より高次の正義の存在

民衆法廷の主催者の立場と「東史郎裁判」についての孫歌の立場には、前者が「法的な手続きにのっとっていない(非正統的な」パフォーマンスを弁護し、後者が「法的な手続きにのっとっている」はずの判決を批判する、という違いはあるものの、「法」の外部にある「正義」の基準に照らして現行の(日本の)法体系を批判している、という姿勢では共通しているように思われるのだ。これはなにもこの両者に限ったことではなく、ポストコロニアリズムの立場から現行の(先進国の)民主・法治・自由の欺瞞性を批判する議論は、どうしてもこういったより高次の「正義」の存在をナイーブに仮定する姿勢から免れていないのではないか、という気がする。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050123 梶ピエールの備忘録。

民衆法廷が「「法」の外部にある「正義」の基準に照らして」ものごとを裁いたというのは当たっていないでしょう。単に日本の裁判所で適用されるべき法より若干広めの「法」を基準にして裁いた、というだけのことでしょう。*1 とにかく「正義を模索すること*2」を、すぐに「より高次の「正義」の存在をナイーブに仮定する姿勢」と言いかえるのはやめていただきたい。

*1:判決を読んでいないので詳細には論じられないが

*2id:noharra:20050122参照

正しく「暴力的に振る舞う」

# N・B 『 どうも、星野さんの引用が出ていたので思わず日ごろの鬱憤が出てしまいました。おかげでかなり話がずれてしまって、相手の批判に答えられくて逃げ回って、贅言を費やすみっともない人みたいになってすいません(最近見かけたので)。

 まず、アレナスについての基本的事実、彼はキューバ革命後『夜明け前のセレスティーニョ』で作家としてデビュー。しかし、その後当時のキューバの同性愛抑圧政策によって(現在は少しは変わったようですが)、出版ができなくなり投獄も体験し、1980年に亡命、その後はニューヨークで生活するが、1990年に自殺。遺著は自叙伝『夜になる前に』(すいません、まちがってました)。最後のラテンアメリカ文学の「ブーム」の作家だといえるでしょう。

 2、ですが私が星野さんの「紹介の仕方」(映画は国境を越えるとでも言い訳すればごまかすのは簡単なのに)は、やはり、現体制へのコミットメントを含んでいると判断します。その傍証として、チェチェンについての本の感想を対比したのです(こちらはロシアの現体制への明白な批判です)。これはあくまで私の判断です。ちなみに、私はアレナスは明らかにプロパガンダをしていたと思います(自叙伝を読む限り)。でも、彼を批判する権利は私にはないと思います。

 補足しましたが野原さんの理解は正確だと思います、わかりにくいこと書いてすいません。

>その前に、アレナスのキューバ~反共

 そうです、でもマッカーシーとソルジェニーツィンはあるレベルでは区別されるべきだということですね。古いものは何度でもよみがえるので。

 とりあえず、マッカーシー(あるいはロイ・コーン)と「対話」あるいは「議論」することが必要となってくると、しかしそのときに「従軍慰安婦」や「アレナス」のような声はあると、「そんなものはない」あるいは「聞こえない」と相手が主張しても、そのこと自体を批判することは単純にはできない、なぜなら、私たちもまた『声』を聞いてもそのある部分を無視しているから、ということになると思います。その前提の上で正しく「暴力的に振舞う」にはどうすればいいかを考えるということになるのではないかと思います。今回は補足ばかりですいません。

 ちょっとこれは質問ですが「反共」というのはヒットラーやレーガンから2ちゃんまで由緒ある政治的立場ですが、たとえばその下の星野さんの引用のように何かの力に言葉を使わされているとお考えなのでしょうか?(私はそう考えているので)』

またまた応答遅れてすみません。アレナスについて全然知らないのでちょっと書きにくいです。

 キューバとチェチェンの比較についてですが、もちろんこれについても無知なのですが、常岡さんがとにかくチェチェンはイラクの十倍以上人が死んでるとか強調していたのを思い出しました。キューバも封鎖された国家みたいになっているからひとは結構死んでいるかもしれないけど、でもチェチェンの情況は十倍ひどい、というようなことがあるのかな、とおもいました。応えに成っていませんが。

「従軍慰安婦」問題というものはすでに日本国家が存在を認めているものですね。ですから、「そんなものはない」あるいは「聞こえない」という主張はおかしいことになります。ありうるとしたら、「契約によるもので支払った」という形くらいですね。

「私たちもまた『声』を聞いてもそのある部分を無視しているから、ということになると思います。」もちろんそうだと思いますが、「ある部分」というのがどういう部分なのか、それが問題なんだと思っているなら言えばいいじゃないと思うのですが。

