責任の欠如・強制の欠如というイデオロギー

isbn:4480857621 『南京大虐殺は「おこった」のか』筑摩書房  1998

クリストファー・バーナード著

という本が図書館にあったので借りて読んでみた。

以下メモ。(ちゃんと説明するのに手数の掛かる本なので、分かりにくいままですまぬ。)

まとめ

日本の歴史教科書(特に日本史)は偏向している。

この偏向は責任の欠如や強制の欠如というイデオロギーを表明している。

このイデオロギーは日本国の権力保持者の面子を守ろうと努めている。*1

この本は、日本の高校で1995年に使われた全88種類の歴史教科書を全部比較したものです。

取り上げたのは、いつも論点になる、南京大虐殺、真珠湾/パールハーバー、815など4点*2

テーマは書いてあることは事実か、という問いではない。文体レベルの微細な差異によって、受ける印象はずいぶん変わってくる。そのような差異を扱っている。

 幸い、日本とほぼ同時期にドイツ・イタリアも開戦し、敗戦した。したがって、ドイツ等の記述と日本に対する記述を比較できるわけである。

教科書からのサンプル1

 ドイツはオーストリアを併合し、1939年には独ソ不可侵条約を結んだのち、9月ポーランドに侵入した。p80

教科書からのサンプル2

日米交渉はゆきずまり、12月8日未明、日本軍はイギリス領マライに奇襲攻撃をおこなうとともに、ハワイの真珠湾に空から奇襲攻撃をかけ、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦を布告した。これが太平洋戦争のはじまりである。p76

上では「侵入した」という攻撃を示す動詞が最も強調されている。

このような(広い意味の)「攻撃」が本動詞になっている場合が、日本の場合は9%だが、ドイツの場合は40%になっている。

後者の場合、前者と違い、国家ではなく軍が行為主体となっている。

軍が行為主体となっている率は、日本が49%、ドイツは19%である。

ポーランドに侵入した」という切迫した文章に対し、「これが太平洋戦争のはじまりである。」という文章は説話的である。「ストーリーを語ることから一歩下がって、時間を超越した全知の観察者の立場にたち、すでにおきたことについて論評しているのである。」*3

つまり、日本国や日本軍何れに対しても攻撃の責任はさほど明確に与えられていないし、攻撃は「主たる話」にはなっていない。p82

責任の欠如とよべるイデオロギーに結びついた用法のパターンが教科書に見られる。p82

(以上 メモ)

*1:p142同書

*2:もう一つはなんだったかな

*3:p76

小林万里子久しぶり!

▼「反戦ミュージックat京大西部講堂2005」

2005年9月10日(土)11日(日)京大西部講堂

入場無料

公式ホームページ

http://www.antiwar-music.com/index.htm

▼講堂前広場特設野外ステージにてライブ

9月10日(土) 14:30~21:00

クラワンカ、楽団モラトリアム、ヤブレカブレ、ISSIN、井上卓、ハチワレ天満宮、ジェロニモレーベル、ピカリンス、Lucky Lips、アジビート

9月11日(日) 15:00~21:00

LOVEDLOVED、ファルソス・ヒターノス(にせジプシー)、軍鶏礼賛、あうんさん・すうじぃ、SANPACHI、AUX、Mademoiselle

Fleur、小林万里子、吉田一平

▼反戦デモ

「小泉戦争内閣ぶっつぶせ!自衛隊イラク派兵と戦争国家化を許さない9.11反戦ミュージックデモ」

9月11日(日)

12:00 三条河川敷集合

13:00~15:00 デモ(三条河原~京大西部講堂)

▼広河隆一さん写真展

西部講堂内にて広河隆一さん写真展を開催。

▼京大西部講堂:京都市左京区、百万遍交差点より東大路を南へ徒歩すぐ

 京阪出町柳駅下車、徒歩15分

 市バス百万遍下車、徒歩3分(3、17、31、65、102、201、203、206系統)

 市バス京大正門前下車、徒歩5分(31、65、201、206系統)

▼駐車場

会場に駐車スペースはございません。最寄りの駐車場をご利用ください

最寄りの駐車場

100円パーキング(京都市左京区田中西樋ノ口町)

100円パーキング(京都市上京区信富町)

京都市駐車場公社(京都市上京区青龍町)

▼期間中のみ西部講堂内および講堂前広場にてテント泊可能

ご利用の方は事前にご連絡ください。

▼スタッフ募集!

