矢内原忠雄はシオニストか?

(5/25)twitterを見ていると、青山学院大学立て看同好会さんが、
現在、短期大学の中庭でパレスチナ連帯のためのテントを設置しているとして、写真が投稿されていた。
https://x.com/agutatekan/status/1793864524812148916
「虐げらるるものの解放 沈めるものの向上 自主独立なるものの 平和的結合」(矢内原忠雄)という文章を書いたダンボールが手前に掲示されていた。

さてこれに対して、彩サフィーヤさんが、「矢内原忠雄はちょっと。(略 注1)青山学院大学はキリスト教の大学なのですからキリスト教シオニズムにここまで無頓着であってほしくありません。」とコメントされた。https://x.com/Agiasaphia/status/1794299123115729099

わたしは最初見逃していたので矢内原忠雄って何だろうと写真をよく見ると、ダンボールに書いてあった。
矢内原忠雄とシオニズムあるいは植民地主義との間には大変「微妙な」関係がある! 長くなって恐縮だが、ちょっと書きます。
(として、直接twitterにコメントした)

1.1922年に矢内原はパレスチナを訪問している。
「誰も勇ましく愉快げに石を取り除き苗を植え乳をしぼり道を築いて居ります。パレスチナは(略)その現状は禿山と石地ばかりの仕方ない土地なのです。モハメット教徒特にトルコ人がパレスチナの主人となりてよりこんなに土地を荒蕪にしてしまいました。しかしユダヤ人は言っています「イスラエル人がイスラエルの地に帰る時この荒地より何が出てくるか見て居れ」と。そして本当に荒地より緑野が出つつあるのです。(略)私は聖書の預言より見てもイスラエルの恢復の必然なるを信じます。」p214
「パレスチナに帰来せんとしつつあるシオン運動」を創世記からの宗教的伝統として、終末論的に希求してしまう思想。

2.「資本と労働とが人口希薄なる地域に投ぜられ、人類の努力を以て土地の自然的条件を改良し、地球表面に荒野なきに至らしむるのが植民活動の終局理想である。シオン運動は反動的にあらず却って歴史進展の必然性を帯ぶ。そはまた不法的にあらず却って国際正義の是認する処である。人類的見地より観れば「六七十万のアラビア人がパレスチナの所有権を主張する権利はない」のである。p218
土地の生産力という観点から入植活動を是認。実質的植民論(理想主義的植民)。

3,ロシア革命や米騒動など国内外の革命的情勢の中に神の声を聞こうとする「預言者的ナショナリズム」ともいうべき社会正義実現への志向において、「再臨信仰」を抱いた内村鑑三。その強い影響下で矢内原もまた「再臨信仰」を持つ。戦後、キリストの幕屋を開いた手島郁郎の先輩に当たることになる。参考p214

4,以上、役重善洋さんの『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム』から3箇所不正確に引用した。

最後に、役重さんの結論部分も引用しておく。
「信仰と愛国心の調和を強く信じた内村の再臨信仰を受け継ぎつつも、その実現に向けた信者個々人の倫理的実践に重きを置いた矢内原の姿勢は、1920年代においては「実質的植民」概念に基づく植民政策論を生み出し、1930年代以降には「預言者的ナショナリズム」に基づく軍国主義批判を可能とした。しかし、その宗教ナショナリズム的な民族観においては、植民地支配下における宗教的・民族的「他者」である民衆の生活意識に寄り添おうとする意識は後退せざるを得ず、シオニズム運動や満州移民政策において動員されていた宗教的・精神主義的レトリックを客観的に批判する視点を持ち得なかったと言える。」p239

よく知らないのだが、矢内原をリベラリストとして持ち上げることをもっぱらにしてきた甘さの存在は、キリスト教関係者と一部の左翼がパレスチナ問題に沈黙しがちだという事実とつながっているだろう。
ただし、現在の論点は、ジェノサイドの糾弾であり、シオニスト左派の矢内原であっても行うしかないものであるのは自明である。

(注1)彩サフィーヤさん発言の略した部分は、「「ろくに知りもしない人がノリだけでなんかイイことしてるつもりで運動やってる」というような非難にはふだんは同調しませんが(それはそれでいいだろうと思う)、」であり、この部分にもわたしは同意したい!