何かの力に言葉を使わされている、というのは反共、親共といったシーンで使うと平板に理解される危険がありますね。わたしたちが本当に困ったときも人権や差別という言葉を使って裁判に訴えたりもするわけですが、そのときわたしたちの思いは非常に遠い言葉たちを使ってしか表現できない。逆に小説やブログを書いたりするときは全く拘束なく自由に書けるのだが、実は誰かの口まねをしているだけの自分に気付く。慰安婦言説なんて典型的にステロタイプな左右の言説が行き来するだけの退屈なゲームと思われていましょう。でも今回やってみていろいろ考えることがあって面白かった。

(2/13 21.39追加)

配偶者控除についての要望

配偶者控除については、全国女性税理士連盟というところがずっと前から熱心であるようだ。

http://www.jozeiren.com/yobo/20031011pa03.htm

配偶者控除等に関する要望書

平成15年10月11日

配偶者控除の見直し及び基礎控除引上げを要望する

 現行の配偶者控除制度は、女性の社会進出について中立的なものでなく、男女共同参画社会の実現を願う立場からは、将来において廃止することが望ましい。

  しかしながら、直ちに配偶者控除を廃止することは、現状では多くの問題があるため、以下を提言する。

1.配偶者控除の見直し

 納税者の配偶者に所得がない場合は、納税者の所得から配偶者の基礎控除相当額を控除する。

 配偶者に所得があり、その所得から控除しきれない基礎控除額がある場合は、その金額を納税者の所得から控除する。

2.基礎控除の大幅引上げ

  当連盟は、配偶者特別控除廃止の要望の時より、一貫して基礎控除額の引上げを要望してきた。

 最低生活費に満たない現行の基礎控除額は、大幅に引き上げるべきである。

 廃止という主張に対しては、女も働けというのか?とか反論されるわけだが、それはちょっと違うと思う。すでに少数派になっている専業主婦を優遇しているイデオロギー的制度になっているので、中立的なものにせよという主張である。

民衆のための反乱者?

# swan_slab 『最近の議論のなかでは、「差異の擁護」という観点で、もっとも説得的な議論をしているのはhikaruさん(http://d.hatena.ne.jp/index_home/20050325)だと思います。

少なくともこのコメント欄におけるspanglemakerさんのお考えはよくわかりません。

野原さんの組織への忠誠批判は、例えば「国家元首」という言葉のなかに無自覚に潜む価値観の否定へと向かうものだと私は思います。すなわち、国家をひとつの有機体ととらえ、その頂点に首という比ゆをもってくる考え方です。N・Bさんの提示したレイコフのメタファーを考えるうえでも、参考になるかもしれませんね。ナチスの経験から、ほとんど封印されたような概念なんですが、この点からも再検討できそうなので、また考えるヒントをよろしくお願いいたします。

>愛国心は敵を必要とする>hal44さん(http://d.hatena.ne.jp/hal44/20050325

なるほど、私の関心としてはリスク認知と評価の問題が浮かび上がってくるかなと。

私自身は、差異の擁護自体どこまで認められるかでうろうろしており、何を言いたいのか一番はっきりしていないのはスワンということになるかも。』 (2005/03/25 21:15)

# index_home 『あらら、226事件の記述まで読まれていたのですね…おはずかしや。(ちなみに「葬式」ではなく「法事」ですね…いえ、私も実は最初に「葬式」と書いてしまって後から編集しなおしたのです…226の青年将校は当時「民衆のため、というとアカといわれるのは心外だ」と述べていることがあります。行動は別としても、彼らなりの方法で民衆をどう救えるかという考えの過程は少し興味あります。

スワンさん>実は前からブログをアンテナに入れて拝見させてもらってました。私は思想方面の知識が足りないのでいつも勉強させていただいてるんです。』 (2005/03/25 23:38)

(野原)

えっっ「226事件被告たちのお葬式に行かれて」って野原はちゃんと書いてますね。葬式のはずないだろ。「日本の伝統」を学びたいなどと言ったりしているのに、、まあ恥ずかしい!ことです。ちょっと今から直しておきます。

226の青年将校は、民衆のため、に天皇の名において決起し、天皇に弾圧され殺されたのしょうか。「民衆の為」という真心があったのは事実でしょうが難しいですね・・・

手紙を渡したら秩序が崩壊する

# BUNTEN 『日の丸君が代の方が後から追加された条件で、しかも業務命令で強制してるわけですから、言い換えれば都の方が「難癖つけて式典をぶち壊す」あるいは「思想ふりかざしてゴネ」てるように私には見えています。』 (2005/04/04 22:12)

