血にまみれたわれわれの手

 ジーン・ウルフは「ひとを殺す」ことについて考察している。言い直すと、「(あなたを)わたしが殺すこと」が可能であるためには何が必要かについて。ひとがひとを殺すことは不可能である。あなたは(つねに幾分か)私の鏡像であるがためにあなたと呼ばれるのだし、そうであるかぎりあなたを殺すことは不可能だ。

 しかし殺すことは可能でなければならない。

 《自在神よ》聖職者が読んだ。《ここで今命を失う者たちは、あなたの目から見れば、われわれ以上に邪悪な存在ではないと、われわれは承知しております。彼らの手は血にまみれておりますが、われわれの手も同様です。》

(p46「調停者の鉤爪」新しい太陽の書②isbn:4150107033

 女のモーウェンナが聖職者に導かれ、鉄の串を持った男に後ろから小突かれながら、階段を上がってくるところだった。群衆の中のだれかが大声で、猥褻な示唆をした。

《……慈悲心を持たぬ者に、慈悲を垂れたまえ。われらに慈悲を垂れたまえ。今、慈悲心を失わんとしているわれらに、慈悲を垂れたまえ》(p47同書)

「おまえが女だということを考慮すると……きわめて忌まわしく、異例ではあるが、おまえの左右の頬に焼き鏝を当て、両足を折り、首を胴体から打ち落とすことになった」

「その思考が臣民の音楽であるところの独裁者の譲歩によって、不束なるわたしの手に委ねられた高潔なる司法権力により、ここに宣言する……」

「ここに宣言する。おまえの最後の時がきたぞ、モーウェンナ」

「調停者に懇願することがあれば、申し述べよ」

(同書p48より、一部省略した形で引用)

すでにわかっているように、平均的な田舎の官吏ほど断頭台の上で取り乱す者はいないのである。(略)能力があり訓練さえ受けていれば充分に心をおちつかせることができるのに、それを欠いているというまったく正当な恐怖心との間で、引き裂かれていた。(p50)

その瞬間、わたしは後ろに一歩さがり、なめらかに水平に彼女の首をはねた。これは上下に切断するよりも習得するのに数等困難な技であった。

 かんたんに言えば、わたしは噴き上がった血の噴水を見、首がどさりと台の上に落ちる音を聞いて初めて、やり遂げたと知ったのだった。自覚していなかったが、わたしも村長と同様に怯えていたのである。

 これはまた、昔からの伝統によれば、組合の習慣的な威厳が緩む瞬間でもあった。わたしは笑いたくなり、跳びはねたくなった。(略)わたしは剣を振り上げ、髪の毛を握って首を持ち上げて、断頭台の上を意気揚々と歩いた。(略)群衆は必ず叫ぶ冗談を叫んでいた。(p52)

 長い引用になった。わたしたちは国家の主権者として死刑とその執行を是認している。*1わたしたちではない裁判官が死刑を宣告し、わたしたちの知らない場所で知らないうちに執行人が執行する。法務大臣が執行命令書に署名する時何も言わなければ、執行の後でしかわたしたちは知り得ない。わたしたちの国家はその暴力を恥じ深く隠蔽しようとしている。

 しかしながら、「彼ら(=殺されるべき者)の手は血にまみれておりますが、われわれの手も同様です」とは、国家は決して語らない。語らないのはそれが真実であるからだ。神が神の名に値するものである限りそれは国家より上位にあり、「殺すな」や「慈悲」の普遍性もまた国家やギルドより上位にあるはずだ。それを認めることは「殺すことは可能でなければならない」と矛盾しない。司法権力だけが死を命じることができる。だからといってそれによって執行という実務のいろいろな責任が自動的に聖化されるわけではない。その人は礼儀をもって取り扱われる。最後まで彼(女)は人として尊重される。人を殺すことは「能力があり訓練さえ受けていれば充分」可能だ。そしてわれわれはむしろそれに立ち会うべきだろう。執行する主権をわれわれは承認しているのだから。執行者は首をはね、群衆は歓喜する。

