3月19日コメント欄
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160 資料:建国記念日の祝い方 野原燐 2003/02/11 23:33
建国記念日というのがどういうものなのかよく分からないまま文章を
書いたので、後からnet検索してみると次のような文章が見つかりました。
2年前に熊本の女子高校生が書いたものらしいが良く書けている。
引用させてもらいます。
http://www.senyu-ren.jp/SEN-YU/01032.HTM
皆さんご存知のように、我が国は今年で建国二千六百六十一年を迎えました。そ
して、今日この日は、我が国最初の天皇、神武天皇が御位(みくらい)につかれた
日であります。この日本国建国にあたっての神武天皇のお気持ちは、『日本書紀』
にこう記されています。
「今、私はこの橿原(かしはら)の山林を開いて慎んで天皇の位につく。これから、こ
の国の民が心安らかに住める平和な世の中にしたいと思う。この国が神の住まい
にふさわしい清らかな所となり、他の国もそうなったならば、世界は一軒の家のよ
うに仲むつまじく、平和な世界となるだろう。それは、なんと素晴らしいことではない
か。」
このことから分かるように、日本民族国家の建国精神というものは、決して、自国
のみを愛し他国の衰亡を願うというような侵略精神ではなく、この日本国は「世界
総国家の大調和」の理想をもって建国されました。つまりこのご宣言は、世界の各
国すべてが家族として、家庭の一員として、仲良く繁栄する国家群となるための礎
として、この日本国を建てるという意味を持っているのです。私は、日本の長い歴
史の中でこの建国の理想が途絶えることなく、第百二十五代にあたる今上陛下に
も受け継がれていると思うと、感銘を受けずにはいられません。
神武天皇の和名はかむやまといはれびこの命。
彼はあるひめと寝たとき歌を詠んだ。
葦原のしけしき(汚い)小屋に 菅畳 いやさや敷きて わが二人寝し
高校の運動部のエースが汚い小屋で彼女と寝てそれでもすごく嬉しいみたいな良い歌だ。
ところで、世界が「仲良く繁栄する国家群となるための礎」には日本国が必要だと。要は世界の中心は日本=天皇なわけで、それが普遍的である為には
もういっかい世界戦争するしかないことになりますね。
野原燐
何びとの血も流さずに
わたしは村上一郎の本を数冊持っている。だいたい30年近く前に買った物でそれ以来読み返していない。昨日キーワード「村上一郎」と「mkimbaraの読書録」を読んで、本を出して見た。1962年に書いた「ルソオの日に」という短文を読んだら、引用したくなったのでしてみます。
六月二八日に、ぼくたちは、ジャン=ジャック・ルソオの生誕二五〇年記念日を迎える。
五〇年前、間もなく年号が明治から大正に移るという年の同じ日に、ぼくたちの父や祖父はルソオの生誕二〇〇年を迎えたわけだが、この、大逆事件被告処刑直後の年に、ルソオを記念する行事が、いかに困難な状況のもとに行われたか。--それは、多くの日本民主主義・社会主義の先達にのこされている。また、その困難な行事に参加した、うぶな青少年が、行事を機に、どのような“回心”を体験(エアレーベン)したか、それも記録に残っている。それらの人たちの後半生は情ない末路をたどったかもしれぬ。が、ぼくはこの年の困難な精神のいとなみを尊かったと思う。
五〇年を経て(略)・・・天下泰平のうちに、書く人も読む人もふくめて、ぼくらはルソオの日を迎えるのだ。ぼくらは、たいした戦いもなく、何びとの血も流さずに、この日を迎えるのである。だがこのようにして得た「民主」の世を、ぼくは、にがにがしく思う。(略)
そして数行のあと、かれはこうした情況への内心の思いを吐き出す。
沌沌。悶悶。そして愚劣。ぼくは「死語する死霊達」に唱和しないではいられない。*1
村上の文章は適当につまんで引用することができない。一見平明な言葉面の背後に手に負えないほど強く複雑なリズムが潜んでいる。
ところで、1962年が天下泰平だったとすれば、この30年間は一体何だったのか。天下泰平の自乗か三乗ぐらいか。わたしたちは民主主義あるいはルソオを自明のものだと思っているわけではない。ただの飾り言葉だと思っている。私たちにとって政治とはと問いを発しても、投票に行くか行かないかあるいはどの政党が良いかなどといった愚劣な問いに回収されてしまう。だが本当はそうではないことをわたしたちは知っている。わたしたちの職場でも町内会でも薄笑いの裏に血は流れている。戦わないものには見えないだけだ。だからといって、ルソオや民主主義のうらに、必ず<血>や<デモオニシなもの>の存在をかぎ取らないといけないのか。平和で豊満な日常に常識を持って生きていこうとするだけで充分ではないか。もちろん出発点はそれでいい。だが戦前の大逆事件以降の弾圧や正義無き大東亜戦争の死者たちの圧倒的存在感を察知するやすばやく遠ざかり、イノセントを(無意識のうちに)装ってしまう性癖をわたしたちは持っている。といってもまんざらはずれていないのではないか。
