視線が地図の上を、表六甲から裏六甲へつき抜けて
いくと、奇妙な地名が山系の両側に、ひっそりと息づ
いている。カミカ、ハクサリ、ザグガ原、ボシ、マン
パイ、シル谷、カリマタ池、キスラシ山、シブレ山……
地図なしにそこを歩いたら、ここが、そんな地名をもつ
ことを予測しえないだろう、と考えるときの怖しさ。
地図の上に舞い込んできたホコリを吹き払おうとして、よくみるとタンポポの綿毛だ。微かな筒状のかたちに含まれている〈生命〉を、異なった空間へ変移させるために、更に微かな白い毛が放射線状についている。十数本まではかぞえられるが、それ以上正確には綿毛と綿毛との間隙を区分できない。しかし、この放射線状の毛がいまもっている方向へどんどんのびていけば、六甲よりも巨大な空間を含んでしまうだろう。
第四章の六項のメモたちが、相互の間隙へ直角に入り込み、みずから介入しつつとらえているヴィジョンは、次のようなものでもありうると想像してよい。
〈 〉
かならず、すべてのものは、感覚に、とらえる前に弯曲してしまうのだと思いこんで、やっと動き出すことが可能になり、動き始めて以来、いつでも、どこでも、強調しようとした感覚が、逆にかすんでしまうのを知ったと、波が揺れながら語る。街の東端で用もないのに途中下車し、つくりたての高速道路と、見すてられた住宅群を横断して、魚のとれないこの砂浜へやってきてたたずむ幻影よ。あなたの、うちよせては帰っていく運動の仕方は私のと同じだ。そして、ここからは見えないけれども、子午線の下あたりで、流れがいつものように方向を変えはじめていることも、あなたは知っていますね。
そうだ知っている。雨あがりの川にかかっている橋である私は次のことも。六甲から性急に走り下る水勢を緩和するために、河床は数十メートル毎に段状につくり変えられている。吸いかけたタバコのフィルターの色をした泥水は滝を垂直に降下する度に速度を分断されている。泡立つ水の前線は、前線であることが分るほどほど孤立し、コンクリートに石をはめこんが河底が、歯をむきだして笑う。いくつにもとぎれた水の軍勢が左右不対称の前線を、たえずジグザグに変異されながら私の下をくぐっていく。ふりむくと河口のむこう、暗い巨船の上に暗い海が浮いている。
時間が自律的に流れるにまかせ。圧力の少い空間へ自分が流れるにまかせている海が。海が……?
ここは見なれた風景ではない、と思いこむとき、ひざにくいこむ坂の傾斜、背中を流れる冷たさだけを支持しよう。海が、そのままの重量でショーウィンドウのガラスを飾り、氷山が六甲の耳たぶをかむ冬をつくりだすために。
〈かれら〉の恥ずかしさや、数字への不信や、肉親への哀れみを、デモ指揮者の唇をかむ恥かしさや、患者があたためる数字への不信や、娘たちが自分のリボンに触れるしぐさとつないでみよう。そのとき氷山に似たピラミッドの何本の稜線を越えていくことになるか。
いく切れかの雪、いやタンポポの綿毛が降りはじめている。
市電がそこで途絶える街の西端の街路樹の下で、だれも知らないだれかの墓をさがし疲れて休んでいる老人を語らせる声……埋葬や追悼は手にふれた途端にうそになる。それをたしかめにやってきたのが死者への思いやりというものだろう。
ただ一つ残った海水浴場で貸ヨットを見ている失業者を語らせる声……わざと組合運動ができないようにとやっていったら、一ばんどんずまりのところで、案外できるようになってしまうかもしれないな。
そのような声が、山系のこちら側と、海峡のこちら側をタンポポの綿毛を流す風のように流れるならば、次のような組織論が語られていても不思議ではない。
さっきの声を聞いて、遠心=求心を一致させようとする時間と、それを泥の中に埋める時間とが対話している、という風なことを一瞬でも考えたものはここに集まってくれ。かんたんにいうと、この空間に〈ない〉全ての組織構成員に、めいめいが仮装するのだ。きみたちのめいめいはこの空間にも、所属する組織にも、〈 〉をつけていく。そして……
仮装するとき。
所属組織の論理で一切の対象を扱うとき。
仮装者同志で会議・討論するとき。
最大限一致と最低限一致のふくらみをもつ方針を一切の状況に投げつけ行動するとき。
この投げつけや行動が、敵対者や無関心者から反射してくるとき。その反射が、仮装者をとおりぬけるのに、更に仮装し続けようとするとき。
これらのすべてのときに生じる不安を階級関係と対応させて新しい組織をつくりだしていく。そのとき、同時にきみたちの仮装そのものをはぎとりながら。
仮装組織論……とよんでもいいが、この組織論がひらめくめくのは、六甲が、これらすべての異和感と、最も無縁な組織空間にあるからだ。それを逆用して、ここに存在しない組織からの派遣者に仮装し、自己の所属する組織をも〈 〉へ入れていく。
ここに存在しない組織といっても分派闘争系列図を調べればいいわけではない。そのような図は、もっと深い位相での分派闘争を一枚の紙で切りとってきたものにすぎないのだから。
条件……一人でもやれるか? 舞台へではなく、場外へ出られるか? 政治組織以外のα・β・γ系を、自在に昇降できるか? 仮装が不要になったとき仮装の罪で処刑されてもよいか?
