必死に「市民投票運動する」女性たちを見て(訂正前)

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120107#p1 を訂正しました。訂正前分は下記のとおり。

必死に「市民投票運動する」女性たちを見て

石に彫りつけるほどの、祈りをこめて、言葉を彫りつけよ。

さて、康有為は、中国の人心が十分覚醒していないという現状認識を論拠として、「革命すれば内乱を引き起こす」と言った。*1

これに類似の論理は現在でも、よく見ることができるものだ。

韓寒の、中国人の民度論がそうだ。(私は韓寒の根拠に同意したい気持ちもある。ポーランド以西はともかくロシア以東では89年の変革は下部民衆にマイナスをもたらしたのではないだろうか。その原因は日本と共通する「民主主義の弱さ」なのか?)*2

また現在、大阪市と東京都で「市民投票運動」が展開されている。*3現在最初のハードルを越えられるかどうかの瀬戸際である。今までの活動家はほとんどこの運動に冷笑的である。曰く「市民投票運動主催者の今井某の思想はこういう欠点がある。彼は活動家としてこういう欠点がある。また今の時点で、市民投票して負けたらどうする!!それは反原発運動の敗北を絶対的に確認することになる。でもって現在どちらかというと負けるのではないかと私は思っている。したがって「市民投票運動」には加担しない。」などなど。

彼が守ろうとしているものが、自分の内側の「真理」、自分は正しいという信念(しかも一つの投票結果で毀損されてしまう程度に脆弱な)でしかないことは明白だ。

私も実は「市民投票運動」に積極的に賛同したものではない。「脱原発」よりも「経済産業省の責任追及」が先に議論されるべきだと思っている。ただし311から十ヶ月、「脱原発(反原発)」運動は、今までどおりごくごく少数派の運動に閉じ込められてしまっている。一方、小さい子供を抱えた「母親」などを中心にした、新しい形の必死なアクティヴィストたちが生まれている。「ごくごく少数派の運動」から脱却するためには彼女たちに注目しそれを育てようとうする立場に立つべきだと考える。(育てようとうする立場、がエリート主義だが、それについては後から考える。)私は活動家だとは言えないだろう。ただ強く訴えたいことがある。それは、「橋下氏による君が代の強制」反対である。それが何であれ、「ごくごく少数派の運動」にしか発展しない日本史の現在があるように思う。そのように考え彼女たちに注目しているのだ。

大阪市民投票が(直接請求に必要な署名は有権者数の50分の1で大阪市では4万2670人分の署名が必要となる。)その数の著名を獲得したら、橋下氏にクリティカルな問いを突きつけることになる。形式上は市議会であるが今の現状では橋下氏が発言すればそのとおりになる。つまり4万2670人という民意をどう評価するか?という問いが突きつけられるのだ。橋下氏の権威は、「民意」というものを自分だけが独占的排他的に代表(表象代行)しているということを公言しそれが承認されることに根拠を置いている。したがって彼は別の実体をもつ「民意」の登場を激しく警戒している。市民投票の依頼が来ても協力するなと維新の会関係者に命令したことをもってそれは分かる。仮に通れば、彼は「脱原発の民意」はすでに私が代表(表象代行)しえているのだから、改めて投票は必要ないと言うだろう。私たちは「橋下=民意」という彼が勝ち取った等式を毀損するために全力を傾けても良いのではないだろうか。

運動とは、敵と私に同時にクリティカルな問いを突きつける、そうしたものである時本質的だ。

章炳麟は康有為の愚民観を批判して、民智は「ただ革命によって開く」と主張し、人民の自己発展の可能性に期待をかけて、革命の道をきりひらこうとした。*4

今年辛亥革命百周年だったが、辛亥革命研究家たちはみな異口同音に「革命いまだ成らず」と言っている。平均地権という万人の生存権を目指す孫文の思想とはあまりにもかけ離れた中国の現状は認めざるを得ない。韓寒の認識も同じだろう。

