<<<金正日有罪>>>

わたしは以下の要求項目について基本的に賛成する。反論のある方は言ってください。

 それでは現日本政府は、旧日本国の継承政権としてこの国家責任についてどのように履行しなければならないのか。要求事項について何点か述べさせていただきます。

 まず、日本政府は軍性奴隷制に関する真相を徹底的に調査し、全貌を公開しなければなりません。さきに申し上げたように、「慰安婦」の総数、国別人数、慰安所設置地域と慰安所の名称、その管理者、「慰安婦」の処理情況を含めて公開しなければならないと主張します。

 次に、日本政府は軍性奴隷制に対する法的責任を認め、すべての被害者に対して正式な謝罪をしなければなりません。この謝罪はただの言葉だけではなく、十分な賠償をともなう謝罪でなければなりませんし、また、ある招請された人物が適当な機会に一言一言ことばで述べるだけの謝罪ではなく、国会決議や政府声明、あるいは条約のような文書のかたちで記録され公けにされなければなりません。

 三つ目には、日本政府は性奴隷制に対する十分な国家賠償をしなければなりません。周知のように加害者が被害者に補償するのは一般的原理であり国際法上の要求であります。日本は加害国として被害者にかならず補償しなければなりません。この補償は民間基金のような民間団体が募金したお金ではなく、国庫金で、国家の名で被害者に対する賠償がなされなければならないと、私は主張するものであります。〔場内拍手〕

 またこの補償は生存被害女性のみならず、すでに死亡した被害者の遺族にも正式に支給されなければならないと主張します。

 四つ目に、日本政府は軍「慰安婦」生活を強要された被害女性たちの尊厳を再び損なうような行為を徹底的に根絶するための措置を講じなければなりません。現在日本の一部の右翼勢力は、軍「慰安婦」たちを「売春婦」だとか金儲けのために性行為をしたと言って、彼女たちの大切な尊厳と名誉を再び損なう妄言を吐いています。日本政府はこれらを黙認しており、なんら防止策をとっていません。日本政府は、これらに対し真剣な態度で真剣に深く検討し、日本で、日本の右翼勢力から、こうした発言が出ないように実践的で実質的な防止措置を講じなければなりません。〔場内拍手〕

 五つ目に日本政府は、世界各地をすべて調査し、犠牲になったすべての被害者の遺骨を彼女たちの故郷や彼女たちの親族が住んでいる土地に、丁重に葬るべきです。また今日の証言で明らかになったように、河床淑ハルモニをはじめとする被害者たちが、未だに中国、日本、カンボジア、南部サハリンなどで暮らしています。日本政府は彼女たちの要求を聞き帰国させるか、あるいは祖国訪問を実現するための措置を講じなければなりません。

 六番目に日本政府は、軍性奴隷制を謀議、計画、実現、執行した者に対して刑事処罰を加えなければなりません。ここで、生存者たちには正式な法廷に出頭させ該当する処罰をし、あるいは特別法廷をつくって処罰するように国内での措置が講じられなければなりません。死亡した者たちに対しては、死んでしまったが、彼らに対しても本法廷の名前で刑事処罰を加えることによって、あらゆる人々に罪を犯せば生きていても死んでしまっても、必ず刑罰を受けるという歴史の教訓を残すようにしなければなりません。〔場内拍手〕

 最後に、日本政府は歴史教科書改悪策動や他のさまざまな策動によって、過去の軍「慰安婦」生活に関する問題を歴史の陰に隠してしまおうという策略を行なっており、また、それを歪曲したり否定したりして、今後も伝えられないようにしています。日本政府はこれらに対して深く反省し、教科書をはじめとするあらゆる書籍に事実をそのまま記述し、社会教育と学枚教育をとおして、日本人がこうした過去についてよく知るようにしなければなりません。日本政府は博物館や文書保管所のような記録保管所をつくり、当時の資料、被害状況の証言などすべての記録を保管し、だれもが閲覧できるようにし、日本の過去の罪が二度と日本というこの土地から起こらないよう、十分な注意を払わなければなりません。

 私は北と南の共同検事団の一員として、以上の責任履行を本法廷の名において日本政府に強く促すことを要求します。〔場内拍手〕

p88-90『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』isbn:4846102068 より

発言者は誰か?

