アクセス禁止は一時的だったのかな?
それとも、書き込み字数制限があるのかな?
何もそういう類の表示がされずに書き込めなかったので、単純なアクセス禁止だと思うけど。』
トラックバック – http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070310
* 米下院で証言した慰安婦達のおはなし
* http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070320
* http://d.hatena.ne.jp/nomore21/20070319
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何もそういう類の表示がされずに書き込めなかったので、単純なアクセス禁止だと思うけど。』
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徒競争は、童子も売柴人もなし得るところであるはずであり、公卿大夫より天子の尊きにいたるまで平等に同一に為しえるのであらねばならぬ。*1
えー、今日は近くの河原で小学校のマラソン大会がありました。マラソンといっても何十キロも走るわけではなく、1年生から6年生が1キロから2キロを走るものです。でもわたしのように運動全般が苦手なものとっては、2キロ(片道1キロ)といってもけっこうな距離です。最初は一団となって走っていますが後半ではもう先頭からビリまで大変な差が開きます。気が散ってまっすぐ走れない子や足にハンディキャップのある子などもいて、最後の2,3人がゴールするのには、それまでの子の倍以上の時間がかかっているようにも見えました。時間もあったので、競争とは何か、といったことをぼんやり考えました。まず何故マラソンなんか参加せなあかんのや、わしゃ嫌じゃ、という反応があります。野原などはまずこのタイプですね。でも小学生たちは内心の思いはともかく、参加に疑いはもってにないように見えました。より強く成ることが善であるかどうかはともかく成長期にゴロゴロしてばかりだとよくないのでたまにマラソンするのは良いだろうと思う。見物にだけ来ていた父母などもついでに、少しは走ってみればよいだろう。「人の天性はさまざまであろう。」というその差異をまざまざと見ることができた。しかし(1)第一の差異は、非参加者と参加者の間にある。非参加者には参加してみれば能力があるものもある。能力があるはずだのに参加しないので本当にそうなのかどうか分からないものもある。小学校にきてない(予め排除されている)ものもいる。この差異は観察できない。(2)第二の差異は、ハンディキャップのある者(1割以下)とそれ以外の間にある。(3)以上二つを除いた上で、可視的に明瞭な差異の序列が現れる。ここでも先頭とビリの間には約2倍程度の速度差がある。練習を繰りかえせばこの差は縮まっていくはずだ。
より早く走ることはまあ良いことである。順位をつけることもいけないことではない。だが期末試験の順位公開はどうか。これはやめた方がよい、という人は多い。良い成績を取ることが善だという価値観が世の中で支配的なのでそれをますます強化するのは控えるべきだ、という主張なら納得できる。
昔は、売柴人と、公卿大夫との間には大きな差があり、同じスタートラインに立ち競争することはなかった。出自によって差別されず同じスタートラインに立つことができるようになってきたのはよいことだ。とそんなことは当たり前か。今王陽明論を読んでいるのだが、「聖人学んで至るべし」誰でも学ぶことによって聖人になることができる、という思想を強く押し進めた点で、王陽明は東洋における反差別思想を前進させたと評価できるらしい。
*1:p72島田虔次『中国における近代思惟の挫折』平凡社東洋文庫。isbn4-582-80716X ただし「格物」とあったのを「徒競争」に入れ替えた。
「近代の超克」とは、昭和17年7月(日米開戦の半年後)に文学者・哲学者などで行われた座談会である。それに先立ち、S16.11.26(日米開戦の直前)、いわゆる京都学派の4人の学者*1が集まって「知的な饒舌をもってしゃべりまくった」のが、「世界史的立場と日本」である。
