難しい問題とは思わなかったのに!

ええと別にそれほど難しい問題では無かろうとは思いながら、日曜日から解けずに(文章にできずに)いました。

正しい答えを与える(に違いない)二つのフォーム(テンプテートといった方がよいのか)がある。なぜその二つが同値になるのかを説明せよ、という問題です。野原フォームと2進法フォーム。前者はややこしいので後者の表記法を基準にする。

後者は基本的に一つの式しかない。

α(n)=α(n+1)*2+γ(n) γは0か1です。

前者はややこしくてすっきりしません。A列をA(n)、それを2で割った余りC列を C(n)とする。

ややこしいのはA(n)の定義にC(n-2)がからんでいるからです。

具体的な例で考える。

与えられた数が102の場合。

(1)

C(0)=0 A(1)=102 C(1)=0 、 この場合A(1)=α(1) C(1)=γ(1)=0 

(2)次に、

α(2)=51 で、C(0)=0,C(1)=0 ですから

A(2)=A(1)-B(1)-C(0)+C(1)=A(1)-B(1)=α(2)

C(2)=γ(2)=1

(3)次に、

α(3)=25 で、C(1)=0,C(2)=1 ですから

A(3)=A(2)-B(2)-C(1)+C(2)

A(2)-B(2)=α(3)+1 -C(1)+C(2)=0+1=1 ですから

A(3)=α(3)+2=27

C(3)=γ(3)=1

(4)次に、

α(4)=12 で、C(2)=1,C(3)=1 ですから

A(4)=A(3)-B(3)-C(2)+C(3)=A(3)-B(3)-1-1=A(3)-B(3)

=α(3)+2-B(3)=(α(4)*2+1)+2-(α(4)+1)

=α(4)+2 偶数となりなんとか

C(4)=γ(4)=0 と同位相になります。

(5)次に、

α(5)=6 で、C(3)=1,C(4)=0 ですから

A(5)=A(4)-B(4)-C(3)+C(4)=A(4)-B(4)-1+0

A(4)=α(4)+2=α(5)*2+2 B(4)=α(5)+1 したがって、

A(5)=(α(5)*2+0)+2-(α(5)+1)-1

=α(5)+2-2=α(5) 偶数となりなんとか

C(5)=γ(5)=0 と同位相になります。

以上で、C(n-2),C(n-1) が、(0,0)(0,1)(1,1)(1,0)

の場合、すべてを当たった結果、

A(n)とα(n)の差は、0か2であり、したがって

C(n)とγ(n)は常に等しいことが分かった。

・・・

(数学的には不充分かもしれないので誰か指摘してください。)

(5/18 21:41)

鎮守の森

 今、NHKで宮脇昭さんとかいう植物学者が、日本の本来の自然、森の姿を研究しているという話をしていた。各地の鎮守の森が本来の森の植生をかなり残しているなどということを、宇佐神宮なども訪ねつつ語っていた。 

 篤胤の『霊の真柱』まだ半分しか読めないが、やはり神道の神髄はそうした言説ではなく、森や自然の持つ(かもしれない)霊性との交流にあるのかもしれない、と思わないでもない。だからといってわたしは当面できることとして本を読み続けるしかないが。

長新太

 絵本作家の長新太(ちょう・しんた、本名・鈴木●治=すずき・しゅうじ)さんが25日、中咽頭ガンのため東京都内の病院で死去した。77歳。(●は「秋」の下に「手」)

 長新太はやはりとにかく偉大である。

彼が居たことで、戦後日本もまんざらではなかったと思える。

(うちには『タコのバス』という絵本があった。)

アパルトヘイト・ウォールは国際人道法違反!

Stop the Wall !!実行委員会からのメールより。賛成なのでコピペします。

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     「壁」に関するICJ勧告から一周年

  私たちは「壁」建設の即時中止と原状回復を求めます

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2004年7月9日、国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエル政府によるパレスチナ占領地域・ヨルダン川西岸地区における「壁」建設に関する勧告的意見を出しました。一周年を迎える今日、私たちは、イスラエル政府、日本を含む各国政府、国連機関、世界銀行などの諸機関がこの勧告を尊重し、その内容を実行に移すことを求めます。

 ICJは、2003年12月8日の国連総会(総会決議ES-10/14)に応じ、東エルサレムを含むパレスチナ占領地域におけるイスラエル政府の「壁」建設の法的な影響について、一年前の7月9日に以下のような勧告的意見を出しています。

