日本国民の約半数は

イラクへの自衛隊派兵に反対かかなり疑問を持っているという。

自衛隊派兵はすでに為された。だが問題は現時点において当初目標に対しどれだけの成果が上がったかなどのきちんとした検証がなされることなく、ひたすら小泉ポチ路線(対米従属路線)によってあらかじめ定められた路線が継続されていることにある。今回の誘拐犯グループからの要求に対してもあらかじめ定められた答えNOが発せられた。サマワはすでに非戦闘地区とはいえない、したがって自衛隊は撤退すべきだ。撤退しないという路線は、次の自衛隊員が数人あるいは十数人死ぬのを待っていることだ。こうなったのはアメリカが主導する占領体制が失敗したからだ。待っていても問題は前進する可能性はない。

 日本は民主主義国なのだから、国民はいまイラク派兵を支持するのかどうか、声をあげて発言するべきだ。イラク派兵がイラク国民の為に役立っていると信じる人が過半数なのなら、香田証生さんという人が殺されてもしかたないということになるのかもしれない。しかしそうでないなら、自衛隊撤退の声をあげ小泉を至急追いつめて自衛隊を撤退させ香田氏の生還を勝ちとらなければならない。香田氏は無意味に死んだことになる。

著作権/引用について

 現在日本にあるすべての法律を尊重しなければならないものでもなかろう。公共の福祉に反しないかぎり自己の幸福を追求していいのだから。後は他者の権利との調節の問題(司法の領域)だ。国家といえども多くの場合、私と対等な権利主体にすぎない。*1「著作権」というものの理解については当然、著作権者(「持てる者」)と利用者との利害対立を反映し、解釈にも相違が出るだろう。シェアウエアなどの作者は弱い立場でお願いしているだけだし、しかるべき金額は払うべきだと思う(ズルしてることもあり、スンマセン)。ただ「大企業である=著作権者」の利益など特に尊重する必要もないのでは。ハリウッドや日本の音楽産業などのコンテンツに興味がないからでもあるが。難しい問題なのでこれはとりあえずのメモ。

下記に、分かりやすい入門とリンクがある。(最初、リンクだけしとこうと思ったがまとまらない思いを上に書きました。)

http://d.hatena.ne.jp/katawa/20041113#1100358461 はてなダイアリー – この平坦な戦場で生きのばす為に

*1:日本の司法はちゃんと機能しているのか?という問題になるが。

なぜイラク人を虐めるのか?

8月5日に広島で開催された、ハナ・イブラヒムさんとムザッファル・アハマド・モハメドさんの報告から、引用したい。(id:noharra:20040807#p2 で言及した集会)

http://iraq-pgp.jugem.jp/?eid=3(イラクから伝えたいこと-イラク市民を囲んで)

将校はテントを回ったのですけれども、その時私は、「一体なんで我々をこんなところに収容しているんだ」と聞きましたところ、将校は「あらゆるイラク人はアブグレイブに収容されなければいけない。理由があろうとなかろうとだ。」と答えました。つまり、彼らはイラク人を刑務所に集めて、そうすることによって抵抗組織が占領に対して実効的な抵抗しないようにしようとしているわけです。私たちが抵抗運動に関わっているかどうかではなくて、です。

つまり逮捕によって国民をあるいはイラク市民をおびえさせることによって、抵抗に対する意思を削ごうとしているわけです。あるときアブグレイブ刑務所で私が目撃したことですけれども、あるとき1人の老人が2人の息子とともに連れて来られました。老人はその時下痢をしておりまして、頻繁にトイレに行かなければいけない状況にありました。ところが彼らは老人がトイレに行くのを禁じたのです。こんな話をするのをお許しいただきたいんですけれども、下痢を患っている老人がトイレに行きたいのに禁じられたらどうなるか、彼は多くの被収容者たち、しかもそこには自分の2人の息子もいるわけです。その人たちの、公衆の面前で我慢できずに便を漏らしてしまう、そしてそのショックで、恥ずかしさで精神に異常をきたして亡くなってしまいました。

このように彼らは私たちを辱めているわけです。

 抵抗すればとことんまで辱められる、自分だけならともかく自分の一番大事な家族がそうした目に会うのだと思い知らせることは、確かに効果的かもしれない。経済破綻も、国民を意気阻喪させるためにわざとやっているのか。(だとすればイラク復興のために金を出している日本はただの馬鹿、と言うことになる)だが2000万人(?)が奴隷意識を自身で内面化する状態を作り出すことが本当にできるのか。イスラエル人のブレーンはすべてのイラク人を意気阻喪させるヴィジョンを持っておりそれを実行しようとしているだろうことは、そうであっても何らおかしくないことだと思われます。イラクの復興が遅れるだけでもイスラエルにはメリットだと考えられるでしょうから。

