22日20時

事件発生後、4日以上経ってようやく「Warning!!」の怖い壁紙を消すことができました。もちろん主に友人の力によってですが。

さて、Firefoxにでも乗り替えるかな。

(ところで、怖い壁紙に脅かされながら、デリダとか致死性とかゴタクを並べるってちょっと変ですね。今回ウイルスにやられたのはうちの奥さんので、私のは大丈夫だったのです。だからデリダとかの文章はその壁紙とは離れた場所で書いたのです。)

教育勅語

教育ニ関スル勅語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

   御名御璽

昭和23(1948)年 国会で排除・失効確認を決議

最悪の「天皇制支持者」たち

http://blog.livedoor.jp/yuichi_fkd/archives/50126247.html

なにものかのひとりごと:紀宮結婚を騒ぎ立てる日本列島の薄気味悪い空気を感じて

最悪なのはもちろん、上記記事の筆者フクダユウイチ氏ではなく、下記のようなコメントを付ける奴ら。

なさけない。

フクダユウイチくん

ついに超えてはいけない一線を越えてしまったね。

Posted by あ~あ at 2005年11月16日 18:56

日本の禁忌に触れないほうがよろしいかと。

Posted by 天皇家は日本の禁忌の一つです。 at 2005年11月16日 19:04

あーあやっちゃったね・・。

荷物まとめてどこかに逃げた方がいいよ。

しかし本当に頭悪いんだね。

Posted by ここの閉鎖も時間の問題 at 2005年11月16日 19:11

ところで、裕仁氏は「皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をおとり被遊、御退位被遊が至当なり」であったのに退位しなかった。もはや憲法1条を廃棄するしかわたしたちの倫理の根源を救うことはできないのではないか、と思わないでもない。参考 http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051109

(11/22追加)

4/9 日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、

ebizoh ebizoh 『サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、日本人として哀悼の意を表します。

しかし、彼女に国民基金(亜細亜女性基金のこと?)の受け取り拒否を唆した者は、おそらく自己の政治的主張の道具としてしか彼女を見ていなかったのでしょう。日本がフィリピンと請求権処理の条約を結んだ当時は、今後戦争に関わる被害が新たに明らかになっても、フィリピン政府が日本から得た賠償金を原資として対処するという合意内容を含んでいたのですから、国際法の少数説のロジックに依拠して日本政府の国家賠償を求めるべきという無理筋の要求が通るかのような甘言を弄して、フィリピン人にとっては大金のはずの基金の受け取りを拒否させるとは、そう唆した者は無慈悲で非道な政治的動物ですね。』 (2007/04/09 06:35)

noharra noharra 『ebizohさん 数週間に渡る応答の遅れすみません。

>>>サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら、日本人として哀悼の意を表します。

この文章は実際にその人の遺族の前で発言することができないおかしな文章ですね。

あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持っています。にもかかわらずあなたは「哀悼の意」を表明した。これはサリノグさんとの1対1の関係に立ったということです。

その上であなたは「サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら」、と書き、サリノグ証言には疑問の余地があると(死んだ)彼女の前で述べています。

「サリノグ証言に疑問の余地がある」とあなたが判断する根拠は何ですか?

あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持ってたのにかかわらず、なぜ死んでまで彼女の名誉毀損を行為するのですか?』 (2007/04/09 07:33)

ebizoh ebizoh 『>野原さん

>数週間に渡る応答の遅れすみません。

いいえ。気にしておりません。

野原さんも他事や病気があったようですし、私もノーモア氏や永井和教授ご本人?との議論以外に余暇に使える時間はほとんど残っていませんでした。

また、今日の10時から始業ですので、私の方も、今後の応答はかなり後になってからになるかもしれません。

ただ、野原さんやノーモアさんと喧嘩したおかげで、永井和教授ご本人?との知的に高いレベルでの対話の機会をもてたことには、お二人に感謝せねばならないとも思っております。

