健常者の喜び

 去年8月に踵に小さな魚の目ができた。魚の目って今まで体験してなかったので我慢していたら、大きくなりいつまで経っても痛む。体重が掛かるから歩くときけっこう痛む。市販の薬を貼ってみたりしたが直らない。仕方ないので医者に行った。3回行ったがまだそれは完全には取れずまた復活してきた。市販の貼り薬と自分でその部分をこそぎ取ることにより、最近やっと魚の目から解放されたようだ。嬉しい。

 わたしたちは自分の身体が支障無く動いている時、それを当たり前に思う。障害や欠損は、それがないのだから、考えようがない。直ったすぐ後は覚えているがすぐ忘れてしまう。次ぎにどこが悪く成るのかは決定不可能だ。(若く運が良ければ何十年も出会わないこともある。)わたしたちにとって何が一番大事か、わたしたちは意識することができない。

東アジアの未来

mkimbaraさんに教えて貰った古田博司氏の本が図書館にあったので借りてみた。『東アジアの思想風景』isbn4-00-001917-1。面白かった。

「とにかくバラバラであり、バラバラであるにもかかわらず運命共同体とみなされる東アジアに我々は今住んでいる。そして、その宿命から逃れることは決してできないのである。安易に「儒教文化圏」を謳い、各々独りよがりの「中華」に耽溺していた時代は明らかに終わった。

 これからは、各々が謙虚に他者について考える時代である。近代化という山を登りつづけてきた我々は、実はそれが無理な西洋化であり、「苦難の行軍」であったという事実に思いをいたすべきなのではないか。これからは一途に進むだけではなく、退く視点も重要であろう。」

 小さな本とはいえ一冊、すでに消え去った東アジアの情緒をさまざまに経巡った後、これを読むと感慨がある。中国/朝鮮(韓国)/日本を併せて語る語り口をわれわれはまだ持っていない。(儒教文化圏言説というものは安易なものだ、という古田氏の判断を受け入れておく。)日本人は中国のことも朝鮮のことも何も知らない。まず知ることから始めるべきだという古田氏に同意する。現在、相互排外主義が増加している、これに敵対し抑圧していかなければならない。

北朝鮮食糧難

 イラクについても北朝鮮についてもそこに暮らす庶民のことを知らず彼らに対して一切愛情を持たないから知ろうともしないままに、“国益”とやらを基準にいっぱし意見を言う人が増えている。もちろんわたしたちが日本人(や西欧人)を媒介にしないと、そもそもそこについて知る(なんらかのイメージを持つ)ことができないのは事実だ。だがそれはきっかけにすぎない。3人の日本人は解放されたが、ファルージャで死んだ数百人の女性や子供は帰らない。北朝鮮住民も困窮しているらしい。下記より一部抜粋しました。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/09/20040409000036.html

「北朝鮮住民、配給制廃止で深刻な食糧難」

 北朝鮮の一般住民が最近、国定価格(コメ1キロ当たり40~46ウォン)で食糧を購入できる「配給制」の廃止により、深刻な食糧難に陥っていることが分かった。

 北朝鮮は2002年7月1日の「賃金および物価の現実化措置」以降、一般労働者に必要量の50%だけを食糧配給所を通じ国定価格で供給、残りは一般市場で購入するようにしていたが、今年3月からは必要量全量を市場で買わなければならなくなった。

 最近韓国入りした脱北者によると、平安(ピョンアン)北道・新義州(シンウィジュ)や咸鏡北道・清津、茂山(ムサン)などの市場ではコメ1キロ当たり350ウォンから最高500ウォン(一般労働者の平均月給は2500ウォン)にまで跳ね上がり、住民たちが苦しんでいるという。

ファルージャはあらたなホロコーストか

http://homepage1.nifty.com/thinkbook/

ニューヨーク・タイムズは、4月30日、イラク占領米軍の空軍将校が前日29 日に証言した内容を次のように報道した。

「過去48時間に、F-15E 、 F-16 戦闘機、艦載機の F-14 、 F-18 戦闘爆撃機が36個の500ポンド爆弾をファルージャに投下した。日中はAH-1W スーパーコブラ・ヘリコプターが上空をホバーリングし、ヘルファイアー・ミサイルを撃ち込んだ。夜間は、AC-130武装ヘリコプターがイラク人武装兵を輸送中のトラックと車を攻撃した。――空軍は、民間人に被害が出ていることを承知している。」 人口10万の都市を包囲し、住民が避難することを困難にしたうえで、大量の爆 弾を集中的に投下したというのである。

