松下昇

松下昇の“優先所有権”を求めることほど松下の精神からほど遠いものはない。*1

あらゆる「所有権」を超然と度外視するのではないにせよ、それについて考えてみるためには、同志よ、もう一歩が必要だ。*2

「例えば、白い紙(ないしパソコンなど)を前にして何かを表現しようと身構える態度は1969年以降は無効である」(『概念集・8』あとがき からすこし変えて引用)

労働中、潜水中、墜落中、睡眠中など筆記用具(ないし表現手段のすべて)が無効な状態での表現行為を考えよ。あるいは日本語を知らない人が日本語での表現を強いられる場合を考えろ。それとの位相差が表現の内容や方法に及ぼす作用と反作用を繰り込めないかぎり、表現は無効である。というようなことを松下は考えていた。

*1:p193 『マルクスと息子たち』からマルクスを松下昇に代えて引用

*2:デリダ 同書p53

私は忘れない(金時鐘メモ2)

私は忘れない。

世界が忘れても

この私からは忘れさせない。

この3行は金時鐘の詩集『広州詩片』の序詩である*1

「忘れない」と強く断言されている対象は何か?

たしかにありはしました。燃えた熱気にゆらめいた日が。

生きるよすがを明日に見た

今日という今日もありはしました。*2

「確かに」と作者は断言しようとするのだが、言葉にしようとすると陽炎のように揺らめいてしまう。

地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。

思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

「あふれる朝の光」は普通最も肯定的なものを暗示するのに使われるが、この詩の場合は逆だ。作者が忘れないとする<真実>はむしろ<闇>という言葉で語られる。

さかしい自足にからまれて去った

今日でない今日の昨日を見据えなさい。

それがあなたのかかえる闇です。

見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。

<今日の今日>という現在を超えていく微分的運動としての現在が、いまふりかえるならば昨日という日付に在った。だがそれは日日の自足のなかでやり過ごされ蜃気楼のように摩滅していく。そうしたとき<今日の今日>に燃えた<真実>はもはや「闇」となる。だから詩人は逆説的にも「闇を見据えよ」と命令せざるをえないのだ。<真実>を否定する世界が圧倒的な「朝の光」として世界を漂白しにやってくる、その一瞬前に、あなた闇を見据えなさい。と詩人は命令する。

詩集「光州詩片」の最後の詩「日日よ、相うすきそこひの闇よ」*3の冒頭の二連をあらためて引用しておく。*4

正直に言うと長編詩「新潟」などわたしにはほとんどよく分からない。下記の詩行も意味の反転にみちみちているのだが、わたしはここではじめて金時鐘の<何か>にであったのだ。(デリダ風の二項対立の脱構築であり分かりやすい!?)

明日というもののなかに、<今日の今日>あるいは本物の希望というものを期待することなど野暮にすぎない、とする感覚が普遍化した現在、理解しやすい詩行だ(と言ってみよう)。

     日日よ、愛うすきそこひの闇よ

まだ夢を見ようというのですか?

明日はきりもなく今日を重ねて明日なのに

明日がまだ今日でない光にあふれるとでもいうのですか?

今日を過ごしたようには新しい年に立ち入らないでください。

ただ長(た)けて老成する日日をそうもやすやすとは受け入れないでください。

やってくるあしたが明日だとはかぎらないのです。

日日をさらして透けてしまったすっかり忘れられる愛でもあるのです。

行った年にこそ目醒めなさい。

さかしい自足にからまれて去った今日でない今日の昨日を見据えなさい。

それがあなたのかかえる闇です。

見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。

そうです。年は行ってしまうものです。

待たなくともいい年を待って とっていく年がだからあるのです。

だからこそ年月が 経なくともいい年月のなかで 節くれるのであり

黄ばんでうすれてもささくれ一つ

過去が残す歳月はないのです。

だからおよしなさい。

待つことだけの明日であるなら 今のうちにお仕舞いなさい。

明日がそのまま今日であっては

やってくる明日が途方に暮れます。

それでも明日がすべてですか?

待つまでもない明日を待って

今日の今日を失くすのですか?

太陽がかげります。

地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。

思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

*1:p41『集成詩集・原野の詩』

*2:p108同書

*3:p106~p112同書

*4:「そこひ」という言葉を小学館国語大辞典で引いてみた。内障とも書いて眼球内の疾病のこととあった。もう一つ、底方(そこい・そこひ)という古語もある。「至りきわまるところ。極めて深い底。奥底。はて。」とある。考えるに、この二義性を含んでいるのだろう。

ファルージャの目撃者より:どうか、読んで下さい

http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404d.html

http://www.onweb.to/palestine/siryo/jo-fallujah.html

ジョー・ワイルディングさんという(たぶん)英国人が書いた4月11日ごろのファルージャの様子です。「停戦下」です。ごく一部を下に貼ります。上記のurl(どちらでも内容は同じ)で全文を読んでください。

   ○○ 

アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のところで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。(略)

心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。一体、何のために?