>この文章は実際にその人の遺族の前で発言することができないおかしな文章ですね。

もちろん、遺族の前で哀悼の意を表するとしたら、何も限定を付けずに単なる死に対しての哀悼のみを表するか、サリノグさんが真実の犠牲者との確信を持っていた場合にその旨を表するかどちらかでしょう。上記文章は、単に事実を確定し得ない一人の日本人が一人のフィリピン人に対して表した意見にすぎません。

>あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持っています。にもかかわらずあなたは「哀悼の意」を表明した。これはサリノグさんとの1対1の関係に立ったということです。

あくまで、サリノグさんと私の1対1の関係だからこそ言える言葉です。

>その上であなたは「サリノグさんが日本軍人に強姦された真実の被害者であったとしたら」、と書き、サリノグ証言には疑問の余地があると(死んだ)彼女の前で述べています。

「サリノグ証言に疑問の余地がある」とあなたが判断する根拠は何ですか?

疑問の余地があると述べているのではなく、事実を確定しえずその権限も持たない一個人としての立場の表明ですね。

>あなたはサリノグさんについて発言しない権利を十分持ってたのにかかわらず、なぜ死んでまで彼女の名誉毀損を行為するのですか?

事実を確定し得ない以上、彼女に対する名誉毀損ではありません。

真実の被害者であった場合には、真実の被害者として哀悼するし、あえて明示はしませんでしたが、真実の被害者でなくとも、一人の個人の死に対して哀悼する気持ちはあります。

むしろ、真実を確定し得ないのに真実と断定して哀悼の意を表してしまうことは、仮に日本軍人が真の加害者ではなかったた場合には、その冤罪を負わされた日本軍人及びその遺族に対する名誉毀損になりますから、あえて断定していないのです。それが法律家としての良心です。

私としては、その後のコメントに対する野原さんの意見こそ聞きたいことでした。』 (2007/04/09 08:47)

十里益代 十里益代 『こちらにもnatamaru氏が現れているのでしょうか?』 (2007/04/09 14:18)

節翁 節翁 『

トマサ・サリノグさん、ご逝去の報せに接し、心から哀悼の誠を捧げます。

死を前にして訴えられた安倍首相宛てのお手紙、胸詰まり涙拭いながら読みました。

「日本政府が事実を承認すること」「人権と正義を回復すること」

その願い、生前に実現すること叶わず、ご無念はいかばかりだったことか。

ご遺志を引き継いで私たちはたたかいつづけます。

ロラ・マシン、あなたのことを決して忘れません!

オリエンタル・ミンドロ在住 鈴木節夫 ジュリ』 (2007/04/10 11:17)

noharra noharra 『鈴木節夫 ジュリ さま

はじめまして コメントありがとうございます。

六十数年前日本軍との出会いによって、多くの多くのフィリピン人が被害を受けました。ところがわたしたち内地に居た(あるいは後から生まれた)日本人はその実態を知らず、知らされてもできるだけ関与しないようにして生きていこうとし、またそのことは可能だったようです。数少ない例外を除き。

わたしは関係を拒否しようとせず、サリノグさんの正義への祈り(叫び)をむしろわたし自身への祝福として聞き取りたいと思っています。

>> ご遺志を引き継いで私たちはたたかいつづけます。

>> ロラ・マシン、あなたのことを決して忘れません!

              野原燐』 (2007/04/10 19:42)

noharra noharra 『海老蔵さんへ 

サリノグさんが国民基金を受取拒否した根拠は、彼女自身の意志ではなく、誰かからのそそのかしによる、とあなたが判断した理由は何ですか?

