概念の欠如が引き寄せる言葉(序文の位相で) |
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批評と反批評 |
3 |
戦闘概念の衰弱 |
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申し立ての極限 |
7 |
差し戻し |
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忌避 |
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制裁 |
13 |
韻律(の越境) |
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話と生活 |
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秘密調査委員会 |
18 |
空間と留置品と共に成長する深淵 |
20 |
世紀末のための反詩 |
22 |
死を前にして |
23 |
地獄へ至る門 |
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発生の時間域 |
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ワープロによる刊行 |
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カテゴリー: 未分類
HANBoardについて考える PART12 抄
シモツカレ氏が(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20111225#c1325285499 )
何か言っているので、原型を
http://twilog.org/noharra/date-101204 から復旧してみた。(2012.1.3)
http://teri.2ch.net/test/read.cgi/korea/986434444/ ← 元サイトはまだ読める。
395名無しさん@ハングルいっぱい 投稿日: 2001/04/27(金) 「当然教育内容も変わる」と言いつつ、変ってこなかったのが朝鮮学校 なんじゃないですか。教育内容が変われば、一条校並どころか一条校そのもの でしょう? http://bit.ly/h0tkux
「399 経営が成り立つかどうかは別にして、オウムがきちんと文部省の指導要領にしたがった授業をして、その上で、オウムの思想信条を教える授業を加えたような学校をつくったとしたら、一条校の扱いを受けることになるでしょう。恐ろしいことですが。」同サイトの呟きより。
「399 思想信条については、むしろそれが原因で、許可されたりされなかったりすることはないように思います。」が下に書いた文につながる。 朝高校は1条校になろうと思えば十分なれた、ただ金正日崇拝教育を捨てさえすれば、ということが読み取れるように思う。が呟きなので不正確。
408 教育内容が変わる:CASE1-独自のカリキュラム(現状に近い)だが政治思想的な内容は排除し、授業は韓朝鮮語。 C2-日本学校のカリキュラムに依拠しながら、民族科目は自前の教科書(検定済)をつかった韓朝鮮語の授業。 C3-日本学校の教科書を使うが副読本は自前のものを使う。
413なんで「米津篤八」氏の名前が伏字なんですか?あの人が日本人一般の感覚からして異常な意見の持ち主であることは疑いのない事実なのだし、彼に対する皆さんの意見はまっとうなもの(彼が基地外じみた反論をするかは別として)なのだから、伏字にすることなく、堂々としていればよいのでは?
「426 朝鮮学校が一条校として認定されないのは、朝鮮学校が思想教育をしているからではなくて、朝鮮学校が文部省の教育要領に従った教育をしていないからです。 しかしながら、日本政府も国民感情も、朝鮮学校における思想教育を問題にしているのが実情かと思います。」同下
戦略的には2つあって、基本カリキュラムを全く文部省に沿う形で作り、一条校になって残りの時間で、思想教育なり民族教育なり朝鮮語教育なりを貫く方式が一つ。 もう一つは、全く思想教育を取り除き、民族教育や朝鮮語教育のみを基本にしたカリキュラムで、文部省から妥協を引き出すこと。→
