デリダはアラブ系ユダヤ人

 デリダはフランス人でありユダヤ人だった。そして彼がアルジェリアから来たことも広く知られている。だが彼はカミュのように植民者の子孫としてアルジェリアに生まれたわけではない。1962年アルジェリアが独立したとき、植民者の側にカテゴライズされ離散させられたことは確かだが。デリダの父祖はイスラム化したアラプが北アフリカにやってくる以前からそこにいたのであり、本来その土地に固有の権利を主張してもよかったはずだ。

 ところで、イスラエルに外部から無理矢理移住してくるからイスラエルは無法な外部からの簒奪者になるわけであり、同じアラブの地から移住してくるならアラブ内部の移住だからそれほど大騒ぎしなくてもよいはずだ。だがシオニストは「アラブ内部の移住」という側面を執拗に隠蔽する。

 とにかく大昔からユダヤ人はイベリア半島や北アフリカを含む地中海圏全体に住んでいた。で「ユダヤ・スペイン語」、ラディーノ/ジュデズモなどユダヤ系の言語を話していた人々もだいたいアラビア語に同化していった。もちろんヨーロッパ系の言語に同化していった人々もいるでしょう。ここで、デリダの祖先たちは、つい百年ちょっと前まではアラビア語をしゃべり続けて来た。そして1870-1940くらいの間に完全にフランス化する。そのせいで、いわゆるアルジェリア人より古くから住んでいたのにアルジェリア独立の主体にはなれず、植民者=敵の側とされ、1962年以降離散せざるを得なくなる。

東アジアでいうと台湾の日本統治が長く続き、客家系で長い間中国語を話していた人が日本語しかしゃべれなくなるようなものか。フランス>アラビア>ユダヤという序列において、ユダヤ性を極端に主張するイデオロギーが自身の千年に渡るアラビア性というアイデンティティを力ずくで隠蔽し、それをなかった事にして「イスラエル」を建てていく。事実、イスラエルのユダヤ人の多くが本来アラビア語を母語としていたはずなのにそのことは強く隠蔽されています。

 エイズであったフーコーが死後「聖フーコー」になったように、デリダも死後アラブ人に成る。

(鵜飼)(略)

しかしあの追悼文には一つ大きな誤解がある。ギル・アニジヤールはサイードもそう思っていたと言うのですが、デリダの生家はアルジェリアのコロンではありません。アルジェリアのユダヤ人はイスラム化したアラプが北アフリカにやってくる以前からそこにいたのです。デリダのとくに文学関係の仕事では固有名の問いは大変重要ですが、デリダという名前が普通名詞として何を現わすかは不明です。それくらい古い名前なのです。

 ユダヤ人を一般にアシュケナージ系とセファルディ、東ヨーロッパのユダヤ人とスペイン系のユダヤ人に分けますが、さらにイラン・ハレヴィのような、PLOに合流したユダヤ人の歴史家は第三のカテゴリーとしてアラブ-ユダヤを考える。デリダの家は基本的にアラブ-ユダヤで、そこへレコンキスタの後に北アフリカに亡命してきたセファルディ系の家系が合流したということらしい。デリダが生まれるちょうど百年前にアルジェリアは植民地化されます。その段階では彼の祖先はアラビア語を話していた。一八七○年にランスの法務大臣アドルフ・クレミューがアルジェリアのユダヤ教徒にフランスの市民権を与えます。そしてデリダが生まれるまでの六○年間にユダヤ教徒の共同体はあっという間に同化されていった。デリダが生まれる前にこの出来事は起きています。デリダは生涯、アルジェリアのユダヤ教徒はどうしてこれほど簡単に同化されたんだろうということを、キリスト教とユダヤ教、そしてイスラムとの間の関係としてずっと考えてきたし、ある意味で苦しみ続けた。私たちの前で彼が、フランスがアルジェリアを植民地化せず、自分もフランスと関係なくアルジェリアで生まれていたらいまよりもずっとよかったと言ったことがあります。

