神道の男女平等論

戦争中教師が小学生全員を神社に引率していったが、数人の五,六年生だけが鳥居の外に残された、というようなことはよくあったらしい。つまり「生理の血」を<穢れ(けがれ)>としてその時には神社に入ることすらできない。「晴れやらぬ身の浮雲のたなびきてつきの障りとなるぞ悲しき」という和泉式部の和歌があるそうだ。<血の穢れ>観にもとずく差別は確かに存在した。しかし、と菅田氏は言う。わが国の固有信仰には太古は、本来はこうした不浄視は存在しなかった、はずだと。*1その主張のために、経血染めの例を挙げているというわけである。

 ところで、男尊女卑の儒教に対し神道は男女平等なんだと主張している文章があったので引用してみよう。増穂残口(のこぐち)(1655~1717)の「神路手引草」*2。凡俗に分かりやすい通俗神道を説いたらしい。

「我神化陰陽和合と祝ぐは、男女一双にして、高下尊卑なし。然るに女は男の奴(やっこ)の如く、何事も男にしたがふはずと思ふは、支那の礼格に迷いて、わが国の道をうしないたるなり。是男の意地賤しきより、己が権を高ふして、女を随えんとする法を、是ともてはやすに至り、夫婦別有の格、去すつるに七つ、去らざるの三つなんどの、人作の支那物語をもって、無理おしに女をないがしろにする。いつしか国俗それを好(よみ)して、国神の化にそむくともしらず。

 そもそも人は一箇の小天地なり。天のみさかえ地のみはびこりて、立つべきいわれなし。天は覆い、地は載せてそむかず、一方不順ならば万物成就する事なし。男女の中に一毛も高下尊卑を論じ、私意邪僻有りて、天徳の覆いのみほこりて、地載の功をうしなはば、いかんぞ温淳の子孫を生ずべけんや。我が国神の天七地五は唯その事のみ*3、一貫の通理は言語に絶えたり。秘とすべからず。」

 「我が国、我が国」とか高唱するのは嫌いなのだが、日本にもそれなりに想起すべき伝統はいっぱいあった、という例として(苦労して)打ってみました。300年前にしてはわりとちゃんとした平等論だと思うが如何?

*1:同書p153

*2:p214『近世神道論・前期国学』 岩波 日本思想体系

*3:わが国の神に天神七代地神五代があり、天神地神あって国土が生成し、万民生育しているのは、天地陰陽を平等に尊ぶことを示したもので、我国では天地の等しい如く、男女は平等であるの意。上記本の註より

若年世代の超長時間労働

 わたしたちのすぐ身近に有るのに、見て見ない振りをされたり問題として認識されない、マスコミに取り上げられることなど全くない問題、ってけっこうたくさんあるものですね。今日hatenaでみつけた「問題」。労働問題についてはそれ専門で研究し声をあげるべき研究所~組織(労働団体)が腐るほどあるはずなのにね。

若年世代の「正社員」の一部で超長時間労働が絶対起こっているはずだと睨んでいたのですがこれまで統計的証拠を見つけられなかった.今日やっと見つけた.玄田有史先生の本にちゃんと載っていた. 年間200日以上就業し、1週間に60時間以上働いている35歳未満の若者は約190万人にのぼる(総務省統計局「平成9年度就業構造基本調査報告」)。週休二日制に換算すれば、150万人のフリーターを大きく上回る人数の若者が、毎日、朝9時から一時間の休憩を挟んで夜10時過ぎまで働いている計算になる。 しかし、若者の長時間労働を問題としてとりあげたり、それが晩婚化の一因かもしれないと危惧する声は、ほとんどきかれない。  -玄田有史「仕事のなかの曖昧な不安」(2001,中央公論新社