 私たちが国家を肥大化させないためには国家の行うすべての行為にわたしたちが立ち会う必要がある。なかでも死刑執行と戦争、わたしたちが人を殺す用意がないのならすでにわたしたちの文明は崩壊している。わたしたちは年に一度わたしたちの内なる死刑執行者を呼びだし慰める。

*1:「私は死刑廃止論だが」と言ったとしても。

うーん 松下昇

というわけで、松下昇ですが。

まず彼を紹介しないといけないか。

生年は1936年であるとのこと。

1996年5月6日朝10時ごろ死亡。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/matut11.htm

同時代生まれは誰か調べてみよう。

http://www.excite.co.jp/book/guide/chrono/?index=1 現代作家ガイド―年代別/生年月日検索

ところが、30年代生まれは

1934生 筒井康隆 ともう一人しか居ない。

流行作家としてもてはやされる年齢はとっくに終わって数十年後に再発見される(かもしれない)のを待つ年齢になっているということか。

1936生 寺山修司 1983死。

      横尾忠則 もかな。

(生年別に著名人をざっと並べたデータベースがありそうなものなのに、みつからなかった。)

とりあえず見つかった3人をみるとかなり個性派ですね。

破壊~ハチャメチャ~前衛 みたいなイメージがうかぶ。

松下もそのような、ポジティヴなハチャメチャ派だった。とここでは紹介してみよう。

われあり、われらあり。

Ich bin. Wir sind. Das ist genug.

Ich bin. Aber ich habe mich nicht. Darum werden wir erst.

(p7『ドイツ語の本』冒頭)

これはあるドイツ語初級教科書の冒頭の例文なのだが*1

、ドイツ語なので全く分からない。Ich bin. Wir sind.とは英語の「I am.We are.」のようだが。

genug=enough(英語)=assez(仏語)のようだ、google翻訳では。十分に、ということか。

I am. We are. That is enough.

I am. But I do not have myself. Therefore we become only.(英語)

Je suis. Nous sommes. C’est assez.

Je suis. Mais je ne m’ai pas. C’est pourquoi nous devenons seulement.(仏語)

「I am.We are.それで十分」ということか。

 Das ist genug.という場合の〈genug〉は、たんにこれ以上は必要ないといい切っているのではなく、むしろいまは、これを最低限の条件として出発するのだ、という一種の覚悟が内包されていると思われる。次の Darum werden wir erst.の〈erst〉は、個々の〈私〉が自らの存在を対象化しえていない不確定さと同じ度合だけ、関係性としての〈私たち〉におしやられつつ、〈はじめて〉相互の構造に気付く、というニュアンスを帯びてもいる。 (たぶん松下昇 p3「正本ドイツ語の本」)

Ich bin. Wir sind. Das ist genug.はエルンスト・ブロッホの『ユートピアの精神』という本の冒頭。われあり、われらあり。とは、どんな場合でもそれだけは言えるというわれわれの表現や行為の土台である。*2ところがブロッホはそれを、果てしない努力の果てになお辿り着けないユートピアの青い鳥、でもあるかのように提示している。*3

「われあり、われらあり。」がユートピアの青い鳥であることは、最近のプチウヨの諸君を見てるとよく分かる。彼らはわれであるためには、是が非でも「日本あり」を成立させなければならず、そのためにはアサヒ、中国をはじめとするあらゆるもの*4に罵詈を投げかけ否定しなければならない。彼らはこっけいで有害だ。しかし、

「われあり」のために「われらあり。」が必要ないとするのはどうか。個人の自立を信奉する進歩派知識人は、憲法9条への愛だけを語り続けることにより、対米従属自衛隊強化沖縄植民地化を黙認し続けただけでなく、自らの幻想である平和国家という「われら」を強固に信じている。わたしたちはどんな既成の「われら」をも拒否するしかない、端的に時間の無駄だからだ。だが何んらかの「われら」を非望のように求めてしまっていることをむしろ認めるべきなのだ。

 とここまできてやっと、 

「Ich bin. Aber ich habe mich nicht. Darum werden wir erst.」から始まる本「Spuren」というのが、菅谷規矩雄訳で本棚にある本だと気づいた。

私は、在る。だが私は私を所有していない。それゆえにまず私たちが成る。

(p2『未知への痕跡』E・ブロッホ 菅谷規矩雄訳 イザラ書房)

