中国はUNHCRと協力し脱北者を難民として処遇せよ!

http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics040113.htm から

(2)中国政府は長期拘束中の活動家を解放せよ!

北朝鮮難民救援基金は、難民の生命を助けようとして拘束され、実刑判決を受けた全てのNGOメンバーに解放の恩恵がもたらされることを期待する。9年の実刑判決を受けた韓国人牧師のチェボンイル氏、7年の実刑判決を受けた青年救援活動家のキムヒテ氏、山東省の煙台からボートで62人が脱出を試みて未遂に終わった事件に連座し5年の実刑判決の韓国人救援活動家・崔永勲氏、2年の実刑判決を受けたジャーナリストのソクジェヒョン氏の放免に世界の関心が集まっている。

(1)中国政府は野口氏と脱北者2名を解放せよ

 去年12月10日連絡を絶った北朝鮮難民救援基金の野口孝行さん及び、北朝鮮で生きることができず北朝鮮を脱出した40歳代の女性Aさんと50歳代の男性Bさんの二人は中国当局により拘留されていることが判明している。

彼ら3人を直ちに解放し、脱北者を希望する国へ出国させよ!

 今回のニュースで、アレッと思うところは、野口氏が拘束されたのが、12/10と1ヶ月以上前の日付であること。北朝鮮難民救援基金は活発な運動体でありすぐに事態を把握し普通なら広くアピールするはずだ。基金はあえて沈黙を守った。その理由は上記urlに少し書いてあります。第一のポイントは「当基金が事件発生以来30日間、記者発表をせず忍耐し沈黙を守ってきたのは、あくまでも救援しようとした元在日朝鮮人の脱北者2人の身柄の安全確保を最優先し、事態の把握に努めてきた来たためである。」とのこと。日本人活動家の拘束は加藤氏、山田氏に続いて3人目である。基金としては2度目ということで中国当局はより厳しい対応をしてくる可能性もある。とはいっても、日本人活動家よりずっと弱い立場に置かれているのが脱北者である。脱北者2名の安全をなんとしても獲得していかなければいけない。

 わたしたち(普通の日本人)は日本人の活動家である野口氏の解放をまず第一に願う。他の人のことはそれからだ。それはそうなのだが、同じような活動家で韓国人の場合、拘束が長期化しているひとがいます。その問題にも注目すべきなので、この文章では、順番をあえて逆にしてみました。

Release the two NK defectors!

北朝鮮難民救援基金掲示板に、野口さんと二人の脱北者の早期解放(脱北者については強制送還しないよう求める)中国当局への嘆願書文(英語)の案が載っていました。

無精なわたしですが、今回はメールしてみました。コピペしただけだから、体力の消費はゼロに近いはず。なのに、すこしは疲れた感じがするのは何故?

北朝鮮難民救援基金掲示板 http://538.teacup.com/koretune/bbs

問答有用 と横田めぐみ

問答有用掲示板という所にも下記の「中国は」云々という文章を貼りました。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25165&range=1

関連表現(野原)

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=25196&range=1

横田めぐみさんについてだが、彼女と彼女の両親の苦悩について真剣に考えるのはためになることだと思う。めぐみさんは拉致されたままでその点では変化がない。だが、この問題が国民の間に広く知られ同情されるようになった昨今と、それ以前のはっきり言って日本国家からも見捨てられていた長い長い日々あいだには大きな差異がある。めぐみさんに本当に連帯したいのなら前者ではなく後者に注目する必要があるのはいうまでもない。難民という立場に落ち込んだ者に対しては国家は冷たい。めぐみさんはどうすれば帰ってくるのだろうか。国家という立場ではなく難民という立場で考えた方が、実は効果的だ、という可能性もある。