追加:矢内原忠雄のことをほとんど知らなかったので、少し引用を追加しておきます。
☆「1937(昭和12)年7月に勃発した日中戦争(盧溝橋事件)により、新たな衝撃を受けた矢内原は、8月、「炎熱の中にありて、骨をペンとし血と汗をインクとして」書いた論文「国家の理想」を『中央公論』9月号に寄稿した。
論文の中で矢内原は、国家の理想は正義と平和にあり、戦争という方法によって弱者を虐げることではない、戦争は国家の理想に反する、理想に従って歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びるものだ、と述べた。
https://www.netekklesia.com/untitled-cj5t
これらにより、矢内原は大学を辞めさせられる。

☆その後、彼は個人誌『嘉信(かしん)』を出し「時局預言と聖書講義を通して真理の戦い」を続ける。
しかし44年遂に廃刊命令。しかし、
「「真理」は国法よりも大なりとの確信から、法律に触れることを恐れず1945年1月新たに『嘉信会報』を刊行し戦いを続けました。1945年8月15日、真理を敵にまわした日本軍は降伏しました。矢内原のように戦争の終りまで平和主義、非戦論を唱え、軍国主義に反対を守り貫いた人はほんのわずかしかいません。歴史学者の家永三郎は矢内原を「日本人の良心」と呼んでいます。
https://ainogakuen.ed.jp/academy/bible/kate/00/yanaihara.life.html

☆以上のように、戦争の最終期までリベラリストとして発言し続けた人はほとんど他にはいない(くらい)。
しかし、それを可能にしたのは、再臨信仰に関わる「預言者的ナショナリズム」であった。そして、(自らは孤立しているとはいえ)「聖書が預言しているイスラエルの恢復」と通う位相のものだと信じ、戦い続けたのだろう。

☆戦後、矢内原は「敢然(かんぜん)と侵略戦争の推進に正面から反対した良心的な日本人」として、栄誉を獲得した。しかし、余りに孤立した栄誉であったため、彼の思想を細部にわたり検証し、戦争と国家に向き合う思想者は何が可能で何が不可能なのかといった問いによって、真実を深めていくといった作業は果たされなかったのではないか。
「平和主義、非戦論、軍国主義反対」に情緒的に合唱していくことが流行る時代だった。
「彼らは心に神を留(と)めることを望まないので、神も彼らを〔その〕為(な)すがままに放任して、殺戮(さつりく)に渡されたのである」シオンの神は時として大殺戮を認めることもある、そのような厳しい信仰なしには、矢内原の抵抗は不可能だった。

赤ヘルになれなかったわたし

今日は、シリーズ「グローバル・ジャスティス」第72回「新たなモラル・コンパスを求めて-『自壊する欧米―ガザ危機が問うダブルスタンダード』刊行記念セミナー というのをzoomで聞いた。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科という大学の公式の企画かな。https://www.doshisha.ac.jp/event/detail/001-pxPDtH.html

最初、三牧聖子さん(初めて知った方だが)の米国の大学での学生たちの反ジェノサイド抵抗運動の話。内藤正典さんはドイツが「イスラエルは、ドイツのRaison d’etre(レゾンデートル)ならぬRaison d’etat とかわけの分からないことを言って」、ガザの子どもを殺すなとか言うとすぐに弾圧されると言っておられた。また、本来反ユダヤ主義の本家のはずのヨーロッパの極右は今は、どこも反イスラムという目的のためにイスラエルに全面賛同している、これは非常に危険だと言っておられた。
司会は、先日『ケアの倫理』の合評会を聞いたばかりの岡野八代さん。最後に、同志社大学でも学生の政治活動は禁じられていて云々という質問を彼女はあえて読み上げた。(先生だけズルイ、という趣旨の書き込み?)