(長原氏の発言 略)

(鵜飼)  そうでしょうね。いま自分が抱えているような苦しみとは無縁だったはずだと。それをどういうアフェクトで言っていたのかというところまでは、もちろん証言できませんが。アルジェリアのユダヤ教徒はデリダが生まれる前の六○年間に同化され、デリダが生まれて三○年後にアルジェリアは独立する。そのときユダヤ教徒は、コロンとアラプ人、ベルベル人の被植民者の間にいる階級になってしまっていました。デリダが何度も語ったように、フランス本土をドイツが占領した時期に学校から追放されたり市民権を剥奪されたという経験が一方ではありつつも、フランスの市民権を持っていたがゆえに六二年にはこのコミュニテイに属する人々の多くはフランスかイスラエルに文字どおり離散しなければならなくなる。アラブよりも前からこの地に存在していたコミュニティがアルジェリアの独立によってアルジェリアにいられなくなるという経験を、デリダは既に哲学的に自己形成した後にしたことになります。デリダはこのことについてルサンチマンめいたことはひとことも言わない。このコミユニテイの人たちの多くはこの出来事ののち反アラプ的になり、シオニストになっていく。南フランスの、ユダヤ人でありながらルペンに投票しているような人たちもこのコミュニテイからたくさん出ているはずです。彼のパレスチナに対する関わり方や、九○年代アルジェリアが内戦に陥った時の態度表明に、彼が抱えてきたこの経験が現れている。それは最終的には『ひとつしかない、私のものではない言語』の中であるまとめかたをされました。コロニアリズムのひとつの結果としてこの悲劇も起きたのです。

(鵜飼・長原対談の鵜飼哲の発言より 『現代思想 2004・12 特集デリダ』p102-103より)

サラリーマン長井さんを守れ!

 「私もサラリーマン。家族を路頭に迷わすわけにはいかない。告発するかどうか、この4年間悩んできた。しかし、やはり真実を述べる義務があると決断するに至りました」。そう言って長井さんは涙声になり、言葉を詰まらせ、ハンカチで目をぬぐった。

 「告発による不利益はないか」と尋ねられ、「不利益はあるでしょう」と答えてからだった。

http://www.asahi.com/national/update/0113/014.html

 サラリーマンなんていうと哀れな語感があるが、言いかえればNHKの正規職員ということであり、この日本では階層的に上位に属する。彼らに言論の自由がなければより下位の国民大衆にありようはずがないのだ。

この問題については、下記のブログの意見に全面的に共感する。

筆者は、最近のマスコミ各社の報道姿勢について「萎縮した自主規制とも思えるような」姿勢だとする。

 たまたま私のみた朝日新聞も(14日朝、33面)、NHK「圧力を受けず」安部氏「注文の事実ない」中川氏「面会は放送後」と被告発側の意見だけを見出しで強調している。*1 NHKという巨大組織が、圧力を受けていないという建前を答弁するのは当然であり、情報としての価値はない。それを見出しとして巨大な字で報道してしまうことの責任。自分の責任で一つの事実を事実として提示した長井氏に対し、報道機関がやるべきことはそれを事実として裏付けることであり、当局の反論を掲示し事実を相対化しなし崩しにしてしまうことではない!

http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000973.html blog::TIAO: 明るみに出た報道検閲 ……NHK番組改変問題

道各社の記者諸君はNHKのチーフプロデューサを鑑として先ずは自社を内部告発する勇気を持とうじゃないか。

自らも血達磨になって尚且つ政府を追及するくらいの迫力がなければ、今この国を間違った方向へ押し流そうとする勢力に対抗できるわけはない。ことはそれほど重大なのだ。政府、財界が民間を巻き込んで推し進めようとしている国家権力の強化と監視社会はこの国を危うい方向へと舵を切りかねない。

*1:第二報だったからかもしれないが。

第2次「慰安婦」論争 1/29.10時

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050124#p5 へのフォローとして

dempaxさんが下記にコメントしてくださった。

引用箱付きでここに上げます。

あと、id:dempax:20050127#p2 で紹介してくれた

http://members.at.infoseek.co.jp/postx/NHK-kaizan/top.html

NHK「女性戦犯国際法廷」番組改竄問題・私家版 ここは内容豊富みたい。

(わたしの関心は法廷自体の方にあるのだが)

id:dempax

「発信箱:第2次「慰安婦」論争として 山田孝男(編集局)」をさっそく産経新聞で西尾幹二が利用しています.

