日本人よりよく働くからだ、ということ。決して外国人だからより安い賃金で使いつぶせるから、といった理由ではないということだった。

ファルージャの内側を考える

 4/13日に「世界とは、世界とアウシュヴィッツの内側から成る。アウシュヴィッツの内側をわれわれは覗けない。そこがあると語る者は詐欺師だけだ。それがないと言う者たちを信じてはいけない。」と書いた。タイトルにあるように「ファルージャの内側」を念頭に置いて書いたものです。

 ファルージャに関して、4/15日の「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」でワイルディングさんの文章(邦訳)のurlを示し、一部を引用しました。では「そこがあると語るものは詐欺師だけだ。」とはどういう意味でしょうか? イラクのこととかあるいは南京のことかについてその真実をわたしが知ることができるのか、という問いがあります。この問いに端的に答えることは難しい。ですが報じられてはいるにもかかわらず、ちょっとしたニュアンスを操作することによって、米軍の側だけから見たイメージに近い報道がされていることが多いのが現状です。去年のパレスチナのジェニン、ラファの惨状に対し、世界はもっと目を向けるべきだった。当然為されるべきそうした注目がなかったことが、ファルージャの惨状をもたらしたという因果関係も幾分かは存する(かもしれない)。例えば、アフリカの小さな国のある地域で暴虐があったからといってそれを知らなかったことは、その無知は責められるべきか、といえば必ずしもそんなことはなかったと思う。同様にガザの街角でかわいい女の子が殺されたからといってその事実に対する無知は責められるべきではない。しかしレイチェル・コリー轢殺は、アメリカ国内でもっと大きな反響を起こすに足る事件だったのにそうはなっていない。インターネットでは自分が好む傾向をもった情報を沢山受け取ることができる。それをもって、マスコミを偏向と批判しても批判している側が偏向しているだけだ、ということもいえるかもしれない。だが、現在のところ「ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい」が事実を伝えている、少なくともそれに近づく最も有力な資料であることは確かだ。日本であれ欧米であれ有名新聞記者とかが現地レポートすれば信頼度が高いかも知れないが、現地にジャーナリストを入れないようにしているのは米軍である。(一部「テロリスト」グループにも責任はあるだろうが)一部の日本人はジャーナリストを日本から出すこと自体に反対している、日本の犯罪でもないのにそんなに真実が怖いのか。

 つまり、「本当の真実」なんてものがあるかどうかは別の問題として、ファルージャの現状の一片を見聞していこうとする努力が支持されるべきだ、と思います。それに対し「そこがあると語るものは詐欺師だけだ」なんて野原は何故書いたのか。ワイルディングさんの誠意を信じる立場にわたしはまず立つ。この場合確認できることは、彼がファルージャに入りそして脱出してきたことによりわたしたちに文章を送付することができたということだ。文中で彼が書いている「産気づいたので助けにいこうとしたがそこまで辿り着くことができなかった一人の産婦」については、わたしたちは何も知り得ない。現場に行くことは、何かを見ることである。だがしかしそれは、見ることができず手をさしのべることができない膨大な人々が存在することを身近に感じることでもあるのだ。マスコミは確かに現場に行く。だが映されたものだけが事実であるかのような分かりやすい物語を伝えてしまうことが多い。自分が何かを目撃していないと語るものだけが、目撃者の名に値する。

連続シンポジウム

 松下昇の『概念集・2』(~1989・9~)に「連続シンポジウム」という項目があります。連続シンポジウムは、坂本氏が1975年から中心的に取り組んでいた企画です。上記にある学友会嘱託職員としての立場も利用しながら。彼は岡山大学教官として懲戒免職を受けてから20年以上学友会の嘱託として大学に残り続けた。このような坂本氏の存在などを一切無視して全共闘論(68~69年論)なんか書いても、どーかな~~?ということになるのではないかしらね。

では、概念集から引用

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        連続シンポジウム

 一般的に了解されている概念を媒介しつつ、次第に独自の意味を内包して用いられ、ある段階以降、始めの水準から跳躍した〈同じ〉言葉で表記~発語される概念があり、六九年以降の〈自主講座〉や、七四年以降の〈自主ゼミ〉と共に、七五年以降の〈連続シンポジウム〉もそうである。それぞれの差異と連関を私の位相から素描すると、〈自主講座〉は、バリケード空間を解除しようとする全社会的な力に抗して、〈自主ゼミ〉は、バリケード以後の制度を内在的に破壊する仮装組織論として、〈連続シンポジウム〉は、バリケードが言葉としてさえ流通しない段階の祭として、それぞれの使命を自覚した瞬間に、既成の概念の水準から飛び立ち、同時に、既成の概念の水準を押し上げたのである。前記のニつは、別の活動様式を示すのではなく、むしろ、統一的~連続的に把握する方がよい。私自身の参加の仕方もそうである。