学童保育の映画

今日は、「ランドセルゆれて」 http://ransel.com/ という映画を見た。つき合いといえば、つき合いで見たのだが、思ったより良かったので書いておきたい。学童保育とは、働く親を持つ子どもたちの豊かな放課後を守り続けるためのシステムです。そうした子供たちを集めある時間だけ居住する空間を確保し保護者の代わりとしての指導員が見守り一緒に遊ぶ、といったことをしています。

http://ransel.com/arasuji.htm(あらすじ)より、

 今、さつき学童のみんなが夢中になっているのは三年のダイキとユウマの二人が校庭のはずれの池で見つけてきたトンボのヤゴ (名づけてダイマ) です。ダイマがトンボになる日が待ち遠しく、みんなは心待ちにしています。

トンボのヤゴの映像がたびたび挿入されるのだが、この映像が良い効果をあげていた。ヤゴは泥や有機物のもやもやしたものを身にまとってしまい、そこにいるのだがいっこうにはっきりしないのだ。そのはっきりしなさを映像的に定着しておりなかなかのものだと思った。子供たちのなかにあるいじめや登校拒否や反抗といった問題、親たちの失業や失踪、暴力といった問題、指導員自身親でありながら、仕事にエネルギーを吸い取られわが子に当たってしまうという問題、そういった諸矛盾の象徴としてヤゴの不鮮明さがあるわけだ。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040518 でラファでの寺畑さんのボランティア活動を「学童保育」と書いてみた。日本では学童保育は多くは小学校3、4年までこの映画のように長くて6年までなので、中学生を相手にする寺畑さんのプロジェクトをそう呼ぶのはちょっと違うのだが。でも今日の映画の小さなクライマックスシーン。我が儘な子がいて、いつもブドウのゼリーしか食べない。その子が皆の説得とかによりついにミカンゼリーを食べる。第三者から見ると馬鹿かと思われるだろうが、彼がそうする一瞬を指導員たち、学友たちは息をつめて、見守っているのだ。反抗的なパレスチナ人の少年がその頑なさに隙を見せたときの喜び、を寺畑さんは話してくれたのだが、あれと同じだなと思った。

 パレスチナのことに関われるのに国内問題には関わりがない、といった場合もあっても良いと思う。(そういうことがあるのだ。)ただ自分の子供のことを考えることが同時により大きな問題にもつながるというのは喜ばしいことだろう。

強制移住の補償

(1)今朝(8/21)の朝日新聞では、「ドイツ・ポーランドの強制移住者問題」が取り上げられている。第二次大戦の戦後処理でポーランド国境は大きく西に移動した。ドイツ人約1500万人がドイツやオーストリアに強制移住させられた。ドイツでは戦後、強制移住者に保証や年金として計約10兆円が支払われた。

(2)これに対し、規模はずっと小さいが八重山には「戦争マラリア補償問題」というのがある。

戦争マラリア問題とは、①「沖縄戦末期(一九四五年)、石垣島や西表島のマラリア有病地である山中に、軍によって「疎開」させられた非戦闘員である住民がマラリアに罹患(りかん)し、三千六百名以上の犠牲者を出した悲劇を「戦争マラリア」と呼ぶ。八十年代後半、当特の琉球大学教授・篠原武夫氏が「マラリア有病地への疎開は軍命による強制疎開だったとして、国に国家賠仁を要求する論陣を地元新聞などに発表した。一九八九(平成元)年五月、犠牲者の遺族、関係者らが国家補償を求めて「沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会」を結成した。このことにより、「戦争マラリア」は社会的関心事となり、新たな証言や報告が数多く寄せられるようになった。

②八重山(主に石垣島・西表島)における住民のマラリア有病地への避難は、敗戦間際の四五(昭和二十)年二月から六月にかけてであり、敗戦によって軍の解体、避難地から戻ることができたのが九月である。その間、三~六カ月の短期間で罹息者数が一万六八八四人、死亡者が三六四七人(死亡率二一・六%)の犠牲者を出した。*1

という事件のことである。当時の八重山の人口3万6千人のうち丁度1割が失われた。

沖縄強制疎開マラリア犠牲者遺族補償援護会が結成され(提訴はされなかった)7年後の1995年12月、一応政治決着した。(1)国は個人補償はしない(2)遺族の慰しゃ事業は県が措置する(慰霊碑祈念館建設に2億円、他1億円)という内容だった。