*1:p265『日本のロゴス』国文社 1970
自衛隊監視テント村が弾圧を受けた
下記サイトによれば3名の事後逮捕があったということです。大衆が、行った者はしかたない元気に帰ってきて欲しいという「しかたない」意識に傾いているので舐められた、ということでしょう。
2月27日早朝、私たち立川自衛隊監視テント村は「イラク反戦」を理由に全面的な弾圧を受けた。逮捕者3名、事務所・個人住宅の家宅捜索6ヵ所。これは小さな反戦市民団体としては大きな打撃である。令状には、1月17日に自衛隊官舎に反戦ビラを配ったことが住居侵入にあたる、とあった。 団地のポストにチラシ広告を投函する全ての行為がこの弾圧の対象になりうる。はてなダイアリー – 隔離される私と相互監視社会
自衛隊即時撤退せよ(続き)
バクダッドのリバーベンドさんのブログから少し引用させてもらいます。http://www.geocities.jp/riverbendblog/
「2004年4月4日日曜日」の一部 バグダードとナジャフでは、アル・サドル支持者のデモが続いている。バグダードでは、グリーン・ゾーンとシェラトン・ホテルの近くに何千人も集まっている。怒りにみちた黒衣の大群衆。ナジャフでは、デモの群衆は、スペイン軍駐留地のすぐ外にいて、スペイン軍兵士は彼らに向けて発砲した。少なくとも14人が死亡、数十人が負傷と伝えられる・・・ (略)
これだけははっきりさせておきたいのだけれど、私は、アル・サドルの支持者では”ない”。イラクを第2のイラン、サウジアラビア、クウェートにしようとしている聖職者たちは嫌いだ・・・だが、デモに対し、軍隊が銃弾と戦車で応じているのを見ると、心底激しい怒りがこみ上げてくる。集まった人々に向けて発砲するつもりで、デモを許可したってわけ? デモの人々は、武装していなかった、ただ怒っていただけ__最近ブレマーとその一派がアル・サドル派の新聞を発行禁止した。また、サドルの側近ナンバーツーが南部でスペイン軍に拘束されていると言われている(スペイン軍は否定しているが)。サドルの信奉者たちは憤激している。そして、(ちゃんと聞いてね)__その信奉者たるやほんとに半端な数じゃないのだ。(略)
そして、ラムズフェルドたちはアブサドル一派をアルカイダ並の主要敵に位置づけてしまった。自衛隊は「復興支援のために」イラクに存在する、なんていう理屈はいまやびしょぬれになったティッシュのように崩壊した。イラク人の集団と闘い彼らを殲滅する自衛隊を望む人たちだけが、自衛隊即時撤退に反対するだろう。
リバーベンドさんのブログ(の翻訳)によれば、かっては女性たちでにぎわっていた市場は今や女性たちにとって危険な場所になり、ほんの少数の女性たちしか見かけなくなった、とのことです。しかも女性たちは例外なくヒジャブを被っている。米軍はアフガンでは女性をヒジャブから解放したと宣伝された。1年間の米軍主導による統治はその逆をもたらした。つまり失敗したのです。
3人はヒーローだ
空港に彼ら3人をたたえる表示を持って迎えに行こう!!
現代思潮社
わたしは、すがさんという人読んだことないし、好きでもない。ですが下記はすがが正しい、と思う。(小熊の『民主と愛国』は最初の所読んで良くない本だと思った。)(現代思潮社が現代思想社と誤記されていた)
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/text/21c-suga.htm
60年安保の時に、吉本隆明という人が6月行動委員会というところで、当時の中核を「三一書房」にあった、と鶴見が何度も言っているんです。ただ、ちょっと調べれば分かるんですが、当時の知識人界隈の雰囲気を知っていれば、それが間違っていることはすぐに分からなきゃいけない。6月行動委員会の中心は「現代思潮社」なんですが、何故か「三一書房」と言っているんですね。それをチェックできてないんですよね、2人(上野、小熊)とも。
潮もかなひぬ
熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな(万1-8)
額田王の歌である。宇宙のリズムとシンクロしたゆったりとした潮のうねりをそのまま表出したような雄大な名歌である。
で、何が言いたいのかというと、小泉某の「この国を想う」とやらいうコピーの悪口である。戦後保守が切望し続けてきた「自衛隊海外派兵」「憲法改正」を小泉某は手に入れようとしている。だけども、鬼畜米英のポチになることによって、それを手に入れても日本の魂は喜ぶまい。ほめ歌によってわたしたちの国を護ってくれた額田王もきょとんとしていよう。*1
*1:さてネットには、額田王同盟なるものが存在する(今知ったばかりなので内容はわからない。)http://www7.plala.or.jp/kusurigari/ 額田王が現在メジャーになった背景にはマンガ『天上の虹』がある。里中満智子によって彼女は九〇年代のフェミニスト右派のアイドルとなったのだ。
