貧乏人の連休の過ごし方

子ども二人家族4人、ふだんは多いとも感じませんが家族旅行にでも行こうものなら4万円単位でお金は飛ぶように出ていくので行けるものではありません。まして連休は混んでるし。だからといってべったり家にいても普段と同じではあまりにも単調です。どこかに日常性を離脱する契機が欲しいもの。“うちのおかあさん”はおとといからさっさと一人で友人宅に泊まりに行ってしまいました。家事労働全般を子どもと3人でやらなければいけません。ゴミ出し、洗濯物干し、食器洗い、ほんの少しでも普段はうちの子はやらない。今回も嫌がるので「やらないとおかあさんに(子どもの自立を助けるため)帰ってくるなと言うぞ」と脅して無理矢理やらした。

無意味

IP電話の調子が(最初から)悪いのを、苦情をいったら、光電話アアプタをF社に変えてみようか、と送ってきた。変えてみたが、電話全然通じず。しかたないので元に戻した。戻したらインターネットが繋がらない。しばらくごそそそしてやっとつながった。無意味なアーティクルですみませんが、書き込めるテストを兼ねて。愚痴!

(追記)駄目だったと言ったら、同じ製品をもう一度送ってくると言う。拒否できなかったが無駄だと思うが・・・

恥を知れ

え~っとう、だいぶ前から、id:drmccoy:20050518 マッコイさんに、応答しなければいけないと思いながら、気が進まずに後回しにしてきた。スミマセン

(本来複雑多様なものである現実を平板化した上で、テンプレート通りの言説を多量に繰り出してくる、といった印象をもった、ということかもしれない。)

ちゃんとした対話者でなくて申し訳ないが、わたしはまだマッコイ氏の文章を(関係部分)全部読んでいない。無視しているわけではない、と言うためだけにちょっとだけ(しかも全然斜めから)書いてみよう。

(1)

id:drmccoy:20050518でマッコイ氏は、わたしが紹介同意した加藤、宮台の主張などを次のようにまとめている。

 「A級戦犯をスケープゴートにして、極東国際軍事法廷(=東京裁判)を受け入れることで日本はサンフランシスコ講和条約(or 平和条約)を締結して国際社会に復帰した。A級戦犯を罪人として裁いたからこそ日本は国際社会に復帰できた。だからA級戦犯が祀られている靖国神社に首相が参拝すると、それを覆すことになってしまう」

上の文章の「日本」という主語を問題にする。(強引な批判である。)大日本帝国は戦争に負けた。唯の戦争ではない。プチウヨの諸君が自衛戦争なんていうのはみっともない。世界の帝国主義秩序を転覆しようとした攻撃的な戦争である。「大東亜の大義」なしに成立しえた戦争ではないのである。で負けた。負けたことをどう考えるか。A.負けた主体「皇国」を一部修正するだけで継続できるか。B.それとも負けた主体は倒産させて、新しい主体を立ち上げるか。

戦後日本がややこしいのは両方の面を持っていたからである。

A.ヒロヒトは退位しなかった。東京裁判はヒロヒトを訴追対象から除外した。戦後憲法の1条は天皇を保証している。

B.日本は天皇主権から国民主権に百%変わった。戦争放棄。戦力不保持。「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し*1」生まれ変わります。

戦後日本はAとBを適宜使い分けながら、戦後60年なんとかやってきた。その前提となったのは東アジアにおいて米国(米帝)がソ連などと対峙する冷戦構造において、日本が米国に従属する立場をとったことである。ここではA.対米軍事協力/B.平和主義となって、A.の枠の中でB.も主張することで日本は血を流すことなく繁栄を達成した(と言われる)。国共内戦、朝鮮戦争と戦後も戦火に見舞われた中国、朝鮮はいち早く回復を遂げた日本に国力において大きく後れをとり、日本は米国の後押しのおかげで戦争に対する補償なども極軽微に済ますことが出来た。日本は中国、韓国朝鮮に対する戦争責任の問題を、国民全体にが自ら答えなければならない巨大な問題として突きつけられることなく(幸か不幸か)60年やって来ることができた。

これは「対中国」「対韓国」などの問題ではない。日本は戦後60年そこそこ成功してやって来たにもかかわらず、その根拠がA/B と分裂したままだ。

そんな中で、米軍が上陸した慶良間列島などでは、追いつめられて肉親同士が殺し合う「集団死」が起きた。慶良間列島だけで犠牲者は700人にのぼる。id:noharra:20050623#p1