遠くからの訪問者があれば胸の谷間と首すじにある目印しをたどって山上の平原へ行こう。しかし、霧につつまれて夕方に最終バスがなくなると、タンポポをさがすひまもなく空腹がやってくる。
同じ頃、いつか、ひらめきが訪れたらいくつか論文がかけるだろう、と自足して研究会を開いているものたち、と絶縁しているものの前にタンポポの切手をつけた〈第n論文〉をめぐる諸註が送られてくる。……
第n論文に〈 〉をつけたのは、それを強調するためでもなく、いつか未来にかく予定だという意味でもない。第n論文が、永遠に仮構の位相にあることを示すのである。
またnというのは、いままでかいてきた論文の順序であるが、第n論文では、他者の作品の分析をするのではない。たとえ結果としてそうなっても、主眼は、この仮構の論文をかかせる何ものかの力を追求することである。諸註とは、このことを示している。
いま、ここで第(n-1)論文までの文章を構想すると共に、第(n+1)論文以後の文章に註をつけていくとすればどうなるか。
この仮定をするとき、第n論文以外のすぺての論文が〈 〉に入ってしまう。逆にいえば、こののことは、第n論文が意識的に、また必然的に〈 〉に入り、論文系列の位相から逸脱した結果として可能になっている。
〈 〉をめぐる諸註が、既成の研究論文の枠内に、どんな影をおとすか。枠をこえて発散するか、枠の中で収束するか、枠をつくっていくのか、よく見るがいい。ただし、きみたちの頭蓋が影の実体に触れたとき破裂しても、それはこの論文の知ったことではない。
〈 〉
私が知らない間に、映画をつくっている映像たち。この街で一ばん見はらしのいいといわれる大学への階段をのぼっていくものの比重は風景に対して稀薄になり、まだ一人の観客も登場してていない試写会には、フィルムの回転音だけが白昼の闇に対抗している。
映像たちよ。撮影される前の自分に会いにでかけても無駄だ。六甲はいつも、そこにあると思われているところにあるとは限らない。いちばん必要なときと、いちばん必要でないとき、不意に現われてきただけなのだ。タンポポの綿毛を流すほどの風があれば、六甲は揺れる。そして、だれかが疲れて手を放せば、いつでも背景や小道具はくずれ落ちる。
複数の焦点と、隆起するフィルムのために生じた断層、そこには、撮影意図からの変移を示すための映像の他に……。
六甲は美しくて住みよいという満足感も、やがて未来はこのようになるだろうという計算も、腕時計の肌ざわりから手錠を感じとらない心も、反革命を革命と判断するのに、いつも遅れてくる発想法も、すべて映しだす映像がうごいていなければならない。
〈 〉
ペン先を入れた小さなケースをとりだそうとすると、ペン先が語る。
楽にかいてみたら? 軽くとんでみたら? そのとき、かえって重い字のおとす影が、何百ものロマンの影であることが、はっきりしてくるでしょう。
ペンを持つ手が答える。その誘惑はだれよりも自分がよく惑じている。同時に、はじめから楽にかこうとしても解決はしない。かきおわったときに、やはり、このかきかたが一ばん楽だったのだと、世界が一瞬でも感じるように……と祈るだけなのだ。
どこらも風信のとどかなくなったこの季節を逆回転するように、無人の丘でさかさまに倒れると、憂愁の重力が〈 〉のまぶたにかかり、黄色い花びらをはさみこむ。
