神さまがいっぱい

 えー最近では古事記伝というと別の本のことだとかいう話を聞いたがまあそれはどうでも良いとして、岩波文庫の本居のそれは、1940年に(戦争中ですね)作った版をそのまま使っているので活字がかすれているし読みにくいことこのうえない。でもまあわたしは、無意味に近い言葉に惹かれるたちなので、苦労しながらなんとか読んでいます。やっとp298まで来ました。火の神カグツチを生むところです。天地初発之時からここまで岩波文庫古事記の原文(漢字ばかり)ではわずか3頁。それが『古事記伝』では約160頁です。

 ところで新潮日本古典集成の『古事記』(西宮一民校注)の付録には神の名前がずらずらと1番から321番まで番号付きで丁寧な解説付きで載っている。とりあえず最初の部分を載せたいと思ったが古事記の神名は使われていない漢字などもあり書くのが難しい。ちょっと下記の古事記研究所というところからコピペして神の名のところだけ使わして貰います。記して感謝します。(一部勝手になおしたりしています)

  1. 天之御中主神。(あめのみなかぬしのかみ)
  2. 高御産巣日神。(たかみむすびのかみ)
  3. 神産巣日神。(かむむすびのかみ)
  4. 宇摩志阿斯訶備比古遲神。(うましあしかびひこぢのかみ)
  5. 天之常立之神。(あめのとこたちのかみ)*1
  6. 国之常立神。(くにのとこたちのかみ)
  7. 豊雲野神。(とよくもぬのかみ)*2
  8. 宇比地邇神。(うひぢにのかみ)
  9. 妹須比智邇神。(いもすいぢにのかみ)
  10. 角杙神。(つのぐいのかみ)
  11. 妹活杙神。(いもいくぐいのかみ)
  12. 意富斗能地神。(おおとのぢのかみ)
  13. 妹大斗之辨神(いもおおとのべのかみ)
  14. 於母陀流神。(おもだるのかみ)
  15. 妹阿夜訶志古泥神。(いもあやかしこねのかみ)
  16. 伊邪那岐神。(いざなぎのかみ)
  17. 妹伊邪那美神。(いもいざなみのかみ)*3

これでイザナミが17番になるだろうか?

*1:以上の五柱を、別天つ神 と言います。

*2:この二柱の神(6,7)もまた、独神となりまして、身を隠したまいき

*3:以上国之常立神から、妹伊邪那美神までをあわせて、神世七代といふ(2柱+5対)

10人の場合

を考えてみよう。

数字は1~10。すると、1巡目で偶数が消える。奇数は二進法では最小の桁が0。つまり答えは最小桁が1。1巡目の個数をF(1)=10とする。個数10を2で割る。10÷2=5余り0 g(1)=0 F(2)=0+5 

2巡目は1,3,5,7,9のうち3,7が消える。つまり g(1)=0だが、1巡目と逆に*1、二進法では10の桁が1のものが消える。つまり答えは10の桁がゼロ。5÷2=2余り1 g(2)=1 F(3)=1+(5-2)=4

一拍置いているので3巡目は1,5,9のうち1,9が消える。つまり g(2)=1なので、2巡目と反対に二進法では100の桁が0のものが消える。つまり答えは100の桁が1。4÷2=2余り0 g(3)=0 F(4)=3-1=1 終わり。

つまり答えは2進法で101。10進法で5。

これであっているのかな。与えられたxについての式がわからないのでまだ不安。

エクセルでフォームを作った。1000を入れると17になる。本当か?

*1:数が0001から始まるから

夢の浮き橋

春の夜の夢の浮き橋とだえして嶺に別るる横雲の空

(藤原定家)

塚本邦雄さんの本が一冊だけあったので、引用してみた。

「ぴたりときまつたゆるぎのない夢幻の定着」と彼は評している。

「この歌は完璧な形而上学であり」とも。(p165『定家百首』河出文庫)

立ちのぼるみなみの果に雲はあれどてる日くまなき頃の虚(おほぞら)

(藤原定家)*1

不思議な歌である。大きな空がすべて日光に覆われている夏である。だが邦雄の読みは「これは鈍色一色に塗りつぶされ、一点白い太陽が輝いているだけの、重い一首」となる。ふむ。

*1:同書p42

間違いは訂正すればよい!

