矢内原忠雄はシオニストか?

(5/25)twitterを見ていると、青山学院大学立て看同好会さんが、
現在、短期大学の中庭でパレスチナ連帯のためのテントを設置しているとして、写真が投稿されていた。
https://x.com/agutatekan/status/1793864524812148916
「虐げらるるものの解放 沈めるものの向上 自主独立なるものの 平和的結合」(矢内原忠雄)という文章を書いたダンボールが手前に掲示されていた。

さてこれに対して、彩サフィーヤさんが、「矢内原忠雄はちょっと。(略 注1)青山学院大学はキリスト教の大学なのですからキリスト教シオニズムにここまで無頓着であってほしくありません。」とコメントされた。https://x.com/Agiasaphia/status/1794299123115729099

わたしは最初見逃していたので矢内原忠雄って何だろうと写真をよく見ると、ダンボールに書いてあった。
矢内原忠雄とシオニズムあるいは植民地主義との間には大変「微妙な」関係がある! 長くなって恐縮だが、ちょっと書きます。
(として、直接twitterにコメントした)

1.1922年に矢内原はパレスチナを訪問している。
「誰も勇ましく愉快げに石を取り除き苗を植え乳をしぼり道を築いて居ります。パレスチナは(略)その現状は禿山と石地ばかりの仕方ない土地なのです。モハメット教徒特にトルコ人がパレスチナの主人となりてよりこんなに土地を荒蕪にしてしまいました。しかしユダヤ人は言っています「イスラエル人がイスラエルの地に帰る時この荒地より何が出てくるか見て居れ」と。そして本当に荒地より緑野が出つつあるのです。(略)私は聖書の預言より見てもイスラエルの恢復の必然なるを信じます。」p214
「パレスチナに帰来せんとしつつあるシオン運動」を創世記からの宗教的伝統として、終末論的に希求してしまう思想。

2.「資本と労働とが人口希薄なる地域に投ぜられ、人類の努力を以て土地の自然的条件を改良し、地球表面に荒野なきに至らしむるのが植民活動の終局理想である。シオン運動は反動的にあらず却って歴史進展の必然性を帯ぶ。そはまた不法的にあらず却って国際正義の是認する処である。人類的見地より観れば「六七十万のアラビア人がパレスチナの所有権を主張する権利はない」のである。p218
土地の生産力という観点から入植活動を是認。実質的植民論(理想主義的植民)。

3,ロシア革命や米騒動など国内外の革命的情勢の中に神の声を聞こうとする「預言者的ナショナリズム」ともいうべき社会正義実現への志向において、「再臨信仰」を抱いた内村鑑三。その強い影響下で矢内原もまた「再臨信仰」を持つ。戦後、キリストの幕屋を開いた手島郁郎の先輩に当たることになる。参考p214

4,以上、役重善洋さんの『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム』から3箇所不正確に引用した。

最後に、役重さんの結論部分も引用しておく。
「信仰と愛国心の調和を強く信じた内村の再臨信仰を受け継ぎつつも、その実現に向けた信者個々人の倫理的実践に重きを置いた矢内原の姿勢は、1920年代においては「実質的植民」概念に基づく植民政策論を生み出し、1930年代以降には「預言者的ナショナリズム」に基づく軍国主義批判を可能とした。しかし、その宗教ナショナリズム的な民族観においては、植民地支配下における宗教的・民族的「他者」である民衆の生活意識に寄り添おうとする意識は後退せざるを得ず、シオニズム運動や満州移民政策において動員されていた宗教的・精神主義的レトリックを客観的に批判する視点を持ち得なかったと言える。」p239

よく知らないのだが、矢内原をリベラリストとして持ち上げることをもっぱらにしてきた甘さの存在は、キリスト教関係者と一部の左翼がパレスチナ問題に沈黙しがちだという事実とつながっているだろう。
ただし、現在の論点は、ジェノサイドの糾弾であり、シオニスト左派の矢内原であっても行うしかないものであるのは自明である。

(注1)彩サフィーヤさん発言の略した部分は、「「ろくに知りもしない人がノリだけでなんかイイことしてるつもりで運動やってる」というような非難にはふだんは同調しませんが(それはそれでいいだろうと思う)、」であり、この部分にもわたしは同意したい!

