N・Bさんの下記の発言には驚きました。場違いだなあと思いながらも「日帝自立論」を引用しておいてよかったなと思った。わたしたちのころは高校か大学で新左翼的なものに近づくとまずそうした論理(政治的ジャーゴン、セクト間の差異の主張)を教えられたものです。
私はむしろ、野原さんが3/20に書かれていたように、左翼ですら日本の「自立」を前提にしていた時代と、むしろ従属(ということは私たちには「主体性」が無い)だと考える時代の落差は大きいと思います、つまりバブルの崩壊以降ですが(私は「自立」の感覚はまるでないのです)。
自分というものがコンビニエントな環境から離脱できないことと、日本の対米従属の問題を無意識のうちにくっつけて考えている人が多すぎるのではないか。理屈で言えば、仮にもジャパンアズNo1と言われた国力があるのだから、例えばカナダやメキシコよりはずっと自立の幅は大きいはずと思えますけどね。
というか、中国や韓国に何か言われるとすぐ内政干渉だというくせに、日本の主権がアメリカによって犯される(ている)危険についてのリアルな観察や批判というのは非常に少ないと思う。そのような情況において、「古今のナショナリズムには一定の存在の必然があるし、」といわれても、どうかなあ~としか感じません。
spanglmakerさんが「論点そらし」だと最後に書き込みましたが、ブログを見る限りでは彼はネイションの一員としての教育を施すことは自明の前提だと認識しているようです。(略)
ネイションの一体性が絶対に確保されるべきという前提を強くjuluxさんが持っていることを読み取れなかったのではないでしょうか。
申し訳ないが、上の二人のような方に対しては、悪い冗談であるかのようにしか思えないのです。日本/大日本/日本という歴史を思えば、そんな安易な論理を振り回す気にはならないはずだと思ってしまう。ブログとか読んでみるとそれなりにまじめに考えておられる方のようなのですが。(すみません。)
幕末から1945年までの人にとって、思想の如何を問わず、日本及び日本人が危機という状況にあるということは自明の前提でした。日本人がアジア人であるということも、もちろんです。戦後の日本はこの「日本人がアジア人である」という事実を隠蔽、忘却していると言いうるのであって、非常に変だと思う。