イラクはレバノン化するのか?(悲鳴)

 自衛隊がイラクへ行くといっても何しにいくのかが今ひとつはっきりしないのが問題です。子供の使いじゃあるまいし行きますといって、運悪く死傷者が出るとなんのこっちゃではすまないですよね。ところで、相手の攻撃のことを「テロ」というのはもう止めるべきである。ナルシスティクな言葉使いはナルシスティクな認識を生み、結果はより悪くなる。

 さて、話題のイラク人女性によるブログ(日本語訳)

「2003年12月22日 (月) 疑問と恐怖」から、引用します。

http://www.geocities.jp/riverbendblog/

 イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。いまのところは。私の出身は、半分がシーア派、半分がスンニ派であるような一族である。なんにも問題はなかったし、教育ある人々の大半は、この二派の違いをうんぬんしない。八方に敵意を煽り対立を引き起こしている元凶と思えるのは、連合軍暫定当局(CPA )と統治評議会(GC)が養成している対内乱民兵組織だ。これには、チャラビの殺し屋たち、SCIRI過激派とクルド Bayshmargamsの一部が参加することになっている。

 

 わかりやすいが、だが誤った見方は、クルド人やシーア派にとって、これはプラスだというものである。とんでもない。穏健なクルド人とシーア派の大部分は、スンニ派とまったく同じに、この新たな兵/スパイ集団に怒りを募らせている。国民に向けて放たれ、国民をほしいままにすることを意図していると。イラクのいたるところで、敵意と猜疑が増悪するだけのことだ。また、このイラク新軍が占領軍と同様に見境なく拘束と襲撃を行うというなら、さらに多くの血が流されるであろう。

 

 私は、まえにこう言ったことがある。イラク人は、内戦という惨事を引き起こしたり無実の人々を虐殺するような人間ではないと願うし、信じてもいると。そして、私はいま、このところの極度の絶望にもかかわらず、この思いにしがみついている。戦闘の間、レバノンに住んでいた人々から、レバノンの話を聞いたことを思い出す。彼らが取り返しのつかない惨事のことを話すのを聞いていて、いつも同じ疑問がわいてくるのだった__何が下地になったのか? 兆候は何だった? どのようにして起こったのか? そして一番大きな疑問・・・誰かそれを予見したのか?

 イラクのことを何も知らず、しかも偏見だけは持っていて、スンニ派とシーア派というカテゴライズぐらいしかしらない馬鹿なアメリカ人が権力に関与した結果として、もし本当にイラクが内戦状態に陥ったら限りなく不幸なことだ、と思う。上に書いたように、日本人も「テロ」という言葉の使用を止めるべきだ。

シオニズム

シオニズム運動は世紀の変わり目テオドール・ヘルツルによって作られた。

東ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の厳しさに抗したものだ。一方、ユダヤ人の労働者の党ブントは、文化的自治の形での民族的解決を要求した。p76

シオニズムは一つの民族=一つの国家という理想を目指す。パレスチナ、ウガンダ、アルゼンチンの一部のどこかに領土を獲得することが目指された。シオニズムは30年間まったく傍流であり、ユダヤの宗教界からは異端として非難された。(p78)

(1930年代後半ドイツ・オーストリアからユダヤ人移民がやってきた後ですら)パレスチナにおいて、ユダヤ人は土地の5パーセント以下を持ち、30パーセント以下の人口を持つマイノリティだった。p83

で、もっともっとユダヤ人移民を、と叫ばれた。だがパレスチナ全体にユダヤ人国家の建設を主張する、ジャボチンスキー一派は必ずしも多数派ではなかった。マルチン・ブーバー周辺のグループは民族共生国家を唱えた。p84 だが、シオニストは1947年の国連パレスチナ分割案に合意する。分割という考えを受け入れたのではない。取れるところは取る、だが将来その領土を拡大できるよう扉は開け放っておく、という考え方だ。p86

6)ワルシャウスキー『イスラエル=パレスチナ民族共生国家への挑戦』つげ書房新社

を返さないといけない、のでとりあえず、要約してメモ。

トム・ハンドールさんの長い死

2003/04/12 07:46に「Tom Hundallさんがイスラエル自衛隊に撃たれた。」として書いた

http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=188&range=1

Hundallさんですが、長い植物人間状態の後、1月13日とうとう亡くなられたそうです。「トムはイスラエル軍の銃撃から子供たちを助け出そうとしていた時に撃たれました。」

参考url(日本語)

