酒井啓子さんの『イラク 戦争と占領』岩波新書新刊isbn4-00-430871-2を買った。普通の本屋の一番目立つところに沢山積んであった。良い本なので沢山売れるといいなと思います。さて、1/15日にも「イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。」というイラク人女性の発言を紹介した。この本のp168にも「スンナ派もシーア派もない、イスラームはひとつ」というシーア派宗教行事でのスローガンが紹介されていた。1920年イラク建国前夜、イラク国内の諸勢力は一致団結してイギリスの直接占領を覆していく。そのきっかけになったのは、スンナ派とシーア派が合同で宗教行事を執り行ったことにある。すなわち宗派の別を越えることはナショナリズムの根幹にかかわる一番大事なことである。
統治評議会発足直後シスターニー師は「憲法はイラク国民によって選ばれるべきであり、外国が定めるものではない」とのファトワーを出した
最近(1月)のニュースでは、
(1)【バグダッド12日共同】イラクのイスラム教シーア派最高権威、アリ・シスタニ師は11日、連合国暫定当局(CPA)の主導で決まった間接選挙による暫定政権樹立に反対し、直接選挙を求める声明を発表した。
(2)【ワシントン=近藤豊和】イラクを統治する米英主導の連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は十六日、ホワイトハウスでブッシュ米大統領と会談後に会見し、イラク暫定国民議会の選出問題で多数派のイスラム教シーア派が求める直接選挙は拒否する意向を表明した。
以上のように「直接選挙を求める」イラク人勢力とそれを承認しない占領当局という構図があります。前者の主張は「しごく真っ当な民主主義手続き」の要求だ、と酒井氏は評する。イスラムでも日本でも西欧でも民主主義とは何かについてイメージが違うわけではないのだ。ところがアメリカは違う。「アメリカは戦後のイスラーム勢力の台頭を見た瞬間に、即座の「民主化」がもたらす「イラクのイスラーム政権化」の危険を察知し、「イラク国民の政治参加」のオプションを閉ざしてしまったのである。」イラクに民主主義をもたらしにやってきたはずのアメリカが、である。結局の所、(サイードが強調したように)アメリカはイスラムに対し無知で偏見を持ち、その結果「すべてのイスラーム的なものの台頭に対して過度に敏感な反応をして」、事態を「文明の衝突」化してしまう。
もう一点この本では詳しく書かれているわけではないが、重要だと思うのは、「市場経済化」至上主義を強く推進しようとしている点だ。「生活インフラの回復すらままならない現状で、アメリカが唯一熱心に行っているのはイラク国営企業の解体と民営化である。」理念に凝り固まった頭は失敗を認めることができない。