   鄭南用検事

尊敬する判事の皆さん。私は朝鮮民主主義人民共和国検事の鄭南用です。

 多くの日本人はこの朝鮮民主主義人民共和国という形容詞を聞き、一斉に安堵し叫びはじめるだろう。

お前に言われたくないわ!!

 日本人の安堵に合流したくないのだが、この批判は受け入れるべきではないだろうか。

1)北朝鮮による拉致問題は、日本では近年横田めぐみを象徴とすることで排外主義的熱狂をよんでいる。しかし本来、韓国にはもっと多くの被害者がおり、また中東にも被害者がいたという国際的広がりを持った問題である。(韓国による拉致もあったのか?)

2)10万人以上いるのではと言われている中国に脱北した者たちは、中国当局によって難民と認められず、日々送還におびえながら悪い条件で暮らしている。

3)日本から北朝鮮へ「帰国」した9万3千人の在日朝鮮人(一部日本国籍保持者も含む)とその家族は、日本との自由な往来を認められないだけでなく、北朝鮮国内でも差別を受けていると言われている。

4)そしてなにより、人類史における最悪の人間虐待と糾弾されるべき政治犯収容所などの収容所の存在。参考:http://homepage1.nifty.com/northkorea/nkcamp.htm

これらの問題について、北人民共和国政府は

<真相を徹底的に調査>をすべきであるし、

<すべての被害者に対して正式な謝罪を>なすべきである。

 帰国者を含む市民の国内移動と海外渡航の自由を認めるべきである。

収容所他の抑圧を<謀議、計画、実現、執行した者に対して刑事処罰を加えなければなりません。>これは当然、「金正日有罪」という判決を含むものになるでしょう。

それより先に、まず現在行っている不法行為を中止し収容者を解放し、彼らが暮らしていける最低限の補償を与えるべきである。

わたしたちは検事に成り、上記のような判決を求めて新しい民衆法廷を提起し実施していくべきではないか。

 そのとき「とても文字になどできない下劣で最低最悪の暴言を」「慰安婦」たちに浴びせつづける右翼?たち、と<わたしたち>との関係はどうなるか?法廷がただのリンチの場にならないようわたしたちは法廷の場を守りきらないとならないだろう。

鄭南用検事の演説(言説)の格調の高さは肯定されるべきだと思う。したがってそれを受けて次の告発が成立することも、拒否できない。

金正日有罪を言うことは、日本のレイシズムに加担することだと一部の左翼は言う。だが、<右翼/左翼>あるいは<日本/韓国朝鮮・中国>という二項対立で世界は判断できない。民衆の一部はいつも国家の隙間からこぼれ落ちどちらの側からも見捨てられるのだ。そうした見捨てられた側、見えない人間を可視化しようとすることに正義があるという信念が、女性国際戦犯法廷の根拠であろう。したがって金正日に対する告発をためらってはならないと思う。

(わたしは戦犯法廷の主催者の側にシンパシーを持ち援護しようというベクトルでこの本を読み始めた。だからこんなことを書くのは予定外である。)

(1/28朝10時半 掲載)

日本=ナルシズムには吐き気がする

 帰りの電車で雑誌を読んでいて、そうなのかうーんとうなずいた瞬間に、向かいに座っている男性の読んでいる新聞の広告欄に「中華人民反日共和帝国」という字が大きく躍っているのを見て、あやうく吐きそうになった。

 読んでいたのは『現代思想』2001年12月号特集ナショナリズムの変貌isbn:4791710835、という雑誌。「ホモ・ホスティリスの悪循環」という中尾知代氏の文章を読んでいた。イギリスにおける1995年50年目のVJデイ(対日勝利記念日)の狂騒を、はじめとするイギリス社会の草の根レベルの反日運動~意識の諸相について色々書いていた。Tolkienとピーター・ラビットの国*1ということでイギリスに親近感を持つ日本人の一人として、知らないことばかりでちょっとショックを受けた。国内が景気悪いのに日本の商品がどんどん入ってきて反日の素地はあったこと。日本軍と戦った退役ビルマ軍人たちなどは、対ドイツ戦(勝利)の影に隠れた半ば忘れられた存在でありフラストレーションをもっていたこと。などなど。そして「残酷な日本人」というステロタイプなイメージが繰り返される。「どの新聞も、ヨーロッパ人捕虜の頭に日本刀を振り下ろそうとしている日本兵で一杯だ。」