臨時工であることを示す黄札が、作業服の上で立ちすくんでいる。……海底から水面を見上げると、のこぎり状の葉が浮く。……崖下を走る電車をみつめているときにも視界に侵入してくる斜面にはりついたタンポポの根。牢獄でのわずかな散歩時間中に、くつ下をずり上げるふりをして、たった一本の黄色い花を、すばやくむしりとる囚人。
油コブシが見ている坂道で花びらを押しひろげ、花芯から放たれる香りをさぐろうとすれば、遠くの路上で遊ぶ幼児が、ふと手をとめるだろう。それでも、花芯のむこうの綿毛がとりだされ、その綿毛のむこうの花びらがとりだされ……とりだされた何ものかは決意する。あの幼児の運命を、こんどは自分がになうことになる。になうときにせまってくる力をすべて花開かせよう。
まどろみの間に、どこかで着地していることば……
飛び上ろうとするとき、いままで殆んど意識しなかった条件から、いちばん強く規制される。
風に乗って舞うのは、関係のあるすべてのものに許しを乞うため。
岩の肌や、茨のふところに落ちたときは、いま創りつつあるのだと思いこまなければ、とても忍耐できない。
まどろみが、〈 〉のまぶたから、はみ出し、その直前、小さなケースの中のペン先は、綿毛に変移している。
〈 〉
首都へ、群衆がビルディングに吸いこまれる時間に到着するため、深夜に六甲を通りすぎていくものたちよ。ここは、ネオンの棲息する海、テレビ・アンテナの群生する荒野ではない。いま、プラットフォームで鳴るベルを、発車の合図だと思っている限り、きみたちはどこへも行けはしない。
この列車をレールから逸脱させて六甲を横断して走らせるには、どれだけの労力が必要か計算しよう。風のような非人称の苦しみを〈 〉のかたちをした貨車に積みこめ。ゼネストの前夜すわりこむときに持っているものの他は出発に不要だ。
そのようにささやきかけても、たじろがないものたち……足のくみかたや、字のかきかた、胸にとびこんでしまったタンポポの綿毛があれば、そっと微笑してつれて行け。
いつ、どこへ出発しようとも、すべての風景と交換しつくしてしまっているという抒情からの出発を。今日、最後にあの大衆浴場で会ったきみも。
〈 〉〈 〉〈 〉〈 〉〈 〉〈 〉
六項のメモたちのとらえるヴィジョンは、このようなものでありうると想像してよいか。ここまで書いてきたとき、いわば表六甲を分水嶺にまで登りつめたとき、不意に裏六甲が姿をみせるように、不安としか表現のしようのないものがみえてくる。
第四章の六項のメモたちの間へ降下する六項のメモの過程をいままでかいてきたのに……
一つの過程をかいているとき他の過程を空間的に排除してしまう不安と、一つの過程をかいているとき他の過程が時間的に変移してしまう不安がみえてくる。
これらの不安は〈六甲〉をかこうとする試みが、そのために見えない領域をつくりだしてしまうことから生れているのだろう。
このようにかきつけるとき、すでに無意識のうちに〈六甲〉の道は、分水嶺をすぎて表六甲から裏六甲へ入りこんでいたのかもしれない。不安がみえてきたとき、山系の全体も、おぼろげにみえてくるのか。
そういえば、序章から第二章をへて第三章までが表六甲の道であり、第四章以後が、すでに裏六甲へ通じていたのだろう。だから第五章は、第二章と同位相にあり、第五章の六項のメモたちは、第二章の〈私〉たちと対応している。
ちがう点は、希望に似た不安がみえてきたことで、不安は、原告団のように告発する。
……
その通りだ、と認めつつも、何ものかが私に語らせて、不安の告発の時間を短縮しようとするのである。
おお、その告発を聞くために、ここまで書いてきたのだ!