……「圧力」を経た修正版にもかかわらず、「従軍慰安婦」の取り上げ方に危うさを感じた。92年1月、朝日新聞は「朝鮮人慰安婦募集に日本軍関与」の大報道を展開、直後に訪韓した宮沢喜一首相が盧泰愚(ノテウ)大統領に謝罪した。日本軍による慰安婦「強制連行」を糾弾する動きは相変わらず根強いが、強制連行を否定する実証的な反論も出ている。90年代の慰安婦報道と日本政府の謝罪が、日本に「性奴隷」(海外ではsexslaveと報道)制度が存在したかのような誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い。……(編集局)毎日新聞 2005年1月24日 0時06分

産経新聞 2005/01/28 11面オピニオン 正論 問題の核心は変更番組の放映にあり 評論家 西尾幹二

…… さすがに毎日新聞はついていけないとみて, 山田孝夫氏の署名で, NHKのあの番組がおかしいこと, 従軍慰安婦の強制連行説を否定する実証的な反論が出ていること, 90年代の政府の謝罪は日本に性奴隷制があったかのごとき国際誤解をまき散らしたことは反省すべきだとする記事を掲載した(1月24日朝刊). 正論である.……

西尾式要約方法

山田孝男編集委員 ≪誤解をまき散らしたという批判はさらに根強い≫ → 西尾幹二つくる会名誉会長 ≪誤解をまき散らしたことは反省すべき≫

毎日新聞らしい「客観報道」として≪批判はさらに根強い≫としたのに, 西尾幹二名誉会長が≪反省すべき≫に改竄してしまった.』

無自覚になされる否認

mojimojiさん コメント欄の文章に勝手にコメントしてしまいました。

id:mojimoji 『「いくらひどい被害だったといっても、50年近く前の話である。全身に衝撃を覚えるなんて言うのは大袈裟ではないか、と傍観者的には思ってしまう。だがそうではないのだ。「誰にも語れない秘密」は誰に語られなくとも50年間彼女の心の中に生き治癒されずに傷であり続けたのだ。」の部分は、本当に余人には推し量りがたいものがあり、かつ無自覚になされる否認によって今も傷つけられ続けているように思えます。

僕自身が、こうした記憶の問題にセンシティブになったのは、岡真里『記憶/物語』の冒頭30ページくらいを読んだときですね。「洋なしのアラビア語が思い出せない、なんだったっけ」というほほえましいエピソードから記憶というものの暴力性へと反転していく記述のところ、あれほど胸を衝く記述に接したことはそうそうありません。』

 わたしの場合は、『全記録1』の何人もの証言を読んだ後で、『夕凪の街 桜の国』という漫画を読んだとき、やはりある頁で落涙してしまいました。

誰もあの事を言わない

いまだにわけがわからないのだ

わかっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたということ

思われたのに生きのびているということ

そしていちばん怖いのは あれ以来

本当にそう思われても仕方のない人間に自分がなってしまったことに

自分で時々

気付いてしまう

ことだ

p16『夕凪の街 桜の国』こうの史代 isbn:4575297445

大きな被害を受けたものがそれ故に自尊感情をなくすこと。まさに体験しないと分からないこと。神の不条理がはっきりあらわれているという現象なのか・・・ これはヒロシマを舞台にした漫画ですから慰安婦とは何の関係もないのですが、共通のものはあると思いました。慰安婦はたった一人で耐えなければならなかった分もっと悲惨だった・・・