仕込み、本番、撤収など、それぞれご都合のよい時間でお手伝いをしてくださるボランティアスタッフを募集しています。汗まみれ、泥だらけになりますが、きっと形にならない大切なものに出会うことができるでしょう。

▼下記連絡先までお気軽にご一報ください

antiwar-music@hotmail.co.jp(吉田一平)

私は高慢たりえない?

とここまで書くとまた新たな疑問が湧いてきた。

(1)金比羅は高慢である。また長編小説作家はその限りにおいて全能なので当然高慢である。ということは一般人は高慢たりえないということであろう。

ところが、「3.ふふんふふーん」の場合はどうか。この場合、一般人が「科学の子」と自称しているだけであるのに、高慢である。

 ここで多少説明的になる。誰かが海で遭難するとき、助かりたいと思っていると海上に突然灯がともる。灯は神様の灯だ。この灯を見る人についての説明が上記の断片p15だ。ところが非常に例外的に神様の灯を否定する人がいる。それが断片p14の科学の子だ。

「あるはずのないそんな灯を見る」「当人が助かりたいと思っているから」というのが、日本人の神であり尊いことなのだ。という側に作者は立っているように思える。したがってそれを否定する「科学の子」は一般人として許されざる傲慢であると。でもそうであれば、金比羅=高慢を強調することは話を分かりにくくしているのではないか?

ウィルスに感染

してしまい、ネットもメールもできません。*1

Nsag というワーム、トロイの木馬、で危険度低いと書いてあるがちょっとやっかいな奴。

まだ駆除できない。

http://www13.plala.or.jp/sukiero/erostart/prevent.html スキエロテンプレ 予防措置

http://www.higaitaisaku.com/uninstallinfo.html アンインストール情報ログの取り方と貼り付け方法

などを見て勉強中。最低数時間はかかる。

Win32.Alemod.Aは、「感染」したことを通知する虚偽のメッセージを表示し、「スパイウェア」スキャナと称するアプリケーションをダウンロードさせようとするトロイの木馬です。

これと同じようなものらしい。

http://www.higaitaisaku.com/cgi-bin/cbbs.cgi?mode=one&namber=74416&type=74132&space=225&no=0

PCトラブル質問掲示板 [One Message View / Re[15]: Virus.Win32.Nsag.a (wininet.dll) の処置]

マイコンピュータ→ C ドライブ → WINDOWS フォルダ → system32 フォルダ

と開いていって、その中にある wininet.dll というファイルを 右クリック>名前の変更 から、

wininet.bak とファイル名変更してください。

「拡張子を変更すると~」という警告が出ますけど、この警告は無視してください。

これをしないといけない。そのためには、正しいwininet.dllも必要。ということのようだ。が眠くなったので終了。

*1:もう1台のでこれは書いています

<皇祖皇宗に対し責任をおとり被遊>

 今度の敗戦については何としても陛下に御責任あることなれば、ポツダム宣言を完全に御履行になりたる時、換言すれば講和条約の成立したる時、皇祖皇宗に対し、又国民に対し、責任をおとり被遊、御退位被遊が至当なりと思ふ。今日の趨勢より見れば、或は之は難しき問題なるやも知れざれど、而し現在表面に顕れたる過渡的の動きや、米国其他の諸国の思惑等は度外視し、真理の示すところに従ひ、御行動になるが至当にして、これにより戦没、戦傷者の遺家族、未帰還者、戦犯者の家族は何か報いられたるが如き慰を感じ、皇室を中心としての国家的団結に資することは頗る大なるべしと思わるる。若し、如斯せざれば、皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何か割り切れぬ空気を残し、永久の禍根となるにあらざるやを虞れる。