→このためには、情報開示は絶対必要な条件となるでしょう。」 以上2ちゃん426番の意見。 基本カリキュラムを文部省ががちがちに固めている現状は良くないのでかえてもらって、金正日崇拝教育をやめて1条校になればよいだけの話です。ただ政治的力を持っている総連が学生より金正日が好きなだけ
435 むかし、ハンボードでキム・ググンさんが初登場して北朝鮮関連で重要な提言をしたことがありました。そのとき、米吉が本筋じゃないところで揚げ足を取って、議論を逸らし、ググンさんを消耗させましたね。ああいう奴を野放しにしておいて良いはずがない。
697すでに1962年、全貌社より、「楽園の夢破れて」という北の実体を正確につかんだルポが、出版されたのだそうです。著者の関貴星氏は、日本人の養子となり、日本国籍を持っていた在日朝鮮人で、自ら北へ帰国の意志があったため、日朝協会施設団に加わって、あらかじめ北を視察なさったのだ。
701 67年頃にも、「北より南へ」という北から、漁船を奪って、韓国に亡命してきた人が、手記を発表し、民団が、日本語に翻訳し、出版した事がありました。当時、父が、民団の役員だったもので、うちの家にも一冊有り読むように言われ、通読しましたが、どうも、信じる気になれなかったものです。
以上。http://teri.2ch.net/korea/kako/986/986434444.html HANBoardについて考える PART12 投稿日: 2001/04/05(木) ~2001/05/21(月)からのコピーです。
在日問題に興味を持つ日本人と在日との議論の蓄積は、朝鮮総連の不利益になる。まあそうだろうね。 無償化排除反対原理主義者は、過去の議論を何も知らない。
海老蔵中道右派 『>私があなたから新しく得た知識は何もないので私からすればそれは事実としか言いようがないのですが。また検索しますか?(笑)
あなたの弱点と思われる法的政治的な知識については、こちらがわざわざ先回りして自発的に説明してあげてますからねえ。それで初めて知ったことも多かったくせに、その親切を逆手に取られるとは、見事な悪代官振りですw
越後屋の図った便宜は越後屋が勝手にしたことで拙者は一切知らん、と言う訳ですか。
私みたいに、知らなかったことは知らなかったと正直に謙虚に言っては?自分が上から教える立場に立たないと気がすまないとは、まるでどこぞの国のお方のようだ。
いいですか。我々はお互いに得意分野と不得意分野を持ってるんですよ。
>>法的視点と政治的視点については、私の方が明らかに優れています。それは、ここの数少ないであろう読者には、明らかです。
>は?どこが?私がいつどこで論破されたのでしょうかw確かに私は法律家ではありませんが。で、法と政治的「視点」であなたがどこで優れているのでしょうか?
読み返した読者の方はご存知ですよ。あなたの知らない法的政治的知識を、私はあなたから歴史的知識を得たことに感謝して教えて差し上げたのですが。
それにしても、私は論破などとは一言も言っていないのだが、なぜ論破にこだわるのか。そういえば、あなたはしきりに自分の意見に同調するよう圧力をかけてこられます(論破強制圧力?)が、虚しいと思いませんか?違う立場の意見も尊重しましょうね。私は常にそうしているつもりですが。
お互い未知のことがいくつか既知のことになった。その点だけでも、お互いにとって少しはメリットになったはずです。
>>あなた方左翼
>私が左翼であることを実証してください。印象操作極まれりですね(笑)
うむ。これはそのとおりですね。野原氏は左翼を自称されているが、あなたにはそれを匂わせる発言はあるものの、実証は出来ないので、撤回いたしましょう。
>>私は、アウェイで戦って勝つことが楽しいので
>ホームで負けるのが耐えられない人ということですね。
いやあ。それならあなたこそホームをお知らせになっては?
青狐さんなんですか?
ホームで負けるのが耐えられませんか?
>>必要だから言及した論点にすぎません
?え?なぜ私が売国奴だの被害者ファッショだのと罵られその為の釈明を求められなければならないのでしょうか?それが必要な論点?