したがって、「何かを獲得するものとしての革命」への幻滅が広がっていることは認めざるを得ない。

そうではなく、章炳麟とともに私がここで言っても良いかもしれないことは、「アクティヴィズム(活動)によってわたしたちは自己発展の可能性を生きる」ことができるのだということだ。「将来に何かを獲得するものとしての革命」ではなく「自己閉塞を打ち破り連帯を生み出していく楽しさとしての革命」である。

アントニオ・ネグリ

これに関連しているであろうネグリの言葉を、子安氏が引用してくれているので孫引きしたい。

「確信しているのは、大草原に火を放つような、そういう「火」が世界各地に存在しているということです。」

https://twitter.com/#!/Nobukuni_Koyasu/status/154744236280000513

(1/8転記)

*1:p256 近藤邦康『中国近代の思想家』岩波1985年

*2:韓寒は鋭い風刺エッセイで中国で人気の小説家・コラムニスト。1982年生。年末に3つのコラムを書いて議論を巻き起こした。http://kinbricksnow.com/archives/51764907.html など参照

*3:例えば→http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106018.html

*4:p257 同上

死者と生者のための掲示板<北海>

201

問題とは何か? 2003/06/01 21:51

202

万世一系は捏造だ。 2003/06/08 17:35

203

永き平和の民 2003/06/08 23:43

204

『ダロウェイ夫人』を読んだ 2003/06/13 18:23

205

わたしは死者を見なかった。 2003/06/15 13:34

206

アイディンティティと仮装 2003/06/16 22:45

207

Re:アイディンティティと仮装 2003/06/18 21:54

208

わたしのなかの還元不可能な領域 2003/06/21 22:48

209

闘争主体と無垢 2003/07/06 21:49

210

触れたくないテーマと一番大事なこと 2003/07/17 21:26

211

わが肉体の労働たとえば授乳 2003/07/20 09:51

212

ローザ~アレント~ローザ 2003/07/20 10:43

213

今日も混沌未分なり 2003/07/26 18:05

214

祝 2周年! 2003/07/31 20:27

215

日本は亡命者を受け入れろ 2003/08/01 21:49

216

ちょっと 2003/08/06 19:38

217

Re:触れたくないテーマと一番大事なこと 2003/08/12 22:22

218

摩多羅神と大黒天 2003/08/31 22:10

219

墓場の茶枳尼たち 2003/09/01 23:16

220

伝統の断絶 2003/09/03 09:41

221

祟(たた)る死者、祟らない死者 2003/09/03 11:39

222

神との性交と精液(1) 2003/09/06 14:36

223

神との性交と精液(その2) 2003/09/06 20:23

224

人間の尊厳が北朝鮮には無い 2003/09/13 23:26

225

性交と多数多様な空間 2003/09/21 21:08

226

朝川渡る 2003/09/23 22:38

227

Re:神との性交と精液(その2) 2003/10/07 21:03

228

サイードの死とシオニズムという常識 2003/10/07 22:53

229

追悼とは何か?「シャヒード、100の命」展 2003/10/13 23:15

0

AYA 2003/10/20 17:57

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ゴビンダさん有罪確定 2003/10/25 11:06

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いとうさん 2003/10/27 19:46

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Re:いとうさん 2003/10/27 19:48

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ビルマ~フィリピン人家族の強制送還 2003/10/29 23:10

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国家の論理を越えて 2003/11/01 19:42

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私とは誰か? 2003/11/03 18:40

0

私とは 2003/11/08 19:57

暴力と哲学

 ある暴力は、国家あるいは世界の意志をここで実現するためには、Aという存在ではなくその否定が必要だとする論理によって肯定させる。私たちの世界は権力関係によって成立しており、権力関係の歪みが論理(哲学)を必要とする。哲学が嫌われるのは当然だ。