この本の方法を菅谷は次のように解説する。

ひとつの神話、ひとつの物語は、それぞれその発生・成立時の支配イデオロギイその他に制約されていて、ほんらいのモティーフを充全に表現しえていない。主体において〈いまだ意識されない〉もの--それゆえ客体において〈いまだ存在していない〉もの--その双方はしかしやがて実現されるための変化のプロセス、つまり主体=意識の前線にあらわれでようとする意向(Intension)、客体の生成過程に未来的に潜在する傾向(Tendenz)の相関関係を、なお不充分なままでおしとどめ、そしてかすかな〈きざし〉のみを私たちに伝えてよこす。

(p296『未知への痕跡』E・ブロッホ への菅谷規矩雄の註と解説 イザラ書房)

Ich bin.とは、ブロッホにとって出発点であると同時に不可能なテロス(目的)であったようだ。

さて、わたしは松下にとって「be」とは何か?を訪ねるためにその周辺を回遊してみたわけである。

六○年代に出現した全ての問いを、その極限まで展開しうる状態の中に存在せしめよ、

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/itbe1.html

存在(Sein)所有(Haben)生成~自己実現(Werden)の相関のうちに、松下のこの問いの群はどのように直立しているのか。

*1:この本については下記に言及有り。http://www.shonan.ne.jp/~kuri/hyouron_6/koumura.html 好村冨士彦追悼

*2:であるがゆえに言及されることはない。

*3:ユートピアの精神とは翻訳もある分厚い本だが私は全然読んでいない。したがってわたしの解釈は間違い。

*4:最近では&query=フクダユウイチ

概念集・3   目  次

概念の欠如が引き寄せる言葉(序文の位相で)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051218#p2

1

批評と反批評

3

戦闘概念の衰弱

5

申し立ての極限

7

差し戻し

9

忌避

11

制裁

13

韻律(の越境)

15

話と生活

17

秘密調査委員会

18

空間と留置品と共に成長する深淵

20

世紀末のための反詩

22

死を前にして

23

地獄へ至る門

25

発生の時間域

26

ワープロによる刊行

27

HANBoardについて考える PART12 抄

シモツカレ氏が(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20111225#c1325285499 )

何か言っているので、原型を

http://twilog.org/noharra/date-101204 から復旧してみた。(2012.1.3)

http://teri.2ch.net/test/read.cgi/korea/986434444/ ← 元サイトはまだ読める。

395名無しさん@ハングルいっぱい 投稿日: 2001/04/27(金) 「当然教育内容も変わる」と言いつつ、変ってこなかったのが朝鮮学校 なんじゃないですか。教育内容が変われば、一条校並どころか一条校そのもの でしょう? http://bit.ly/h0tkux

「399 経営が成り立つかどうかは別にして、オウムがきちんと文部省の指導要領にしたがった授業をして、その上で、オウムの思想信条を教える授業を加えたような学校をつくったとしたら、一条校の扱いを受けることになるでしょう。恐ろしいことですが。」同サイトの呟きより。

「399 思想信条については、むしろそれが原因で、許可されたりされなかったりすることはないように思います。」が下に書いた文につながる。  朝高校は1条校になろうと思えば十分なれた、ただ金正日崇拝教育を捨てさえすれば、ということが読み取れるように思う。が呟きなので不正確。

408 教育内容が変わる:CASE1-独自のカリキュラム(現状に近い)だが政治思想的な内容は排除し、授業は韓朝鮮語。 C2-日本学校のカリキュラムに依拠しながら、民族科目は自前の教科書(検定済)をつかった韓朝鮮語の授業。 C3-日本学校の教科書を使うが副読本は自前のものを使う。

413なんで「米津篤八」氏の名前が伏字なんですか?あの人が日本人一般の感覚からして異常な意見の持ち主であることは疑いのない事実なのだし、彼に対する皆さんの意見はまっとうなもの(彼が基地外じみた反論をするかは別として)なのだから、伏字にすることなく、堂々としていればよいのでは?