また誤解か曲解か印象操作ですね。
まあ、あなたの挑発的言辞に売り言葉に買い言葉で答えた私の未熟さは反省しましょう。
しかし、上記の論点とは、私があなたのコメントに答えるためには必要と思って論及したが、あなたは今回の米下院決議案にかかわる問題ではないと言われた、それらの論点のことを言っています。
>>へイデン法訴訟濫発と類似した状況が生じ得る危険があることは、実は誤りではないのです。
実に興味があります。では法的「知識」に優れた海老さんの講釈をお聞きしましょうか。
1.カナダでは米連邦最高裁とは違う判断がされる可能性があります。そして、カナダは既に米ビッグファームの活動領域に組み込まれています。カナダでの法案というのも1つのポイントなのですよ。
2.米連邦最高裁でもわずかですが判例変更の可能性があります。あなたのお好きな少数説のロジックがここで登場します。現に、ローラバッカー議員は、最終的に失敗はしたものの、ヘイデン法訴訟進行中に連邦政府の公式見解(条約で解決済み)が出たことに対して、政府見解の違憲判断ができるような法案を提出していました。
3.訴訟の入口の訴訟要件では、米加は過剰な管轄を有しているので、実体審理に入ってしまう可能性があります。その段階で日本の国会決議がされると、内容によっては少数説のロジックを基礎付ける有力な証拠の一つが出来上がります。
>>それまで議論されていなかった広義の強制説が吉見氏の『資料集』で初めて登場したという事実
>不十分ですね。吉見氏が最初に「従軍慰安婦問題はまさに慰安婦の官憲による強制連行の問題こそが核心(本質)である」という趣旨のことを述べていなければ「すり替え」にはなりません。さあ、お得意の検索をどうぞ(笑)
歪曲による論点すり替えですね。あなたが急に持ち出した『吉見氏自身が説を変更したかどうか』は問題ではありません。それまで狭義の強制連行しか論じられていないところに、吉見氏が新説の広義の強制説を掲げたのは、明らかにそれまでの議論からの論点のすり替えでしょう。
あなたは、私が前回指摘したとおり、吉見氏の『資料集』以前に広義の強制を論じていた著作を呈示すればいいだけなんですよ。その著作が存在するなら、多数の歴史資料に精通しておられるあなたには、検索渉猟は造作も無いことのはずです。
>あなたの積み残しの「検索」をまとめます。
不要なものをオミットすると、以下のようになりますね。
>・ホンダ議員の真の意図或いはそれを伺わせる発言
お待ちください。ファイリングしときゃよかった。
>・事実と認めるには不十分であったがバーターで仕方なく認めたという政治家(ちなみにあなたの論法を使うなら対外的に責任とるのは首相クラスでないといけないようですから宮沢氏、百歩譲って河野氏となります。また韓国から打診してきた人間がそのクラスであることもお示しください)
日本側の政治判断の証拠は、以下の石原氏の発言です。
>>>>>>>慰安婦強制連行 河野談話は総合的判断 石原前副長官、「謝罪」の経緯語る
1997年03月09日 産経新聞 東京朝刊 社会面より全文引用
元慰安婦への謝罪談話を発表した宮沢内閣の加藤紘一、河野洋平の両官房長官を官房副長官として補佐した石原信雄氏(七〇)は八日、川崎市麻生区の自宅で産経新聞のインタビューに応じ、「いくら探しても、日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが、総合的に判断して強制性を認めた」などと語った。
石原氏との一問一答は次の通り。
--河野氏は調査の結果、強制連行の事実があったと述べているが
「随分探したが、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない。慰安婦募集の文書や担当者の証言にも、強制にあたるものはなかった」
--一部には、政府がまだ資料を隠しているのではという疑問もある
「私は当時、各省庁に資料提供を求め、(警察関係、米国立公文書館など)どこにでも行って(証拠を)探してこいと指示していた。薬害エイズ問題で厚生省が資料を隠していたから慰安婦問題でも、というのはとんでもない話。あるものすべてを出し、確認した。政府の名誉のために言っておきたい」
--ではなぜ強制性を認めたのか
