そう考えると、歴史問題について、私たちが、アジア諸国との関係で戦争の加害者であることは疑う余地はないが、問題は直接の加害者ではなくなった私たちと戦争当事者たちとの関係性の問題だ。加害者である当事者たちのこころに思いをはせ、加害者のあゆんだ軌跡を追体験する機会をあまりにも喪失してしまった*2私たちが、先祖との連続性を回復し、先祖をステロタイプな殺人鬼にしないためには、自虐史観排斥みたいな運動傾向にならざるをえないのかもしれず、そうした動きが保守的な運動として、あるいはナショナリズム的な運動として広まるのは、それなりに理由があるように思われる。
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041020 はてなダイアリー – + 駝 鳥 +
スワンさんが良心的な方であることはよく分かるのだが、この文章には少し違和感がある。「先祖をステロタイプな殺人鬼にしないため」というが現実にそうだったという事実が存在するのではないかな。
「加害者である当事者たちのこころに思いをはせ、加害者のあゆんだ軌跡を追体験する機会をあまりにも喪失してしまった」というが、当事者=加害者という図式は誰が作ったのだろう。わたしも戦争の直接体験は皆無だが、当事者の体験談などは古本屋に行けばいくらも手に入る。多量にあっても偏向はしている、ことも事実だが。加害性を強調する中国帰還者連絡会系の本を取り入れれば少しはバランスが取れるかしれない。わたしはほんの数冊読んだだけだ。それでも分かることは当事者の持っている多様性である。当事者=加害者なんてものではない。ニューギニアやガダルカナルなど太平洋で死んだあるいは死に瀕した膨大な兵士たちは第一義的には被害者であるといえる。しかし誰のせいで死んだのかといえば敵のせいというよりも日本軍当局の責任である、と言わざるをえない。
(昭和50年という現在)『失われた兵士たち』を書くにあたって、あらためて戦史をひもといてみると、最前線から部下を見棄てて逃亡した高級軍人の多いことにまず驚かされたからである。最近、刊行された高木俊郎氏の『陸軍特別攻撃隊』上下 文芸春秋刊では、昭和二〇年初頭、フィリピンから台湾へ逃走した富永軍司令官の行状を執拗に追求している。戦争末期、ビルマにおいて敗亡の部下をおいてさっさと後方へ下がった某大将は英軍史家の物笑いとなった。壊滅寸前のレイテから独断でセブ島に渡った師団長もいる。逃走はせずともインパール戦の最中、戦線のはるか後方でぜいたくをしながら部下を叱咤督励してばかりいた牟田口中将の軍司令官としての責任は歴史によって早晩、裁かれるだろう。*1
「私たちと戦争当事者たちとの関係性の問題」を考えたいのなら、まず戦争当事者の多様性を学ぶ必要がある。被害者である当事者、加害者である当事者、人間である当事者、など当事者を一色のものとして語ろうとする言説のすべては、自分のイエオロギー的立場に誘導しようとするものためにそう語るのではないか。学ぼうとすれば自然に多様性は見えてくる。
「私たちが、先祖との連続性を回復し、先祖をステロタイプな殺人鬼にしないためには、自虐史観排斥みたいな運動傾向にならざるをえないのかもしれず」といった理路が存在してしまったというのは事実だろう。「戦争はいけなかった」「戦争は悪だ」という叫びは、実は当事者の現実を封印するという方向にも働いたのだ。加害者は「当事者の現実の封印」に加担した。ある意味では右も左も封印に加担したのだ。そのことにより、特別に学ぶ努力をしない人の場合、非常に薄っぺらな当事者像しか手に入らないことになった。そのような情勢を前提に上記のような理路が成立し得たのだ、ということを知らねばならない。
*1:p62『失われた兵士たち』野呂邦暢 芙蓉書房昭和52年