日本国は国の責任を認めなかった。「軍命による強制退去」の事実は公文書的証拠は残っていないものの、すでに各証言で明らかになっている。また「軍命」が発せられた状況証拠は存在するのである。*2

(3)後に大きな話題となる従軍慰安婦が最初に声を挙げたのが、1995年ではなかったか。その結果、<<告発する朝鮮人(あるいは中国人)被害者対日本国家>>という構図がより強く(大衆的に)浸透することとなった。(2)が明らかにすることは、被害者=非日本人というカテゴライズは正しくないことだ。(1)の例においては、ドイツ国家はドイツ人(ドイツ系住民)に補償した。また、国境を越えた補償請求を求める動きも、進んでいる。

 戦争は国家が行うものであり、人民は被害を受けるだけだ。被害は民事的感覚で補償してもらうべきだ。もちろん相手は巨額すぎる云々といって値切ってくるだろうし、平時の常識による額は取れないだろう。問題は責任を取らせると言うことである。この問題に(変な)ナショナリズムを絡ませることは、国家の免責につながるだけだ。

*1:p285『八重山歴史読本』

*2:p183同書

NANA論

下記の二人の方の興味深い『NANA』論を読ませていただきました。感謝。

http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20031114#p1

9巻対象。「ナナは自立を目指しているのだが、実はさほどレンへの想いは強くない。」などの指摘がある。

http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20040129#p1

「そもそも少女マンガの発展は、大島弓子に代表されるように、社会的・文化的な男女の非対称性のなかで、いかにして自らの「主体の首尾一貫性」を諦めるかという過程を描き続けてきたものだといえる。」という、大島弓子ファンである私には興味深い指摘がある。

http://d.hatena.ne.jp/lepantoh/20031214

「NANA」嫌い派。ナナはパンクじゃなくファッションとしてのパンクでしかないと論じる。24年組の異端性をストレートに継承しようとしている志に惹かれる。24年組のラディカリズムは当然ぴったり同世代の全共闘のそれに通じるものであり、わたしもそれを継承しているのだといつかは書きたいものだ。

首相官邸ホームページ

で彼宛にメールを出しました、いま。

http://www.kantei.go.jp/

前回、わたしたちはコリン・コバヤシ氏を信じてじっと待っていた。幸い、それでよかった。今回は殺される可能性が極めて高い。自衛隊イラク派遣の現在に正義があると信じる人以外、全員首相にメールを出そう!

追記:例えば、たまたま見た日記の「博士」さんに聞きたい。 http://d.hatena.ne.jp/ktanku/20041027

あなたは、自衛隊イラク派遣の現在に正義があると思うのですか? それを明らかにせずにこういう文章が成立してしまうのはおかしくないか?

自然権/公共の福祉

「公共の福祉に反しないかぎり自己の幸福を追求していいのだから」と書きましたが、「公共の福祉」とは魔法の言葉でいくらでも悪用が可能なんだ、ということは広く知られている。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20040430#p1

自分自身(あるいは組織)の安全を確保し、幸福追求のための自然権を保持するということは、自然人の根本的な権利であって、国家というものは、この自然権を保障する目的のために成立する機構(手段)であるというのが近代の建前です。

ということを再度確認しておきたい。

そして自然権のうちでも、わたしたち個々の人間の身体や精神、希望などを破壊することが最も強く否定されなければならないだろう。身近な感覚ですぐに理解できない巨大企業や国家の利益は、例え権利があろうと、<柔らかいもの=ひとりの人>の権利に劣後すると理解していいのだと思う。

ファルージャ情勢の謎

ファルージャについては、「レジスタンスが旧市街を取り戻す」という話もあったがよく分からないと、id:noharra:20041130#p3 に書きました。

 ファルージャでは、地域の部族社会がレジスタンスを闘っているだけ、と当然わたしは思っていたのですが、id:amtさんは、それにしたら強すぎる、と見ておられます。ふーむ・・・??

http://d.hatena.ne.jp/amt/20041207#Fallujah はてなダイアリー – おもてなしの空間

イスラムメモは、外部からのアフガニスタン型の支援を認めつつも、地域の部族社会が祖国防衛戦争型で戦っているようなことをいっているが、これも信用できない。ファルージャで連中は、湾岸戦争で一台しか戦闘による損失がなかったエイブラムズを沢山やっつけている。米軍が戦っているのは、少なくとも湾岸戦争でクウェートに侵攻したイラク共和国軍よりも大部ハイレベルな連中がまじっているに違いない。こんなことが可能なのは、僕には、フセインが米軍侵攻に備えて準備した地下組織以外には考えられない。