「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。加藤官房長官の談話には強制性の認定が入っていなかったが、韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた。そして、その証拠として元慰安婦の証言を聞くように求めてきたので、韓国で十六人に聞き取り調査をしたところ、『明らかに本人の意思に反して連れていかれた例があるのは否定できない』と担当官から報告を受けた。十六人中、何人がそうかは言えないが、官憲の立ち会いの下、連れ去られたという例もあった。談話の文言は、河野官房長官、谷野作太郎外政審議室長、田中耕太郎外政審議官(いずれも当時)らと相談して決めた」
--聞き取り調査の内容は公表されていないが、証言の信ぴょう性は
「当時、外政審議室には毎日のように、元慰安婦や支援者らが押しかけ、泣き叫ぶようなありさまだった。冷静に真実を確認できるか心配だったが、在韓日本大使館と韓国側が話し合い、韓国側が冷静な対応の責任を持つというので、担当官を派遣した。時間をかけて面接しており当事者の供述には強制性にあたるものがあると認識している。調査内容は公表しないことを前提にヒアリングを行っており公表はできない」
--韓国側の要請は強かったのか
「元慰安婦の名誉回復に相当、こだわっているのが外務省や在韓大使館を通じて分かっていた。ただ、彼女たちの話の内容はあらかじめ、多少は聞いていた。行って確認したということ。元慰安婦へのヒアリングを行うかどうか、意見調整に時間がかかったが、やはり(担当官を)韓国へ行かせると決断した。行くと決めた時点で、(強制性を認めるという)結論は、ある程度想定されていた」
--それが河野談話の裏付けとなったのか
「日本側には証拠はないが、韓国の当事者はあると証言する。河野談話に『(慰安婦の募集、移送、管理などが)総じて本人たちの意思に反して行われた』とあるのは、両方の話を総体としてみれば、という意味。全体の状況から判断して、強制にあたるものはあると謝罪した。強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった。これは在韓大使館などの意見を聞き、宮沢喜一首相の了解も得てのことだ」
--談話の中身を事前に韓国に通告したのか
「談話そのものではないが、趣旨は発表直前に通告した。草案段階でも、外政審議室は強制性を認めるなどの焦点については、在日韓国大使館と連絡を取り合って作っていたと思う」
--韓国側が国家補償は要求しないかわり、日本は強制性を認めるとの取引があったとの見方もある
「それはない。当時、両国間で(慰安婦問題に関連して)お金の問題はなかった。今の時点で議論すれば、日本政府の立場は戦後補償は済んでいるとなる」
--元慰安婦の証言だけでは不十分なのでは
「証言だけで(強制性を認めるという)結論にもっていったことへの議論があることは知っているし批判は覚悟している。決断したのだから、弁解はしない」<<<<<<<
最後の文はなんと巧妙な。あなたも私から法的思考を学び取ったのですね。
石原氏が韓国からの打診は非公式だと一貫して発言していることを逆手に取っての条件付けですね。いいでしょう。その点の直接の証拠は当然無いですが、有力な間接証拠を提示しましょう。金大中大統領が、『日本の補償を求めないことと引き換えに』生活支援をした事実です。
http://www.awf.or.jp/fund/news/news_11/a_05.html
>・横田氏の言及しているNGO中韓のロビーであるかどうか
誤解か歪曲か印象操作ですね。
この問題でのNGOの主力が徐玉子氏の率いる韓国系団体とホンダ議員の支持団体の中国系団体であることは、各団体自ら公然と行動して示しています。
横田氏の発言は一般論かもしれないが、該当記事の記者は、文章全体の論調から考えるに、横田発言をこの問題のロビイストのNGOの立場を擁護する論調で引用していますね。』(2007/03/29 10:17)
* 海老蔵中道右派 『>あなたが「野原氏を中傷したのが先」というのは認めてらっしゃると、で、こうなったのも相手にも原因があると言い訳がましく責任転嫁しようとして(左翼にウイルスメール送られたことがあるとか←知らんがな)、
誤解か歪曲か印象操作ですね。
元コメントでは、自分に非があると認めた上での発言。責任転嫁する意図は文面からも真意からも全くありませんよ。
>案の定その後すぐに同様のことをやらかしたと。いや、何ともはや素晴しい反省ぶりで。またやらかすんじゃないですか?あなた。