権益圏の思想

サイードの『オリエンタリズム』を読んで気づくことは、戦前の日本のイデオローグの中国蔑視言説がいかに恥ずかしいものか、ということである。*1

ヨーロッパはオリエントとの長い関わりの中、軍事的経済的勝利を思想的にも展開しオリエンタリズムとなった。日本人の中国蔑視ははっきり言ってその猿真似である。そのちょっと前まで、中国を文化の中心としてむしろ崇拝していたことを忘れた振りをして、(西欧的)文明の名でシナを蔑視する。子安宣邦氏の『「アジア」はどう語られてきたか』は、そのような恥ずかしい日本の思想史を正面から振り返った好著である。*2

復習しよう。1850年頃、欧米先進諸国の軍事力をもってする開港通商の要求によって、東アジアは「資本主義的な世界秩序(システム)」に組み込まれていった。 p25 これはヨーロッパの普遍主義的な「文明」の歴史に自らを編入していくことでもある。p29 1915年、日本による対華21箇条要求は、東アジアの国際秩序の帝国主義的な再編成の要求だった。p31

ところで世界史とは何か? 「世界史」とはまさしく「ヨーロッパ世界史」に他ならない、というのは京都学派による<世界史の哲学>のテーゼである。ヨーロッパに成立する資本主義の発展は、ヨーロッパ外の地域を市場として、資源の供給地として要求し、ヨーロッパ世界の拡張を引き起こす。そして「世界秩序」は国家間の対立を必然的に内包している。この点に関する(京都学派による悪名高い)<世界史の哲学>の認識は、実は、ウォーラーステインの世界システムと世界史の成立についての認識とべつだん変わるものでない。p33

「満州は日本の権益圏である」とはまさにヨーロッパ「世界史の文法」に則った発言である。膨張する日本の権益圏の要求を通じて東アジアは「東亜」という地政学的な概念として再形成される。その後、戦争遂行にとって不可欠な補給基地としての「南方」が権益圏に新たに追加され、「東亜」は自らが盟主とし君臨する領域概念となり、「南方」をも併合して「大東亜」となる。p37

で問題なのは、次の点である。

こうした15年戦争時の認識は、はたして1945年の敗戦によって解体したのだろうか?「軍事大国日本の解体にもかかわらず、帝国日本の世界における、ことにアジアにおける地位をめぐる認識図式を留保させる形で日本は戦後過程を経過したのではないか。日本の戦後処理が対米関係を軸としてなされてきたことは明らかである。そのことはアジアを戦場とした戦争の性格を日本に誤認させ、アジアとの関係の本質的な改善を通して戦後日本を再構築する道を自らに閉ざしてしまった。」p37

 わたしたちは大東亜戦争によってシナ事変を忘れ、大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えることにより日中戦争(シナ事変)の総体は国民大衆の記憶から消えていった。「国家におけるこの明確な修正意志の欠如から、日本の権力機構の頂点から靖国神社問題として、また歴史教科書問題としてたえず歴史見直し論的要求がくりかえし発せられることになるのだ。帝国日本との連続性の欲求は戦後過程を通じて一貫して日本国家によって隠微にもち続けられてきたのだといえる。」p38

でまあその戦前化、軍国主義化は現在一挙に花開いているわけですが、でもはっきり言って、復活したそのものは、戦前に比べてもまったく貧乏くさい、なんだか訳の分からないもの、である。大東亜の大義は大義自体として評価した場合、(アメリカからではなくアジアから見た場合)ちょっとは評価しうるものだ、というのが、彼らの立場ではなかったのだろうか。というかそうでしかありえないと思うのだが、そうではないらしい。現在の彼らは、「アメリカの為に死す」ことが日本国民の誇りである、と主張できるようだ。わたしたちの国家は外国に従属するために存在するのかもしれない。

*1:ちょっともっともらしいがでもやっぱり恥ずかしい。内藤湖南とか

*2:藤原書店;ISBN:4894343355 がどうせ日本では学問は輸入物しか人気がないから、広く読まれることもないでしょう?