遺体を運び出そうと

ジョラン地区*1のせまい通りを通れない戦車は、構わず両脇の家々をなぎ倒して進んで行きました。攻撃に一段落した皇軍*2は、市内中にあふれる遺体を金属のフックでまとめて、装甲車でひきずって行きました。遺体は空き地に集められました。まるでゴミのような扱いでした。住民は米軍に見つからないように、チャンスを見つけては遺体を空き地から運び出そうとしました。身元の確認ができればそのリストを作りますが、いずれにせよ、どの遺体も墓地まで運ばれるべきなのです。しかし、どの遺体も姿からは身元を確認できる様子ではなく、ポケットにある身分証明書などが頼りでした。ほとんどの遺体が体内に溜まったガスで膨れ上がり、犬に食い荒らされていました。

 総攻撃の少し前あたりから、今まで見たこともないような大きな犬をよく見かけるようになりました。私は犬を怖いと思ったことは今まで一度もなかったのですが、ある時、モンスターのようにでかい犬が口からだらだらとヨダレを垂らしながら、私の乗っていた車のフロントガラスに突っ込んできました。私は恐ろしくなり慌てて猛スピードで逃げました。この頃から病院などで狂犬病にかかった人たちが次々と運ばれてくるようになっていました。町中を大きな犬が走り回り、人間に喰らいついていたのです。

高遠菜穂子さんのブログから引用した。http://iraqhope.exblog.jp/ 2005.1.11 イラク・ホープ・ダイアリー より。ファルージャ支援のプロジェクト・メンバー、カスムからのメールより。

 イラクは日本から少し遠いとはいえ、現在のアクチュアルな課題である。しかもわれわれの代表たる小泉氏が「支持」をきちんと公にした米軍によるファルージャ攻撃の一こまである。わたしたちはファルージャの惨状の事実を知るように努め、それを元に小泉へ政策変更をせまっていかなければならない。それはそうなのだが、わたしがこれを引用したのは、上記の70年以上前の東アジアを舞台にした寓話的小説のトーンと非常に似ている、という気がしたからです。事態が残虐すぎるとそれを伝えようとする文は深い静寂をたたえてしまう。静謐なシュールレアリズム。(1/12追加)

*1:ファルージャ市内

*2:本当は米軍

N・B氏発言(3回目)

(1/25 21時、コメント欄から上へあげて、色をつけました。)

連続投稿、歓迎していますよ!

ちょっと……応答が遅れていてすみません。

# N・B 『 どうも、連続投稿すいません。あまり重大に取られるとちょっとまずいかなと思っています。ただ、誤解があるかもしれないのでとりあえずもうひとつだけ。前提として、私は野原さんの発言に賛成です、1月23日の『「正義の模索」を「高次の正義の設定」にすりかえるのはやめていただきたい』という意見は全く賛成です、あの日の書き込みはそれについての追加意見のつもりでした。このようなすりかえがただ現状追認だけをもたらすのは明白です。

    

 ところで、今までの議論の参考になるかもしれないような、書籍とネット上のやり取りをいくつか紹介します。ご存知かもしれませんが。

「アウシュビッツと表象の限界」未来社、「三点確保」山田広昭(現代に問題としてカール・シュミットを考えるためには、ライブラリ相関社会科学12号や現代思想03-12に寄稿されている方の論文がいいと思いますが、とりあえず単著を)、「1968」作品社(とりあえず座談会の後半を立ち読み、現代日本の話です)

 内田樹さんのブログをめぐるやり取りです、以下に差別言説への批判が厄介かという見本のようなものだと思います。

http://blog.tatsuru.com/archives/000672.php http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20050114

http://www.osk.3web.ne.jp/~irabuti/ http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/

 NHK問題について、まっとうな意見として。

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/ 

http://deadletter.hmc5.com/blog/

 暇人に付き合ってくださりありがとうございます。私は暇ですからこれからも反応しやすいと思います。忙しいところ失礼しました。』

善に対する正の優越

http://d.hatena.ne.jp/jouno/20050210 note of vermilion で、下記サイトを教えてもらった。

http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/priority.html THE PRIORITY OF THE RIGHT OVER THE GOOD

ちなみにマイケル・サンデルは、「善に対する正の優越」には二つの意味があると説明している。一つは、個人の権利は社会一般の善のために犠牲にされてはならない (功利主義批判)、という意味で、もう一つは、上で述べたように、これらの権利を規定する正義の原理は、いかなる特定の善き生の考え方をも前提しない、という意味である。 (see `The Procedural Republic and the Unencumberd self’)

