わったん基金

わったん基金にわずかですがカンパしました。

「渡辺修孝さんの支払い拒否と提訴を支持し、裁判を支援する意思を表明しておきます。」という意志においてです。実はそれほど内発するものはなかったのだが、今井さんたちに対しちょっと前に下記のようなメールを出したので、その都合上「支払い拒否」支援はせざるをえないか、と思ったのでした。(訴訟の趣旨は変わったのか?)

 わたしの第一の問題意識は、外務省が金払えと言ったとしても、内容証明が来るまで払う必要はない、という実用的見地に立ったものです。下記サイトのように、反対なのに内容証明が来る前に自発的に払うのは馬鹿げたこととも思われますが、当事者の周辺には別の事情もあったのかもしれない。

ちょっと前の話になるが、(5/1)http://ac-net.org/honor/  というサイトに対し、次のようなメールを出した。

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高遠さんほかに対するバッシングに大きな怒りを持つものです。

ところで(無責任な質問)といわれるかもしれませんが、次のような意見をもったので参考までに送付します。特に回答を求めるものではありません。

              野原燐

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外務省からの請求について

払わない方が面白い、のではないか?

少なくとも(2週間程度の期限を定めた)法的な請求書を出させることは誰からも文句を言われる筋合いのないことであり、ぜひ実行して欲しい。(法的請求書であれば不服申立の権利についての記述があるはず。)おそらく役人としてはその書類を作るだけの根性はないのではないか。(つまりはいはいといって払ってしまえばその瞬間問題は消滅するので、外務省に充分な合法性がなくとも検証できない。)

最後まで払わず裁判するのが面白いと思うが、3人及び家族が日本中からのバッシングに耐え、裁判闘争を続けるという意志を獲得した場合、しか実際にはできないでしょう。(払ってもバッシングは続くとすれば同じかも知れない。)

外務省の金の使い方についてどの程度まで公開できるのか?という問題に、従来から国民の広い関心が集まっているので、それとも関連して、外務省の言い分を検証するのも面白いと思う。

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外務省の事なかれ外交

 今回とにかく野口氏は無事に帰って来れて良かった良かったというわけですが、そもそもの原因である、中国当局が脱北者の難民としての権利認めず発見すれば北朝鮮へ送還するという姿勢をとっていることについては全く変わっていません。そしてこれは難民問題ではなく、中国の国内法を犯した犯罪であるという中国当局の把握に対し、異議をとなえない日本の外務省がいます。

この点について、中川正春衆議院議員が外務委員会で発言している、6月2日。同感なので少しだけ引用しておきます。

http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics040612.htm

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○中川委員:

 外務省として間違っているのは、中国が、これは国内法に違反した犯罪者だという定義でこの日本のNGOを扱っているわけですが、これに対して、それを前提にした対応しかしてないんですね。

 これは、アメリカについても、あるいは韓国についても、この人たちは─中にはブローカーがいますよ。金銭で動いている。これは捕まえていいでしょう。しかし、そうじゃなくて、NGOで人道的にあそこに入っている。それで、難民として本来は認定されなければならない人たちの救済をしている。外務省自体も、実際は、そういう人たちが領事館なり大使館なりに駆け込んだら、それなりの措置をしながら日本に連れてきているじゃないですか。それは、この人たちが本来は難民と認定されるべきものなんだということが前提にあってそういう対応をしているんだろうというふうに思うんですよね。そういうことであるにもかかわらず、そこのところには何も抗議をせずに、何とかして刑を軽減しながらそっと日本に戻してほしい、そういう外交姿勢でしかないということですね。

 これは日本の外務省の特徴なんですけれども、中国から、物事を荒立てないでほしい、騒がないでほしい、そうしたらうまい事やるからと言うと、そのように乗っていって、内々で事を済ませてしまう。それでいいんだという感覚、これが私は基本的にはまちがっているというふうに思います。

 そういう姿勢でやったら、人権問題は解決できないんです。人権というのは、やはりそれが侵されていることを表面に出して、世論に訴えて闘いとっていかなけりゃ、これは解決していかないんです。そういう切り口に日本の外交を堂々と変えてほしい。それが、私がこの問題にコミットしてきた、日本の外交姿勢そのものに対する疑念です。これではいけないという思いです。そこのところを理解していただきたいというふうに思います。