元内大臣 木戸幸一

(p132『天皇と日本人の課題』伊崎正敏isbn:4896917545

講和条約調印直前の51年秋のことである。引用は、『東京裁判資料・木戸幸一尋問調書』粟屋憲太郎「解説」からだそうだ。

「この伝言はたしかに天皇に伝わり、天皇もまた退位を希望した。*1*2

 わたしたちの憲法はその1条に天皇をいただいているわけですから、やはり天皇という一個の人格に価値の根源を求めてしまうことも或る程度避けられないでしょう。昭和の前半と後半をヒロヒトという同一のペルソナが表象しているという事実は憲法より重い。つまり日本は国民主権の国ではなくそれ以外の何かだったのです。

 ところがそうだとすると困ったことが起こります。天皇制の倫理的根源は皇祖皇宗であるわけです。宣長や篤胤も儒教の理、天、民といった審級をただ単に否定した訳ではありません。言あげせずともそのような価値は自ずから天皇とその背後(皇祖皇宗)に現象しているというのが彼らの考えでした。

 敗戦を皇祖皇宗に恥じない天皇というものはありえません。にもかかわらずわたしたちはそうした天皇を大事にしてきました。

 この矛盾を解決するためにはどうしたらよいでしょう。わたしは天皇から憲法という拘束を外すべきだと思います。憲法からいえば、1条~8条の削除ですね。こういうとすぐ天皇制廃止論者か、とか言われるわけですが、一体ひとは天皇制を何だと思っているのでしょう。*3千年以上続いた天皇制を守りたい、のではないのですか?天皇の憲法からの自立が天皇制廃止だなんて一体誰が決めたのか。解答いただきたいものだ。

*1:同上伊崎p133

*2:だが実際には、時の実権者マッカーサーと吉田茂に反対され実現しなかった。

*3:天皇制という言葉はあまりよくないとわたしも思うのですがここでは便宜上使っています。

嫌韓・嫌中はアメリカの陰謀!

http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20051114#1131904594 カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記

そして現在の日本の「民族差別主義者」は、アングロサクソンのポチとして、イギリスに統治されていた時代の、つまり19世紀のインド民衆やミャンマー民衆や中東・アフリカの民衆と同様に、アングロサクソンが引いた民族境界線によって民族対立を煽りあっている。バカかと。朝鮮で反日を煽っているのも同じ連中の片割れだ。東アジアが協力し合うと、アメリカや中国に都合が悪いから、東アジア間で感情のエスカレート工作を行なっている。東アジアの、ことに日本の「力」を弱めることがその「工作」の目的だ。

つまり現在の日本の「民族差別主義者」は、戦前の「軍国主義者」ほどの統治への意志も理性も知性も持ち合わせていない、真性のアングロサクソンの奴隷だ。欠片も「愛国」的ではないどころか、真に売国的である。

(余談だが、戦後の昭和天皇は、アングロサクソン帝国が植民地を現地酋長を使って間接統治した伝統に習い、アメリカによる日本間接統治のマシンとして在位し続けた。敗北によってケガレた昭和天皇が戦争責任をとって退位して、次の天皇が即位したら、「天皇」というものが真に「愛国」のシンボルになってしまうから、アメリカはそれを嫌い、昭和天皇を在位させ続け、昭和天皇とその側近はアメリカのその意図に協力した。つまり昭和天皇はやはり最大級の売国奴であり、最大級のケガレである)

 差異はあるが、わたしの主張に近いのでコピペ。

近代の超克

中島岳志という人が『中村屋のボース』で大佛次郎賞を取ったそうだ。

自らを西田幾多郎ら京都学派の哲学に依拠すると位置づける。

「近代の超克は可能か、という問いを捨ててはいけない。西洋近代が生んだものに、アジアの側から基礎づけを与えていきたい。」

(朝日新聞12/14朝)