 さて「だがどこも、戦争が終わってから日本が、民主主義と自由な国に生まれ変わって、もうそんなことなんかしない、ということを考えもしない」わたしが虚を突かれたのはこの一文である。「民主主義と自由」とは崇高な理念でも国家運営のプラグマチックなプロセスでもない。自分たち文明人に理不尽なことをしない、野蛮さからの卒業という意味に他ならないのだ。うーんそうなのか。 では、アブグレイブはどうなるのか、云々と考えはじめた途端、目の前の新聞の「中華人民反日共和帝国」という大きな見出しを見て、わたしは気分が悪くなった。プチウヨは中国や朝鮮両国の悪口を言うけど、英米にしてみたら黄色人種が仲間割れしてんは好都合だみたいなことも気付かずに・・・

*1:「ゴーメンガースト」なんていうマイナーなファンタジーの愛好家さえいる、私だ。ハリー・ポッターなんかアメリカ人向けファンタジーに過ぎないとダイアナ・ウィン・ジョーンズのファン(私)は滔々と論じ立てるわけだが、そうした上品なインテリが唯一知らないのは、自分たちがただのイエローモンキーだということ。

TBを送ってしまいすみません>各位

わたしの文章は引用ばかりだ。そして、はてなのブログからの場合、urlかidを書くようしている。そしてある日のあるテーマの文章(やコメントとの応答)を、翌日以降もある日の日付を変えずにしつこく下に増加させていくという更新方法を採っています。それで、一度引用させていただいた方に、何回もTBを送ってしまうことになります。もうしわけありません。気になれば削除しておいてくださいませ。

では隣人とは誰か

# N・B 『 あまり考えてませんが一つだけ、ナショナリズムもレイコフによる家族のメタファーの国家への適用も、枠の問題だと考えるべきなのだとは思います。キリスト教の文脈で言えば、「では隣人とは誰か」ということです、「共約不可能なもの共生の前提」の問題も「愛国心」に代わるものの問題もそれでくくれると思います、パトリオティズムに私がやや否定的なのは枠の問題が抜けるからなのです。ちなみに、「リベラル」のモラルの最大の矛盾点は「相手が望むことなせ」という「リベラル」の黄金律が、「リベラル」が「保守」の「モラル」を受け入れなければならないという結論に至ることです。「保守」にはこの矛盾がありません。これが枠という問題とも絡むと思うのですが。どうも自分の意見がはっきりしませんですいません。』 (2005/03/26 08:11)

3/25コメント欄より

「考えが甘い」のはあなただ。

考えが甘いと思うけど。

ネットワークにおける言論は、newsgroupやパソコン通信のSIG、フォーラムの時代から淘汰圧が非常に高く、かつ玉石混淆なのが特徴で、少数意見を唱えるのであれば多数派を説得しうる高い論理的整合性を主張しなければ袋叩きにあうのは、私の過去15年来の経験に照らしても、(ネットワーク界においては)自然なことです。

azamikoさんの行動は突飛である(段階を踏まずにいきなり最終手段を取っているような感じ)と私には思えます。極端な行動は心理的な反発を受け易いものですし、たとえ目的が正当でも手段に問題があればやはりそれは問題です。

目的の正当性を信じるのであれば、より手段の妥当性にも拘るべきで、それらを失すれば非難を受けるのは致し方ないと思います。

そして前述したとおりネットワークにおける言論の淘汰圧は非常に高いので、小倉弁護士の命名する所の「コメントスクラム」なる状態に陥るのは当然だと思います。

これらのことを弁えずにblogを書いているのであるとしたら、覚悟不足としか言いようがないかと。

小熊善之

http://terutell.at.webry.info/200504/article_2.html

多数の一般人が少数の一般人をたたくブログ界隈 てるてる日記/ウェブリブログ

2005/04/07 17:51)のコメント欄より

ネットで「少数意見を言いたければ」死ぬ気でやれ、とでもいいたいのでしょうか?あまりにも不愉快なのでコピペ。

「手段の妥当性にも拘るべき」ってどういうことだ。

「手段に妥当性がない」という貴方の主張を「コメントスクラム即ち、言論の力ではない暴力」以外の方法で立証できるのか。

「自己=多数派」という前提だけに依拠した自己!!