それを示せなければあなたは、根拠無く彼女を貶(おとし)めたことになります。』 (2007/04/10 21:12)

ebizoh ebizoh 『>野原さん

上記京都のブログより引用

>2000年12月、わたしは東京で「女性国際戦犯法廷」に参加し、正義が達成されたという感覚を、やっと感じることができました。これまでは決して感じることのなかった気持ちでした。わたしはまた、アジア女性基金が提供してくださるという償い金では、わたしが女性として受けた権利の侵害、わたしに対して犯された重大な諸犯罪は、決して埋め合わせにはなり得ないことにも気づきました。

『気づきました』とは、それまではそう思ってはいなかったという意味です。

女性国際戦犯法廷の政治運動家が、目の前で法廷を僭称する茶番劇(秦氏によるとカンガルー裁判)を行ったために、サリノグさんにそう確信させたという点で、彼らの罪は重いでしょうね。

私の上記コメントは単に合理的推認を述べただけであるのに、彼女を貶めたと感じたのは、野原さんが女性国際戦犯法廷の運動を支持しているが故の主観的判断にすぎません。』 (2007/04/11 10:55)

mojimoji mojimoji 『>ebizohさん

あきれ果てた人ですね。「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう。/←この言明は、女性国際戦犯法廷が茶番であろうとなかろうと成立します(茶番ではない、と僕は主張しますが)。対して、あなたの発言は「茶番である」を前提しなければ成り立たない言明ですね。「主観的」(というよりも独断的)判断に陥っているのはebizohさんの方であることは明白ですね。』 (2007/04/11 23:32)

ebizoh ebizoh 『>mojimojiくん

>あきれ果てた人ですね。

>「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう。

私も、キミ達のそういう情に訴える被害者ファッショにはあきれ果てています。全文を良く読もう。「気づきました」という以上、それまではそんなこと考えてもいなかったはずである。また、それまで基金の受領を持ちかけてきていた人に対して、サリノグさんは女性戦犯法廷を見たおかげで断りの返事をする決意をしたことも書いてある。つまり、サリノグさんはそれまでは断るか否か未定だったのに、彼女にそう決心させたのが女性国際戦犯法廷ショーなのだ。これは、彼女を貶めてはおらず、女性国際戦犯法廷のメンバーを批判しているだけ。弱者を盾にする彼らの邪悪さは隠しようが無い。

>←この言明は、女性国際戦犯法廷が茶番であろうとなかろうと成立します(茶番ではない、と僕は主張しますが)。

成立しませんよ。上記コメントで説明済み。

>対して、あなたの発言は「茶番である」を前提しなければ成り立たない言明ですね。

茶番でなく、きちんとした正統的な法廷ショーだったとしても、サリノグさんの決定を唆したことには変わりは無いので、成り立つ言明です。

>「主観的」(というよりも独断的)判断に陥っているのはebizohさんの方であることは明白ですね。

いいえ。私と同様の判断は、秦氏のような学者もしているので、必ずしも主観的とは断じ得ません。

mojimojiくんの判断こそ、独断的に被害者を食い物にしているでしょう。』 (2007/04/13 01:35)

jujo jujo 『>>>受け取り拒否を唆した

>>「気づいた」と自己認識している人を「そそのかされた」と言うのは「貶める」ことそのものでしょう

>それまでは断るか否か未定だったのに、彼女にそう決心させたのが女性国際戦犯法廷ショーなのだ

「受け取り拒否」をサリノグさんに「唆した」と断定するに足る合理的な根拠が示されていませんね。

サリノグさんの発言には、彼女が民衆法廷に参加し、参加を契機に「償い金が決して埋め合わせにはなり得ないことにも気づいた」ことが言及されています。ここには同法廷への参加を契機として、サリノグさん自身の主体的判断として「埋め合わせにはなりえないと気づいた」ということしか述べられていません。

なお、同法廷は「基金を受け取るか否か」が主論点としたものではありません。

「唆し」と断定するからには「基金が埋め合わせになりえるか否か」ではなくて「基金を受け取るか拒否するか」に関する「唆し」の事実を提示してくださいますでしょうか。同法廷で「受け取り拒否」に関する議論が行われたという事実があるのですか?』 (2007/04/13 13:36)

noharra noharra 『ebizohさん

(応答が遅くなりました。)

ebizohさんへのmojimojiさんの批判、jujoさんの反問に、わたしも同意します。答えてください。

 

