今日は酔っぱらって帰ってきて、ドン・チェリーのブラウン・ライスとかいうサリマパダニサで始まる曲を聴いたりした、20年ぶりにLPで。プレステで三国無双を4分ほどやった。(後半削除しました、失礼。)
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もう二人の人質たち
美智子が不幸であることは国民はみな知っている。とんでもない努力の果てに子供を産むことができた雅子もまた、不幸の極みであることが今回分かった。皇太子がそう発言した。ここで興味深いのはその発言がどこを向いてなされたか、という点である。先日の元人質二人組は外人記者クラブ(かな?)で発言を行った。国内ではバッシングが強いので海外のメディア経由で日本人たちにメッセージを届けようとしたのだろう。そのもくろみはある程度成功した。皇太子の会見は日本人記者相手のものだが、彼は今後すぐ外遊する事になっている。彼も、「国内ではバッシングが強いので海外のメディア経由で日本人たちにメッセージを届けようとした」のだとわたしは思う。自他共に許す反日派と同じくらいの迫害を日々彼らは受け続けているのだ。かわいそうに。
雅子は女性を不幸にする日本というシステムの象徴である。象徴天皇制を捨てない限り、この不幸から逃れることはできない。憲法1条の廃止を強く訴える。
秘密
「秘密の使命ですって?何の使命ですか」と私は低い声で尋ねた。「何と無礼で手に負えぬ奴だ。少しも分かってないな。どんな使命か言ったら、秘密でなくなる」 こう言うと、ドゥリートは扉の下から姿を消した。 *1
ところで近代小説というものは、秘密についてだけ語り続けた。なぜだろう。秘密だけが価値であり価値だけが交換できるからだろうか。
*1:p163『ラカンドン密林のドン・ドゥリート』isbn:4773801050
丁玲による農村革命報告(3)
『太陽は桑乾河を照す』(ハト書房)からの引用、第三弾。この上下本は図書館から借りたのだが、1951年発行で作りが粗末、紙が全体に茶色く変色し外側は焦げ茶色になってしまっている。乱暴にあつかったらすぐにも壊れそうだ。
さて今回は革命派のリーダー格二人が対話しているところ。主要人物メモの地主の筆頭にあげられていたのがS、「最も陰謀的な人物」でありその狡猾さは「息子を八路軍に入れている」といったところにも現れている。村内の階級闘争を進めるためには彼をまず第一に攻撃(清算)しなければならないのだが、いろいろな事情で出来ないできた。だが章品(彼は若いが経験を積んだ土地改革工作の指導者)が村に来たのをきっかけに流れは変わる。Sに対するみなの長年の怨みに火がついたのだ。だがリーダー二人は考え込んでいる。
張裕民はずつと彼を送って出て行つた。彼らは話しつずけた。村の出口につくと章品は、やつとこう言つた。「おめえ、もう帰りな。何事につけ、百姓衆の意見を見てるだよ。そうすりや楽にやれるだ。けさのこの様子はどうだ!‐みんな意気ごんでるでねえか。もう闘争に立たねえなんて心配ねえだ。だけどな、えゝ--」彼はしばらく、ためらつていたが、とう/\次を言わすにしまつた。
張裕民は彼をジッと見つめ、彼もまた張をジッと見つめた。ふたりは何の問題がこう引つかゝつているか、ハッキリしていた。なお、しばらくたつた。章品はもう口を開かずにおれなかつた。「あれ、どうあつても殺すでねえだぞ。」
「そんじや、おめえ方に渡すべえよ。」
章品はまた考えに沈んだ。彼は良い方法を考え出せたかつた。彼は常々、村で工作しているので、農民組合の心持ちをよく知つていた。--闘争しないなら始めから闘争しない、その代り闘争始めたらトコトンまでやる。彼らは法律的手続きを経ることを望まない、彼らは法律的手続をとると、彼らが銃殺にすべきだと認めたような者が、ただの軽い刑になるということを恐れているo彼らはいつも八路軍が寛大すぎると思つている。彼らはまだ、より遠大な眼界を備えていない。彼らは仇をとることを要求し、腹の虫を収めることを要求する。だから、村によつては彼らは、何はともあれ、まず腕ずくで殺しておいてから、話を持ち出す。問題になると区や村の幹部はそれを百姓衆に押しつける、ところが百姓衆は多いので、結局、誰がやつたものか判らなくなる。章品は村の幹部が百姓衆と同じ思想でいて、みな将来の仕返しを心配していることを知つている。だから、やるとなればとことんまでやる。かと言つて、一時に多くの人に呑みこませようとするのは、まつたく容易なことではない。
「おらたちに渡す?そらよくねえ。県じや今すぐ、たくさんの人間を解決できねえだで、やつばり村で解決するだ。」
「うん、」張裕民は、やり切れなく感した。彼はひどく、とまどいながら、こう言つた。「おめえさん、どうして判つてくれねえだ?百姓衆が踏み切るか、踏み切らねえかあ、まつたく、こゝんとこだがなあ。」「おめえさんも、そういう考え方してるだか?」章品は言つた。
「幹部は、まあ、たいていこう考えとるだよ。」