私の学生時代は、京大と同志社は赤ヘル(ブント系ノンセクト)にあらずんばひとにあらずくらいの勢いだったので、時代は変われば変わるものだ。(注1)
気になったのでちょっと調べると、「ロッド空港乱射事件を起こした奥平剛士は、京大パルチザンの活動家」。「パルチ」でも赤軍でも、パレスチナに行こうとした人は同志社にも居たかもだが名前は上がってない。同志社ではよど号グループの若林盛亮が有名。

私が大学2年の5月にロッド空港乱射事件があり、それを記念したオリオンの三ツ星が京大西部講堂には大きく輝いていた。
テロという方法は良くないという意見の人はいたが、反イスラエルにはアラブの大義があるという認識は当時は広く共有されていたと思う。
以来52年経ち、今回のガザの事態を受け、私も人並みに本を読んだり勉強したりも少ししたが、少し白けているところもある。核心部分は50年前から分かっていた。そう言っても少しもおかしくはないのだ。
わたしは50年間特に何もしなかった。もっと何ができただろうしした方が良かったのか。世界のあるエリアで圧倒的な不条理・悲惨があり、それを知っていても何の力にもならない。だからといって声をあげることが無力だとか、絶望におちいる必要はない。真剣に考えれば心身をすり減らすことになる。世界の矛盾を倫理的に受取り、何かしなければとあせる、そういうのも違うとわたしは、思っていた。
そのようにぼーっと時間が経ってしまった。イスラエル/パレスチナの状況は基本50年間変わらないし、どんどんひどくなっている。それはただの事実だ。

現在、欧米・イスラエル側からの情報だけにより、偏った世界認識をもっている人は多いだろう。
70歳以上のひとといっても「オリオンの三ツ星」を身近に感じるという機会がなかった人が大部分ではあるだろう。しかしわたしの友人間ではわたしのような感じ方は普通だったと思う。
オスロ合意までは、アラブの大義は中東諸国で圧倒的に支持されていた。日本国内でも、そのような世界認識(常識)は(少数でも)存在していたのだ、と言って置きたいのだ。もちろん当時も、それは政治思想やイデオロギーの問題でもあっただろう。政治思想やイデオロギーを持っても当然であった時代、ということだろうか。

平和と民主主義を説く欧米のエリート(のうちの多数派)が、問題をむりやりややこしくして、ジェノサイドの糾弾すらできないようなていたらくに落ち込んでしまったように見える。この点ではある意味、無学な日本人である方が有利だと思ってしまう。まさに『自壊する欧米の倫理』だろう。
素人がエリートの膨大な言説に抗うのは困難だ。しかし、50年間を素直に振り返ると、私の方が正しいと思える。

(注1)大学1年の最後の3月に、連赤事件で死体が山の中からどんどん出てきて、世間の空気も学生の空気も変わった、ただし、京大学生の赤ヘル比率はそんなに減ってなかったと思う。
2024.5.18〜 

兵士になること(ヴォランティア)

「ロシアには屈しない ウクライナ 市民ボランティアの戦い」
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/3644Q6GXL3/
というNHKの番組を見た(元はBBC)。

 ヘルソンの隣町ムィコラーイウ で闘う市民ボランティアたち(今まで従軍したことがないし、訓練もほとんど受けていない)。ヴォランティアといっても実際に戦闘行為をしている。主にインターネットやドローンで敵の位置確認をしている人たちが居る。ドローンで敵めがけてまっすぐに爆弾投下すれば人が死ぬ(かなりの確実で)。もっと大きな爆弾を撃っている人たちはどこから見ても軍事行動だ。

 敵の数人もいっぺんに吹っ飛ぶような爆弾を上手く落として、敵が死ぬことを喜ぶのは、普段の倫理感からは大きく離れている。しかし、戦争とは敵の死を喜ぶことであろう。
 ウクライナは格別悪いことはしていない。だのにある日自分の住んでいる町が占領され自由が奪われる。その町に住んでいる人にとって悪いのは、一方的に相手(プーチン)側である。そのとき敵を倒し、敵を殺すことは善となる。

日本人はこの価値転換を是認しない人が多い。戦争は悪だ、という思想である。しかし、現実に侵略されたウクライナ人やかって侵略された中国人にとって、祖国(郷土)を守るために戦うのは、大きな決意をもってある〈善〉に投企することだ。
 日本人はこのような侵略に対する抵抗としての善なる市民戦争を体験したことがない。元寇は確かに侵略に対する抵抗ではあったが、戦ったのは武士であり市民ではない。
 臆病な普通の市民が銃を取るとき、そこにはパトリオティズムが微小だけれども立ち上がると考えうる。太古の昔から日本という国家が存在し、自分はそれに内包された存在だという日本人的存在感覚がわたしたちの間には深く根付いているが、それは信仰であり、普遍性はない。大きな敵がやってくることはあり、自分が去就を問われることもあるだろう。