モヒカン族とやらが流行っているという。世捨て人が流行りものに手を出すのも恥ずかしい。だけどまあ面白いかもしれないので引用して見よう。

http://mohican.g.hatena.ne.jp/keyword/%e3%83%a2%e3%83%92%e3%82%ab%e3%83%b3%e5%ae%a3%e8%a8%80

モヒカン族 – モヒカン宣言

■ 宣言

1. 発言者の社会的地位を気にせず、言説だけに注目する

2. 事実のやりとりに、余計な装飾語はいらない

3. 間違いは、きちんと認めて修正すればいい

だいたい賛成です。特に3. 「余計な装飾語はいらない」というのが理想ですが、私は意味なく相手の気分を害していることが多いのではとも思う。

■ モヒカン族5つの価値

校正

間違いを訂正してくれる人を我々は尊敬して評価します。よけいな裏読みをして「人格攻撃している」とは思いません。

共有

アイディアに校正の機会を与えることが生みの親の義務です。「理由が無いけど、これはこれでいいんだ」というエレガントではない開き直りはくだらない。

ツッコミビリティ

校正、反論しやすいエレガントな言説が価値ある言説です。その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。

(1項目略)

差異

お互いの違いを確認することで、我々はつながります。「自分らにとって良いから他の人にも良いはずだ」とは思いません。(同上)

正しい、というか反論しにくい。あえて言えば、読みとりにくい文体で書かれた文章をどう評価するか、という問題が考察されていない。

文学的には、文章とは伝達可能性と不可能性のバランスにおいて成立する。文章を書くとき、ツッコミビリティを高めるという意識を持って書くべきだというのは賛成だ。だが一方では他者には“全然分からない”といわれるそうした文章を書く権利も人は持つ。それは「詩」であり、文章(論説文)は自ずから別だろう、と言われるかも知れないが私はそうは思わない。例えば磯部浅一のように反逆罪で訴えられたらそれに対する反論は、論理=合法性を離れ詩に近づくだろう。だからといってそれを揶揄することしかできないものは、自らえらんだわけではない東条英機を許しながらあと千年生きることになる。

「その為には、冗長にならない範囲で、ソースと推論過程を明確化し他へ示します。」わたしの文章にはソースの提示はあるが推論過程の提示がないな…

ちなみに、<野原燐 気付 自主ゼミ実行委員会>の原則は下記の通り。

1.公開。

2.参加者の自由な討論ですべてを決定する。

3.このゼミで討論され考察の対象となった事柄は、参加者が各人の責任において、以後あらゆる場で展開していく。

考えてみればわたしたちの社会も、すべての市民の「自由な討論ですべてを決定する」というラディカルな原則を“原則としてだけは”とっくの昔に採用していたのだった。その場合、モヒカン宣言に類する心構えは当然必須ということになるべきだったろう。モヒカン宣言なるものがけっこう新しく見えるのは、「自由な討論ですべてを決定する」を真面目に押し進めようとする勢力がごく少なかったことを意味しよう。したがって、上記のような留保は付けつつも、モヒカン宣言に賛成し発展を祈りたい。

価値の根拠はある

しかしマルクス主義に続いて、丸山的な市民社会主義も捨ててしまうとすれば、日本に生きる批判的知識人が、最後に拠って立てるような「批判」のための理論的基盤がなくなる。西欧産の「国民国家」イデオロギーに汚染されていない日本に固有のアイデンティティを探求し始めれば、自由主義史観と変わらなくなる。

(P237仲正昌樹『日本とドイツ 二つの戦後思想』)

日本に固有のアイデンティティなんて、探求したって他国人には通用しないのだから一文の価値もないよね。ただ、それほど厳密に考えなければ、日本の伝統の中に理論的基盤の<根源>を求めることはできる。例えば「終戦の詔勅」の「皇祖皇宗の遺範」でもよい。天皇中心主義は本来、儒教*1や朱子学*2と基本的に違ったものではない。北畠親房や儒家神道だけではない。*3したがって、「皇祖皇宗の遺範」というのも朱子学で言う「理」に近いものと受け取って良いのだ。

ただ可笑しかったのは、天皇裕仁が退位しなかったこと。そのせいで日本は価値の根源が不明になった。最近のプチウヨはサイパンの崖の上から何回でも飛び降りますと、永劫回帰主義者になりかっこいいが、大衆は誰も付いてこないと思うぞ。

*1:<天>が中心

*2:<理>が中心

*3:例外は宣長と一部の国学者だけだ。国学者でも、鈴木雅之(id:noharra:20050710#p2)のように宋学との親近性が明らかな人もいる。

約二百万人の日本人死者への責任は?