6.沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた

 筑紫峠も、辰平は忘れることができず、フーコンという言葉を聞けば思い出すのであった。サモウの野戦病院というのか、患者収容所というのか、あれもひどいものであった。患者が多くて、とてもあの瀬降り病棟に全部を収容しきれず、土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れていた。そのような患者が次々に死んだ。死体は、共同の死体壕に投げ込まれた。死体壕に雨水が流入してできたプールに、沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた。禿鷲が降下して死者の肉を爪にかけて、飛び去った。

 あの死体壕に投下されるまで、死者は泥土に顔を突っ込んでいた。あるいは、仰向けになって、眼と口をあけていた。

 あれは確かにあったことであり、実際に見たことなのだ。辰平にはしかし、幻のようにも思えるのであった。あんなに多くの人が、あんな姿で死んでいる光景を、俺は本当に見たのか。もしかしたら、幻想ではないのか。そんな気がするのである。死者の光景だけではない。あの戦場のすべてが夢の中の光景のように思えるのであった。

(p12-13『フーコン戦記』isbn:4167291037

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070414#p4

昨日(5/19)、あるところで、「従軍慰安婦をめぐる6枚の紙片…」と題して話しました。

その時に使った6枚の紙片です。

悲しみは北の果てに

 慰安婦とはなにか、定義をめぐってもたぶん異見があるのだろう。下記は慰安婦ではなくただの辺境の下級娼婦(予備軍)だろうか。とにかく(おそらく満州国ができる前)そのエリアの田舎道を歩いている若い女の群、である。

 くずれかかった島田髷をグラングランとゆすりながら、赤いおこしをまくり、ゴム長靴をはいて、しめじめした田舎道を歩く十五、六人の若い女の群がいる。

 ここ密山あたりへ来る女は、ひ子窟(ヒシカ)の女市場から売られて来たのである。あまりきれいなのがいないのは、下物だからだろう。きれいであってもゴム長じや興がさめるが--

 女共のうしろには、面構えのよろしからん男が鞭を持って、羊か豚を追うように尾いている。女共は大ぶん歩かされたとみえヒョロヒョロしている。これからもっと奥の、ソ連境へまででも連れて行って売り込むものとみえる。今夜にも売れたらその日からでも、何ともわからん男--どこの国の人間やらわからぬ男を抱かねばならぬ。「女販売人」からみれば、女というよりは女に似たけだものと思っているだろう。男を抱かせさえすればそれてお金になるのだから、女みたようなものでありさえすればいいのである。どこのだれの子か、どこの村から拾って来たのか知らぬが--

 どうせこのあたりに稼いでいる男は、女のいいも悪いもない、徳利の穴から出すものを出せばすむ

のだから--

 しかし、このあわれな女たち、これからどこへ行ってどうなるものやら。どうせ、このあたりの土となるものだろうが--それもしらずに--

 櫻井忠温の『哀しきものの記録』文芸春秋新社(昭和32年発行) p251 より。

 この女たち、わたしは日本人じゃあないと思っていた。でも良く読むとおそらく日本人だ。p203にこう書いている。

大連の北にひ子窟(ヒシカ)という海岸がある。(略)ここが内地で浚った女共を陸揚げするのである。そして女の市が立って、上物と下物とを選り分け、それぞれ相場を極めて送り出すのである。下物は大てい北満送り、あの方さえ役に立てば目っかちでもいいという程度--そんな片輪は拾っては来ないが--大連や奉天向きは特種、遼陽、四平街だのはまず上玉の方である。下物の下物は競売にかける。

「内地で浚った女共」というのは日本人ということになりますね。わたしが日本人と思わなかったのは、この七〇年以上女性であっても日本人であれば満州あたりでそんな扱いは受けないと思っていたからです。でも八〇年以上前にはこういうこともあったのでしょう。

 というかわたしがいいたかったことは、女が何国人であってもそんなことはどうでも良い。ただじめじめした田舎道を歩き続ける女たちはあわれだ、とそう思うことが大事だということです。*1