「東洋は近代というものをもたない。ところが日本が近代をもったということが、東亜に新しい時代を喚び起こす、それが非常に世界史的なことだ」(鈴木)*2
彼らは現状をこう認識する。「日本はアジアにおいて唯一例外的にヨーロッパ近代の受容に成功し(略)西洋先進国に伍しうる強国となった」。日本が近代化したなら、それは普遍的な立場に近づいたということで結構なことじゃないか、戦後的にはこう考える。近代は自明の前提となりそこで思考は終わり、近代は問い返されない。 彼らの座談会に特徴的なことはヨーロッパという言葉が頻出することだ。自明の前提であるがゆえに対象化不可能である「ヨーロッパあるいは近代的なもの」を、目の前に見据え語りきろうとしている。といえばサイードの遙かな先輩とではないかと言えば、決してそうではないと決まった訳ではない。
世界史とは「ヨーロッパの膨張」によって世界が一つになったことを指す。すると、次ぎに来るべき「世界史の転換点」を展望するためには、「ヨーロッパ的なもの」とは別の文化原理が必要になるはずだが彼らの議論はその点では弱い。*3(彼らの議論自体に当たっていないから断言できないが。)「アジアにおける日本の近代国家化の事実は世界史的意義を有する重大な事件であると評しなければならぬ。(高山岩男)*4」とそればかりが強調される。教師に与えられた価値観によってのみ「優等生」であるものがそのプライドによって教師に反抗しても敗北は必至である。・・・つまるところ、東アジアと太平洋地域を席巻したあの大戦はそう総括されるべきものだ。と言うことになる。というか、戦後日本の右翼というものの根本にもこのパラドックスがある。小泉首相において大きく開花している。
対抗原理としては次の二つがあげられる。(1)総力戦において、市民的、資本主義的秩序そういう構造をもった国家が崩潰する。近代の世界観が崩潰する。*5(2)共栄圏を建設するとか世界に新しい秩序を建てるとかいうこと。 これが本当かどうかは、当時続いていた<支那事変>によって良くも悪くも検証される。そのことは彼らにもよく分かっていた。
(西谷)今までの支那に対する行動が、外観的には或る程度やはり帝国主義的に誤り見られる外形で動いていた。政策的にもそういう風に見られる形をとっていたかも知れないが……
(鈴木)つまり不透明さがあったんですね。
(西谷)一種の不透明があったと思う。*6
事実は帝国主義であった。つまり共栄圏の実質は存在しない。「そう認めたくない」という気持ちだけが良く現れているこの対話からはそれがよく分かる。
詩集『新潟』を読むはずが全然進んでいません。でも3月25日に3行だけで処理した詩行たちに、いまではもっと親しめるようになった、とは言えます。
第2部「海鳴りのなかを」は、「河口に土砂に埋まった丸木船がある。」*1という挫折を確認するところから始まる。故郷へ海を渡ることを強く思いながら、それはついにかなわないものとしてあるのだ。「海をまたいだ船だけがぼくの思想の証ではない。またぎきれずに難破した船もある。」*2「ぼくが沈んだ幻の八月を明かそう。」*3 ここで、<挫折>は“更に深く穴ぐらを掘らねばならない”そういった営為だと言われる。 ところが比喩だったはずの<穴ぐら>は、「ひしめきあいせめぎあったトンネルの奥で盲いた蟻でしかなくなった同胞が出口のない自己の迷路をそれでも掘っていた。」*4と日本の戦争中の実際の穴ぐら掘りに転換する。ここには註がないが、(約七千人が動員されたという)松代大本営の掘削のことをイメージして良いだろう。「山ひだを斜めに穿ち蛇行する意志がつき崩すショベルの先に八月は突然と光ったのだ。」*5「なんの前触れもなく」輝かしい解放が突然やってきた。その輝かしい八月の光の裏には、原爆の光も焼き付いているだろう。「人が流れとなりはやる心が遠い家郷目ざして渚を埋めた。」*6故郷への熱い大きなベクトルが描かれる。だが「袋小路の舞鶴湾を這いずりすっかり陽炎にひずんだ浮島丸が未明。夜のかげろうとなって燃えつきたのだ。」*7日本の敗戦の直前二五〇万人近くいた朝鮮人のうち半数以上が帰国した。だが浮島丸事件のように帰国の意思が無惨にも中断させられた人々もいた。<ぼく>は彼らと同じように海の底でうずくまったままだ。*8