おとなり日記から

本来平和主義者で戦争回避論者だったが、東條英機をはじめとする強硬派の主張に引きずられ、あくまで立憲君主としての中立的立場に固執するあまり、戦争への流れを止められなかった、基本的には軍部の被害者であった昭和天皇。

そういう一般的な昭和天皇のイメージは、近年の公開史料に基づいて書かれたハーバート・ビックスの『昭和天皇』が提示する驚くほど好戦的な昭和天皇像によって根本的な修正を迫られている。

http://d.hatena.ne.jp/motoski/20050815 もとすき日記

逆に言えば、昭和天皇の判断が誤っていたから、約200万人の死者が余計に失われたのである。

この事を普通の日本人が当たり前の歴史的事実として受け入れるまでに、果たしてあと何年かかるだろうか。はっきり言えるのは、たとえ何年かかろうとも、この問題を解決しない限り、日本人にとって「戦後」は終わらないということだ。

敵が中国や韓国や東京裁判なら戦いは容易である。左翼やリベラルが敵でも同じこと。

臆病で優柔不断で好戦的で保身的で日和見的でずる賢い自国の天皇が本当の敵だったと分かったとき、私たち日本人は一体どのように戦うのか。決戦の日は刻々と迫っているように思われる。

(同上)

 日本人ははたして自己決定を望んでいるのか。自己決定せずに何かに引きずられていき、ひどい目にあっても「やむを得なかった」といって納得して死んでいくのが好きなのではないか?

国家のために死んだ・・・

国家のために死んだ(生を中断させた)人を弔わないのはおかしい。

という論理を批判するのは難しい。「ために」という言葉のニュアンスの問題もある。餓死者だって、「国家のために」死んだわけだが、この場合の「ために」は、国家が糧食補給という義務を果たさなかったから、国家の加害行為によって、というニュアンスになる。普通は、国家からの命令という契機はあったものの「国家のために」「ふるさとのために」という思いを以て、というその人本人の自発性がそこにあった、という意味で使われるだろう。

わたしの言う狭義の被害者(餓死者など)については、戦うという能動性を国家の不手際によって奪われたわけですから、「国家のために」という国家とのシンクロからも隔たったなかで死んでいったことになります。敵に一発の弾も撃てずにただ蛆に食われるためだけにこんなところで死んでいくとは、という自嘲とともに死んでいった、のでしょう。

であればそのような死者に対し国家が為さなければならないことは謝罪であり、君の死は無駄ではなかったという顕彰などではない、ことははっきりしています。この点を明確化できなかった日本は、普通の国家になりそこない、窮極のマゾヒズム国家か、非力な絶対平和主義かの二者択一しかないわけですね。

追加情報

http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~nikaido/oarai.html

大洗磯前神社の近くの天妃神社は、かって水戸光圀が媽祖(まそ)を祀った神社。

大洗磯前神社の有名な海上鳥居の写真有り。中国民間信仰研究家二階堂善弘氏のサイトです。

http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20051004/ibaraki

N.Momoseさんによる大洗磯前神社ほかの巡礼日記。上記もここのリンクから知った。

小泉政治に抵抗せよ

「小泉改革」の政治に抵抗し抗議するネットワークを作ろう!という呼びかけを「世に倦む日日」thessalonike2さんがされている。遅ればせながら今日知った。

うーん。小泉が国会での答弁で「どこが非戦闘地域かわたしに分かりますか?」など、ふざけた答弁を重ねていることは、国会を侮辱することであり糾弾したい。わたしは国際政治においては反ブッシュ-反小泉-反シャロンである。世界銀行とかの政策はしばしば途上国の人民の幸せに反する結果を生んでいるのではないかと疑っている。首相の靖国参拝には反対である。消費税増税反対、税のふらっと化を元に戻せ!である。いわゆる新自由主義的政策に概ね反対である。教育基本法と憲法の改悪に反対したい。

「STOP THE KOIZUMI」

ゲバラと三島由紀夫のサンプルを並べてみたのはそういう理由と目的からであり、反小泉(反「改革ファシズム」)のブログ・プロテスト運動を、左右の壁を越えて極大化できないものかという希望があるからである。

http://critic2.exblog.jp/1260870/

政治は目標の一致で団結すればよく、思想の一致は不要。というのは理屈では分かっても今までイメージとしても体験してない。があくまで団結出来るときはする! でいいだろう。