私は一切の暴力を否定する、一切の戦争を否定する、戦争が起これば逃げる、あるいは降伏する、それはそれで一つの思想だろう。それに自分を賭けられるだけの深みが、あるのであれば。
 しかし日本人は戦後ずっと、兵火にさらされることなく生きてこれた。戦争中も本土の人は一方的に空襲とか受けるばかりで、自分が銃を取るか取らないかという決断をした人はほとんどいない。
 強大な軍隊に守られているとされる立場でぬくぬくと半生を過ごしながら、自分が厳しく問い詰められる可能性がないからそう言いうるだけである可能性もあるのに、倫理的に立派な平和主義を得意そうに口にするのは、(たいていの場合)非常に罪深い行為であるのではないか、と私は思ってしまう。

あなたが自分自身の命を掛けて、すべてを賭けて戦ったとしても、それは「戦争」である。つまり市民が行うゲームなのではなく、プーチンという巨大な帝国とゼレンスキーとそれを支援する欧米諸国という国際政治学的なゲームなのだ。
 参加しているひとりの市民の思い、憎しみや悲しみ、郷土への愛情は直接はカウントされない。あなたたち数人の必死の行動はどちらにしても「微細な戦果」に結果するだけだ。戦果の積み重ねが勝敗(この場合はプーチンの撤退)に影響するかどうかは分からない。それは無駄な抵抗であり、結果的に人名の損傷を増やしただけだと評価されるかもしれない。しかし他人の評価とは別に、自分の評価を信じるしかない。自分の命を掛けているのだから。

 ボランティアと兵士というのは日本では全く逆の意味と捉えられるが、ヨーロッパではそうではない。自分が自分の命を賭けることの、その決意という目に見えないものの集積が、共和国であり、ネーションであるのだ。

 ネーションというものは成立した途端に、私たちを抑圧するものという姿を見せる。であるとしても、敵を倒すために殺すことをさえ選んだヴォランティアたちを私は尊敬する。思想の差異があるかもしれないとしても。

もし私がウクライナに居て若くて元気だったとしても、銃を持つかどうかは分からない。実践的にはともかく、思想的に「持たないこと」が正しいのか。正しいと今の私は言い切れない。
 ただ正しくないと言う人が、「安全圏から偉そうに言っている」だけではないか、と思ったのでそう書いてみた。

イスラム映画祭2022感想

イスラム映画祭、終わっちゃったが、今年は特に女性映画の傑作が多かったと思う。本当に感動した!
『ヌーラは光を追う』ヒンド・サブリー主演。『ある歌い女の思い出』でやせっぽちの少女だったサブリーが、たくましく美しくなっている。すごく魅惑されてしまった。
テンポの良いストーリー展開。一般公開してほしい。

『ソフィアの願い』モロッコでは婚前交渉を行った者は1年以内の懲役。未婚の女性が突然破水、どうなるのかなと思ったら、これはちょっとびっくりする映画!
(映画には関係ないが日本では婚前交渉は当たり前だが、妊娠すればほぼ自動的に堕胎される。それも実はおかしいと思う。)

辻上奈美江さんによれば、この映画はルッキズムへの異議申し立てを見事に表現しているという。主人公ソフィアは「絶望的な表情を貫き、服装、立ち居振る舞いなど多くの人が美しいとは思えないだろう所作を意識的に演出しています。」そういわれるとなるほどと納得してしまう。完璧なフランス語を話す美貌の姉(しかも完璧に優しい)との対比が常に強調されている。
ルッキズム批判とかさかしらに口にしている人もいるみたいだがあまりピンとこなかった。このマーナーな映画は大きな達成を成し遂げていると評価できるのではないか。
ビンムバーラタ監督になぜそれが可能だったか。欧州とアフリカの境界の街では、美と不美人との落差はあからさまである。フランス的なものは美しくアフリカ的なものはそうではない。この構造を最初から突き付けられるのがモロッコの映画作家だからこそ、このような映画が作れたのだ。