告発の時間を早くおわらせたい……がしかし、いままで〈六甲〉をかいてきた時間は、どんな流れかたをしてきたのだろうか。
いままで、どの章をかいているときでも、できるだけ早くかきおわり、解放されようとねがってきた。けれども、分裂し、からみ合う構想を、できる限り時間の方へ投げつけてきたとき、いつもその極限で、全く意外な表現が可能になった。
とくに第四章をかいている最終過程で、メモ相互の間隙へ直角に降下する方向全体を一つの表現として提出しうるのに気付いたとき、汚い文字、抹殺し、捨てることが、そこから与えられる最後で唯一の快楽になっていたメモ群が、突然、光を放ちはじめたのを忘れることができない。この光は、ほんとうは、徴かながらも序章からずっと〈六甲〉の道を照らしていたはずである。
けれども、私は、この光を十分にとらえ切ってはいない。なぜなら、どの章をかきおわったときにも、とくに第四章をかきおわったとき、切迫した時間から、安らかなおののきの空間へ投げこまれてしまったから。
そればかりではない。その安らかなおののき。その空間も、ゆっくりと、しかし確実に変移しはじめ、次の切迫した時間へ進んでいくから。そのことに、いま気付いたから。
長距離コースを泳ぎ切ったものが、ゴールの後でもなおプールの端でターンするように、切迫した時間に触れて、安らかなおののきの空間へもどっていく。……もどっていく? 何ものかに投げかえされているのだ。
この断絶、この苦しみは、何かに似ていないか。そうだ! 切迫した時間を付着させている首都から、まどろんでいる空間、六甲への漂着。時間に咲くタンポポとのすれちがいから、空間に咲くタンポポヘの陶酔。
これらは罪の拡大再生産だろうか。……ここからは、もう、私だけのために語ろう。
切迫した時間から、安らかなおののきの空間への無意識的な断絶……というかたちは、逆転させることができるのではないか。安らかなおののきの空間から、切迫した時間への意識的な飛躍。
そのとき、時間との接しかたに関する罪の深さが逆の意味をもちはじめてくるだろう。
いかにして逆転させるか。いまは一つの予感しかない。α・β・γの構造とその時間的な根拠をさぐること。
〈六甲〉からはみだそうとする油コブシで、こんなことをかいた記憶がある……
〈 〉が生まれてくる契機は、ほぼ次の三種類に分けられる。
α、〈 〉の変移を徹底化しようとするとき。
β、α の運動に対する表現内からの不安を放置するとき。
γ、αやβの運動に対する表現外からの不安を放置するとき。
α・β・γというのは、この湾曲した世界における何ものかを区分しようとする力(ピラミッドをつくっている力といってもよい)が、〈六甲〉におとしている影のような境界線ではないだろうか。
もし、そうであるとすれば、いや、必ず、そうであるようにさせなければならないのだが……切迫した時間から、安らかなまどろみの空間へ、という変移は、激しければ激しいほどよいのだ。また、このかたちとa・β・γ系のかたちとの比較できる領域が、広ければ広いほどよいのだ。
〈六甲〉から、すべての不安の占拠がはじまる。いまは、一点でのみ時間の構造と接しているにすぎない空間としての〈六甲〉から。
不安をこの世界に深化拡大することによって告発し、占拠する、関係としての原告団をつくろう。
はるかな時間=空間から、〈六甲〉へのささやきがやってくる。これから占拠される不安たちのささやきが。
私はいま、序章に対応する位相にあると感じている。……すると私は、第五章を表現しようとしているうちに第六章=終章まで表現してしまったのであろうか。あるいは、序章から第五章までを表現することが第六章=終章を表現することになるのであろうか。
断言できること……この瞬間から〈六甲〉をかき続ける主体は、私だけではなく、私たちである。
関係としての原告団よ、〈六甲〉を吹き抜ける風にのって、当然の比喩だが、タンポポの綿毛のように、弯曲した世界へ突入していけ。
私たちのであうたたかいが、〈六甲〉第六章=終章を表現することである。
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別の構造への転換契機
遺書
1936年3月11日生
1992年3月11日~ 松下昇 (印影)
1.死亡の時間を延長する措置は不要。
2.死亡の通知はどこへも不要。風のたよりに任せる。
3.死亡診断書を添えて火葬の手続きをし、死亡の場にいる任意の者が実行する。
4.密葬~公葬を含めて全ての葬儀はしない。
5.遺骨は墓地に埋葬しない。一部を希望者の保管に任せる他は廃棄~散布自由。なお、 未宇の眠る{B109}には野草以外のものは不要。任意の人の散歩の場所にする。
6.遺品は私の文書および口頭による指定のある場合を除いて譲渡、複写、刊行はせず、 基本的に廃棄してよい。
id:mujige発言続き
mujige 2010/12/06 09:00 id:noharra 氏、指摘されて「まずい」と思ったからツイートを削除したんでしょうが(名誉毀損が成立しておかしくないレベルですから)、それをわざわざ自分のブログに転載って、やってることが理解不能です。ブログが公的な表現物だということが分からないのでしょうか。
mujigeさんへ。
http://teri.2ch.net/korea/kako/986/986434444.html HANBoardについて考える PART12 投稿日: 2001/04/05(木) ~2001/05/21(月)
には、上記以外にも、米津篤八さん? に対する言及がたくさんあります。
ここのコメント欄あるいはどこかのブログで反論されたら如何でしょうか?