追加:矢内原忠雄のことをほとんど知らなかったので、少し引用を追加しておきます。
☆「1937(昭和12)年7月に勃発した日中戦争(盧溝橋事件)により、新たな衝撃を受けた矢内原は、8月、「炎熱の中にありて、骨をペンとし血と汗をインクとして」書いた論文「国家の理想」を『中央公論』9月号に寄稿した。
論文の中で矢内原は、国家の理想は正義と平和にあり、戦争という方法によって弱者を虐げることではない、戦争は国家の理想に反する、理想に従って歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びるものだ、と述べた。
https://www.netekklesia.com/untitled-cj5t
これらにより、矢内原は大学を辞めさせられる。

☆その後、彼は個人誌『嘉信(かしん)』を出し「時局預言と聖書講義を通して真理の戦い」を続ける。
しかし44年遂に廃刊命令。しかし、
「「真理」は国法よりも大なりとの確信から、法律に触れることを恐れず1945年1月新たに『嘉信会報』を刊行し戦いを続けました。1945年8月15日、真理を敵にまわした日本軍は降伏しました。矢内原のように戦争の終りまで平和主義、非戦論を唱え、軍国主義に反対を守り貫いた人はほんのわずかしかいません。歴史学者の家永三郎は矢内原を「日本人の良心」と呼んでいます。
https://ainogakuen.ed.jp/academy/bible/kate/00/yanaihara.life.html

☆以上のように、戦争の最終期までリベラリストとして発言し続けた人はほとんど他にはいない(くらい)。
しかし、それを可能にしたのは、再臨信仰に関わる「預言者的ナショナリズム」であった。そして、(自らは孤立しているとはいえ)「聖書が預言しているイスラエルの恢復」と通う位相のものだと信じ、戦い続けたのだろう。

☆戦後、矢内原は「敢然(かんぜん)と侵略戦争の推進に正面から反対した良心的な日本人」として、栄誉を獲得した。しかし、余りに孤立した栄誉であったため、彼の思想を細部にわたり検証し、戦争と国家に向き合う思想者は何が可能で何が不可能なのかといった問いによって、真実を深めていくといった作業は果たされなかったのではないか。
「平和主義、非戦論、軍国主義反対」に情緒的に合唱していくことが流行る時代だった。
「彼らは心に神を留(と)めることを望まないので、神も彼らを〔その〕為(な)すがままに放任して、殺戮(さつりく)に渡されたのである」シオンの神は時として大殺戮を認めることもある、そのような厳しい信仰なしには、矢内原の抵抗は不可能だった。

赤ヘルになれなかったわたし

今日は、シリーズ「グローバル・ジャスティス」第72回「新たなモラル・コンパスを求めて-『自壊する欧米―ガザ危機が問うダブルスタンダード』刊行記念セミナー というのをzoomで聞いた。
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科という大学の公式の企画かな。https://www.doshisha.ac.jp/event/detail/001-pxPDtH.html

最初、三牧聖子さん(初めて知った方だが)の米国の大学での学生たちの反ジェノサイド抵抗運動の話。内藤正典さんはドイツが「イスラエルは、ドイツのRaison d’etre(レゾンデートル)ならぬRaison d’etat とかわけの分からないことを言って」、ガザの子どもを殺すなとか言うとすぐに弾圧されると言っておられた。また、本来反ユダヤ主義の本家のはずのヨーロッパの極右は今は、どこも反イスラムという目的のためにイスラエルに全面賛同している、これは非常に危険だと言っておられた。
司会は、先日『ケアの倫理』の合評会を聞いたばかりの岡野八代さん。最後に、同志社大学でも学生の政治活動は禁じられていて云々という質問を彼女はあえて読み上げた。(先生だけズルイ、という趣旨の書き込み?)