『天国と大地の間で』ナジュワー・ナッジール監督。
若い男ターメルはパレスチナ難民だが1993年のオスロ合意で西岸ラーマッラーの高級住宅地に住んでいる。妻サルマはイスラエルのパレスチナ人でイスラエル市民権を持っている。二人は5年間の新婚生活に倦み、離婚を決意する。ただ映画では二人はそれほど仲悪そうにも見えず違和感がある。この夫婦はオスロ合意あるいはパレスチナ自治政府の暗喩なのだ。「譲歩して譲歩して疲れてしまった」みたいなセリフがあった。
離婚届を出しに夫婦はイスラエル領内に入る。パレスチナ問題というとユダヤ/パレスチナの問題だけかと思うがそうではなく、かってユダヤ人でも反体制派(共産主義者)が存在し、ナクバにおいて新支配者たちに必死の抵抗をしていた。サルマの父もそうでありターメルの父はその中で殺されていた。ターメルの父ガッサンに戸籍の空白があると指摘され二人は調査の旅に出る。彼は若い頃ハジャルというユダヤ人女性と暮らしていたらしいが。云々。パレスチナ人と並ぶユダヤ国家の犠牲者である「ミズラヒーム(=東方系ユダヤ人)」については省略。https://www.motoei.com/eventreport/islam7_0503event/
岡真理さんの解説を読むと、世界から多様性を消し去り、「ユダヤ」対「アラブ」という二項対立的価値観に押し込めること、そのことなしにはシオニズム国家イスラエルは成立しない、というふうなことなのかと思った。
夫婦は離婚したのか?たぶんしなかったのかも。パレスチナ自治政府は存在し、パレスチナ国もたぶん存在するから。絶望とともに。

去年のイスラム映画祭でやった『シェヘラザードの日記』はレバノンの女子刑務所におけるドラマセラピーを扱った映画だった。https://twitter.com/noharra/status/1389948467649286150
ボスニア・ヘルツェゴビナでは1992-1995、セルビア人、ムスリム人、クロアチア人が混住している地域だったが、独立の機運が高まり、3年半に渡り全土で紛争が続いた。
今年の『泣けない男たち』はその戦争で心に深い傷を負った(被害者として加害者として)、男たちにドラマセラピーを施そうとする話である。男たちはどうしても触れることができない心の傷を20年以上も隠し続けている。それを語り演じてみようとすること。それによって初めて凍結させていたタブーを溶くことができるはずだが。男たちは次第にふざけあったりもできるようになる。プールで水を掛け合う場面は印象的。しかし解放は難しく、激しい自傷や加害が起こってしまう。20年前の傷を癒やすために歩まなければならない具体的道行きは長い。
戦争は多くの人に長い長い苦しみを与えるものなのだ。いままであまり語られて来なかったが。

http://islamicff.com/movies.html イスラーム映画祭2022

読んでみてね。Baghdad Burning

http://www.geocities.jp/riverbendblog/index.html 

リバーベンドさんのブログについては、id:noharra:20040409 id:noharra:20040504でも引用した。2003年8月から始まり、11/29分まで翻訳されている。7月には400頁以上もある本が東京で出版されている。isbn:4901006754 C0031 図書館にあったので借りてみた。

  1. アメリカ人は(日本人も)イラクをアフガニスタンと同じような途上国だと思っており、インターネット利用者やブロガーがいるとは思っていない。
  2. アメリカの侵攻前、イラクは(アラブでは)女性の社会進出が最も進んだ国であり、現にリバーベンドも男性と同じ給料で楽しく働いていた。
  3. アメリカの侵攻前、イラクではイスラム原理主義者は全く影響力を持っていなかった。

などなどはイラク人にとっていまさら確認するまでもない当たり前のことである。イラク人の生活に関わる情勢は、ブログが始まった去年8月から考えても悪化するばかりである。それを是正できない原因の一つは、「イラクは遅れた国であり、それを是正するためには悪を摘出し排除しなければならない」というアメリカが持つオリエンタリズムにある。リバーベンドが1年半努力してもその簡単なことが日本の大衆にはなかなか伝わらない。日本人は名誉白人だと思いたいのだろう。その地位がおびやかされているからこそ中国人差別が必要になる。