「生きて俘虜の辱めを受けず」なら、敗戦の途端に1億人は自決しなければならない。自決した人はほとんど一部だった。自決もしなかったものの子孫がいまさら「自衛戦争」なんてことを言い出す。恥を知れ、と言いたい。

*1:憲法前文

勝てない場合は意識を失う上官

さらに言えば、物量差と見せつけられ、士気の低下する軍や住民を叱咤激励するために「生きて俘虜の辱めを受けず」と、前線の司令官が言ったことは十分考えられるでしょう。軍隊とは、兵器の信奉者です。相手との兵器能力差が圧倒的であることに気が付けば、士気は間違いなく低下します。しかし、軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。負けるのは仕事じゃない。上官としては、何とかして勝ち戦にしなければならないわけです。それが軍隊の存在価値ですから。

http://d.hatena.ne.jp/sanhao_82/20050701#p1

「生きて俘虜の辱めを受けず」は単なる一将校の発言などではなく、日本軍全体の根本原則でした。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050709#p2 に書いたとおり、であるからこそ、食糧も武器もなくなり瀕死の状態でも1年以上もジャングルに潜み「建前として」(降伏し無い)戦争状態を持続しつづけなければならなかったのですね。

また捕虜になって生還した人も大部分が、(形だけのこともある)玉砕攻撃をしてその途中でよろよろ倒れて捕まったとか、ケガで意識を失っていた時に捕まったとか、意志としての「降伏」をしていないわけです。逆に言えばそうした僥倖の場合を除き、すべて無意味に死んでいったわけです。

「軍隊は敵と戦って勝つのが仕事です。」どんなに頑張っても相手の戦力を傷つけられない場合は、仕事の範疇ではない。それでも降伏してはならない、などとファナティックなことを考えたのは大日本帝国だけです。

憎悪せよ。

戦争反対

***基本は戦争反対なんです***

、なるほどあなたは善意な方なのでしょう。

で、皇軍兵士が住民に手榴弾を渡し、自決を強要、もしくは示唆した多くの事例について、それは個々の兵士のやったこと。皇軍に責任はなかったと主張するのですか?

責任の欠如・強制の欠如というイデオロギー

isbn:4480857621 『南京大虐殺は「おこった」のか』筑摩書房  1998

クリストファー・バーナード著

という本が図書館にあったので借りて読んでみた。

以下メモ。(ちゃんと説明するのに手数の掛かる本なので、分かりにくいままですまぬ。)

まとめ

日本の歴史教科書(特に日本史)は偏向している。

この偏向は責任の欠如や強制の欠如というイデオロギーを表明している。

このイデオロギーは日本国の権力保持者の面子を守ろうと努めている。*1

この本は、日本の高校で1995年に使われた全88種類の歴史教科書を全部比較したものです。

取り上げたのは、いつも論点になる、南京大虐殺、真珠湾/パールハーバー、815など4点*2

テーマは書いてあることは事実か、という問いではない。文体レベルの微細な差異によって、受ける印象はずいぶん変わってくる。そのような差異を扱っている。

 幸い、日本とほぼ同時期にドイツ・イタリアも開戦し、敗戦した。したがって、ドイツ等の記述と日本に対する記述を比較できるわけである。

教科書からのサンプル1

 ドイツはオーストリアを併合し、1939年には独ソ不可侵条約を結んだのち、9月ポーランドに侵入した。p80

教科書からのサンプル2

日米交渉はゆきずまり、12月8日未明、日本軍はイギリス領マライに奇襲攻撃をおこなうとともに、ハワイの真珠湾に空から奇襲攻撃をかけ、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦を布告した。これが太平洋戦争のはじまりである。p76

上では「侵入した」という攻撃を示す動詞が最も強調されている。

このような(広い意味の)「攻撃」が本動詞になっている場合が、日本の場合は9%だが、ドイツの場合は40%になっている。

後者の場合、前者と違い、国家ではなく軍が行為主体となっている。

軍が行為主体となっている率は、日本が49%、ドイツは19%である。

ポーランドに侵入した」という切迫した文章に対し、「これが太平洋戦争のはじまりである。」という文章は説話的である。「ストーリーを語ることから一歩下がって、時間を超越した全知の観察者の立場にたち、すでにおきたことについて論評しているのである。」*3