中道右派to野原氏 『
一部修正
>2-3.①2-1事件後の警察の対応
警察は要注意人物として大内に監視の目を光らせ、彼の勧誘を受けた周旋業者に説諭して、慰安婦の募集を断念させたが(山形県の例)、しかし和歌山のように婦女誘拐容疑で検挙することはしなかった。
②についての永井の解釈(以下、『大内事件処理の永井解釈』という。)
②の後に、①を挿入してください。
3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメントを、『永井和論文の批判的検討』などといったタイトルで独立のエントリにしていただけると、うれしいです。』(2007/03/28 00:35)
213 今日も混沌未分なり 野原燐 2003/07/26 18:05
日本書紀冒頭にはこうある。
「 古(いにしへ)に天地(あめつち)未(いま)だ剖(わか)れず、陰陽(めを)
分(わか)れざりしとき、
渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如(ごと)くして、溟(ほのか)にして
牙(め)を含(ふふ)めり。」
http://www.meijigakuin.ac.jp/~pmjs/resources/bungo/02_nihonshoki.html
林羅山はこう書いている。『神道伝授』という本で。
「混沌は一気のまろきを云うなり。天地開けず陰陽未だ分かれざる時、コントンと
マンマロにして鶏子のごとし。その中に神霊の理 自ずから在りて未だ現れず。
その分かれ開くるに及んで天地の間に万物生ず。」
「また人の心にたとゆれば、まどかなる理の中に、動と静とを合わせて
念りょ未だ芽(きざさ)ざるは、コントンなり。既に動発して種々の思うこと
多く出来るは、天地開け万物生ずるに似たり。神は未分の内より備て、開闢の後に
あらわる故に、始まりもなく終わりもなし。人心も同理なり。
静にして虚なれば、今日も混沌未分なり。」
(p26 『近世神道論・前期国学』日本思想体系)
<太極にして無極>を宇宙の根源とする朱子の思想の焼き直しともいえるが、
混沌を直接肯定するのは儒教からは外れている(のではないか)。
今ここに在るわたしでも、<静にして虚なれば>、宇宙を開く混沌未分
という原理がそのうちにあるのだ、というのはちょっと良いと思った。
<静><敬><未発の中>などというのは宋学においていわば士大夫が
聖人になろうとする方法にすぎないともいえる。(そこにおいて、宇宙原理たる
理と一体化していかなければいけないのだが。)それをむりやり、
日本神話の原初の混沌に結びつけたのは大変な力技だと思える。
「マンマロニシテ」なんていう純日本語が出てくるところもおかしい。
「民は神の主なり。民とは人間のことなり。人有りてこそ神をあがむれ、
もし人なくば誰か神をあがむる。然からば民を治むるは神をうやまう本なり。
神徳によれば人も運命を増すべし。」p14
もう一つ引用してみた。儒者にとってはうまく民を治めるのが目標なのは当然
なのだが、神が出てくるのでなかなかおかしい。
というわけで、名前だけは高校教科書にしっかりでてくるが仁斎などと違い
著作は一冊も見たことがない林羅山先生の文章を引用してみました。
野原燐
岩波の日本思想体系は註は充実しているが現代語訳がついてないので、
わたしには難しいです。前から探していた『山崎闇斎学派』というのを見つけた
、翌日十冊ほどのこのシリーズを1,200円で店頭セールしていた。
『キリシタン書・排耶書』というのを選び、あともう一冊ぐらい買っとこうか
とこの本を選びました。スピヴァックやアレントであればマイナーとはいっても
興味を持つ人はいるわけですが、日本儒教になど誰も関心を示しさないでしょうね。
わたしも積読だけになってしまっては困る、そこでここで一人でむりやり書いて