妊娠から遠いわたし

http://d.hatena.ne.jp/strictk/20040927 strictkさんへの応答が遅れている。今日、漫画「NANA」というのを少しだけ読んだ。続きを読もうと近のリサイクル古書店にいったら、十数冊でているはずのこの漫画だけが一冊もない。少女マンガの棚には慣れていないのでそう確認するまで数分かかった。*1準備ということもないが、「西尾幹二のインターネット日録」というのがあるのを知り読んでみると、大したことは書いてなかった。

http://blog.livedoor.jp/nishio_nitiroku/ 9/9

落合恵子(作家)さんの文を批判している。

(落合)私たちを取り巻く社会において、自分自身であることをずっと求め続けることは時には大きなストレスになることかもしれません。しかし、やはり私たちは個であることから始まり、個であることを続けていかなければなりません。このことは、セクシュアリティを含めて、あらゆる人権について考える時の基本であると思います。

(西尾)落合さんは「個」という観念をいきなりここでもち出す。両親そろっている「普通」の家庭へのルサンチマンもにじませた論が展開される。けれども落合さん自身はここでいう意味の純粋な「個」なのだろうか。この「個」の概念は間違っていないか。

「落合さん自身はここでいう意味の純粋な「個」なのだろうか。」というのは「為にする問いかけ」である。人間存在というのはマルクスを持ち出すまでもなく関係性の束とも考えることができる。存在としてのわたしが「けっして「個」ではない。」というのは正しい。

しかし、<実存としてのわたし>については「やはり私たちは個であることから始まり、個であることを続けていかなければなりません。」という断言が適切であろう。ところが、次の文章「このことは、セクシュアリティを含めて、あらゆる人権について考える時の基本であると思います。」を読むと少し違和感が残る。人権を考えることは普遍的政治的な立場に立つことではないか。セクシュアリティを含む困難に真正面からぶつかったとき、人権概念は役に立つこともあればそうでないこともある、と思える。*2人権という概念を最終審級とすべきではない。概念ないし言葉を大事にするのではなく、困難にあるあなたと(それに関与しなければならないわけではない)わたしという関係が当為ではないが不可避である、ことが大事であると思われる。(しかしながらたぶん)落合さんが立ち止まっている問題もそうした問題であることは間違いないであろう。したがってここでの落合さんへの疑問は、わたしとは多少言葉の使い方が違う、というだけのことになった。

一方、西尾幹二の方はいちゃもん付けをしてるだけだ。「そして、なにかに依存し、包まれていなければ真の「個」は成立しない。」この文章の多義性に、西尾氏のマジックの種が隠されている。「野原9/23」などで丁寧に触れたとおり、母ないしそれに代わる他者に依存する時間の持続がなければ、わたしたちは「ポリス的動物」になりえない。それと「独立した大人でも諸関係や国家に依存している」というのは別の問題だ。はっきり書かないのはそこに思想的弱点があるからだろう。

「彼女は見方によれば特権者の側にいる。「普通」とか「普通でない」とかはすべて相対的概念だ。」この二つの文章は明らかに矛盾してますね。後者はニーチェとも言えるが、芸のないニーチェはニーチェから最も遠いものだ。

追記「トラックバック」というもがよく分かっていなかったので、一度やってみようと、畏れ多くも西尾氏あてに試みたが、2回失敗しあきらめた。無難だったろう。

*1:翌日もう一度行ったらちゃんとありました。人気漫画コーナーという棚で集英社の棚とは別のところにちゃんとあるのだ!

*2:ろくな体験~闘いもしてないくせに、えらそうに言っても良いのか?(陰の声)

糾弾は関係を切断する?

http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041020#p2 はてなダイアリー – +   駝  鳥    + については上に触れたが、スワンさんからコメントがあったのでもう一度考えてみた。

歴史的判決というべき04年10月15日に、水俣病を語るブログや2chの言論が閑散としていた状況は、そうしたジレンマから私たちの意識が完全に自由であったことを意味するだろう。郵貯が何に使われているかなんて猪瀬直樹が日本国の研究を書く以前は誰も関心をもたなかった。最近はずいぶん情報の風通しがよくなったが、それでもチッソの賠償金倒産を食い止めるために国や県が財投を通じて金融支援をしており、その原資が私たちの預金や郵貯であることを知る人は少ない。

そのことは全く知りませんでした。70年代に大きく報道され三里塚とならぶ社会運動の拠点ともなっていた<水俣>がその後どのように継続していたのかについても全く知らず*1、今回の判決もわたしにとって突然だったので受け止めかねました。