# FAZZ 『BUNTENさん、私が大阪で小、中学生だった頃(もう20年以上前ですが)は普通に壇上に日の丸があり、君が代を歌っていました。それを排斥したのが日教組です、難癖つけてきたのは日教組が先で、都はそれを以前の状態に戻そうとしてるだけです。』 (2005/04/04 22:59)

# KMR 『えーと、fantomeyeさんの発言の「難癖つけて式典をぶち壊す大人のほうがよほど迷惑です。」についてですが、個人的にはazamikoさんのやろうとした行為は式典をぶち壊そうとしたものに他ならないと思うのですが?

校長らが阻止した結果、ぶち壊れはしなかったものの、だからといって「、「式典をぶち壊す」なんてことをした(できた)人は一人もいないです。」などという反論が有効になるとは思えませんが。

もし仮に、azamikoさんの行動が最後まで実行されたとして、結果式典が混乱し崩壊したら、どう思われのでしょうか?

まさか校長らに責任をなすりつけるおつもりでしょうか?』 (2005/04/04 23:39)

# foursue 『荒れすぎ、建設的に話しましょう。』 (2005/04/05 01:16)

noharra 『KMRさんへ。

校長らが阻止しなければ、卒業式がぶち壊れただろう。とはどういう想像力の暴走でしょうか。理解不能です。azamikoさんは手紙を渡たすことができた。それで終わりでしょう。』 (2005/04/05 21:30)

# KMR 『どうして手紙を渡せると思うのでしょうかね?

直接教師宅に郵送すればすむものを、わざわざ学校に押しかけて渡そうとする行為にどんな正当性があるのでしょうか。

校長の立場としては認めるはずも無いですし、無理に渡そうとするなら実際に警察を呼んでいたでしょう。

で、そうなればこの事件は公になり、マスコミの手で報道される可能性は充分に考えられます。

その場合、実際の式典にマスコミの取材が来ることも予想できますし、あるいは報道を見た活動家がさらに押しかけてくることもあり得るでしょう。

式典が崩壊とまでは行かなくても、騒動に巻き込まれる可能性はあったと思いますが?』 (2005/04/05 23:16)

# 十条 『>KMRさん

なんで校長は警察を呼ぶのでしょう…呼ばねばならないような状況とは思えないのですが。いいじゃないですか手紙渡すくらい。手紙を渡したら秩序が崩壊する、だから警察を呼ぶ、なんて考えていたら本気でアホみたい。

なんかさ、大げさに騒ぎすぎ。その「大げさ化」の有様がこっけいに思えてならないです。』 (2005/04/06 04:21)

noharra 『「校長の立場としては認めるはずも無い」? 校長は認めるべきでない、とは主張しないのですね。

「式典が崩壊とまでは行かなくても、騒動に巻き込まれる可能性はあった」。校長が認めていた場合にそうなる可能性はどのくらいですか?』 (2005/04/06 06:09)

日本の第一神は?

 古(いにしへ)に天地(あめつち)未だ剖(わか)れず、陰陽(めを)分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、溟(ほのか)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。其れ清陽(すみあきらか)なるものは、薄靡(たなび)きて天(あめ)と為り、重濁(おもくにご)れるものは、淹帯(つつ)ゐて地(つち)と為るに及びて、精妙(くはしくたへ)なるが合へるは摶(むらが)り易く、重濁れるが凝(こ)りたるは竭(かたま)り難し。故(かれ)、天先(ま)づ成りて地後(のち)に定(さだま)る。然して後に、神聖(かみ)、其の中に生(あ)れます。故曰はく、開闢(あめつちひら)くる初(はじめ)に、洲壌(くにつち)の浮(うか)れ漂へること、譬(たと)へば、游魚(あそぶいを)の水上(みづのうへ)に浮けるが猶し。時に、天地の中に一物(ひとつのもの)生(な)れり。状(かたち)葦牙(あしかび)の如し。便(すなは)ち神と化為(な)る。

http://www.linkclub.or.jp/~pip/ututu/kami/hinomotonokakisirusi/tenntikaibyaku.html 第一段 神代七代章 天地開闢

(コピペさせていただきました。記して感謝します。)

こちらは日本書紀です。古事記の場合、1.天之御中主が登場する前には、「天地初發之時 於高天原成神名」とたった13字しかないのに対し書記は前置きが長く荘重。ところで登場する神の名は1.天之御中主ではない。

葦牙(あしかび)の如し、として登場するので、4.宇摩志阿斯訶備比古遲がふさわしいようにも思われるがそれでもない。じつは

6.国之常立神 です。つぎに、(まだ表を作っていない)

62.国之狭土の神=国狭槌尊(くにさつちのみこと)。つぎに、

7.豊雲野神=豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)