私の学生時代は、京大と同志社は赤ヘル(ブント系ノンセクト)にあらずんばひとにあらずくらいの勢いだったので、時代は変われば変わるものだ。(注1)
気になったのでちょっと調べると、「ロッド空港乱射事件を起こした奥平剛士は、京大パルチザンの活動家」。「パルチ」でも赤軍でも、パレスチナに行こうとした人は同志社にも居たかもだが名前は上がってない。同志社ではよど号グループの若林盛亮が有名。

私が大学2年の5月にロッド空港乱射事件があり、それを記念したオリオンの三ツ星が京大西部講堂には大きく輝いていた。
テロという方法は良くないという意見の人はいたが、反イスラエルにはアラブの大義があるという認識は当時は広く共有されていたと思う。
以来52年経ち、今回のガザの事態を受け、私も人並みに本を読んだり勉強したりも少ししたが、少し白けているところもある。核心部分は50年前から分かっていた。そう言っても少しもおかしくはないのだ。
わたしは50年間特に何もしなかった。もっと何ができただろうしした方が良かったのか。世界のあるエリアで圧倒的な不条理・悲惨があり、それを知っていても何の力にもならない。だからといって声をあげることが無力だとか、絶望におちいる必要はない。真剣に考えれば心身をすり減らすことになる。世界の矛盾を倫理的に受取り、何かしなければとあせる、そういうのも違うとわたしは、思っていた。
そのようにぼーっと時間が経ってしまった。イスラエル/パレスチナの状況は基本50年間変わらないし、どんどんひどくなっている。それはただの事実だ。

現在、欧米・イスラエル側からの情報だけにより、偏った世界認識をもっている人は多いだろう。
70歳以上のひとといっても「オリオンの三ツ星」を身近に感じるという機会がなかった人が大部分ではあるだろう。しかしわたしの友人間ではわたしのような感じ方は普通だったと思う。
オスロ合意までは、アラブの大義は中東諸国で圧倒的に支持されていた。日本国内でも、そのような世界認識(常識)は(少数でも)存在していたのだ、と言って置きたいのだ。もちろん当時も、それは政治思想やイデオロギーの問題でもあっただろう。政治思想やイデオロギーを持っても当然であった時代、ということだろうか。

平和と民主主義を説く欧米のエリート(のうちの多数派)が、問題をむりやりややこしくして、ジェノサイドの糾弾すらできないようなていたらくに落ち込んでしまったように見える。この点ではある意味、無学な日本人である方が有利だと思ってしまう。まさに『自壊する欧米の倫理』だろう。
素人がエリートの膨大な言説に抗うのは困難だ。しかし、50年間を素直に振り返ると、私の方が正しいと思える。

(注1)大学1年の最後の3月に、連赤事件で死体が山の中からどんどん出てきて、世間の空気も学生の空気も変わった、ただし、京大学生の赤ヘル比率はそんなに減ってなかったと思う。
2024.5.18〜 

兵士になること(ヴォランティア)

「ロシアには屈しない ウクライナ 市民ボランティアの戦い」
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/3644Q6GXL3/
というNHKの番組を見た(元はBBC)。

 ヘルソンの隣町ムィコラーイウ で闘う市民ボランティアたち(今まで従軍したことがないし、訓練もほとんど受けていない)。ヴォランティアといっても実際に戦闘行為をしている。主にインターネットやドローンで敵の位置確認をしている人たちが居る。ドローンで敵めがけてまっすぐに爆弾投下すれば人が死ぬ(かなりの確実で)。もっと大きな爆弾を撃っている人たちはどこから見ても軍事行動だ。