ただ、難癖を付けるような読み方をすると、ジレンマから自由であることはむしろ「チッソが悪い」と言う(書く)事につながるはずでネットが閑散としてたことには繋がらないように思う。

チッソは68年まで排水をやめなかったし、国もやめさせなかった。チッソが悪い、国が悪いというのは簡単だ。

「イスラエルの残虐」については日本のテレビでも一定は報道されている。ところが(スワンさんは例外として)「イスラエルが悪い」という素直な感想はhatenaでは(一定はあるが)それほどない。*2

「イスラエルが悪い」と思うのは簡単でも、言うのは簡単ではない、ということのようだ。それと同じように「チッソが悪い」、というのは実は簡単ではないのではないか。

「私たちもまた、加害性を抱えながら果実を手にしてきた。」黙っている人たちは発言すればジレンマに向きあわなければならないことを(どこかで瞬時に)察知したからこそ黙っているのではないか。

 チッソにせよ戦争責任にせよ私たちを困惑させてしまうジレンマと向き合い続けることでそれを乗り越えていくしかないと、スワンさんはおっしゃっているのだと思います。(違いますか?)わたしもそう思います。

 差異は糾弾というスタイルに対する好悪にあります。

ある日本人がステロタイプな殺人鬼だったこと、それは日本人には見たくない、(ともすれば)見ることができない事実である以上、殺人鬼という画像を突きつけるという行為はまず何度でも行わなければならない、とわたしは考える。しかしスワンさんは糾弾することは、世代間の連続性を切断することになると捉える。「加害者とのコミュニケーションが切断されているだけで、殺人鬼のイメージをふくらますことは非常に簡単なことは私たちは日常的に経験していることだ。」

これは難しい問題だが大事なことなので、上手く書くことはできなかったがもう一度書いてみた。

*1:石牟礼道子さんに対する美学的敬意だけはかろうじて継続しつつ

*2:スワンさんは、http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041019#p2 でも書かれています。

「切断操作」(2)

 香田証生さんについてはうまく書けない気がする。最初の3人の人質(なかでも高遠さん)についてはこの日記でもけっこう書いたのだが。自己引用。

 自己責任についてはもっともだ。というか、“アンマンのクリフホテルからのタクシーでバグダッドに向か”うと決めたとき、バグダッドに着くことなく拘束される可能性や死の可能性を彼らは充分考えた上で行為したに違いない。死んでしまえば何処に怨みを残そうが詮方ないのであって、どのような気持ちをもって、あるいは惰性で決断したにしてもそこにはやはり、死を覚悟した決断があったとはいえるだろう。(略)

「ほとんどの書き込みが単なるルサンチマンの表出としてしか読めません。」という2ちゃんねらーまがいの発言が多かったらしいが、そこ(決断)に<至高性>の臭いをすばやく嗅ぎつけ、それにヒステリックに反応する、野原ふうに言えば“奴隷”の心性を持った人が大量発生しているということだろう。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040414#p5

 自己責任については、香田さんの場合も同じだろう。彼は馬鹿なこと(かもしれないこと)をした。そして殺されてしまった。彼が後悔しながら死んでいった、かどうかは分からない。どちらにしても彼は殺された。*1一瞬、そこに静かに立ち止まるべきだろう。

日本中だけでも無惨に(「抑圧された」という情況においてそれを原因の一部として)死んでいく人々は少なくないはずだ。それでもマスコミで大きく報道される人は少なく、他の人は悼まれない。

香田さんに対してだけ、「危険なところに行ったお前が悪い」という発言行為があるのはなぜか。裏読みするならば、そこにはまず、「香田証生は他者ではない」という前提がある。その上で「切断操作」があるわけだ。

「香田証生は他者ではない」には二つの意味がある。マスコミが大きく報道する「日本人」としての同胞感。それと、多かれ少なかれ日本社会で仕事に熱中することに生きがいを見いだせず、浮遊感をもてあましつつ何らかの意味の自分探しをしている者としての共感*2

 ということで、わたしの問題意識では、(1)同情 がまずあり、それが(2)切断された と思います。

 ところで、前回の人質事件の時の「切断操作」と今回のそれはかなり違いますね。前回は明らかに反動的、政府支持的効果があったが、今回はなかった。ああこれは切断操作ではなく、人質が帰ってきたか駄目だったかの効果か。全然分析になってないな。まあどちらにしても「テトリストを憎め!」という大合唱が起こらずによかったです。(そう言いたがっている人もいますが。)

*1:テロリストを憎むことは、わたしも危険を冒し戦いに行く可能性につながる。

*2:2ちゃんねるやはてなのユーザーは大ざっぱに言うと大方後者のカテゴリーに入るのでは。だが、普通の大衆はそんな浮ついた問いを必要としない、考えもしない場所で生きているはずだ。それとも普通であることは、浮遊感を身体のすぐ裏側に感じながらそれをヒステリックにうち消すことで成立しているのか??