2章。「常に故郷が海の向こうにあるものにとってもはや海は願いでしかなくなる。」*9 ところが次ぎに転換がある。「待ち侘びて渚に彫像となった少年のものうい記憶へ終日波がくずれる。」*10海辺で佇んでいる少年は済州島に居るようなのだ。<海の底でうずくまったまま>という比喩が再度現実化される。「測りようのない底へにうずくまる父の所在へ海と溶けあった夜がしずかに梯子を下ろす。」*11「黄ばんだ網膜に古いネガとなって生きている父。数珠つなぎにしばられた白衣の群があぎとを開いたままの上陸用船艇へ間断なく呑まれてゆく。帯のないバジを両手で合わせもち動くコンベアーにでも乗せられたような父が背のびし振り返りそのつどつんのめりつ船艇へ消える。」*12おそらく押さえつけるような沈黙の中で、白衣の群は少しづつ船艇に呑まれてゆく。そして沖へ運ばれる。「日が暮れ日がたち錘の切れた水死人が胴体をゆわえられたまま群をなして浜に打ち上げられる。」*13「この期間虐殺された済州島民の数は73,000人を越える」といわれる被害者たちだ。「潮は満ち退き砂でない浜の砂利が夜をついてごうごうと鳴る。」*14「亡霊のざわめきにもふやけた父を少年は信じない。二度と引きずりようのない父の所在へ少年はしずかに夜の階段を海へ下りる。」*15蜂起とか内戦とかテロリズムとかいくらどぎつい言葉を連ねても足りないほどの動乱。作者は実際その渦中に在った。だが体験したことは書けない、と金時鐘は言う(かもしれない)。金石範が書けるのは体験してないからだ、とは言っていた。金時鐘が書くのはすべてが終わった後の屍体、海の底から浮かびあがり夏のせいで相貌さえ定かでないほど速やかに腐乱してゆく屍体たちだ。だが阿鼻叫喚はない。すべては無言のうちにすすむ。ところで<梯子>(あるいは階段)とは何か?海深く沈められたのは屍体だけではなく、対象化しきれずにその血の滲む肌を無理矢理幾重にも梱包し意識の奥深くに抑圧した時鐘自身の記憶たちである。魔法の階段を通らなければそこにはたどり着けない。
4/17の毎日新聞朝刊によれば、パウエル国務長官は人質になっていた3人について「日本は誇りに思うべきだ」と語ったそうだ。「危険地帯に入るリスクを理解しなければならないが、そのリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らが危険を冒して人質になっても、責めて良いわけではない。」と。 Ventureを誉めたたえるアメリカ人らしい発言だ。最悪なのは冬柴と福田などなどだ。
人質も自衛隊も出ていった点では同じで、反対派はいずれも「帰ってこい」「出ていくな」と叫んでいる点で一致している。これは日本以外では異常に見えるのかもしれない。
さて、高遠菜穂子さんなどの行動は、(憲法前文にある)平和実現のための「崇高な理想と目的」をもってなしたものとも理解しうる。しかし、 現地の人々からも見捨てられたストリートチルドレンと遊ぶのを純粋に楽しんでいた、浮き世離れした人というイメージで高遠さんを捉えたい、野原は。バクダッドの良寛さん、ですね。自分の楽しみのための行為だ、ということと世界平和のための崇高な行為だ、と言うことは背反するわけではない。むしろ前者でなければ後者は達成できないのではないか。自衛隊の復興支援は不幸支援になっている(だじゃれはタイプミスのため)。復興支援のためにもヴォランティアの方が小さな予算でよほど大きな効果を上げうると指摘されているが、このことと関係があるのかもしれない。役人のやることは美辞麗句で事実を誤魔化す方向にどうしても流れていくから。
(追記 4/20)
パウエル発言については、http://d.hatena.ne.jp/pavlusha/20040417#p4 には、“「国に帰ってきたらベイビーキラーだのなんだのと陰口を叩かれ、駐車場係の職すら貰えなかった」っていう、Viet-vet(ベトナム帰還兵)のルサンチマン”が言及されていて興味深かった。
素直に考えれば、パウエルは国連主導でのイラク国内の安定を望んでいる。国連自体というよりも、治安悪化でやむなくイラクを去った国連NGOやボランティアグループが大挙して戻ってきてくれないとどうしようもない、と思っているのだろう。日本人もおおむねそう思っているのではないのかねー?