・「壁」の建設は、パレスチナ占領地域での財産の破壊あるいは接収を伴っており、1907年ハーグ規則やジュネーブ第4条約(文民条約)などの国際人道法に違反する。

・「壁」の建設は、占領地域の住民の移動の自由を実質的に制限するものである。これは農業などの生産活動、医療、教育、水などの資源へのアクセスなどに深刻な影響を与えており、ジュネーブ第4条約などの国際人道法、国際人権規約、および関連する国連安保理決議に違反する。

・「壁」は、「グリーンライン 」と「壁」との間の区域に、イスラエル人入植地の大多数が含まれるよう湾曲した経路で建設されており、事実上の領土併合である。これは武力による領土の取得を禁じる原則に反しており、パレスチナ人の領土的主権と自決権を侵害している。

・イスラエルは、現在進行中の「壁」の建設作業を即時中止しなければならない。 また、イスラエルは「壁」建設のために接収した不動産を返還し、それらの原状回復が不可能な場合は当該被害者に賠償する義務を有する。

・この問題は、イスラエル・パレスチナだけでなく、国際社会全体の平和と安全に関わるものである。すべての国には、これら「壁」建設とそれにより引き起こされた事態の維持につながる援助をしない義務があり、これらの違法状態を終らせる努力をしなければいけない。

 同年7月20日には、国連総会が決議を採択し(ES-10/15)、これらのICJの勧告的意見を支持しています。

 また日本の原口国連大使は同年7月16日の国連緊急特別総会において、「壁」建設の継続を遺憾であるとして、イスラエルに適切な行動をするよう呼びかけています。

 しかし、過去一年間、「壁」の建設は中止されることなく続いています。さらにこの「壁」以外にも、イスラエル人入植者や軍のための道路が建設され、占領地域の人々の居住地域は分断され、互いから隔絶されています。これは、農民が彼らの土地や水源から切り離され、家族と家族が切り離され、子どもが学校から、また病人が医療施設から切り離されることを意味しています。私たちは、これらの政策がパレスチナ自治区の住民にさらなる困窮を強いていること、そして和平プロセスを形骸化させていることを憂慮します。

(略)

          2005年7月9日 Stop the Wall!! 実行委員会

軍部悪玉論

 我々はそろそろ軍部だけを悪玉に据える歴史認識から自由になるべきだろう。国を戦争に駆り立てるのは、一部の軍人なんかじゃない。分かりやすい物語と解決を求める、想像力のない国民なのだ。

http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20050730/p1

おっしゃるとおりだと思う。

 先日こどもたちが今後使う(かもしれない)教科書の展示会があって(暇でもないのに?)見に行って扶桑社の教科書も見ることは見たが、時間がなくそれほどよく読めなかった。「軍部だけを悪玉に据える歴史認識」を扶桑社とかが攻撃しているということらしい。だけど歴史家の間では、「軍部だけを悪玉に据える歴史認識」が大手を振るったということは今までなかったのではないか。極限的には、沖縄において住民自決を先導した部落の指導部などがそうなるわけだが、一般大衆の中にも多くの戦争体制への協力を強制する積極分子がいた。そうした人たちへの責任追及はあまりなされなかった。狭い地域社会の中で血で血を洗うようなことに成らなかったという言う面ではその方が良かったのかもしれない。しかし実際に追及され、裁かれたのは、軍、政府首脳のごく一部だけである。裁きを免れた岸信介以下の首脳たちの責任は追及されるべきだった。それだけでなく、一般大衆と軍、政府首脳の中間者、マスコミやイデオローグ、官僚、軍需産業首脳といった人たちへの追及も、なされるべきだっただろう。*1

 話がそれた。*2言いたかったことは、「軍部悪玉論」とは便乗派戦争協力者が自らの罪を軍部(結局は東条)になすりつける為のものだったと。そうすると最近の左翼的教科書とかは何の関係もないのでは、ということ。

 ところでまた話を外らすと、天皇の戦争責任論というのも、便乗派とか殺されないためにしかたなかった(左翼の)戦争協力者が自らの罪を天皇制になすりつける為のものだった、と言えないことはない。*3仮にそうだとしても、何度も言うように、“ヒロヒトかそれとも東条”に戦争責任が無ければ誰にも無くなってしまう。小泉の靖国参拝は東条無罪論であり、責任はなかった論である。「罪を憎んで人を憎まず」と言ったが、「罪」とは何か明言されておらず、罪を確定する意志はないと認められる。

「悪玉はAだ」というのは短慮だ、というのは常に一理ある。しかしそれを反復しているうちに、(例えば肉親が無惨に死んでいったそうした戦争を起こし、さっさと止めなかった)責任者に対する憎悪にもとずく責任追及というパトスが薄れてしまい、「悪玉」を存在させなければならないとする当為が希薄になってしまう。

 平和、平和と唱えるだけなら誰も傷つかない。しかもそれで効果がある(平和が得られる)ならそれが最上である。しかしながらそれだけではどうも収まりそうもない。

 真夏の真昼、私たちはカンテラを灯して「悪玉」を探している。

*1:文学者に対する戦争責任追及は為された。しかし追及の主体(転向左翼)が自らの便乗表現には目をつぶって、よりひどい人を追及したというものだったので迫力はなかった。参考:1956年、吉本隆明と武井昭夫の共著『文学者の戦争責任』

*2:どうもわたしの文はそれてばかり。

*3:?