北朝鮮は餓え凍えている

# swan_slab 『>拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれる

そのためには食糧支援も止めてやる!といってしまうわけですよね。。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041209-00000057-kyodo-intこんな記事が出ているときに。

様々なことを多角的に報道しないから視野狭窄になるんでしょうね。』

(2日ほど前に)id:swan_slabさんから コメントいただいた。

スワンさん こんにちわ。水俣病についても続きを書かなくちゃと思いながらできていません。

穀物価格については、2、3ヶ月前の情報ですがすでに「殺人的価格」であるという情報がありますね。

今年9月初旬にはコメ1キロが1400ウォン(茂山郡調べ)まで暴騰した穀物価格は、韓国と日本の食糧支援の実施を受けて下落を見せたものの、10月はコメ1キロが1100ウォン(同上)、トウモロコシ1キロが400ウォン(同上)と依然として一般住民には禁止的(殺人的)な価格となっている。なお、10月の為替レートは1中国元(約14円)=210北朝鮮ウォンとなっている。

 北朝鮮は食糧難が悪化したことから、今月初めから朝中国境を守る国境守備隊兵士らにもコメやトウモロコシの代わりにジャガイモを食糧として支給していると、23日伝えられた。

(略)

 収穫期の秋ではあるが、食糧価格はさらに値上がりし、平壌(ピョンヤン)では白米1キロが900~1000ウォン、地方都市では1200~1500ウォンまで高騰している。一般労働者の1か月の平均賃金は2500ウォン余だ。

姜哲煥(カン・チョルファン)記者

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/24/20041024000009.html

Digital Chosunilbo (Japanese Edition) : Daily News in Japanese About Korea

ただ、食糧支援すれば良い、とばかりも言えないようです。ですが、支援が直接末端住民に届かなくても、支援のおこぼれによって生きのびられる人がいる、と主張する人もいます。

食糧支援が金正日政権を助けるだけだという指摘は半分当たっているがちょっと考えてほしい。

 九八年に支援食糧のモニタリングということで北朝鮮に入ったことがあり、本当に支援食糧が横領されている事実には驚いた。幹部たちが市民に転売して現金化しているのを目撃したといういろんな人の報告も聞いている。しかし支援食糧が入ると、闇市で流通しているコメの価格が下がることで市民が助かっている、生き延びられる人がいるという事実もある。

http://www.jrcl.net/web/frame041122s.html

石丸次郎さん講演 北朝鮮–隣人が苦しいときこそ手をさしのべて(下)/「モーターサイクル・ ダイアリーズ」を見て

 わたしは経済制裁論に組みするものではありませんが、何の成果もなしに大きな援助を先に決めた小泉政権のやり方も非常におかしいと思います。国家ではなく下層住民と直接交流できるように、せめてそうした方向性を持って、見聞きし考えていかなければいけないと思う。

「和解」か裁きか

番組改編問題については、

http://www.bro.gr.jp/kettei/k020-nhk.html 第20号 女性国際戦犯法廷・番組出演者の申立て NHK

で、第三者機関が出演者米山リサさんの主張をだいたい認めている。

http://www.bro.gr.jp/kettei/k020-nhk.html 第20号 女性国際戦犯法廷・番組出演者の申立て NHK

ところが、NHKは申立人が「女性法廷」について重視し、大事だと指摘していた「裁き」に関する部分、たとえば「日本軍あるいは日本政府が、かつて過去に犯した行為が犯罪であったかどうか、その判断ですね。つまり、裁きですね。それを下す手段も経ないまま、したがって、処罰されず免責されたまま」とか、「法廷が和解を前提としたものではない。和解を予め目指したものではない、ということが大事だと思うんです」などの部分を全て削除している。

このようなNHKの編集によって、コメンテーターとしての発言の本質ともいうべき「裁き」の部分が全て削除されたため、申立人の発言内容が視聴者に唐突な感じを与えたり、裁きの場としての「女性法廷」の意義を軽視し和解だけを推進する人物であるかのように誤解されかねない状況が作り出されたといえる。