 敵の数人もいっぺんに吹っ飛ぶような爆弾を上手く落として、敵が死ぬことを喜ぶのは、普段の倫理感からは大きく離れている。しかし、戦争とは敵の死を喜ぶことであろう。
 ウクライナは格別悪いことはしていない。だのにある日自分の住んでいる町が占領され自由が奪われる。その町に住んでいる人にとって悪いのは、一方的に相手(プーチン)側である。そのとき敵を倒し、敵を殺すことは善となる。

日本人はこの価値転換を是認しない人が多い。戦争は悪だ、という思想である。しかし、現実に侵略されたウクライナ人やかって侵略された中国人にとって、祖国(郷土)を守るために戦うのは、大きな決意をもってある〈善〉に投企することだ。
 日本人はこのような侵略に対する抵抗としての善なる市民戦争を体験したことがない。元寇は確かに侵略に対する抵抗ではあったが、戦ったのは武士であり市民ではない。
 臆病な普通の市民が銃を取るとき、そこにはパトリオティズムが微小だけれども立ち上がると考えうる。太古の昔から日本という国家が存在し、自分はそれに内包された存在だという日本人的存在感覚がわたしたちの間には深く根付いているが、それは信仰であり、普遍性はない。大きな敵がやってくることはあり、自分が去就を問われることもあるだろう。

私は一切の暴力を否定する、一切の戦争を否定する、戦争が起これば逃げる、あるいは降伏する、それはそれで一つの思想だろう。それに自分を賭けられるだけの深みが、あるのであれば。
 しかし日本人は戦後ずっと、兵火にさらされることなく生きてこれた。戦争中も本土の人は一方的に空襲とか受けるばかりで、自分が銃を取るか取らないかという決断をした人はほとんどいない。
 強大な軍隊に守られているとされる立場でぬくぬくと半生を過ごしながら、自分が厳しく問い詰められる可能性がないからそう言いうるだけである可能性もあるのに、倫理的に立派な平和主義を得意そうに口にするのは、(たいていの場合)非常に罪深い行為であるのではないか、と私は思ってしまう。

あなたが自分自身の命を掛けて、すべてを賭けて戦ったとしても、それは「戦争」である。つまり市民が行うゲームなのではなく、プーチンという巨大な帝国とゼレンスキーとそれを支援する欧米諸国という国際政治学的なゲームなのだ。
 参加しているひとりの市民の思い、憎しみや悲しみ、郷土への愛情は直接はカウントされない。あなたたち数人の必死の行動はどちらにしても「微細な戦果」に結果するだけだ。戦果の積み重ねが勝敗(この場合はプーチンの撤退)に影響するかどうかは分からない。それは無駄な抵抗であり、結果的に人名の損傷を増やしただけだと評価されるかもしれない。しかし他人の評価とは別に、自分の評価を信じるしかない。自分の命を掛けているのだから。

 ボランティアと兵士というのは日本では全く逆の意味と捉えられるが、ヨーロッパではそうではない。自分が自分の命を賭けることの、その決意という目に見えないものの集積が、共和国であり、ネーションであるのだ。

 ネーションというものは成立した途端に、私たちを抑圧するものという姿を見せる。であるとしても、敵を倒すために殺すことをさえ選んだヴォランティアたちを私は尊敬する。思想の差異があるかもしれないとしても。

もし私がウクライナに居て若くて元気だったとしても、銃を持つかどうかは分からない。実践的にはともかく、思想的に「持たないこと」が正しいのか。正しいと今の私は言い切れない。
 ただ正しくないと言う人が、「安全圏から偉そうに言っている」だけではないか、と思ったのでそう書いてみた。

イスラム映画祭2022感想

イスラム映画祭、終わっちゃったが、今年は特に女性映画の傑作が多かったと思う。本当に感動した!
『ヌーラは光を追う』ヒンド・サブリー主演。『ある歌い女の思い出』でやせっぽちの少女だったサブリーが、たくましく美しくなっている。すごく魅惑されてしまった。
テンポの良いストーリー展開。一般公開してほしい。