Right であってJustice ではない、わけだが、それがどう違うのか無学な私には分かりません。ところで、「いかなる特定の善き生の考え方をも前提しない」といくら言っても、すべての(ほとんどの)善は金に換算(表現)できるという思想によって私たちは制圧されているのではないのか。リベラリズムとは結局の所、権利=「かね」の自由を制限するなという主張ではないのか? という疑問も。

(2/11 12時追加)

立法が必要

http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20050221/1108980401 経由で。

日弁連が、2005年3月19日(土)被害者保護支援の法制を考えるシンポジウムを開催するとのこと。

http://wwwsoc.nii.ac.jp/genderlaw/shimpo200503.htm

シンポジウムのお知らせ

『人身売買受入大国ニッポンの責任』

~被害者保護支援の施策と被害者保護~

日本には多くの人身売買被害者が送り込まれています。しかし、加害者処罰が不十分であるだけでなく、被害者の保護支援の施策はほとんど皆無の状態でした。そのため、各国政府・国際機関・内外のNGOは繰り返し日本の対策の不足を指摘し、これらの批判を受けて、日本政府はようやく対策に乗り出し、2004年12月に「人身取引対策行動計画」を策定しました。しかし、その内容は、加害者処罰の強化については刑法等の改正を予定するものの、被害者の保護支援については現行法の弾力的適用で対処するというもので、防止対策も不十分です。

弁護士滝本太郎さんのブログ

うし 『弁護士滝本太郎さんのブログの記事を紹介します。

私達が愛するおまわりさんのイメージとはかなり違う感じです。

ビラをまく側と批判される側のイザコザはよくあることなのに、

警察も、もうちょっと違う対応が取れないものなのでしょうか。

「罪刑法定主義・警察とは」

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/3/trackback

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/2/trackback

メタファーとしての公益

# swan_slab 『>N・Bさん

さしずめ私の着想は、「メタファーとしての公益」なのかもしれません。

でも、hikaruさんのエントリをみながら、これをそのまま使い続けると公共という言葉の意味が固定化され、公共性を再定義する障害になりかねないので、断念しようと思います。私は言語学者ではないですし、周到に考えられたメタファーを使うことはできそうにありません。

しかし、レイコフの議論は大変興味が惹かれました。

>幕末明治や「大東亜戦争期」のような危機の時代はともかく、現在「愛国心を語る」事自体には、もう、うさんくささしか感じとれない!のは確かなのですが。>野原さん

そうですね。ただ、hal44さんのところにも書いたのですが、語ることが問題なのか、それとも、それを手ごろなメディアを通じて押し付けてくることが問題なのかという問いを立ててみれば、恐らく、前者の表現の自由はたとえうさんくさかろうが誰もが享受するはずです。したがって、問題は、「君が代・日の丸」というフォーマットが前時代とあまりに連続性を持ちすぎていること。例えば歌詞が変更されていない、など。そのことによって、過去の歴史との断絶(反省)を強くモラルとして持つ人々にとっては、君が代・日の丸の意味が先鋭化してしまうのでしょう。そして先鋭化してもやむを得ない歴史を日本国は負ってきた。

私はこうした心理状態をうまく説明できないのですが。』 (2005/03/24 23:18)

ある「愛国」の理念

 2ちゃんねるからの引用(らしい)。

http://www.2ch.net/index-right.html

 神皇正統記が大日本者神国なり、異朝には其たぐいなしという我国の国体には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が万世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云うことは、単に直線的と云うことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云うことでなければならない。天地の始は今日を始とするという理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云う(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにあるのである。八紘為宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一体、万民翼賛の原理である。我国体を家族的国家と云っても、単に家族主義的と考えてはならない。何処までも内なるものが外であり、外なるものが内であるのが、国体の精華であろう。義乃君臣、情兼父子である。

 我国の国体の精華が右の如くなるを以て、世界的世界形成主義とは、我国家の主体性を失うことではない。これこそ己を空うして他を包む我国特有の主体的原理である。之によって立つことは、何処までも我国体の精華を世界に発揮することである。今日の世界史的課題の解決が我国体の原理から与えられると云ってよい。英米が之に服従すべきであるのみならず、枢軸国も之に傚うに至るであろう。』

これが、日本精神の真髄だ!と。かなり良くできているが、我が国は素晴らしいと言っているだけで、理念としては空白。(北畠親房の「天地の始は今日を始とする」という私が好きなフレーズが入っているので点が甘い。)

でも勇ましい気がするのでちょっとした戦争くらいならできるかも。