 前二者については前二項で記したから、ここでは連続シンポジウムの生成過程と特性について記す。一九六九年の岡山大学闘争の過程で教官としての業務を拒否したという理由で七○年に荻原 勝氏と共に五ヵ月の停職処分を受け、七二~七三年の一○三教室を拠点とする単位自主管理闘争などにより、懲戒免職処分と刑事起訴を受けた坂本守信氏は、七五年から、サークル連合体(学友会)の公募した嘱託事務員となり、同時に岡山大学祭実行委員としても活動しはじめた。この大学祭に~一○三被告団~(刑事起訴の現場の教室の名称に由来する。)が公開的に、従って主体に学外者を含みつつ殆ど毎年おこなってきた企画が〈連続シンポジウム〉である。テーマとしては、基本軸に六九年以降の大学闘争の持続的課題(とりわけ、単位制、天皇制、家族制の批判的検討)を置き、大学祭の期間を通じて連続(1)的に討論してきた。そして公認された大学祭が終了しても、追求し続けるべきテーマについて来年度の大学祭までの全期間へ討論を連続(2)させ、同時に、討論の場を大学内に限定せず、生活~労働の場や法廷(前記の刑事起訴の他に、処分による公務員宿舎RB302の明け渡しを要求する国側と、処分取消請求を対置してたたかうものを含む多くの裁判過程がある。)や全国的な参加者の拠点~テーマへと連続(3)させてきている。

 このように連続シンポジウムの〈連続〉性には、少なくとも三段階が連続している。シンポジウムであるから、酒宴を媒介する討論形態になることも多い。以上の特性は、大学闘争の具体的なテーマを討論する場のない現在の情況において、連続シンポジウムが毎年新しく入ってきて大学に失望する世代に対して持つ意味は大きい。活動のスタイルとしても、かりにストレートに授業に介入すれば大学当局より先に学生大衆から一瞬の内に拒絶~排除されかねない現段階において、サークル活動~大学祭という学生大衆が一定の関心を持ち、大学当局も予算を出している制度のすぐれた応用方法であり、一企画に過ぎない〈連続シンポジウム〉は大学祭、大学を逆包囲する成果を示してきた。

 しかし、この数年の間、活動の根拠の再検討が迫られているのではないか。任意の活動ないし討論の場面に、予備知識のない人が参加したとして、この人は目前の場面が〈祭〉に関わるものとは思わないであろうという事実に危機が象徴されている。連続シンポジウムの位置を全く視ないままの批判はナンセンスであるとしても、関心を持ち、好意的に参加しようとする人でさえそうである、という危機は事実である。ついでにのべると、かっては岡山大学闘争の本質に深い洞察を示したにもかかわらず、七五年に辞職してからは別人のように保守化した荻原氏の固定した発想パターンによる坂本氏や共闘者(私を含めてもよい。)への批判的言辞は、連続シンポジウム的なものに連続する〈 〉過程への異和として把握すると構造がはっきりしてくるのであるが、内在的な弾カ性も情況性も失っていて、かれの頽廃ぶりをささやかに開示するに過ぎない。このことを踏まえて、連続シンポジウムに十年以上にわたって参加してきた広範画の人々を代表して私の見解を示そう。

 日常的に連続シンポジウムに関わっている人々には厳しい表現になるけれども、方法としての、また取り上げるテーマの一定の〈正しさ〉にもかかわらず、活動の形態が衰退化し、既成のテーマや成果への閉鎖的な埋没を意識しえないか、意識しても脱出不可能なほど生活~生理の水準に拘束されているのではないか、と懸念する。

 自主講座の場合は、闘争総体との緊張開係やテーマの衝撃力ないし普遍的展開カの有無から絶えず検証され、自主ゼミの場合は、直接に単位認定,卒業資格に利害関係を持つ参加者多数派や制度の重力から絶えず検証されるのに比べて、(現在の)連続シンポジウムの場合は、形態として持続し易い度合だけ、前記の場合に対応する検証のフィード・バック性を内包していなければならない。いや、それ位のことは充分に自覚しつつも、なす術もなく立ちつくしているのかも知れないが…。私は、あえて次のように提起したい。

 拠点とか成果(人間関係を含む。)を持つことは、前記の水準のフィード・バック性を欠損させている場合には桎梏に転化しうるし、困難な問題に直面している時ほど転化しやすい。異時・空間に自らの方法(本質的な〈祭〉)を、まず自分だけのカで具体化してみよう、もはや帰るところはどこにもない、という情念を生きてほしい。これまで見慣れた拠点や人間を〈初めてすれ違う〉感覚で把握し、自己や他者の軌跡を六九年から現在に至る〈 〉過程の全テーマとの関連において、大衆団交位相で(いいかえると、関わりのある全ての人に公開され、声をとどけようとする深さで)共同検証するプランが必要ではないか。討論の展開によっては活動や生活の拠点を〈 〉へ委託しつつ。