「426 朝鮮学校が一条校として認定されないのは、朝鮮学校が思想教育をしているからではなくて、朝鮮学校が文部省の教育要領に従った教育をしていないからです。 しかしながら、日本政府も国民感情も、朝鮮学校における思想教育を問題にしているのが実情かと思います。」同下

戦略的には2つあって、基本カリキュラムを全く文部省に沿う形で作り、一条校になって残りの時間で、思想教育なり民族教育なり朝鮮語教育なりを貫く方式が一つ。 もう一つは、全く思想教育を取り除き、民族教育や朝鮮語教育のみを基本にしたカリキュラムで、文部省から妥協を引き出すこと。→

→このためには、情報開示は絶対必要な条件となるでしょう。」 以上2ちゃん426番の意見。 基本カリキュラムを文部省ががちがちに固めている現状は良くないのでかえてもらって、金正日崇拝教育をやめて1条校になればよいだけの話です。ただ政治的力を持っている総連が学生より金正日が好きなだけ

435 むかし、ハンボードでキム・ググンさんが初登場して北朝鮮関連で重要な提言をしたことがありました。そのとき、米吉が本筋じゃないところで揚げ足を取って、議論を逸らし、ググンさんを消耗させましたね。ああいう奴を野放しにしておいて良いはずがない。

697すでに1962年、全貌社より、「楽園の夢破れて」という北の実体を正確につかんだルポが、出版されたのだそうです。著者の関貴星氏は、日本人の養子となり、日本国籍を持っていた在日朝鮮人で、自ら北へ帰国の意志があったため、日朝協会施設団に加わって、あらかじめ北を視察なさったのだ。

701 67年頃にも、「北より南へ」という北から、漁船を奪って、韓国に亡命してきた人が、手記を発表し、民団が、日本語に翻訳し、出版した事がありました。当時、父が、民団の役員だったもので、うちの家にも一冊有り読むように言われ、通読しましたが、どうも、信じる気になれなかったものです。

以上。http://teri.2ch.net/korea/kako/986/986434444.html HANBoardについて考える PART12 投稿日: 2001/04/05(木) ~2001/05/21(月)からのコピーです。

在日問題に興味を持つ日本人と在日との議論の蓄積は、朝鮮総連の不利益になる。まあそうだろうね。 無償化排除反対原理主義者は、過去の議論を何も知らない。

海老蔵中道右派 『>私があなたから新しく得た知識は何もないので私からすればそれは事実としか言いようがないのですが。また検索しますか?(笑)

あなたの弱点と思われる法的政治的な知識については、こちらがわざわざ先回りして自発的に説明してあげてますからねえ。それで初めて知ったことも多かったくせに、その親切を逆手に取られるとは、見事な悪代官振りですw

越後屋の図った便宜は越後屋が勝手にしたことで拙者は一切知らん、と言う訳ですか。

私みたいに、知らなかったことは知らなかったと正直に謙虚に言っては?自分が上から教える立場に立たないと気がすまないとは、まるでどこぞの国のお方のようだ。

いいですか。我々はお互いに得意分野と不得意分野を持ってるんですよ。

>>法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。

>は?どこが?私がいつどこで論破されたのでしょうかw確かに私は法律家ではありませんが。で、法と政治的「視点」であなたがどこで優れているのでしょうか?

読み返した読者の方はご存知ですよ。あなたの知らない法的政治的知識を、私はあなたから歴史的知識を得たことに感謝して教えて差し上げたのですが。

それにしても、私は論破などとは一言も言っていないのだが、なぜ論破にこだわるのか。そういえば、あなたはしきりに自分の意見に同調するよう圧力をかけてこられます(論破強制圧力?)が、虚しいと思いませんか?違う立場の意見も尊重しましょうね。私は常にそうしているつもりですが。

お互い未知のことがいくつか既知のことになった。その点だけでも、お互いにとって少しはメリットになったはずです。

>>あなた方左翼

>私が左翼であることを実証してください。印象操作極まれりですね(笑)

うむ。これはそのとおりですね。野原氏は左翼を自称されているが、あなたにはそれを匂わせる発言はあるものの、実証は出来ないので、撤回いたしましょう。

>>私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので

>ホームで負けるのが耐えられない人ということですね。

いやあ。それならあなたこそホームをお知らせになっては?