『ソフィアの願い』モロッコでは婚前交渉を行った者は1年以内の懲役。未婚の女性が突然破水、どうなるのかなと思ったら、これはちょっとびっくりする映画!
(映画には関係ないが日本では婚前交渉は当たり前だが、妊娠すればほぼ自動的に堕胎される。それも実はおかしいと思う。)

辻上奈美江さんによれば、この映画はルッキズムへの異議申し立てを見事に表現しているという。主人公ソフィアは「絶望的な表情を貫き、服装、立ち居振る舞いなど多くの人が美しいとは思えないだろう所作を意識的に演出しています。」そういわれるとなるほどと納得してしまう。完璧なフランス語を話す美貌の姉(しかも完璧に優しい)との対比が常に強調されている。
ルッキズム批判とかさかしらに口にしている人もいるみたいだがあまりピンとこなかった。このマーナーな映画は大きな達成を成し遂げていると評価できるのではないか。
ビンムバーラタ監督になぜそれが可能だったか。欧州とアフリカの境界の街では、美と不美人との落差はあからさまである。フランス的なものは美しくアフリカ的なものはそうではない。この構造を最初から突き付けられるのがモロッコの映画作家だからこそ、このような映画が作れたのだ。

『天国と大地の間で』ナジュワー・ナッジール監督。
若い男ターメルはパレスチナ難民だが1993年のオスロ合意で西岸ラーマッラーの高級住宅地に住んでいる。妻サルマはイスラエルのパレスチナ人でイスラエル市民権を持っている。二人は5年間の新婚生活に倦み、離婚を決意する。ただ映画では二人はそれほど仲悪そうにも見えず違和感がある。この夫婦はオスロ合意あるいはパレスチナ自治政府の暗喩なのだ。「譲歩して譲歩して疲れてしまった」みたいなセリフがあった。
離婚届を出しに夫婦はイスラエル領内に入る。パレスチナ問題というとユダヤ/パレスチナの問題だけかと思うがそうではなく、かってユダヤ人でも反体制派(共産主義者)が存在し、ナクバにおいて新支配者たちに必死の抵抗をしていた。サルマの父もそうでありターメルの父はその中で殺されていた。ターメルの父ガッサンに戸籍の空白があると指摘され二人は調査の旅に出る。彼は若い頃ハジャルというユダヤ人女性と暮らしていたらしいが。云々。パレスチナ人と並ぶユダヤ国家の犠牲者である「ミズラヒーム(=東方系ユダヤ人)」については省略。https://www.motoei.com/eventreport/islam7_0503event/
岡真理さんの解説を読むと、世界から多様性を消し去り、「ユダヤ」対「アラブ」という二項対立的価値観に押し込めること、そのことなしにはシオニズム国家イスラエルは成立しない、というふうなことなのかと思った。
夫婦は離婚したのか?たぶんしなかったのかも。パレスチナ自治政府は存在し、パレスチナ国もたぶん存在するから。絶望とともに。

去年のイスラム映画祭でやった『シェヘラザードの日記』はレバノンの女子刑務所におけるドラマセラピーを扱った映画だった。https://twitter.com/noharra/status/1389948467649286150
ボスニア・ヘルツェゴビナでは1992-1995、セルビア人、ムスリム人、クロアチア人が混住している地域だったが、独立の機運が高まり、3年半に渡り全土で紛争が続いた。
今年の『泣けない男たち』はその戦争で心に深い傷を負った(被害者として加害者として)、男たちにドラマセラピーを施そうとする話である。男たちはどうしても触れることができない心の傷を20年以上も隠し続けている。それを語り演じてみようとすること。それによって初めて凍結させていたタブーを溶くことができるはずだが。男たちは次第にふざけあったりもできるようになる。プールで水を掛け合う場面は印象的。しかし解放は難しく、激しい自傷や加害が起こってしまう。20年前の傷を癒やすために歩まなければならない具体的道行きは長い。
戦争は多くの人に長い長い苦しみを与えるものなのだ。いままであまり語られて来なかったが。

http://islamicff.com/movies.html イスラーム映画祭2022

読んでみてね。Baghdad Burning

http://www.geocities.jp/riverbendblog/index.html 

リバーベンドさんのブログについては、id:noharra:20040409 id:noharra:20040504でも引用した。2003年8月から始まり、11/29分まで翻訳されている。7月には400頁以上もある本が東京で出版されている。isbn:4901006754 C0031 図書館にあったので借りてみた。