海老蔵さんから最近発言がない。しばらく沈黙することに決めたのかもしれにない。前に書いた文章なのでUPしておきます。

>>>これは、彼女を貶めてはおらず、女性国際戦犯法廷のメンバーを批判しているだけ。

何が「彼女を貶める」ことか。

これにOKすればお金と正義を両方得ることが出来ますよという基金からの誘いを彼女はなぜ断ったのでしょうか?

理由を尋ねる前に、尋ねる根拠が私の側に在るのかがまず問題になります。

私はサリノグさんの友人でも指導者でもなく彼女の決断に意見を言う立場にない。であるから彼女の決断の理由を聞く根拠もないのです。

ebizohさんもサリノグさん及び彼女を取り巻く情況についてほんの少ししか知らないでしょう。であるにもかかわらず、あなたは「サリノグさんが国民基金を受取拒否した根拠は、彼女自身の意志ではなく、誰かからのそそのかしによる、と」あなたは決めつけた。

同じフィリピン人女性であっても例えば彼女が大学教授であったらあなたはそうした決めつけをしたでしょうか?彼女が無学で貧しい一生を送った女性である、したがって金の力でどうにでもなるべき存在であるのに、「一寸の虫にも五分の魂」を見せた。それが気に入らない。サバルタンはサバルタンらしくしておれ。

表明された一つの意志を彼女自身のものでないと言って、抗議されても反省しないとは、以上のような物事の捉え方であるとしか考えられない。

>>>全文を良く読もう。「気づきました」という以上、それまではそんなこと考えてもいなかったはずである。

そう断言できる根拠はありません。彼女は基金というよく分からないがそれでも大きな力を持つもの(オーソリティ)の誘いを断るために、世の中には別の権威もある(あった)ということを引き合いに出す必要があっただけ、かもしれない。

ところで、ebizohさんは「野原がコミンテルンに洗脳されている」と判断しているのでしょうか。

「Q1-3:コミンテルンの対日テーゼには洗脳されましたか?」と書かれましたね。

ここではぜひ「Yes」と答えて欲しいですね。Yesなら、ebizohさんは関係妄想に囚われただたのトンデモだ、と決定するからです。あなたがサリノグさんを貶めたという事実は消えないものの、その社会的価値はほぼ無くなります。

(一方ただのトンデモでは今後の対話意欲に影響を与えてしまうが)』 (2007/04/22 10:07)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070409#c1177203232

一読者 『途中で送信されてしまったものの、まだコメントは続くので、しばらくご返事せずに、私のコメントが終わるまでお待ちください。』

noharra noharra 『野原です。

一読者さんへの応答を、3/14の本文欄に書きました。

3/14のコメント欄にお返事をどうそ。』

ノーモア ノーモア 『さてあなたが公安委員会(?)と風俗業者の関係とは違う、そして軍が積極的・主体的に関与したのだと認識を改めたということですね。そうしますと常石氏のブログでのあなたの問題提起「違法な実態があったとしても、政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」というのは誤りだということでよろしいですね。

>私の主観では、素人から見た素朴な感想ですよ。

なるほど。要は説得的な反論は出来ないが「反感を抱いた」程度のものですか。まあ、如何にバイアスのかかった目でこの問題を見ていたか、自らのイデオロギー性を自覚できただけあなたにとっては良かったのではないでしょうか。

>なぜこの点に先走りと言われながら私がこだわるかというと

そうですね、完全な先走りですね。以下は決議案の内容です。

http://www.thomas.gov/cgi-bin/query/z?c110:H.RES.121:

