宗像三女神(むなかたさんじょしん)

 wikipediaによれば、「宗像・厳島系の神社は日本で5番目に多いとされ、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所にある。」のだそうです。わざわざ江ノ島まで行かなくとも何処にでもいたのでした。

 美人の誉れ高い三女神でありながら、それほどポピュラーでないのでは?

下記サイトからの引用をしておきます。

http://homepage2.nifty.com/amanokuni/munakata.htm 宗像氏・胸形氏・宗形氏

多紀理毘売命(たぎりひめのみこと・田心姫神・奥津島比売命)

天照大神と素戔嗚尊が、天の安河原で誓約をした時に、素戔嗚尊が佩いていた十挙剣(とつかのつるぎ)を、天照大神が天真名井の聖水で噛んで吹き棄てた息から成った、三女神の一人。現在でも女人禁制の沖ノ島、沖津宮に祀られる。大国主命の妃で、賀茂大神の阿治志貴高日子根命(あじしきたかひこねのみこと) と、高比売命(たかひめのみこと・下照比売)を産んでいる。

(略)

市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)

狭依毘売命(さよりひめのみこと)

上記の誓約で産まれた、三女神の一人。九州本土の辺津(へつ)宮に祀られる。

市杵島とは厳島(いつくしま)、神霊を斎き祀る島の意。軍神であり、神功皇后を彷彿とさせる。本地垂迹説で、弁財天(もとインドの河神で、のち学問・芸術の守護神) に置き換えら、古来、安芸の宮島の厳島神社(社家佐伯氏)、近江の竹生島の都久夫島神社、相模の江ノ島神社、他に大和の天の川、陸前の金華山に祀られている。竹生島の弁財天は、「松浦の小夜姫」が成ったと伝えられる神で、日下部氏との関係もあるかもしれない。また、安芸の厳島神社は、代々、空海を出した佐伯氏が奉斎している。

多岐津比売命(たぎつひめのみこと)

誓約で産まれた三女神の一人。早い潮流の神で、大島の中津宮に祀られる。

宗像大社(福岡県宗像郡玄海町)

祭神 宗像三女神(市杵島姫神、湍津姫神、田心姫神)

祖神 大国主命、事代主命(三輪氏、賀茂氏と同系)

宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、九州本土の辺津宮に分かれ、古来、朝鮮半島と日本を結ぶ最短ルート、「海北道中(うみきたのみちなか)」を守る神として崇められて来た。沖ノ島の祭祀場跡からは、国宝「子持勾玉」や「金指輪」を始め、数々の大陸との交流を示す財宝が発掘され、「海の正倉院」と称されている。また、秋季大祭「みあれ祭」は、古くは「放生会」と呼ばれ、宗像七浦の漁船総出による、沖津宮・中津宮への勇壮な神迎えが行われる。

沖の島=神島=不言(オイハズ)島、については西郷信綱の文で補充しておこう。

 奥津宮は沖の島に鎮座するが、これは玄界灘の真ただ中に位し、全島密林に蔽われ、巨岩そびえ、古来神島と呼ばれてきたところである。宗教的タブーが強い上、波の荒い無人島で、たやすく人が近づけなかったため、古墳時代を中心に縄文期以降の数々の古い祭祀遺跡に二千点を越す豪華な遺品--鏡、装飾具、馬具、容器など--が古代の姿さながら奇跡的に残っていたのが近年に発見された。(p79『古事記註釈・2』)

オマケ:宗像氏の実在人物ではこの人が有名。

尼子娘(あまごのいらつめ)

40代天武天皇(大海人皇子)の妃。高市皇子の母。

西尾幹二ってただの電波だったんだ!

馬鹿にされるために登場した八木秀次とは違い西尾幹二は高名なニーチェ研究者だと思っていたのに。びっくりした。chikiさんありがとう。

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20051002/p1#seemore 成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― – 「新しい歴史教科書を作る会」会長&名誉会長コンビが出した「ジェンダーフリー・バッシング本」の面白さ。

この本は、新しい歴史教科書を作る会の会長、八木秀次さんと名誉会長の西尾幹二さんの対談です。(略)

(西尾、以下西)成人式に髪つぶてを投げる子どもの荒れぶりや十七歳の凶悪犯罪者が野放しになっていたりする放埓さも、日本を密かに壊そうとする背後の作為があるのだと思えてなりません。

(西)すべてがどこからかの指令によるもので、末端の教師の意思ではない。こうしたことが実地される背景には、フェミニストが官僚機構を抑えていると言うことがあるからでしょう。

 「われわれは語り合うということを学びたいものである。」とヤスパースは言っている。わたしは憎悪せよ!とか言う人だから、ヤスパースとは違うのだが、まあこの場合はヤスパースにおいても充分西尾を全否定できる。

(このアーティクルはフェミナチ掲示板の方に喧嘩を売るためのものですが、TBはしないので気づかないでしょう。来なくて良いよ。)