この3神が「凡(すべ)て三(みはしら)の神ます。乾道独化(あめのみちひとりな)す。」とされる。

したがってここで、倭の主神は誰か?という問いに3つの答えがありうる。

1.天之御中主神。(あめのみなかぬしのかみ)

4.宇摩志阿斯訶備比古遲神。(うましあしかびひこぢのかみ)

6.国之常立神。(くにのとこたちのかみ)

 ところで一方、宣長によれば、

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050326#p2

「この天地も諸神も万物も、みなことごとく其の本は、高皇産霊(たかみむすび)神、神皇産霊(かみむすび)神、と申す二神の、産霊(むすび)のみたまと申す物によりて、成出(なりいで)来たる物にして」ですから、下記こそが主神であることになる。

2.高御産巣日神。(たかみむすびのかみ)

3.神産巣日神。(かむむすびのかみ)

 ふーむ、4つの内のどれが正しいのか。宇摩志阿斯訶備比古遲がわたしのひいきなのだが・・・

dempaxさんが考えてくださった

# dempax 『http://d.hatena.ne.jp/dempax/20050510 で≪1000人の小人≫問題を考えてみました. 御検討頂き度.』 (2005/05/10 23:56)

dempaxさん どうもありがとうございます。

dempaxさんの解法の方が分かりやすくクールですね。

ところが、ガーン!

答えが違うので、考えてみるとやはりわたしが間違っていた。

例えば最初の人数が13人の場合。

dempaxさんの考えでは、2のn乗(この場合8)にするために5を引く。

つまり2,4,6,8,10,と消して、その時点の先頭「11」が答えになる。

わたしの作ったフォームでは(答えだけ書くと)「3」となる。3は2進法で「011」。11は「1011」で4桁目が違う!

どうも間違いばかりですみません。orz(平身低頭)。

(5/11 20:06)

「心の中の光と影」

藤原定家は1162-1241。

もう3首貼ってみよう。

宿ごとにこころぞみゆるまとゐする花の都のやよひきさらぎ

定家には珍しい庶民的雰囲気の歌。まとゐ=まどゐ(円居)で団欒。家ごとのさざめきの雰囲気の違いを肯定的に歌っている。

さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫(新古420)

「さむしろに衣片敷き今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫」が本歌。夜がふける、衣を敷くはずなのに、定家では一見「風がふけ」たり「月を敷」いたりしてるように読め、難解になっている。邦雄によれば「肩すかしともいふべき修辞の妙」だというのだがそんなものなのかね。邦雄の読みでは、わたし(女)が男を待つがいつまで経っても男は来ないという歌。宇治の橋姫とは「宇治の里橋のあそび女」となっている。*1

わすれじよ月もあはれと思い出でよわが身の後の行く末のあき

我が死の後の行く末を、月よ、哀れと記憶に留めよ!という強い命令の歌。「これは景色としての月から遠く隔たった一種の呪物と化し、死後の世界まで照らし出すようなすさまじい光となってゐる。(邦雄)」戦争で(例えば異国の山河で)死ぬ前の晩に月が異様に照っていたといった情況を思い浮かべることもできる。

*1:p94『定家百首』

三井銀行員も東条を許さない

 東条は、このように自分と政治的に対立する者に、さまざまな圧力をかけて屈服させようとした。三井財閥の総帥池田成彬(第一次近衛内閣の蔵相)が反東条で動いているとみると、池田の三男・豊が兵隊に召集され、中国戦線に出動するため福岡で待機中だったのに目をつけた。池田のところに人をやって「政治的に自分と妥協してくれるなら、豊君を危険な戦線へ出さず、生命の安全な東京へ戻してやるがどうか」と告げさせた。

 池田はその場でこれを拒絶した。結局、豊は中国の戦線に送られ戦病死している。

週刊「世界と日本」という右翼系のミニミニ新聞がある。それの6月13日号に内外ニュース会長、清宮龍 という人が1面2面をほぼ全て使い「東条首相 狂気の弾圧政治」という文章を書いている。

 毎日新聞の新名丈夫記者 戦後東海大総長になった松前重義、国会議員浜田尚友、有馬英治、などが、東条の逆鱗に触れ、東条の命令で、指名召集を受け軍隊に入隊させられた。 

 政治家中野正剛は検挙され憲兵隊長によって取調中(一時帰宅し)、自決する。

 最も強調されるべきことは、やはり、陸将時代の昭和16年に「戦陣訓」を出し「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と全軍に布告したこと。

靖国神社はこれも肯定しているのかな?

プチウヨの諸君はどうかな?

小泉氏は「罪を憎む」そうだがこれらを罪と認識しているのかな?

 (以上について事実と違うという主張があれば歓迎します。お互いに事実を確認していきましょう。)