   ○○ 

私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。(略)

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができるのか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもない。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あり、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。

(結論)

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

※ジョー・ウィルディングさんは、イラクの子どもたちにサーカスを見せようという活動をしている外国人のグループ(アーティストと活動家の集まり)である、「Circus2Iraq」というグループのメンバーです。

反歌

反日や昭和は遠くなりにけり         (野原)

あかねさす日は照らせれど ぬばたまの夜渡る月の隠(かく)らく惜しも(柿本人麻呂)

消費文明は煌々と光り輝いているが、一番大事なものは隠れてしまって真っ暗闇だ、という意味だろうか。

自信

わたしは、自分に自信を持たなければならない。

できるだけ簡明な文章を、ストレートな文を書くべきだ。

天ではなく神

高島元洋『山崎闇斎 日本朱子学と垂加神道』isbn:4831505439 は七百頁近い大著だ。図書館から借りてざっと斜めに読んだ。

要点をまとめることもできないが、少しだけノートしておこう。

え、この本は、第一部闇斎学と朱子学  第二部修養論  第三部垂加神道 となっている。第一部では、朱子学の基本概念である「天人合一」「太極」「心」「体用論」が闇斎学では同じ言葉を使っていても違う意味になってしまっていると論じられる。第二部も同じく「居敬」「窮理」を中心にする朱子学に対し、闇斎学では「窮理」が無視されると指摘する。朱子学の根本概念に神道的な発想が入ってきていると言う。

朱子学において、「敬」とは「絶対主体」たる「心」の「主宰」する機能を充然に発揮せしめるための修養概念である。*1

 朱子学の場合、「敬内義外」の意昧が、「居敬」「窮理」の概念の枠内で理解されていることはすでに見た。すなわち分殊の理を対象とする「省察」も理一の理を対象とする「存養」も、いずれもつねに「理」に対応してある。「敬内義外」は、要するに「太極」(理)を具体化する「絶対主体」(心)の確立に向けられている。これに対して闇斎学の「敬内義外」は、「敬」にあって「神」(理)を自覚し、「義」においてこの

働きが具体的に現われるということであり、つまり「神」(理)の働きの具体化する過程を示している。ここで「理」とは「神」である。「神」の働きは人の意識の機能を吸収同化すべき方向をもつ。この限りで意識が「理」(神)を対象として捉えるという「窮理」の観念は成立しにくい。つまり、朱子学の「心」(絶対主体)の機能は「理」を対象化するが、聞斎学の「心」(神明之舎)の機能は「理」(神)と同化する。かくて朱子学の「敬内義外」は「窮理」の観念と必然的に結びつくが、闇斎学の「敬内義外」には「窮理」の考え方は入ってこない。(略)

  (闇斎の)「窮理」という言葉で考えられていることは、ここでは聖人の教えを知り、これに随順するということである。言いかえると「神」(理)の働きのさまざまな具体を知って、これに同化することである。つまり「窮理」といっても、「心」の「主宰」する機能を独立して捉えるのではなく、この機能を最終的には「神」(理)の働きに委譲することが思われている。(略)

  要するに、朱子学の「理」が観念であり、闇斎学のそれが実体としての神であるがために、前者の「心」は「理」を対象としてその「主宰」する機能を発揮するが、後者の「心」はその「理」(神)の働きに、自身の機能を同化せしめる方向にあるということであった。意識のそもそものありようが異なっていた。朱子学は意識を「聖人」にまで高めることを考え、闇斎学は意識が「神」の働きとして顕われることを思った。すなわちこれは「神人一体」の問題である(略)*2

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 以上、メモ。

*1:同書p449

*2:同書p451-452

これ何の言(げん)ぞ与(や)、これ何の言ぞ与、

 『孝経』というのは儒教の教典(十三経の一つ)ですが、四書五経には入っていないので知らない人が多いでしょう。*1漢の時代の初めには既にあったのは確かという古典です。