 日本人は正義より「和解」という言葉を好む。しかし上記のような、NHKとその構成員といった力量に圧倒的差のあるものの意見が対立したとき、そこに形式的中立を求めることは、しばしば強い者の言い分を承認してしまうことにつながる。イスラエルによる自爆テロ非難の強力さにこの典型的例を見ることができる。従軍慰安婦問題も60年以上の時間を隔てた、この<情報を操作する者>と<サバルタン>との対位の展開である。

「和解」という口当たりの良い言葉に早急に飛びつこうとする者には注意が必要である。

よくやっているなぁ

mojimojiさんから下記のコメントをいただきました。1/27の13時ころ、です。

ここの日記では、同じ主題のものは翌日以降に書いてもその日の日記の下に継ぎ足して行くという構成をとっています。1/25の日記もそのように下へ継ぎ足していったのですが、上と下20050125#p3ではかなりニュアンスが違うものになっています。下は慰安婦テーマとは直接関係のない「金正日有罪」というわたしの主張を述べたものになったのです。以下のmojimojiさんのコメントはそれを含まない前半部分へのコメントですので念のため注記しておきます。

# mojimoji 『はじめまして。先日はトラックバックいただき、ありがとう。/外国はどうか分かりませんが、日本の女性運動(も含めて社会運動全般)は、圧倒的に量が足りないと感じています。とにかく、人が足りない。そんな中でもほんとによくやっているなぁ、と頭が下がる思いです。』

# mojimoji 『前日のエントリの毎日新聞の記事ですが、あそこは割と両論併記だから、よく馬鹿な記事が載りますよ。記憶に新しいところでは、サマワの自衛隊派遣に関して高畑論説委員の記事が出て、すぐ翌日だかに布施論説委員による異論が掲載されました。今回の件も、すぐさま反論が出されることを期待したいですが、はてさて、どうなることやら。』

# mojimoji 『サマワの件での肝心の元記事がなくなっているのが残念なのですが、そのときにフォローしていたシバレイさんのブログがあります。雰囲気くらいはつかめるか、と。

http://reishiva.exblog.jp/m2004-11-01#1111392

 女性国際戦犯法廷の全記録、を見ると、規模も大きいし、法廷であろうとする努力をできる限りしていることも分かるし、多種多様なボランティアが緊急に集まった割には、ほんとうにすごいなあと感心します。

 批判すべき点があると仮にしても、まず本を読むなりビデオを見るなりして知るという努力を払うに値するイベントであると思います。

慰安婦問題は問題ではない、と思いたいというデフォルトがあるのは事実である。ただそこで自分たちの欲望に従うことが、国益にそうかどうかは別問題。国益はわたしはどうでもよいのだが、何と言ったらよいのか、「大東亜の大義」を一旦は叫んだ男たちの末裔としては最低限直視する責任がある問題だと思うが、みなさん誇りがないようだ。

戦争責任は未済だ、と主張する

N・Bさんから教えて貰ったとおり、「おおやにき」のコメント欄での

田島正樹氏の発言がとても興味深いのでメモしておきたい。

1)「日本はいつまで戦後処理をし続けなくてはならないのか?」と問いかけた人がいました。「いつまで謝罪し続けなければならないのか?」という言説が保守側から出ていてそれを反復した問いだと思われます。

田島氏は言う。

我々がアジアにおいて何者であり、また何者であらうと意志するか、つまりはどのやなヴィジョンと戦略で我々の意志と権力をアジアや世界に及ぼしてゆくのかといふ展望の下で、はじめて我々の過去に対する責任と切断が具体的な形で問題となるのだ。

「戦争責任や戦後処理問題は存在しない」と言うこともできる。だがそれは、逆に「ずるずると過去の亡霊を引きずり、将来の我々自身の政治的選択肢を狭隘化してしまふ」ことになる。

アジアにおける政治的主体性の確立が、歴史に対する決済と不可分であることを理解せねばならない。それは、過去の罪や負ひ目にどこまでも呪縛されることであるどころか、それと決別して新たな権力意志を立ち上げることである。それは国益に反して仕方なく果たされるべき道徳的義務ではなく、極東での我々の権益拡大のための必須の条件である。

http://alicia.zive.net/MT/mt-comments.cgi?entry_id=152

おおやにき: Comment on 法廷と手続的正義・続々々

これは、id:noharra:20050203#p1 で書いたことと同じ趣旨だと読んだ。