はてなダイアリー – -「労働・しごと」について考える- 日々日報

引用前半は、idiot817さん、後半は玄田有史さんの文章。

『新潟』の一部をUP

金時鐘の詩は1行が短い。一字のこともある。平均しても5字前後。普通の詩なら20行も引用すると充分だが時鐘の詩はそうはいかない。だがこの日記のようなところで百行も引用しても間が抜けてしまう。そこで、最低の一まとまり約240行を下記に縦書きで、UPしてみました。(「縦書きhtml」というフリーソフトを利用しましたが環境によっては間が抜けたレイアウトになるかも知れません。)

感想はあとから書きます。

http://noharra.at.infoseek.co.jp/2004/ikesu2.htm

       1行が短いサンプルは以下。*1

これが

親子爆弾の

子爆弾の

信管の

ネジ

る。

 このネジは朝鮮戦争のネジだ。「朝鮮戦争で五五万トンの爆弾を落とした。この量はアジア・太平洋戦争で日本全土に落とした爆弾の3.5倍であり、面積あたりにすると日本の十倍に達する。朝鮮戦争の結果、死者だけで南北合わせて126万人。」*2

「朝鮮特需は日本経済の『回生薬』であった。」*3ということは誰でも知っている。だが特需という肯定的な二字の本体が、実は血まみれの強力な武器であったこと、そうした理解はわたしたちに欠けている。だが関西の下層労働者だった在日朝鮮人たちは、自らの作るネジが自らの同胞の血と肉を裂くべきものだ、と言うことを知っていた。知っていたが、語ることはできなかった、それはわが身を同胞の殺害者と認識することだから。「反戦」「伊丹基地粉砕」を掲げた吹田事件など*4

に決死の思いで立ち上がっていった朝鮮人たちの根拠にはその<存在の分裂>があった。「である」の「で」と「あ」の間、「あ」と「る」の間の切断もその分裂を暗示するためのものだ。このようにして「詩集新潟」は不可避的に難解になっていく。

(米軍のクラスター爆弾に抗議するとともに、日本国内で部品のネジとかもし作っている場合は内部告発してください。)

*1:p321同書

*2:p29『在日朝鮮人はなぜ帰国したのか』isbn4-87798-186-1 この部分の著者は西村秀樹

*3:経済企画庁『戦後経済史』

*4:吹田事件については金時鐘自身下記で語っています。http://homepage2.nifty.com/mi-show/peaceright/sho_soto/suita.htm

北朝鮮は元在日の帰国を認めよ

下記によれば、1960年帰国事業で北朝鮮に渡った安本さんの姉の帰国を求める運動が起こっている。朝鮮総連は在日朝鮮人の感情と利害を最もよく理解している。関係者が死に絶えるまで待つつもりか?

http://www.chunichi.co.jp/00/ach/20040413/lcl_____ach_____008.shtml

朝鮮総連、受け取り拒否

上京の安本さん、姉の来日嘆願署名提出で

 重病の母(86)の見舞いに北朝鮮の姉(67)を来日させようと取り組む豊田市の在日二世、安本左久子さん(59)が十二日、実現を求める署名提出で東京を訪ねた。集まった署名は全国からの約七千三百人分。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は「前向きに努力はする」としてきた言葉とは裏腹に門前払いで、署名簿の受け取りを拒否した。 (辻渕 智之)

 安本さんの姉は一九六〇年、在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮に渡ったまま、一度も日本に戻っていない。三好町に住む在日一世の母は昨秋、脳内出血で入院。北朝鮮は出国を認めないが、日本政府は昨年末、姉への渡航証の発給を認める異例の措置をとった。

3人が殺されなくて残念

 誘拐者が「日本国家に訴えれば身代金*1をくれる」と思った。この場合「誰もがそう思う」と誘拐者が思っている場合、それが制度として成立していることになる。誘拐とは何か?、と問えば日本でもイラクでもその意味を知らない人はいないということは、宮台のいう意味で制度*2として成立しているということだ。したがって、「国家に訴えても助けてくれない場合、「『(1)すぐに社会的反応を動員でき、(2)国家もそれを弁える』と当てに出来るようになる」はずである。