死体を踏んで

『ニューヨーク・タイムズ』のウオーレン・モスコウ記者は45年3月29日付で、「渡嘉敷の集団自決」の見出しで次のように報じた。

(略)

われわれは朝まで待つことにした。その間人間とは思えない声と手榴弾が続いた。ようやく朝方になって、小川に近い狭い谷間に入った。すると「オーマイガッド」何ということだろう。そこは死者と死を急ぐ者たちの修羅場だった。この世で目にした最も痛ましい光景だった。ただ聞こえてくるのは瀕死の子供たちの泣き声だけであった。

 そこには200人ほど(注・Gリポートには250人とある)の人がいた。そのうちおよそ150人が死亡、死亡者の中に6人の日本兵がいた。死体は三つの小川の上に束になって転がっていた。われわれは死体を踏んで歩かざるを得ないほどだった。およそ40人は手榴弾で死んだのであろう。周囲には、不発弾が散乱し、胸に手榴弾を抱えて死んでいる者もいた。木の根元には、首を締められ死んでいる一家族が毛布に包まれ転がっていた。(略)

 小さな少年が後頭部をV字型にざっくり割られたまま歩いていた。軍医は「この子は助かる見込みはない。今にもショック死するだろう」と言った。まったく狂気の沙汰だ。

http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/334.htm

確かに原爆はさらに大きな悲惨だったかもしれない。だが、日本軍が日本人を死に追いやり、親が子を殺したことの悲惨は語りようもない。

<憎悪>をとぎすまし持続しなければならない、と私は考える。

応答可能性と政治的正義

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050918 の続き

責任/応答可能性という発想は、岡野八代においては政治的正義実現のための一つのステップとして現れる。

私の人生がこんなになったのは日本のせいです。日本は私たちに補償をして、このことを歴史に残さなければなりません。今の日本や韓国の若者は、こんなことがあったことを知らないので、事実を教えてあげなくてはいけないと思っています。(元従軍<慰安婦>金学順)

「責任」を考える場合に、わたしたちは、在る行為を自らが「自由」になしたからこそ、その行為に対する「責任」が生じる、と考える。だがしかし、呼応関係においては、「かつて自らが自由になした行為については、今その責任がある」といった<責任に先立つ自由>といった考え方が覆される。なぜなら、<わたし>がいま、金学順さんの言葉を聞いた時点で、すでに否応なく彼女の声に応えることが要請されており、聞いてしまった時点でわたしには、いかなる自由もなく、すでにその声に応える責任/応答可能性のなかに巻き込まれてしまっているからだ。そして、その後に、その声に応えるか否かの自由に開かれることになる。*1

責任とはまず無限責任なのだ。そして無限責任であるかぎりその責任を<わたし>は果たしえない。そんなことは不可能なのだ。p248同上

わたしたちは、ある意味で偶然出会う個別のひとびとからの呼びかけを個別の受信者として聞き取ることしかできないのである限り、あらゆる人からの無限の責めとしての倫理的責任は、ある限定した範囲の中で果たされるしかない。つまり、実際に彼女たちに正義が回復されるためには、わたしたちは、誰にどれだけの正義を返すのか、という限定的な正義の範疇や正義を回復するためのルールを確定しなければならない。(略)

そうではなく、倫理的責任は無限責任であることを意識しながらも、なお限界を問い返しながら責任を取ろうとする積極的正義が存在していることを意味しているのだ。p269同上

岡野はこの正義を「政治的正義」と呼ぶ。これは(アリストテレスからロールズに至る)現代正義論の立場、即ち「配分的正義論を正義の通常モデルとする正義論の立場に立てば、日本政府が従軍<慰安婦>問題に対して無責任であっても、正義に悖ることがないという結論が導かれる*2」そのことに対する批判として、なされる。

*1:p246 岡野八代『法の政治学』isbn:4791759699

*2:同上p265

「なぜ人を殺してはいけないか」再考

(1)

Qなぜ人を殺してはいけないか?