  1. http://www.onweb.to/palestine/siryo/sophie17may03.html(トムのお姉さんのスピーチ)
  2. http://www.onweb.to/palestine/siryo/notagain.html(目撃したIMSメンバーの証言)

1)によれば、(5月の時点で)「IDF(イスラエル国防軍)は、トムが武装し、軍用の迷彩服を着ていて、兵士たちに向かって発砲したという報告を出しています。また、トムが銃撃戦に加わっていたという報告も出しています。」と言っているとのこと。明らかな嘘。

 ところで、2003年12月、トムを狙撃した兵士がイスラエル軍によって逮捕されていることが明らかになりました。おそらくトムの家族と友人たちの不屈の意志がイスラエル当局を追い込んだ効果なのでしょう。

戦争よりも悪いこと

下記の森岡氏の掲示板に今日書き込みました。以下の通り。

http://6113.teacup.com/lifestudies2/bbs

戦争よりも悪いこと 投稿者:野原燐  投稿日:11月25日(火)20時03分35秒

「田中宇の国際ニュース解説」によれば次のような事件があったようです。

——————-

http://tanakanews.com/d1125iraq.htm

9月下旬、バグダッドから北に70キロほどいったイラク中部の町ドルアヤの近郊で、米軍のブルドーザーが果樹園の

木々をすべて根こそぎにする作業が行われた。付近は旧フセイン政権の支持者が多いスンニ派の地域で、米軍に対す

るゲリラ攻撃が頻発していた。米軍は、付近の村人たちを尋問したが、誰もゲリラの居場所を教えなかったため、その「懲罰」として、村人たちが所有するナツメヤシやオレンジ、レモンなどの果樹を、根こそぎ切り倒した。(関連記事)

伐採するなと泣いて頼み込む村人たちを振り切り、ブルドーザーを運転する米軍兵士は、なぜかジャズの音楽をボリューム一杯に流しながら伐採作業を続けた。ナツメヤシは樹齢70年のものもあり、村人たちが先祖代々育ててきた果樹園だった。伐採を止めようと、ブルドーザーの前に身を投げ出した女性の村人もいたが、米兵たちに排除された。

——————-

田中氏が指摘するように、これはイスラエルによるパレスチナ人のオリーブ林の破壊に似ている。だが私の思うにはこの方がもっと悪い。イスラエルはパレスチナ人を予め狭い地域に閉じこめた上で彼らの生活手段を奪っており、パレスチナ人はイスラエル社会に依存して生きるか難民としてその地域から逃げるかを迫られる。(うまくいくかどうかはともかく)イスラエルのやり方には(少しは)合理的根拠がある。しかし、上記の米軍のナツメヤシ破壊はどうだろうか? 広大なイラク全土に住むイラク人たちに反米の怒りをかき立てる以外にどんな効果があるのだろうか。

野原燐

イラク直接選挙でいいのでは?

 酒井啓子さんの『イラク 戦争と占領』岩波新書新刊isbn4-00-430871-2を買った。普通の本屋の一番目立つところに沢山積んであった。良い本なので沢山売れるといいなと思います。さて、1/15日にも「イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。」というイラク人女性の発言を紹介した。この本のp168にも「スンナ派もシーア派もない、イスラームはひとつ」というシーア派宗教行事でのスローガンが紹介されていた。1920年イラク建国前夜、イラク国内の諸勢力は一致団結してイギリスの直接占領を覆していく。そのきっかけになったのは、スンナ派とシーア派が合同で宗教行事を執り行ったことにある。すなわち宗派の別を越えることはナショナリズムの根幹にかかわる一番大事なことである。*1

 統治評議会発足直後シスターニー師は「憲法はイラク国民によって選ばれるべきであり、外国が定めるものではない」とのファトワーを出した*2

 最近(1月)のニュースでは、

(1)【バグダッド12日共同】イラクのイスラム教シーア派最高権威、アリ・シスタニ師は11日、連合国暫定当局(CPA)の主導で決まった間接選挙による暫定政権樹立に反対し、直接選挙を求める声明を発表した。

(2)【ワシントン=近藤豊和】イラクを統治する米英主導の連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は十六日、ホワイトハウスでブッシュ米大統領と会談後に会見し、イラク暫定国民議会の選出問題で多数派のイスラム教シーア派が求める直接選挙は拒否する意向を表明した。