  1. アメリカ人は(日本人も)イラクをアフガニスタンと同じような途上国だと思っており、インターネット利用者やブロガーがいるとは思っていない。
  2. アメリカの侵攻前、イラクは(アラブでは)女性の社会進出が最も進んだ国であり、現にリバーベンドも男性と同じ給料で楽しく働いていた。
  3. アメリカの侵攻前、イラクではイスラム原理主義者は全く影響力を持っていなかった。

などなどはイラク人にとっていまさら確認するまでもない当たり前のことである。イラク人の生活に関わる情勢は、ブログが始まった去年8月から考えても悪化するばかりである。それを是正できない原因の一つは、「イラクは遅れた国であり、それを是正するためには悪を摘出し排除しなければならない」というアメリカが持つオリエンタリズムにある。リバーベンドが1年半努力してもその簡単なことが日本の大衆にはなかなか伝わらない。日本人は名誉白人だと思いたいのだろう。その地位がおびやかされているからこそ中国人差別が必要になる。

 で、同じ問題がどう表れるかだが、強調したいことがもう一つある。

2003年8月28日の記事による。

バグダード東南端の新ディアール橋の再建費用の見積もりの要求があるイラク人技術者(リバーベンドのいとこ)にきた。「いとこは、部下を集め、その橋の破壊状況を調査し、被害はそれほど大規模ではないものの費用がかかると結論を出した。いとこたちは、必要なテストと分析を行い(土壌構造と水深、伸縮継ぎ目と桁といったことがら)、金額を算出して、概算見積として提出した___30万ドルだった。これには、企画設計費用、原材料(イラクでは実に安い)、人件費、下請け費用、旅費などが含まれていた。」彼の会社は優秀で、17年以上も橋建設に関わっており、第一次湾岸戦争で破壊された133の橋のうち20を再建した。

「1週間後、新ディアール橋の契約は、あるアメリカの会社にいった。よく聞いて!この当の会社は、橋再建費用を約5千万ドル(!!)と見積もったのである。」

 イラクの復興を目的に掲げながら、イラク人に仕事を与えようとしない。Halliburton(勝手に変換されたがこれであっているのか)に類する企業に過大な利益を与えることには寛容である。このような経済運営もイラクの復興にマイナスの影響を与え続けているだろう。1年半も前のことを取り上げるのは、同質の問題が現在も継続しているだろうと思えるからだ。

(タイトルを、あるおとなり日記よりお借りしました。ありがとう。)

イラクの被拘束者

 ところで、「テロ関与の疑いでグアンタナモ米海軍基地に収容している660人」はどうなった。彼らにも公開裁判を受ける権利を認めろ。公開裁判ができないのなら直ちに釈放せよ!

旧聞ですが1月8日毎日新聞に下記のニュースがありました。

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/894919/83C838983N-20-28.html

【28】イラク:

拘束の約500人釈放 幹部情報に懸賞金 占領当局 

2004.01.08

 【バグダッド成沢健一】米英占領当局(CPA)のブレマー行政官とイラク統治評議会のパチャチ議長は7日記者会見し、駐留米軍が拘束した1万2800人のうち約500人を8日から釈放すると明らかにした。また、武装勢力幹部とみられる約30人に懸賞金をかけて手配する方針を表した。融和策拡大により、旧政権や武装勢力幹部の拘束に向け、イラク国民に協力を促す狙いがあるとみられる。