 このように提起するのは勿論、対象に自分を含めてであるし、他にだれも提起しない状態で私が提起するのは苦痛でもあるのだが、それを引き受けるのは、自主講座~自主ゼミ~連続シンポジウムの総体に関わってきた私の責任であり、また、これらの本質を名称がどうであれ未踏の領域で深化させていこうとする解放感に満ちた試みの一つでもある。この項目が連続シンポジウムに関わる人々の再出発の契機になることを願う。(松下昇)*1

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(4/21に前半だけ「紹介」した。4/27に後半を追加。)

*1:p11~12『概念集・2』~1989・9~

ラファでの学童保育(中学生)

 学校では勉強しか教えない、と彼女は言う。(小柄だが内発するもののつよさに溢れた女性) 例えばお絵かきにしても、わたしはどうせ上手く書けないから止めておくとその子供たちは言う。遠慮しているのではない。日本人ならたぶん誰でも下手だとか上手だとかそんなことはどうでもいいのよ、とにかく書いてみましょうよ、と強く誘われた少年時代があるはずだ。でもこの国にはそうした文化がない。絵を描くことを楽しみ、演劇のまねごとをすることを楽しみ、スポーツを楽しむこと。彼らだって楽しむ時間を持つことが許されて良いはずだし、日々恐怖に怯えているかれらこそそうした時間を強く必要としているはずだ。そんなふうに思い、彼女寺畑由美さんはそこに出かけていった。世界でもっとも危険な町、ラファへ。

http://www4.dewa.or.jp/stageone/MP0521daiarytop.html

このサイトを見ると彼女のラファでの1年間の活動の概要が少し分かる。彼女に何が出来たのか。何もできなかったわけではない。彼女と二人のパレスチナ人スタッフは、子供たちと友だちになり彼らに楽しむ時間を与えることができた。

 彼女の講演会に行くことができた。普通の大なり小なり政治的な集会とはかなり違いがあったと感じた。微妙な差なのだが。つまり政治的集会はある方向性に聴衆を導こうとするベクトルにおいて成立している。そのベクトルに賛成するから行くわけだが、仮に同意できない点があってもそれについては反対すればいいだけで、困惑させられることはない。寺畑さんの場合、ラファで子供たちを相手にするときと同じようにできるだけ聴衆を巻き込んで快調に語りを進めていく。語らないと理解して貰えないことは膨大にあり話は溢れるように進む。だがこどもたちはどう生きて行けばよいのか。確かに(日本でいえば東大なみに)ガリ勉すれば彼だけは海外脱出できるかもしれない。でもそれ以外のこどもたちはどう生きていけばよい。大人になっても失業率は6割だ。住んでいる家は明日にでも壊されるかもしれない。*1一つの選択肢は、シャヒード、自爆攻撃者になることだ。その選択支はもちろん不可避ではないが、日本で考えるほど簡単に非難できるわけではないのだ。子供たちには夢が必要だ。彼女たちはわざわざ出かけていってもそれを与えることができない。どうしたらいいのか。わたしたちは困惑に放り出されたままだ。

*1:5月18日現在もそこでは家屋破壊が進んでいるらしい。

刑事被告人となった後に

松下昇 『概念集・5 ~1991・7~』から、p25「裁判提訴への提起」の前半部分を掲載する。これは過渡的な掲載です。

裁判提訴への提起

 解雇処分を受けた場合に地位確認の仮処分申請や解雇取消の請求を裁判所の民事部へ書面でおこない、法廷で処分の不当性を明らかにする方法をさすことが多い。もちろん裁判提訴の一般的な概念としては、警察ないし検察へ何かの事件の被害者として告訴したり、何かの不正を知った公務員として告発することを通じて刑事裁判を成立させることも広い意味で(かつ、身にしみて影響を受けてきた私としては特に)裁判提訴の範疇に入るし、民事においても、弁護士会などの無科法律相談に持ち込まれるテーマは離婚や交通事故が多数を占めており、これらのテーマが大衆にとっての裁判提訴のイメージに密接に関わっていることは確認しておいた方がよい。

 このような確認の範囲からすると、冒頭でのべた解雇処分などにおける裁判提訴は先進的かつ自明の対応と視えかねないけれども、六○年代末以降の闘争過程においては必ずしもそのように把握されてきていない。共産党は別として、闘争参加者の基本的な姿勢は、活動の全領域において裁判所を含む国家権力の介入や、それへの依拠を拒否することであり、この姿勢は処分に対しても、流血を伴う党派闘争においても維持されてきた。私自身も七○年の懲戒免職処分に対して取消請求の裁判提訴をこれまでおこなってはいず、それは前述の姿勢の根拠への共闘からであるが、しかし、だからといって他の人の処分に対する裁判提訴を否定的には判断していない。判断の基準は次のようである。