 ここで、相手をテロリストと呼べば、彼らはテロリストとしてのつまり人質を殺すという結論を選ぶ可能性が高かっただろう。ここでは同じ事態に対し「誘拐」というパラダイムと「テロとの戦い」というパラダイムの二つが争っていて、小泉は後者を選択したということだ。相手がテロリストとして実体化されると、3人の犠牲は小さいものとなる。3人が殺されることにより、相手に殺人者の汚名を着せなおかつ殺人者を憎むことによる国内の愛国化を小泉は得ることが出来たはずだ。したがって「テロとの戦い」パラダイムが正しければ、3人が殺されることを(口にせずに)望むことが小泉にとって合理的な希望であったことになる。これは嫌みで言っているのではない。論理的に言っているのだ。

*1:自衛隊撤退という身代金は高すぎたか?

*2:参照 http://www.miyadai.com/index.php?itemid=90

藤田幽谷・東湖・小四郎

 さて、後期水戸学というものは非常にマイナーだと思ったのだが、よりメジャーなはずの仁斎や徂徠にしてもわたしの友人は全然知らないし、わたし自身もそれに近い。つまり藤田某を語るとしてアカデミズム以外のどういう立場から語れるのか、無知なら書かなければ良いのだが・・・

 とにかく、村上一郎の『幕末-非命の維新者』の角川文庫1974年刊(とっくに絶版)をわたしは持っているので取り出して少し読んでみた。

明治維新の勝者は薩長つまり西国である。「西国人の利口さ」と村上は自身東国人としての皮肉も込めてそう言ったりする。藤田三代に対する戦後最大の弁護者は村上であろうか。村上の文から二ヶ所引用する。

「では、なんで東湖の半生涯の三つの危機を叙述した「回天詩史」がそれほどに人を動かしたのか。また、なんでそれほど危険視されたのか。わたしはこの文章を少年の日から読み続けてきて、要は「自ら任ずる」という一語にあるように思う。東湖ならびにその同志が、誰に頼まれずとも、また身命が危うかろうと、自らこれを任と決すれば進んで挺身するという、危機感の深さと、内発性のつよさが人を動かし、世の姑息な人びとをしてこれを危険視させたのである。「自任」という二字はその文章にいくつか出てくる。」*1

「しかし、松陰が死ぬ直前になってから、もはや天朝もいらぬ、幕府もいらぬ、わが藩もいらぬ、草奔くっ起は五尺の微躯あらばよしと断言するに至った精神の過程に、彼が水戸の気風に触れた若き日の感動が、尾を曳いていなかったはずはない、とおもうのである。」*2

 でこれを読んで、思い出したのは、今日たまたま見た古本屋のサイトにあった六月行動委員会についての埴谷雄高の規定。(村上一郎もその周辺だったはず。)百年を隔てて類似性があるのは、村上という語り手のせいでもあるが。以下ペースト。

http://miyuru.com/kosyo/new.html

埴谷「各人が勝手に自由でありながら、連合する。」

松本健一/六月行動委員会などはどちらかというとそういう発想でしたね。

埴谷雄高/ええ。だから、革命の意識を持った一人一人が党だと言っているんですよ。党員がたくさんいるのではなく、独立した党がずうっと並んでいる。一人一人が全部党だ。ぼくはそういう考え方ですから、ずっとアナキズムだ。

*1:同書p130

*2:角川文庫『幕末』後書 p238

パレスチナ人は死ぬ

この7月4日あるところで、29歳の男性が亡くなった。リファアット・アブ・アムラ。

「この7月上旬だけでパレスチナでは30名が殺されました。」と大きなニュースにもならないその30人のうちの一人になります。人は死について語ることができるのか。寺畑由美さんが彼の死について書いています。

http://www.onweb.to/palestine/siryo/terahata10jul04.html

イスラエルの存在の許容

 イスラエルのシャロン首相がプーチン大統領に電話した、というニュースは興味深い。結局のところ21世紀初め世界*1が血なまぐさくなった原因を作ったのはこの二人とそれに対し宥和した私たち自身にある、というのが真実だ、と将来の歴史家は判断するでしょう。

