自然成長的な神国思想

外人は戦時に際して日本に燃えあがった在野国民の自然成長的な神国思想を見て、それを民族土着の自然の精神として解しないで、国家の帝国政府が権力的法令をもって指導し命令した宗教と誤認した。(葦津、P208)

かれらが弾圧せねばやまないとして敵目標としてゐた「神道」とは、帝国政府の法令下にあった「国家神道」ではなくて、「神社の外から」「神社を象徴」として、神社に結集して来た在野の国民に潜在する日本人の神国思想ではなかったのか。(葦津、P211)

ファナティックなデマゴーグは全く愚劣であるが、しかし、祖国日本の伝統にあこがれ「祖国を神国」として純粋に受け入れて行くのは、古くからの日本民族の美質でもあった。(葦津、P186)

http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20051017#1129533393

以上、t-hirosakaさんの「国家神道は幻想か1」から葦津珍彦氏の文章の引用部分から一部抜き書き。

ここで論じてきたような論法においては、葦津珍彦氏のような意見にはうまく反論できない。国家神道自体が超越的価値の源泉つまり(a.)である、という意見だからだ。

 というか神道は本来近代国家や西欧風の国家宗教とは無縁のものだったわけだが、そのような伝統に忠実であろうとする神道家はほとんどいないのではないか。戦前回帰つまり19世紀ドイツ的なものに伝統の香りを振り掛けただけの靖国神社的なものに回収され、異論の声を挙げていないように思えるが。

ここでの論法は、超越的価値の源泉つまり(a.)が、大東亜戦争の現実(b.)を裁く価値基準たり得たかにある。

「葦津が反体制右翼に共感する反骨の神道人である*1」らしいので、そういう発言もしているかもしれない。

彼によれば「祖国日本の伝統にあこがれ「祖国を神国」として純粋に受け入れて行くのは、古くからの日本民族の美質」だそうだ。敗戦の瞬間までの日本人が生きる支えにしていた美学(あるいは信仰)は美しいものであり肯定されるべきだとしてみよう。

そうだとして、神国は不滅だ、というのは神学的命題ではなかったのか?そうだとしたら、そこから敗戦という事態をどう説明するのか?不滅を信じた人はどう生きていったらよいのか?葦津氏はそれぞれ誠実な答えをだそうとしたのかもしれない。

政府が国立大学の研究、教育の自由を公認しつつ、その維持監督のみに国務行政の権限を自制することを考へれば、政府と神社との間にも似た関係をつくることはできたはずである。(葦津、P207)

純粋に神道家の立場に立てば、国家から距離を取り自立しようとするのは当然である。しかしながら、戦後60年たっぷり時間はあったのに神道は自己を純化するための何の努力もせず、いま戦前回帰に棹さそうとだけ考えているのだろうか?