「それが、やつぱり一種の宿命思想だぞ。おらたちあ、あいつを問い正さにやいけねえだ、勝手に人を殺しちや影響も良くねえ。おらたち、あいつの罪状をよくよく探し出して裁判所に出すことできるだよ。裁判所を通さねえで人を殺すなあ、まちがつとるだ。おらたちの、きようの闘争はだ、政治上であいつを叩きをつぶし,あいつに人民に向って頭を下げさすこつたでな、何も、あいつの肉体を消滅しちまおう、ちゅうわけじゃねえだで。ええか、おまえさん、みんなを説き伏せにやなんねいぞ。」
「うん」張裕民は、ただこう答えるほかなかった。*1
階級闘争というほどのものも経験なく、まして殺すとか殺されるとか思いも及ばない私などには荷が重い問題だ。だがまあ話は分かる。昨日までの支配者に対して立ち上がる、それは素晴らしいことだがその後が問題だ。積年の恨みに裏打ちされた革命の熱狂のおもむくままに支配者を殺してしまう。だがそれは実は、支配者への恐怖を払拭できない主体の弱さそのものの現れではないのか。
「闘争のなかで宿命思想を滅ぼすこったぞ。」宿命思想、原文では「変天思想」となっていた。時代が変わったからもう今までとは違い何をしても良いんだみたいな思想を指しているのだろうか。Sを殺してはいけないとは言っていない。*2
革命とはわたし(たち)が主人になることだ。彼を殺すか殺さないかは、彼がどれだけひどい奴だったかまた更正の可能性がないのかなどを考えた上で、正面から殺せばよい。情念の吹き上がりや裏に隠された恐怖なんかによって殺してしまったら、その場はそれで治まっても、天の理法にそった革命ではなくなり、権力の為の権力に堕落していくしかないのだ。と、彼らは理屈では分かっている。しかしそれを実現していくことができるのか?
日本的精神とレイプ
10/13の犬伏氏の言う「日本国及び国民の誇り」というものは、明治三〇年頃井上が確立しようとした「日本的精神」の出涸らしの出涸らしではないか。
幾多の日本人がレイプしたという事実はあった。しかしながらそれが「日本的精神」に関わるものであれば、日本的精神とは唯一の普遍であるのだから、それがレイプすることはありえない。日本的精神が支配する言説空間においては、事実が事実として認められることがない。
イラク人ライードさんより香田証生さん拘束事件に関連して、
次のような公開書簡が翻訳されているので、こちらにもコピペして掲げさせてもらう。
自衛隊のイラクでの存在に対し、復興支援などという名目を信じて(信じようとして)いる人もいるが、今頃給水車をまわすことに意味などない。意味は、「ブッシュ政権に,イラクに対する彼らの戦争を正当化するための「国際的」という隠れ蓑を与え」るという点にしかない。
http://raedinthejapaneselang.blogspot.com/ Raed in the Japanese Language; originally Raed in the Middle(日本語)
日本の方々への公開書簡(4月に引き続き)
今イラクで起きていることをいかに僕が悲しく思っているかを,みなさんにお伝えしたいと思います。そして,一般のイラク人には,事態に無関係な若い日本人人質の香田さんを見つけるために,あるいは彼を解放するためにできることは,何もないのだということをお知らせしたく思います。
どうかわかってください,一般にイラク人は日本には敬意を抱いています。第2次世界大戦後に国を再建した日本の方々を尊敬しています。あの残虐で非人間的な一般市民に対する核攻撃は,人間の歴史始まって以来,最悪の大量殺人のひとつです。イラク人は日本の文化的体験を信じているし,日本のみなさんがなさってきたこと,今なさっていることから学ぼうとしています。
どうか知っておいてください。僕はこれまで,日本の人々に対して憎悪や敵対心を抱いているイラク人には,まったく会ったことがありません。これらの誘拐事件は,イラク人の多数が抱いている日本の方々への感情を表しているものではありません。僕たちのほとんどは,これらの事件が起こらなかったらよかったのにと願っています。
僕たちの文化の関係が,このような暴力的な事件で始まらなければよかったのにと願っています。
しかし残念ながら,今回の誘拐は,前回の日本人誘拐とは異なっています。イラクがこの6ヶ月の間にいかにややこしく混沌とした状況になってしまったか,それを僕は知っています。
どうかみなさんの政府に,イラクから日本の軍隊(military Forces)を撤退させるよう,もっと圧力をかけてください。事態の解決は,ブッシュ政権(あるいはケリー政権)とイラク人に任せてください。これは彼らの為すべきことなのです。ブッシュ政権に,イラクに対する彼らの戦争を正当化するための「国際的」という隠れ蓑を与えないでください。イラクにあなたがたの国の武装集団(your military groups)がいることは,ただ単に,政治的なものなのです。米国政権の誤った対外政策を支持するためだけなのです。人種差別的な「アメリカ帝国のための戦争」を支持することは,あなたがた平和的な国民のしたいことではないでしょう。