青狐さんなんですか?

ホームで負けるのが耐えられませんか?

>>必要だから言及した論点にすぎません

?え?なぜ私が売国奴だの被害者ファッショだのと罵られその為の釈明を求められなければならないのでしょうか?それが必要な論点?

また誤解か曲解か印象操作ですね。

まあ、あなたの挑発的言辞に売り言葉に買い言葉で答えた私の未熟さは反省しましょう。

しかし、上記の論点とは、私があなたのコメントに答えるためには必要と思って論及したが、あなたは今回の米下院決議案にかかわる問題ではないと言われた、それらの論点のことを言っています。

>>へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。

実に興味があります。では法的「知識」に優れた海老さんの講釈をお聞きしましょうか。

1.カナダでは米連邦最高裁とは違う判断がされる可能性があります。そして、カナダは既に米ビッグファームの活動領域に組み込まれています。カナダでの法案というのも1つのポイントなのですよ。

2.米連邦最高裁でもわずかですが判例変更の可能性があります。あなたのお好きな少数説のロジックがここで登場します。現に、ローラバッカー議員は、最終的に失敗はしたものの、ヘイデン法訴訟進行中に連邦政府の公式見解(条約で解決済み)が出たことに対して、政府見解の違憲判断ができるような法案を提出していました。

3.訴訟の入口の訴訟要件では、米加は過剰な管轄を有しているので、実体審理に入ってしまう可能性があります。その段階で日本の国会決議がされると、内容によっては少数説のロジックを基礎付ける有力な証拠の一つが出来上がります。

>>それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実

>不十分ですね。吉見氏が最初に「従軍慰安婦問題はまさに慰安婦の官憲による強制連行の問題こそが核心(本質)である」という趣旨のことを述べていなければ「すり替え」にはなりません。さあ、お得意の検索をどうぞ(笑)

歪曲による論点すり替えですね。あなたが急に持ち出した『吉見氏自身が説を変更したかどうか』は問題ではありません。それまで狭義の強制連行しか論じられていないところに、吉見氏が新説の広義の強制説を掲げたのは、明らかにそれまでの議論からの論点のすり替えでしょう。

あなたは、私が前回指摘したとおり、吉見氏の『資料集』以前に広義の強制を論じていた著作を呈示すればいいだけなんですよ。その著作が存在するなら、多数の歴史資料に精通しておられるあなたには、検索渉猟は造作も無いことのはずです。

>あなたの積み残しの「検索」をまとめます。

不要なものをオミットすると、以下のようになりますね。

>・ホンダ議員の真の意図或いはそれを伺わせる発言

お待ちください。ファイリングしときゃよかった。

>・事実と認めるには不十分であったがバーターで仕方なく認めたという政治家(ちなみにあなたの論法を使うなら対外的に責任とるのは首相クラスでないといけないようですから宮沢氏、百歩譲って河野氏となります。また韓国から打診してきた人間がそのクラスであることもお示しください)

日本側の政治判断の証拠は、以下の石原氏の発言です。

>>>>>>>慰安婦強制連行 河野談話は総合的判断 石原前副長官、「謝罪」の経緯語る

1997年03月09日 産経新聞 東京朝刊 社会面より全文引用

 元慰安婦への謝罪談話を発表した宮沢内閣の加藤紘一、河野洋平の両官房長官を官房副長官として補佐した石原信雄氏(七〇)は八日、川崎市麻生区の自宅で産経新聞のインタビューに応じ、「いくら探しても、日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが、総合的に判断して強制性を認めた」などと語った。

 石原氏との一問一答は次の通り。

 --河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているが

 「随分探したが、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」

 --一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もある

 「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでも行って(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」

 --ではなぜ強制性を認めたのか

 「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」

 --聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信ぴょう性は

 「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣き叫ぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側が話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性にあたるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングを行っており公表はできない」

 --韓国側の要請は強かったのか

 「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したということ。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」

 --それが河野談話の裏付けとなったのか

 「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意思に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」