刊行リスト

  1. 松下 昇(についての)批評集 α篇1(88年5月)
  2. 松下 昇(についての)批評集 α篇2(89年6月)
  3. 松下 昇(についての)批評集 α篇3(95年6月)
  4.  ~        …α系は国家による批評 
  5. 松下 昇(についての)批評集 β篇1(87年9月)
  6. 松下 昇(についての)批評集 β篇1更新版(94年9月)
  7. 松下 昇(についての)批評集 β篇2(88年9月)
  8. 松下 昇(についての)批評集 β篇2更新版(94年9月)
  9. 松下 昇(についての)批評集 β篇3(94年9月)
  10. 松下 昇(についての)批評集 β篇4(94年9月)
  11.  ~        …β系はマスコミによる批評 
  12. 松下 昇(についての)批評集 γ篇1(87年11月)
  13. 松下 昇(についての)批評集 γ篇2(87年11月)
  14. 松下 昇(についての)批評集 γ篇3(87年11月)
  15. 松下 昇(についての)批評集 γ篇4(88年3月)
  16. 松下 昇(についての)批評集 γ篇5(88年11月)
  17. 松下 昇(についての)批評集 γ篇6(93年9月)
  18. 松下 昇(についての)批評集 γ篇7(93年9月)
  19.  ~        …γ系は個人による批評 
  20. 表現集1(88年8月)(註1)
  21. 表現集2(88年12月)
  22. 表現集3(94年4月)
  23.  ~        
  24. 発言集1(88年9月)
  25. 発言集2(88年12月)
  26. 発言集3(94年5月)
  27.  ~        
  28. 神戸大学闘争史 -年表と写真集-(89年5月)
  29.        〃        (その後さらに更新中)
  30. 神戸大学闘争史 -別冊1(93年4月)
  31. 神戸大学闘争史 -別冊2(93年4月)
  32.  ~        
  33. {3・24}証言集 上(89年12月)
  34. {3・24}証言集 下(90年1月)
  35.  ~        
  36. 菅谷規矩雄追悼集(90年10月)
  37.  ~        
  38. 救援通信最終号(91年5月)
  39.  ~        
  40. <6・20討論の記録-不確定な断面からの出立->(91年10月)
  41.  ~        
  42. 正本<ドイツ語の本>(77年9月)
  43. 五月三日の会通信1~26(70年7月~81年12月)
  44. 訂正リスト(93年5月)
  45. 時の楔-< >語に関する資料集-(78年10月)
  46. 時の楔への/からの通信(87年9月)
  47. 時の楔通信<0>~<15>~号(78年10月~86年7月~)、
  48. 訂正リスト(93年5月)
  49. 概念集1 (89年1月)
  50. 概念集2 (89年9月)
  51. 概念集3 (90年5月)
  52. 概念集4 (91年1月)
  53. 概念集5 (91年7月)
  54. 概念集6 (92年1月)
  55. 概念集7 (92年3月)
  56. 概念集8(92年11月)
  57. 概念集9 (93年11月)
  58. 概念集10(94年3月)
  59. 概念集11(94年12月)
  60. 概念集12(95年3月)
  61. 概念集 別冊1-オウム情況論-(95年10月)
  62. 概念集 別冊2-ラセン情況論-(96年5月)
  63.  ~ 
  64. 概念集シリーズへの索引と註(96年1月)
  65. 概念集シリーズへの補充資料(96年1月)
  66. 序文とあとがきから見た既刊パンフのリスト
  67.        〃            2
  68.  ~ 

闘@争 あるいは妄想戦士ルサンチマン

争とは何か? Panzaさんの造語のようである。@(主体の位置を示す)がたまたま闘争のなかに居ることを示している、ということか。

★妄想が闘争を支えている。

★妄想とは「夢を中核として鍛え上げた闘争に向けた言葉」

http://d.hatena.ne.jp/Panza/20051126/p1

 妄想という言葉に躓き、彼女は辞書を引く。「正しくない想念。みだりな思い。」である。想念というものは思想や理念に比べればとりとめのないものである。したがって「正しい/正しくない」という弁別以前の領域にたゆたっているのがむしろ普通である。であるのになぜ妄想に限って「正しくない」と言われるのか。おそらく妄想というのは〈平気ではみ出してくる〉という性格を持っているからであろう。

 「「妄」という字の構成も「亡き女」「亡んだ女」である。」「妄」という一つの字を通してわたしたちは、東アジア数千年の文化、歴史が女性差別的に構成されたものであることを知ってしまう。

もし現実に嬲られたら絶対やり返す。でも相手が漢字では怒っても怒りの向け先がはっきりしない。言葉をはじめ表象物のほうが恐ろしい。

ひとつひとつは些細でも降り積もれば人を厭世観の固まりにしてしまう。

(同上)

 わたしたちは文化総体の歪みから自由になることはできない。しかし文化とは何か。個々のパーツの歪みを周到にまとめ上げ、普遍とか国家の同一性の勝利を結論するシステムが文化なのか。であるとすれば、ぶさいくな肉体でありたゆたう想念である〈わたし〉は、文化総体の歪みから自由であることしかできない。とも言えるのではないか。

相手がどれほどの権威であってもワタシ一人の骨の髄からの感覚を信じることが大事。

嫌なことから逃げたって逃げ切れるものではない。

これからは嫌な言葉は分解して別のものにしてしまおう。(同上)

たぶん、骨の髄からの感覚もやはり、小さな小さな闘いの持続を通して生まれてくるものだと思う。

笙野頼子さんとPanzaさんガンバレ!