岡山のKMさんから速達が着た。・・・
学友会臨時事務室坂本守信さんからの依頼という「緊急報告」「岡山大学学友会とは」「<岡山大学学友会>公開講座のお知らせ」も同封されていた。
5月29日土曜17時からの講座のようです。資料として載せておきます。
東洋の近代は、ヨーロッパの強制の結果である。
近代:生産様式、社会制度、それに伴う人間の意識
:封建的なものから自己を解放する過程に、その封建的なものから区別された自己を自己として、歴史において眺めた自己認識 p10
<歴史>そのものが可能になるのはヨーロッパにおいてである
歴史は、空虚な時間の形式ではない。自己を自己たらしめる、そのためその困難と戦う、無限の瞬間がなければ、自己は失われ、歴史も失われるだろう。
不断の自己更新の緊張によってかれは辛うじて自己を保持している
「疑う我を疑いえない」という近代精神の根本の命題のひとつが、そのような状態におかれた(自己をおいている)人間の心理に根ざしていることは否定できまい。
竹内好「中国の近代と日本の近代」の最初の3頁からメモ。*1
*1:『日本とアジア』 ISBN: 4480081046 ちくま文庫。この本を本屋で探しているのですが未入手です。1966年発行の親本を図書館で借りて読んでいます。
(1)さて、《太陽照在桑干河上》からもう一ヶ所引用する。だいたい長編小説から少しだけ引用するときは、前後関係や意図の説明とともにしなければ引用にならない。今回はこの小説を、歴史の一こまを伝えるものとして読んでみようとしています。北京の北百キロほどの小さな村。1946年、日本の支配下から八路軍によって解放された直後だが、次ぎに国府軍がやってきそうな気配もある。翻訳では巻頭に、「主要人物メモ」というのがついている。地主4人、富農1人、農民16人、女性4人、派遣工作小組4人、その他5人 となっている。村には共産党、協同組合などがすでに組織されている。それで農民を主体にして、派遣工作小組が助言、指導しつつ階級闘争をやるわけである。具体的には地主の持っている土地を取り上げ、実際に何年もそこを小作していた小作人に分ける。工場におけるストライキ斗争などだと主体が労働者としてすでに抽象化されていると言えるところがあるのだが、農村ではまさに全人格どうしでぶつかるしかない。しかも共産党は勝利しないかもしれないがするかもしれない。文盲の多い農民も自己判断を迫られる。
(2)というわけでまず、下記の原文を日本語漢字に変換したものを掲げる。http://gd.cnread.net/cnread1/mjfc/d/dingling/tyzz/039.htm
他一時又没有更多的辧法,便只好模倣着一个地主声口,[厂<萬]声問道:“[イ尓]們来干什麼的?”郭富貴知道了他的意思,答復道:“[ロ自]們来給[イ尓]算算帳的。”“算帳?很好!”文採接着説下去:“[イ尓]種了[ロ自]十畝旱地,当日是[イ尓]求着種的,還是[ロ自]強迫[イ尓]種的?那時言明在先,白紙黒字,一年交四石租子,[イ尓]欠過租没有?如今[イ尓]要算帳,成!把欠租交了来再算!要是不願種,那就干脆,老子有地還怕找不到人種?[ロ自]問[イ尓],地是[イ尓]的還是[ロ自]的?”“地自个会給[イ尓]長出谷子来?”那个王新田也説了。郭富貴更継続説:“江世栄!告訴[イ尓]![イ尓]早先当甲長,凭着日本人勢力,呑了[ロ自]們的配給布,誰不知道?還有那年替[イ尓]修房子,説好一升米一天,[ロ自]替[イ尓]做了一月零三个工,[イ尓]只給十升米,[イ尓]想想,有這回事没有?”“有呀!”文採仍旧装腔做勢的答道,“配給布,不是在唱酬神戯時做了帳棚麼?