日本の「構造改革」

下記ブログの、シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(1/4)~(4/4)は大変勉強になった。ありがとう。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050327/p1 toxandriaの日記

日本国民は、その実態が「官から民へ」どころか第二次世界大戦後の約60年間に営々と築かれてきた「絶対的官僚優先社会」の基盤が更に一層強化されてきたことを知り愕然とするはずです。

ここには明らかに一般国民に対する欺瞞があります。「官から民へ」という耳障りが良いキャッチ・フレーズの下で行われているのは、国民一般の反官僚意識を巧みに誘導して、高級官僚と財界トップの主導による「政・官・財の談合癒着構造」を巧妙に深化させることです。

「構造改革」という大義名分の下で「巨大資本の行動の自由化」と「公的業務(公共)の市場化・企業化」(民営化路線)の推進ということです。その派生的な弊害として、就労機会の拡大やアウトソーシングなどの美名を冠せられた「雇用差別の奨励」という深刻な事態が発生しています。これは、「オランダ・モデル」の象徴とされるタイム・シェアリング政策などとは程遠い、陳腐で黴が生えた「下請業務の外注化」(昔懐かしい?“女中さん”方式の働かせ方)の手法に過ぎないのです。

一方、日本の財政赤字の根本原因は、主に政治家及び行政府と官僚たちによって積年に及び遣りたい放題に食い荒らされてきた「壮大な税金(国民の血税)の無駄遣い」です。しかも、日米両国の財政は「もたれあいの構造的癒着」の絆を一層強めつつあるのです。それを日本から見れば、アメリカの財政赤字を補填する仕巧妙な仕組みの中に一方的に取り込まれているという意味で、まことに隷属的な日米関係です。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050328/p1

このような状況下で、特に

「②国民一般における政治的無関心層や無党派層の拡大

③主権意識の喪失と選挙権を安易に放棄する傾向の拡大」といった状況下で、

それを補完する形で、「愛国的言説」「現状肯定主義」が出てきていることを確認しておいた方がよいでしょう。

神~測り

私たちは、そうではなくて、ある他の測りを持っています。すなわち、神の子、まことの人間という測りです。彼こそが、ほんもののヒューマニズムの測りです。あるときまるで流行の波ようにやって来る信仰は「大人」ではありません。大人であり、熟した信仰は、キリストとともにある友情のなかに深く根ざしているのです。この友情が、すべての良いものに向けて私たちに開かれ、正しいか間違いかを、また欺瞞か真理かを識別するための基準を与えてくれるのです。

(コンクラーヴェ開始のラッチンガー枢機卿によるミサ説教より引用。)

http://d.hatena.ne.jp/karpos/20050420#p1

 ラッチンガーさんが新教皇になられたそうです。わたし、キリスト教にもカトリックにも全然知識も関心もありません。自分に遠い領域にも出会えるのがネットのおもしろさですね。*1

 ただ上記の文章を読んでなんとなく引用してみたくなりました。「真理が存在する」という命題をポスト構造主義は批判したわけです。*2一方、「真理あるいは正義は存在しない」=なんでもあり! という風潮に対し激しくあらがっていかなければいけない。(ここでわたしが、あらがわなければいけないと考えているのは、宣長から小泉首相に受け継がれた“言挙げを馬鹿にし、結局ナルシスティクな国家主義に帰着する”思想です。)*3

*1:karposさんにはご寛恕を請うしかないが。

*2:ほんとか?

*3:わたしが上の文章をまったく誤読している可能性も高いのですがそれはいつものことだから言い訳はしない。

天地の始は今日を始めとする理なり。

北畠親房『神皇正統紀』p83(岩波日本古典文学大系)

バトンの続き(6/18記)

2.Song playing right now (今聞いている曲)

なし。

3.The last CD I bought (最後に買った CD)

マーケットで315円だったので、ベートーベンヴァイオリンソナタ「春・クロイツェル」ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団というのを買った。

去年はダイソーで百円の浪花節のCDを沢山買った。女流浪花節(其の六)三門柳はなんと「乃木将軍」で靖国神社が出てくる。息子を戦争で亡くした田舎の老婆がひとを戦争に駆り立てる将軍なる者への恨み辛みを(目の前にいるのが乃木だと気付かず)述べ立てると乃木将軍は自分が糾弾されているのに一言も弁解せずかえってお祖母さんに同情する、という話。現在の靖国の方がずっと偉そうにしてるのはいったいどういうわけだろう。

5.Five people to whom I’m passing the baton (バトンを渡す 5 名)

id:dempax さん

id:index_home さん

(なんだかルールもよく分かっていないのにすみません、無視してもらってもいいですよ)

あとはまた考えよう。

7/03(1)への応答

#drmccoy 皇国・皇軍が「強制」したとおっしゃいますが、具体的にどのような方法で強制したんでしょうか?