http://www.asahi.com/special/040904/TKY20040

 「イスラエルの平和を考える会」機関紙のミスターフvol8が今日は郵送されてきた。パレスチナ人政治学者アッザーム・タミーミーさんへのインタビューから引用。

ハマースがイスラエルに言うのは、「まず何よりも前に、あなたが泥棒であることを認めなさい」ということです。パレスチナ人に「あなたの土地を取ってごめんなさい。とても悪いことをしました。新しい生活を始めましょう。私たちはあなたたちと一緒に住めますか?」と。

もし彼らがそうすれば、南アフリカのアパルトヘイトが解決したように、私たちは「一緒に住めます。解決しましょう。」と言うでしょう。

 野原のブログは読者を向いていないが、ここだけは、どうしても読んで欲しいので引用した。だがわたしの真意は伝わらないだろう。「1917年のバルフォア宣言云々かんぬんそのことをいつまでも言い続けにないといけないのか。そうしたら北海道はアイヌに返さないといけないのでないか」、とわたしも数ヶ月前まで反応していたと思う。つまりここはリラックスしてゆっくり考えないといけない。土地を返せ、とここで「ハマース」は言っていないのだ。にもかかわらず、「土地を返せ」と言われたかのように反応してしまう。わたしの生活がその土地の上の数十年であるとき、そこはわたしにとって「私の土地」である。そのことの真実を他者は奪うべきでない。だが(わたしは第三者だから言えるわけだが)パレスチナ人が私の土地だ、と主張するとき、その主張は否定されるべきということになるだろうか?

 満州や朝鮮に生まれ数十年そこに育ってしまった日本人にとってそこがわたしの「故郷」であるのは事実であり、彼自身にとっての真実である。だが個人のレベルの実感と、国家間の調停の結果は違う。そしてこの問題は立場によって答えが違うといっても、わたしはわずかな勉強の成果として一応の答えを持っている。20世紀は帝国主義の時代だった。だが帝国主義を否定する価値観もあった。後者の価値観に立つかぎり「イスラエルは泥棒である」という表現は不当でないとわたしは思う。「満州国は泥棒国家だった」とわたしたちは認めたではないか。

*1:アフガニスタンやスーダンなど広い地域においてはそれ以前もそれ以後と同様血みどろだった!?

人質非難はどうかと思う(11/5)

http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1094319459/375 『結局、スピンをまともに検証して本に出したのは小林だけなんだよな。

バッシャー(情報操作に引っかかった人も確信犯も含めて)達がテレビ番組や雑誌記事、記者会見、ホームページ、新聞で、あれほど人質とその家族を攻撃したのに、未だに人質を非難する内容の本を出版した人は皆無。』

「それもあるだろうけれど、前回と違って、今回は官邸からの情報操作(スピン)が無かったからね。

結局、スピンをまともに検証して本に出したのは小林だけなんだよな。」

スピンって何のことと思ったら上記のようなことらしい。で小林って誰よ。スピンとは、フレーバーなんかと同じ原子核物理学用語で、それを小林秀雄が検証したのかと思ったよ(??)高齢者にも分かりやすい文章を書きましょう。

誰が国家にアイデンティティを求めているのか

id:noharra:20041030に二人の方からコメントをいただた、もう一人の方への応答。

(この表現は不正確。10/30に野原が突然引用したのが、お二人との関係の始まり。・・・)

# homoinsipiens 『こんにちは、トラックバック頂いたhomoinsipiensです。

いきなりですが、noharraさんとはちょっと事実認識がずれている気がします。

>前回の人質の親族は、その[「米軍の力を借りた人質救出」路線]を拒否しようと、必死で、しました。それが叩かれた。

今では数多く起こっている人質事件ですが、4月の人質事件はそのハシリだっただけに、米軍による救助という話が出てくるまでに結構な時間が経過した気がします。むしろ、叩きの原因、というか騒動の発端は、人質家族が事件発覚の実に翌日、自衛隊撤退デモに参加したことではなかったでしょうか。とりあえず私の記憶では、米軍による救助はだいぶ後まで現実的なオプションとして提示されることはなく、それほど中心的な論点ではなかったように思います。