 で、同じ問題がどう表れるかだが、強調したいことがもう一つある。

2003年8月28日の記事による。

バグダード東南端の新ディアール橋の再建費用の見積もりの要求があるイラク人技術者(リバーベンドのいとこ)にきた。「いとこは、部下を集め、その橋の破壊状況を調査し、被害はそれほど大規模ではないものの費用がかかると結論を出した。いとこたちは、必要なテストと分析を行い(土壌構造と水深、伸縮継ぎ目と桁といったことがら)、金額を算出して、概算見積として提出した___30万ドルだった。これには、企画設計費用、原材料(イラクでは実に安い)、人件費、下請け費用、旅費などが含まれていた。」彼の会社は優秀で、17年以上も橋建設に関わっており、第一次湾岸戦争で破壊された133の橋のうち20を再建した。

「1週間後、新ディアール橋の契約は、あるアメリカの会社にいった。よく聞いて!この当の会社は、橋再建費用を約5千万ドル(!!)と見積もったのである。」

 イラクの復興を目的に掲げながら、イラク人に仕事を与えようとしない。Halliburton(勝手に変換されたがこれであっているのか)に類する企業に過大な利益を与えることには寛容である。このような経済運営もイラクの復興にマイナスの影響を与え続けているだろう。1年半も前のことを取り上げるのは、同質の問題が現在も継続しているだろうと思えるからだ。

(タイトルを、あるおとなり日記よりお借りしました。ありがとう。)

トム・ハンドールさんの長い死

2003/04/12 07:46に「Tom Hundallさんがイスラエル自衛隊に撃たれた。」として書いた

http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=188&range=1

Hundallさんですが、長い植物人間状態の後、1月13日とうとう亡くなられたそうです。「トムはイスラエル軍の銃撃から子供たちを助け出そうとしていた時に撃たれました。」

参考url(日本語)

  1. http://www.onweb.to/palestine/siryo/sophie17may03.html(トムのお姉さんのスピーチ)
  2. http://www.onweb.to/palestine/siryo/notagain.html(目撃したIMSメンバーの証言)

1)によれば、(5月の時点で)「IDF(イスラエル国防軍)は、トムが武装し、軍用の迷彩服を着ていて、兵士たちに向かって発砲したという報告を出しています。また、トムが銃撃戦に加わっていたという報告も出しています。」と言っているとのこと。明らかな嘘。

 ところで、2003年12月、トムを狙撃した兵士がイスラエル軍によって逮捕されていることが明らかになりました。おそらくトムの家族と友人たちの不屈の意志がイスラエル当局を追い込んだ効果なのでしょう。

戦争よりも悪いこと

下記の森岡氏の掲示板に今日書き込みました。以下の通り。

http://6113.teacup.com/lifestudies2/bbs

戦争よりも悪いこと 投稿者:野原燐  投稿日:11月25日(火)20時03分35秒

「田中宇の国際ニュース解説」によれば次のような事件があったようです。

——————-

http://tanakanews.com/d1125iraq.htm

9月下旬、バグダッドから北に70キロほどいったイラク中部の町ドルアヤの近郊で、米軍のブルドーザーが果樹園の

木々をすべて根こそぎにする作業が行われた。付近は旧フセイン政権の支持者が多いスンニ派の地域で、米軍に対す

るゲリラ攻撃が頻発していた。米軍は、付近の村人たちを尋問したが、誰もゲリラの居場所を教えなかったため、その「懲罰」として、村人たちが所有するナツメヤシやオレンジ、レモンなどの果樹を、根こそぎ切り倒した。(関連記事)

伐採するなと泣いて頼み込む村人たちを振り切り、ブルドーザーを運転する米軍兵士は、なぜかジャズの音楽をボリューム一杯に流しながら伐採作業を続けた。ナツメヤシは樹齢70年のものもあり、村人たちが先祖代々育ててきた果樹園だった。伐採を止めようと、ブルドーザーの前に身を投げ出した女性の村人もいたが、米兵たちに排除された。

——————-

田中氏が指摘するように、これはイスラエルによるパレスチナ人のオリーブ林の破壊に似ている。だが私の思うにはこの方がもっと悪い。イスラエルはパレスチナ人を予め狭い地域に閉じこめた上で彼らの生活手段を奪っており、パレスチナ人はイスラエル社会に依存して生きるか難民としてその地域から逃げるかを迫られる。(うまくいくかどうかはともかく)イスラエルのやり方には(少しは)合理的根拠がある。しかし、上記の米軍のナツメヤシ破壊はどうだろうか? 広大なイラク全土に住むイラク人たちに反米の怒りをかき立てる以外にどんな効果があるのだろうか。

野原燐

イラク直接選挙でいいのでは?