あるフィリピン人に私が近づかなければならない理由は存在しない。袖擦り合うも多少の縁。かすかな縁はかすかなままでも良いと思うけど、無意識にでも「否認」するのはちょっとね、と思います。

日本の民主主義を育てよう

言論の自由が無い国で、民主主義が正しく育つとは思えない。民主主義が機能しなければ中国のような中央集権的な全体主義国家に成るのかも知れない。

http://d.hatena.ne.jp/tak2001jp/20050228

韓国の一部の民衆が民主化の為に血を流して戦ったことをしらないだけでこんなことを言っているひとがいる。日本は先進国だから心配しなくともよいのだろう・・・

脱北者の証言

 昨日、日本に住んでいる脱北者たちの証言を聞く会があった。

十人近くの人が順に話をした。それぞれ深刻な話なので圧倒される。

飢餓が最も深刻だったのは、97、98年ごろだったようだ。

道で倒れて死んでいる人をよく見たと言っていた。

また、そのころ公開処刑が毎週のようにあった、と。

金正日体制は人民を抑圧する不正義に満ちた全体主義であり、糾弾しなければならない。

今頃になって従属だったのか!

で、俺の時代に至るまで、基本は「新左翼は日本帝国主義自立論」であって、また、80年代のバブル期だったので日本も外国にガンガン資本投下して、外国の安い労働力を搾り取るようになっていたわけで、「日本帝国主義」という言葉にはなんの違和感も持たなかったわけだ。

然るに、この小泉政権のアメリカ帝国主義への従属ぶりはどーよ、という問題に突き当たったのが、アフガンーイラク戦争の過程である。アメリカ合衆国は対イラク開戦ですんげえ国際的に孤立を深めたわけだが、その中で率先してブッシュの屁のにおい嗅ぎにいってたのが小泉である。

「・・・・・・オマケだったのか・・・・」という衝撃が我々の中にはあった。

http://black.ap.teacup.com/despera/34.html

衝撃とまでは言わないが、今頃になって従属だったのか、という思いはわたしにもありましたね。

ユダヤ人/シオニズム

高橋 『 何年か前までは、私はナチスに迫害されたユダヤ人を気の毒に思っていた。単なる心情的支援であったが。しかし、イスラエルにおけるパレスチナ人に対する暴虐無残な殺戮・弾圧などを見聞きしているうちに、ユダヤ人というのは、私が子供の頃に皇軍の将校から聞いたユダヤ陰謀説なるものを信じる気持ちになってきた。

 実にユダヤは世界に災厄をもたらす巨悪の1つである。イスラエルはナチスよりも恐ろしい。よって今後はイスラエルを ナチラエル NAZIRAEL と呼ぶ事を提案する。』

高橋さん、こんにちは。野原燐です。

(1)現在のイスラエル国家はパレスチナ領域内に住む(及び領域外に移住をやむなくされた)パレスチナ人に対して土地の強奪、家屋破壊、検問、壁、暴行、殺害などなどによる迫害を継続しています。にもかかわらず国際社会からの批判は弱くUSA国家を始め多くの大企業なども多大な援助を行っています。

(2)フセイン政権を倒して得をするのはUSAではなくイスラエルである。イスラエルの核を不問にしたまま、核拡散反対を強行しようとしても論理的に矛盾する。小泉が追随しているUSAの中東政策は長期的に見て中東に安定をもたらす見込みはない。

(3)

 書くべき事はいくらでもあるのですが、ここでは「ユダヤ陰謀説=実にユダヤは世界に災厄をもたらす巨悪の1つである。」という言葉使いについて。

「国内」での暴虐無残な殺戮・弾圧などにより国内だけでなく結果的に世界じゅうにテロリズムの蔓延をもたらしている(ともいえる)犯人は、イスラエル国家とそれを支えるシオニストたちです。ユダヤ人というひとたち、はべつに一つの考えでまとまっているわけではありません。現在のイスラエルのあり方に批判的なユダヤ教指導者もたくさんいます。