 従軍慰安婦問題は、語り得ない言葉を語り初めた彼女たちの実存によりそうように見ることはもちろん必要だが、上記のような哀れさの底、あるいは彼女たちと交わった男たちのことも直ちに断罪しない、すべてを呑みこむ歴史の巨大なはらわたの一つのエピソードとしても理解すべきだと思う。

*1:「しなてる 片岡山に 飯(いひ)に餓(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ」聖徳太子以来の、日本人が大事にすべき伝統的感受性です。

一読者 『>ノーモア(敬称略)

>コメント欄は以前からありました。

>調べれば簡単に分かることを下種の勘繰りをしておいて、「急遽コメント欄を姑息にもお作りになられたのか」とは恥を知りなさい。

誠にごもっともです。

野原様、下衆の勘繰り、ご容赦ください。

ただし、初対面の人間に対しいきなり罵倒から入る失礼な方には、敬称略とさせていただきます。

私が下衆の勘繰りをした原因は、もちろん私のうっかりミスでありましょう。

ただ、そのうっかりミスを引き起こした補助的原因は、以前コメ欄なしメアドありの左翼系ブログ主に対して、捨てアドを作ってメールしたところウイルスメールのお礼参りをされたためであることは、ここに言い添えておきたいと思います。

それによって私が免罪されるとは思いませんが、左翼系の方とコメントを交わす際には常に疑心暗鬼になる私の心情は、慰安婦に同情を寄せるあなた方にはお分かりでは?

>軍が主体的に関与したことについては

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html

を読めば分かるでしょう。

以下、上記サイトの筆者の最も言いたいところだと私が感じた箇所を引用いたします。

>国家と性の関係は現実に大きく転換したが、売春=性的労働を「公序良俗」に反する

>行為、道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識、さらに慰安婦を「醜業婦」と見

>なす意識はそのまま保持され続け、そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み

>出すにいたった。慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関

>係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であった。このこと自体が、すで

>に象徴的な意味においてレイプといってよいだろう。従軍慰安婦が、同様に軍の兵站

>で将兵にサービスをおこなう職務に従事しながら、従軍看護婦とは異なる位置づけを

>与えられ、見えてはならない存在として戦時総動員ヒエラルキーの最底辺に置かれた

>のは、このような論理と政策の結果とも言えよう。慰安所の現実がそこで働かされた

>多くの女性、なかんずく植民地・占領地の女性にとって性奴隷制度にほかならなかっ

>たのは、このような位置づけと、それをもたらした軍・警察の方針によるところが大

>きいのである。

それまでの、自称した以上は実証主義的資料研究の枠内にとどまろうと努力する言説(それでも強引な資料解釈は多いですけどね)が台無しになるこのイデオロギー満載の言説。

現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態を、いきなり奴隷制度にワープですか。

それなら日本の公安委員会や、世界各国で同様の業務をしている国家機関は皆売春業の主体ですか?そんなバカなことはありません。

>それから国連人権委員会は日韓条約時には従軍慰安婦問題は考慮されていなかったという見方をとっているという事実は押さえて置いてください。

押さえていますが、それって国際法上は極端少数説に依拠してますよね。

反日かつ自国内人権弾圧緒国家が主流派だった頃の国連人権委員会ですら最下級の評価のTake Noteの委員会報告を持ち出されても・・・

私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

>また日韓両政府は個人による請求権自体は消滅させてはいません(もちろんそれが認められるかどうかは別問題として)。

個人請求権の消滅を否定したのは、韓国政府だけだと思っていたのですが、日本政府も否定していたとは・・・

ぜひ、そのソースを教えてください。

また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

これも違うのなら、やはりソースを教えてください。

>いずれにせよ今回(アメリカでの決議を発端とした議論)は「個人に対する補償をすべき」という法的な賠償責任が問題になっているわけではないので的を外した議論だとは思いますが。

決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

これも違うのなら、そのソースを教えてください。

>ちなみにあなたは軍が主体的に関与しておきながら河野洋平という一官房長官が述べた談話だけで十分だとかそれすらも見直そうという人たちについてどうお考えでしょうか。

私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし、河野談話に批判的な人たちの多くも同じ考えでは?