被害者の認識には被害者意識から正常さを欠く点が多いことを自ら証明してしまい、自分の未熟さを痛感しましたが、同時に、慰安婦の証言も冷静に検証すべきことの証左ともなりましたね。身を削って失敗した甲斐があったものです。
>>私のコメントを誤解曲解して断言したり印象操作をされることが多いが
>あなたの書き方がまずいのかもしれませんよ。何しろあなたは最初「政府や軍が主体的に関与していなかったら、それは朝鮮人が多かったという業者の責任です。」と言っておきながら私が主体的に関わっていたことを示すと「公安(←ここは大爆笑ポイント)と風俗業者の関係と何の違いもない」と言い出して、ではどこに「公安慰安所」があるのかと突っ込まれれば、「解釈の違い」だと逃げ、「ゆーき」さんからツッコミが再度入ったら、今度は問題は法的責任の問題だとすり替えた。しかもこだわっていた「公安」のくだりは単なるミスで最初から法的責任の問題を言っていたのだと。
こんな議論をする人の意図を全て酌める人なんていませんよw
いや、あなたが法的知識に欠けているだけです。読み返せば分かりますが、私は最初の常石さんのブログでの発言から今まで一貫して法的責任を第一に考えて主張しています。国家責任といえば、法的責任をまず考えるのは、近代人の常識です。全くすりかえていません。
私のうっかりミスの公安にこだわったのはあなただけ。ゆーきさんは、私がミスしていることに気づいたからツッコミを入れただけ。そのツッコミから、お互いの議論の齟齬が主体的という用語の意味の理解の違いに起因することに先に気づいたのは私で、あなたはそれ以前には気づいていませんでしたよね。』 (2007/03/29 10:36)
* 海老蔵中道右派 『私が議論の齟齬の原因に気づいたのは、それが原因なんですよ。
私は国家責任といえば当然法的責任のことだと考えて論じていたのに、あなた方は責任の内容や性格を考えずに漠然とした責任などと言うものがあるかのように考えて議論を進めていることに気づいたからです。
だから、ゆーきさんのツッコミのすぐ後に、法的責任は否定するが道義的責任は肯定するとコメントし、以後の議論を整理しようとしたんですよ。』(2007/03/29 11:20)
* 海老蔵中道右派 『もうついでだから、あなたの以前のコメントにも答えておきます。
>>学者は専門分野については確かに高い能力を有するが、それ以外の分野では必ずしもそうではない。
>このコラム子の能力が高い?随分と人を見る目がおありになるようで。
コラム子の能力のことは言っていません。吉見氏ら性奴隷派の国際法の少数説のパッチワークが説得力に欠けることを言っています。
>宮台さんがお好きのようですが彼は「愛国/売国」=「国益計算能力の多寡」と定義していますよね。以前も言いましたが安倍や上記のような保守派の計算能力が笑ってしまうほど低いのはあなたも認めざるを得ないのでは?
別に好きではありません。イデオロギー的には私とあなたの中間的立場かと思って、一部にせよあなたも納得しうる議論として紹介しました。
安倍氏らの国際的戦略の欠如については同意します。
>宮台氏は歴史学の専門家ではないですしこの問題に関する彼の議論には賛成できない部分が多々あるということも付け加えておきます。
私も歴史問題に関する氏の発言を全面的に支持するものではないですが、専門外だからこそできる論点整理の中立性は評価しています。
>被害者の主張は絶対だとも思ったことはないので「否」ですかね。
それなら、慰安婦の主張にも信用性に欠けるものがあることは理解されてるんですよね?それが私の言う真の犠牲者を冒涜する詐話師的慰安婦なんですが、あなたはそれが全く存在しないとお考えですか?
>「従軍慰安婦なかった派」の主張があまりに酷いのでそちらの方の批判が主ですが。
この点こそ、私があなたから聞きたい一番重要な点ですね。ぜひ、2、3の具体例をあげてご説明願いたい。
>当事者が約束を認識していないのに約束違反(信義違反)といいうるのはなぜですか?
上記引用記事によれば、少なくとも石原氏と宮沢首相の間では了解済みだったようですね。
>櫻井氏のデマゴーグぶりは有名ですよ。
>http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/
で「櫻井よしこ」を検索されてはいかがでしょうか?