あと、いやな指摘ですが、これまでザルカウィ派が捕らえてきた人質は11名、そのうち生還者は4人です。さらに、非イスラム圏出身者の生還者は0人です。軍隊による救出作戦の成功率をパーセンテージではかるなら、必ずしもこれより低いとは言い切れないのではないでしょうか。私自身、パーセンテージの問題ではないとは思いますが、ご参考までに。

>だってそれ悲惨でしょ。

国家を批判する余裕のない人、あるいは国家の庇護なくしては生きていけない人、ステレオタイプに「国家以外にアイデンティティを持ち得ない人」。私も確かに悲惨だと思います。そして批判者を気取る私たちが現体制の下、なんだかんだよろしくヌクヌクやっているのはこの悲惨の上に乗っかってでもあります。このことへの無自覚さがjinjin5さん云うところの「『国家制度とは自分達にとって常に他者である』という[…]傲慢」と繋がっているのではないか、と私は考えます。批判を名乗るなら、その批判は自らにも向けられるべきではないでしょうか。私はある意味で反・(暴走的)自己責任論者としての自分への戒めのつもりでかのエントリを書いたつもりです。』

homoinsipiensさん

レスが遅れました。というか以下もたぶんちゃんとしたレスにならないと思います。

「政府は人質の救出に全力を尽くすべきだ」とする意見をわたしは取りません。前回の人質の場合、救出については[「米軍の力を借りた人質救出」路線]とイラク国内の穏健派などへ働きかける路線、少なくとも二つがありました。人質の家族は国家方針である自衛隊派兵の撤回を訴えたことで世論の反発を呼びました。わたしが強調したいのは、[「米軍の力を借りた人質救出」路線]を拒否してくれと主張する権利を家族は持つはずだという点です。前回家族に拒否の意志はありました。この点について当局と軋轢があったことも確かだと思います。今回面倒なので過去資料は探しませんが。

「政府なんてなくてもいい、あるいはないほうがいいなんて考え方は、彼ら市民運動家たちが実は経済的に恵まれている…からこそじゃないのか。」に対し、私は肯定したのですが、これはいま一度考え直した方が良いようです。

「国家を批判する余裕のない人、あるいは国家の庇護なくしては生きていけない人、ステレオタイプに「国家以外にアイデンティティを持ち得ない人」。」という想定の仕方は不正確です。

人質批判をした人でも(B)2チャンネルなどに自分で人質批判を書き込んだ人、と(C)テレビで大量に垂れ流される人質批判言説が自分の心のどこかに触れたため取り入れた庶民 は区別すべきです。さらに(D)新聞の1面に載るような言説一般に全然興味を示さない人々も存在するはずです。

それに対して(A)「僕の周りの連中の間では今も昔も反・自己責任論の大合唱。」を対照して見ましょう。知的にはA>B>C>Dというような階層差が存在するような気もします。

だとしても「批判者を気取る私たちが現体制の下、なんだかんだよろしくヌクヌクやっているのはこの悲惨の上に乗っかってでもあります。」というのは意味が明確ではない。

 イラクの10万人(?)の死者に対し、日本人として野原はその「悲惨の上に乗っかって」いると指摘されたらそうかもしれない。その悲惨を直視しどう関われるのか考えるべきでしょう。日本国内においても野原は階級的知的に劣位なものの上に乗っかっているかもしれない。だが階級的知的劣位であること即ち、「国家以外にアイデンティティを持ち得ない人」たちではない。

http://d.hatena.ne.jp/homoinsipiens/20041029#1099030289(これを書いとけばトラックバックになるかな)