 --談話の中身を事前に韓国に通告したのか

 「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」

 --韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある

 「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」

 --元慰安婦の証言だけでは不十分なのでは

 「証言だけで(強制性を認めるという)結論にもっていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」<<<<<<<

最後の文はなんと巧妙な。あなたも私から法的思考を学び取ったのですね。

石原氏が韓国からの打診は非公式だと一貫して発言していることを逆手に取っての条件付けですね。いいでしょう。その点の直接の証拠は当然無いですが、有力な間接証拠を提示しましょう。金大中大統領が、『日本の補償を求めないことと引き換えに』生活支援をした事実です。

http://www.awf.or.jp/fund/news/news_11/a_05.html

>・横田氏の言及しているNGO中韓のロビーであるかどうか

誤解か歪曲か印象操作ですね。

この問題でのNGOの主力が徐玉子氏の率いる韓国系団体とホンダ議員の支持団体の中国系団体であることは、各団体自ら公然と行動して示しています。

横田氏の発言は一般論かもしれないが、該当記事の記者は、文章全体の論調から考えるに、横田発言をこの問題のロビイストのNGOの立場を擁護する論調で引用していますね。』(2007/03/29 10:17)

* 海老蔵中道右派 『>あなたが「野原氏を中傷したのが先」というのは認めてらっしゃると、で、こうなったのも相手にも原因があると言い訳がましく責任転嫁しようとして(左翼にウイルスメール送られたことがあるとか←知らんがな)、

誤解か歪曲か印象操作ですね。

元コメントでは、自分に非があると認めた上での発言。責任転嫁する意図は文面からも真意からも全くありませんよ。

>案の定その後すぐに同様のことをやらかしたと。いや、何ともはや素晴しい反省ぶりで。またやらかすんじゃないですか?あなた。

被害者の認識には被害者意識から正常さを欠く点が多いことを自ら証明してしまい、自分の未熟さを痛感しましたが、同時に、慰安婦の証言も冷静に検証すべきことの証左ともなりましたね。身を削って失敗した甲斐があったものです。

>>私のコメントを誤解曲解して断言したり印象操作をされることが多いが

>あなたの書き方がまずいのかもしれませんよ。何しろあなたは最初「政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」と言っておきながら私が主体的に関わっていたことを示すと「公安(←ここは大爆笑ポイント)と風俗業者の関係と何の違いもない」と言い出して、ではどこに「公安慰安所」があるのかと突っ込まれれば、「解釈の違い」だと逃げ、「ゆーき」さんからツッコミが再度入ったら、今度は問題は法的責任の問題だとすり替えた。しかもこだわっていた「公安」のくだりは単なるミスで最初から法的責任の問題を言っていたのだと。

こんな議論をする人の意図を全て酌める人なんていませんよw

いや、あなたが法的知識に欠けているだけです。読み返せば分かりますが、私は最初の常石さんのブログでの発言から今まで一貫して法的責任を第一に考えて主張しています。国家責任といえば、法的責任をまず考えるのは、近代人の常識です。全くすりかえていません。

私のうっかりミスの公安にこだわったのはあなただけ。ゆーきさんは、私がミスしていることに気づいたからツッコミを入れただけ。そのツッコミから、お互いの議論の齟齬が主体的という用語の意味の理解の違いに起因することに先に気づいたのは私で、あなたはそれ以前には気づいていませんでしたよね。』 (2007/03/29 10:36)

* 海老蔵中道右派 『私が議論の齟齬の原因に気づいたのは、それが原因なんですよ。

私は国家責任といえば当然法的責任のことだと考えて論じていたのに、あなた方は責任の内容や性格を考えずに漠然とした責任などと言うものがあるかのように考えて議論を進めていることに気づいたからです。

だから、ゆーきさんのツッコミのすぐ後に、法的責任は否定するが道義的責任は肯定するとコメントし、以後の議論を整理しようとしたんですよ。』(2007/03/29 11:20)

* 海老蔵中道右派 『もうついでだから、あなたの以前のコメントにも答えておきます。

>>学者は専門分野については確かに高い能力を有するが、それ以外の分野では必ずしもそうではない。

>このコラム子の能力が高い?随分と人を見る目がおありになるようで。

コラム子の能力のことは言っていません。吉見氏ら性奴隷派の国際法の少数説のパッチワークが説得力に欠けることを言っています。

>宮台さんがお好きのようですが彼は「愛国/売国」=「国益計算能力の多寡」と定義していますよね。以前も言いましたが安倍や上記のような保守派の計算能力が笑ってしまうほど低いのはあなたも認めざるを得ないのでは?