[ロ自]又没有要它![イ尓]替[ロ自]修房子,[ロ自]也没虧待[イ尓],[イ尓]吃了一月零三天的火食就不算了[ロ馬]?再説,前年日本鬼子還没走,[イ尓]們就給[ロ自]斗争了,要還的都還了,[イ尓]們訛人就没个完麼?[ロ自]也曽給八路辧事来[ロ拉]!”這給大家都説气了,在家都[ロ少]了起来:“好,[イ尓]還説[ロ自]們訛[イ尓],没有[ロ自]們受苦,就没有[イ尓]享福![イ尓]以前多少地?這会儿多少地?要不是[ロ自]們的血汗就養肥了[イ尓]?[イ尓]今天不把紅契拿出来,[ロ自]們[才奏]也[才奏]死[イ尓]……”
ちょっとだけ註。[イ尓]們は、おまえたち、あなたがた。[ロ自]們は、方言で、おらたち。們がないのは単数。江世栄は地主、王新田、郭富貴は農民、文採(文同志)は派遣工作小組。
(3)次ぎに、坂井徳三訳p289-291から引用する。
そこで気がついて、彼(文採)は、地主の声色をまねて、声を激しく言った。「おめえたち、何しに来ただ?」すると若い郭富貴がすぐ彼の考えを知って、「おらたち、清算にきただよ。」と答えた。
「清算?ようし来た!」文採はつずけて言つた。「おめえは、おらとこの十畝の山地を耕してるだが、こりや、いつてえ、おめえが、やらせてくんろと頭あ下げて来たものだか、それとも、おらがおどかして、おめえにやらせたものだか?ちやんと、これこの通り、紙に黒字で書いてあるだ。一年四石の小作料も、おめえためちやいねえだか?今、清算してえなら、よし来た、その借金から払つて見せろ!それとももう耕したくねえなら、それやまた結構だ。いつてえ、耕す人あ見付かられえと思うだか? いやいや、第一、土地あ、おめえのだか、それともおらのだか?」すると、さつきの王新田が言つた。「土地が自分で、おめえの粟を大きくしてくれたゞか!」郭富貴が、あとをつずけた。「江世栄!よく聞いてろ!おめえは、もうせん、村長をやつてた時、日本の勢力に味方して、おらたちの配給の木綿を食つちまつたゞべ、村で誰ひとり知らねえ者あねえだ。それにあの年、おら、おめえとこの家を直してやつたゞが、そん時、一日一升ちゆうて、一ケ月と三日はたらかせときながら、わずか十升きや寄こしてねえだ。さア、どうだ、おぼえがあるだべ?」「そりや、あるとも!」文採は、あいかわらずの、カラいばりで答えた。「配給木綿は、お祭の芝居の時に、テントにしたでねえか?おら、あんなもの取つてねえ!それから家直しの時だが、おめえに損させちやいねえ。おめえは一カ月と丸三日、サンザン食つたなあ忘れてるだ!それに、一昨年、日本の鬼どもがまだいるうち、おめえたち、おらに斗争しかけて来て、そん時、返すもなあ、みな返したでねえか。おめえたち、どこまで欺す気だ?それにおらあ、八路の仕事もして来てるだぞ!」この文句はみんなを怒らせた、みんなドッとしやべり出した。「よし、おめえまだ、おらたちがムチャ言うちゆうだな?おらたちに苦労させたからこそ、おめえ財産もできたでねえか!おめえ、元どれだけの土地で、それがどれだけになつてるだ? みんな、おらたちの血と汗が、肥え太らせたんでねえか! さあ、サッサと土地証書を寄こさねえなら、叩ッ殺しちまうだぞ……」