どうかお願いです,あなたがたの息子さんや娘さんを,イラクで戦死させないでください。お願いです,あなたがたの一般民間人の息子さんや娘さんがイラクで殺されるようにしないでください。あなたがたの政府にこの新種の大量殺人に参加させ,あなたがたと僕たちの間に暴力と憎悪の恐ろしい歴史を始めないでください。新たな広島・長崎を作るのを,手助けしないでください。
「切断」と「ジレンマ」
キーワードは「切断」と「ジレンマ」ですかね。まず、「ジレンマ」について再掲すると、下記の通り。
(5-2)
一方で自分だけが快適な利便性を享受し、チッソの製品である携帯のディスプレイやPCの液晶をみながら、国はひどいよね、とかチッソはひどいよねといって被害者の苦悩に思いをはせる私自身の批判次元のジレンマは、戦争当事者たちの子孫が戦争責任を語る場合とでは水平的な軸であるか歴史という垂直の軸であるかの違いであるだけで、じつは同一の地平にあるのではないだろうか。(スワン)http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20041020#p2
(5-3)
関係性が見えにくいだけで、私たちはあたかも切断されているかのように認知する傾向があるように思う。私たちは、現在における空間的、水平的なレベルでの関係性をどこかで切断してしまっている。私たちには関係ないよ、と*1。(同上)
つまり、「水俣病」「戦争責任」「イラク戦争」どれをとっても、それらは問題として額縁に入れられ、あるいは動画としてブラウン管の向こうに、わたしたちと切り離された対象として、(わたしたちを脅かさないものとして)存在するわけではない。とスワンさんは主張する。この点について(も)わたしは強く共感します。
この中で一番分かりやすいのは、今現に米軍の銃砲によって人々が死んでいっている、イラクであるはずです。イラクについては下に書きます。
香田証生さんの死は確かに痛ましい。だけどイラク問題の本質はそこにはないのではないか、とわたしは思うのです。だからといって、香田証生さんの問題が大事ないというわけはない。また次に考えます。
日本のユダヤ人問題
日本のユダヤ人問題といえば、朝鮮人問題ということになる。1910年以来民族の独立を奪い民衆を抑圧したという事実の存在は、同時期におけるアウシュビッツにいたるユダヤ人抑圧~虐殺の事実とパラレルである。(第三世界人、つまり予め植民地化されるべき民、であったのかもしれない韓国朝鮮人とユダヤ人は違うが)現在の問題は次の点にある。
「イスラエル政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。」
「北朝鮮政府の残虐性はいうまでもなく甚だしい。」
後者は自国民に対する抑圧であるために他国からは直接観察~批判しにくいという差異はある。
だが1945年以前における被抑圧者が(あるいはおそらく)抑圧者に転じたとき、1945年以前における抑圧者はそれを指弾するのを躊躇するという<良心>において、残虐な抑圧が継続し続けるという構造が存在する。そのことにおいて北朝鮮問題とパレスチナ問題の構造は一致する。
第一野原燐からして、このブログでは、より語りやすいパレスチナ(~イラク)問題よりも北朝鮮問題にできるだけ触れたいと思いながらも果たせていない。
http://www.asiavoice.net/nkorea/ 朝鮮民主主義研究センターなどを見て、リンクして行きたい。
http://f33b7ad9e960c670ac32f8fe131228ce.blogtribe.org/entry-e42b097d64af69210d0788be91337f58.html に「 北朝鮮難民基金の野口孝行さん・加藤博さんの講演録」があります。
生きているかどうか分からないめぐみさんなるものに大騒ぎするわりには、半年以上中国に拘留されながら野口さんに対しては何故国民的救出運動が盛り上がらなかったのか。右翼の立場からすると、難民救済する日本人は日本人ではないのか。であればおそらく北朝鮮の国益のために生きている(生きざるをえない)横田めぐみ救出を叫ぶのは矛盾していないか。
ところで(生きて帰ってきた)野口氏は上記で自己の活動の原点を確認する。「ある特定の国籍もしくは宗教・集団に属しているという事から迫害を受け、受ける可能性があり、国を離れた場合、その人達は難民である」。中国も批准している国連の難民条約である。脱北者は難民であるから保護を受ける権利がある。ところが中国当局は難民である彼らを北朝鮮に送還している。わたしたちは野口氏と共にこの点を中国当局に強く訴えていかなければならない。
しかしながらよく考えると(野口氏は長期に渡り拘留されていたから考える時間はたっぷりあった)、日本人は偉そうに言えないのではないか?