みているわけです。
さて、羅山の文には「摩多羅神」なんてのもでてきた。なんだかいやらしそうな
神だなとグーグル検索してみたらいくつか記事が出てきた。
摩多羅堂という専門のサイトがあり正体不明のこの神について丁寧に紹介していた。
(酔っぱらい)マンガ日記
職場の新年会で酔っぱらってしまった。というかわたしは弱いのに別に酒嫌いでもないから自制しない限り酔っぱらいます。人と会うのが苦手なので、人がいるところでは。
会合はすばやく終わり、わたしは一人で「マンガ喫茶」に行きました。マンガ喫茶とかもっと行っても良いのになぜかなかなか行けません。店の過半のマンガをざっと見渡したて、「やっぱり」の大友と(名前がどうしても出てこずにグーグルしてやっと分かった)岡崎京子を一冊づつ読んだ。岡崎は“Take it easy”というの、大友は王、仁、惨、吾、岩、なんていう名前の付いたボスたちが活躍するSFみたいなの。ググールしてもなかなかでてこずやっとわかった「ナンバーファイブ(吾)」という作品。(酔っているから記憶力がないのか。)ある方が「これが文字通りの傑作。」と書いてますがわたしも同意見です。粗筋と登場人物の異様さはワンピースに少し似てるが、でも比べられないほど大友の方が取っつきにくい。一方岡崎のは、(云々と昨日書いたが読み返すと嘘なので削除)やっぱり名作には違いない。
TUTAYAに寄ってから帰ってテレビを見た。なぜか今頃ブッシュ再選をテーマにした番組で、藤原帰一氏が出てた。ブッシュとアメリカの大衆は、911とフセインが関係あると思っているが、プロから見ればなんだそりゃ、と言うしかないようなもんだ。ブッシュとアメリカの大衆は、世界の一般的感覚からどんどんずれて行ってるのに気付かずにこのまま行きそうだ。でも日本だけはアメリカに付いて行ってるのかも。という話で、ネクラな反米左翼にも受け入れやすい話だったが、視角がまったく違って新鮮だった。あの女性はなんというのだろう。切り込みが鋭く感心した。それでもそれでもブッシュ再選可能性は55%以上あるんだと・・・日本人なら小泉の心配をしろ、という意見が正しいが。
木製知恵の輪“一帆順風”
浪花節のCDを買いにダイソーに行ったら、「魔法のロープ 帆」(一帆順風)という木と紐でできた頭脳パズルを売っていた。パズルとしては割と大きくしっかりしているので、子供のおもちゃ程度のものでもいいやと(百円ですから)買ったみた。結び目に閉じこめられたリングを解放してやるといったパズル。ところがこれが解けない。子供には1日考えて分からなければ明日回答を見ても良いと言ったので回答をみて分かったようだ。わたしは回答を見るのもくやしくかといって全然できないのだった。しまいにはこんがらがって元に戻せなくなってしまった。“古代中国の智将たちが互いの知力を競い合う遊び”として始まったものだというが、なるほど奥が深い。トポロジーの勉強とかすると解けるのだろうか。うーん。なおそこには三種類あったけど、No2がこれ。あとNo3“指点迷津”は買ったがNo1は買わなかった。皆さんもやってみてください。
検索してみると http://www.neodevice.com/hp/puzzle/rope/ に写真があった。
「一帆順風(イィ・ファン・スン・フォン) 難易度:★★ 帆船のパズル。一番簡単かなぁと思われるパズル。」とあった。私にとってのヒントもあった。「「ザ・頭脳パズル」という木製パズルシリーズの中の、NO.1~NO.5がロープパズルです。」
すでに日本は戦時下にあるのだ。