 したがって、巨悪はユダヤではなく(現在残念ながらイスラエル「国内」で圧倒的多数派である)シオニズムである、と理解すべきです。

(4)

現在まで欧米の殆どの地区において、ユダヤ人差別が日常的に存在しているという事実もある。したがって、ユダヤ人ではなくシオニズムが悪だ、と考えるべきだと思います。

 以上は、欧米と違いユダヤ人に対して歴史的に負い目を持たない日本人にとっては容易に辿り着ける認識のはずです。

(5)

ところで、ユダヤ人とシオニズムとの差異は、日本人に対しても適用できます。日中友好声明のときに確認された「悪しき軍国主義者」と「それ以外の(本来は平和を愛していたはずの)日本人たち」という区別です。前者をわたしはこの間、【国体護持派】とも呼ぼうとしてきました。

宮台: 靖国神社にA級戦犯が祀られているのはどういうことであるのか。理屈ははっきりしている。要は、天皇陛下と日本国民から罪を免じてA級戦犯が悪いということにする。これがサンフランシスコ講和条約*1の基本になる。もちろん中国もロシアも参加していませんが理屈は世界中に知られていたわけですよ。日本国民が悪いんじゃないという話にしてA級戦犯に罪をなすりつけた。(http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041201#p1 スワンさんの引用する宮台真司より。

靖国神社にA級戦犯が祀られていなかったのはどういうことだったのか?を端的に説明している。

 (わたしたちは悪くなかったんだという)否認のナルシズムである【国体護持派】は、日本人に対し悪影響しか及ぼさない連中であることは明らかでしょう。

多くの日本人とは

0000 『日の丸が多くの日本人に好かれていない理由は以下(省略)

この一文だけであなたの主義主張が一方へ偏っていることが良くわかります。

一般の日本人は日の丸に誇りを持っていると思います。オリンピックやワールドカップなどを見たことがないのですか?』

K’s room経由 『はじめまして。

> 日の丸が多くの日本人に好かれていない理由は

との事ですが、日の丸はたしか左にバイアスがかかっているとされる

朝日新聞の読者にして8割りだかが支持していたはずですが。

ロジックのなにかが間違ってませんか?』

(野原)

 例えば、国民の1割が好きでない、とします。この場合、一千万ほどの日本人が嫌悪していることになります。当然、「多くの日本人に好かれていない」ということになりますね。

(1)生きて俘虜の辱めを受けずとして兵士や市民に死を強制した帝国を、愛すべきだと考える理由を教えてください。

むう 『むしろ多くの日本人が日の丸を愛しているんだとの理由を教えてください。

スポーツ大会で日の丸をかかげるのは日の丸を愛しているからではなく、単に恒例だからだと思います。じっさい君が代は歌ってない選手が多いです。これも嫌いだからではなく知らないだけでしょう。』(2005/04/17 20:23)

JR西日本・尼崎電車区ってひどいところなのかな?

2001.9.6 運転士、服部匡起(44歳)さん自殺。

http://www.jr-souren.com/statemnt/tusin492.htm

JR総連通信 №446

 9月6日、JR西日本・尼崎電車区で1分の列車遅延を理由に乗務停止の扱いを受けていた運転士が自殺するという悲しい事態が発生しました。

1年後、自殺した運転士の父親が提訴

http://www.jr-souren.com/outlaw/teiso.htm

管理者とJR西日本に損害賠償請求

訴状の中で榮さんは「被告園田、同片山、同山口は、現実の行為者として、『日勤教育』の実態が…過酷ないじめに等しいものであることを充分に認識しており、心理的付加の過度な蓄積により匡起の心身の健康を害する危険性を予測し得た。にもかかわらず匡起に対しそのような『日勤教育』を敢行したのであり、被告園田、同片山、同山口には、匡起の自殺について、少なくとも過失があることは明らかである」と尼崎電車区管理者の犯罪を告発しています。

http://www.jr-souren.com/outlaw.htm JR西日本・JR東海の不法行為