靖国参拝反対

保守本流の意見。4/23の朝日新聞に自民党の加藤紘一氏の意見が載っていた。

 靖国参拝問題の本質は、神社にまつられている14人のA級戦犯をどう見るかということに尽きる。

 ナチスにすべての国内的、国際的な戦争責任を帰したドイツと違って、日本は国内的な戦争責任についての論議ができず、極東軍事裁判の判断をサンフランシスコ講和条約で受け入れた。そうである以上、私は靖国問題は、講和条約という国際的約束を、日本が守り続けられるかどうかの問題だと思っている。A級戦犯がまつられている靖国神社に、たとえ私人としてでも首相が参拝すれば、日本に講和条約を守ろうという意思があるのかどうかが疑われる結果になるのは当然だ。

 簡明だが、「日本は国内的な戦争責任についての論議ができず」ことにも触れており、とても優れた文章であると思う。日中関係がさらにこじれれば「米国としても首相がサンフランシスコ講和条約を踏みにじっていると指摘せざるを得なくなるかもしれない」とまで指摘している。日本が戦後対アジア敗戦責任を非常に軽く済ますことができたのは、アメリカの力による。そのような構図(冷戦構造)が失われても、アジア人差別だけは持続、再強化しているのが現在の日本だ。有害無益なナルシズムからは脱却しなければいけない。

下記も参考。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050203#p1

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050331#p2(宮台真司の引用)

(削除予定)メモ

旧い計算式A4をaとします。  a=+D3+C3 

D3=+A3-B3-C2 なので、 a=A3-B3-C2+C3 です。

新しい計算式A4をaaとします。 aa=+B3

A3=B3*2+C3 ですから a=B3*2+C3-B3-C2+C3=B3+C3*2-C2 になり

aとaaの差 a-aa=C3*2-C2 になる、と思いましたが、ここが間違いです。

つまり、新しい計算フォームでのB3(一般にBn)(区別のためにβと呼ぶ)と旧い計算フォームでのB3(一般にBn)は一致しません。

(以下考え中)

 うちの玄関ドアの外側の枠の土台から数センチのところに緑色の蛹があってこんなところでは無事には育つまいと思っていたら。今家族のものが羽化しているのを発見。まだ羽が広がっていないが無事に飛び立つだろう!

ひめゆり/白梅 (7/23追加)

 まして、年齢こそ「学徒兵」より多少上とはいえ、少女たちを突然戦場に駆り出して、看護助手という名の下に自分たちを守らせる軍人たちの神経には、ほとほとあきれて言葉もない。たとえ本人たちが望んでも断るのが軍人たる者のプライドだろうに。(略)

 そして現在。前庭に美しい植え込みや花壇があって、館内には実物大だという壕の模型もある「ひめゆり平和祈念資料館」と、通りから引っ込んだところにひっそりとたたずむ「白梅の塔」(塔といってもやや大きめの石垣の上に立てた墓石というのが実態である)。ひめゆり隊は旧府立高等女学校に属し、白梅隊は私立の女学校の生徒たちだったせいばかりではない。ひめゆりは映画にもなってあまりにも有名だし、一種のエリート校で同窓生にそれなりに有力者が多くこうした事業の運営にも慣れている。一方、白梅隊の出身母体である学校は戦中に公立に吸収されてしまったため、事業の母体となる組織のメンバーを集めること自体むずかしかったのだという。その上、戦場において軍人たちの彼女たちに対する扱いもかなり異なっていたらしい。白梅隊の隊員たちは軍が陣地を撤退する時傷病兵の「処理」に直接関与させられたため、自責の念から白梅隊に属していたという事実についてさえ、戦後長い間沈黙を守っていたのだという。

 問題はさらに続く。戦後60年もたった現在でさえ、この二つのグループの間には目に見えない壁があって一緒に行動することはないのだという。私たち沖縄外の人間が当時従軍させられた少女たちはひめゆり隊だけのように思い込みがちなのは、こうした事情にも原因があるらしい。現在の私の目から見れば、(白梅隊よりは)「優遇」されたというひめゆり隊の経験だってずいぶん過酷だったのだから、少なくとも悲しみを共有することからでも始められないものかと思うのだけれど。

http://homepage3.nifty.com/medi/sakusaku/5_1.htm 沖縄紀行