私も何かしら自分の出来る事で闘うぞぉ(^○^)

というわけでわたしも声援に声を合わせよう。

松下昇の表現(オンラインで 読めるもの)

メモ:ストライサンド効果

ストライサンド効果:インターネットでは、理由なく情報が消されると余計広がること。(バーブラ・ストライサンドが痛い目を見たことに由来)

17 minutes ago

ストレイサンドかと思ってた。

中道右派to野原氏 『一部訂正

×3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメント

○3月15日付けと3月19日付けの各エントリ中の私の該当コメント

なお、3月18・21・24・25日付けエントリにコメントしておりますので、お返事ください。

ノーモア氏によると、コメントに答えないと、逃げたと思われるので嫌だそうですよ。』(2007/03/28 07:28)

* noharra 『中道右派さんへ

ちょっといま、別のことで考えなければいけないことがあるので

応答は遅れます。

--あなたの「証拠を出せ」ゲームに乗るつもりはありません。

--あなたの「証拠を出せ」ゲームを仮に前提とした場合、ミッチナ報告の読みの点であなたは矛盾を犯している。

これを認めてください。』(2007/03/28 07:50)

* ノーモア 『野原氏のブログなので彼が認めるのであれば私に何も言う権利はありませんが、これほどの長い、しかも永井論文を単にまとめただけのものを貼り付けるなんて常軌を逸していると思いませんか?

御自分でブログを作って検証してトラックバックをすればいいんじゃないですか?しかもコメント欄で分割すれば読みにくさは倍増します。しかもはてなのコメント欄には容量に限界があります。少しはお考えになってはいかがでしょうか?

>3月15日付けと3月19日付けの私の該当コメントを、『永井和論文の批判的検討』などといったタイトルで独立のエントリにしていただけると、うれしいです。

厚かましいにもほどがありますな。

それからはてなの容量のことも調べずに「逃げた逃げた」と中傷したことについて言及は一切無しですか?とことん礼儀知らずの人ですね。』(2007/03/28 09:28)

345 八月の短歌

戦場の街の一つをそのままに持ってこなければわからないのか

(砂川壮一)

第九条創りし高き理想あり代うるにいかほど理想のありや

(諏訪兼位)

8月30日の朝日歌壇の馬場あき子氏の選より。彼女は「「原爆忌」が季語になっていく歳月を、記憶の風化を悲しみながら生きてきた」と言う。記憶とは何か、わたしには分からない。戦場の街が突然目の前にあっても分からないだろう。「反戦平和を祈る」というのは思想たり得なかった、と言って良いのか?結局のところ、“朝鮮戦争にもベトナム戦争にも心からは反対しなかった反戦”は捨て去るしかないだろう。*1

*1:何年の発言なのか不明、2004年か

カテゴリーについて、東亜とは

 この日記システムは「はてなダイアリー」というのだが、文章をカテゴリー分け出来るようになっている。整理能力のないわたしはいい加減でまだ分けていないのもあるが、一応[中東][東亜][trad][idea][post]などと分けてみた。

 パレスチナ問題やイラク戦争などが[中東]。

 あまり関心を持っている人はいないのではないかと思うが、儒学や神道についてが[trad]。

 まだ何も書けていないが、現代思想、ポスト構造主義(フーコーなど)などが[post]。

 ヘーゲルの後何も書けないかもしれないが、19世紀までの(西洋)哲学思想などが[idea]。

 [東亜]は、現在の日本人がアジア太平洋戦争(大東亜戦争)などをどう総括しているか、という問題と、脱北者などで問題化している北朝鮮金正日体制に関するものを、同じカテゴリーに入れました。台湾、朝鮮、旧満州、などなどの地域に広がった日本人とそれに関わらされてしまった日本人以外の戦前と戦後の問題を考えたいとするものです。