(野原)住民の半数が米軍に“保護され”生きのびています。皇国・皇軍の「強制」がなかったのなら、彼ら(死んだ方の半分)はなぜ死ななければならなかったのでしょうか。

自殺した以上そこには自己の意志という契機が存在している。つまり「一種のマインドコントロール」の下にあったのだ、と(スワンさん発言の援用して)野原は主張しますが、だからといって幾ばくの自己責任が存したことは否定しません。

彼らの死が百パーセント強制によるものと言えるのか?とマッコイさんは論を立てているようですが、彼らの死の原因をたずねた場合、それが共同体の常識だったという意味を含めた強制が大きく作用していたといいうる、というのがわたしの主張です。

サイパン島の崖の上から

     崖

           石垣りん

戦争の終り、

サイパン島の崖の上から

次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら

何やら。

火やら男だのに追いつめられて。

とばなければならないからとびこんだ。

ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ

まだ一人も海にとどかないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。

(「表札など」『石垣りん詩集』ハルキ文庫p89)

責任の欠如・強制の欠如というイデオロギー

isbn:4480857621 『南京大虐殺は「おこった」のか』筑摩書房  1998

クリストファー・バーナード著

という本が図書館にあったので借りて読んでみた。

以下メモ。(ちゃんと説明するのに手数の掛かる本なので、分かりにくいままですまぬ。)

まとめ

日本の歴史教科書(特に日本史)は偏向している。

この偏向は責任の欠如や強制の欠如というイデオロギーを表明している。

このイデオロギーは日本国の権力保持者の面子を守ろうと努めている。*1

この本は、日本の高校で1995年に使われた全88種類の歴史教科書を全部比較したものです。

取り上げたのは、いつも論点になる、南京大虐殺、真珠湾/パールハーバー、815など4点*2

テーマは書いてあることは事実か、という問いではない。文体レベルの微細な差異によって、受ける印象はずいぶん変わってくる。そのような差異を扱っている。

 幸い、日本とほぼ同時期にドイツ・イタリアも開戦し、敗戦した。したがって、ドイツ等の記述と日本に対する記述を比較できるわけである。

教科書からのサンプル1

 ドイツはオーストリアを併合し、1939年には独ソ不可侵条約を結んだのち、9月ポーランドに侵入した。p80

教科書からのサンプル2

日米交渉はゆきずまり、12月8日未明、日本軍はイギリス領マライに奇襲攻撃をおこなうとともに、ハワイの真珠湾に空から奇襲攻撃をかけ、アメリカ・イギリス・オランダに宣戦を布告した。これが太平洋戦争のはじまりである。p76

上では「侵入した」という攻撃を示す動詞が最も強調されている。

このような(広い意味の)「攻撃」が本動詞になっている場合が、日本の場合は9%だが、ドイツの場合は40%になっている。

後者の場合、前者と違い、国家ではなく軍が行為主体となっている。

軍が行為主体となっている率は、日本が49%、ドイツは19%である。

ポーランドに侵入した」という切迫した文章に対し、「これが太平洋戦争のはじまりである。」という文章は説話的である。「ストーリーを語ることから一歩下がって、時間を超越した全知の観察者の立場にたち、すでにおきたことについて論評しているのである。」*3

つまり、日本国や日本軍何れに対しても攻撃の責任はさほど明確に与えられていないし、攻撃は「主たる話」にはなっていない。p82

責任の欠如とよべるイデオロギーに結びついた用法のパターンが教科書に見られる。p82

(以上 メモ)

*1:p142同書

*2:もう一つはなんだったかな

*3:p76

小林万里子久しぶり!