前提とする理解があなた方と違うので、違う結論になるのがむしろ当然では?

理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。

それは、おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

私は、日本の戦争犯罪といわれるものだけが蒸し返されるのは、日本の対処が不十分だからではなく、単に日本は責め立てれば金を出すと思われているだけだと思います。

敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった事件は、当時の戦勝国や旧海外領土の民族の法意識では犯罪では無かったからだと思います。

ありますよね?昔は犯罪じゃないけど、今では犯罪とか人権侵害とか批判されうる行為って。非犯罪化とかその逆もありますけど。

日本の戦争犯罪はおそらく9割以上処罰されたり賠償したり謝罪しているが、連合国や戦後の中国・ロシアの戦争犯罪はほとんど処罰されていない状況で、原爆投下や民族浄化や捕虜虐待など後者の戦争犯罪の追及をするなら分かりますが、日本の戦争犯罪を追及するのは本末転倒だと思いますよ。』

ノーモア ノーモア 『>それでも強引な資料解釈は多いですけどね

ずいぶんと「上から見た物言い」ですね。そういうあなたは歴史学者か何かなのでしょうか。ではぜひどの史料の解釈がどのように間違っているのか、具体的にお答えください。でなければあなたの発言は単なる誹謗中傷です。

>また、締約当時の公式解釈では、日本政府のみならず韓国政府も個人請求権の消滅を認めていたと思いますが・・・

そもそもあなたはなぜ国家が個人が賠償請求する権利を勝手の放棄できると思えるのでしょう?まあソースを出せというなら出しますが。

平成3年8月27日参議院予算委員会での外務省の答弁です。

「いわゆる日韓請求権協定におきまして、両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間に存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」

>私は、敗戦後の完全に無防備で冤罪までも処罰された戦犯法廷ですら問題にならなかった以上は、慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。

日韓条約時には考慮されなかったのは、それが原因だと思います。

「考慮されなかった」ことはお認めになりますね?で、その原因についてですが「慰安婦は当時の戦勝国や韓国の法意識では犯罪ではないと考えられていたと思います。」などと勝手な解釈を付け加えるならそれこそソースをお願いします。

>決議案では、個人補償要求も盛り込まれていたと思いますが・・・

私が記事を見た限りでは「謝罪」を勧告するというものしか見当たりませんし、日本政府も「決議されても謝罪はしない」としか言っていないので個人補償について法的責任があるといった決議ではないと思いますが。

>私は軍が主体的に関与したとは思っていませんし

だから私は軍が主体的に関与したことのソースを示しましたよね。ちなみにこのページはここのブログの管理人である野原さんが見つけたものですけれども。しかしあなたは強引な解釈だのなんだのと具体性の無い誹謗するばかりで議論から逃げるだけじゃないですか。「関与していないと思う」ことと「事実として関与していない」ことは全く違うんですよ。もう少しまともな議論が出来ませんか?

>理論的には、軍が主体的に関与したと理解した場合にも、河野談話で十分とか見直そうとかする考えも成り立ちうると思います。おそらく当時の各国の慰安婦制度と比べてより悲惨だった訳ではないという考えに基づくのでは?

まず各国の慰安婦制度の実態がいかなるものかをきちんと述べてそれで比較検討してもらわないと。理論的可能性に固執するのは結構ですが、現段階では妄想の域をでていません。机上の空論です。裏付けをどうぞ。

あなたの反論ですが、こちらにソースをソースをと要求する割には、御自分はほとんどソースをお示しにならないという見事なまでのダブスタです。お気楽なことで。』

ノーモア ノーモア 『もう一点。

>現在の公安委員会と風俗営業者の関係とどこが違うのか理解に苦しむ実態

なるほど現在の公安委員会は業者に風俗営業を請け負わせているんですね。業者を通じて売春婦を募集したりしているわけですか。「公安慰安所」なんて聞いたこともありませんが。』