脱北できなかった脱北者

http://www.asiavoice.net/nkorea/bbs/wforum.cgi?no=406&reno=392&oya=392&mode=msgview&page=0

朝民研掲示板から貼ります。

「野口さんといっしょに拘束された二名の脱北者を中国当局が強制送還してしまったようです。迫害のおそれがある場合は強制送還してはならない、というノン・ルフールマン原則に反する措置です。

http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200403/10/20040310k0000m040115000c.html 」

「2人は、60年代に帰還事業で北朝鮮に渡った50代の男性と40代の女性で、日本に帰ろうと昨年11月末に中国に脱出。東南アジアで保護を求めるために移動中の12月10日、南寧市で支援に当たっていた基金の野口孝行さん(32)=逮捕、こう留中=とともに拘束された。基金や日本の親族らは「送還されれば、生命の危険がある」と釈放を訴えていた。(上記毎日新聞より)」

 日本政府は「帰還事業で北朝鮮に渡った元在日朝鮮人」であれば、日本への受け入れを認める、やむを得ない場合はそうしても良い、という基準を持っているようです。ただし国際的にも国内的にも内緒にして行うことになっている、ようです。内密の内に帰ってきた方はすでに数十人いると言われています。何故内緒にするのか。国内において、受け入れろ!という声より受け入れるな!という声の方がずっと大きいから、というのも大きな理由の一つでしょう。脱北者の受け入れに日本はもっと積極的に成るべきだと思います。

ファルージャなどへの攻撃を中止せよ

パレスチナ・フォーラムというMLからの転送。転送歓迎。

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      占領監視センターからの緊急行動要請 訳文

イラクの人々と共に連帯するための緊急要求

国際占領監視センター代表エマン・アーメド・カマス

国際占領監視センター

2004年4月8日

バグダッド占領

世界の人々と代表者に、国際連合で米国主導の占領軍による攻撃に反対するよう、イラクの人々は国際的な連帯を要求します。

 これらの攻撃がイラクの都市とその周辺に住む全ての住民を恐怖に追いやることを意図しているのは明確です。

 報告によれば、4月4日に始まった攻撃により、ファルージャだけで300人以上(*)のイラク人が殺され、さらに何百人もの負傷者で溢れています。

 アダーミヤ、スーラ、ヤモク、ファルージャの市街とその近郊、、ラマディ、バスラ、ナシリーヤ、カルバラ、アマラ、クート、クファ、ナジャフ、ディワニヤ、バラドおよびバグダッドでは特にサドルで戦闘が続いています。 住宅、病院、モスクのみならず救急車が怪我人を搬送中にも占領軍兵士や戦車によって爆破され、銃撃されています。

 ファルージャとアダーミヤは、民間区域を包囲し長期間抑留下におくことを禁止するジュネーブ協定も違反して、現在占領軍によって包囲攻撃の下にあります。病院も十分な医療援助、不可欠な医薬品と装備、あるいは輸血用血液供給の手段も奪われています。ファルージャでは包囲されているために、病院は医者に自分の家で野戦病院を開設するしかない状況におかれています。献血者が入ることさえ許可されていません。従って、バグダッドとファルージャではモスクが怪我人のために血液を集めている状態です。水と電気がこれまでの数日の間断絶されたままです。

 サドルシティでは、米軍ヘリコプターが住宅地域をロケット弾で攻撃し、家を破壊しています。外出禁止令が公式には出されていないなかで、米国軍兵士は暗くなってから街路を動いている車輌を発見すると戦車砲で攻撃をしています。火曜日の夜だけで、少なくとも6人の人々がこのようにして殺されました。米軍はすべての警察署とサドル市役所を占領し、包囲し続けているのです。

 このような攻撃がこれまでの1週間にわたって急激に拡大したのですが、それは決して占領されているイラクで新しい現象ではありません。文民への無差別殺戮、人々への安全保障義務の提供や電気もまともな医療のための社会基盤整備も拒絶している現実は、占有当局がイラクにもたらした「自由」を特徴づけるものです。