そういう風にしながらですね、いざその自分の日本の国というものを見てみますと、先日ですね、私はちょっと日本の状況を調べていたんですが、2001年の1年間で日本が難民認定を与えたケースというのはですね、たったの26ケースなんです。そして更に2002年、これは14人なんです。そして去年はですね、336人申請したうちのたったの10人しか難民の認定を与えていないんですね。これは毎年減って来ている訳です。そして先進国と言われる国を見ると、毎年数万人単位で難民認定を与えています。一番少ないイタリアでも2002年、2100人という人達に認定を与えてますね。そうするとですね、日本の団体である私達、私が中国に対して「あなた達、北朝鮮の難民を難民認定して保護しなさい」と言っているのはですね、とても空しい風に感じる訳ですね。で、よくよく突き詰めると、これは矢張り日本人のですね、我々一人一人の人権意識というものが非常に低いと言わざるを得ないと思うんですね。
http://f33b7ad9e960c670ac32f8fe131228ce.blogtribe.org/entry-e42b097d64af69210d0788be91337f58.html
北朝鮮問題とパレスチナ問題の構造の一致、というより差異の問題になった。(北朝鮮に対する報道は少なくない。必ずしも排外主義一色でもないとも言える。)横田めぐみさん、拉致された日本人を北朝鮮から奪還せよ、というストーリーばかりが叫ばれるが、めぐみさんはまだ帰ってこない。帰ることが大事なのか。そうではなく大事なのは移動の(国境を越える)自由だろう。一人でも多くの脱北者に保護を与えることに積極的に成るよう、わたしたちは日本政府と中国政府に働きかけるべきだろう。
外国人ボランティアの存在を嫌っているのは誰か?
インドネシア政府は反政府ゲリラの自由アチェ運動(GAM)の存在を強調(ないし誇張)しており、自衛隊が安全確保を要請したことや、援助活動をGAMが妨害しているなどとの報道がみられる。別にGAMがいいなどとはまったく思わないが、外国からの介入を唯一心配しているのはインドネシア国軍であり政府であることを踏まえた上で日本のマスコミの報道も注意深く読んでいく必要がある。
それは、インドネシア国軍である。
(米軍の存在は良い、とみなされているのではないか、現地住民の半分以上には? 良いことをしている限りでは良いわけだが・・・米軍の国家戦略=「不安定な弧」対策の行方は気に掛かるが。)
白粉=残余
拉孟(ラモウ)というのがどこにあるのか皆目分からないのだが、古山高麗雄の三部作(断作戦・龍陵会戦・フーコン戦記)の舞台になったエリアだろう。慰安婦が出てくるシーンを引用したいが今出てこないので代わりにちょっとだけ。
それに板垣さんは、経理の上級将校であったから、女性の衣装や白粉などを提供してくれたのだった。それは、朝鮮から拉致して来て慰安婦にした女性たちに給すべく用意したものの残余であったもののようだった。
(p366『龍陵会戦』文春文庫isbn:4167291053)
慰安婦のことは中曽根さんのような経理の上級将校が良く知っているのだ、ということの傍証にもなる。(1/28追加)
「その慰安所は軍が経営していたのか?」という問いもまだアクチュアルである。この慰安所は軍が直営していたに限りなく近いものだったようだ。