そして次の質問「違法な実態に政府や軍が主体的に関与していたら、日韓基本条約時の請求権条約で解決済みということになる」という議論が的を外しているということもよろしいですね。まああなたが為したこれら二つの御質問に答えることが私の議論の目的ですから、一定の成果はあったということですね。

>あなたの立場に立ったとしても法的責任追及はできないことには変わりが無いでしょう

ちなみに責任追及が出来ないことと責任が無いことはイコールではありません。国際法は原則として国家間関係を規律するものであって、個人には及ばないというのは確かにその通りですが、国家間合意だけでは個人に対する人権侵害行為が十分に救済されていないという認識の下様々な理論的な努力が現在為されています。しかも妥結時に考慮されていなかった問題であるのならなおさらです。あなたも「複数の首相の誰もが法的責任の履行はできないからこそ、アジア女性基金で道義的責任を果たすことになったのではないですか?」と仰られているという事は日本にはある種の「責任」があるということは否定できないと考えておられるのでしょう。それをどう解決するかが問われているわけです。民間基金による金銭的補償も結構なのですが、そもそも軍が主体的に関与し、そこにおいて人権侵害行為が発生しているのに、(公式的な)謝罪すらしない、あるいは一官房長官の談話すらなかったことにしようとするというのはどういうことかと私は思います。何も責任を取りませんと言っているに等しいと言われても仕方がない。

>ただ、これは戦犯裁判の主体となった連合国が中国を除いては欧米人だったという要因もあるでしょうね。

まず「戦犯裁判ですら裁かれなかったのだから…」というのが推論として妥当でないことはお分かり頂けたようでこれも良かったです。

で、ここからは私とあなたの考え方の違いでしょうけど、私は東京大空襲のような無差別爆撃も原爆による民間人の虐殺行為も裁かれるべきだと本気で思っております。しかしそれを日本が追及するには自らの戦争犯罪と真摯に向き合うこと以外にありません。私は現在南京事件や従軍慰安婦を問題にする時に「欧米だって酷いことをしたじゃないか」という反論をする人たちの中で、どれだけ本気になって戦争犯罪を糾弾しようとする人がいるのか怪しんでいます。彼らは自国を免罪する為の方便として「しか」その主張をしていない。本当に彼らは「酷い」と思っているのか。本気で国家による人権侵害を批判する気がない人たちが、原爆・東京大空襲の被害者を持ち出すのは「死者に対する冒涜」です。秦氏が述べているように今回の件はアメリカ自身にもブーメランのように跳ね返るでしょう。ただそれは日本も酷いしアメリカも酷いというだけのことです。

最後ですがこちらのサイトも参考までに挙げさせていただきます。

http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070312/p1

「遺書を書こう」ふたたび

グラグラのあたしを書く、主体の不在=不安を表現にどう憑依させるか。

まずわたしがいるのだがすぐ崩れてしまいそうだ。言葉を重ねることで不安定さを表現することができる。方法の獲得。方法が消え去らないうちに、書かなければいけない。

財産/日記/服/友だち

 ここでも「どうでもいいです」という始まり近くにある行が効果的に働いている。

ごめんね/ありがとう/さようなら

 と丁寧だが丁寧さは「こころがここにない」ことの表現になりうる。

思い残す事は何もない/私は幸せに逝きました。主体は不在なので、思い残すことなど最初からありようがない。

これで何時でも死ねる/と思うと/安心した

主体が不在とは、安心の否定である。一歩一歩丁寧に辿ってきたのに矛盾に到達した。

あたしは窓から飛び降りた

振り出しに戻り別の選択支を選ぶ。画面が消え何も映らない。

彼女には表現をことさらクリシェの側に押しやって否定してしまうといった傾向がある。<主体の不在=不安>を書くためにはそれに成功してはいけない。成功しそうになったら否定しなければいけない。

以上、彼女は方法を確立した詩人だったということで、であればわたしは彼女の何に引っ掛かっているのか。(12月7日追加)