 我々は諸国家、市民社会と反戦および反占領の運動に対して団結の具体的な表明として、この恐怖の米国主導の戦争に対し、そしてイラクの人々を支援するために、この身の毛がよだつ事実を直視することを求めます。

 どうか米国によって指揮された攻撃を直ちに中止するよう要求するために、街頭に出てください。

 世界中の米国領事館と大使館の前で抗議と要請行動を組織化してください:

 この大虐殺を直ちに止めろ;

 イラクの都市や近郊の包囲攻撃を直ちに止めろ;

 攻撃下に住んでいるイラクの人々への援助を提供しようと努めている、人道・医療

支援組織にの立ち入りを直ちに認めよ;

 そして、「我が国」による占領を止めろ

 デモがすでに組織化された都市は、ミラノ、モントリオール、東京、イスタンブー

ル、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ワシントン D.C. とニューヨーク

です。

 バグダッドの国際占領監視センターと連絡を取るために、どうか001 914 360-9079

あるいは001 914 360-9080に電話をしてください。

 また、電子メールは eman@occupationwatch.org です。

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イスラエル断交の是非

イスラエルのシャロン首相は「アラファトを殺す」可能性を示唆したと伝えられています。だれが誰を殺しているのか、について小泉氏の認識は間違っている。テロリストではなく、シャロンが先に殺しているのです。イスラエルと団交することの、損と徳を 丁寧に考量したレポートを出すように外務省に命じて下さい。

日本は中国に負けた

「若し是が清朝末期又は軍閥時代の支那であったならば、恐らく南京脆落の後に、然らずぱ漢ロ・広東を失った時に、支那は早くも吾が軍門に降ったことであろう。然るに戦えば必ず敗れながら前後七年に亘りて抗戦を続け、殊に大東亜戦争半年の戦果を目ト*1して、日本の武力の絶対的優越を十二分に認識せるに拘らず、また其の最も頼みとせる米英の援助が殆ど期待し難くなれるに拘らず、尚且抗戦を止めんとせざるところに、吾等は此の四半世紀に於ける支那の非常なる変化を認めねぱならぬ。若し日本が現在の支那を以て、清朝末期又は軍閥時代の支那と同一視して居るならば、直ちに其の認識を更(あらた)めねばならぬ。」「日支両国は何時まで戦い続けなければならぬのか。これ実に国民総体の深き嘆きである。」(大川周明『大東亜秩序建設』一九四二年、第一書房) 

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040414#p1に野原はこう書いた。

「1937年7月8日北京郊外の廬溝橋で銃撃戦があった。7月11日午後8時停戦協定が成った。ではなぜ、日本軍は8年間も中国大陸全体に兵を展開し続けたのだろう?」勝てると思ったのに勝てなかった。中国と日本との間には、今のアメリカとイラクの兵器格差ほどではないかもしれないが、絶対的な兵器の格差があった。だから、具体的な戦闘では(おおむね常に)勝利しつづけることができた。でも勝てなかった。戦争は難しい。今回のイラク戦争ほど短期間で明瞭な勝利をあげられた戦争はない。フセインと二人の息子も手に入れた。ところが勝利はアメリカの手から転げ落ちつつある。

ウィリアム・オドム(元中将、レーガン政権などで安全保障を担当)は言う。

(4月30日にNBCテレビに出演した)「アメリカは、すでにイラクで失

敗することが確定してしまった。今後は、失敗による損害をどれだけ減らせる

か、ということが重要になる。だから、なるべく早く米軍がイラクから撤退す

ることが必要だ。」

http://tanakanews.com/e0518hawk.htm

 オドムは正しい。だが彼は大川や石原莞爾と同じく、国家意志に影響を与えることは出来ずにイラクは泥沼化するだろう。

*1:目者 という字

在日朝鮮人とは

(突然ですが)朝鮮人でたまたま祖父や親の代に日本に来て今もいる人たち、というふうに在日朝鮮人を捉えていた(ような気がする)。だが、だいたい来た時期は1945年以前であり、朝鮮と日本の間には国境はなかった。したがって、いわゆる在日朝鮮人の現在の法的地位は1945年以来の日本政府の法的処置の結果以外の何物でもない。