野暮で馬鹿な国

寄り道ですが、松岡正剛氏が紹介する荻生徂徠の日本観。

 それだけではなく、もともと「儒ノ道」と「侍ノ道」は同じものに近いはずだったろうが、中国には聖人が出て日本には聖人が出なかったから、日本は「侍ノ道」が「武ノ一方」へ偏ったのだとも書いた。そのため、中国のような「詩・書・礼・楽」の高度な「道」が日本に不足して、まるで武士道一辺倒の野暮な国や馬鹿な国になったというのである。 

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1008.html 松岡正剛の千夜千冊『仁斎・徂徠・宣長』吉川幸次郎

ここでは、次のようになる。

a.「詩・書・礼・楽」の高度な「道」

b.まるで武士道一辺倒の野暮な国や馬鹿な国

えーと*1

*1:「子安宣邦 馬鹿」で検索を掛けてここに来た人がいた。その検索結果から上記の文章を見つけた。

永久の禍根

 長々と引用したが、要は、「我カ皇祖皇宗(略)徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」の通りである。つまり、皇祖皇宗こそが徳(人間としての価値ある行為)を立てたのだ、ということ。

 さらに、教育勅語の起草者井上毅の論文「言霊」には次のようにある。「お治めになる」に相当する言葉が古事記には二つある。即ち、知らすと「うしはく」である。後者が単に領有するという意味であるのに対し、前者は占有とか支配といった意味はない。知らすとは「中の心が外物に対して「鏡の、物を照らす如く、知り明(あから)むる意」である。即ち、日本の「国家成立の原理」は「君民の約束(=契約)にはあらずして一つの君徳」にあることを示しているのが「知らす」という言葉。*1そして八木(やつき)によれば、この君徳とは単に中国風の「慈善の心」といったものをはるかに超えている。勅語の「宏遠」「深厚」ということばには人間的理解を超越するまでの原理の有り様を暗示しようとしているのだ。*2

 ところがその後天皇は戦争を始めてしまい、結果「終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スル」あるいはそれ以上ということになった。

「朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」。この文章は当然、天皇自らの退位を(許される場合には)意味しよう。したがって冒頭の木戸幸一の伝言を受け天皇が退位を決意(再決意?)したのは当然である。

ところが退位は為されなかった。わたしたちは<徳の根源>を失ってしまったのだ。

*1:以上p127による。八木公生『天皇と日本の近代・下』isbn:4061495356

*2:八木、同書p151

フリーライダー

 彼らは社会がうまくまわっていかない原因をフリーライダーの増加に求める。彼らはフリーラーダーを憎み排除しようとする。しかし社会からフリーライダーを特定し排除するためには非常なコストがかかる。このコストを縮減するために監視社会が要請される。ブラックジョークのようだが、フリーライダーの排除のために政策が立案されるということが実際にあるようだ。

道義的責任を定義、

中道右派 中道右派 『>道義的責任を定義、提出する主体を、きみたちが一貫して用意できない、かろうじて成立したものを潰してしまうのが問題なのです。かわいそうな日本!

その点は、一部同意します。あまりにも外交が下手すぎる。日本にも、国際的な赦しのコンセンサスを作り上げたヴァイツゼッカーに匹敵する力量の政治家がいなかったことが悔やまれます。

私の考えでは、第三国の研究機関を複数入れて、事実関係及びこの問題の発生から発展までの一部始終を徹底調査し、その結果に基づいた国会決議をすべきと考えます。

調査のための基金が設立されたら、喜んで寄付に応じたいと思います。

>「区別を、まずはよく考えてみることをお勧めします」は議論の放棄ですね。よっぽど自信がないのか。

いいえ。自信はあります。

あなたにも基礎的な知識をもってもらってから、無駄のない有益な議論をさせていただきたいと考えております。』

中道右派 中道右派 『

>「生き延びるための思想」読後メモ

>なかった派と議論するためにはどうしても、吉見さんたちの議論に倣っていくしかないような気がします。

それは、一部正しく、一部誤りです。

上野千鶴子氏は上記著書で、この問題の本質を以下のように一面では正確につかんでいます。引用サイトより抜粋。

『多くの兵士たちは日記や回想録のなかで、「慰安婦」との接触を、少しも恥の意識を持つことなく記述していたからである。パラダイムの変化のおかげで、彼女たちの経験は「軍隊売春」から「性奴隷制」へ、すなわち軍隊によって組織的に継続された強姦へと、見方が変わったからである。』

これは、行為時及びその後しばらくたった回想録記載時においてすら、慰安婦の存在は法規範上は犯罪ではなかったことを認めているのです。

それが、その後の女権伸長に伴って、90年代以降の現代に行われてたら犯罪じゃないの?という法意識になってきたという、むしろ実態に合致した認識を示しているのです。

しかし、この実態に合致した認識を前提とすると、法の不遡及の原則(行為時法適用の原則)により、日本の国家責任は否定されてしまうので、補償請求の場面では負け筋になるのです。

そこで、吉見氏らは補償請求を肯定するために、(無理を承知で?)行為時においても違法であったことを何とか説明しようとして、国際法の少数説を引っ張ってパッチワークを始めたため、法律家から笑われてしまうのです。』