ご紹介感謝します。かなり他者の元の発言内容を都合のいいようにまとめているようですね。故意か過失か気になります。
ノーモアさんは、青狐さんなんですか?
>>日本政府は法的責任も道義的責任も履行済みなのに比して
>誰もそう評価してくれていないわけですけどね。
これこそ問題のこじれる根本原因ですね。
天安門事件の冤罪部分があることを嫌った中共の気持ちも良く分かります。
日本政府は、旧領土国(韓国)と条約を締結して実質賠償を支払い法的責任を履行した唯一の国で、かつ、世界各国にあった軍売春婦に対して女権伸長にかんがみ率先して世界一早く道義的責任を履行したことをどんどん世界各国に広報していかねばなりません。麻生外相の外務省2000人増員計画も、今のスノビズム無責任官僚気質がはびこる外務官僚ではない、戦略的な官僚を養成するなら大賛成です。日本が大使館を置いていない小国があんなに多いとは…
>>日米韓の友情の架け橋のプロジェクト
>本当に友情が生まれるんでしょうか?私はあなたのような相手に対して不信感むき出しの態度を改める方が先だと思いますけど。
国際関係では、自国の国益を主張するのが当たり前です。私は韓国側のメンツが立つ方法まで考えてコメントしたでしょ?
あなたの外国や外国人を無根拠に信用できる無防備さの方が見ていて危ういです。あなたが外国人なら納得しますが。あなたが個人的に謝罪賠償したいのなら止めはしませんが、国家は国民の拠出した財貨によって成り立っているのですよ。
>河野談話を否定する動きにより悪影響が生じたことはありましたが。
それには同意します。戦略の欠如と甘えがありますね。
>河野談話を踏襲する形で国会決議をするのは賛成ですよ。
実態に合致しておらず、誤解を生みやすい表現でもあるのに?せめて秦氏私案くらいにしないと…』(2007/03/29 12:29)
* 海老蔵中道右派 『>管理人殿
ノーモア氏のコメント
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070319#c1175144636
を読みたいのですが、見当たりません。』(2007/03/30 11:11)
* nomore21 『ノーモアです。ブログを作り、コメントはTB先に移しました。』(2007/03/30 11:27)
14歳 楳図かずお
野原が最も尊敬し好きなマンガ家は大島弓子である。自分のモチーフ追求を軸にマンガを強引に作り上げる観念的なマンガ家であるという点で、楳図は大島と共通点を持つかもしれない。ただわたしは楳図のよい読者ではない。機会があって(自腹を切らず)『わたしは真吾』と『漂流教室』を読んだくらい、だ。楳図は有名な割にあまり読まれていない(たぶん)。小学校4年の息子が楳図に興味を示したので、(悪趣味だから子供に買ってやるのはどうかと人並みなことも思わないではなかったが)近くのリサイクル古本屋に一冊350円で1~4が並んでいたので買って、息子に与えた。先に息子に与えるのはけっこう危険である。とまあそんなことはどうでも良い。
テキスト主義者ならテキスト(マンガ)に即して語らんかい!はい。(1と2を読んだだけで、これは20冊もあるのでそろえるかどうかも未定だが)(ところでチキンジョージを“ぐぐって”みたらライブハウスばかりだった)えーこの作品はチキン・ジョージというモンスターの誕生から始まる。チキンジョージとは鶏肉自動作成工場の偶然のミスから生まれた生物が(ご都合主義で)高度の知能を持ったモンスター。彼は孤独感を理屈で根拠を捏造することで埋めようとし、現代文明(未来文明)が数千数万種の動物たちを滅亡させたことへの復讐を自分の使命と考える。息子には粗筋ではなく感想を書けと高圧的に命令したくせに自分でも粗筋しか書けない。反省。言うまでもなくわたしたちは牛や豚を食べているが、彼らは近くでゆっくり見ると大きいだけあって威厳と存在感に溢れている、ここには大きな矛盾があるが皆が知らん振りをしている。こうした誰でも知っているタブーを主題にする蛮勇こそが、名作を産みだす条件だ。(続きを読まないと分からない。)
消えゆく他者
例えば http://www5.justnet.ne.jp/~takataka2001/linkp03.htm によれば、私が何か発言するとき、「私は常に他者によって呼びかけられているのです。」とデリダは、考えたらしい。
「私の責任は、私の措定以前に、(略)他者の呼びかけへの責任=応答可能性というレベルで既に始まっている。(略)責任は根元的には、<他者への応答>でしかない。応答することから始めなければならない。」(『アデュー』より)
たまたまこの引用元である『アデュー』というのはデリダによるレヴィナスに対する追悼の本である。がadieu という言葉には下記のような含意があるらしい。「 レヴィナスにおいて「アデュウ」(adieu)はa`-dieu(神 -へ)と読みかえられ、「私」と絶対的他者としての他人との倫理的関係を創設するような倫理的出来事を意味する。(河合孝昭 http://www.copula.net/mag/vol_2/venir01.html)」より
で、絶対的他者とは一体何なんだろうか?