(4)すなわち、「清算」とは、地主の所に小作人が押し掛け、土地証書を出させるわけです。*1暴力を背景にしているとはいえ、小作人の労働による土地への愛情を基礎にして自己が収奪されているという事実を自分で雄弁に当の地主の前で口にするパフォーマンスにおいて、地主を観念させることが重視されています。(引用部分は実際に地主と向きあう前に、活動家が地主のふりをして予行演習をしているところです。)小作人は、生まれてこの方そして少し前まで、圧倒的人格的劣位におかれていたわけですから、「口も手も達者」な地主と面と向かったときちゃんと自己主張できるかどうか、心配が残ります。地主と向きあうのは小作人たちだけで、村外や村内の活動家は入りません。あくまで外部権力による強制ではなく、土地を耕しているものがその土地の主人であるべきだという理法を地主に納得させるという方法をとっているのです。まさにミクロな権力関係における革命。
ところでわたしたちの日本でも同時期に農地改革があった。地主の土地を分けたという結果においては変わらない。だが、日本では遠くの東京にいる占領者がある方針を出し、農民にとっては恩恵が空から降ってきただけではないのか。・・・
*1:翻訳では「清算にきた」となっているが原文では“[ロ自]們来給[イ尓]算算帳的。”われわれがお前に清算をさせる、と使役動詞を使っている
1. 所謂『南京大虐殺』は、当時の体験者や、研究者、学者により、諸説が分かれているところであり、ないという強力な証拠があるものの、あるという確証がない状態で、松井石根氏、岸信介氏等実名を使用し、これをあたかも戦争の真実として漫画化している。
『大虐殺』はないという強力な証拠がある、と主張する。一方、諸説が分かれていることは認める。実名を使用して歴史小説を書く自由自体を否定する。
2. 中国の真偽定かでない写真を用い、百人斬りを事実として記載し、意図的 に歴史を歪曲している。
3. 歴史的認識が確立されていない青少年に多大なる影響を与える貴誌に、史実ではない残虐なシーンが登載された事は、次代を担う青少年の心を傷つけ、遺憾である。
日本軍の行った「残虐なシーン」が歴史上に存在しなかったと主張しているのかどうか、主張がはっきりしない。
4. 事の重要性を認識せず、問題の事実関係についての調査研究を怠り、大東亜戦争従軍の将兵、遺族さらには日本国及び国民の誇りに傷をつけ、辱めさせた行為は厳に慎むべき行為であり、フィクションと記載された「漫画」であっても許されない。(以上)「集英社問題を考える地方議員の会」代 表 犬伏秀一大田区議
「事の重要性」とは何か、全く主観的フレーズで意味不明。虐殺や残虐なシーンが存在しなかったとは信じがたい、というのが99.9%の研究者の意見だ。歴史を歪曲し、日本の国益を損なっているのは君たちだ。それにしても悪文ですね。(笑い)
http://blog.goo.ne.jp/inuhide/e/cc0e9fe06f5b7b23bf3c86b623877114
いぬぶし秀一の激辛活動日誌:本宮ひろし先輩、史実を曲げちゃダメ!@ヤングジャンプ
ちなみに、区会議員いぬぶし秀一さんはネットではかなりマイナー!「集英社問題を考える地方議員の会」グーグルすると検索結果 約 33 件。
うち、1.只今勉強中 3.blog::TIAO 4.Negative Stories -北国tv 5.はてなダイアリー – 月よお前が悪いから と明確に「反いぬぶし」派の主張のサイトが並び、自身の「激辛活動日誌」は7位にしか入っていない。
追記:「大東亜戦争」は世界に向かってアジア解放の大義を打ち出したものでした。大義それ自体が「恥ずかしい」ものだったとはわたしは思わない。それより現在の小泉氏の路線は死んでいった兵たちを辱めるものだと思う。それはともあれ、一人でも10人でもレイプすれば、日中友好、大アジアの大義に反する出来事なわけですから、「日本国及び国民の誇りに傷をつけ」る行為になるのです。ところが実際にはそれは行われた。占領地区での露骨な中国人差別も同じです。それらの行為が「日本国及び国民の誇りに傷をつけ」た行為である。事実があったのに、自己の認識枠組みに反するからとそれを認めないというのは、自己に誇りをもっているひと(たとえば中江藤樹主義者*1)にはありえないことです。自己に誇りを持たず、「日本国の誇り」が守れるはずもなかろう。