以上のように「直接選挙を求める」イラク人勢力とそれを承認しない占領当局という構図があります。前者の主張は「しごく真っ当な民主主義手続き」の要求だ、と酒井氏は評する。イスラムでも日本でも西欧でも民主主義とは何かについてイメージが違うわけではないのだ。ところがアメリカは違う。「アメリカは戦後のイスラーム勢力の台頭を見た瞬間に、即座の「民主化」がもたらす「イラクのイスラーム政権化」の危険を察知し、「イラク国民の政治参加」のオプションを閉ざしてしまったのである。」*3イラクに民主主義をもたらしにやってきたはずのアメリカが、である。結局の所、(サイードが強調したように)アメリカはイスラムに対し無知で偏見を持ち、その結果「すべてのイスラーム的なものの台頭に対して過度に敏感な反応をして」、事態を「文明の衝突」化してしまう。

 もう一点この本では詳しく書かれているわけではないが、重要だと思うのは、「市場経済化」至上主義を強く推進しようとしている点だ。「生活インフラの回復すらままならない現状で、アメリカが唯一熱心に行っているのはイラク国営企業の解体と民営化である。」*4理念に凝り固まった頭は失敗を認めることができない。

*1:cf同書p185

*2:同書p204

*3:同書p207 地方における草の根民主主義によって選出された知事をアメリカが排除したことについては、p137

*4:同書p227

外務省職員の死から

え、わたしは<悼むな>派です。叩かれるのは嫌だが、旗幟は鮮明にしておこう。昨日書いたあるところに書いた文章と7月にある掲示板に書いた記事とを貼ります。

酒井啓子

下記に酒井啓子氏の文章があった。

http://www.be.asahi.com/20040110/W12/0022.html

カイロにあるアメリカン大学に勤務していた普通の女性が、アメリカがイスラエルの不正に荷担し続けたため、アメリカという看板を背負ってしまったただそれだけのために、どれだけ日々の困難を味あわなければならなかったか、を書いてます。

http://d.hatena.ne.jp/kitou/20040111 に紹介されていた。

アナキスト?の意見 投稿者:野原燐 投稿日:2003/11/30(Sun) 22:31 No.44

 突然失礼します。問答有用掲示板の「イラク日本人大使官員の犠牲は私の身代わり」発言にRESしようとしましたが、わたしのブラウザソフトが悪いのか書き込めませんでした。ここに書き込ませていただきます。「哀悼の気持」を口にすべきではないとわたしは思う。

|突然結論になりますが、MMさんやSSさんのように日本人であることを拒否した人が、|日本の将来について何を言っても説得力は無いのでは…、ということでした。

 わたしはべつに日本人であることを拒否しているつもりはない。ただし、日本という視点から物事を考えるべきだ、という発想には拒否感を持っています。わたしは権利が無いとは思っていないが(税金払っているからね)、「日本の将来について何かを言」う場合、それでも結局は“きみたちの国だからきみたちの好きにすればいいが”という気持ちを持ってないこともない。

              野原燐

>>亡くなられたお二人の方に、心からお哀悼の気持を持っております。

わたし(野原)の気持ちをここに書くつもりはない。思想の問題としては、パレスチナや北朝鮮の死者(可視のまた不可視の)より今回の二人の日本の公務員をより大きく悼まなければならない理由は存在しない。

ビラぐらい受け取れよ

 今日夕方雨はなんとか上がったもののそれでもかなり寒かった。大阪駅でビラを撒いてきました。ビラの裏側は「STOP THE APARTHEITD WALL!!」と壁の写真があり、「Gates are for animals, not for people.」とある。表は「イスラエルはパレスチナ占領地からの即時撤退を!」とある。<パレスチナ平和を考える会>のビラです。わたしがよくビラとか撒いていたのは20年以上前で、その時は時と場所にもよるが渡した人の8割近くが受け取ってくれたようにも思う。今日ビックリしたのは受け取ってくれる人がほとんど居ないことだ。20人か15人に一人くらいしか受け取らない。半分以上の人は会釈してくれるので礼儀正しい方なのだが・・・ ビラは受け取るものだと私の中ではそれが当たり前だと思っていたので、大袈裟に言えばショックでした。民主主義の基礎は言論の自由だとか言っても、だれもそんなことは信じていないのか。建前としてであっても民主主義を支持している以上、ビラくらい受け取るべきだ、と私は思う。

 イスラエル-アメリカ-日本の情勢がどこにあり、そのなかに「イスラエル政府は占領地から即時撤退せよ!」という(極端なと言われてしまうだろう)スローガンを提出することが適切なのかどうか、という疑問はありうるだろう。わたしはこのスローガンで良いと思うが。