A国家が、正当な殺人を独占しているから。つまり、国家が、それ意外のものが殺人をしようとすることを押さえ込んでるんだよ。

http://blog.lv99.com/?eid=311232 こどものもうそうblog | 「なぜ人を殺してはいけないか」再考

その通りだと思う。なんとなく、この方のブログをはじめて覗き、上記の表題を見つけたので(失礼ながら)どうせ大したことは書いてないだろうと思いながら読んでみるとそんなことはなくて非常に素晴らしいのでビックリした。

萱野稔人『国家とはなにか』を最初だけ読んだ。エキサイティングな本の予感。

マックス・ウェーバーの『職業としての政治』を引用し、

国家とは、正当な(合法な)物理的暴力(破壊や殺傷、拘束、監禁といった具体的な暴力)行使を独占し、もし、他の個人や集団が物理的暴力を行うならば、国家はその暴力を上回る暴力によって実際に押さえ込むもの、といった内容(乱暴な要約で難しげになってるかもしれないけどね)が最初の20ページで展開される。(同上)

というヒントから生まれたものだという。

わたしは前から、死刑と戦争を肯定している社会に住みながらつまり間接的には殺人を肯定しながら、それとは無縁に「なぜ人を殺してはいけないか?」という問いを考えることができると思っているようなインテリやマスコミ関係者に深い疑問を感じていた。

(2)

ここでは、たまたま読んでいた『戦争責任と「われわれ」』という本のなかにあった中岡成文の文章の一部を批判したが、ちょっと強引すぎるかもしれないので一旦削除します。

神の死について

近代において、共同体内存在であった個が自由になり個人になった。ここで自立した諸個人による交流の場市民社会が形成されればよいが、実際は上手くいかないことも多い。市民社会から排除された女性や犯罪者からの異議申し立てが起こる。

また市民社会を形成しうるのは教養ある市民であり、教養とは国家と神への信頼である、と考えられる。

しかし<神は死んだ>。

ここで対応法は3つ。

α.一つは神は死んでないとがんばる。

β.一つは神無しで生きる。

γ.一つは「神の代わりを出現させようとして狂う」*1。である。

βは一番スマートのようだが、結局世界にある圧倒的な不正義に目をつむり自分たちだけの権益を守る思想とつながるのではないか。

α、神が死んだとしても、神という名前だけは残る(例えば「皇高皇宗」)その名前とイデアへの尊敬を絶やさないような私個人の思いをなんとか拡げていけばいいのだ。このように考えると否定しなくともよいようにも思える。

神がない以上、わたしたちはいつも狂気の淵にさらされている。そう考えるとαβγは余り違わないところに収束してくかもしれない。しかし、体制派のひとは既成の権力関係をそのまま神の代わりに信仰せよと迫ってきたりするのだ。侮蔑し唾を引っかけてやれ。

祇園に行きました

一昨日。四条河原町から観光客用の窓がずっと並んだ道を少し行ってつき当たりに階段があり登ると祇園さんです。最初に蘇民将来の社がある。手を合わせた。*1行灯の沢山灯ったところの向こうにメインの神社がある。ここの祭神は牛頭天王だったな、と思って説明書きを見るとスサノオになっている。あとから考えるに、これはやはり明治の廃仏毀釈期に訳の分からない神を記紀の神に整理し直した影響だろう。その向こうは円山公園。戦争と基地強化のための日米首脳会談反対! 11・15-16京都行動 というのに参加するためわざわざ電車に乗ってきたのだ。誰からも誘われず誰にも言わずに。京都15日(火): 午後6時30分~  場所 円山公園 ラジオ塔前 というメモだけをたよりに。時計を持っていなかったがまだ予定の時刻より1時間近く早いかなと思って行くと灯りのまわりにそれらしき人々が十数人居た。公園が広いので人数少ないなあという印象。自販機の灯りをたよりに本を読みながらそこでじっと待っていたがかなり寒くなってきた。月がとてもきれいだ。…やっと始まる。沖縄や座間、韓国など現地の反基地運動との連帯のアピールが主だった。鳴り物を鳴らしているのが面白い。デモ出発。人数がだいぶ増えている。数が多かったせいか、一列3人とか4人とかの規制はされずいい加減に広がって歩く。わたしは大きな横断幕の端を持つことになった。通行人の反応は余りないが良かった方だろう。デモとは歩くことと怒鳴ることだ。アーンポ フンサイ、トーウソウショウリとシンコペートする二拍子はジグザクデモの時か。まあそれの変形が主流だが単調になりがち。ここは開発の余地が大いにあると思った。

 <反ブッシュ>の意志表示をしました。という報告。

*1:八坂神社の境内摂社である疫神社は、疫病除けの神、蘇民将来を祀っている