つまり、日本国や日本軍何れに対しても攻撃の責任はさほど明確に与えられていないし、攻撃は「主たる話」にはなっていない。p82

責任の欠如とよべるイデオロギーに結びついた用法のパターンが教科書に見られる。p82

(以上 メモ)

*1:p142同書

*2:もう一つはなんだったかな

*3:p76

内田樹の靖国問題

内田樹が靖国問題について書いた新聞記事を、友人がコピーしてくれたので読んでみた。*1

彼は「死者は言葉を持たない」と強調する。それを強調するのは正しい。

共同体をめぐるほとんどの対立は「死者のために/死者に代わって」何をなすべきかを「私は知っている」と主張する人々の間で交わされている。

しかし、靖国問題とは、死者の正しい服喪はどうあるべきか?という問題だったのだろうか。個々の戦死者たちはすでに親族によってそれぞれの墓に祀られている。死後の霊はその墓の近くにいると考えても良い、と篤胤も言っている。東京大空襲の死者たちはどんな国家的祭祀も受けていないけれども、“戻ってきて災いをなす”ことなどできていない。

靖国問題には二つの歴史的位相があり、新しい位相はA級戦犯合祀で画される。がやおきのりの路線にも反する後者は、戦前の軍国主義一切を免罪しようとする極右勢力によって為された。“国のために死ぬことは名誉だ”として押し進められた戦争への動員(による死)は、英霊として讃えられるべきだという思想。「先の戦争」は間違っていたのかどうか、という問いに答えられず、間違っていたと答えない方向にしか向うことができない哀れな日本は、彼らの極右思想が作り上げた現在である。

このように靖国とは死者を過剰に国家が取り込む装置である。しかし、内田はそのようには見ない。靖国で行われているのは極めて特殊な形での「服喪」であるのにそれを、服喪一般に拡散させて論じているからだ。

*1:2005.8.30朝日新聞夕刊「生者は儀礼決められぬ--言葉を持たない死者に権利」

「けっ」でしかない私

(p15)

 なぜ、あるはずのないそんな灯を見るのか、それは当人が助かりたいと思っているから。

 普遍的私の普遍的運命、それは結局自分だけでもうまい事して助かりたいという、個別の自我を核とした普遍的希望により選び取られるのだった。そしてそういう発生故にまたこの普遍的私は、いわゆるひとつの「ひとごとではない大層なお大事な私」に、つまりは他者から見たら「けっ」でしかない私になり果ててもいるのでした。

この断片も引用しておく必要がある。ただし、この断片は上記3つとは少し違う。登場する文字列が「けっ」一つだけである。けっには「」が付いている。それだけでなくこの小説では異例の哲学的文章(普遍的が4つもある)による解説的文章である。

追加されるサンプル

 8.けっ

私はたたかいます。

(略)当時の佐々木の心境を最もよく代弁する宮沢賢治の二つの文についてであった。

最初のは、明日の山烏との戦を前にし、彼らの神である北斗七星に祈る烏の言葉である--

わたしがこの戦に勝つことがいいのか、山烏の勝つのがいいのか、それはわたしにはわかりません。みんなあなたのお考えの通りです。わたくしはわたくしにきまったように力一ぱいたたかいます。みんなあなたのお考えの通りです。

佐々木八郎「特攻隊員の手記」『ねじ曲げられた桜』p307 isbn:4000017969

ひとは人類を愛せない 

コーリャ「神を信じていなくても人類を愛することはできるのです。ね?ヴォルテール(注:18世紀のフランスの啓蒙思想家)は神を信じていなかったが、人類を愛していた!」

アリョーシャ「いや、ヴォルテールは神を信じていました。が、それはほんのちょっぴりでした。だから彼は人類を愛していたけれど、それもほんのちょっぴりだった、と思うのです。」

カラマーゾフの兄弟 http://www.coara.or.jp/~dost/2-3-1.htm#B

自己が自己である限りでできることなど、ほんのちょっぴりだ、とドストは言っているようだ。それは確かにそのとおりだろう。しかし自己は“自己である自己”より大きいのだから、愛はほんのちょっぴりよりちょっぴり大きい物で有りうる。