丁玲を読んだきっかけ
残念なことに今年の4月に中帰連*1の山口光夫さんが亡くなった。彼のことはまた機会があったら書きたい。戦前の満州には多様な国籍を持つまた思想的にも右も左も色々な立場の人が混じり合って(大日本帝国による間接的支配は有りつつも)住んでいたといわれます。ただそうした満州が可能性として持っていた自由の雰囲気を実感するのは難しい。山口さんはそうした空気を吸って、そして自由であろうとすることによりひどい目に会うことがわかっていてなお行為するという決断を生涯に何度か行われた方でした。彼の年譜の1行にこうあります。
1941年夏。(17歳)南満中学堂の王維九と知り合い、自分の生き方に疑問を持ち、中国人女流作家 丁玲女史の作品を紹介され、人生観が急変する。
そのとき丁玲という名前をぼんやり覚えていたせいか、古本屋で「霞村にいた時」岩波文庫を見たとき買ってみました。(だが買っただけでまだ読めませんでした。)
次ぎに丁玲という人名に出会ったのは、なんと『世界の名著・毛沢東』p483においてでした。毛沢東が1942年延安の文芸座談会でおこなった講演は「文芸講話」として活字化されています。延安(及び辺区)で活動していた文学者の表現がもっぱら現実の暗黒面だけを暴露したものになっていることをきびしく批判しました。「多くの小ブルジョア作家は、まったく光明をみいだすことができなかったことから、その作品は「暴露文学」と呼ばれる、暗黒を暴露しただけのものとなりました。」註によれば、王実昧、羅烽らとともに、丁玲の短評「3.8節感想」および短編「医院にて」がその代表とされた、ということだ。「人民大衆の革命闘争はかならずこれをほめたたえなければなりません」と毛沢東は言うがわたしは全く反対だ。「敵を憎め」と毛沢東はいうが、誰が敵で誰がそうでないかは必ずしもはっきりしていない。それは小説・桑乾河では「富農」や改革派富農というカテゴリーとして表現される。富農はしばしば地主よりも多くの土地を持つ。しかし彼らは毎日長時間働くことによりその財産を築いてきたのだ。しかも貧農たちと同じ出自からくる友情を失わない場合、彼らは財産家であっても、「敵」カテゴリーの例外とみなされることがある。曖昧な処理である。しかしこの曖昧さを嫌い、貧農の心情を普遍化するとポルポト主義になる。敵を憎むためには、やはり<<自己を自己たらしめるために闘い続ける>>ことが必要であるだろう。というわけで毛沢東には不満を持ったので、丁玲をそのライバルに見立てて読んでみようと思った訳でした。
そして7編からなる短編集『霞村にいた時』を読んでみると、けっこう面白かった。そこで図書館で見ると、『太陽は桑乾河を照らす』上・下があったのでまず、上を借りてみた。という経過で、桑乾河に至ったのでした。以上出てきた三人の人物の生没年をまとめます。
毛沢東 1893-1976
丁玲 1904-1986
山口光夫 1924-2004
(2)平等という前提(10/20追記)
次の通りコメントが来た。
# hiyori13 『ほほう。そんな低級な議論で納得するわけね。で、おたずねしますが、その「フィクション」とやらはみんながフィクションであることを納得しているのでしょうか? もしそうなら、それがまちがっていることを指摘してもだれも文句はないはずですね。そしてもし多くの人がそれがフィクションだと知らずに本気で信じているのであれば、それは要するに、あなたがたは知的エリートとしてそれがフィクションであることを知っているけれど、愚昧な大衆をコントロールすべくかれらにウソを教え込んでいる、ということですね。そのウソをばらすな、と。そういう欺瞞はかまわないとするわけですか。』
hirori13さんの問題設定にそって答えられないがちょっと考えてみた。
「女の政治家や重役が少ない等」ということが「性別役割イデオロギーのせいであり」それが「不合理である」から是正されるべきだ、と言っているのです。政治家は市民の代表であり、男女が異質なものであるなら、代表を半分ずつ出すことにしても別に不合理ではない。政治家に必要な資質というものと特定の遺伝子の組み合わせが強い相関関係があるなどという主張をビンカーさんはしているのでしょうか?
さて、「フィクション」というのはわたしの言葉ではないので説明しにくいのですが、要は私たちの社会は「一人ひとりが平等であり平等な生きる権利を持つ」という前提を社会的に受け入れている、ということでしょう。いわゆる知能の差異は(たぶん)あるでしょう。だが知能の差異を量る公的手段があるわけでもなく、学問的に公正な方法があるわけでもありません。先天的な差異を強調することにより結論として何を得たいのか。その論理にはたぶんごまかしがある。
「一人ひとりの能力に差がある」から「平等」というフィクションを守るために無駄なコストを費やすのは馬鹿げているとお考えでしょうか。私としてはそれぞれの人が「平等な生きる権利を持つ」という結論は譲れない、と考えています。この点については、立岩真也氏が丁寧な議論を展開していますね。