 酒井啓子さんの『イラク 戦争と占領』岩波新書新刊isbn4-00-430871-2を買った。普通の本屋の一番目立つところに沢山積んであった。良い本なので沢山売れるといいなと思います。さて、1/15日にも「イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。」というイラク人女性の発言を紹介した。この本のp168にも「スンナ派もシーア派もない、イスラームはひとつ」というシーア派宗教行事でのスローガンが紹介されていた。1920年イラク建国前夜、イラク国内の諸勢力は一致団結してイギリスの直接占領を覆していく。そのきっかけになったのは、スンナ派とシーア派が合同で宗教行事を執り行ったことにある。すなわち宗派の別を越えることはナショナリズムの根幹にかかわる一番大事なことである。*1

 統治評議会発足直後シスターニー師は「憲法はイラク国民によって選ばれるべきであり、外国が定めるものではない」とのファトワーを出した*2

 最近(1月)のニュースでは、

(1)【バグダッド12日共同】イラクのイスラム教シーア派最高権威、アリ・シスタニ師は11日、連合国暫定当局(CPA)の主導で決まった間接選挙による暫定政権樹立に反対し、直接選挙を求める声明を発表した。

(2)【ワシントン=近藤豊和】イラクを統治する米英主導の連合軍暫定当局(CPA)のブレマー代表は十六日、ホワイトハウスでブッシュ米大統領と会談後に会見し、イラク暫定国民議会の選出問題で多数派のイスラム教シーア派が求める直接選挙は拒否する意向を表明した。

以上のように「直接選挙を求める」イラク人勢力とそれを承認しない占領当局という構図があります。前者の主張は「しごく真っ当な民主主義手続き」の要求だ、と酒井氏は評する。イスラムでも日本でも西欧でも民主主義とは何かについてイメージが違うわけではないのだ。ところがアメリカは違う。「アメリカは戦後のイスラーム勢力の台頭を見た瞬間に、即座の「民主化」がもたらす「イラクのイスラーム政権化」の危険を察知し、「イラク国民の政治参加」のオプションを閉ざしてしまったのである。」*3イラクに民主主義をもたらしにやってきたはずのアメリカが、である。結局の所、(サイードが強調したように)アメリカはイスラムに対し無知で偏見を持ち、その結果「すべてのイスラーム的なものの台頭に対して過度に敏感な反応をして」、事態を「文明の衝突」化してしまう。

 もう一点この本では詳しく書かれているわけではないが、重要だと思うのは、「市場経済化」至上主義を強く推進しようとしている点だ。「生活インフラの回復すらままならない現状で、アメリカが唯一熱心に行っているのはイラク国営企業の解体と民営化である。」*4理念に凝り固まった頭は失敗を認めることができない。

*1:cf同書p185

*2:同書p204

*3:同書p207 地方における草の根民主主義によって選出された知事をアメリカが排除したことについては、p137

*4:同書p227

外務省職員の死から

え、わたしは<悼むな>派です。叩かれるのは嫌だが、旗幟は鮮明にしておこう。昨日書いたあるところに書いた文章と7月にある掲示板に書いた記事とを貼ります。

酒井啓子

下記に酒井啓子氏の文章があった。

http://www.be.asahi.com/20040110/W12/0022.html

カイロにあるアメリカン大学に勤務していた普通の女性が、アメリカがイスラエルの不正に荷担し続けたため、アメリカという看板を背負ってしまったただそれだけのために、どれだけ日々の困難を味あわなければならなかったか、を書いてます。

http://d.hatena.ne.jp/kitou/20040111 に紹介されていた。