村上一郎はずっと前に死んでしまった

 村上一郎という名前をテレビで聞く、何かの犯人らしい。それはそれで問題なのだろうが、私は別の村上一郎を思い出す。思い出したのは、最近北海(http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain)で、山中智恵子の短歌を引用したのだが、わたしは山中のことを知らず、村上が論じている人としてだけむかし知っていたのでした。それと三島の決起について論理的でなくシンパシーを寄せる文章が二つほどあって(hatena周辺に)、批判してやりたいと思ったときも村上のことを思いだしました。で今日村上一郎がちゃんとはてなのキーワードになっていることを知り嬉しく思いました。

http://d.hatena.ne.jp/mkimbara/20031227 mkimbaraさんは村上の軍隊論とか社会科学系に興味を持っておられるようだ。わたしは歌人、短歌評論家としての村上にもわからないなりに興味を持つ。検索したら村上の短歌を引用した文章があったので、無断引用してみよう。

冥らかに思想の鞍部見さけつつけふをいのちと旅果ててゆけ
                     村上一郎『撃攘』  
 この頃、しきりに村上一郎のことが思い出される。私は彼の作品の良い読者ではなかったし、あの壮絶な自死から何年経ったのかさえ今では朦であるほど彼についてのディティールに乏しい者であるが、村上一郎が常に抱えていた絶望の感覚は、現在の私たちの前にある索漠とした不安に繋がっているような気がしてならない。        昭和十六年極月、対米開戦の前夜に。
  憂ふるは何のこころぞ秋の涯はからまつも焚け白樺も焚け
  ひとひらの雲ながるる夜さらされし屍をおもむろにめぐり去るもの           昭和二十年八月二十一日夜半、一切に挫折。
  たまきはる曠野のいのち夏草をおほいて遠く果てきいくさは
  遅れなく立たむと記すたまづさに涙か汗かしとど滲みゐし
       「六十年安保」殿戦の歌。
  いっさいのことば死に果て夜は白み己れを責めることしげきかな
  野のはてにわが葬棺を曳かしめて或る日は越えむかげろふの丘
   初版一九七一年六月二五日の『撃攘』には、(私たちの知らないところの)さまざまな日本の節目における、いかにも「国風」の短歌が収められている。虚妄としての「党」や虚飾としてのイデオロギーをすべて剥ぎ取られたところから書かれているこれらの作品をあらためて読みなおしてみれば、私たちの歌壇から失われた短歌の極北の姿を示していると言ってもいい。  村上一郎は、戦争と「党派」と安保という、まさにその背後に虚無の立ち現れる時代を生き、それらがすべて失われた、いかにも平穏な時代に死んだ。そして、私たちは、それらがあらかじめ失われてしまった時代を生きている。

「きちょう」34号評論    1998/11/29

感想とかをもう少し書くべきだとは思うが、いまはできません。せめて村上の文章を1行引用しておこう。

 人間にとって、自身の底にある一貫性は、首尾、理路を有するはずでありながら、それをただ“感じる”ほかにないもどかしさ、--短歌は長くその憂悶と期待とを伝えてきた。p10『日本のロゴス』

はてなダイアリーに圧力

http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20040207 で見て面白いと思ったので貼っておきます。

○はてなダイアリーに圧力?

http://slashdot.jp/articles/04/02/02/095240.shtml?topic=19

ニュースソース:こせきの日記 2004-02-01

http://d.hatena.ne.jp/koseki/20040201#1075628304

情報操作といえば、アメリカの民主党大統領候補ディーン氏の凋落は、マスコミが一致してディーン排除に動いた結果だそうですね。

自衛隊撤退せよ

小泉首相さま

イラクから自衛隊を即時撤退してください。

「ヤシン師を暗殺したイスラエルを激しく非難しないブッシュ大統領」を批判してください。

イラク人の住宅地を空爆するアメリカ軍を非難してください。