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041013 2004-10-13+ 駝 鳥 + さんが丁寧な事情紹介と批判をされています。
追記:<<<ないという強力な証拠があるものの、あるという確証がない状態で>>>というフレーズはそこらじゅうで笑いものになっている。
「http://d.hatena.ne.jp/Jonah_2/20041014 はてなダイアリー – 当代江北日記」 から引用すると
「これだけではなく、色々な場でこの抗議文の論理上のまずさが指摘されているので、際立って日本語の下手な人々が拙速に作り上げたものだと考えられる。」
追記(10/16~10/21):hatenaにも、次のように書く人がいる。
として、ある人の日記から1行引用しましたが、削除します。
理由はその方と一定対話したのでここに掲げておく必要がなくなったから。
*1:「過を飾り非を遂げて改むることを知らず、人皆其の人品を知り其の心の邪を知れども、己れ独り克く隠して知られずと思へり、(中江藤樹)」『日本陽明学派之哲学』井上哲次郎p111から孫引き。冨山房、明治33年
http://d.hatena.ne.jp/jinjinjin5/20041029 はてなダイアリー – フラグ、大地に起つ! で引用されていた、「mU8r3v D4 0i+cuD3R」様の日記から一部孫引きさせていただきます。
http://d.hatena.ne.jp/homoinsipiens/20041029#1099030289 はてなダイアリー – mU8r3v D4 0i+cuD3R
(最初書いた時点では、mU8r3v D4 0i+cuD3Rさんのサイトは見ずに書きました。失礼しました。)
「無能な政府が手をこまねいている間に、市民NGOの活躍と交渉で人質は救われた」「政府が余計なことをしたおかげで日本のイメージは悪くなったけど日本市民はイラクの味方のイイヒトだから助けてくれた」エトセトラ、セトモノヤ。それはいくらなんでも自分たちの力を買いかぶりすぎだし、政府の努力を過小評価しすぎだ。
上記の二つは私も信じています。したがって「人質救出に政府は努力せよ」とは主張しません。
今回でも(潜在的)論点になっているのは、
「米軍の力を借りた人質救出」路線に対する親族側の激しい危惧感です。ニュートラルに言って、万一成功しない場合は、人質の死の可能性を数倍化させる路線ですからね。前回の人質の親族は、その路線を拒否しようと、必死で、しました。それが叩かれた。路線の問題は議論に上がらなかった。今回も私は「米軍の力を借りた人質救出」路線には反対だ。
政府なんてなくてもいい、あるいはないほうがいいなんて考え方は、彼ら市民運動家たちが実は経済的に恵まれている…*2からこそじゃないのか。
そのとおりですね。ただまあ原則的には最低生活ギリギリで暮らしている人は政府批判活動をする余裕もないし、最初から批判能力を獲得する余裕もない。批判が必要なら(経済的に恵まれてい)ないこともない批判者も必要でしょう。
日本国家と自らを同一視する以外に確固たるアイデンティティを持てない人を精神的貧困と笑い飛ばし*4、
だってそれ悲惨でしょ。