敢へて問ふ。父の令*2に從ふのみは、孝と謂ふべけんや、と。子曰く、是れ何の言ぞや。是れ何の言ぞや。言の通ぜざるか。昔者天子爭臣七人有れば。亡(む)道(どう)と雖ども天下を失はず。諸侯爭臣五人有れば。亡道と雖ども其の國を失はず。大夫爭臣三人有れば。亡道と雖も其の家を失はず。士爭友有れば。則ち身令名を離れず。父に爭子あれば。則ち身不誼に陷らず。故に不誼に當っては。則ち子以て父と爭はざるべからず。臣以て君に爭はざるべからず。故に不誼に當っては。則ち之を爭う。父の命に從ふ又安んぞ孝と爲すを得んや。

http://www.keitenaijin.com/keikyo.htm(孝980901)から引用させていただきました。(一部変更しています。)

http://kanbun.info/keibu/kokyo.html *3

 孝経というのは、孔子が弟子の曾子と問答する形で<孝>について論じています。<孝>は親孝行の孝には違いないのですがかなり意味が広くなっています。ここでは曾子が質問しています。子供が父の命に從うべきか?当然だ、と肯定するかと思いきや孔子は、「これ何の言ぞ与(や)、これ何の言ぞ与(や)、言(げん)の通ぜず。」と、絶句するほど不本意な様子。

 中江藤樹の註釈にしたがって読んでみると、「父の命に従うとは、もっぱら父の命に従順して、不義といえども敢えて諫止しないことをいう。」「可謂孝乎」の「乎」とは疑いの辞である。つまり曾子はすでに父を不義に陥れるの不孝を知っている(のである)。だけども、諫争すると愛敬の和をやぶることがある。確かに、従順は孝子の本来であるとは言えるとしても、この場合は本当の孝には成っていないのではないか。*4藤樹先生、かなり曾子にはきびしい、深読みをされます。

 次孔子の発言。「「何言与」とは、なお、なんの心をもってかくのごときの言(コト)をなすやと云うがごとし。けだし「言」というのは心の声なり。*5」孔子は曾子の心を知っているつもりだった。だから、まさかこんなふうな発言はしないはずだと思っていた。だのにそういう発言があった。「ゆえに、何の心をもってしこうしてこの言をなすやと謂う。そしてこれを戒める。「何言与、何言与。」と重ね言うものは、もって深くこれを警戒する(いましめる)ところなり。」

 次は実例。社長の回りがイエスマンばかりだとその会社は潰れる。つまり君を諫める者がなければならない、ということを、天子、諸侯、大夫、士、父とその規模にしたがって五回繰り返して強調しております。

 結論。「父の令に従うのみなるは、また焉(いずくん)ぞ孝となすを得んや。」形式的な従順は、(大義に反する場合)不孝となるわけです。

 ところで一方、儒教には以上に書いたことに反するフレーズもあります。「君君たらずとも臣は臣たらざるべからず。父父たらずとも子は子たらざるべからず。」(6世紀ごろ作られた偽書らしいですが、孔安国の「孝経」序にある言葉です。日本では敗戦まで大いにもてはやされた。君主が絶対であるのは天の秩序の象徴であるからであり(天という言葉を使わないとしても)、生身の天皇自体には誤りもあるのが当然です。国家の命令を一切疑うことなくそれに「従う」ことだけを価値とした文化が敗北したのは当然のことだったわけです。そして戦後、絶対的権威の場に天皇に代わり「民主主義(アメリカ)」が居座ることとなり、その構造は解体されずに継続し続けている。ということなのでしょうか。最近、日の丸、君が代、愛国心といったものへの服従を強調する動きがあるようです。二千年以上前に「孔子」が絶句して嫌がった思想と共通点があるとわたしは思います。*6

追記:父がその社会で犯罪者として指弾される存在であっても、社会的能力のない飲んだくれであっても、子は父を見放さず孝を尽くさなければいけない、これは儒教の原則であり、その意味では「父父たらずとも子は子たらざるべからず。」というのは全く正しいわけです。問題は既成の権力関係における上位の者が、居直りの論理としてこれを持ち出すときですね。それは儒教の原則に全く反しているわけです。

*1:四書の一であり短いから読みやすい、大学・中庸とかでも、わたしは最近馴染みになったが知らない人が多いだろう。

*2:孝経には、古文と今文二種類のテキストがあって、ここは古文では「命」だが今文では「令」。

*3:孝經(Web漢文大系)、テキストクリティックも詳細に行っている。

*4:以上不正確な引用。p243『中江藤樹』岩波日本思想体系

*5:言の内容。シニフィエ。

*6:孝経、および中江藤樹、テキストも漢文、現代文の区別もめちゃくちゃに引用、大意表現しています、すみません。

わたしたちとイラク戦争問題との関わり

(6-2)