▼「反戦ミュージックat京大西部講堂2005」

2005年9月10日(土)11日(日)京大西部講堂

入場無料

公式ホームページ

http://www.antiwar-music.com/index.htm

▼講堂前広場特設野外ステージにてライブ

9月10日(土) 14:30~21:00

クラワンカ、楽団モラトリアム、ヤブレカブレ、ISSIN、井上卓、ハチワレ天満宮、ジェロニモレーベル、ピカリンス、Lucky Lips、アジビート

9月11日(日) 15:00~21:00

LOVEDLOVED、ファルソス・ヒターノス(にせジプシー)、軍鶏礼賛、あうんさん・すうじぃ、SANPACHI、AUX、Mademoiselle

Fleur、小林万里子、吉田一平

▼反戦デモ

「小泉戦争内閣ぶっつぶせ!自衛隊イラク派兵と戦争国家化を許さない9.11反戦ミュージックデモ」

9月11日(日)

12:00 三条河川敷集合

13:00~15:00 デモ(三条河原~京大西部講堂)

▼広河隆一さん写真展

西部講堂内にて広河隆一さん写真展を開催。

▼京大西部講堂:京都市左京区、百万遍交差点より東大路を南へ徒歩すぐ

 京阪出町柳駅下車、徒歩15分

 市バス百万遍下車、徒歩3分(3、17、31、65、102、201、203、206系統)

 市バス京大正門前下車、徒歩5分(31、65、201、206系統)

▼駐車場

会場に駐車スペースはございません。最寄りの駐車場をご利用ください

最寄りの駐車場

100円パーキング(京都市左京区田中西樋ノ口町)

100円パーキング(京都市上京区信富町)

京都市駐車場公社(京都市上京区青龍町)

▼期間中のみ西部講堂内および講堂前広場にてテント泊可能

ご利用の方は事前にご連絡ください。

▼スタッフ募集!

仕込み、本番、撤収など、それぞれご都合のよい時間でお手伝いをしてくださるボランティアスタッフを募集しています。汗まみれ、泥だらけになりますが、きっと形にならない大切なものに出会うことができるでしょう。

▼下記連絡先までお気軽にご一報ください

antiwar-music@hotmail.co.jp(吉田一平)

私は高慢たりえない?

とここまで書くとまた新たな疑問が湧いてきた。

(1)金比羅は高慢である。また長編小説作家はその限りにおいて全能なので当然高慢である。ということは一般人は高慢たりえないということであろう。

ところが、「3.ふふんふふーん」の場合はどうか。この場合、一般人が「科学の子」と自称しているだけであるのに、高慢である。

 ここで多少説明的になる。誰かが海で遭難するとき、助かりたいと思っていると海上に突然灯がともる。灯は神様の灯だ。この灯を見る人についての説明が上記の断片p15だ。ところが非常に例外的に神様の灯を否定する人がいる。それが断片p14の科学の子だ。

「あるはずのないそんな灯を見る」「当人が助かりたいと思っているから」というのが、日本人の神であり尊いことなのだ。という側に作者は立っているように思える。したがってそれを否定する「科学の子」は一般人として許されざる傲慢であると。でもそうであれば、金比羅=高慢を強調することは話を分かりにくくしているのではないか?

ウィルスに感染

してしまい、ネットもメールもできません。*1

Nsag というワーム、トロイの木馬、で危険度低いと書いてあるがちょっとやっかいな奴。

まだ駆除できない。

http://www13.plala.or.jp/sukiero/erostart/prevent.html スキエロテンプレ 予防措置

http://www.higaitaisaku.com/uninstallinfo.html アンインストール情報ログの取り方と貼り付け方法

などを見て勉強中。最低数時間はかかる。

Win32.Alemod.Aは、「感染」したことを通知する虚偽のメッセージを表示し、「スパイウェア」スキャナと称するアプリケーションをダウンロードさせようとするトロイの木馬です。

これと同じようなものらしい。

http://www.higaitaisaku.com/cgi-bin/cbbs.cgi?mode=one&namber=74416&type=74132&space=225&no=0

PCトラブル質問掲示板 [One Message View / Re[15]: Virus.Win32.Nsag.a (wininet.dll) の処置]

マイコンピュータ→ C ドライブ → WINDOWS フォルダ → system32 フォルダ

と開いていって、その中にある wininet.dll というファイルを 右クリック>名前の変更 から、

wininet.bak とファイル名変更してください。

「拡張子を変更すると~」という警告が出ますけど、この警告は無視してください。

これをしないといけない。そのためには、正しいwininet.dllも必要。ということのようだ。が眠くなったので終了。

*1:もう1台のでこれは書いています