別に好きではありません。イデオロギー的には私とあなたの中間的立場かと思って、一部にせよあなたも納得しうる議論として紹介しました。

安倍氏らの国際的戦略の欠如については同意します。

>宮台氏は歴史学の専門家ではないですしこの問題に関する彼の議論には賛成できない部分が多々あるということも付け加えておきます。

私も歴史問題に関する氏の発言を全面的に支持するものではないですが、専門外だからこそできる論点整理の中立性は評価しています。

>被害者の主張は絶対だとも思ったことはないので「否」ですかね。

それなら、慰安婦の主張にも信用性に欠けるものがあることは理解されてるんですよね?それが私の言う真の犠牲者を冒涜する詐話師的慰安婦なんですが、あなたはそれが全く存在しないとお考えですか?

>「従軍慰安婦なかった派」の主張があまりに酷いのでそちらの方の批判が主ですが。

この点こそ、私があなたから聞きたい一番重要な点ですね。ぜひ、2、3の具体例をあげてご説明願いたい。

>当事者が約束を認識していないのに約束違反(信義違反)といいうるのはなぜですか?

上記引用記事によれば、少なくとも石原氏と宮沢首相の間では了解済みだったようですね。

>櫻井氏のデマゴーグぶりは有名ですよ。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/

で「櫻井よしこ」を検索されてはいかがでしょうか?

ご紹介感謝します。かなり他者の元の発言内容を都合のいいようにまとめているようですね。故意か過失か気になります。

ノーモアさんは、青狐さんなんですか?

>>日本政府は法的責任も道義的責任も履行済みなのに比して

>誰もそう評価してくれていないわけですけどね。

これこそ問題のこじれる根本原因ですね。

天安門事件の冤罪部分があることを嫌った中共の気持ちも良く分かります。

日本政府は、旧領土国(韓国)と条約を締結して実質賠償を支払い法的責任を履行した唯一の国で、かつ、世界各国にあった軍売春婦に対して女権伸長にかんがみ率先して世界一早く道義的責任を履行したことをどんどん世界各国に広報していかねばなりません。麻生外相の外務省2000人増員計画も、今のスノビズム無責任官僚気質がはびこる外務官僚ではない、戦略的な官僚を養成するなら大賛成です。日本が大使館を置いていない小国があんなに多いとは…

>>日米韓の友情の架け橋のプロジェクト

>本当に友情が生まれるんでしょうか?私はあなたのような相手に対して不信感むき出しの態度を改める方が先だと思いますけど。

国際関係では、自国の国益を主張するのが当たり前です。私は韓国側のメンツが立つ方法まで考えてコメントしたでしょ?

あなたの外国や外国人を無根拠に信用できる無防備さの方が見ていて危ういです。あなたが外国人なら納得しますが。あなたが個人的に謝罪賠償したいのなら止めはしませんが、国家は国民の拠出した財貨によって成り立っているのですよ。

>河野談話を否定する動きにより悪影響が生じたことはありましたが。

それには同意します。戦略の欠如と甘えがありますね。

>河野談話を踏襲する形で国会決議をするのは賛成ですよ。

実態に合致しておらず、誤解を生みやすい表現でもあるのに?せめて秦氏私案くらいにしないと…』(2007/03/29 12:29)

* 海老蔵中道右派 『>管理人殿

ノーモア氏のコメント

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070319#c1175144636

を読みたいのですが、見当たりません。』(2007/03/30 11:11)

* nomore21 『ノーモアです。ブログを作り、コメントはTB先に移しました。』(2007/03/30 11:27)

浅田農産の卵って

10個230円もするブランド品なんだと聞いて、へー。

墓は不可避のものだ。裸体にすることも、劣らず不可避のことだ。(バタイユ)

(註:意味不明な引用)