http://www.han.org/a/half-moon/hm025.html#No.198 から

田中宏・一橋大教授の文章を引いておきます。

  「在日朝鮮人の国籍問題は、第一次大戦後のベルサイユ条約にある国籍選択方式を念頭に置きながら、やがては日本国籍の一斉喪失へ、そして、それ以降の日本国籍取得は『帰化』によって対処する、その際も、『日本国民であった者』とも『日本国籍を失った者』とも扱わないことによって完結した。

  それは、かって帝国臣民たることを強制した者を、一般外国人と全く同じ条件で帰化審査に付すことを意味し、みごとに『歴史の抹消』がなされたと言えよう。

  そもそも、帰化というのは、日本国家がまったく自己の好みによって相手を自由に『選択』できる制度なのである。前にみた西ドイツにおける国籍選択は、オーストリア人の選択に西ドイツが従う制度であり、日本とはまるで正反対である。(後略)」

泥としての子供の擁護

http://barairo.net/ のhippieさんの下記の文章に

http://barairo.net/UStour2004/archives/000031.html

次の通り、コメントを付けました。

hippieさま

 日比野さんのパレスチナ関係の講演とかを、1、2回聴きに行ったことのある野原燐(ハンドルネーム)(男性)と言います。関連したことを最近少し考えたので少し反応させていただきます。

>>日本の一定のフェミ業界では大きな危機感が抱かれ、「憲法の男女平等を守れ」と強く主張している人がいます。

   「危機感」というのはわたしも少しいぶかしい気がしました。わたしの感覚では男女平等というのは法のアプリオリに組み込まれていると感じており、戦前的パラダイムに本気で戻せるのか、え?え? と突っ込めば法的常識の範疇では答えられないと思うのですが。こういう動きは侮蔑してやるという感覚を広げていけばよいのではないでしょうか。

>>また第一章の天皇制の規定は全て削除して、君主制国家としての日本のあり方を共和制国家に変えるべきです。

   同意します。

>>「現在の私たちの生活」は、守るべきものなのではなく、変わるべきもの、変えるべきものです。

   同意します。

さて、24条改正論ですが、

>>「大人になれば結婚すること」を自明視する社会自体を変えるべきだし、結婚しない人が何の不自由なく生きることのできる社会をつくるべきです。

 まあいちゃもんつけになるかもしれませんが、「結婚しない人」というカテゴリーはちょっとあやしい、と感じる。とりあえずわたしは、未婚の母から生まれた子供が増加し幸福に暮らしていける社会を作っていくべきだと考えています。子供を作らない自由は認めます。人間存在とはその過半が泥のようなものではないでしょうか。仏教で言う「生老病死」とは泥のような対象化しにくいエリアです。そうしたエリアを敬遠し生きていく方向に流していこうとするベクトルがわたしたちの世界には流れているのではないでしょうか。そうであるとすれば子供を作らない自由を行使したとしても、同時に子供を育てる自由を行使した方が良いのではないでしょうか。

 日比野さんは子供について一言も触れていないので過剰反応になりますが。子供をどのようなイメージで見ているのかが問題です。子供は愛の結晶ではありません。不定形で不安定な他者です。

護憲派批判という文脈で書かれていたので、別の文脈でのちょっとした違和感について書いてみました。もちろん批判未満であることは自覚しております。

とりとめのない文章ですみませんでした。

関連表現が下記にあるので、よかったら併せて読んでください。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040905#p1

はてなダイアリー – 彎曲していく日常

                   野原燐