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070324

3/24[コメント]

神道(forビギナーズ)

 石牟礼道子は与那国島へ行った時のことをこう言っている、「山と名がついているから山かと思って行くと、地上から十五センチばかり高くて木が生えていると、そこはもうほんとうに聖なる山で、そういうところに湧いている泉とか、海岸などの直径1メートルもないくらいな湧き水で、イザイホーの祭事の禊ぎをなさる、そういうのを見てますと、ほんとうに神が宿っている雰囲気がいたしますね。」*1

これは島尾ミホと石牟礼の対談で、ミホは子供の頃からカトリック道子は最近得度して浄土真宗になった(と始めて知った)が、ここで言っている神は<日本>古来のものだろう。

 「土曜日の午後や日曜日には、わたしは島のあちらこちらにあるイシバ(石場)へ出かけた。イシバというのは(略)苔むした玉石で囲まれた空間に、尖った石が立っている一種の磐座である。そうした石の神々をイシバサマと呼ぶが、イシバサマのなかには、イシバを持たない神もいて、草ボウボウの、ちょっと見ただけではまったく何でもない場所に、ポツンと御幣が立つという神もある。」とこれは、菅田正昭氏の本の後書きp172から。*2「日本は島国だから島のことを勉強すれば日本が分かる」と考えた若き著者は、東京の南360キロほどの孤島青ヶ島が村役場職員募集のお知らせを見て勇んで応募し島へ渡った、そしてそこでイシバサマに出会ったわけである。

 ついでに思い出したことを書いておくと、去年ウスリー川のずっと上流映画『デルス・ウザーラ』に出てくる川だというところで地元の猟師(ウデゲ族)と川を遡っていると彼らは途中で止まった。巨岩がありそこにウヲッカをこぼして祀る。なんだ神道と同なじやなと、わたし(野原)は思ったのでした。

 上記の三つには共通点もあるが相違点もあるのだろう。でもウデゲ族はかなり遠いから外すとして、上の二つのような神こそが、日本の固有信仰の原点なんだと、菅野氏の本を読むとそのようにも理解してもいいのだと思える。

 要は「神道」と言ったとき、<神>と<道>からなる。道を言説と考えると、神は目に見えないが言説はそうではないので言説の方にどうしても眼を奪われがちだ。神道の言説的起源は神仏習合からになる。圧倒的言説力を持つ仏教を元とし、その応用として神道を記述していく。後、江戸時代には林羅山、山崎闇斎らの儒家神道の流れも大きな力を持つことになる。すなわち神道を理解するためにはこのようなインテリによる言説の流れを学んでいくことが普通の発想だが、それではかなり外れてしまう。と菅野氏は言いたいようだ。

(ところで、かって中国には「鬼道->神道->信道->聖道」というレベルの区分があり、卑弥呼時代の日本は鬼道レベルだった。仏教伝来時の日本の固有宗教はまあ神道レベルか、といった中国人の感覚で、そもそも神道とは、名付けられたものではないか。とこの本にはある。p75)

*1:p37 isbn:4902116006

*2:現代書館ビギナーズシリーズの『神道』isbn:4768400957

原則(松下昇の)

今後の討論~実践活動において踏まえておくぺき原則として…

自分が自明であると考えている発想を、いったん全て疑いなおしてみる。全社会・全文明の現状を最も抑圧された位置から、最大限に自由な視点で把握しなおしてみる。各人にとってこの作業がどのような差異と共通性をもっているかの確認と、活動への応用。(p3『概念集・10』~1994.3~より)

 デリダの<メシアニズムなきメシア性>あるいは<憑在論>に興味を覚え探求したいと思うと同時に、それは必ずしもわたしがしなければならないことではないと思った。わたしにとってデリダのそれらの概念は、なにより“松下昇の < >”を説明するために有力な助けを与えてくれるものと受け取られた。したがって、そのことを表現するためには、どこでも手に入るでデリダではなく、入手不可能な松下昇をまず説明しなければならない。だいたいからしてわたしがHPを立ち上げたのは、<松下昇への接近>が目的でした。松下昇氏はすでに亡くなっており、かなりの量のパンフレット類を残しています。したがってそれらの一部を電子テキスト化し、HPで紹介することは比較的容易に出来ることです。にもかかわらずその作業は遅々として進んでいません。もちろん原因は私の怠慢にあります。ですがそれだけではない。「松下昇は亡くなった」とは本当なのか。仮に(デリダ風に)松下が亡霊だったとしたら、「亡霊性とは、ここで、最もラディカルな政治化の形態であり、ノイローゼや強迫神経症のような反復の中に閉じこめられているどころか、エネルギッシュなまでに未来志向で能動的なものなのだ。」*1

私にとってもあなたにとっても、松下昇は固定された過去のテキストとしてコピー可能なものではなく、1行コピーすることが、世界大の不安を背負った飛翔であるような現在形~未来形の行為であるのだ。

*1:p29『マルクスと息子たち』より、ジェイムソンの言葉だがデリダもそのとおりといってる。