わたしたちとイラク戦争問題との関わりといえば、もちろん自衛隊派兵である。自衛隊駐留期限は目前に迫っており、駐留延期は決まっていない。派兵は「イラク復興のため」に行われた。ところがアメリカと日本のもくろみに反し、1年間でイラク国内は無茶苦茶になった。

第一条 この法律は、イラク特別事態(国際連合安全保障理事会決議第六百七十八号、第六百八十七号及び第千四百四十一号並びにこれらに関連する同理事会決議に基づき国際連合加盟国によりイラクに対して行われた武力行使並びにこれに引き続く事態をいう。以下同じ。)を受けて、国家の速やかな再建を図るためにイラクにおいて行われている国民生活の安定と向上、民主的な手段による統治組織の設立等に向けたイラクの国民による自主的な努力を支援し、及び促進しようとする国際社会の取組に関し、我が国がこれに主体的かつ積極的に寄与するため、国際連合安全保障理事会決議第千四百八十三号を踏まえ、人道復興支援活動及び安全確保支援活動を行うこととし、もってイラクの国家の再建を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的とする。

http://www.kantei.go.jp/jp/houan/2003/iraq/030613iraq.html

イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法

<イラク国民の生活の安定と向上、民主的な手段による統治組織の設立等>という二つの目的のために、自衛隊はそこにいる。そのために自衛隊はどうしたらいいのか。id:noharra:20041031#p1 で引いたイラク人ライードさんの判断によれば、答えは簡単だ。撤退がベストだという。

事態の解決は,ブッシュ政権(あるいはケリー政権)とイラク人に任せてください。これは彼らの為すべきことなのです。ブッシュ政権に,イラクに対する彼らの戦争を正当化するための「国際的」という隠れ蓑を与えないでください。イラクにあなたがたの国の武装集団(your military groups)がいることは,ただ単に,政治的なものなのです。米国政権の誤った対外政策を支持するためだけなのです。人種差別的な「アメリカ帝国のための戦争」を支持することは,あなたがた平和的な国民のしたいことではないでしょう。

小泉は少なくとも自衛隊員が何人か死ぬまで自衛隊を撤退させる気はない。だが(おそらく近い将来に大きな確率で予測できる)彼らは一体何の為に死ぬのか?イラク人に感謝されないのであれば。

わたしたちは民主主義国家に住んでいる。わたしたちが民主主義国家を形成しているのだ。*1イラクに現在自衛隊員が滞在しているのは「わたしたちの意志」である。国民の一人ひとりは、自衛隊員が命の危険を掛けてそこにいる以上、自分の意志を今再確認し公表すべきであると思う。

つまり、「自衛隊のイラク駐留」と<わたし>の間には二重の関係があります。民主主義の国家意志を形成した(する)国民としての関係と、「無意味かも知れない」死に(わたしたちの依頼により)追いやる(可能性)という情緒的関係。二重の関係において今、自分の意志を確認し表示することは<わたし>(あなた)の権利であり、義務である。

 これはすでに、http://d.hatena.ne.jp/noharra/20041030#p1 である方にお聞きした設問に近い。そのときの答えは「平和主義は非現実的且つ国際的孤立の道に他ならない」だったが、答えは、わたしの問題設定にとっては第一義的にはどうでも良いのである。国民の51%が「そうしろ」という断固たる意志を持っているのなら自衛隊員の死は(国内的論理では)やむを得なかろう。

 (わたしは悼まない。*2高額の年金などを払う事にも反対だ。)

*1:この「わたしたち」には「在日」も入るのか?在日も国家形成に参加している。だが国家意思形成には参加していない。・・・

*2:非国民と呼ばれて叩かれまわってもよい。そのためのハンドルネームですから。

パレスチナとデリダ

パレスチナ連帯運動の目立つ場所でデリダが発言するということは余りなかったんですね。*1「パレスチナ研究誌」にも書いていません。ではどこで、イスラエル・パレスチナ問題を激しい言葉で語ったかというと、常にユダヤ人の前でした。その多くがイスラエルに対してシンパシーを持っているだろうユダヤ人の前で。だからこそイスラエルにも行く。

(鵜飼・長原対談の鵜飼哲の発言より 『現代思想 2004・12 特集デリダ』p107より)

 朝鮮総連の幹部の前で自己の主張を曲げなかった金時鐘にも通じるところがありますね。

*1:同じ雑誌のp248には、2004.5.8に反グロ系集会に登場した、駐仏パレスティナ自治政府代表ライラ・シャリドの直前に、デリダの姿が書かれている。重光哲明氏の文章