①裁判提訴が闘争の問題点を闘争現場を越える広い場へ拡大し、その波動を闘争現場へ還流させうる時には意味がある。(ただし、現在の裁判制度や裁判官の良心を無批判的に信頼して勝訴を期待するのは論外であり、結果的に勝つためにもこれは鉄則である。)

②〈民事〉への裁判提訴は、できれば自分が〈刑事〉事件の被告人となった後で(A)、法律の専門家である弁護士に依拠せずに(B)おこなうのがよい。(A)は時間的な前後というよりは、存在の仕方の前後でいっている。なぜなら、現場ないし法廷でいつでも国家の秩序や法と闘う準備のあるレベルでこそ、裁判提訴によって(さえ)闘争の意味を深化~拡大させうるからであり、(B)は、大学闘争の世界史性は専門のジャンルの解体を前提としつつ法の体系と秩序に立ち向かうことを不可避とするからである。(ただし、この意味を部分的にせよ共有する弁護士との共闘の可能性は残しておく。)

③大学闘争とよぱれるものの特性の中でこの項目と関連するものを指摘すると、問題点をとらえる方法自体の情況性や自らの関わり方を問題点に繰り込まざるをえない構造に出会ってしまうことと、発端の問題点を追求する過程が新たな問題点を作り出していくことである。従って、発端のレベルで裁判提訴に意味があるかどうかを固定的に判断するのでなく、裁判提訴を媒介~逆用して何を作りだしていくかということを常に構想している必要がある。この場合、波及効果の範囲を事件の幅だけでなく、可能な限り広く深い領域との関連で構想し、成果を開示していくことが望ましい。(なお、環境破壊、原発、選挙権などに関する共同訴訟の可能性と限界については直接討論したい。)

漢字の数

当用漢字というものは、1946年内閣から告示された1850字をいう(らしい)。今小学校では約千字習う、残りは中学で覚えなさいということか。ところで外国ではどうかというと、と中国と台湾はほぼ同じで、小学校約2500字、中学校約1000字である。台湾の方が漢字重視というイメージがあるが数は同じくらい。韓国は小学校ではなし、中学で約900とのこと。*1

漢字(あるいは漢字とコンピュータ)については下記参照。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/japan.html

日中台で、元は同じ字だったはずなのに今は違ってしまった場合にユニコードでどうなるのか疑問でした。下記で少し分かった。ユニコードは「元同じ字だったかどうか」は考えていない。似たような字体がある場合に同じコードをふる場合と違うコードをふる場合がある、ということか。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/unicode.html

*1:9/9朝日新聞夕刊「漢字めぐり国際シンポ」より

言葉にでも女にでも

 「私が何かを論じる」ということが大事なのでは、本質的にはない、と思っている。

 「ところで、概念とは、こちらが把握したい時に把握できるのではなく、或る瞬間、否応なしに、こちらを把握してくる本質を持つのではないだろうか。*1」と松下も言っている。

 論じる主体としてのわたしは、生きているわたしのごく一部の位相を占めるにすぎない。ふつうは睡眠をとり、仕事をし、食事をし、会話をし、すべて無自覚にとおり過ぎていくのだ。たまには一瞬息を止めるほど怒ったり感動したり行為したりもするだろう。いずれにしても「何かを論じる」という時間の過ごし方は、よっぽど余裕のある時にしかできないことだ。そうではない書き方もできるはずなのに、わたしはできていない。

 言葉にでも女にでもわたしは振り回されたい。?

*1:松下昇『概念集・1』p2

同一化という強迫

人類が「身元確認」同一化(イエンティフカツイオーン)という形で現に自分の身に加えられている強迫を逃れたいと思えば、人類は同時に人類の概念との同一性を獲得しなければならない。(略)

交換原理、あるいは人間的労働の平均的労働時間という抽象的普遍概念への還元は同一化原理と同根である。(略)

さりとて同一化原理を抽象的に否定しても、何物にも還元できない質的なものを大いに尊重して、もう万事を千篇一律に扱わないと宣言してみても、それは古い不法状態に戻るための口実を造り出すだけの話である。

p179 アドルノ『否定弁証法』isbn4-87893-255-4

わたしは最近、普遍とか(「天」とか)良く口にするが、それでいいのかという疑問もある。ただ「現に自分の身に加えられている強迫(=愛国心の強要)を逃れたいと思えば」、とりあえず、それは「普遍」ではないということは口にする方が良いと思われる。