 占領当局幹部によると、釈放予定のイラク人は506人。第一弾として8日、バグダッド郊外のアブグレイブ刑務所に収容されている約100人を釈放。その後、数週間かけて各地の刑務所にいる拘束者を釈放していく。対象は旧政権への間接的な協力者に限られ、連合軍を攻撃した実行犯などは除外される。今後攻撃は行わないとの誓約書署名や、地元有力者が身元引き受け人になることが釈放の条件となる。

[毎日新聞1月8日] ( 2004-01-08-01:06 )

 この記事を見て気分が悪くなったのは、イスラエル当局がやってきたこととそっくりだ、ということ。数万人のパレスチナ人を何年も拘束しそれほど多数でない人々を「釈放する」と大きな声で報道する。上記にあるようにこれは「融和策」であり、それに応じて相手は譲歩を示すべきだとされる。だいたい平和な村にやってきて攻撃の前科があるわけでもないのに手当たり次第に引っ張っていく。それで数年後に返すときは感謝しろ!冗談も休み休み言え、というようなものなのだと思います。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20031125 にも書いたが、ここでも言いたいことは、(こうした政策は間違っていて直ちに止めるべきだとわたしは思うが、まあーそれとは別に)イスラエルでは当局は長い歴史の中でそういう政策を採らざるを得ない立場に追い込まれているとも理解できる。しかしイラクにおいては違う。イスラエルにおいて長い年月を掛け相手を鎮圧するという効果を生まないことが完全に実証された政策を採るのは百%馬鹿げたことだ。頼まれたかなんか知らないがそんなとこに行く自衛隊員もどうかと思う。

 自衛隊員の責任を問うのは如何なものか、という反論があろう。でも前にも言ったが公務員は命令を聞くだけではなく、その命令が正義に反しないかどうか判断する義務がある、と私は思っています。

続報http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/894919/83C838983N-0-18.html上の記事が当局発表そのままだったのでさすがに気がとがめたのか、続報では、約100人の釈放に対し「刑務所前には釈放を待つ家族ら約1000人が集まった。しかし、多くの人の家族は釈放者の中に含まれず、人々は駐留米軍への強い不満を口にした。」など、釈放を待つ人々の側に立とうとする姿勢があった。

http://www12.mainichi.co.jp/news/search-news/894921/83C838983N-0-17.html

ついでに上記から、

 サマワ署のサアド・ムハンマド副署長は「サマワ市民の多くは仕事がなく、空腹の状態が続いている。自衛隊派遣が雇用創出につながらない場合、市民の落胆は大きく、派遣は失敗するだろう」と話している。

イラクはレバノン化するのか?(悲鳴)

 自衛隊がイラクへ行くといっても何しにいくのかが今ひとつはっきりしないのが問題です。子供の使いじゃあるまいし行きますといって、運悪く死傷者が出るとなんのこっちゃではすまないですよね。ところで、相手の攻撃のことを「テロ」というのはもう止めるべきである。ナルシスティクな言葉使いはナルシスティクな認識を生み、結果はより悪くなる。

 さて、話題のイラク人女性によるブログ(日本語訳)

「2003年12月22日 (月) 疑問と恐怖」から、引用します。

http://www.geocities.jp/riverbendblog/

 イラクでは、スンニ派とシーア派は、ずーっと協調してやってきた。いまでもそうだ。いまのところは。私の出身は、半分がシーア派、半分がスンニ派であるような一族である。なんにも問題はなかったし、教育ある人々の大半は、この二派の違いをうんぬんしない。八方に敵意を煽り対立を引き起こしている元凶と思えるのは、連合軍暫定当局(CPA )と統治評議会(GC)が養成している対内乱民兵組織だ。これには、チャラビの殺し屋たち、SCIRI過激派とクルド Bayshmargamsの一部が参加することになっている。

 