Fumiiwaさんへ 問題を「誘拐者の要求に応えるのかどうか?」だととらえるとどうしてもテロリストをつけあがらせるな、というふうに流れてしまうかもしれません。そうではなく、「現在の自衛隊のイラクでの存在に正義があるかどうか?」が問題で、それは「米軍のあり方が正義を最終的にもたらすことができるものなのかどうか?」に依存します。少なくとも数日前のアブサドル一派との戦闘関係の開始以後、後者の答えは残念ながら限りなくゼロに近い。だから国益から判断すると「撤退」が良い。ということになります。わたしの根拠は意外と微温的なもので、左翼では全くない JMMの冷泉彰彦氏の意見とほぼ同じです。彼の意見は「第四の選択肢は撤兵です。今回の派兵はあくまで「戦後の破壊されたインフラを整備する人道支援」という目的のものです。その「戦後」が改めて「内戦」に事態が変わるのなら、そして今日付でイラク国内からの日本人民間人の退避勧告が出たように、人道支援などできる条件が失われたのなら、自衛隊は駐留を続ける理由すら失ったと言えるのです。」というものです。イラク人との血みどろの戦闘を戦い抜く決意も無しにイラクにいても無意味に人が死んでいくだけです。とにかく自己なりの正義の基準において、判断すべきだろう、どちらにしても人は死ぬのだから。そして明日私が死なない保証もない。
「すでに日本は戦時下にあるのだ。」とマエストロ鏡玉という人が書いていましたが、いまならまだ1割、2割の隙間はあると信じたいものです。「戦時下としての判断」であれば、日本人でも劣化ウラン弾問題を叫びたがる活動家は利敵分子であり、助けてわざわざ英雄として迎えるなどとんでもない、ということになりますが。
民俗クッ「済州島四・三事件」の紹介ありがとう。面白いかも知れませんね。できれば行ってみたいです。済州島旅行いいですね。わたしはたかだか一冊の本のわずかな頁を読んだだけなのに、金時鐘が語るその当時の海のなかの屍体の群がわりとリアルに感じられています。・・・
日本国は渡辺さんたちを軟禁するな
あるちいさなMLで流れていたので転送します。
最後の「自衛隊イラク派兵撤退へ頑張りましょう。」は削除しようかなとちょっと思った。この問題は、国内の人権問題でありイラク派兵に反対しない方でも、当然共感してもらえるはずのものだと思ったからです。
- 転送ここから—————–
米兵・自衛官人権ホットライン・事務局からの緊急のお願い
小西誠
皆さまへ
渡辺・安田さんが、強制帰国させられようとしているのは、皆さん、ご存じの事と思います。これだけではありません。昨日、渡辺さんの家族と会ってきいたところ、彼らの帰国日時を私たちに伝えないように指導しているばかりか、県・市の対策委の同行の元に、外務省を訪問すること(内容は3人と同じ謝罪要求でしょう!)、「反対勢力が襲撃する可能性」があるから、空港・帰国後、警察の警備をつけること、記者会見をやらないことなども「指導」しているようです。
つまり、かれらの発言を封じ込めることを政府は狙っています。私たちは、この圧力を跳ね返し、帰国後、直ちに記者会見を開こうとしています。
昨日の渡辺君からのホットラインへの電話によると、二人は鍵のかかる部屋に隔離されていること、ホットラインに電話するのも(初めて)、外務省役人の取次で電話をすることを強いられています。(軟禁状態)。もちろん、本人とは、この策動全体を打ち破ることを確認していますが、家族が外務省と右派勢力の凶暴な圧力に曝されています。これは、安田さんの家族もそれ以上のようです。(一方的なバッシング情報だけを言われている)
そこでお願いです。●帰国日時(予定)の20日(火)午前1000前に成田空港へ行ける方はぜひ行って(第二旅客ターミナルビル出国ゲート・アエロフロート機で帰国)彼らを迎え、政府・警察の圧力から彼らを解放し、励まし、記者会見を実現させてほしいのです。ぜひお願いします。
●高遠さんら3人に強制されているような、「謝罪論」「自己責任論」を徹底的に打ち破りましょう。自衛隊イラク派兵撤退へ頑張りましょう。
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