「レヴィナスはしばしば、死者達に対する生きている者達の責任、罪責について語る。それがホロコーストの犠牲となった無数のユダヤ人達に対する、われわれ後世の生き残りの責任を意味していることは言うまでもない。(河合)」べつにあえて難癖を付けたいわけもなんでもないが、*1レヴィナスが死んだのは1995年、現在ほどではないが、パレスチナ人に対するイスラエル国家の暴虐はずっと以前から続いていた。ホロコーストを絶対的という形容詞とともに考察することは、イスラエルの暴虐を見ない振りをすることとシンクロしていた。という指摘は充分可能である。
「私は常に他者によって呼びかけられているのです。」という発想は魅力的である。
だが他者とはふと一瞬現れ次の時間には意識の外側に逃れ去るといったそういう存在ではないのだろうか。私たちが特権的に考察しなければならない他者とは、瀋陽総領事館駆け込み事件のキム・ハンミちゃんである。彼女はその後家族と共に無事韓国へ亡命したから彼女自身について気遣いを持続しなければならないわけではない。だが「中国にいる30万人の北朝鮮脱出者と、北朝鮮の2000万人の同胞の生活の大変さ」という問題は現在のものだ。(脱北者が30万人もいるのかどうか分からない。日本には数字にすぐケチをつける恥知らずなレイシストが多い。)キム・ハンミちゃんという固有名において記憶された悲惨は、他の難民たちのうえに大きく持続していると意識しうると思います。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040113 1ヶ月以上前に書いた、野口孝行さんと脱北者二人は中国当局によって拘束されたままです。日本の世論が盛り上れば情況も変わっていたでしょうが。えーこの文章は直接社会批判を呼び掛ける趣旨はありません。他者について考えているのです。他者は確かにそこにいる。だが世界中には数十億の他者が存し一々考えることなどできません。誰でもどの他者について考えるか選択を行っているわけです。脱北者はいつも後回しになる。北朝鮮がずっと遠くの北アフリカにあったら日本人はもっと関心を持ったかもしれない。ヨーロッパ人が騒げば日本人の一部は確実に影響されるのです。が隣の国北朝鮮に大きな関心を持っているあるいは持つべきだと考える人は現政権を通じての国民への浸透という回路だけを追求し、脱北者=難民を絶対的に見ようとしません。
「ユダヤ的な解釈はそれ自体、(呼びかけられる側の)安全化の戦略だ。僕は少なくとも責任にかんして、デリダとレヴィナスを信用しない。」という北田暁大氏の文に刺激を受けて以上書いてみました。http://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/20040106
*1:レヴィナスのことを何も知らないのでケチの付けようがない。
2項目削除
昨夜酔っぱらっていたので、というのは言い訳にならない。けど削除します。
馬鹿な顔(再掲載)
馬鹿な顔をしてイラクの子供たちといつまでも遊び続ける高遠さんの映像が日本中に流れた。(アルジャジーラでもたぶん流れた、彼女の友人がバクダッドで歩いて持っていったらしいから。)*1彼女は援助者として子供たちと一緒に楽しんでいただけだ。国境を越えて彼女と子供たちの間にはすでに信頼関係があり、彼女は安心して楽しむ(自己放棄する)ことができた。そのときは。その時といってもそれは(たぶん)去年であり、日本の政府関係者などはイラク民間人との接触において逆立ちしてもそんなリラックスした時間を楽しむことはありえなかった時期だ。国家の論理においては、無価値と評価される子供をあやしたり、子供と遊んだりする時間。正義とはそうした時間を守ることにある。