 わかりやすいが、だが誤った見方は、クルド人やシーア派にとって、これはプラスだというものである。とんでもない。穏健なクルド人とシーア派の大部分は、スンニ派とまったく同じに、この新たな兵/スパイ集団に怒りを募らせている。国民に向けて放たれ、国民をほしいままにすることを意図していると。イラクのいたるところで、敵意と猜疑が増悪するだけのことだ。また、このイラク新軍が占領軍と同様に見境なく拘束と襲撃を行うというなら、さらに多くの血が流されるであろう。

 

 私は、まえにこう言ったことがある。イラク人は、内戦という惨事を引き起こしたり無実の人々を虐殺するような人間ではないと願うし、信じてもいると。そして、私はいま、このところの極度の絶望にもかかわらず、この思いにしがみついている。戦闘の間、レバノンに住んでいた人々から、レバノンの話を聞いたことを思い出す。彼らが取り返しのつかない惨事のことを話すのを聞いていて、いつも同じ疑問がわいてくるのだった__何が下地になったのか? 兆候は何だった? どのようにして起こったのか? そして一番大きな疑問・・・誰かそれを予見したのか?

 イラクのことを何も知らず、しかも偏見だけは持っていて、スンニ派とシーア派というカテゴライズぐらいしかしらない馬鹿なアメリカ人が権力に関与した結果として、もし本当にイラクが内戦状態に陥ったら限りなく不幸なことだ、と思う。上に書いたように、日本人も「テロ」という言葉の使用を止めるべきだ。

シオニズム

シオニズム運動は世紀の変わり目テオドール・ヘルツルによって作られた。

東ヨーロッパにおける反ユダヤ主義の厳しさに抗したものだ。一方、ユダヤ人の労働者の党ブントは、文化的自治の形での民族的解決を要求した。p76

シオニズムは一つの民族=一つの国家という理想を目指す。パレスチナ、ウガンダ、アルゼンチンの一部のどこかに領土を獲得することが目指された。シオニズムは30年間まったく傍流であり、ユダヤの宗教界からは異端として非難された。(p78)

(1930年代後半ドイツ・オーストリアからユダヤ人移民がやってきた後ですら)パレスチナにおいて、ユダヤ人は土地の5パーセント以下を持ち、30パーセント以下の人口を持つマイノリティだった。p83

で、もっともっとユダヤ人移民を、と叫ばれた。だがパレスチナ全体にユダヤ人国家の建設を主張する、ジャボチンスキー一派は必ずしも多数派ではなかった。マルチン・ブーバー周辺のグループは民族共生国家を唱えた。p84 だが、シオニストは1947年の国連パレスチナ分割案に合意する。分割という考えを受け入れたのではない。取れるところは取る、だが将来その領土を拡大できるよう扉は開け放っておく、という考え方だ。p86

6)ワルシャウスキー『イスラエル=パレスチナ民族共生国家への挑戦』つげ書房新社

を返さないといけない、のでとりあえず、要約してメモ。

トム・ハンドールさんの長い死

2003/04/12 07:46に「Tom Hundallさんがイスラエル自衛隊に撃たれた。」として書いた

http://bbs9.otd.co.jp/908725/bbs_plain?base=188&range=1

Hundallさんですが、長い植物人間状態の後、1月13日とうとう亡くなられたそうです。「トムはイスラエル軍の銃撃から子供たちを助け出そうとしていた時に撃たれました。」

参考url(日本語)

  1. http://www.onweb.to/palestine/siryo/sophie17may03.html(トムのお姉さんのスピーチ)
  2. http://www.onweb.to/palestine/siryo/notagain.html(目撃したIMSメンバーの証言)

1)によれば、(5月の時点で)「IDF(イスラエル国防軍)は、トムが武装し、軍用の迷彩服を着ていて、兵士たちに向かって発砲したという報告を出しています。また、トムが銃撃戦に加わっていたという報告も出しています。」と言っているとのこと。明らかな嘘。

 ところで、2003年12月、トムを狙撃した兵士がイスラエル軍によって逮捕されていることが明らかになりました。おそらくトムの家族と友人たちの不屈の意志がイスラエル当局を追い込んだ効果なのでしょう。