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/dai.htm

なお上記「わたしたちは忘却を達成した――大東亜戦争と許容された戦後――」に野原は、「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」という言葉、を使う理由についてこう書きました。

「 十二月八日を開戦記念日と言い、第二次世界大戦とか太平洋戦争という言葉しか使用しない。それでは、日本が中国と戦ったことを皆が忘れてしまっても、当然だろう。日本はアメリカに占領された。従って日本はアメリカにだけ、負けたのだという図式が強かったのは当然だ。しかし、現在までその構図が崩れていないのには、理由がある。日本は中国に負けた、と思いたくないのだ。明治以来、東アジアでも最も先進国、というところに日本のプライドはあるのだから。大東亜共栄圏というスローガンを掲げながら、「中国人を殺すことが善」という殺人鬼を、多数養成したこの戦争は、やはり大東亜戦争と呼ぶしかないだろう。」

批判があれば考えていきます。

先日読んだ子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたか』という本は、東亜という表記と概念がおってきた歴史について丁寧に批判を展開しています。紹介したいと思いますが今日はできませんでした。

なお、今日カウンタを設置してみました。

<決裂>にわたしの本源はある

 私は存在する--わたしのまわりには空虚がひろがり、現実の世界の暗闇がひろがっている--私は存在する、不安のなかで、盲目のままに。*1

「<私は存在する>は必然的に真理だ」とデカルトは言う。それは間違っていないが、どのように存在するかは論証していない。上記のような<暗闇のなかでの存在>にも同等の権利があるのにそんなことに気付きもしない、という著しい偏差を持つ。*2

 私がついに逃げ場を失い、自分の本性をなしているあの決裂を、私が「在るもの」を超越するための場としたあの決裂を認めるに至るのは、まさに私が死につつあるときであろう。生きているかぎり、私は往復運動や妥協で満足することになる。何をどういってみたところで、私が一種族の一個人であることは分かりきっている。そして大ざっぱに見れば、私は万人共通の現実性と協調して生きている。私は、まったき必然性からして在るもの、どのようにしても除去できないものに加担している。「死にゆく自我」はこの協調を捨てるのである。それは、嘘いつわりなしに、自分のまわりにあるものを一個の空虚とみなし、自分自身をこの空虚へのひとつの挑戦とみなすのである。*3

「生きているかぎり、私は往復運動や妥協で満足することになる。<だがわたしは満足したくない>」“現実”というものがあってそれはわたしがそこに属するべきものだ、そうしなければ生きていけないことは分かっているが、その論理を自明のものとしてその上で生きていくのは嫌だ、出来ない!という悲鳴。それを力強く言表してくれる思想家。全共闘時代の直後バタイユは日本の若者に非常に人気があったが、難解さ訳の分からなさ*4を乗り越えて、どこに共感していたのかといえば、そうしたところだったのだろう。

わたしというものは<決裂>、かいま見るだけでも大きな衝撃を受けてしまうそうした危険な超越とともに存在する。将に存在/未存在する。だからといって“現実”というものが、社会人になるのを怖がる大学生にとってのように平板に否定されるべきものとは限らない。わたしの内に<決裂>があるのなら、その外側“現実”の方にも<決裂>があると考えることもできるはずだ。だがそれはバタイユの道ではない。バタイユは雄々しくもわたし(自我)だけに立脚し考え続けるのだ。

<決裂>が否定しがたいのは、「まさにわたしが死につつある」ときだ。それはそうかもしれないが、でも死の直前に何かを視たとしてもすぐ死んじゃったら無意味でしょ、と俗人は考えるがバタイユはその一点に執拗に関わり考え続ける。この持続力はすごい、私も学びたいものだ。

*1:p160バタイユ『内的体験』現代思潮社版

*2:永井均存在論はこの偏差の上で偏差を丁寧に展開したものであり冗談ぽい。?

*3:p165 同書

*4:その原因の過半は、翻訳者と本人の力量不足にあると酒井健氏は言っている。