(高遠菜穂子さんの行為を私は熱く支持したい。)
*1:「馬鹿な顔」というのは失礼な表現だ。許してください。真善美を価値の基準として立てる発想をいくらか転倒したいという思いで書いているのだが・・・
レジスタンスとは
「レジスタンスというのは、直接相手の軍隊相手に抵抗運動を行う人たちの事を言う。一般市民を人質に取ったり殺したりするのは、どう言い訳をしようとテロリストだ。」
それは違う。レジスタンスとは「占領軍に対する抵抗運動」である。アメリカ軍の存在が不当な占領であると(イラク人によって)みなされれば、それに対する抵抗はレジスタンスになる。現状を「不当な占領」とみなすかどうかが論点だ。レジスタンスの方法として民間人誘拐が行き過ぎかどうか?は別の問題だ。
無力をみつめる
今朝の毎日新聞で毛利甚八という人のコメントが、印象的だったのでメモしておこう。不正確だが。
「子供を威嚇することを教育と思いこむ大人をあざ笑うような事件だと思う。」「「少年犯罪の凶悪化」云々97年の神戸事件以来のキャンペーンがいかに無意味なことであったかを思い知らされる気がする。」「事件の原因探しに夢中になるのはもうやめにしたらどうだろう。」
「まず大人が悩みながら道を探し、子供の世界にそうした文化を浸透させる努力を続けるべきだ。」
人間は時として殺意を抱いたりする。自分(たち)にだけはそんなことは決してないと思っているような馬鹿が人を教え導くことなどできない、予算の無駄遣いである。でも毛利氏はそういう風には語らず、悩むことと努力を続けることを語るので立派な人である、と思った。
岡真理さんのヒロシマ
今年のヒロシマにはファルージャからも男性が参加していると聞いたが、岡さんが通訳として付き添っていたらしい。今日「少女ヘジャル」*1というトルコのクルド映画の上映会がありそれに協賛する形で岡 真理氏と松浦範子氏の対談があった。その時に言っていた。
ファルージャでもミサイルが落とされボールペン一本でさえ粉々になっていたという被爆が多発している。ところが日本のマスコミはせっかくイラクから来た彼に、ヒロシマのことを国に帰ってどう伝えますかという紋切り型の質問ばかり繰り返したといって、岡さんは怒っていた。根源的悲惨と祈りはヒロシマのブランドであり、世界にそれが啓蒙されなければならないという(善意の)流出論。一方少なくないクルド人はわたしたちは世界で始めて毒ガスの被害者になった、第二のヒロシマナガサキだ、と日本人へのシンパシーと尊敬を込めて言うという。尊敬とは、汚染された荒野を数十年でまた大都会に変えた<祈り>に支えられた努力に対するものだろう。世界が矛盾に満ちているかぎりわたしたちは闘わなければならない。つまり平和とは闘いでなければならないのだ。
*1:http://www.annieplanet.co.jp/hejar/index.html ハンダン・イペクチ監督。 ・8/7~8/20 テアトル梅田 http://www.cinemabox.com/ 連日モーニングショー 10:00~ ・8/21~ 第七藝術劇場 http://www.nanagei.com/ 連日12:20/14:35/16:50/19:00